長編U
- ナノ -

仲間 -01-



 我愛羅が足を負傷してから三日経った。
 片足を引きずる歩き方に変化はなく、常より顔色の悪い仏頂面もそのままだ。だが傍目からではどこまで容態が変化しているのかが分からない。
 抜糸をするにはまだ早いのは経験上理解している。だがそれ以前にまともに手当てをしていないであろう患部の状態が気になる。しかしサクラがどれほど気にかけても我愛羅が拒むのだ。

『必要ない』

 ただ一言、そう跳ね除けて病院にも行っていないらしい。
 やはり医者の言葉は信じられないのか。
 腹立たしくもあるが、それ以上に虚しくなる。だが我愛羅の態度が改善される気配はない。

 そんなもどかしい日々を過ごしていた時だった。サクラが講義に出かける準備をしていると、カンクロウが地下に下りてくる。

「我愛羅、春野。サソリが迎えに来てるじゃん」
「え?」
「サソリが?」

 カンクロウを先頭に二人が地下から出てくれば、居間で茶を飲みくつろいでいたサソリが「よう」と片手をあげる。それに対しサクラが「どうして」と呟けば、サソリは立ち上がり、我愛羅の前で足を止めた。

「診に来てやったぜ、坊ちゃん。これは四代目直々の命令だ。抵抗すんなよ?」
「……命令ならば、従おう」

 どうやら我愛羅の容態を診に来たらしい。
 サソリは医忍ではないが、知識は豊富だ。だが我愛羅が本当に診察を受けるのだろうかと疑問に思ったが、案外あっさり頷いた。
 正直言って驚いた。あれだけ拒んでいた診察をいとも簡単に受けると承諾したのだ。例えそれが命令であっても拒否しそうな男が、だ。驚きのあまりつい二人を凝視してしまう。

「一応そこの小娘からも報告は受けてたんだがな。お前嫌がるだろ」

 サソリは我愛羅を手近な椅子に座らせると、ズボンを捲って無造作に巻かれた包帯に目を落とす。相変わらず適当な巻き方をしている。これにはサクラだけでなくカンクロウもサソリも顔を顰めた。

「おっ前、相変わらず包帯巻くのがクソみてえに下手くそだな」
「放っておけ」

 サソリの呆れた声に我愛羅は視線を逸らす。どうやら自分でも上手い方ではないと分かっているらしい。ならばもう少し他人を頼ってはどうかと思ったが、命令でない限り他人には近づこうともしないのだろう。呆れるほどの人間不信っぷりだ。

「化膿はしてねえな。抜糸は当然まだ無理だが、まぁそこそこか」

 痛みが走るのか、僅かに眉間の皺が深くなる。だがサソリは気にすることなく診察を進め、カルテに筆を走らせる。そしてある程度容体が分かったところで腰を上げ、持ち寄った薬箱を開けて中身を取り出していく。

「今から痛み止めを処方してやる。一日三回、食後に飲めよ」
「……分かった」

 それなりの大きさの薬箱には大小様々な小瓶が詰め込まれており、それらを配合し数日分の薬を小分けすると我愛羅に手渡す。

「それから四代目から伝言だ。「まともに歩けるようになるまでは自宅待機、もしくは緊急要請があるまでは大人しくしとけ」だとよ」
「……了解した」

 サソリの言葉に我愛羅は頷くと、よろよろと椅子から立ち上がり部屋へと続く階段に足を掛ける。その背にサソリは「薬飲まなかったらぶっ飛ばすからな」と告げ、薬箱を閉じた。

「よし。おい小娘、行くぞ」
「あ、はい」

 歩き出すサソリに続けば、カンクロウが「行ってくるじゃん」と送り出した。

 砂隠に連れ去られてから既に三ヶ月が経とうとしている。季節は夏を過ぎ、秋が訪れ、肌を刺す風が僅かばかり冷たく感じるようになってきた。
 だが砂隠は熱帯地域だ。木の葉に比べれば遥かに気温が高く、日中は半袖で構わないほど温かい。しかし飛び交う砂塵は今日も多く、羽織った外套を鼻先まで引き上げる。
 サソリが言うには近くで砂嵐が起きているようだった。

