長編U
- ナノ -

火傷 -02-



 部屋を与えられたサクラは少ない監視で過ごす中気付いたことがある。
 それは我愛羅が“滅多に家族と共に過ごさない”ということだ。
 料理は自分が作ったものしか口にしないという話はカンクロウたちから聞いていたが、食事自体一人で取ることは聞き及んでいなかったため、僅かに驚いた。

「今日もあの人、一人で食べるんですか?」

 ごく僅かな、己の食べる分だけを乗せたトレーを片手に階段を上って行く我愛羅の背を見送る。それに対しテマリは苦笑いを返し、カンクロウは「そうだな」と短く答えるだけだった。呼び止める素振りすらない。
 サクラでさえ戦争で父親を喪った後は一人で食事を摂ることはなかった。必ず母親の帰りを待ち、二人で他愛ないことを話しながら食べたものだ。幾ら二人だけの食卓になったとはいえ、一人で食べるより遥にマシだからだ。
 だが我愛羅は姉兄がいるにも係わらず一人で食事をしている。サクラにはそれが妙に寂しいことだと感じられた。

「我愛羅のアレは今に始まった事じゃねえし、言ったところで聞かねえよ。親父も何も言わねえしな」
「うちは放任主義だからなぁ」

 諦めたような口ぶりではあったが、その実二人の視線や纏う空気は常に我愛羅のことを気にかけている。本当は三人で、時には父親である羅砂を含めた家族皆で食事を摂りたいのかもしれない。だが現状では我愛羅がそれに応えるとは思えない。それが分かっているからこそ何も言わないのだろう。

「つーか親父は今日も帰って来ねえつもりか?」
「勝ち戦にも関わらず国からの文句を聞いているらしい。誰のせいで勝てたと思ってんだか。あのクソったれの軍人どもが」

 サクラの家にあった机よりも一回りも二回りも大きい机の上に並べられた食事は存外質素だ。
 そもそも穀物だけでなく葉物も育ちにくい環境だ。加えて長引く戦争で物資だけでなく食料も枯渇気味である。色味のある食事は望めない。更には貧富の差が益々激しくなりつつある今、風影の親族と言ってもとても裕福とは言えない生活を送っていた。
 だがこれでもマシな方なのだ。それをこの数日で嫌というほど肌で感じている。

「さて、飯が終わったら風呂にでもするか」
「おう。じゃあ風呂掃除してくるじゃん」
「ああ、頼んだよ」

 テマリと共に食事の後片付けをする中、サクラはここ数日で学んだ砂隠の現状を反芻する。

 木の葉は比較的国からの援助が厚い。それは初代から続く火影達が国との関係を良好なまま続けてきたことと、火の国自体が肥沃な土地であること。更には軍事に力を入れていることにも機縁する。そのため国からの支援が急激に疎かになったり、衰えることはなかった。

 だが風の国は隠れ里を含め、領土の大半が砂漠に覆われている。そのため火の国や木の葉の一部で見られた田畑は少なく、小麦を主食に多肉植物を調理したものが多い。
 肉は羊や鳥が主で、豚や牛は少ない。味付けも塩や胡椒だけといったシンプルなものが多く、魚などの生ものはない。
 食料が育ち辛い環境ではあるが、代わりに石油や鉱物などはよく取れる。今まではそれを収入源として国を建てていた。それ以外では、砂隠ではあまり普及していないが――忍という職業柄仕方のない話ではあるが――国内では香水やお香なども種類が豊富だ。
 しかし一番の収入源は専ら宝石などの装飾品だ。他国と比べても多く生産されており、質も良い。

 だが幾ら豊富な資源があっても石油も鉱物も金にはなっても食べ物にはならない。それらを元に貿易を行っていても物資不足は免れず、国も隠れ里も貧富の差が激しく、金がない者には厳しい生活が強いられていた。

(木の葉ではお風呂にも入れない、その日の食べ物さえ手に入るか分からない人たちなんていなかったわ。皆必要最低限の生活は出来ていたもの)

 それにテマリたちのように任務が無ければ毎日のように風呂に入れる人間も少ない。
 大半は家庭内に設置された風呂を使わず大衆浴場で身を清める。それでも生活に厳しい者はタオルで身を清めることしか出来ない。今のところ水だけは確保されてはいるが、雨量が少ないため迂闊に使うことは許されていない。
 砂隠はサクラが想像していたよりもずっと貧しい里だった。

