仲間 -04-
開戦の合図が上がったのは、サソリたちが作戦会議を終えてから一刻ほど経ってからだった。
どうやら傀儡部隊の奇襲・錯乱作戦が成功したらしい。慌ただしく各方面で開戦の狼煙が上がる中、サクラは我愛羅と共に攻撃の要となる先陣の後方支援へと出ていた。
「これが、第一前線――」
サクラが普段身を置いていた第二前線では殆ど見ることのなかった、火の国と風の国の軍人たち。そして彼らに交ざり、縦横無尽に戦場を走り回るのは各里の忍たちだ。
忍たちと違い軍人は忍術を使えないが、それでも幾多の武器を手に取り馬に乗り、雄叫びを上げながら戦場を駆け抜ける。
「女、あまり顔を出すな」
第二陣である我愛羅たちと共に、サクラはまだらに木が茂る窪地に身を隠していた。
初めて足を踏み入れた激戦区。慣れないサクラが状況を掴もうと顔を出したのを我愛羅が素早く諌めて腕をひく。それに対し慌てて身を沈めれば、どこかで爆弾とは違う、何かが弾ける音がする。同時に甲高く空気を引き裂く音が周囲に響き渡り――破裂した。
――火縄銃だ。
連続して鳴り出したその音と共に、そこかしこで誰かの悲鳴や怒声が上がる。それに後押しされるかのように次々と地響きと共に何かが落下する音や、熱を含んだ突風がサクラたちの髪を焼くように吹いていく。
(もしかして、今のは火遁の術?!)
木の葉で火遁を主戦力として扱うのはうちは一族だ。つまりうちは一族の誰かがこの戦場にいる可能性が高い。
(どうかサスケくんではありませんように!)
無意識に祈る中、我愛羅から「走れ!」と腕を掴まれ慌てて窪地から抜け出す。そして次の瞬間には窪地を抉るほどの爆発が起きた。
火の国の武器である、大型の砲弾が飛んできたのだ。
一瞬目を向けた本陣の横に鈍重そうな大型の銃器が幾つも並んでいる。そこにいる兵士たちは遠目から見ても分かるほどに砲弾の補充に忙しなく動き回っている。だがその隙に本陣を攻撃されないよう、火縄銃が次から次へと火を噴き、敵を蹂躙していく。
まさに一瞬の判断、行動が生死を分ける。サクラは初めて体験する、文字通り『命を掛けた戦い』に冷たくなった指先を必死に握り込む。
それでも次から次へと、四方八方から容赦なく砲弾や土砂が降り注いでくる。それらを何とか外套で防ぎながら我愛羅の背に続き、ひたすら木々の間を縫って指定ポイントに向かって走り続ける。
我愛羅たち第二陣は第一陣の特殊部隊が合図をあげるまで姿を現さぬよう指示されている。
普段ならば攻撃の要である我愛羅も第一陣に配属されるが、今回はサクラがいるため第二陣での出陣となったのだ。
ここで足を引っ張れば己が死ぬ。だが仲間の命を奪われるぐらいならいっそのことこの戦場で――我愛羅を巻き込んで死ぬのも一つの手だと、現実を知らぬ頃は考えていた。
しかしいざ戦場に足を踏み入れ、生々しい戦の光景を目の当たりにするとそんな考えは全て吹き飛んだ。
(死にたくない、死にたくない、死にたくない……! こんなところで死んでたまるもんですか!)
