長編U
- ナノ -

捕虜 -02-



 サクラが食事を終えると、我愛羅はトレーを引き下げ牢を後にした。代わりに下りてきたのは、あの夜我愛羅とスリーマンセルを組んでいたくノ一であり、彼の実の姉であるテマリだった。

「今日はあたしが監視役だ。と言ってもお前は通常通り授業をしてもらう」
「……はい」

 サクラが連れ去られた理由は幾つかある。そのうちの一つが医療の乏しいこの里に技術を広げるためだ。
 元来この戦争は忍同士ではなく、その大元である国同士の争いに巻き込まれただけの話だ。そのため戦争が始まった当初は軍人同士が戦をし、忍は諜報活動や破壊工作、暗殺などといった活動が主だった。
 だが今は力の衰え始めた軍人の代わりに忍たちが戦場に出ている。

 その結果、医療の乏しい砂隠では治療、または延命救助などが満足に出来ず、人口が減り続けている。その打開策として『他里から医忍を拉致する』と言う蛮行に出たのだった。
 そもそも国同士が争っていなければこうして木の葉と砂隠が争うことも無かっただろう。だが国の援助なくして里は成り立たない。故に国からの命を無視するわけにもいかず、双方苦しい状況に立たされていた。

 とはいえ、頭で分かっていても心はそうはいかない。如何に同じ人間と言えど今まで争ってきた敵里の忍たちだ。手当てを施すだけならともかく、知識まで伝授しなければならないのは屈辱だ。自里の誇りを失う、と言っても過言ではない。
 サクラは『いっそのこと舌を噛み切って死んでやろうか』とすら考えた。だが我愛羅が放った言葉が、なけなしの反抗心すら封じ込めた。

『無駄な抵抗をするなよ、女』

 チャクラ封じの呪が施された手枷を嵌められる中、我愛羅はまるで世間話をするかのような口調でそう切り出した。『どういう意味か』と睨むことしか出来ないサクラに対し、その徹底した態度が崩れることはない。

『女とは愚かな生き物だ。もし貴様が己の舌を噛みきるなり喉を掻き切るなりで自殺を図ろうとするならば、貴様の仲間を一人残らず俺が殺す』
『なっ――!』

 妖しい動きを一つでもすれば大切な人たちの命が散る――。我愛羅はそう宣言し、サクラを牢に押し込んだ。

『勘違いするなよ、女。貴様は捕虜だ。貴様には拒否権も反抗する権利もない。言葉は“はい”。それのみだ。それ以外の言葉を発すれば一人ずつ……貴様の仲間の首を討ち取り、目の前に並べてやろう。分かったな』
『そん、な……』

 唇を噛み締めるサクラに対し、我愛羅は無言で牢の扉を閉め、鍵を掛けた。そうして暫く幽閉された後、砂隠にいる数少ない医療忍者たちに授業をする事になったのだ。

「用意はできたな、春野」
「はい」

 地下牢から地上へと出れば、砂を多分に含んだ風が横殴りに吹いてくる。今日は悪天候のようだ。
 細かな粒子が肌を叩き、数メートル先の視界さえ奪おうとする。与えられた外套を引っ張り上げないと口や鼻にも砂が入りそうなほどの勢いだった。薄目で見上げた空にも曇天が広がり、辺り一面を覆いつくしている。

 ――これは一雨来るかもしれない。
 そう考えながらもテマリと共に足早に講義室へと向かった。


 ◇ ◇ ◇


「それでは今日の講義を始めます」

 牢に閉じ込められる前、サクラは木の葉の額当てを奪われ、代わりにチャクラ封じが施された手枷を嵌められた。
 出る時は流石に外されるが、監視の目が必ずついて回る。そのうえもし逃げ出そうとすれば、胸に施された呪印が体を蝕み殺す仕組みになっている。

 どう足掻いてもこの里から、我愛羅たちから逃れられない。

 そんな絶望と屈辱の中、サクラはひたすら心を殺し、奥歯を噛みしめながら知識を伝授していた。里の誇りであり、尊敬する師――綱手から教わった術を――。

「このような症状の場合、使われる薬草は幾つか種類があります」

 本格的に講義が始まる前、サクラは我愛羅に連れられ砂隠の薬草畑へと赴いていた。だがそこに根付いていた薬草はほんの一握りで、とても“畑”とは形容出来ない代物であった。
 土地柄的に面積は十分あっても、薬草自体が十分に育ち切っていない。それだけでなく、虫に食われたり、養分が足らず根から枯れていたりと散々な状態だった。
 元々過酷な環境なのだ。それが長引く戦のせいでかなり危ういところまで追いやられている。流石のサクラでも「これではまともに薬が作れないのでは?」と問うほどに。だが我愛羅は至って冷静に「いつも別の場所から薬草を採ってきている」と答えた。

『昨日から戦場に出ているが、“赤砂のサソリ”という男がいる。ソイツがいつも薬草を採りに行っている。この里で主に使われている毒や薬を作っているのも奴だ。それの手助けをするのがお前の仕事だ』

 ――赤砂のサソリ。
 砂隠特有の傀儡使いの名前だったと記憶している。その姿をサクラは見たことはないが、『彼の傀儡を見たものは生きては帰れない』と噂されているほどの有名人だ。
 何せ『コピー忍者のカカシ』と同じように他里にまで名前が知れ渡っているのだ。そんな男の手助けをしろと言われても、正直不安しかなかった。


