長編U
- ナノ -

捕虜 -03-




「カカシ先生! サクラちゃんが死んだって、そんなの嘘だよな?!」

 その日、ナルトは急遽戦場から戻ってきた。
 カカシとサスケは一足先に戻っており、最も里から離れた場所で戦っていたナルトが遅れて帰還した。だが帰って来て早々突き破るような勢いで火影室へと転がり込んでくる。そこには四代目火影であり、ナルトの父親であるミナトが厳しい表情で座していた。

「ナルト。俺も信じたくはないが、第二前線の忍、及び医忍全員が何者かによって惨殺されていたのが今朝発見された」
「サクラは俺たち第一前線の後ろ、第二前線での治療、延命の任務が与えられていたんだ」
「そんな……!」

 唇を噛みしめ俯くサスケと、その隣に並んでいたカカシがナルトに説明をする。だがナルトは「そんなの信じねえってばよ!」と強く握りしめた拳を執務机に叩きつける。

「そこにサクラちゃんの死体でもあったのかよ! サクラちゃんが”生きてる”っていう可能性はこれっぽっちもないのかよ!?」

 叫ぶナルトに「落ち着け」とカカシが肩に手を置き諌める。ミナトも眉間に皺を寄せ、手元の報告書へと苦しげに視線を落とした。

「残念ながら死体の殆どが圧殺され原型を止めていないそうだ。それこそ骨の部位もまともに調べることが出来ないほどに酷い有様らしい」
「そんな……」

 呆然とするナルトに痛ましい気持ちを抱きながらも、ミナトは「残念だが」と続ける。

「サクラが生存している確率は、ほぼ“ゼロ”だ」

 ミナトの、普段は朗らかであたたかな声が陰鬱とした火影室に響き渡る。その言葉はそれこそ鉛のように――ナルトだけでなく、サスケとカカシにも重くのしかかった。
 大切な仲間を、自分たちにとって心の拠り所でもあった一人の少女の死を受け止めることは難しい。そして己の不甲斐なさを嫌というほどに痛感する。
 重苦しい空気の中、ナルトの纏う荒々しい怒気だけが熱を帯びて膨らんでいく。

「――誰なんだよ」
「ナルト?」

 震える拳を握りしめ、滲む涙を拭うこともせず、ナルトは喉の奥から振り絞るような声で問いかける。それに対しミナトが名を呼べば、ナルトは噛みしめた奥歯を切り離し、呪詛を散らすかのように声を張り上げた。

「だから、相手は誰なんだよ! 誰がサクラちゃんを、皆を――仲間を殺したんだよ?! 何の手掛かりも残ってないわけじゃねえだろ?!」

 咆えるナルトにミナトは暫し瞬くが、すぐに「目星はついているんだ」と返す。それが一体誰なのかとナルトが問う前に、サスケが口を開いた。

「俺もそいつの検討はついている。“砂漠の我愛羅”――だろ?」
「――砂漠の、我愛羅?」

 振り向いたナルトの目をまっすぐ見返しながら、サスケは頷く。

「いくら怪我を負っているとはいえ、木の葉の忍を数名、誰にも気付かれることなく暗殺できる実力を持っている忍は多くない。特に圧殺となれば更に限られてくる」
「我愛羅は砂を操る忍だ。チャクラが込められた砂を固め、挟み撃ちにでもすれば人間なんてひとたまりもないだろう」

 サスケの言葉にカカシがフォローするように続ければ、ナルトは「あの野郎……!」と拳を握りしめる。

「絶対許さねぇ……! 絶対、絶対、俺がこの手でぶっ殺してやる!」
「落ち着くんだ、ナルト。気持ちは分かるが今のお前じゃ彼には勝てない」

 尾獣の力を思うままに操る我愛羅に、ナルトは何度も痛手を喰らわされている。そもそも我愛羅の持つ一尾と対抗するには、我愛羅と同じく九尾の人柱力であるクシナの力が必要になる。だがクシナは我愛羅のように尾獣の力を扱えてはいなかった。そんな相手に面と向かって勝負を挑んでも勝算はない。
 だが諌めるミナトに対し、完全に頭に血が上り切っているナルトは「うるせえ!」とその言葉を跳ね退ける。

「俺は絶対に許さねえ! 何があってもアイツを殺して、サクラちゃんの仇を取るんだ!」
「ナルト!」

 荒れ狂う激情を止められないのか、ナルトは入ってきたばかりの火影室から弾丸の如く飛び出していく。それを慌てて追いかけようとミナトが立ち上がるが、すかさずカカシがそれを制し「俺が行きます」と告げて退室する。

