孤独 -07-
あちこちで煙が立ち、騒ぎ声が聞こえる中、サクラたちは大門の外にある森の中で我愛羅たちが出てくるのを待っていた。
「うーっ、さーみぃっ。木の葉ってのは案外雪が降るんだな」
「はい。火の国は他国に比べ温暖な地域ですけど、私たちの里は四季がハッキリしているので、雪も多く降るんです」
「ふぅん。“四季”ねぇ……。砂漠には縁のねえ言葉だな」
くあ、と欠伸をするサソリの後ろではバキが双眼鏡を覗いていた。
「予定ではそろそろ出てくるはずだが……」
「準備運動でもすっかぁ? 体もあったまるしよぉ」
おいっちにー、と屈伸運動を始めるサソリを横目に、サクラも懐かしい里へと視線を投げる。だが感傷に浸る暇もなく、すぐさまバキが「来た!」と声を上げる。
「先生! サソリ! ずらかるよ!」
「案外あっさり行けたじゃん! やっぱり木の葉は何をしても甘すぎるじゃん!」
飛び出してきテマリとカンクロウにバキも頷くが、すぐさま我愛羅がいないことに気付き、「我愛羅は?」と問いかける。
「我愛羅なら今足止めしてるじゃん。砂でチャクラ探知を欺いてんだ」
「すぐに来るさ」
「我愛羅くん……」
雪で分かり辛いが、確かに大気中にここ最近見慣れた小さな砂塵の粒が見える。己の中のチャクラを乱すそれらにサクラが頭を振ったところで、見慣れた赤髪が大門を飛び超えた。
「これで暫くは大丈夫だろう。帰るぞ」
「んだよ、結局出番なしかよ、チクショー」
ぼやくサソリに続きサクラも駆けだそうとするが、すぐさまその行く手を阻むように黄色い閃光が稲妻の如く飛び出してきた。
「悪いけど、そう簡単に帰らせるわけにはいかない」
「チッ、やっぱり火影ってのは一味違うみてえだなァ」
楽しそうに笑うサソリにミナトの視線が僅かに鋭くなるが、すぐさま後ろに控えていたサクラに気付き目を丸くする。
「サクラ?! どうして君が此処に――」
「よそ見してんじゃねえよ! ソォラァア!!」
「ミナトさん!」
思わずミナトの名を叫べば、間髪入れずに「おい!」と諌められる。
「敵に塩送ってんじゃあねえぞ、小娘! しっかりしろアホが!」
「だ、だって!」
幾ら砂隠の忍になったとはいえ、サクラの心は未だ木の葉のものだ。継いできた意志も、想いも、皆木の葉で授かったものばかりだ。それを今更どう返上していいかも分からない。むしろ戸惑うばかりだ。
「チッ、しゃーねえ。奴さんは俺らで食い止める。てめえらは先行きな」
「分かった。行くよ、カンクロウ、我愛羅」
「サクラ、お前も来るじゃん!」
「キャッ!」
カンクロウの操る傀儡がサクラを腹の中に閉じ込める。あの夏の日と同じ状況に、サクラの気持ちがグラリと揺らぐ。
(イヤっ……! お願い、出して、出して出して出して出して出して!!)
――あの夏の日の惨劇が脳裏に蘇る。
白い手と、響く断末魔と噎せ返る血の匂い。そして何も出来なかった――無力な自分。
「カンクロウ。女を出せ。一人で走らせろ」
「え。でもよ……」
しかし傀儡の外から聞こえた、ここ最近では随分と聞き慣れた声がサクラの耳に届き、いつの間にか強く閉じていた目を開く。
あの夜サクラを捕えた男が、今はサクラをココから出そうとしていた。
「女。ココから出て自らの足で走るか、その中にいるか。好きな方を選べ」
あの日のように突きつけられた選択肢。
サクラは強く噛みしめていた奥歯を切り離し、訴えるように「ココから出して」と叫ぶ。
「ならば走れ。立ち止まるな。逃げるな。もうお前は俺たちと同じ砂隠の忍だ。此処から出るということは、そう言う意味だ。迷うことは許さん」
「……分かったわ」
我愛羅の言葉に頷き、傀儡の中から足を踏み出した時だった。
「火遁! 豪火球の術!」
「チッ!」
「サスケくん?!」
襲ってきた巨大な火の玉に我愛羅たちが退く。そして再び傀儡の中に転がるようにして戻ったサクラに対し、姿を現したサスケは目を見開く。
「サクラ?! 何故お前が此処にいる!」
「そ、それは、」
サスケの、まっすぐとした黒水晶の瞳がサクラを写す。
昔はあの瞳に写りたくて仕方なかったのに、今はそれが酷く恐ろしかった。
「サスケー! 抜け駆けしてんじゃねーってばよ!」
「うっせーなウスラトンカチ! カカシ呼びに行くのにどんだけ時間かかってんだ、このグズ!」
「ああ?! んだとコラァ!」
「はいはい。お前たちこんなとこで仲間割れしないの」
相変わらずの凸凹コンビにサクラの涙腺が緩む。だが愛しい三人の名を呼びそうになるのを必死に堪え、組んだ指先に力を込める。
先程約束したばかりだ。己が利用すると決めた、けれどサクラに対し不器用ながらも優しさを見せ始めた男と。『もう迷わない』と、約束したばかりなのだ。
(もう、元には戻れない。あの頃には、帰れない!)