「それでは今から問題用紙を配ります。正しいと思われる配合比率を穴埋め形式で答えてください」

 我愛羅とテマリの話によると、そろそろ赤砂のサソリが率いていた傀儡部隊が戦場から戻ってくる予定だ。今日か明日か明後日かは分からないが、近いうちに顔を合わせることになるだろう。

「時間は十分です。それでは始めてください」

 集められた医忍たちがそれぞれ答案用紙に向き合い、頭を悩ませ始める。チラリと横目で覗った窓の外では未だに音を立て砂が空を舞い、窓ガラスを揺らしている。
 サクラは思わず溜息を零しそうになったが寸での所で喉奥に押し込み、広げていた資料を片づけ始める。そうして次に必要な資料を引っ張り出し、順番を確かめてから椅子に腰かけた。

(皆はどうしているかしら……)

 サクラが所属していたのはカカシ率いる第七班だ。サクラが密かに想いを寄せている「うちはサスケ」と、ドタバタ忍者と名高い「うずまきナルト」とのフォーマンセルだった。各班に比べチームワークはあまり良くなかったが、土壇場での攻撃力や発想力は他の追随を許さない特異な班だと有名だった。
 その甲斐あってか他の班より戦場に赴く機会も多かったのだが――その中で唯一の医療忍者であるサクラだけが戦場に足を踏み入れることが圧倒的に少なかった。

 勿論皆無ではない。幾ら医忍と言えど忍だ。任務であれば苦手だろうが不得手だろうが戦闘だってする。だが結局のところ戦場に立った回数は両手で数えられる程しかない。同級生である仲間たちとは比べ物にならない程、サクラは“本物の戦場”を知らなかった。
 元々戦闘員として配属されていたのも昔の話だ。今では木の葉の誇る医療忍者である綱手に才能があると見出され、急遽医療を学ぶことになり戦線離脱した。それがサクラの医療忍者としての始まりだった。

 実際サクラは特筆した力も無ければ特別な血を引いているわけでもない。
 うちは一族の血をひくサスケや、四代目火影の血をひき、爆発的に成長していくナルトに次第について行けなくなった。それでもカカシも二人もサクラを責めることはなかった。
 だがサクラはいつだって足手纏いで庇ってもらってばかりだった。そのせいで皆に要らぬ傷がつくことなど茶飯事で、いつも自己嫌悪に陥っていた。

 ――少しでも強くなりたい。皆を守ることが出来なくても、力になりたい。支えてあげたい。

 綱手に見初められ一念発起し、少しでも彼らの怪我を癒せるようにと医療を学び始めたはずだったのに。今はこうして敵里の捕虜となり、知識を伝授している。

(結局私は何処に行っても足手纏いなのね……)

 何も出来ず、また何の手がかりも残すことが出来なかった。ただ無様に仲間を見殺しにし、連れ去られただけだ。その上『皆の命を守りたいから』などという建前を用意して、培った知識を敵里に広めている。

 バカらしかった。
 死にたいと何度も思った。

 いや、できるなら今すぐにでも里の誇りのほの字もないこの醜い体に刃を突き立て、死んでしまいたかった。
 だがそんなことをすれば里がどうなるかわからない。砂漠の我愛羅の力は木の葉の忍が数名束になったところで敵うものではない。あのサスケだって、ナルトだって、何度も痛手を負わされている。そしてそれはいつだって木の葉が敗走を決めなければ助からないものばかりだった。
 そんな男に、サクラはどんなに悔しくても立ち向かう勇気が持てなかった。

「それでは時間です。筆を置いてください」

 方々で悩む声がやみ、腕を伸ばしたり背を伸ばす姿が見られる。

「今から答えあわせを始めます。それでは第一問目から――」

 皆の元には奇襲を受けた翌日にでも“第二前線にいた忍は全員死亡した”と報告されていることだろう。勿論その中にはサクラの名前もあるはずだ。

 “春野サクラ”はあの夜死んだのだ。
 おびただしい量の血潮が流れる、あの地獄のような惨状の中で。

 だから、もうこの世に“木の葉隠のサクラ”はどこにもいない。

「七問以上正解した方は合格です。それ以外の方は次の講義が終わり次第追加課題を出しますので、必ず明日の講義に提出してください。それではこの授業を終わります」

 一つの講義の所要時間は九十分。集めた用紙を纏めながら説明を終えれば、丁度授業終了の鐘が鳴った。

「見事な時間配分だな」

 ずっと見張りつつも授業に耳を傾けていたらしい。出入り口付近に設置していた椅子に腰かけていたテマリがふんと不敵に口の端を上げる。それに対しサクラは曖昧に微笑み、集めた答案用紙と資料を纏めるためデスクの上に視線を落とした。
 敵の忍にどれだけ褒められようとこれっぽっちも嬉しくない。

 噛みすぎてかさついた唇を更に噛み締め、痛む胸も、腹の底で渦巻くドロドロとした感情にも蓋をする。
 砂塵が舞う中での講義は、ただただ悲しく、虚しい気持ちになるだけだった。