孤独 -03-
採取した薬草を持ち帰り、干す準備を整えてから製薬の方へと回る。正直何かしていないと先程のことを思い出しそうで、じっとなどしていられなかった。
(こういう時ほど忍っていう職業が嫌になるわ)
だが悔いたところで己の運命を変えられるものでもない。
サクラは淡々と薬を配合し、それを詰めていく。オアシスではずっと監視するように視線を寄越していたサソリも、もうここにはいなかった。
「サクラさん、こちらもお願いします」
「はい」
次から次へと寄越される製薬依頼書を眺めながら薬品を取り出し、それを配合していく。
敵里に寝返り、あまつさえ毒薬を作った自分が何を今更里に戻ろうとしているのか。木の葉丸たちが連れ去られていく時の表情を目にした瞬間、分からなくなった。
――自分は何のために此処でこんなことをしているのかと。
(確かに私は医者だわ。まだまだ未熟ではあるけれど、綱手様に、シズネさんに、沢山の知識を教わった。技術を教わった。でも、それは此処でこんな風に使うようなことだった?)
皆の役に立ちたくて、足手まといになるのが嫌で、自分を庇って代わりに傷つく仲間を見るのが嫌で――だからこそ自分に出来ることを、と考えて医療忍者になったはずだ。
それなのに、自分が先の戦で仲間を傷つけている。殺している。そんな裏切り者の自分が今更あの地を踏めるとは思えなかった。
(私、何でこんなことしてるんだろう。皆の仇なのに。里の敵なのに……。私、なんでここで、この人たちに薬を作ってるんだろう)
味方なんて誰もいない。敵ばかりの、木の葉の仇ばかりがひしめきあうこの土地で、何故薬を作っているのか。それが、分からなくなっていた。
(何でこんなことしてるの? そもそも私が此処に連れてこられたのは、もとはと言えば私が逆らえば里の皆が危ないからだったはずなのに。だから言いなりになって、里の誇りも捨てて、この人たちに知識を分け与えて――でも、今は?)
初めて第一線に立った夜。重傷を負った怪我人を前にしたあの時、サクラは“助けなければ”と思ったのだ。風前の灯であった――敵であった忍の命を、助けなければと思ったのだ。
(何だ。私、もうあの時から既に“裏切り者”だったんじゃない。だからあの人、止めてくれたんだわ)
『男を助けるために“砂隠の忍”になるか、“木の葉の誇り”を守り、その男を見殺しにするか。二つに一つだ』
そう言って迫った我愛羅は、裏を返せばサクラを“砂隠の忍”にしないための選択肢も用意していたのだ。
――大人しく捕虜のままでいれば、裏切らずに木の葉の忍のままでいれば、いつかは里に帰れるかもしれない。
その一番大きな可能性を潰したのは、他でもないサクラ自身だった。
(本当、何で私ってこんなにバカなんだろう。これじゃあ単独で砂隠に忍び込もうとした木の葉丸たちと何も変わらないじゃない)
結局自分で逃げ道を断っていた。自分を守っていた我愛羅の選択肢を自らの手で潰していた。
あの時、首を絞めてまで諌めてくれたのに。己が悪役になることでサクラが砂隠の忍になることを防ごうとしてくれたのに。
――本当にその過酷な道を選ぶのか、と。
そうでなければあんな繊細な男が首を絞めてくるなんて思えなかった。例え戦で感情が高ぶっていたのだとしても、遠回りなやり方でしか伝えることの出来なかった我愛羅の、不器用で、精一杯の思いやりだったのだ。
「サクラさん?」
「ッ! ご、ごめんなさいっ。何でもないの」
瞬くと同時にはたはたと依頼書の上に雫が落ちる。気付いた薬師に声を掛けられるが、サクラは慌てて首を振って笑みを浮かべた。
泣いたところでもう戻れない。あの時間は、もう二度と戻ってこないのだ。
「何でもない、何でもないの……」
毒草採取についてこなかった薬師数名が顔を合わせるが、サクラが無言で調合を始めれば止めることはしなかった。
所詮ここでも、サクラは一人だった。
(本当、私ってバカね……)
我愛羅に貰った宝石はいつもポケットに忍ばせていた。それは昔人から聞いたおまじないだった。
“丸いものをポケットに入れて大事にしておくと、友情が一生続く”
ようは人間関係の輪を大切にするように。と暗に伝えるおまじないだ。
貰ったラピスラズリの宝石は“願いの実現”という意味を持つ。だからサクラは例え効力のないまじないであったとしても、藁にもすがる思いでそれを忍ばせていた。
だが所詮はまじない。結局サクラは他でもない自分の手でその輪を砕いたのだ。仲間たちの仇である敵里の忍を助け、寝返るという行為によって。
これは潜入ではない。任務でもない。何故ならサクラは既に砂隠で医師免許を取り、忍としての登録も済ませてある。
一人の砂隠の忍として、この里に存在していた。
(……本当、バカ……)
どれほど悔やんでも流れた時間は戻らない。
サクラはただグッと歯を食いしばり、全身を苛むような胸の痛みに耐えることしか出来なかった。
◇ ◇ ◇
数時間後、サクラは製薬を無事終えた。そうして数分後には風影の元に報告に出ていたサソリが戻り、解散を告げられ施設を後にした。
日は既に暮れていた。
「遅かったな」
「うん……」
