長編U
- ナノ -

火傷 -01-



 砂隠の忍として生きる。
 それを自らの手で決めてから早数日。サクラは地下牢から解放され、特別に部屋を与えられていた。
 そうは言っても元々物置として使われていた部屋だ。ベッドと机だけで殆ど面積が埋まるほどの狭さではあったが、地下牢よりは遥かにマシである。
 そして机の上には渡されたばかりの砂隠の額当てが鈍く光を放っている。その研いだばかりの刃のような鉛色に手を伸ばそうとしては止め、また伸ばそうとしては落とす。幾度かそれを繰り返し、溜息をつきそうになっては喉の奥に押し込める。

 自分で決めたことなのに、サクラの心中は重かった。


 緊急治療を終え、戦場から砂隠に戻るとすぐさま三姉弟と共に風影邸へと赴いた。「砂隠の忍になる」というサソリからの要請を受諾したことを伝えるためだ。
 当初風影は難色を示したが、サクラの医忍としての実力は認めている。今までは「捕虜」という立場上大したことは出来なかったが、正式な「砂隠の忍」になれば医療行為も可能となる。ただでさえ過酷な環境なのだ。少しでも可能性の芽があれば摘むわけにはいかない。
 悩んだ風影は「サクラが砂隠の忍になる」ことでのメリット・デメリットを脳内で算出し、「今後も監視をつけることは変わらない」と釘を刺したうえでこれを認めた。

 そうして後日受けた医師試験に無事合格したサクラは、医師免許と同時に砂隠の額当てを与えられ、地下牢から出ることを許された。

 与えられた部屋で真っ先に目にしたのは、地下牢とは違う、日が差し込む窓だった。
 直視すれば網膜を焼き切られそうなほど強い日差しだが、それでも燦々と降り注ぐ光に知らず涙ぐんでしまった。そんなサクラの部屋は我愛羅の隣であった。

 それに幾ら狭くとも鉄製のベッドでないだけありがたい話である。だが内心では未だに「本当にこれでよかったのか」と迷ってもいた。
 しかし幾ら迷ったところでこうするしかなかったのだ。「木の葉の忍」としてではなく「医者」の立場として、あの患者を見捨てることは出来なかった。結局のところこうなることは決まっていたのだ。
 溜息交じりに横になったベッドの上で寝返りを打てば、乾いたシーツの上に薄紅の髪が音を立てて広がる。

「髪……伸びたな……」

 幼い頃から伸ばしていた父親譲りの薄紅は、今では背中の中ほどまでに伸びている。元より伸ばしてはいたが、戦闘の邪魔になるからと一度切ってからは伸ばしていなかった。それが背中まで伸びるとは。それだけで過ぎた月日の長さを推し量ることが出来る。
 いい思い出よりも苦い思い出ばかりがつまった髪を指先で摘みあげ、サクラは数度瞬いてから立ち上がる。

「もういないのよ、私は。どこにもいないの。春野サクラは死んだ、死んだのよ。死んだんだから……」

 額当てが鈍く輝く机の上で、鏡も立てずに鋏を手に取り髪に当てる。

「さようなら」

 ――シャキン。
 額当てと同じ色をした、鋭く光を反射する刃を見つめることなく己の記憶を、迷いを断ち切るかのように鋏を入れる。
 淡い、春の色をした髪が重力に従い、滑るように落ちていく。だがその様は己が好きな花とは似ても似つかない。散り際が美しいあの花のような、そんな潔さも儚さも見当たらなかった。
 ただ音もなく重なっていく姿が、戦場で見た骸のように足元に溜まっていく。そしてそれは今の自分を表すかのようで、サクラは直視することが出来ず、ただ目を逸らすだけだった。


「髪、切ったのか」

 その夜。
 雑務から戻ってきたテマリが口にした言葉にサクラは曖昧に微笑み返す。背中の中ほどまであった髪はうなじが見えるまでに短くなっていた。
 それに気づいたのは勿論テマリだけではなかったが、女の髪のことに触れるのは気が憚られたカンクロウは終始口を噤み、我愛羅に至っては興味もないようでサクラの方を見ることも無かった。
 だがサクラからしてみれば無関心でいられることは有難かった。例え突っ込まれたとしても素直に本心を話せるわけがない。だからこそ甘んじて二人の無言を受け入れていた。

「後ろ、綺麗に揃ってないから切ってやるよ。背中向けな」
「はい。ありがとうございます」

 深く追求しないテマリに促され、サクラは椅子に座り直し背を向ける。再び聞こえてきた鋏の音は自分が扱った時同様、軽い音を立てサクラの髪を切っていく。
 揺れる薄紅の間では、砂隠の額当てが鈍く輝いていた。