夜襲うを受けたあの日にも、先の戦での夜、敵里の忍の命を救うと決めた瞬間にも。
木の葉の額当てを奪われ、代わりに砂隠の額当てを受け取り、それを巻いたその瞬間から――もう、戻ることなど出来ないのだ。
かつて仲間と笑いあった日々に、愛する人たちが住まう里に、そして火の意志を継ぐくノ一に、戻ることは出来ない。過ぎた時間は二度と戻っては来ない。それを、改めて思い知り、噛み締める。
「サクラ」
テマリが硬い声でサクラを呼ぶ。その横顔は緊張を帯びていたが、サクラは一度深く深呼吸することで乱れていた心音を正常に戻し、傀儡の中から足を踏み出す。
もう元に戻れないならば――あとは、進むしかない。
「サ、クラ……ちゃん?」
「サクラ!」
傀儡から出てきたことでようやくサクラの存在に気付いたらしい。ナルトとカカシの丸くなった瞳にサクラが映る。だが、もうサクラは迷わなかった。
「テマリさん、カンクロウさん、我愛羅くん。今私の手元にあるのはサソリさんが傀儡に仕込んでいるのと同じ神経ガスが一瓶と、起爆札が十数枚だけ。あまり戦力にはなりません」
「ああ。元々お前は医療忍者として一緒に同行してもらっただけだしな。悪いが端から期待はしてないよ」
「毒があるなら、いざとなったら俺に渡して欲しいじゃん。傀儡演者の実力舐めんなって話じゃん」
「女、戦おうとするな。己の役割を全うしろ」
「はい」
頷くサクラにナルトが「サクラちゃん!」と声を上げる。
「無事だったんだな、サクラちゃん!」
「ええ、おかげさまで。ナルトも……元気そうでよかったわ」
流石にそれは嘘ではなかった。嘘ではなかったが、もう心動かされてはいけないと思った。だからサクラは自らの手で、二度と修復できない壊れた輪を深く噛みしめながら、クナイを一本取りだす。
「でも、ごめんね。私、もう――……戻れないや」
「サクラ、ちゃん?」
「避けろ! ナルト!」
起爆札をつけたクナイを一本、サクラはナルトの足元に向けて投げる。それは正確にナルトの足場を崩し、ナルトは叫び声を上げながら後退する。
「うおわっ?! ッ、何で! 何でこんなことすんだよ! サクラちゃん!」
「お喋りしてる暇なんてないよ、坊主! 風遁、カマイタチの術!」
「ナルト! 呆っとするな! ここはもう戦場だぞ!」
テマリのカマイタチの術からナルトを退け、カカシが諌める。だがナルトの瞳は未だに動揺を浮かべ、意識の切り替えが出来ずにいた。
無理もない話か、とカカシは共に退いたサスケへと視線を向ける。その横顔は流石にナルトに比べ落ち着いてはいるが、やはり困惑は隠しきれていなかった。
(これじゃあ分が悪いな。火影様も慣れない傀儡相手に苦戦しているようだったし、長引かせるのは得策じゃない)
加えてサクラの裏切りだ。以前ほどチャクラが練れない二人にとってこれは精神を乱す決定打となる。カカシでさえ無意識に一歩踏み出すのが遅れた程なのだ。二人にとっては大きな一打だろう。
「出来る限り穏便に済ませたかったんだけどねェ。無駄なチャクラは使いたくない主義なんだ」
「全くじゃん。火影室で一暴れするんじゃなかったな、テマリ」
「煩いよ」
テマリたちの方は軽口を交わす余裕があるが、カカシ達にはない。万全の状態でないナルトたちにとって一番の脅威は我愛羅であった。
「テマリ、カンクロウ。女を連れて先に行け」
「我愛羅くん、」
サクラが声を掛けるが、我愛羅は瓢箪から砂を出し、素早く印を結ぶ。
「後で追いつく」
振り返らぬ背中にサクラは頷き、呆然としたままサクラを見上げるナルト達に背を向けた。
「……さようなら」
小さく呟いた声は聞こえなかっただろう。それでもサクラが駆けだせば、ナルトはすぐさま「サクラちゃん!」と母親に縋る子供のような声を上げる。だがその声に答えてやれるほど、今のサクラに余裕などなかった。
