孤独 -02-
オアシスにはあらゆる客層が集うため、それぞれに合った施設が数多く用意されている。
食料品を販売している表通りの市場から始まり、服飾店や宝飾店。少し外れた場所では家畜を一ヶ所に集めて売買もしている。
その中心には命の源である水辺があり、そこを守る部隊も軍人、忍問わず設置されている。
そう聞き及んでいたサクラではあったが、実際に辿りつけば想像以上に小規模で閑散としていた。
「……何か、思ったより……」
言葉に困るサクラにサソリは肩を竦める。
「しょうがねえよ。今は戦時中だ。オアシスと言えど栄えてるわけじゃねえ」
「そう、なんですね」
都市というよりはほぼ町。最悪集落にも似たその小さな土地は、それでも砂隠に比べ遥かに緑が多く物資に潤っている。
通り沿いに並ぶ、市場とも呼べる屋台に並ぶ食材は少ないながらも色味があり、また貴重な肉も多く用意されている。恐らくここから砂隠に食材が流れてくるのだろう。
サクラは思わずキョロキョロと辺りを見回すが、今は仕事中だ。サソリはすかさずサクラを呼びつける。
「おい! 小娘! ぼさっとすんな!」
「は、はい!」
サクサクと市場を通り抜けていくサソリたちにサクラも続く。
すれ違う人は多くはなかったが、忍とは違う格好をした商人らしき人間があちこちで物のやりとりをしている。
金銭だけでなく物々交換も行われているのだろう。今も大量の小麦と引き換えに一頭のヤギが店主に引き渡されていた。
「着いたぞ、小娘。あの一帯すべてが薬草だ」
「え?! あんなに?!」
市場を抜け、暫く歩いた先に辿り着いたのは岩崖の手前だ。そこには棚田のように多くのビニールハウスが設置されており、想像していたよりも多くの薬草が育てられていた。
「つってもな、数はあっても育ちが悪い。だからあまり育ってねえものでも摘まなきゃならねえんだ」
「あ……。そう、ですよね」
サクラとて乾燥させたそれらをすり潰す際に何度も目にしている。完全に育ち切っていなかった、未成熟な芽たちを。
「分からねえことがあったら聞け」
「はい」
数名でチームを組み、採取に取り掛かる。
足を踏み入れたビニールハウスの中は、確かに見た目にそぐわず貧相であった。
(どれもこれもまだ完全に育ち切ってないわ。この中で一体どれだけの量が取れるというのかしら……)
サクラが砂隠に捕らわれる前、木の葉にいた時でも薬草不足が俄かに謳われ始めていた。それも先の戦で顕著になったことだろう。
どこの国でも、里でも、医者は苦労する運命にあるらしい。
(でも背に腹は代えられないわ。ここで生き延びないと木の葉にはもう二度と戻れないんだから)
自身にそう言い聞かせつつ薬草採取に取り掛かること数時間。粗方集まったそれらをサソリたちと仕訳していると、数人の忍が「サソリさん!」と急ぎ足で駆けてくる。
「あ? 何だ?」
オアシスの警護に当たっていた忍だろう。共に来た忍とは違う顔ぶれにサクラも顔を上げれば、微かに「木の葉の鼠を捕まえました」と聞こえてくる。
(木の葉の?!)