「サクラ、一緒に入るか?」
「はい」

 石油などのエネルギー資源は元々国のものである。無駄遣いは許されない。
 電力自体は風力、地熱を主に里の一区画でも担っているためそれほど困ることはないが、季節関係なく襲ってくる砂嵐によって電線や電柱に負傷が起き、主電源が落ちることもある。
 そのため非常用ランプや蝋燭は欠かせないものであった。

「はーやれやれ。今日も一日疲れたねぇ」
「そうですね」

 テマリと共に湯船に浸かりながら、サクラはふうと吐息を零しながら湯を掬い上げる。
 国の支援が薄いため生活は富んだものではないが、風呂場は存外広い。その分湯を張るにしても大量の水を使うため、節水している今は肩まで浸かることは出来ない。それでもサクラの自宅の二倍程は面積がある。そのためテマリは悠々と足を延ばし、心地好さげに目を閉じていた。
 だがテマリとは対照的にサクラは己を抱きしめるように膝を抱えている。
 確かに広い湯船は魅力的ではあったが、足を延ばすほど心を許したわけではない。悪あがきだと言われようが、この姿勢を崩すわけにはいかなかった。

「しっかしどうして軍人ってのは力もないくせにああもでしゃばるんだろうね。足は遅いしクナイは使えないし、忍術だって使えないんだから大人しくしていればいいものを」

 先の戦でのフラストレーションが溜まっているのだろう。次から次へと愚痴を零すテマリに苦笑いを返す。だが頭の片隅ではここ数日まともに姿を見ることがなかった我愛羅のことを考えていた。

(砂隠の忍として額当てをもらってからあの人と会わなくなったな。別にいいけど……何か、変な感じ)

 地下牢にいた頃は毎日のように顔を合わせていたが、今では朝と夜に僅かばかり姿を見かける程度だ。挨拶さえ交わすことはない。それどころか視線すら合わない日も多く、普段から何を考えているのかサッパリ分からなかった。
 それにサクラが「砂隠の忍」になってからも纏う空気は相変わらず冷たく無機質で、テマリたちでさえ時折声をかけるのを躊躇う時がある。それは我愛羅の中に一尾の尾獣がいるからなのか、それとも我愛羅本来の気質なのか。まともに接する時間がないから尚の事分からない。
 つまるところサクラは未だに我愛羅との距離が掴めず、接し方に困っていた。

 ぼんやりとそんなことを考えていると、唐突に名を呼ばれ意識を戻す。

「なぁ、サクラ」
「はい?」

 テマリの濡れた指先がサクラに向かって伸ばされる。それを拒否することも甘える事もせずに目で追えば、テマリは短くなったサクラの髪に軽く触れ、苦笑いを零した後湯船の桟に両肘を乗せて天井を仰ぐ。

「我愛羅のこと、気になるか?」
「え? あ、いえ……。別に、そういうわけじゃないですけど……」

 テマリの問いに一瞬ドキリとしたが、平静を装い言葉を返す。しかし思ったより言葉に動揺が滲んでしまい、僅かに声が裏返る。
 そんなサクラにテマリは再び苦笑いを零したが、すぐさま真面目な顔つきに戻った。

「お前に話しておきたいことがある」
「私に、ですか?」

 思わず尾獣のことだろうか、と密かに身構えたサクラであったが、テマリは「我愛羅と自分たちのことだ」と続ける。

「あの子は……我愛羅はさ、私たちが憎いんだよ」
「え?」

 憎い? その言葉に目を丸くすれば、テマリは「これ」と片腕を見せてくる。

「昔、我愛羅がまだ小さい頃の話だ。砂が暴走してな。それで出来た傷だ」

 掲げられた腕には刀傷のような細い線が一本走っていた。
 それはクナイでつく傷に比べ遥かに線が太い。子供の腕にとっては大層な大怪我であっただろう。事実テマリは「大変だったよ。あの頃は」と語る。

「しかもこういうことが度々あってな。私もカンクロウも小さい頃は我愛羅のことが苦手だった。というよりむしろ……憎んですらいた」
「憎むって……」

 今のテマリたちからは想像できない言葉に困惑すれば、テマリは迷子になった子供のような顔をして眉尻を下げる。

「私たちの母親は我愛羅を産んですぐに亡くなった。普段家にいない親父より、私たちは母様の方が好きだった。その母様を『我愛羅が殺したんだ』と勘違いして、ずっと憎んでいたんだ」
「あ。お母様を……」