飛び交う銃声に、絶えず聞こえる爆撃音。そしてそれらに負けず劣らず双方の忍達が繰り出す忍術がぶつかり合う音が聞こえてくる。
そしてようやく次の地点に辿り着いた我愛羅と共に地に伏せれば、サクラたちの後ろにいた忍達がすかさず「合図が上がったぞ!」と叫ぶ。
「女、俺の後ろから一歩たりとも離れるな!」
「はい!」
作戦開始の狼煙が上がった瞬間、我愛羅は素早く印を結び大地に手を付ける。
「――流砂瀑流!」
掛け声と同時に、サクラたちの目の前で地面が盛り上がる。まさか地雷でも埋まっていたのかと一瞬肝を冷やしたが、すぐさま勘違いだと気付いた。
盛り上がった地面は獣のような唸り声を上げながら様々な石や岩を噛み砕き、枯れ木や草花を容赦なく飲み込みながら大きな津波となって戦場へと雪崩れ込んでいく。
――自然の力を借りたその災害にも似た大技は、理不尽な戦そのものにも見えた。
だがあれでは風の国の軍人だけでなく砂隠の忍も、それこそ敵も味方も関係なく全てを飲み込んでしまう。
思わず拳を握りしめたサクラではあったが、逃げ惑う敵から視線を逸らしたところではたと気付く。
戦場に残されたと思っていた砂隠の忍たちは、よく見ると全て傀儡人形だったのだ。
(凄い……。全然気付かなかった)
しかし術者たちはどこで操っているのかと首を巡らせていると、サクラの隣に突然「あっぶねー!」と叫びながらサソリが滑り込んでくる。
「おい我愛羅! てめえ規模でかすぎんだろ! もう少し考えろ!」
「ふん。逃げ切れなければその程度の実力だったということだ」
「ったく、これじゃあ折角作った傀儡も殆ど台無しじゃん」
戻ってきたサソリやカンクロウ達傀儡部隊が「あーあ」と砂に飲み込まれていく傀儡たちを悲しそうに見つめる。どうやら捨て駒ならぬ捨て傀儡ではあったようだが、やはり貴重な傀儡が砂に飲み込まれるのは困るのだろう。
しかしすぐさまサソリは別の巻物を取り出し、印を結び実体化させる。
「坊ちゃん、今日はいい日だぜ。うちはと四代目のガキが来てる。てめえをぶち殺そうと息巻いてたぜ?」
ニヒルに笑うサソリの言葉にサクラは(嘘?!)と心中で叫ぶ。
四代目のガキということはナルトがいるということだ。となると必然的にうちははスリーマンセルを組んでいるサスケだろう。
(そんな……)
サクラの願いは虚しく、二人はこの戦場に来ているらしい。ならば彼らを率いるカカシもどこかに潜んでいるに違いない。あの津波に飲み込まれていなければいいが、と両手を強く握りしめれば、サソリに「小娘!」と鋭い声で名を呼ばれて意識を戻す。
「忘れんなよ。てめえの命は今こっちが握ってんだ。変なことしやがったらてめえの目の前で木の葉のガキ共の首飛ばすからな」
平素とは違う、薬師ではなく傀儡師として――そしてプロの忍として、サソリは言葉だけでサクラを砂隠に縛り付けた。それに対し無意識に顎を引けば、サソリは口の端を上げる。
「我愛羅、いい機会だ。小娘手に入れんぞ」
何を企んでいるのかは分からないが、サソリはそう言うや否やカンクロウ達を率いて次の作戦に取り掛かるべく駆け出す。
だがその背を見送る暇もなく、我愛羅に連れられ次の地点へと走ることになった。
「先程の流砂瀑流は単なるおどしだ。敵の軍人は逃げられず飲み込まれただろうが、木の葉の忍はさほど痛手を受けてはいないだろう」
「陽動ってこと?」
問いかけるサクラに我愛羅は頷き、登り切った崖の上から戦場全体を見下ろす。
我愛羅が先程起こした砂の津波は戦場の大半を飲み込んでおり、固まっていない砂に足を取られ、もがく軍人の姿が目に入る。だがそれも徐々に砂の中へ――見間違いでなければ引きずり込まれているかのようにして消えて行く。