「このままだと里を横切るかもしれねえな。その際は外出禁止だ。死にたくなかったらな」
「分かりました」

 施設にはサソリの作業部屋や薬物保管庫、仮眠室だけでなく緊急時の食料や飲料水も常備されている。だからいざとなれば施設で一夜を明かすことも可能だ。だが当然それは非常時だけだ。そのため砂嵐が里を襲う時は早めの帰宅が許されている。
 しかし砂漠での知識がないサクラにとってこの地で生きていくには知識を分けて貰うしかない。現状それを一番よく教えてくれるのは日中共にいることが多いサソリだった。

 二人して吹き荒れる砂塵を潜り抜け、施設に辿り着いた時には外套が砂塗れになっていた。
 やれやれと思いつつ外套の砂を落としていると、先に来ていた傀儡部隊の部下たちが地図を片手にサソリの元に駆けつけてくる。

「隊長、今夜あたり北西から砂嵐が里を横断する可能性があると報せが入りました」
「あぁ? マジかよ。つーことは帰宅時間を早めた方がよさそうだな」

 流石にこの施設に部下たちを籠城させるつもりはないらしい。サソリは窓の外、砂塵が唸る景色から視線を上にずらし、空を見上げ思案する。

「雲の流れが速いな。場合に寄っては夕刻前に来るぞ。悠長なことをしている暇はねえ。さっさと仕事始めんぞ!」

 サソリの掛け声に皆蜘蛛の子を散らすように駆け出し準備を始める。
 サクラは今日も薬草を潰す係だった。

「小娘。それが終わったら薬詰め手伝え」
「分かりました」

 我愛羅が戻ってきた戦場からは怪我人が多く出た。今尚入院している患者だけでなく、新たな患者が増えたことで病院はてんてこ舞いだ。更に日頃の薬草不足と人員不足が祟り、サソリとサクラは連日休みなしで働いている。
 本来ならばサクラも製薬に関する知識があるので手助け出来るのだが、生憎砂隠の忍ではないため処方までは許されていない。
 実質敵である忍たちの怪我を見る所以などないのだが、やはり目の前で苦しむ様子を見続けていれば心苦しく思う部分もある。だが風影に提示された砂隠の忍になることだけは絶対に了承出来るものではなかった。

「春野さん、これもお願いします」
「はい。分かりました」

 新しく渡された薬草に視線を落とせば、まだ十分に育ち切っていないまま摘み取られ、干され、しなびた葉がぐったりと手の平の上で広がる。
 植物が育ちにくいこの里で生き残るのは思った以上に難しいのかもしれない。
 ゴリゴリとすり鉢で薬草を潰しながら、木の葉の忍として、医者として、サクラは揺れる心に無意識に唇を噛みしめた。


 ◇ ◇ ◇


 結局、その日に帰宅することは叶わなかった。
 製薬が間に合わなかったことと、砂嵐が思った以上に大規模で砂塵の勢いが強かったため、施設に籠城することになったのだ。
 食料も寝床もあるとはいえ、サソリが作った傀儡が眠る施設での夜は不気味なことこの上ない。しかも吹き荒れる砂塵が窓を叩き、月明かりさえも遮るその勢いと唸り声は自然の恐怖をありありと叩きつけてくる。
 正直言って、サクラが予想していたよりもずっと荒々しい災害だった。

「砂嵐って、こんなに恐ろしい物なんですね」

 主電源を守るため蛍光灯を落とし、ランプの光だけで外を伺ったサクラは壁に背を預け、膝を抱える。初めて体験する砂嵐の猛攻に改めて自然の驚異を噛み締めていれば、隣に座していたサソリは「まぁな」と軽く頷く。

