長編U
- ナノ -

捕虜 -04-



 翌日、サクラは午前の講義を終わらせると再び箱型の施設へと連行された。

「よぉ、待ってたぜ」

 そこには既にサソリが何処からか採ってきたらしい薬草を机の上に広げており、天日干しの用意を始めている。

「此処での監視役は俺だ。まぁ逃げる気なんてないとは思うが、もしそんな動きがあれば容赦なく傀儡で捕まえる。そこは忘れんなよ」
「はい」

 サソリの言葉に頷けば、テマリは「変なことすんなよ」とサソリに釘を刺してから部屋を後にする。とは言え室内にはサソリだけでなく他の忍もいる。案の定サソリは「好みじゃねえよ」と顔を顰め、改めてサクラに向き直った。

「此処に居る薬師たちは殆ど俺の部下だ。それも傀儡部隊のな。だから戦場に駆り出されれば薬を作れる奴がかなり限られてくる」
「それで私を?」

 尋ねるサクラにサソリは「まぁな」と頷く。

「それにお前はあの蛞蝓ババアの弟子だろ? 一から知識を教える必要がねえつー理由もあって、お前を選んだ」

 サソリは答えながらも既に薬を作る準備を始めており、サクラに「ほらよ」とすり鉢を渡してくる。

「あそこにある薬草を全部をすり潰せ。終わったら俺に言え」
「分かりました」

 示されたデスクの上には既に数十種類の薬草が並べられている。そこにサクラが渡されたすり鉢を持って移動すれば、別の作業に取り掛かっていた忍達の窺うような視線が四方八方から飛んできた。

「ったく、カンクロウはいいよなぁ。あいつ今日休みかよ。クソがぁ」

 だがサソリは全くと言っていいほど興味がないらしい。うんざりとした様子でぼやく声を聞きながら、サクラは黙って薬草をすり潰す作業に取り掛かる。
 砂隠は医療が乏しいと聞き及んでいたが、サソリの実力は本物だった。サソリはサクラがすり潰した薬草の粉末をそれぞれ瓶詰にすると、別室から幾つかの小瓶を持ち出し、配合を始める。それはサクラの知らない薬草同士の配合で、気付けばじっと手元を見つめていた。

「あ? 何だ。興味でもあんのか?」

 視線に気づいたのか、サソリが顔を上げ尋ねてくる。それに対し恐る恐る頷けば、サソリは「参ったな」と呟きながら頭を掻いた。

「お前は一応俺の部下にはなるが、立場上捕虜だ。同じ砂隠の忍じゃない限り、この配合比率は見せられねえ」

 サソリの言い分はもっともだ。あくまでサクラは捕虜であり、砂隠の仲間ではない。
 こちらに来てから新たな知識を学ぶことのなかったサクラからしてみれば口惜しかったが、諦めて他の雑用をするかと視線を逸らしたところで「なぁ」と話しかけられる。

「お前、どうせ木の葉で死んだことにでもなってんだろ?」
「え? えぇ……。多分」

 我愛羅による虐殺はまともに被害者の顔が割れるようなやり方ではなかった。今頃死体の分別に苦労していることだろうと頷けば、サソリは「ふぅん」と呟いてから顎に手をやり、暫し目線を宙に投げる。その姿に部下たちも「隊長?」と声を掛けるが、サソリは「そうだな」とひとりごちた後、サクラに視線を戻した。

「小娘。此処にある薬草を使って毒薬とその解毒剤、合わせて十種類以上作れ」
「じゅ、十種類以上?!」

 薬も裏を返せば毒になる。だがサクラは解毒薬を作ることが多く、毒薬は姉弟子であるシズネの分野だ。
 勿論サクラとて一度も毒薬を作ったことがないわけではない。だが十種類以上も、しかも配合比率表なしに作れるかと聞かれたら難しい。

「少なくとも十だ。勿論それ以上でも大歓迎だがな」

 ニヤリと不遜に笑う男の笑みを見つめ返し、サクラは「分かりました」と頷く。所詮拒否権など存在しないのだ。事実捕えられた時から“はい”以外の言葉は必要とされていない。
 サクラは我愛羅の言葉を思い返しながら他の忍に連れられ、薬草保管室へと足を踏み入れた。
 ツン、と鼻を突く薬草の香りが、少しばかり懐かしかった。


 ◇ ◇ ◇


「今日はこれが限界か……」

 高く上っていた陽もいつの間にか沈んだ頃、サクラはふうと息を吐きだし出来上がった薬を小瓶に詰める。
 昼過ぎから始めたため流石にすべては出来なかったが、それでも三種類は作り上げることが出来た。解毒薬と合わせて六つの小瓶が机に並ぶ。

「ほぉ、思ったより早えじゃねえか」

 片付け始めていたサクラの元に届いた声に首を巡らせれば、使い終えた試験管を洗い終えたサソリが近付き、一つの小瓶を手に取る。

「へぇ、瞳孔を開く薬か。おもしれえな。日中にしか使えないが、効けばそれなりに役に立つ」
「本来なら数倍希釈してから処方しますが、原液のままだと目の細胞が破壊されます」