しかし我愛羅は今何もしてない。一体どういうことかと目を凝らしていると、我愛羅が「傀儡部隊だ」と手短に説明した。
「あの傀儡たちには特殊なチャクラが練りこまれている。身を隠していた傀儡部隊が砂地に紛れ込んだ傀儡を操り、敵を引きずり込んでいるんだ」
「まるで蟻地獄ね……」
砂の中に引きずり込まれていく軍人たちからは恐怖に慄く絶叫や、助けを求める声、訳の分からない状況にただ罵る声がひっきりなしにあがっている。だがそれらが聞き入れられることはなく、無残にも砂地に引きずり込まれては消えて行く。
そのあまりにも残酷なやり方に、サクラは目を逸らした。
「怖いか。女」
振り返らない我愛羅の声は驚くほど冷たく単調である。
まるで人の死など目に入っていないかのような、牢屋の中でサクラの予定を聞くかのような、何の感情も籠っていない無機質な声だった。
「目を逸らしたければそうしていろ。だが戦は終わらん。人の死は続く。貴様が目を瞑ったところで目の前の現実は変わらない」
「分かってるわよ、そんなこと!」
風に揺れる我愛羅の髪は、まるで人の血を吸ったかのように赤い。サソリも燃えるような緋色の髪をしているが、我愛羅はそれよりも濃く、流れる鮮血を束ねたような髪色だ。
――それが、今はやけに恐ろしい。
「行くぞ、女」
立ち上がった我愛羅はサクラの腕を掴むと崖から飛び降りる。
次は何をするつもりなのか。瓢箪から出した砂に乗りながら崖を滑り下りる我愛羅の揺れる髪を見つめながら考える。だが結局は頬を切る大気の冷たさに筋肉がかじかみ、歯を食いしばって刺すような痛みに耐えることで精一杯だった。
◇ ◇ ◇
我愛羅が起こした砂の津波から数名の軍人を助けることに成功したナルトたちだが、再び崖側から流れてくる砂に「またかよ!」と顔を上げる。だがそれが単なる津波でないことを悟った直後、望遠鏡を覗いていた軍人が声を張り上げた。
「――我愛羅だ! “砂漠の我愛羅”が現れたぞ!!」
戦場で最も恐れられている忍を、望遠鏡越しにとはいえ直視したのだ。軍人はもつれるように走りながら周囲や本部にそれを伝達しに行く。だがその声に真っ先に反応したのは他の誰でもない、ナルトたちであった。
「我愛羅だと?!」
「サクラちゃん!」
サクラが死んだと伝えられてから既に半年が経っている。その後も芳しい情報は得られず、また死体の判別もまともに出来なかった。そのためサクラは皆に惜しまれる中第二前線にいた忍達と並んで墓石に名を刻まれ、亡き者として弔われていた。
だがナルトは勿論、サスケやリー、いのやヒナタ、テンテンなど多くの同期が彼女の死を信じなかった。サクラが生きていることを信じ、希望を胸に情報を集めようと駆け回った。しかしどんなに走り回っても時間だけが無為に過ぎていく。
そんな彼らを嘲笑うかのように次の戦の準備が始まり、気持ちに区切りがつかぬまま出陣となった。
――その手がかりが今、自らこちらに赴こうとしている。
二人は互いに視線を交差させ、すぐさま駆けだそうと足を前に踏み出す――が。靴底が大地に触れるよりも早く、二人は後ろに倒れ込み背中を強打した。
「はい、ストーップ」
「いッ……!! な、にすんだってばよ! カカシ先生!」
「ぐっ……! 止めんな、カカシ!」
ナルトとサスケの行動を読むことなど造作もない。
カカシは二人が駆けだすよりも早く後ろ襟首を掴み、容赦なく後ろに引いたのだった。そんなカカシに噎せ返りながらも二人は吠えるが、当の本人は両手を腰に当てた状態で「いいから落ち着け」と二人を諭す。
