孤独 -05-
結局我愛羅だけでなくサクラも寝入ることはできず、時折身じろぎを繰り返しながらも我愛羅のベッドの上で一夜を過ごした。
特に会話らしい会話もなく、時計の針が進む音と、互いの息遣い。そして身じろぎする度に起きる衣擦れの音だけが全てだった。
――不思議だった。
異性の部屋で、異性のベッドで、一夜を過ごしたというのに驚くほど心が乱れなかった。生きているのか死んでいるのか分からぬ心を抱えたまま朝日を眺め、目の奥を焼くその光に幾度も瞬いた。
「朝か」
小さく呟く我愛羅の言葉に返事をする気にはなれず、そのまま転がっていれば我愛羅がベッドから立ち上がる。
「そろそろ起きろ。父様たちに見つかると言い訳が面倒くさい」
「うん……。分かった」
普段起床する時間より一時間ほど早いが、サクラは起き上がり、我愛羅を見上げる。そこにはいつも通りの仏頂面をした男が、じっとサクラを見据えていた。
「……朝飯ぐらいは食え」
「……うん」
昨夜何も口にしなかったことを言っているのだろう。相変わらず唐突な切り出し方ではあるが、サクラは気にせず頷き、ベッドから足を下す。
冷えきった床の上、それでも我愛羅の足がついていた場所だけは暖かかった。
「その……ありがとう。いさせてくれて」
いつしか止まった涙の跡を消し去るように指で払ってから礼を言えば、我愛羅は言葉を探すかのように視線を彷徨わせた後、ただいつも通り抑揚のない声で「別に」と返すだけだった。
「それじゃあ、部屋に戻るね」
「ああ」
先程までの二人は何処に行ったのか。
朝日が昇り、ようやく時が動き出したかのように突如ぎこちなさを覚えた二人は、戸惑いながらも言葉を交わし、おずおずと我愛羅の部屋を後にする。
(よく考えてみたら私も彼も何大胆なことしてんだろう。恥ずかしい……)
夜の力は偉大だ。何故昼間と違って妙な思考に陥ったり、大胆な行動が出来るようになるのか。
不思議に思いつつも与えられた部屋へと戻り、冷たいままのベッドにごろりと寝転がる。
「……ベッド、あたたかかったな……」
ずっと我愛羅が寝そべっていたからだろう。ベッドの上に投げられた時、多少腰を打ちはしたが人のぬくもりがあった。今のようにサクラを拒絶するかのような冷たさはどこにもなかった。
考えながらも目を閉じ、ゆっくりと息をする。そこでふと襟巻に染みついていた匂いとは違う、けれど似通った香りがしたことを思い出す。
我愛羅に対してときめくことも緊張することも無かったが、自分にとっては初めての異性のベッドだった。
「……どうしよう」
色んなことがありすぎて、どんな顔をすればいいのか分からない。
今頃になって羞恥心がじわじわと刺激されるが、結局サクラは目覚ましが鳴ると同時に体を起こし、なるようになるか。と気合を入れるように頬を叩く。しかし人生はそう甘くない。
それを実感したのは、いつの間にか自宅に戻っていた羅砂がサクラたちを呼び止めたところから始まった。
「テマリ、カンクロウ、我愛羅。それから春野サクラ。これからお前たちと暗部数名に特別任務を言い渡す」
「特別任務?」
朝食の用意を始めていたテマリの表情が僅かに強張り、いつもは寝起き特有のとぼけた顔を晒しているはずのカンクロウでさえ緊張が走った顔をする。我愛羅はいつも通りの仏頂面ではあったが、一瞬で纏う空気が硬くなった。
「食事が終わり次第風影邸へ来なさい」
「はい」
「承知しました」
頷く姉弟たちに交ざりサクラも頷けば、羅砂は「先に出る」と口にして席を立つ。既に彼は食事を終えているようだった。
「やはり避けては通れない、か」
「しょーがねえじゃん。俺たち忍は所詮駒だよ」
「早く飯にするぞ」
「う、うん」
風影である羅砂が消えた食卓ではいつにも増して重い雰囲気が漂う。気まずさを覚えつつそっと我愛羅を伺えば、そこには普段とは違うピリピリとした空気を纏った男がいた。
昨夜星空を見上げ、涙を流すサクラに戸惑う男はどこにもいなかった。
(何でだろう。胸がざわざわする……)
嫌な胸騒ぎを覚えつつ、ポケットに忍ばせた宝石を握りしめる。丸いその宝石は冷たいまま、サクラの指先から体温を奪っていった。
