長編U
- ナノ -

思惑 -06-



 サクラが生きていた。その情報は火の国から戻ってきたシズネと綱手の元にも届いていた。

「サクラが……」

 そして同時に、砂隠に捕らわれているということも。

「状況は芳しくないな」
「ええ。生きていただけでもとりあえずは安心ですが、次に会うまで無事かどうかも分かりませんからね」

 砂隠の目的が掴めないため、綱手もシズネも心からサクラの存命を喜ぶことが出来ずにいる。

「シズネ」
「はい」
「先の毒の件。どう思う」

 院内の屋上で、風に吹かれながら木の葉の町を見下ろす綱手からの問いかけにシズネは苦虫を噛み潰したよう顔をする。

「今まで砂隠の使用した毒の中でもなかり強力な物でした。その上過去にない配合の仕方をしています」
「ああ。植物が育たないあの辺鄙な土地で、新たな毒薬を開発する余裕があちらにあると思うか?」

 問いかける綱手の横顔は今までにないほど厳しい。それは二人の頭に浮かんだ、一つの仮説を信じたくないという現れにも見えた。

「……サクラが関与している可能性があるということですか」
「ああ。サクラには私の知識を伝授している。勿論お前のもだ。毒草についてあの子は私たちに負けないほどの知識を既に持っている。それを砂隠が生かさないとは考えにくい」
「はい。私もそう思います」

 過去解毒した砂隠の毒薬から検出された成分は、基本的に配合比率や掛け合いの仕方が変わる程度だ。新種の毒草が加えられることはさほど多くない。根本的に植物が根付かないからだ。だが今回皆を苦しめた毒には過去使われたことのない新たな毒草の成分がいくつも検出された。
 それが何を指しているのか。鈍くない二人が辿り着く結論は一つだけだ。
「サクラはこのために囚われたのかもしれん」
「可能性は高いです。サクラは日向やうちはのような特殊な血筋の出ではありませんから。その線が一番濃厚かと」
「うむ。ならばサクラは今しばらく命の保証はされるだろう。あちらはまともに毒草や医療に対する知識を持った者が少ないからな」
「そうですね。ただサクラが知識をあちらに受け渡しているとしたら、あるいは……」

 トントンを抱く腕に力がこもる。途端に腕の中の存在が非難の声を上げるが、シズネはその手を離すことが出来なかった。

「綱手様、」
「分かっている。何としてもサクラは助ける」

 だが現状綱手が木の葉を離れるわけにはいかない。未だに多くの患者がひしめき合い、先の戦から回復していない子供たちのこともある。そのどれもが綱手の心を痛めていた。

「……サクラ……」

 呟く二人の声が重なる。だがそれは他の誰に聞かれることも無く、無意味に晴れ渡った空の中へと消えて行った。


 ◇ ◇ ◇


「えぇと……、確か彼“ラピスラズリ”って言ってたわよね。あの宝石」

 その頃サクラは、案の定休日だと言っていた我愛羅と共に図書館へと足を運んでいた。

「あ。あった」

 一人掛けの椅子に腰かけ、兵法の書に目を落としている我愛羅を横目で確認してから頁を開く。

「ラピスラズリ……『幸運のお守り石。聖なる石。神に繋がる石。身に着けた者へと幸運を運び、心身と魂の浄化を司る石。時には試練も運んでくるが、必ず持ち主の願いを実現させてくれる神秘の石』――か」

 その他諸々明記された頁を眺めつつ、サクラは持ち寄ったラピスラズリの宝石を指先で撫でる。

(願いの実現、か。皮肉なものね。これから裏切る相手からこれを貰うだなんて)

 だがそれでも。自分は木の葉に帰るのだ。サクラは僅かに痛む良心の声を無視して本を閉じる。
 己の願いを叶えるため、時には何かを犠牲にしなければならないことなど理解している。

(そうよ。何が何でも木の葉に帰るんだから。皆の元に、お母さんの元に。絶対に、帰るんだから――)

 そのためならば悪魔にだって魂を売る。
 だからこそ尾獣である守鶴との取引に乗ったのだ。我愛羅に付け入り、信頼させて裏切るのだ。目の前で仲間を殺した男に最も過酷なやり方で復讐するために。

(大丈夫、大丈夫よ。私なら出来る。出来るわよ。だって私はあの人が憎いもの。憎くて憎くて、しょうがないもの)

 流れた血の色を思い出せ。伸ばされた白い腕を思い出せ。
 耳を塞ぐことも出来ず、ただ眺めることしか出来なかったあの惨劇を、断末魔を思い出せ。
 決してあの男に、あの家族に絆されてはいけないのだと唇を噛みしめ、閉じた本を元の位置に戻す。

「やるのよ、サクラ」

 この里に味方などいない。いるのは全て敵だ。
 己が木の葉に戻るためならば、この地に住まう全ての命を犠牲にしても構わない。
 何故ならここは敵地――サクラや木の葉にとっては敵の巣窟だ。躊躇も迷いも必要ない。ただ忍らしく“任務”を完遂すればいい。

 “我愛羅を油断させ裏切る”という任務を――。

「出来るわよ、私なら……」

 噛みしめた唇から錆びた味が広がる。強く噛みすぎて溢れたそれは、口の中で鈍い味を広げた。

「我愛羅くん。帰りましょう」
「ん? もういいのか?」

 振り返った我愛羅に笑いかけ、サクラは頷く。

 この地で作り笑いを浮かべることには、もう慣れていた。





第五章【思惑】了