「砂嵐は台風と違って視界を奪う。それにより視界だけでなく方向感覚も失われ、次第に肌を叩く砂に皮膚がやられる。砂嵐に食われちまったらどんな人間だって生き残ることは不可能だ。例えどんなに頑丈な外殻を持っている生き物だったとしてもな」

 ガタガタと窓を叩く風の音に交ざり砂が周囲の物を薙ぎ払い、打ち壊していく音も聞こえてくる。
 自然の脅威をこんなにも間近で体験したことが無かったサクラは、つい誰かがこの砂嵐を操っているのではないか、とバカげたことを考えてしまう。
 そんなサクラの不安が伝わったのだろう。サソリは仮眠室から持ってきたブランケットを無造作に放り投げてきた。

「自然は恐ろしい。俺たち人間の前じゃな。だがどんな砂嵐も台風も、いずれ必ず止む。今はまだ待機していればいい」
「……はい」

 唸る風の音以外、聞こえてくるのは室内にいる薬師たちの話し声と呼吸音だけだ。
 必要な分だけ製薬を終えていたからよかったものの、もし終わっていなかったら今頃ランプの灯りだけを頼りに配合しなければならなかった。だが結局病院に薬を届けることは叶わず、入院患者たちのことが僅かばかり気にかかる。
 病院には戦争で傷を負った患者だけでなく、子供や他の任務で傷ついた者もいる。そんな人たちの命まで危険に晒されるのは、何だかとても辛かった。

(でも流されちゃダメ。流されちゃダメなのよ。ここにいる人達は皆敵なの。皆、皆この人たちに殺されてきたの。家族を奪われたの。気を許しちゃ、流されちゃダメなんだから……)

 与えられたブランケットに包まりながら抱えた膝の間に顔を埋め、漏れそうになる声を噛み殺す。
 日頃接することが多いのはサソリとその部下たちだが、時には直接この施設に薬を受け取りに来る患者や、その親族と顔を合わせることもある。彼らにとって木の葉の額当てをしていないサクラは非戦闘員の薬剤師として認識されていた。

 だからこそ、だろう。
 先日、別の処方箋を受け取り奥の部屋に消えたサソリの代わりに、サクラがアカデミーに入学したばかりの子供に薬を渡したことがある。まだ赤く熟れた頬に笑みをいっぱいに浮かべ、「お姉ちゃんありがとう!」と言われた時は咄嗟に叫びたくも、泣き出したくもなった。
 この子供に罪はないのに。戦争に参加したわけではないのに。仲間を殺したわけではないのに――。こんな小さな命さえ許せそうにない自分に胸が詰まって、声が出なかった。

 怪我人を助けたいと叫ぶ医者としての志と、仲間を殺された憎悪が心の中でせめぎあう。

 だがどうしても、許すことはできなかった。
 目の前で惨殺された仲間の声が、絆されそうになる度脳裏に蘇る。伸ばされた腕を取ることが敵わなかった――あの少女の白い腕が、伝う鮮血が、何度も繰り返し蘇り、夢にみる。その度にサクラは飛び起き、汗をかいた額を涙交じりに拭った。

 硬い寝台の上で寝ることには、もう慣れていた。

「おい、小娘。寝たのか?」

 サソリの気遣うような声が聞こえる。もしかしたら気づいたのだろう。サクラがひっそりと泣いていることに。だがサソリはそれ以上何も言うことはなく、ただ黙って隣に座っていた。

 窓の外では未だに砂が暴力的に窓を叩いては揺らし、時計の針がカチカチと変わらぬ動きを繰り返す。聞こえてくる周囲の話し声も次第に少なくなり、いつしか沈黙した。
 その後徐々に部屋を照らしていたランプの灯りも小さくなり、遂には消える。真っ暗な闇だけが包む中、起きているのか寝ているのかも分からぬサソリの隣で、サクラはただ声を噛み殺し泣き続けた。

 追加されたブランケットは、少し生温かった。