「サクラの仇を打ちたい気持ちはよく分かる。だがまずは戦況をよく見ろ。冷静な判断が出来なければ命を落とす。そんなこと、今更俺が言わなくてもお前たちならもう嫌というほど理解しているだろう?」
踏んだ場数が違う。
カカシからの冷静な諫言にサスケは自身を落ち着けるかのように軽く咳払いをしてから立ち上がり、ナルトは唇を尖らせつつも反論の言葉は喉の奥に引っ込める。
二人とて何も学ばぬまま戦場に立っているわけではない。昔ならいざ知らず、もう戦場で駄々を捏ねるほど子供ではなかった。
「いつもなら先陣にいる我愛羅がいないから可笑しいとは思ってたけど……。まさか第二陣で来るとはね」
「けっ! 俺たちにビビッて後ろで震えてたんじゃねーの?」
ふてくされたように悪態をつくナルトにカカシが呆れた吐息を零す。だがその間にも徐々に砂の波が引いていることにサスケが気付き、「おい」と声を荒げる。
「この砂何か変だぞ! 動いてやがる!」
「何?!」
サスケの言葉にナルトとカカシが反応し、咄嗟に飛び退いた途端――砂が明確な意図を持って動き出す。
「――砂瀑大葬!」
聞こえてきた声と同時に、広がっていた砂が一気に固まり周囲に圧をかけ始める。まだ救出できていなかった軍人数十名が砂に飲み込まれるのを眺める暇もなく、今度はそこから大量の砂の手が作り出され襲い掛かってくる。
「クソッ! 相変わらず化物みたいなチャクラ持ってやがる……!」
「あいつのチャクラどんだけあるんだ、っつーの!」
襲い掛かってくる砂の手の動きは数が多い分鈍いが、上下左右関係なしに全方向から襲われれば退く以外の選択肢はない。応戦してもいいが、いつ隙を突かれて手足の骨を砕かれるか分からないのだ。
技を繰り出す我愛羅は一人であるにも関わらず、まさに『多勢に無勢』という表現が相応しいほどに追い込まれている。
更に言えば我愛羅のチャクラはこの場にいる忍達の中でも抜きんでている。無策に動き回ればあっという間に砂に飲み込まれ命を落とすだろう。
加えて着込んだ甲冑のせいで逃げ足の遅い軍人たちを庇いながらの退避は難しく、ナルトは「だーもう! 早く走れっつーの!」と叫びながらも影分身を作り、砂の手を撹乱した。
「ナルト! サスケ! 俺たち七班とガイ班で砂の手を錯乱させる! その隙に八班と十班が軍人たちを退避させるから気を引き締めて行け!」
「おっしゃー! 任せろってばよ!」
「ふん、早く足手纏いどもを避難させろ!」
カカシの号令と共に後方支援から駆けつけたガイ班たちが隣に並ぶ。
「お待たせしました、ナルトくん! サスケくん!」
「我愛羅が相手とか聞いてないんだけど!」
「ふん。“砂漠の我愛羅”か。相手にとって不足はない。白眼!」
「よぉーしお前たち! 青春フルパワーで迎え撃つぞ!! 気を抜くなよ!」
熱く燃えるガイにサスケとナルトが嫌な顔をしたところで、ネジが「おい!」と声を荒げる。その珍しい慌てように全員がどうかしたのかと視線を向ければ、ネジは「どういうことだ……」と眉間に皺を寄せながら呆然と呟く。
「どうしたんですか? ネジ」
「何か気になることでもあったの?」
「もったいぶらずに早く言えってばよ!」
急かすナルトにネジは一度唇を噛むと、「やはり間違いない」と呟く。
「ナルト、サスケ。――サクラが、生きている」
「――は?」
全員の声が重なると同時に、崖を下りきった我愛羅を乗せた津波が余波を与え、ナルト達は慌てて後方へ飛び退く。
「どうやら軍人どもは逃したようだな」
首を巡らす我愛羅にナルト達は睨むように視線を向ける。
だがその背後で揺れる薄紅に気付き――ネジの発言を疑っていたわけではないのだが――全員が目を見開いた。
「サクラ!」
「サクラちゃん!!」
