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人 -02-



 サクラから治療を受けた翌日。我愛羅は任務のため国へと出かけていた。任務先はとある一軒家だ。その屋根裏に潜み、改めて情報を確認する。

(火の国に寝返った薬師の一家、か。母親は既に他界している。当主である父親とまだ十になったばかりの息子が一人、そして不治の病に罹っている娘が一人だけの三人家族か。本来であれば数少ない薬師を失うのは手痛いはずだが、軍人に使用した薬物が麻薬だったことから疑いをかけられ、調査が入った。そして火の国から来た行商人と秘密裏に手を組み、国の情報を流し、更には軍人に薬物を投与することで娘の薬を入手したことが分かったと。……成程な)

 表向きは火の国から守るため派遣された忍だと説明しているが、本当の仕事はこの一家の暗殺である。
 しかし数少ない薬師を失うのは手痛いため、保管されている薬品や薬典、その他諸々の器具や資料は全て持ち帰るよう指示されている。
 だがどうせそれらを持ち帰っても砂隠には流れてこないだろう。もしこの任務を請け負っていたのがサソリかサクラならば幾つかの知識を脳内に叩き込んで帰れただろうが、生憎我愛羅には医療に関する知識が全くと言っていいほどない。

(事実あの女に叱られたぐらいだしな)

 見つめた手の平に巻かれた包帯は未だ綺麗に留められたままだ。渡された痛み止めを服用したせいか痛みは引いたが、それ故か感覚が鈍くなっている。
 任務遂行時には服用しない方がいいな。と改めて患部の具合を確かめていると、聞こえてきた足音が我愛羅の潜む部屋の前で立ち止まる。

「忍さん? ここにいますか?」

 聞こえてきた声は細く高い。
 我愛羅はすぐさま隠れていた屋根裏から「はい」と答え、姿を現す。

「ああ、よかった。ここにいたのね」

 そう言って我愛羅に向かって微笑んだのは、この家の一人娘であった。
 艶やかな黒髪を後ろで一本の太い三つ編みに束ね、日に焼けた肌に白い衣服を纏う姿は町娘らしく朗らかで美しい。

「何か御用ですか?」

 殺すにしてもタイミングというものがある。
 機を狙う我愛羅の本当の任務内容を知ることのない娘は、人のよさそうな笑みを浮かべたまま我愛羅の問いに「いいえ」と首を横に振る。

「ただちょっと話し相手が欲しくって。もしかしてお忙しかったかしら?」

 娘は忍である我愛羅に対し丁寧な言葉遣いで話す。本来であれば雇う側である娘がこのような態度で接する必要はない。だがどういうわけか、我愛羅は娘に懐かれていた。

「いえ……」

 未だ娘との距離感を測りかねて困り果てる我愛羅に、娘は嬉しそうに笑みを浮かべる。そうして所在なさげに棒立ちになっていた我愛羅に向かって「こちらへ」と手を伸ばした。

「お座りになって。私とお話しましょう?」

 貧しい国らしく、痩せ細った腕には斑な斑点模様が浮かんでいる。病名は不明。だが母親も同じ病で死んだらしく、その死体には全身に痣のような斑模様が浮かんでいたらしい。
 当然同じ病に罹っている娘の体にも至る所に紫色の斑点が浮かんでいた。

「ねえ忍さん、あなたの将来の夢はなあに?」

 日除けの屋根が影を作る中、簡素な机と椅子を並べる娘を手伝う。
 普段なら吹きすさんでいる風も今日は弱い。日に焼けた椅子に腰かける娘に促され、我愛羅も一礼してからそこに座した。

「夢、ですか」

 考えたことも無い質問に普段の仏頂面を崩さぬまま瞬けば、娘は「そうよ」と頷き手を合わせる。

「ほら、私は薬師の娘でしょう? だから私も大きくなったら父のような薬師になりたいの」

 病に侵された腕には斑点模様だけでなく、日焼けとは違う色が肌を喰っている。そして妙に皺が寄ったその腕は老婆のようにも見え、年頃の娘にしてはあまりにも痛ましい。だが当の本人は気にしていないのか、それとももう慣れているのか。あるいは単なる強がりなのか。笑みを絶やすことなく話し続ける。

「父は国のために働いているわ。軍人さんたちの傷が少しでも痛まないように、と。それに少ない薬で試行錯誤をする父を見ていると『私も早く立派な薬師にならなくちゃ!』って思うの」

