孤独 -01-
先の戦から一ヵ月。サクラは砂隠で年を越した。
だが砂隠の正月は木の葉のように除夜の鐘が鳴ることはなく、また熱帯であるため雪も降らない。物資が不足している今はおせちを作る余裕もない。
そもそもにおいて国が違うのだ。大なり小なり文化の違いはある。だが折角年が明けたというのに、砂隠の面々は大してめでたい行事のようには思っていないようだった。
「なんか……砂隠の新年って淡白なのね」
我愛羅と向かい合ってとる食事は未だに慣れないが、それでもサクラは時間が合えば共にした。
現に向かい側で茶を啜る我愛羅はサクラの言葉に僅かに視線を上げた後、それがどうかしたのかと問うてきた。
「国が違うから仕方ないとは思うんだけど、それでもなんていうか……もっとお祝い感があってもいいと思うの」
幾ら熱帯と言えど朝夕は冷える。
豆と野菜で煮込んだ湯気の立つスープを口にすれば、薬味として加えた塩胡椒がピリリと舌を刺激し体を温めていく。
「木の葉ではそうかもしれんが、砂隠ではあまりめでたいことでもないからな」
「そうなの?」
「ああ。所詮は毎日の繰り返しだ。祭事が行われない限り、基本的にめでたい日など存在しない」
答えた我愛羅は「ごちそうさま」と手を合わす。
初めは「いただきます」も「ごちそうさま」も告げぬ我愛羅ではあったが、サクラが食べ物に謝辞と礼を尽くすのは基本だと教え込めばそれに従った。納得すればある程度のことは受け入れる。我愛羅は以外にも素直な所があった。
「ふぅん。何だか寂しいわね」
木の葉では今頃雪が降り、各家庭では雑煮を食べている頃であろう。あるいは豪勢でないにしろおせちを突いているか。
ただ、独りになってしまった母はどうしているだろうか。そして先の戦で毒の犠牲になったであろう仲間たちも。サクラはそれが気がかりだった。
だがサクラが情報を得ることはない。幾ら砂隠の忍として正式に登録されたとはいえ、木の葉から来た捕虜であることに変わりはない。でなければ未だに風影の自宅で暮らす羽目にはなっていないだろう。
とはいえ何もデメリットばかりでもない。正直未だに右も左もよく分からぬ土地なのだ。一人で暮らすよりはこうして知識ある者と共に過ごす方が色んな意味で得策ではあった。
「そうだ。私今日サソリさんと薬草を採りに行くんだけど、あなたたちは?」
今日のサクラの仕事は薬草採取と製薬だ。普段は病院勤務だが、そろそろ薬が足りなくなってきたため採取に出かけなければならなかった。
「俺とカンクロウは外の修復作業だ。テマリは知らん」
「そう……」
テマリたちは我愛羅を気にかけているようだが、我愛羅は二人のことをあまり意識しているようには思えなかった。というより、我愛羅は用が無ければ二人との接触を避けているようにも見えた。
幼い頃の記憶がそうさせているのか、それとも彼自身の判断かは分からないが、サクラが考えている以上にここの姉弟の溝は深いようだった。
「外、砂嵐来ないといいね」
「そうだな」
先の戦の後始末も終わり、僅かばかり経った頃。再び襲ってきた砂嵐に幾つかの民家が被害を受けた。電柱が倒れたのだ。
それに勝ち戦だったとはいえ、全く被害がなかったわけではない。怪我人を多く抱えたままの砂隠に修復作業は荷が勝ちすぎた。しかし放置するわけにもいかない。怪我や体調不良が治り次第、多くの忍が里や備品の補充に駆り出されている。当然それは一尾の人柱力である我愛羅とて同じことだ。例外はない。
「でも風は強いみたいね」
ガタガタと揺れる窓へと視線を向ければ、我愛羅も「そうだな」と頷きそちらを見遣る。
以前は口数が少なかった我愛羅も、サクラが根気強く話しかけ応答を求めれば答える回数が増えてきた。未だに深い部分に入り込むことは出来ていなかったが、それでも確かに我愛羅はサクラの声に耳を傾け始めていた。
「お前は毒草の採取に行くんだろう?」
「うん」