先に仕事を終えていたのだろう。風呂上りの我愛羅が帰ってきたばかりのサクラと出くわし、声を掛けてくる。だがいつもと違うサクラの様子に気付いたのだろう。訝るように眉間に皺が寄せられる。
しかしサクラは何も言わず、首に巻いたままの襟巻を手に取った。
「これ、ありがとう。すごく助かったわ」
「……そうか」
サクラにしては珍しく沈んだ声音で礼を言う。それには違和感しかなかったが、我愛羅は理由を尋ねたりはしなかった。だが僅かに、襟巻を受け取る手が戸惑うように宙で止まる。
「…………」
「…………」
それでも出されたものを受け取らないわけにはいかない。あくまで我愛羅は襟巻を『貸した』だけだ。『あげた』わけではない。だからこそ我愛羅は受け取るしかなかったのだが、サクラの異様さを気に掛ける程度には心を傾けつつあった。
だが互いにその先の言葉を見つけられずに沈黙していれば、ちょうど自室から顔を出したテマリがサクラに気付き声をかける。
「おかえり、サクラ。遅かったじゃないか」
「あ……はい。ただいま戻りました」
テマリもサクラの様子がおかしいことに気付いたのだろう。器用に片眉を上げたが、すぐさま「飯はどうする?」といつも通りの言葉を投げかける。
我愛羅とのやりとりで慣れているのかもしれない。サクラはそう思いつつも首を横に振った。
「ちょっと、今日は疲れちゃって。お風呂借りたらすぐに寝ます」
「そうか。じゃあ早く入んな。どうせ親父はすぐには帰って来ないよ」
「はい。ありがとうございます」
頭を下げるサクラにテマリは僅かに頬を緩める。
「じゃあ私は先に休むよ。明日はアカデミーで授業しなきゃいけないんだ」
「そうですか。おやすみなさい」
「ああ、おやすみ。我愛羅も、おやすみ」
「……ああ」
テマリが部屋に戻り、再び二人だけになった空間でサクラは視線を上げる。
「じゃあ、私、お風呂借りるね」
「……ああ」
風呂上りの我愛羅の濡れた髪を横目に、無言で通り過ぎれば背中に視線が突き刺さる。だがそれはすぐさま外れ、少しばかり安堵した。
「……流石にあからさますぎたかな」
与えられた部屋に戻り、風呂の準備を整えてから階段を下りれば我愛羅の姿はなかった。自室に戻ったのだろう。
先程のやり取りをぼんやりと反芻しながら脱衣所に入り、僅かにぬくもりが残る広い湯船に浸かる。少し前までは彼らが使用する湯船に浸かることにも抵抗があったが、今ではもう何も感じなくなっていた。
「……やだな……」
広い湯船で膝を抱え、顔を出した膝頭に額を押し付ける。胎児のように丸くなった所で母の中に戻れるわけではない。それでも、膝を抱えることでしか自身を慰めることが出来なかった。
(木の葉丸たち、暫くは捕虜扱いだって言ってたわ。乱暴する気はないってサソリさんは言ってたけど、いつかは殺されるのかしら)
木の葉丸が三代目の孫であることは調べればすぐに分かる。もしかしたら彼を使ってなにがしかの交渉に移るかもしれない。
例え木の葉に不利な条件が付きつけられようとも、それでみんなが助かるならそれでもいいのではないか。サクラはギュッと唇を噛み締めながらそんな益のないことを考える。
(政治のことなんて分からないわ。今どちらがどれほど有利なのか、不利なのか。あるいは互角なのかもしれない。でも私がここに来る前から砂も風も裕福な土地ではなかったから、きっとその点では木の葉の方が有利だった)
だがそれも今では分からない。先の戦の被害がどれほどのものか、サクラは知らないからだ。
(木の葉の忍の数が減っているということは、総じて火の国の軍人の数も減っているということ。それに薬草不足が謳われ初めてから随分立つ。あっちも危ないはず)
幾ら医者の数が砂隠より多いとはいえ、木の葉も厳しい状況だ。特に国から支援が少なくなればそれだけ苦しむ人々が増える。
砂隠もそうだ。元々どれほど国から補助されているかは知らないが、それでも現状あまり優遇されているとは思えなかった。
(多分、五分五分って所ね。良くも悪くも次が最後。じゃなきゃ今度こそ互いの里、どちらかが滅んでしまうわ)
土地が無ければ国は成り立たない。だが土地だけあっても人がいなくては国は成り立たない。
国だけではない。忍里も同じことだ。忍がいない里は滅ぶしかない。
「みんな……」
裏切り者の自分が里に戻れるわけがない。だとしたら、今の自分はどこで何をすべきなのか。
砂隠の忍として正式に登録されたとはいえ、サクラの心は未だ木の葉にある。だがもうあの地を踏むことはできない。愛する母の元へも、仲間の所へも、もう帰れないのだ。
「私……どこに行けばいいのかな……」
結局サクラは一人だ。一人でしかない。
未だかつて感じたことのない孤独感に苛まれながら、生温い湯船に顔を浸ける。
このまま呼吸が止まればいいのに。なんて考えながらも結局顔を上げれば呼吸を繰り返す。あたたかい湯船に映るのは浮かない顔をした自分自身だ。それがどうにも歯がゆく、ただただ悔しい。
高潔な意思もなければ潔く死を選ぶことすら出来ない。そんな自分にほとほと嫌気を感じながらも、膝を抱えて丸くなることしか出来なかった。