 サソリから聞いていた通りだった。
 テマリたちの母親である加瑠羅は我愛羅を産むと同時に命を落とした。母を失うことが幼い姉弟にとってどれほど寂しいことだったか。サクラは嫌というほどに分かってしまう。
 何せ自分も父親を戦争で喪っている身だ。大切な身内を喪失する痛みが分からない程冷たくもない。
 だからこそ余計に今の二人が我愛羅に踏み込めない理由も分かった気がした。

「しかも我愛羅は未熟児で、他にもいろいろ問題があったからさ。初めは離れて暮らしていたんだ。だから余計に“弟”っていう実感が湧かなかった」
「そうだったんですか」

 今の傍若無人ぶりからは想像出来ないが、それでも我愛羅とて赤子の時がある。もし尾獣などという化物を封印されていなければ、三人が仲良く食卓を囲むことがあったかもしれない。

「我愛羅は私たちと仲良くなろうと思っていたみたいだけど、あの時は私たちの方から突き放してしまった。里の皆から冷たい視線を受けていたあの子を、本当なら家族である私たちが守ってやらなきゃいけなかった。なのに、周囲と同じくあの子を深く傷つけてしまったんだ」

 怖い。憎い。嫌い。見るな。あっちに行け。自分たちに関わるな。話しかけるな。近寄るな。

 ――この、化物め。

 我愛羅は周囲の人間たちから様々な罵倒を浴びせかけられながら幼少期を過ごしたという。だがそれらから我愛羅を守るでもなく、むしろ率先して嫌ってしまったことをテマリは深く悔いていた。

「今は戦争中だから誰もが我愛羅の力をあてにしている。だが戦争が終わればあの子はどうなる? また独りになるかもしれない。そう考えると私は益々自分が嫌になる」

 サクラ同様膝を抱えたテマリに掛ける言葉を探すが、結局何も見つからずに口を噤む。確かに同情を禁じえぬ話ではあったが、それでもサクラは素直に励ましてやることが出来なかった。
 何故ならサクラも幼い頃のテマリ同様、我愛羅を“憎い”と思っているからだ。

(だってしょうがないじゃない。仲間を殺されたのよ? しかも目の前で。憎むな、っていう方が無理だわ)

 だが我愛羅とて心から殺戮を楽しんでいるようには見えなかった。
 何の躊躇もなく人を殺せる我愛羅ではあったが、牢から出て暮らすうちにサクラは気付いた。気付いてしまった。

 ――我愛羅が何よりも“血の臭い”を嫌っていることに――。

「けどな、サクラ。あの子はお前に対してはそう感じていないみたいなんだ」
「え?」

 己の思考に沈んでいたせいか、一瞬何の話か分からなくなる。
 思わず素っ頓狂な声を上げるサクラだったが、テマリは気にせず言葉を続ける。

「あの子は他人に興味がないように見えるけど、本当は人一倍他人を気にしている。嫌われること、避けられることを何よりも恐れている。だけど他人から拒絶されるのが怖いから、あの子は自分から全てを拒絶しているんだ。自分の心を守るために」

 ――自分の心を、これ以上傷つけられないために。
 幼い頃傷つけられた心は今も尚塞がることなく血を流し続けているのだろう。
 誰にも救われなかった心は自分自身を守るために全てを拒絶し、誰も受け入れない。
 しかしそんな我愛羅が何故サクラに対しては違うのかと首を傾ければ、テマリは僅かに口の端を上げる。

「元々はお前が捕虜だったからだけど、我愛羅はお前に対してはまだそこまで拒絶の色を濃くしていない。まぁ興味関心が薄いように見えるけど、実際は結構気にしているみたいだよ」
「ええと、それはどういう意味で捉えればいいんでしょうか……?」

 まさかあの我愛羅が自分に対して好意――いや。興味を抱いているとは思えず頬を引きつらせれば、テマリは「そうだなぁ」と天井を見上げながら呟く。

「“人間として興味がある”程度かな」
「はあ……」

 それは喜んでいいことなのか悪いことなのか。
 よくは分からなかったが、サクラはただ曖昧に頷くしかなかった。