仲間 -02-
砂嵐が去ったのは翌日の昼過ぎだった。明け方、薄暗い室内の中で起床し、今日の分の製薬に取り掛かる。砂塵が止めばすぐさま病院に届けるためだ。
サクラも忙しなく潰し終えた薬草を小瓶に詰め、配合し終えた薬を梱包していく。
「よし、砂嵐はもう去りそうだな。お前ら、至急用意して病院に届けろ。あとお前とお前はこっちの備品だ。包帯と消毒液が入ってる。落とすなよ?」
サソリの指示に部下たちが従う。ここから先サクラの出番はない。代わりに一人で黙々と片付けをしていると、サソリから「おい」と声を掛けられ肩を跳ねあげる。
「そういやお前、俺の要請蹴ったんだってな。いい度胸じゃねえか。小娘の癖によ」
「いっ?! いひゃいひゃいいひゃい!!」
サソリは振り向いたサクラの両頬を掴むと思いきり引っ張り上げる。その容赦ない攻撃に涙目になりつつも手を叩き痛みを訴えれば、サソリは暫くサクラの頬で遊んだ後手を離した。
「だ、だって、」
「薬学に興味があるなら中途半端なことはすんな。人の命がかかってんのはテメエが一番よく知ってんだろ」
サソリの言葉はもっともだ。サクラとて生半可な気持ちで薬を作っているわけではない。だがどうしても砂隠の一員になることはできなかった。
咄嗟に俯くサクラに、サソリは溜息を零すとガリガリと後頭部を掻く。困った時や悩んでいる時によく見る癖だった。
「俺ぁな、小娘。てめえが誰を怨もうが憎もうが関係ねえ。薬を作っている間は俺もお前も単なる薬師だ」
「……はい」
やはり昨日の噛み殺した泣き声を聞いていたのだろう。人気が減った室内で、サソリは人の目を盗みながらサクラに言葉を紡いでいく。
「俺だって親を木の葉の忍に殺された。だからって別に薬作ってる時まで怨み言を抱えているわけじゃねえ」
「それは……そう、でしょうけど……」
薬を配合している時は誰もがそれに集中している。比率を間違えれば薬を処方することが出来ない。薬とて裏を返せば単なる毒だ。それが毒となるか薬となるかは配合比率の問題であり、薬草の問題ではない。だからこそ人の命を奪うにしても救うにしても薬師たちは製薬中一切の思考を排除し、ソレに専念するのだ。
それはサクラもよく分かっている。しかし何故サソリが今更そんな話を持ち出したのかが分からず首を傾ければ、サソリは洗い終えた鉢を籠に入れ、濡れた手を拭く。
「我愛羅が憎いか」
射抜くように向けられた瞳には普段の茶化すような気配はない。ただサクラの心の奥を覗かんとするような強い眼差しだった。
「わ、たし、は――」
我愛羅が憎いか。と聞かれたら、確かに『憎い』とは思う。
この戦争でサクラは友人や知人だけでなく、父親も失っている。それは決して我愛羅だけのせいではなかった。だが砂隠の忍に殺されたことだけは確かだ。
全員が全員我愛羅に殺されたわけではない。それは分かっている。だがサクラの仲間を、先輩や部下、患者を目の前で圧殺したのは紛れもなく我愛羅だ。幾ら戦争中だからとはいえ、幾ら命令されたからとはいえ、あの男をそう簡単に許してなるものかと心が必死に叫ぶ。
ギリッ、と無意識に噛んだ唇から血が滲むが、サソリは何も言わずに再度頭を掻く。
「本来ならお前に教えるべきことじゃねえんだが……。ま、いいか。お前が黙ってりゃあ俺のせいってバレねえしな。おい、小娘。一つ教えてやる」
サソリは俯くサクラにそう声を掛けると、「俺が話したってことは黙っておけよ」と釘を刺してから砂隠の誰もが知っている――そして同時に畏れていることを口にする。
「坊ちゃんの腹ん中にはな、正真正銘、本物の“化物”が詰め込まれてんだよ」
「ばけもの?」
出来上がった薬を病院に届けるため、二人以外の人員は全て出払った。だからこそ余計にサソリの声が大きく聞こえる気がする。
しかし現実主義者なサソリから出た言葉とは思えず、サクラは思わず顕微鏡を拭こうとしていた手を止めて顔を上げた。
「小娘は“尾獣”つー化物共のことを知ってるか?」
