長編U
- ナノ -

人 -01-



 我愛羅が任務に出てから一週間が経とうとしていた。
 こんなにも長いこと不在になるならば塗り薬を渡しておけばよかった。サクラが内心で深く後悔していると、突然「春野さん!」と名を呼ばれ慌てて返事をする。

 サクラは今砂隠の病院で看護婦として日夜働いていた。

「今から二階の病室のシーツ変えるから用意して!」
「はい!」

 砂隠の病院は木の葉に比べ器具も部屋数も少なく、薬も備品も常にギリギリで余分がない。国から支給される物品も近年では徐々に減ってきているようで、看護婦長などは「困ったものだ」とため息を零していた。
 木の葉でもサクラたちが撒いた毒のせいで多くの患者が出た頃だろう。
 国を手に入れる、あるいは木の葉を壊滅させるならば今がチャンスだろう。畳みかければ落ちる可能性は高い。だが今の所国を挙げての戦が起きる様子はなかった。実際そういう話は出回っておらず、耳に入ることもない。

 だが戦争を「しない」のではなく「出来ない」のだと、サクラはここ数日病院で勤めて理解した。
 何せ想像以上に患者が多かったのだ。
 戦場で緊急治療した患者を始めとし、現在も足を失くした患者や意識が戻らない患者が大勢いる。
 他の看護婦たちと共に病室とナースステーションを行ったり来たりしながら、サクラはどうにも我愛羅の火傷が心配でならなかった。

(ああ、もう! 意地っ張りはどっちよ! あの人に意地を張ってたのは私じゃない! 医者としての責任があるのに、どうして私っていつも詰めが甘いんだろう)

 皺が寄り、くたびれたシーツを籠に放り込んでは洗濯したばかりのシーツと取り換える。
 移動してはそれを繰り返し、最後の病室に訪れたところで再度声を掛けられた。

「あの、春野さん、ですよね?」
「え? あ、はい」

 その病室には手足を失くした患者や、リハビリ前の患者が詰め込まれた大部屋だった。その一番奥のベッドに横たわっていた男がサクラを呼んだのだ。

「先の戦ではありがとうございました。おかげで明日からリハビリが出来るそうです」
「あ。あの時の……」

 声をかけてきたのは先の戦でサクラが緊急治療を施した男だった。
 テントの中で治療した時は体中が煤で黒く染まり、治療に必死だったため顔をよく覚えていなかったが、明るい場所で改めて目にする姿はサソリよりは若く、サクラたちよりも年上に見えた。
 男は手当てした当時を思い出したサクラの反応に照れたように笑う。その顔には妙な愛嬌があった。

「腕の方は多少後遺症が残りましたが、足は何とか使い物になりそうです。まぁそれもリハビリ次第なんですが」
「そうですか。それはよかったです」

 足の裂傷は酷かったが、歩行に問題はないのだろう。一応今後のリハビリ次第と診断されたようだが、サクラが診た限りでは問題なく歩ける自信があった。
 それでも男の言葉に改めて安堵の言葉を漏らせば、男はへらりと笑った後に「あの」と控えめに話しを続ける。

「我愛羅様のことなんですが、どうかあのお方を責めないでください」
「どういうことです?」

 サクラが止めていなければ今頃死んでいただろうに。何故我愛羅を庇うのかと言葉少なに尋ねれば、男は申し訳なさそうに視線を落とし眉間に皺を寄せる。

「我愛羅様が意識を失っていた俺を始末しようとしたと仲間から聞きました。ですがああいった行為はよくあることなんです」
「よくあることって……」

 我愛羅が平気で仲間の命を奪うことがよくあることだというのか。そうであれば益々自分は我愛羅を許せない。そんな男に好意を抱かれても心底嫌なだけだ。
 だが男の発言はサクラが予想していたものとは違った。

「うちは医療忍者も薬草も乏しいでしょう? ですからああして救護班が間に合わない場合、周りに応急処置も出来る者がいなければ情報を守るために仲間を殺す。昔からそういう決まりなんです」
「殺すだなんて、そんな!」

 勿論木の葉でも全くあり得ない話ではない。何せ自分たちは“忍”なのだ。任務遂行が第一。自分の命は二の次だ。だが、だからといって命を奪う行為を“よくあること”で済ませていい話ではない。
 緊急を要し、どうしても一人置いて行かなければ全員が助からない。そういった特殊な状況下でない限り木の葉では絶対に仲間を見捨てたりなどしない。
 だが砂隠では違うのだ。助からない命はその場で断つ。情報を守る。ただそれだけのために仲間に殺されるのだ。助かるかもしれない怪我であったとしても。