◇ ◇ ◇
食事を終えたサクラたちが揃って風影邸へと赴き執務室へと顔を出せば、そこには既に幾人かの忍が控えていた。
「来たな」
「はい」
カカシのように片目を覆う、屈強な男が風影の言葉に頷く。その男をテマリは「バキ先生」と呼んだ。
「サクラを連れて行くのは本当ですか」
「ああ。風影様のご意向だ」
我愛羅以上に仏頂面の、威厳と共に圧し掛かるような威圧感を発する風影の方へと視線を向けるが、当の本人は気にした様子はない。
一体どんな内容の任務なのかとカンクロウが問えば、風影は机上で組んでいた手を解き、一枚の書類を差し出してきた。
「お前たちに与える任務は木の葉の、火影邸への奇襲だ。出来る限り情報を集めてこい」
「ッ!」
思わず声をあげそうになるのを必死に抑え、風影を見つめれば冷たい瞳が返ってくる。
「暗部の者たちは火の国へ向かわせる。木の葉に行くのはお前たちとサソリだ」
「サソリも?」
問いかけるテマリに風影は頷き、「これはS級の特別任務だ」と続けた。
「何もお前たちだけで『木の葉と戦争をして来い』と言っているわけではない。勿論戦闘になれば多少の荒事は止むを得んが、最優先は向こうの情報だ。いいな」
「はい」
厳かな態度を崩さぬバキの返事を聞きながら、サクラはぐっと唇を噛みしめる。
昨日木の葉丸たちが捕まったと思えば突然の任務。恐らく木の葉丸たちの不在に気付いているのかいないのか、そして木の葉丸がどれほど木の葉に影響を及ぼす存在なのか。風影は探ろうとしているのだろう。
そしてそのついでに現在の木の葉を知ることが出来れば上々、といったところか。サクラは誰にも悟られぬよう、握った拳に力を込めて耐える。
「サクラ、私情は挟むなよ。お前はもう砂隠の忍だ」
「はい……。分かっています」
普段はサクラに優しいテマリだが、それでも今回は弟と仲間、そして里の期待を背負っている。いつになく厳しい声音で釘を刺され、サクラは頷いた。
だが心の中は荒れ狂っている。
裏切り者の自分を、皆に知られてしまうのが恐ろしいのだ。
(諦めたはずなのに……!)
――それでもまだ、縋っている。
そんな弱い自分が、サクラは嫌だった。
しかし旅立ちは待ってくれない。サクラたちは任務に必要な道具を改めて揃えると、サソリを交え大門前に立つ。
「今回は小娘がいるからな。作戦や連携については移動中決めるぞ」
「それはいいが、隊分けはどうするつもりだ?」
木の葉の大門とは違う、岩崖を真っ二つに裂いたかのような道を進みながらサソリとテマリが言葉を交わす。
「基本お前たちはいつものスリーマンセルだ。小娘は俺とバキの方に入れる。お前らと違ってこっちは場数踏んでんだ。急な対応にも慣れてんだよ」
「バカにしてんのか過保護なのか、判断に困る言い方だねぇ。まぁいい。サクラは任せるよ」
サソリは肩を竦めるテマリに軽く笑った後、我愛羅の隣を歩んでいたサクラへと視線を向けてくる。
「言っておくが、俺は坊ちゃんほど甘かぁないぜ?」
「俺は甘くなどない」
サソリの言葉にすかさず我愛羅が反論するが、サソリは軽く笑うだけでそれをいなしてしまう。
「さーてと、こっから木の葉までどんだけ急いでも三日だ。その間に心決めとけよ、小娘」
「分かっています」
テマリからだけでなくサソリからも釘を刺され、唇を噛むサクラに我愛羅は視線を投げる。そしてどこから出したのか、再度あの山吹色の襟巻をサクラの首に巻いた。
「砂漠を抜けるまでは何があるか分からん。巻いていろ」
「……うん。ありがとう」
テマリたちが巻いている物とは違う、少しだけくたびれたそれに口元を埋め、前を向く。広がる砂漠にはいつもより穏やかな風が吹いている。サクラの心とは正反対だ。
「よし。それじゃあ、行くぜ」
サソリの合図と共にそれぞれ駆け出す。
頬を撫でる風は木の葉に比べればあたたかいが、それでも冷たい。気付けば砂隠に来て半年。つまり木の葉から半年以上離れていたのだ。そこに向かって今、サクラは走り出す。
――敵里の忍という、全くの逆の立場になって。
砂を含んだ乾いた風は、サクラの良心を咎めるかのようにチクチクと肌を刺すばかりだった。