「ビジュウ? え、っと……何ですか? それ」
アカデミーで習ったことだけでなく、綱手の元で修業をする間も本は沢山読んだ。しかしそのどこにもそれに該当する単語を見つけることが出来ず、首を傾けるサクラにサソリは一枚の不要紙を取り出し、筆を走らせる。
「“尾獣”つーのは各里がそれぞれ所有しているチャクラの化物共のことだ。そのうちの一匹――“一尾”っつー化狸を坊ちゃんは腹ん中に押し込まれてるのさ」
――一尾。
初めて聞かされた総称に瞬けば、サソリは更に続けていく。
「一尾から九尾まで、九体の化物がそれぞれの里には潜んでいる。因みにお前がいた木の葉には九尾の化狐がいる」
「九尾が? でもそんな話聞いたことないですけど……」
訝るサクラに「木の葉では極秘扱いなのかもな」とサソリが呟く。
「まあ無理もねえか。特に寝物語みたいに聞かせられる類のもんでもねえしな。いいか。とにかく尾獣の力は絶大だ。それこそ里や国なんてあっという間に滅んじまう。だからこそこいつらを各里の忍の中に無理やり押し込んで封印し、力を制御しよう、つー荒唐無稽な阿呆話が出たんだよ」
「えっと……じゃああの人は、自ら望んで尾獣を取り込んだわけじゃない。ってことですか?」
サクラの問いかけにサソリは頷く。
そうして鍵付きの戸棚から一つのファイルを引き抜き持ってくると、その中から二枚の写真を取り出した。
「ここに写ってる婆さん、俺の祖母なんだがな。このババアが産まれたばかりの我愛羅に一尾を封印したんだよ」
「産まれたばかりの赤ちゃんに?」
若い頃のサソリと共に写っている老婆を指差した後、サソリは同時に取り出したもう一枚の写真をサクラに見せる。
そこには今と変わらぬ仏頂面を下げた若かりし風影と、幼いテマリとカンクロウと共に柔和な笑みを浮かべた女性が写っている。もしやこの写真は、と瞬いたところで、サソリが笑みを浮かべている女性に対し「このお方が我愛羅たちの母親だ」と告げた。
「加瑠羅様といってな、お優しい方だった。俺も何度か話したことがある。あの頑固で頭でっかちな風影を“可愛い人”って形容した、阿呆みたいに器がデカくてとぼけた人だったよ」
小さなテマリとカンクロウの後ろで、優しげに目を細める加瑠羅の写真からはその人柄の良さが伝わってくるようだ。
優しい人だったんだろうな。と、何も知らないサクラが感じ取ることが出来るほどに。だが彼女はもういないのだとサソリは続ける。
「我愛羅を産んだ時に亡くなっちまったからな。今はいねえ」
「あ。そういえば……」
あの家族が暮らす家の中で、時折来る家政婦とテマリ以外に女性の影を見たことがない。幾ら風影と言えど女の体なくして子は生せない。そんな当たり前の事に今更気づいたサクラに「お前もだいぶとぼけてんな」とサソリが呆れた声を出す。
「まぁいい。話を戻すぞ。いいか。言葉では簡単に言えるが、実際に尾獣を宿らせるのは簡単じゃねえ。どうしても適合者と不適合者がいるからな。実際、我愛羅が生まれるまでは誰も適合しなかった」
それまでは別の誰かの中にいたのだろう。だが適合者が現れたため、そちらに移すことになった。なってしまった。
例えそれが産まれたばかりの赤子であろうとも、忍の世界にソレは関係のないことだ。
必要ならばそうする。忍とは、そういう生き物だ。
とはいえ人の心がない者ばかりではない。サソリも当時の判断には思うことがあったのだろう。嘲るような笑みを口元に浮かべる。
「だがな、幸か不幸か、あいつは適合者だった。だから本人の意思に関係なく無理やり尾獣を封印させられたんだ。ま、赤子だからな。話なんざしたところで理解出来ねえだろ、ってことで、上の独断だよ」
皮肉気に続けられた言葉にサクラの眉間に皺が寄る。しかしそんなサクラの耳に、すぐさま「加瑠羅様は最後まで反対したけどな」という呟きが聞こえた気がした。だがそれを問い質すよりも早く、サソリはサクラの手から写真を抜き取り、ファイルへと戻す。