一体誰が、とサクラが視線を送れば、ちょうど辿り着いた忍が三人の子供を地面に転がした。
「チクショー! 離せコラー! ッ、クッソ……! 全然解けねえんだぞ、コレ!」
「こ、木の葉丸くん……」
「うぅ……」
「こ、木の葉丸?! それにモエギに、ウドンまで……!」
驚くサクラの声が聞こえたのか、荒縄で拘束された木の葉丸たちがすかさず顔を上げ、驚きに目を見開く。
「さ、サクラ姉ちゃん……?」
「あ? 何だぁ? 知り合いか? 小娘」
振り返ったサソリに僅かに頷けば、唇の端を切っていた木の葉丸が暴れ出す。
「何でサクラ姉ちゃんがこんな所にいるんだ、コレ?!」
「おい、暴れるな!」
上から押さえつけられ木の葉丸が唸るが、それでも睨むように視線を上げてサクラを見つめる。
「サクラ姉ちゃん! 何で砂隠の奴らと一緒にいるんだ、コレ!」
「そ、それは……」
大人の力に子供が敵うはずがない。それでも暴れる木の葉丸の頬に、押さえつけていた忍が拳を入れる。
骨と骨がぶつかる鈍い音にサクラが目を瞑れば、モエギが悲痛な声で木の葉丸の名を呼ぶ。ウドンは既に気を失っているようだった。
「うっ……くそっ……ちくしょ……」
「木の葉丸くん! サクラさん! お願い、木の葉丸くんを助けて!」
――助けて。
あの夏の日と同じように零された言葉。けれどサクラはまたもやその願いを、伸ばされる手を掴むことは出来ない。
「サクラ姉ちゃん……生きてて、よかったんだな……コレ……」
「木の葉丸……」
殴られたせいで軽い脳震盪を起こしているのだろう。先程と違ってぐったりと横たわりながらも、それでも口に入った砂を吐きだしながら木の葉丸が口を開く。
「ナルト兄ちゃんたちが、すごい、心配してたんだぞ、コレ……じじいも、綱手のばあちゃんも、皆……」
「木の葉丸くん!」
もう動く力も残っていないのかもしれない。殴られたせいで口の中を切ったのか、吐きだす砂に鮮血が混じる。
それでもサクラは、その場から一歩たりとも動くことができなかった。
「サクラ姉ちゃんが生きてたなら、ナルト兄ちゃんたちも、誘えばよかったんだな、コレ……」
「誘う、って……」
必死に拳を握りしめ、木の葉丸を見つめるサクラにサソリが視線を向ける。その瞳は冷たく、もし裏切ればどうなるか――。思い出させるには十分であった。
「大丈夫だぞ、コレ。サクラ姉ちゃんは、絶対助けてやるからな、コレ」
「無理よ、そんなの……。今のあんたじゃ……」
助けたい。助けてあげたい。大事な子なのだ。
三代目火影の孫であり、ナルトの年下の友人であり、イルカ先生の教え子であり、木の葉の大事な――仲間、なのだ。
「ごめんな、サクラ姉ちゃん。俺がもっと強かったら……もっと早く、助けに来てあげられたかもしれないんだぞ、コレ……」
「木の葉丸くん……」
木の葉丸たちを抑えている忍がサソリに確認をとる。
今この場でこの子供たちの首を刎ねるか、それともサクラと話をさせ情報を引き出させるか。
サソリは軽く頭を掻いた後、サクラに耳打ちする。“今の木の葉の状態を聞きだせ”と。
「……ねぇ、木の葉丸。あんた、どうやってここまで来たの? エビス先生は?」
まだ下忍であるはずの木の葉丸たちは担当教師同伴の元でなければ里外に出ることは禁じられている。百歩譲ってエビスと共に砂隠に奇襲をかけたのだとしても、エビスの性格上木の葉丸たちを囮に使うような作戦は立てないはずだ。だがエビスの姿はどこにもない。どこかで機を伺っている可能性もないわけではないが、やはり子供たちを伴って敵里に来るような男だとはどうしても思えなかった。
事実、木の葉丸たちは苦い物を飲まされたように顔を歪める。
「……先生は、この前の戦の毒で倒れちゃったの。まだ意識が戻ってなくて……」
「毒……」