 立派な夢だ。
 誰かを助ける。父のような立派な薬師になる。
 あまりにも平凡で、平和で、尊くて……――どれも、我愛羅とは無縁のものだった。

「お嬢様ならきっと素晴らしい薬師になるでしょう」

 嘘だった。

 我愛羅の任務は一家の暗殺だ。つまり父も息子も娘も関係なく、この家に住まう者を誰一人として余すことなく殺さなければならない。
 それが我愛羅の請けた任務だ。一人も逃してはならない。幾ら心優しく、罪がない娘であったとしても。忍は一度受けた任務は必ず遂行せねばならない。絶対厳守のそれを、砂隠を代表する忍である我愛羅が破るわけにはいかなかった。

「フフッ。そう言ってもらえると嬉しいわ」

 警戒することを知らない、誰かを疑うことを知らない。愛情を存分に注がれて育てられた娘は朗らかな顔で笑う。だがその笑みを向けられる度に胸が鈍く痛む。
 それでも事実を伝えることなど出来るはずもなく、曖昧に頷く我愛羅に娘は口角を和らげる。

「ねえ、忍さん? あなたずっと手に包帯を巻いているけれど、それは怪我? それとも病気かしら?」
「これは……」

 娘に問われ我愛羅は一瞬言葉に窮する。
 適当に誤魔化してもよかったのだが、一瞬でも言葉に詰まったことで更に興味をひいてしまったらしい。娘は「少し診せて下さいな」と微笑みながら手を伸ばしてくる。

「必要ありません」

 思わずいつもの調子で言葉を返してしまい内心焦った我愛羅ではあったが、娘はニコリと笑うと問答無用でその手を取った。

「やせ我慢は怪我によくありません。怪我はあなたが生きている証です。恥ずかしがる必要なんてありませんよ」

 そう言って穏やかに視線を落としながら、サクラの巻いた包帯を解いていく娘の慣れた手つきをぼんやりと眺める。
 サクラとは違う、日に焼けた指はサクラ以上に細かった。

「まぁ! 酷い火傷ですね。私お薬持っていますから、それを使ってくださいな」
「いえ、その必要は――」

 ただでさえ薬が不足しているのだ。自分なんかに使うのは勿体ないと手を引こうとするが、未だ取られたままの手を強く握られ阻まれてしまう。

「ダメです。我が家に仕えているのであれば、これは命令ですよ。私たちを守るためにもちゃんと手当てをしてくださいな。そして万全の状態で私たちを守ってください。ね?」

 そう言って微笑む娘に我愛羅は口を噤み、その眩しいほどの笑みから視線を逸らしながら僅かに顎を引く。
 これから殺す女に情けを掛けられるほど虚しいものはない。そう思いながらも、娘の手を跳ね除けることは出来なかった。

「大丈夫ですよ。私だって薬師のはしくれ。これぐらい何とも――」

 だがそこまで口にしたところで娘は激しく咳き込みだす。
 慌てて我愛羅が前のめりになった体を抱きとめようと腕を伸ばすが、その手は反射的にどこからか投げつけられた物をキャッチした。

「姉様に触るな! 薄汚い忍め!」

 そう叫んだのは娘の弟であるこの家の一人息子だ。彼が投げたのは硬い石で、我愛羅の火傷の痕を鈍く刺激した。

「けほっ、ダメ、よ。そんな、言い方、しちゃ……ゲホッ、ゴホッ」

 弟の粗野な発言に諫言を漏らす娘だが、すぐに咳き込み苦しそうに上体を折っていく。だが我愛羅は手を貸すことが出来ず、代わりに娘の弟が細い手を取り立ち上がらせる。

「下がれ、忍。お前に姉様と話す資格などない」
「御意」

 己より遥かに年下の子供に命令されるが、我愛羅は特に憤慨することなく一礼して下がる。そもそも年下の子供から命令されること自体に文句はない。罵倒されることも、ああして他人から拒絶されるのも慣れている。第一そんなことで一々目くじらを立てていれば忍などやっていられない。基本的に忍は誰かの命を受けて動く立場だ。命令されることに慣れていなければ務まらない職業でもある。

(火傷……。痛むな)

 投げられた石を受け止めた手の平を開く。包帯を解いていたことに加え、投げられた石をキャッチしたせいだろう。水疱の一つが潰れ、じくりと溢れる粘液がそこを汚していた。

(巻きなおすか)

 人から拒絶される痛みには慣れている。
 だがそれでも感じる僅かな胸の痛みを打ち消すように、鈍く痛みを発する手を強く握りしめる。だが同時にその痛みが「何のために自分が此処にいるのか」という事を思い出させた。