「仕方のない話です。私たちは誰かを殺す術は習っても治す術は知りません。どれだけ仲間を助けたいと思っても、知識がなければ助けられないのです」
「それは、そうですが……」

 サクラとて綱手に医療を教わるまではアカデミーで教え込まれた応急処置が精々だった。薬草を見つけて的確に処置したり、傷を塞ぐといったことはできず、止血をする、添え木をあてるといった気休め程度のことしか出来なかった。
 それは砂隠でも同じなのだろう。だからこそサクラは強く反論が出来ず俯いてしまう。

「春野さん。そんな顔しないでください。あなたがいてくださったから俺は生きています。本当に感謝しているんです。あなたが心を痛める必要なんてどこにもないんですよ」
「でも、」

 仲間を見捨てることがよくあることだなんて可笑しい。
 そう反論したかったが、サクラは砂隠のことを何も知らない。例え施設の構造や病院での制度、使用器具や薬品を覚えたところで砂隠の忍たちの間で使われる暗号や掟などは一切知らないのだ。
 そんな自分が何を言えるのかと口を噤めば、男は困ったように眉尻を下げ、頭を掻く。

「春野さん。俺はあなたに助けられた命でこれからも戦場に出ます。もしかしたら次の戦で死ぬかもしれません。ですが、あなたに助けられたご恩は一生忘れません」
「そんな、大げさですよ」

 医者として怪我人を治すのは当然のことだ。それをそんな大ごとに捉えなくとも、と手を振れば、男は穏やかな笑みを浮かべサクラの戸惑う顔を覗き込む。

「俺にとってあなたは天使だ。あなたに出逢えて本当によかった」
「てっ?!」

 男の口から零されたとんでもない言葉に目を見開き固まれば、男はへらりと愛嬌のある顔で笑う。

「おや。照れましたか? 顔が赤いですよ」
「なっ、ぁ、か、からかわないでください!」

 思わず声を荒げるサクラに男はカラカラと笑うが、すぐさま頬を染めたままのサクラを穏やかに見上げた。

「春野さんに暗い顔は似合いませんよ。俺は見たことはありませんが、きっとあなたには笑顔が似合う」
「ぅ、な、何なんですかもう、さっきから……」

 まるで口説かれているみたいだ。無意識に髪を撫でつけていれば、男はいやぁ、と軽く笑う。

「春野さんがあまりにも可愛らしいので、口説かせていただきました」
「くっ、口説くって!」

 その一言で益々頬を赤らめたサクラに男は声を上げて笑う。両頬に浮かんだえくぼと覗く八重歯が可愛らしい人だった。
 だが軟派な男だとは思わなかったとむっつり閉口していると、ようやく笑いを収めた男が再度サクラを穏やかな眼差しで見つめる。

「まぁ流石に口説くって言うのは冗談ですが、春野さんには笑顔が似合うだろうなぁ。と思ったのは本当ですよ」
「……ありがとうございます」

 恥ずかしさの余韻が引かず少々ぶっきらぼうな返答になってしまったが、男は気にしていないようで相も変わらずニコニコと微笑んでいる。
 己が若いから余計な反応してしまうのか、それとも男のからかい方が上手いのかは分からない。それに異性から称賛されるのは妙に気恥ずかしかった。

「とにかく! 今はシーツを替えますからね!」
「はい。お願いします」

 ベッドから立ち上がった男の体温がまだ残るシーツを手早く交換し、傍に置いていた籠にそれを放り込む。そして敷いたばかりのシーツの皺を伸ばし、ベッドの状態を確認してから「よし」と呟く。

「はい、どうぞ」

 綺麗に伸ばされたシーツの上に促せば、男は礼を述べてそこに座る。
 この男のシーツ交換が最後だった。ようやく一つ仕事が終わったかと嘆息すれば、男が「お疲れ様です」と微笑んでくる。

「お忙しい中、長話に付き合ってくださってありがとうございます」
「いえ、声をかけていただけて嬉しかったです。明日からのリハビリ、頑張ってください」

 頭を下げる男にサクラが笑みを向ければ、男は瞬いた後嬉しそうに破顔する。

「やっぱり。春野さんには笑顔が似合いますよ。とても可愛らしい」

 相変わらずの軽口にサクラは「もう!」と声を上げたが、すぐに男と共に笑いだす。
 砂隠に来てから初めてサクラの頬が自然と緩んだ瞬間だった。