それは尾獣関連の、サソリが独自に入手した情報が記されているファイルだった。
しかしサクラがそれに気付く前にファイルは棚に戻され、鍵を掛けられる。つまりサソリの許可なくして再度あの資料を見ることは不可能ということだ。
密かに「残念だ」と思う中、サソリは再び筆を紙面に走らせる。
「こうして尾獣を封印させられた人間のことを“人柱力”と名付け、各里で管理するようになったんだ」
「人柱力……。じゃああの人は『一尾の人柱力』ってことですか?」
顎に手を当て学んだ知識を頭に叩き込んでいくサクラに、サソリは「そういうことだ」と頷き紙面を燃やす。証拠隠滅と言うやつだ。
「だがな、大人でも制御できねえと言われている尾獣を、たかだが十歳前後のガキが制御できると思うか?」
「いいえ。不可能だわ」
もしサソリの話を全て信じるのであれば、里も国も壊滅させることのできる力を一人の子供が制御できるはずがない。幾ら封印されているとはいえ、そう簡単に解決する問題とは思えなかった。
事実サソリは「その通りだ」と肯定する。
「だからな、坊ちゃんは昔から一人だったんだよ。どこの里でも人柱力っつーのは疎まれる存在だと聞く。他里でも皆一緒だろう」
「でも……木の葉にはそんな人いなかったわ」
木の葉にも性格の悪い、性根が腐った忍はごまんといる。それでもそんな話を聞いたが事がない。
だが弁解するサクラに、サソリは冷静に「誰かが隠蔽しているんだろうよ」と答えるだけだった。
「まぁ、そん時は俺もまだ二十になる前だったがな。よく覚えてるぜ。坊ちゃんの周りをうろちょろする忍どもをな」
「護衛の人じゃないんですか?」
尾獣を封印したというのだから暴走した時のために抑える人間でもいたのだろう。そう判断したサクラであったが、サソリは「その逆さ」と無表情に燃えカスを箒で集め、ゴミ箱に捨てる。
「坊ちゃんを暗殺するために風影が仕向けた刺客たちだ」
「なっ――! どうして?! 自分の子供でしょ?!」
声を荒げるサクラにサソリは「静かにしろ」と広い額を箒の先で軽く突く。それに対し唇を尖らせるが、無視したサソリは「俺だって分かんねえんだよ」と苦い顔で続けた。
「直接俺が命令されたわけじゃないからな。詳しくは知らねえ。だがそれによって加瑠羅様の弟である夜叉丸は命を落としている」
「弟?」
写真には写っていなかったが、我愛羅たちの母親には弟がいた。確認のために尋ねれば、サソリは案外素直に頷く。
「“夜叉丸”と言ってな。お前が今厄介になっている家に、風影の右腕として、加瑠羅様の弟君として、まだ小さかったお嬢や坊ちゃんたちの面倒を見るためによく足を運んでたんだよ」
夜叉丸が存命していた当時、サソリはよく飲みに行ったらしい。というのも夜叉丸とはほぼ同期だったというのだ。
「よく酒の席で話を聞いたもんだぜ。テマリのお嬢の悪戯からカンクロウの泣き虫な話まで、それこそ個人情報駄々漏れなぐらいにな」
そこに我愛羅の話もあったのかと問えば、サソリは勿論だと頷いた。
「夜叉丸はずっと心配してたんだよ。坊ちゃんが一人でいることをな。力が制御できず人を傷つけてしまう。それに悩み、苦しみ、疎まれる存在である自分の存在意義を、まだ何も知らねえ、分からねえクソガキが必死に考えてたんだよ」
「……だからあの人は誰も信じることが出来ないのね」
力の制御が出来ない我愛羅など想像しただけでも恐ろしい。サクラでさえそうなのだから、実際里にいた者たちの恐怖は相当なものだっただろう。だからこそ幼いテマリやカンクロウが我愛羅を理解してあげることが出来たとは思えなかった。
実際のところ、サソリも随分と手を焼いたらしい。
「夜叉丸もそうだったがな、俺も大分坊ちゃんにはしてやられたんだぜ?」
「我愛羅くんの命を狙ったってことですか?」
片付け終わった室内に二人は椅子を並べ腰かける。夜中あれだけ暴れていた砂塵は、とうの昔に止んでいた。
「バカ。違ぇよ。逆だ逆。構いに行ってたんだよ」