食事を終え、食べ終えた食器をトレーに乗せ立ち上がれば、突如首に何かを巻かれる。
「え。な、何、これ」
「……持っていなかっただろう。使え」
「! あ、ありがとう」
我愛羅がサクラの首に巻いたのは山吹色の襟巻だった。
木の葉で使われるマフラーほど保温性はなかったが、飛び交う砂から身を守るには十分な代物だ。
「俺は先に出る」
「うん。行ってらっしゃい」
いつものように瓢箪を背負い、先に食器を片付けた我愛羅を見送る。
それと入れ替わるように自室からテマリが顔を出し、いつもとは違い髪を下した格好で「おはよう」と声をかけてきた。
「あれ? テマリさん今日はお休みですか?」
「ああ。それよりも、我愛羅とカンクロウは?」
「二人は外の修復作業ですって。私は今からサソリさんと薬草採取に行ってきます」
「そうか。気を付けて行って来いよ」
サクラも食器を片づけ、我愛羅から受け取った襟巻を首に巻きなおせばテマリが「それ……」とどこか驚いたような声音で呟く。
「サクラのじゃ……ない、よな?」
「え? ああ、はい。これ、さっき我愛羅くんが貸してくれたんです。私がこういう類のものを持ってないからって」
少し使い古された感がある柔らかな襟巻を掴めば、テマリは「そうか」と言って目を細める。その表情はどこか懐かしむような、けれど一抹の寂しさを含んだ複雑なものだった。
「それ……あの子、まだ持ってたんだな」
「え?」
「いや、こっちの話だ。それよりそろそろ出ないといけないだろう? 呼び止めて悪かったね。行ってらっしゃい」
「はい。行ってきます」
何か含みのある物言いではあったが、テマリは柔らかく微笑むとサクラの背を軽く押して片手を上げる。それに会釈を返し、砂が飛び交う風から呼吸器官を守るように襟巻を鼻先まで上げる。
途端に香る我愛羅とはまた違った他人の匂いに、果たしてこれは誰のものだったのだろうかと僅かに首を傾けた。
◇ ◇ ◇
「おーし、これで全員揃ったな」
集合場所であった施設前へと辿り着けば、すでに準備を終えていたサソリが待ち構えていた。
そうしてサクラを加えた薬師と傀儡部隊の数名で薬草採取へと向かう。となれば指揮を執るのは当然傀儡部隊長であり薬師として働くサソリだ。
乾いた大地を駆け抜けながら、サソリはサクラへと確認を取る。
「小娘、お前採取に来るのは初めてだったよな?」
「はい」
サクラはいつも既に乾燥させた薬草をすり潰し、既に瓶分けされたものを配合して製薬している。そのため薬草の採取に出るのは今日が初めてだった。
「そうか。じゃあちゃんと道覚えろよ。もしものことがあればお前が足を運ばなきゃならねえんだからな」
「分かりました」
もしものこと。それはサソリや、この場にいる傀儡部隊が戦場に出て不在の時を指しているのだろう。勿論そこには最悪の事態も含まれている。とはいえこの年齢まで生き延びてきた面子だ。今更死ぬようにも思えない。が、戦場では何が起こるか分からないものだ。どれほど実力があろうと死ぬ時は死ぬのだ。それをサクラは嫌というほどに知っている。
「しっかりついて来いよ」
「はい」
冬場とはいえ、渇いた大地にも冷たい風は吹く。サクラは襟巻を微調整し、並走するサソリに問いかける。
「ところで、採取場ってどこにあるんですか?」
道が分からぬサクラが最後尾を走るのは当然のことだが、隊長であるサソリが必ずしも先頭を走る必要はない。現に我愛羅の代わりにお目付け役を担ってもいるのだ。離脱しやすい最後尾をサクラ一人で走らせるわけがない。かといって中腹に紛れ込ませようにもこの部隊は『傀儡部隊』だ。傀儡を操れない、砂忍としての実戦経験もないサクラを隊列に組み込むわけにはいかない。
勿論サクラ一人が邪魔をしたところで連携が乱されるほど未熟な部隊でもないのだが、それはそれ。万全な状態で隊列を組むのは基本中の基本だ。