「ッ、」

 響く胸の痛みに比べれば、火傷など大したものではない。
 我愛羅は娘の代わりに机と椅子を片付けると、いつも通り影に潜む様にして陽の下から姿を消した。


 ◇ ◇ ◇


 そうして随分と日が暮れた頃、当主である男が一人で晩酌を嗜んでいた。その天井裏には我愛羅が潜んでおり、気配を完全に断って今日の出来事を脳内で纏めつつ男を監視していた。
 そこに控えめなノックの音と共に娘の声が響く。

「お父様。忍さんを見ていませんか?」

 父親に尋ねながら首を巡らせる娘の頭上で、息を殺していた我愛羅は「どうしたものか」と口を引き結ぶ。
 娘は病に侵されている割にアクティブなのだ。そして世話焼きで話好きでもある。我愛羅にとっては殆ど馴染みのないタイプだった。

「コラ! 出歩いてはならん! 体に障るだろうがっ」

 部屋の中をウロチョロと動き回る娘に困り果てる男の声を聞きながら、我愛羅は娘の声を無視して用心深く気配を断つ。その間にも娘は父親に肩を掴まれ、部屋を追い出されようとしていた。だが娘は「うーん」と呑気に唸りながら顎に手を当てる。

「ごめんなさいお父様。でも何となく忍さんが此処にいる気がしたの」
「何をバカなことを言っている。忍なんぞどうでもいいだろう。あんなのは放っておけばいい」

 金さえ出せば何でもする薄汚い連中だ。
 男の口から洩らされた言葉に傷つくほど繊細ではないが、自分のことを棚に上げてよく言えたものだとは思う。
 娘の薬を手に入れるためとはいえ、国の情報を売り、軍人の身に薬物を投与したのはこの男だ。そんな男に何を言われても説得力などない。
 如何な理由があろうとも国を裏切ったことに変わりはないのだから。

 だからこそ我愛羅は黙って親子のやり取りに耳を澄ませる。例え親子の何気ない会話であろうと何が情報源になるか分からないからだ。

 しかし次の瞬間、娘の口からもたらされた言葉に我愛羅は目を見開いた。

「でも、忍さんは此処にいるはずよ。だって“悲しい匂い”がするもの」

 ――悲しい匂い。

 ……血の臭いか。

 我愛羅は自身で巻きなおした歪な包帯を眺める。そうしてすん、と匂いを嗅げば、やはりどこか生臭く感じる。
 どれだけ体を清めても、どれだけ服を新調しても染みついてしまう。嗅ぎ慣れた鉄錆臭い匂いに顔を顰める。
 これでは忍失格だ。臭いでばれてしまうなど恥以外の何物でもない。案の定己の腹の中に巣くう獣が声を上げて笑うのを頭の片隅で聞いていた。

「ねえ、忍さん。手が空いたら来てくださいな。私待ってるから」
「コラ! あんな薄汚い鼠に関わるな! 病気が悪化してしまう!」

 バタバタと娘を追い出していく当主の粗雑な足音を聞きながら、我愛羅は再度「どうしたものか」と頭を痛めながら寝転がる。
 僅かな隙間から漏れる部屋の灯りが宙に浮かぶ埃を照らす。それをぼんやりと眺めた後に目を閉じれば、腹の底で獣の笑う声がした。

『随分気に入られたなぁ、我愛羅』
(煩い。黙れ)

 楽しげな声音で話しかけてくる声を一蹴し、すぐさま閉じていた瞼を開ける。それと同時に男が部屋に戻り、我愛羅は寝そべっていた体を静かに起こした。

「忍、いるのか?」
「此処に」

 屋根裏から答える我愛羅に、男はふん、と鼻を鳴らす。

「いいか? 娘には近づくなよ? 絶対にだぞ!」
「御意」

 念を押してくる男に肯定の意を伝えるも、我愛羅は男の言葉を聞く気などなかった。
 何故なら我愛羅は確かめたかったからだ。娘が感じた“悲しい匂い”が本当に血の匂いなのかどうかを。

「まったく、あのじゃじゃ馬娘め。もう少し大人しくしていれば病気の進行も遅かっただろうに……」

 ぶつぶつと娘に対する文句を零す男の言葉を右から左に聞き流し、我愛羅はぼんやりと己の手の平を見つめる。

(包帯、綺麗に巻けんな……)

 解けかかった歪な包帯を患部に巻きなおすが、すぐさまだらりと緩む。その様に眉間に皺を寄せ、その後も暫く格闘したが結局諦めて小さく吐息を零す。
 我愛羅はサクラや娘のように包帯を巻くのが上手ではなかった。分かってはいたことだが、何故か無性に悲しくなった。