不愉快そうに顔を顰めたサソリは、当時を思い出すかのように視線を宙へと投げる。
「いーっつも独りぼっちでよ。俺も餓鬼の頃に親を亡くしてるからな。気持ちが分からんでもない。仕事は忙しかったが、時々暇を見つけては傀儡を見せてやったんだよ」
「へぇー。案外優しいとこがあるんですね」
からかうサクラにサソリはすかさず「煩ぇ」と顔を顰める。
しかし話を続けるサソリは当時、人形サイズの小さな傀儡を作っては一人ぼっちの我愛羅に人形劇を見せてやっていたそうだ。
「だからまぁ、坊ちゃんは夜叉丸と俺にだけは懐いてたな。時折砂が暴走して傀儡を壊されたが、それがあったからこそ余計に丈夫な傀儡を作ろうと決心できたわけだし、悪いことばかりじゃねえよ」
存外穏やかなサソリの横顔に嘘はなく、心の底から我愛羅を心配していたことが読み取れる。
だがそんなサソリと共に我愛羅を構っていたという夜叉丸が何故亡くなったのか。改めて問いかければ、サソリは眉間に皺をよせながら頭を掻いた。
「それが俺も詳しくは知らねえんだ。極秘任務だったからな。だが聞いた話によると風影が夜叉丸に“我愛羅を殺せ”って命令したらしい」
「そんな……どうして……」
幾ら尾獣をうまく制御できないからといって、実の息子を手に掛ける必要はあったのか。しかも相手はまだ年端もいかない子供だ。勝手に尾獣を封印しておきながら勝手に殺すとは一体どういう了見なのか。
憤る気持ちはあるが、今の今まで尾獣について何も知らなかった身だ。実際に尾獣がどれほどの力を持っているのかが分からない。そのうえ他里の人間だ。とやかく言える立場ではない。
しかし詳しく聞きたい気持ちはあれど、当時別の任務に就いていたサソリが知っているのはここまでらしい。極秘任務のため改めて風影に聞くことも出来ず、真相は闇の中だそうだ。
「で、だ。夜叉丸は任務に失敗し、坊ちゃんに殺された。人伝に聞いた時には信じられなかったがな。だが完全に心を閉ざしちまった坊ちゃんを見た瞬間に『ああ、嘘じゃねーんだな』って理解したぜ」
以来、我愛羅は誰も信じなくなった。親も、姉兄も、家政婦も、医者の言葉でさえも。この世に存在する何もかもが信じられなくなったらしい。
「他人が作ったもんは口にしなくなった。不器用ながらも夜叉丸が残していたレシピを見ながら自分で作り始めてな。無理やり食わせても他人が作ったもんだ。結局精神的にも肉体的にも受け付けず、何度も吐く始末だ。こうなりゃ誰も手に負えねえってんで、風影も姉兄もああなっちまったのさ」
それほどまでに幼い我愛羅にとって夜叉丸という人の死は耐えられないものだったのだろう。だが想像してみれば分からないでもない。ずっと信用していた人に裏切られたのだ。
父親からも、夜叉丸という男にも――。
まだ十歳前後の子供を、大人たちは裏切ったのだ。
「だがまぁ、ありがてえことに俺だけは別らしくてな。ほら、俺は傀儡使いだから毒を扱うだろ? だから坊ちゃんが病に倒れた時は医者に代わって薬を作って飲ませてやってたんだよ。最初は戻したが、そのうちそれもなくなってな」
「あ。だからあの人、サソリさんの診察は受けたのね」
命令とはいえ素直にサソリの言葉に従った我愛羅を思い出し声を上げれば、「今じゃ大分人間不信に拍車がかかっちまったけどな」とサソリは苦笑いする。
「だがまぁ、坊ちゃんは今んとこ一尾で暴走することはなくなった。それだけが唯一の救いだな」
「暴走?」
それは一体何なのかと問いかけようとしたところで、来訪者を知らせるベルの音が鳴り響く。
「おっと、今日の授業はここまで、ってな。小娘、玄関見てこい」
「はい」
初めて聞かされた我愛羅の過去は存外興味深く、そして物悲しかった。
幼い頃に何があったのか知らされたサクラは、始めて我愛羅に対し憐憫の情を抱いた。果たしてそれが本当に抱いてもいい感情であったかは別として。
それでも――あの男の不器用さに隠された思いを想像することは、どれだけ理性では分かっていても止めることは出来なかった。