ナルト達の叫びに、我愛羅の背に隠れていたサクラがおずおずと顔を出す。額当てで纏められていない、サクラの長い薄紅の髪が風に靡く。そこから見え隠れする表情は憂いを帯び、濡れた瞳が所在なさげに揺れ動く。
――サクラが生きている。やはり死んでなどいなかったのだ。
ここが戦場でなければ互いに小躍りでもしただろう。だが我愛羅と共に戦場に立っている今、素直にそれを喜べる余裕はなかった。
「感動の再会、だな」
ふん、と口の端をあげる我愛羅にナルトは眼を飛ばすが、相手は意に介した様子もなく視線を外し、後ろを振り返る。
「何か言いたいことはあるか?」
我愛羅の問いかけにサクラは唇を噛み締めながら俯く。しかし数度首を横に振った後は再び我愛羅の背に隠れてしまった。
初めは幻覚ではないかとネジを疑ったサスケではあったが、どう見てもサクラ本人であることは間違いない。言葉なく交わした視線でも、ネジは深く頷き肯定する。
つまりあの夏の日、サクラは殺されてなどいなかったのだ。
生きて、我愛羅たちに囚われていたのだ。それがようやく分かった。
だが何故サクラを連れ去ったのかが分からず、カカシは隣に並ぶガイに「どう思う?」と視線を合わせることなく問いかける。
「サクラが生きていてほっとしたのは事実だが、何故砂隠に捕らわれているのかが分からない」
「ああ、俺もだ。サクラには日向やうちはのように特殊な血が流れているわけでも、奈良家のような秘伝の情報を引き継いでいるという話も聞いたことがない。あちらの意図が読めんな」
「それにナルトとサスケも少なからず動揺している。あまりこの戦闘を長引かせるわけにはいかないな」
カカシ達の数歩手前、佇むナルトとサスケは微動だにせず我愛羅と対峙している。だがカカシは二人に走った動揺を、一瞬確かに乱れた気配で気付いていた。もしサクラを盾にでもされたら二人がどんな行動に出るか分からない。
普段は喧嘩ばかりだが、二人の土壇場でのコンビネーションは爆発的だ。だがそれが今回吉と出るか凶と出るか、カカシには分からなかった。
(こんなことなら別の戦場を選ぶべきだったな……。こいつらはまだ未熟だ。サクラが目の前にいて冷静に戦えるほど場数を踏んでいない)
葛藤するカカシの前で、ようやくナルトが一歩前に出る。それに対しカカシが止めるよりも早く、ナルトは戦場全体に響き渡るほどの大声で我愛羅に向かって喧嘩を売った。
「おい! そこの眉なし! 早くサクラちゃんを返せってんだよ、コノヤロー!!」
ぐわん、と鼓膜だけでなく空気全体が揺れた気がする。
カカシは無意識に額に手を当て、「あーあ」と呟く。だがそれと同時にサスケもナルトに続くようにして問いかける。
「おい、砂漠の我愛羅! お前たちの目的は何だ。何故サクラを誘拐した」
二人は確かに動揺はしたが、それでも勤めて冷静に対処しようとしている。カカシは「しょうがないか」と一度息を吐きだすと、二人の間に立ち、無言を貫く我愛羅に向かってサクラの安否を問いかける。
「おたくら、うちのサクラに変なことしてないでしょーね」
だがその問いかけに反応したのは我愛羅でもサクラでもなく、隣に立っていたナルトだった。
「カカシ先生! 変なことって何だってばよ!」
「はあ……。あのねぇ、ナルト。今はお前に言ってんじゃないの。ちょっとは落ち着いて、静かにしてなさい」
戦場で、しかも敵が目の前にいるにも関わらずこの緊張感のなさ。色んな意味で諫めるためにその頭を軽く小突けば、反対側に立っていたサスケも汚物を見るような視線をナルトに向ける。
「このウスラトンカチがっ」
「んだとコラァ! つーか眉なし! てめえも黙ってないで何か言えっつーんだよ!」