 ◇ ◇ ◇


 一方敗戦を喫すこととなった木の葉では、第一、第二前線で蔓延した毒で負傷した患者で溢れ返り、皆忙しない日々を送っていた。

「綱手様! このままでは薬品が足りません!」
「クソッ! ああもうまったく! 誰だ、こんな厄介な毒を作ったのは!」

 悪態交じりに綱手は他の医忍達と共に患者の元を駆け回る。
 元々足りなかった病室が更に足りなくなり、仕方なく近隣の宿屋を借り、寝る間も惜しんで治療に励んでいる。しかし治療も製薬も全くと言っていいほど追いついていない。むしろ次から次へと命が散って逝く。
 幾ら医療のスペシャリストとはいえ、綱手一人だけでは手が足りない。常ならば右腕であるシズネが共にいるのだが、今は軍人達の治療に赴いているため不在だ。だが今までならシズネの代わりにサクラが右腕代行として指示・補佐を行っていた。しかしそのサクラも今はいない。
 綱手はぶつけようのない苛立ちを募らせながらも、それを昇華出来ぬまま忙殺されていた。


「先の戦での負傷者、及び死者は国と合わせて百を超える、か。頭が痛い話ですね」
「そうじゃな。じゃが戦とは無傷で帰って来られるものでもない。どれだけこちらが願っていてもな」
「ええ。おっしゃる通りです」

 火影邸の一室では四代目火影であるミナトと、三代目火影のヒルゼンが提出された数少ない報告書に目を通していた。
 第一、第二前線に出ていた忍たちはほぼ全員毒にやられ、まともな報告ができる状態ではない。そのため比較的毒の被害が少なかった第三前線での忍達からの報告しか受け取ることが出来ず、ミナトはやれやれと天井を見上げた。

「お主の息子も戦に出ていたはずじゃったが、無事なのか?」
「はい。命に別状はありません。ただ……」
「ただ?」

 眺めていた報告書をまとめ、顔を上げたヒルゼンにミナトは苦い顔を向ける。

「皆と同じように毒にやられました。僅かにしか吸っていなかったので命を落とす心配はないようですが、喉を焼かれ、神経も麻痺しているため今はまともに動くことも喋ることも出来ません」
「ふむ。そうか……」

 ミナトの報告にヒルゼンは僅かに視線を落とす。ナルトが里の病院に運ばれてきた時、ミナトは改めてゾッとした。「愛する我が子を失うかもしれない」と今更ながらに恐ろしく感じたのだ。もう何度もナルト達を戦場に送り出してきているというのに、何とも情けない話だ。
 ミナトはギュッと組んだ指先に力を入れ、自己嫌悪する。更に言えばミナトの心労の原因はナルトの安否だけではない。先の戦で負った木の葉の被害が思ったより大きかったのだ。

(カカシもサスケも、忍も軍人も関係なく多くの人間が指一本動かせない状況だ。今奇襲をかけられたら不味い。人手不足なのはあちらも同じだろうが、動ける分あちらの方がまだマシか)

 我愛羅たち陽動兼囮係がナルト達を引きつけている間、軍人と共に後退していた十班と八班、並びにその他各班は待ち伏せしていたテマリたち第三部隊に奇襲を受けた。
 爆撃自体は風の国の攻撃ではあったが、テマリたちの第三部隊が風に乗せた毒ガスで多くの忍が地に膝をつけた。かろうじてそこから逃げ出し第三前線に駆けこむことが出来た者も、毒を吸っていたため時間差で倒れた。
 そこでようやく軍と木の葉は敗北の狼煙を上げ、急ぎ第一、第二前線に赴き、負傷者の回収に走ったのだ。
 だがそこに立っている者はおらず、皆意識不明の重体だった。

 至急第三前線で待機していた医療班を向かわせ、更に「緊急要請」として綱手たちを呼びよせた。すぐさま駆けつけてくれた綱手はその場で緊急治療を行ったが、間に合わずに命を落とした者や、既に息を引き取っている者も数多くいた。
 それほどまでにサクラたちが作り上げた毒は強力なものだった。

「ですがナルトたちはまだマシな方です。直接爆撃、毒ガスを身に浴びた者の中には肌を焼かれた者、手足を落とさなければならなかった者もいます。五体満足なだけ幸運でした」
「そうか……」

 苦味が多い笑みではあったが、それでも口角を上げたミナトにヒルゼンも目を細める。
 だが火影邸から見下ろした里は随分と人口が減り、代わりに病院だけが忙しない日々を送っている。木の葉でさえこれなのだ。砂隠ではもっと酷いだろう。
 ヒルゼンはそう考えながらも寝る間を惜しんで動き回る愛弟子の一人を見つけ、嘆息する。

「綱手もよくやってくれておる」
「はい。綱手様には感謝してもしきれません。現状彼女ほど実力のある医者はこの里にいませんから」

 ヒルゼンの隣に並び、里を見下ろすミナトも綱手の姿を見つけそう続ける。
 病室が足りずに借りていた宿から出てきた綱手の表情は険しく、二人は同時に顔を顰めた。

「苦しい状況じゃな」
「はい……」

 新しく届いた国からの要請は「忍をもっと駒らしく働かせろ」という理不尽極まりないものであった。
 ようは軍人の代わりに身代わりになれと言うのだ。
 ミナトはどうしたものか。と悩む心情とは関係なしに、憎らしいほど晴れ渡った青空を苦い気持ちで見上げた。