「本当に、サクラは死んだんだな?」

 残ったサスケの問いかけにミナトは目を伏せる。

「現段階ではハッキリと断言できないけど、可能性は高い」
「……そうか」

 サスケはナルトとは違い、叫ぶことも暴れることも無かった。だがサクラの話を聞いてからはずっと拳を握っていた。――色白い指の隙間から、鮮やかな鮮血を滴らせるほどに。

「俺もナルトを追う」
「うん。息子を、よろしく頼むよ」

 ナルトを追ったカカシを追うようにサスケも火影室を後にする。そして先程までサスケがいた場所には、握りしめた拳から伝った涙のような血痕が数滴残っていた。

「ナルト……サスケ……」

 普段と変わらず冷静な態度を貫き通したサスケではあったが、ナルト同様荒れ狂う激情を腹の底に抱えていた。それを表に出さないことは忍として立派ではあるが、十代の子供にしては無理をしているのではないかと心配になる。
 だが自分たちは忍だ。そして殺されたであろうサクラも、同じく忍として人生を全うしたのだ。

「サクラ――」

 だが頭で分かっていてもすぐさま納得出来るものでもない。
 息子にとっては初恋の相手であり、自分にとっても娘のような存在である。それを抜きにしても大切な里の一員だ。そんな少女の死は、ミナトにとっても辛いものであった。

 自分だってクシナが死んでしまえば冷静でいられるはずがない。
 だからこそナルトを本気で止めることができなかった自分に、ミナトは「不甲斐ないなぁ」と呟きながら晴れ渡った空を仰ぎ見るのだった。


 ◇ ◇ ◇


 一方、木の葉でそんなやりとりがされているとは露知らず、サクラは午後の講義を終えるとテマリに連れられ調薬場へと赴いていた。

「先程サソリたち傀儡部隊が戻ってきた。だからお前に会わせておこうと思ってな」
「そう、ですか」

 薬局も兼ねているそこは薬草畑に隣接した箱型の施設だ。足を踏み入れれば見た目に反して奥行きがあり、存外広い。
 入口からまっすぐ続く廊下には幾つもの扉が等間隔で並んでおり、テマリは右側の通路に面した三つ目の部屋で立ち止まると、扉を数度ノックして声をかけた。

「サソリ。例の捕虜を連れてきた。開けるよ」

 返事はなかったが、テマリは遠慮することなく扉を開ける。だがそこには誰もおらず、明かりすらついていない。

「ったく。電気くらいつけろっつーんだよ、あのおっさんは」

 ぶつぶつと文句を零しながらもテマリは手探りで壁に設置されていた電源を探り当て、蛍光灯のスイッチを入れる。途端に頭上で照明が明滅し、目を覚ました蛍光灯が部屋全体を明るく照らす。

「ヒッ――!」

 視界いっぱいに飛び込んできた一種異様な光景に、理性が理解するよりも早く生理的な嫌悪感がこみ上げてくる。
 それでも寸でのところで悲鳴を堪え――等間隔に天井から吊るされている薄気味悪い“傀儡”たちを恐る恐る見上げた。

(なによ、これ。まさか、これが“傀儡”? 気持ち悪い……)

 完成している物もあれば未完成の物もある。片目しか嵌っていない物もあれば、両手足が揃っていない物、あるいはまだつけられていない物、頭部がない物もある。
 奥にある作業机の傍らに設置されている戸棚には――傀儡の部品だろう――腕や足の制作途中だと思われる物の一部と、薄気味悪い、目玉の嵌っていない頭部が幾つも陳列されている。
 そしてお世辞にも片付いているとは言い難い机上には、設計図と思わしき用紙が数枚と、定規や杭、金槌などの工具がある。他にも彫刻刀や絵筆など様々な道具が所狭しと並んでおり、いっそ生活感すら感じられそうな、適度に雑多な作業部屋がそこには広がっていた。

「サソリ! いるんだろ? 返事ぐらいしろ!」

 慣れているのだろう。テマリは等間隔に吊るされた薄気味悪い人形たちを意に介することなく突き進んでいく。対するサクラは初めて明るい場所で目にした傀儡たちの、その光の宿らない姿が不気味でしょうがなかった。それこそいつか本当に独りでに動きだしそうなほどに精巧に作られたそれらに、ただ圧倒されていた。
 内心震えつつも歩みを進めていると、テマリの怒声にも似た声に怠惰な声が返ってきた。