我愛羅に向かって指を向け、地団太を踏むナルトに我愛羅は冷ややかな眼差しを向ける。だがすぐさま「付き合ってられん」と言わんばかりに溜息をついた。その人をバカにしたような態度にますますナルトは怒りを募らせていく。
「一度に質問されても困る。だが一つずつ答えてやる義理もない」
面倒くさそうに返答する我愛羅にナルトが「この野郎!」と駆けだそうとするが、今度はカカシだけでなくサスケにも止められる。当然二人に襟首を掴まれたナルトが再び尻餅をつき噎せ返るが、サスケはそれを無視して「サクラ!」と我愛羅の背に隠れているサクラに向かって呼び掛けた。
「そいつに何もされてねえだろうな!?」
響き渡るサスケの声に、姿の見えないサクラの薄紅が僅かに揺れる。だが肯定か否定かも分からぬ些細な動きにサスケが舌打ちすれば、我愛羅はまるで興味がないという風に視線を空に投げ出し腕を組んだ。
その態度は言葉にせずとも「お前たちなど眼中にない」と告げたも同然である。
正直言って一触即発、いや。むしろ爆発する一歩手前の緊張感の中、果たしてどちらが先に動くのか。
カカシとガイがいつでも飛び出せるように姿勢を低くし構える中、突如後方で大きな爆発が起きる。
「何だ?!」
我愛羅に注意を払いつつ咄嗟に振り向いた視線の先で、息継ぐ暇もないほど次々と火柱が上がり始める。そうして落雷の如く鳴り響く爆発音に追従するかのよう膨大な量の黒煙が空に向かって昇り、意図的に作り出された風に流されナルト達に向かって飛んでくる。
「これは――毒ガス?!」
「全員退避!」
先に反応したカカシとガイの号令に各々が蜘蛛の子を散らすようにその場から逃げ出す。そこでようやくカカシは我愛羅が――いや。この二人が陽動係兼囮役だったのだと気付く。何せサクラはナルト達にとって大事な――それこそ囮役としてはこれ以上にないほどの『いい餌』なのだから。
つまるところ、砂隠の狙いは初めから後方に退避した軍人と仲間たちだったのだ。
それに気付かずみすみす奇襲を許してしまった。カカシは己の不甲斐なさにギリッ、と奥歯を噛み締め、熱くも苦いものを腹の奥底に沈めながら敗走する。
「終わったな。帰るぞ、女」
「……はい……」
黒煙に紛れて飛ばされた毒ガスはサソリとサクラが共同で作成したものだ。それが辺り一面を覆うよりも早く、崖の真下で砂を操っていた我愛羅は砂に飛び乗りその場から立ち去る。
最初から最後まで、ナルト達の前に立っていたのは我愛羅が作り出した砂分身だったのだ。
そうとは気付かずに相対していたナルトたちの声は、風に乗ってサクラの元にまでちゃんと届いていた。だが向けられた問いに答えることは出来なかった。それすらも砂隠の作戦の一つなのだから当然だ。
この作戦は火の国に打撃を与えるだけではない。木の葉の忍たち――主にサクラの知り合いたちの心を完膚なきまでに叩きのめすためのものだった。そして当然、それにはサクラも当てはまる。
(ごめんね、サスケくん。ナルト、カカシ先生、皆……)
冷えた空気から己を守るように外套を鼻先まで引き上げ、遥か後方から聞こえてくる呻き声や木々が燃える音から逃げるように耳を塞ぐ。それらは次第に風を切る音にかき消されていき、遂には聞こえなくなった。
あまりにも短い仲間との再会。だが痛む胸はサクラの全身を病のように蝕み、無意識に心臓の辺りを服の上から強く掴む。
しかしじわじわと滲む涙は零れるよりも早く冷えた大気によって心ごと凍らされ、散っていった。
サクラは必死に――再会とも呼べない瞬きのような時間を――そして仲間たちの顔を、声を、脳裏に刻み込む。
裏切り者の自分はもう二度と彼らの顔を見ることが出来ないのだと、強く言い聞かせながら――。