 とはいえ直接目に入れなければ効果が得られないため、戦場ではまず使われない。隠密部隊に持たせるか、国で諜報活動をする忍に持たせ、そこで使用させるのが主な使い道だ。それ以外ではほぼ出番はない。しかしこれも使いどころによっては立派な毒薬――いや、劇薬だ。サソリも満足げに頷く。

「思ったより期待が出来そうだ。楽しみにしてるぜ、小娘」

 喉の奥で笑う男を横目に眺めながら、サクラは「自分は一体何をしているのだろうか」と考え、俯く。

 だが幾ら悩んだところで反抗する権利などないのだ。

 少しでも生意気だと、反抗的な態度だと判断を下されればたちまち誰かの首が飛ぶ。それだけは何としてでも阻止しなければならない。
 連日噛み締めている唇を今日も噛みながら、サクラは黙々と片付けを進めた。


 ◇ ◇ ◇


 翌日。午前の講義が入っていなかったサクラは朝から毒薬を作り、合計十一種類の製薬に成功した。幾つかはサソリも知っている物ではあったが、半数近くが砂隠では使われたことのない物だと言うことで、サソリは非常に満足げあった。

「流石蛞蝓ババアの弟子だな。おもしれえもん作りやがる」

 上機嫌なサソリを横目に、サクラは黙々と片付けと雑用をこなしていく。
 流石に毒草を扱うだけあって室内は整理されてはいたが、やはり四隅などには埃が溜まり、掃除が満足に行き届いていないことが分かる。どうせ出来ることが限られているのだ。掃除でもしようと仕舞われていた雑巾を手に取り、戸棚に溜まった埃を拭き始める。

 爾来サソリの手伝いをしながらも講義をこなし、時には薬を作りながらサソリや他の薬剤師たちと薬物について談義することも増えた。
 依然として名を呼ばれることはなかったが、サソリの軽口に睨みを利かせる程度には慣れつつある。

 そんな、捕虜としては存外穏やかな日々を過ごしていた頃のことだった。我愛羅が戦場に出て一月程経ったぐらいだろうか。
 未だに慣れない硬いベッドに横になり、出来る限り疲れを残さぬよう早めの就寝を心がけていたサクラが寝入っていた時だった。
 普段なら聞くことのない複数の足音が地下牢に響き渡る。時計などなかったが、それでも寝入ってから大分時間がたっているはずだ。
 この地下牢は風影の自宅地下に設えられている。そのためサクラの元に来るのは風影の実子であるテマリ、カンクロウ、我愛羅の三人しかいない。あのサソリでさえ此処に来たことはないのだ。それに加え地下では足音が嫌でも響く。そのため足音で相手を判別していたサクラは聞き慣れない音に目を覚ます。

(誰? もしかして、敵襲?)

 砂隠の敵となれば木の葉の忍か、それとも別の里の者か。
 今の所砂隠は木の葉としか戦をしていなかったはずだが、忍の世界は不安定だ。いつ何時裏切りや奇襲に会うかは分からない。出来れば木の葉の忍であって欲しい。微かな期待を抱くが、それはすぐさま打ち砕かれた。

「――とうに……じょうぶ……ろうな……」
「……がいない……れるのは……しか……」

 ぼそぼそと聞こえてくる話し声は低く、もう一人は更に野太い。サクラの知る誰の声とも違う。木の葉の忍ではないようだ。
 だがどこか聞き覚えのある声と足音を待っていると、足元からサラサラと砂の動く音が聞こえてすかさず飛び起きる。

 ――彼は戦に出ていたはずだ。今日もまだ戻って来ていなかったはずなのに、何故――。

 背にじわりと嫌な汗が伝った瞬間、遂に足元で停滞していた砂が勢いを持って走り出す。それを僅かな動きで察したサクラは咄嗟に格子に手をかけ、声の限りに叫んだ。

「来ちゃダメっ!」

 誰が来たのかは分からない。それでもこれ以上誰かを傷つけるわけにはいかないと叫んだ声は、しかし一足早く聞こえてきた叫び声にかき消された。

「不法侵入とはいい度胸だな」

 聞こえてきた温度のない声にゾッと肌が粟立つ。だが背筋を震わせながらも目を凝らせば、牢の横に二人の男が砂の手で押し付けられているのが分かった。
 ギリギリと力強い手に圧迫され、男たちの苦しそうな呻き声が耳に届く。それは奇しくもあの夜の惨劇を思い出させた。
 だが同時に『あの日の惨劇を繰り返してはなるものか』と夜の大気に冷えた格子を掴み、奥から現れた砂の主を見つめる。

 男――我愛羅は見回り用のランプを片手に掲げ、いっそ優雅とも表現できそうな程にゆっくりとした足取りで階段を降りてくる。奇しくもそのおかげで侵入者たちの顔が分かり、サクラは目を丸くした。