元より傀儡部隊は後方支援に特化している。先陣が切れないわけではないが、陽動や錯乱以外で先陣を切るような戦闘には正直向いていない。
そのため薬草採取に限って言えば接近戦を得意とする薬師兼忍も隊に組み込む。サクラも接近戦が主な戦い方であるため、『殿を務める』と考えればさほど不味い配置でもない。
サソリに関しては手練れの傀儡使いだ。あらゆる事態に対し臨機応変に指示を出せる柔軟性も持っている。それもあって周囲の忍たちもサクラに対する警戒・監視はサソリに一任していた。当然『教育』という部分も多分に含まれているが。
「考えなくとも分かるとは思うが、基本的に砂隠の里じゃ植物は育たねえ。だから里を出た先にあるオアシスまで行く必要がある」
「オアシス、ですか?」
書物でしか聞いたことのない名前に瞬けば、砂漠にある楽園のようなものだと教えられる。
「オアシスは忍や戦闘民族以外の一般市民が集っている集客施設だと思えばいい。旅人や商人、移動民族が羽休めに訪れる場所だからな」
「成程。でも、そんな場所なら尚更戦争の餌食にされないんですか?」
薬草以外にも色々揃っているのであれば狙われても可笑しくはない。だが現状そういった話は聞こえてこない。木の葉にいた時も、だ。
だからこそ疑問に思って問いかければ、サソリは存外素直に「まぁな」と溜息交じりに答える。
「だが俺たちだってバカじゃねえ。オアシスには専用の腕利き部隊が配置されている。俺たち忍だけでなく、国の軍人も交えたな」
「軍人も?」
驚くサクラにサソリは当然だと答える。
「オアシスは隠れ里だけでなく国の要でもあるんだ。他国との貿易が盛んじゃない今、オアシス以外でまともな植物が育つ場所は殆ど存在してねえんだよ。里も国もな」
「そうなんですか……」
貧しい里だとは思っていた。だが国までもが傾いているとは思わず、想像以上に厳しい環境なのだと改めて理解する。
「オアシスは砂漠の命だ。そこを失うことも、枯らすことも出来ない。砂漠の民の命は全てオアシスにある。そう考えても過言じゃねえんだよ」
「大切な場所なんですね」
木の葉にそのような場所はない。
砂隠のように四方を砂漠に囲まれているわけでも、植物が育ちにくい環境でもない。
国の一部ではそう言った場所もあるとは聞いたが、それでも木の葉は緑に溢れ、地下から温泉が湧き出る恵まれた土地だった。
(そっか……。だからこの人たちはこんなにも余所者に対して冷たいんだわ。命を脅かす存在は勿論、疑いがある存在にも。決して両手を広げて寛容に受け入れることが出来ない)
過酷な土地だからこそ異端者に対して冷たくなる。それは自分たちの身を守るための術でもあり、生き残るための選択の一つなのだ。
だがそれはあまりにも――そう。たった一人の少年に向けるにしてはあまりにも酷すぎる習わしだ。
まさしく多勢に無勢。
国から、里から、そこに住まう人たちから。我愛羅はずっと冷たく、異質な存在を見るような目を向けられてきたのだ。
(可哀想な人。でも――)
流されては、いけない。
そう決めたのだ。
サクラは冷たい風でかじかむ指を握りしめ、それから首元を温め、肌を叩く砂から己を守る襟巻に鼻先を埋める。
――流されてはいけない。
そう決めたはずなのに、我愛羅が時折見せる哀しげな瞳が決意を揺るがす。
(ダメよ、サクラ。味方なんて一人もいないんだから。惑わされちゃダメ。迷ってもダメ。絆されるなんてもってのほかよ。絶対、ダメなんだから)
拳だけでなく唇も噛みしめて、たった一人で己の身を守ってきた我愛羅の姿から目を背けるように頭を振る。
利用するために近づいたはずなのに、サクラは少しだけ、ほんの少しだけ、我愛羅に対し同情の気持ちを抱き始めていた。
それは他者を陥れるには不必要な要素だ。分かっている。分かっているのに――それを、捨てきれずにいる。
サクラは自身の経験の少なさと甘さに歯噛みしながら、それでも何度も彼を利用するのだと言い聞かせ、乾いた大地を駆け抜けた。