サクラとサソリが共同で作った毒薬だ。神経を侵し、チャクラの乱れを引き起こさせる神経系の猛毒。そのため時には死すら呼ぶ。
即死はしないが遅効性の成分があり、体に残ればいずれは何かしらの支障をきたすほどの毒薬もサソリは用意していた。
未だに被害者の意識が戻らなくてもおかしくない話ではある。
「ナルト兄ちゃんもサスケ兄ちゃんも、ようやく意識が戻ったばっかりなんだ、コレ。でも、俺たちはまだ戦に出られないから……」
「だから、エビス先生たちの代わりに砂隠の情報をとってこようって……」
「バカっ!」
子供が単独で、しかもたった三人で敵里に忍び込んで上手くいくわけがない。火を見るよりも明らかだ。
なのに何故そんな無謀なことをしたのか。問いかければ、木の葉丸が「だって」と唇を噛む。
「俺、何もできてない、何もできてないんだぞ、コレ! 忍なのに、皆がいっぱい傷ついて苦しんでるのに! 俺、戦に参加することすらできなかった……! 子供だからって、まだ力がないからって、『里をお願いします』って一人で戦場に行ったエビス先生の背中を見ることしかできなかったんだぞ! コレ!」
「先生だけじゃない。他の皆だって……。ナルトさんやシカマルさんやいのさんだって、皆戦ってるのに、私たちだけ何も出来なかったの!」
目に涙を浮かべながら必死に訴えてくる二人に胸が締め付けられる。
何も出来なかったのはサクラとて同じだ。むしろサクラが作った毒のせいで里の皆が傷ついている。分かっているのに、分かっていたことだったのに――
それでも、辛い。
「お願い、サクラさん! 木の葉丸くんを、木の葉丸くんだけでもいいから……助けてっ……!」
モエギの訴えに木の葉丸が「嫌だ!」と叫ぶ。
「サクラ姉ちゃん! 俺絶対助けるからな、コレ! サクラ姉ちゃんも里の皆も、絶対絶対、助けるからな、コレ!!」
「木の葉丸……」
これ以上何と言っていいか分からず俯くサクラに、サソリが疲れたようにため息を零す。もうこんな茶番はうんざりだと、そう言いたげだった。
「おい坊主。てめえにイイコト教えてやるよ」
「いいことって、なんだよ、コレ」
ようやく言葉を発したサソリに木の葉丸が顔を上げれば、サソリはサクラの後ろ首を掴むとそのまま腰を折らせ、薄紅の髪を纏めていた額当てを見せつけた。
「あいにくてめえの知ってる“サクラ姉ちゃん”はもういねえよ。ここにいるのは“砂隠のサクラ”だ。分かったか」
「ッ!」
ぎりっ、と歯を食いしばるサクラの前では、木の葉丸とモエギが呆然とその真新しい額当てを見つめていた。目の前が真っ白に染まったような、そんな一種の絶望を滲ませた表情で。
「だが、何だ? てめえの名前には聞き覚えがあんな。三代目か四代目かのガキか孫だったか……。うん。なら殺すのは止めだ」
「では、」
サソリの言葉に三人を捕えて来た忍たちが縄を掴む。
「ああ。捕虜として牢にぶち込んどけ。風影には先に報告してろ。コッチの仕事が終わり次第俺も足を運ぶ」
「御意」
サソリに軽く一礼をすると、報告に来た忍たちがそのまま木の葉丸たちを抱えて走り出す。
「…………」
顔が上げられず、ぐっと拳を握りしめるサクラにサソリは視線を投げ、すぐに外す。
「小娘。まだ仕事は終わってねえ。戻るぞ」
「……はいっ……」
共に採取に来ていた忍数名から労わるような視線を向けられるが、サクラはただ唇を噛みしめその視線を無視した。
労わりも同情も、今のサクラにとっては屈辱以外の何物でもない。
――里を裏切った、今のサクラにとっては。
「……忍は所詮戦争の道具、か」
サソリはサクラのすべてを拒絶するかのような背中を眺めながら、摘んだばかりの未熟な薬草を一掴みする。
苦い香りのするそれは未だ小さく、まるで先程の子供たちのようだと嘆息した。