「ぐっ……が、あら様……!」

 壁に押し付けられていたのはサソリの部下である薬剤師たちだった。徐々に壁に押し付ける力を増していく砂の手に気付き、サクラは「やめて!」と声を張り上げる。

「お願い我愛羅くん、この人たちを殺さないで! 二人はサソリさんの部下よ!」

 その言葉に我愛羅は一度サクラを横目で見やり、呻く男たちを観察するように見つめてから僅かに砂の力を抜く。

「嘘ではないだろうな」
「がはっ、ごほっ、……はあ、そ、うです。私たちは、ただの薬剤師です」

 圧迫されていた肺に大量の酸素が入り込み、上手く呼吸ができないのだろう。咽ていた二人は咳を繰り返しつつも何とか答える。それに対しサクラも頷いて男たちの潔白を証明すれば、我愛羅は掲げていた腕を下し、二人を開放した。

「この女は俺たちの監視下にある。許可なく牢に踏み入ることも謁見することも許されない。誰の許しを得て此処に来た」

 問い質す我愛羅に二人の男は顔を見合わせ、すぐさま「申し訳ありません」と膝と着く。

「夜間に飛び入りの患者が運び込まれたのですが、今までにない毒物の反応でしたので春野さんの御助力を賜ろうと……」
「サソリはどうした。貴様らの上司は急患には応えない主義だったか?」

 腕を組み、頭を下げる二人を見下ろす我愛羅の瞳は冷たい。サクラは無意識に己の体温を奪い、生温くなった鉄格子をギュッと掴む。

「いえ、サソリ様は本日夜営に出ており連絡がつかず……」
「ふん、成程な」

 我愛羅は頷くと懐から鍵を取り出す。

「だがこの女を一人で外に出すわけにはいかん。俺もついて行くぞ」
「はい」

 我愛羅の許可を得てほっとする二人にサクラも胸を下す。どうにかあの日の惨劇を繰り返さずに済んだ。それだけで妙に安心した気分だ。

「出ろ、女」

 鍵を開けた我愛羅に促され、靴を履くとすぐさま牢から飛び出る。

「急患の容体は?」
「患部の裂傷が深く高熱が出ています。それに毒物反応だけでなく、肋が二本と左上腕部を骨折しています。意識の混濁が始まっていてあまり長いこと持ちそうにありません」
「分かったわ。とにかく急ぎましょう!」

 駆けだすサクラと薬剤師の後ろを我愛羅が悠々とした足取りでついてくる。だが常より僅かばかり遅いその足取りに、思わず「疲れているのかしら?」と首を傾けそうになって慌てて首を横に振った。今は我愛羅に気を取られている場合ではない。医療は一分一秒が物を言う世界だ。今はただ一秒でも早く病院に着くことが大事だった。


 ◇ ◇ ◇


 先導する薬師に続き、急患の元へと直行する。予め診察を終えていた当直医から話を伺えば、とてもじゃないが即席の薬でどうにかなるような状態ではなかった。むしろ悩んでいる一秒すら惜しい。すぐにでも緊急手術に移る必要があった。
 だがここで新たな問題に直面する。

 そう。サクラに執刀する資格がないのだ。

 木の葉であればこのような緊急事態であろうとなかろうと執刀の許可は必要ないのだが、ここは砂隠だ。木の葉とは勝手が違ううえ、立場的にも捕虜で自由が利かない。
 だがこの場にいる医者では知識も実力も不足しており、患者を助けることが出来ない。
 救うことが出来るはずの命を見過ごすしかできないのかと唇を噛みしめていると、黙って観察していた我愛羅がようやく口を開く。

「女。貴様ならその死にぞこないを助けることが出来るんだな?」
「出来るわ。ただ……私には執刀する資格も、薬を手配する資格もない」

 ――ただの捕虜だから。
 そう答えるサクラに我愛羅は「では、」と口を開く。

「この場の責任は全て俺が持つ。女、手術の準備をしろ」
「え?!」

 壁に背を預け、腕を組む我愛羅に全員の視線が集まる。だが我愛羅は特に気にした様子もなく、鷹揚とした態度で「急がなくていいのか?」と首を傾けるだけだった。その言葉にサクラは弾かれたように顔を巡らせ、すぐさま「手術の準備を!」と看護婦に声をかける。

「で、ですが……」

 額当てをしていない、医師免許も持っていないサクラに『本当に執刀させても大丈夫なのか』と看護婦数名が顔を合わせる。だが我愛羅が「早くしろ」と睨みあげればすぐさま駆けだし、用意を始めた。

「春野さん、これを」
「ありがとうございます」

 サクラの元を訪ねてきた薬剤師の一人が手術着を渡す。それに対し礼を述べると、急いで身に纏って忍ばせていたゴムで髪を括る。

「サクラさん、手術室はこちらです!」
「分かりました! 緊急オペ、入ります!」

 慌ただしく駆け出していくサクラたちの背を視線だけで追いながら、我愛羅はゆっくりと壁から背を離し、手術室前の椅子に腰かける。
 夜はまだ明ける気配がなく、星の見えない暗闇が窓の外に広がるだけだった。