◇ ◇ ◇
「……はぁ、はぁ……」
一方、ミナトは慣れない傀儡戦に疲弊していた。
「ぐっ、」
受けた傷口に視線を落とす。正直に言うと傷自体はかなり浅い。軽く掠っただけだ。だがこれだけ体調に異変をきたせば強い毒が仕込まれていることなど考えずとも分かる。
元より傀儡部隊とはそういう戦い方をする。一太刀でも浴びれば命の危険がある。まさしく砂漠に生きる者たちの戦い方だった。
(やばいな……目が霞んできた……)
ミナトは敵から身を隠すよう太い木に背を預け苦笑いする。
傀儡と戦う最中、木々の中を駆けるナルトとカカシの姿が見えた。一瞬カカシと交錯した視線に『ナルトを任せる』と告げ、カカシもそれに頷き駆けて行った。
だがその一瞬の隙をついたかのような傀儡の鋭い一閃に、ミナトの腕が掠ってしまったのだ。
『ククク……どうだぁ? 傀儡の味は。中々のもんだろ? え?』
「……ふぅー……。そうだね、今度は是非手を組んで闘いたいものだよ。敵同士じゃなく、仲間としてね!」
飛ばしたクナイは簡単に弾かれ地面に刺さる。
マーキングをつけたところで所詮傀儡だ。傀儡使いは必ず二体は傀儡を持ち運ぶ。一体に付けたところでそれを操る術者にマーキングしなければ意味がない。
だが流石手練れとして名が知られているだけあり、サソリはそう簡単に姿を現してはくれなかった。
(それに俺が戦場に出ていた時、ここまで傀儡を操れる術者はいなかった。いや、もしかしたら別の戦場に出ていたのかもしれない。運がいいのか悪いのか、判断に困るね)
視界が霞むだけでなく、毒が回った足にも力が入らなくなってくる。これは本格的にヤバいかもしれない。そう考えたところで咄嗟に右へと転がる。
素早く視線を走らせてみれば、案の定そこには蠍の尾のような傀儡の一部が深く突き刺さっていた。
『ほぉ、流石にもうダメかと思ったんだがな。まだ避けられるか』
「流石に、このぐらいでやられちゃあ火影の名が廃るんでね」
負けるわけにはいかない。里の為にも、家族の為にも。こんなところで倒れるわけにはいかないのだ。
だがミナトが再びクナイを構えたところで、風を纏った刃がミナトめがけて飛んでくる。
「危ねえ、ミナト!」
「シカクっ?!」
よろけるミナトを脇に抱え、飛んできた刃を避けたばかりの、姿の見えなかった友人に目を丸くする。
「悪ぃな。相性の悪い風遁使いの砂分身と、小賢しい探知妨害に時間食ってよ。ったく、これだから上忍の分身は嫌いなんだよ。無駄に強ぇから」
「はは、お互い前線から退くと体がなまっていけないね」
「まったくだ」
助けに来たシカクではあったが、同じく敵の忍の刃を喰らっているようだ。応急処置を施しているとはいえ、包帯に染み出る血の量は楽観視出来るものではない。
だが決して引くことは出来ない。二人は互いに視線を交わしながらクナイを構える。
「生きて帰れたら、久しぶりに将棋でも打とうや」
「やめてくれ。お前に勝てる気がしない」
「手加減はしてやる。どうだ?」
「お金の駆けはなしだよ? 負けたら一楽のラーメンを驕る程度で勘弁してくれ」
「おいおい、てめーがガキに似てどうすんだよ」
「はは、バレた?」
苦笑いするミナトにシカクは当然だと返す。
「てめえんとこの息子とうちの道楽息子が仲良いのは知ってんだろ」
「まあね」
「ったく、ガキっつーのは親父の背中見て育つもんなのに、お前が似てどうすんだ」
「面目ない」
どこから来るか分からない。特に慣れない傀儡での攻撃に二人は警戒していたが、いつまでたっても次の一手が来ない。これはどういうことかと二人が顔を合わせたところで、先程攻撃を躱した木の根元が徐々に盛り上がり始める。
「まさか、地雷?!」
叫ぶが早かったか退くが早かったか。
ミナトとシカクの声が重なると同時に、周囲一帯を焼き尽くすかのような爆発が起きた。