「ったく、うるせーお嬢様だな。着替えくらいゆっくりさせろつーんだよ」
「だったら返事ぐらいしろ。怠慢な奴め」
「へいへい。悪うございました」

 作業机の横に見える扉の前、仁王立ちするテマリの奥から緋色の髪が見え隠れする。聞こえてきた声は“おっさん”と称されるにしては幾らか若々しい。だが相手は顔を知られていない傀儡演者だ。果たしてどんな人物なのか。
 怯えにも似た緊張感を抱きつつ視線を向ければ、どうにもやる気のない返事をした男がテマリの隣に並んだ。

 ――緋色の髪に眠たげな眼。目尻や口角など所々に薄く皺が寄ってはいたが、“おっさん”と呼ばれるにしては随分若い男がそこには立っていた。

「ほお。コイツが例の綱手ババアの弟子っつー女か。女つーより小娘だな」
「意味分かんないこと言ってんじゃないよ。ほら春野、コイツが説明していた“赤砂のサソリ”だ」

 テマリに「コイツ」と呼ばれた男は「目上に対する口の利き方がなってねえなぁ」とぼやきつつもサクラへと近づいてくる。
 男の身長はサクラより頭一つ分は高いが、それでも男子の平均から考えてみれば存外低い。だが本人は特に気にしていないらしい。不敵な笑みを口元に称えたままサクラの目の前で立ち止まる。

「ご紹介に預かりました、俺が“赤砂のサソリ”だ。本来は傀儡部隊隊長なんだが、薬学の知識が足りてねえ奴ばかりだからな。俺が薬師を兼ねてんだ」

 よろしく。
 そう言って差し出された手を訝しげに見つめれば、「別に毒なんて塗ってねえよ」と呆れた視線を落とされ渋々その手を握る。しかしその手は冷たく硬い。人間の手とは思えず、それこそ傀儡のようだと思った。
 そんなサクラに気付いたのか、サソリは「ああ」と呟くと袖をまくり上げる。

「ッ!」

 捲られた袖の下――そこに人の腕は無かった。
 本来ならばあるはずの、人形とは違う血の通った人の腕がこの男にはついていなかったのだ。あるのはこの部屋全体に吊るされている傀儡と全く同じ物――紛い物の腕が肩から指先へと続いていた。

「戦場で失くしちまってな。だがこっちの方が代わりが利くし、仕込みもできるから気に入ってんだ」

 何て事のないように告げられた言葉だが、確かな実力を持つ男でさえ片腕を失くす。それが戦だ。
 実際サクラよりずっと実力のあるナルトやサスケもよく怪我をして帰ってきた。コピー忍者と各里に名を轟かせるカカシでさえ無傷で帰ってきたことはない。だからこそ余計に一切の傷を確認できなかった我愛羅の恐ろしさが理解できる。

「つっても俺ぁ帰ってきたばかりだからな。今から寝る。だから仕事は明日からだ。分かったな、小娘」
「え? あ、はい」

 小娘。
 名前を知っているはずなのに呼ばれることもない。それはサクラが捕虜で――あるいは奴隷ともいえる存在であるから名を呼ぶ価値もないということか。だがここで口答えをし、我愛羅の耳に入れば仲間の命が奪われるかもしれない。それだけは何としてでも避けなければ。
 やり場のない怒りのような悲しみのような、あるいは屈辱か。様々な感情を抱きながらもそれらを全て噛み殺し、出来る限り従順そうに頷いた。

「つーわけでお嬢様よ、そういうことだから今日はこの小娘連れて帰れ。薬が欲しけりゃチヨバアにでも言うんだな」
「分かってるよ」

 サソリはサクラから視線を外すと、仁王立ちしていたテマリに言葉を投げる。それに対しテマリも頷き、サクラに「帰るぞ」と告げてから歩き出す。だがテマリが出入口の取っ手に手をかけたところで、サソリが「ちょっと待て」と二人を呼び止めた。

「一応確認するが、明日の監視もお前だろうな?」

 二人ではなくテマリに向けられた言葉にサクラが口を噤めば、テマリは「ああ」と頷く。

「我愛羅は戦場に出てる。カンクロウも戻ってきたばかりだから、明日は休みだ」

 テマリの返事にサソリは「そうかよ」と頷き背を向ける。それを横目に見つつも、サクラは先に部屋を後にしたテマリを追いかけた。
 とにかくサクラはここで働くことが決まっている。拒否権のない労働だが、逆らえるわけがない。大切な仲間の命をこれ以上奪われるわけにはいかない。

 砂隠での生活は始まったばかりだ。
 サクラは背後から忍び寄る不安から逃げるように、ただテマリの背中を追いかけた。