長編U
- ナノ -

事件 -05-





「むぅ。ワシがすこーし木の葉を離れとる間にそのようなことがあったとは」
「ええ。外交問題としても、木の葉内部のこととしても、早急に対策を練る必要があります」

 火影邸の執務室とはまた別の、小さな会議室にて火影であるミナトと相談役でもある自来也は膝を突き合わせていた。
 時刻は既に夜七時を回っている。里外に出ていた自来也を呼び戻しに使いをやったのが昼過ぎ。その間に事態の後処理をし、出来る限りの箝口令を敷き、子供たちの心のケアに時間を当てた結果散々な一日となってしまった。
 本来であればアカデミーの視察後、昼食会を経て砂隠一行は木の葉を去る予定だったが、このような事件が起きた後だ。笑顔で見送れるわけがない。急遽もう一泊してもらうことになり、ミナトは痛む頭を押さえるように額に手を当てた。

「それに、今回の件についてサクラからも証言が来ています」
「何? サクラから?」
「はい。実は――」

 あの後、木の葉丸達を連れたサクラはミナト達と共に一度火影邸へと集まった。その際に各々が報告書なり書状なりをしたためる中、サクラも己の中で引っかかっている部分を明記し、提出していた。

「ふむ。成程。亡くなったキザシの友人らしき人物がいたと」
「はい。キザシさんはサクラが幼い頃、戦場で亡くなりました。当時の資料がこちらです」

 サクラの父親、春野キザシが参加した戦地の生き残りは数名おり、その者たちが提出した書類をミナトは差し出す。これを探すのにも時間が掛かったため、本日ミナトは帰宅せず火影邸に残っていた。
 とはいえこうして火影邸に遅くまで残ることは多々あるため、幼い頃ならともかく、今のナルトが駄々を捏ねることはない。だからこそミナトは安心して仕事に打ち込める。
 だがもしサクラの証言が真だった場合、反対派と争うということはすなわち『内戦』となる。ようやく木の葉は回復しつつあるのだ。これ以上争うわけにはいかない。どうにかして穏便に納めなければいけなかった。

「だが顔を見たわけではないから、あくまでも憶測に過ぎないと」
「はい。ですがサクラの記憶力は相当なものです。信憑性は高いかと」

 サクラの記憶力はシカマルより劣るとはいえ、同年代の中では抜きんでている。それにようやく木の葉に戻ってこられたサクラが再び里を乱すような発言をするとは思えない。
 自来也を真っすぐ見つめるミナトに、自来也も「ふむ」と顎に手を当てて思案する。

「そうだのぉ。サクラの発言に裏はないだろうの。ワシはお前ほどサクラという少女の事は知らんが、綱手の弟子が愚か者のはずがない。信じてもいいだろうの」
「ありがとうございます。一応サクラの証言を元に身元確認を急ぐよう指示は出しています。ただ――」
「ただ、何だ」

 珍しく言い淀むミナトに先を促せば、いつも柔和な表情を浮かべることの多いミナトは眉間に深い皺を寄せ、視線を下げる。

「捕らえた二名の忍は遺体の損傷が激しく、あまり期待が出来ない、と……」
「そうか……」

 幾らサクラや綱手がいるとはいえ、完全に皮膚が溶け、細胞が壊れた死体を癒すなど不可能だ。仏の身になればチャクラは流れず、細胞も活動を停止する。出来ることは皮膚を溶かしたものが酸か毒か判断することだけだ。
 もう一方の、サソリが回収した焼死体も同じだ。炭のように焼けた上半身も、損傷が酷い頭蓋骨も修復出来ない。捜査は難航するだろう。

「ですが、シカクがあの場にいてくれて助かりました」
「ああ。そういえばそうだったの。奴は今何をしておるのだ?」
「はい。今は解析班とは別に個人データを洗っています。そこから見覚えのある人物や同盟反対派の人間などをリストアップするとのことです」
「そうか。アヤツが直接その目で見ておるというのは大きいの。それはシカクに任せてよかろう」
「はい」

 頷き合うミナトと自来也だが、一方でサソリとバキも風影に速報を飛ばした後話し合いの場を設けていた。

「まさかこんなことになるとはな」
「まあ、一筋縄ではいかねえだろうとは思っていたが、初っ端からやってくれるぜ。おかげで日程狂いまくりじゃねえか」
「そうだな……。せめてもう少し、親睦会を重ね、我々が油断した頃を狙ってくるかと思っていたのだが……」

 反対派が取る行動は大きく二つに分かれている。一つが今回のように初っ端から事件を起こすタイプと、ある程度基盤が固まり、双方の気が緩んだことで大きな事件を起こすタイプだ。今回は前者であったが、選ばれた場所が場所であった。
 アカデミーは木の葉の幼き忍の卵が揃っている。そこを襲撃したとなれば同盟反対派に属していない人物であっても『またこのようなことがあれば……』と不安を抱くことになる。それが巡り巡って『同盟破棄』に繋がればまた木の葉と砂隠は争う関係に逆戻りだ。
 何としてもそれだけは避けねばならない。
 バキは風影から直接命令を受けてはいるが、サソリは単にこれ以上里を痩せ細らせ、傀儡造りに支障を来したくないだけである。とはいえ理由は何であれ帰結する先は同じ。
 サソリは改めてバキに小声で先の爆発について説明する。

「これはまだ未確定事項だから風影にも報告しちゃいねえが、もしかしたらうちの関係者も一枚噛んでるかもしれねえ」
「何?」
「昔あっただろ。口減らしのためにガキに爆弾埋め込んで特攻させたことが。あれと同じようなやり口だった。となれば、被害を被った火の国の軍人よりうちの忍共の方が詳しいはずだろ」

 サソリの言にバキの目が丸くなる。バキとて忘れたわけではない。あの衝撃的な作戦、もとい案は忍たちに知らされていなかったのだ。軍人の――それもごく一部の、発案者の息が掛かった者だけが詳細を知っていた。
 増え続ける孤児を一ヶ所に集めては体内に爆弾を埋め込み、文字通り“見殺し”にした。
 あの時散って逝った命を、バキも決して穏やかとは言えない気持ちで見ていたものだ。

「だが、同盟反対派がうちの者と手を組むか?」
「さあな。だが一時的に手を組む――知識を利用し、最後は殺せばいい。と双方考えている可能性もある。結局のところ同盟が破棄されりゃあいいわけだからな。一時の感情も押し殺しきれねえようじゃあ、忍としては三流どころか四流だ。その点はお互い弁えてんだろうよ」
「うむ……。それもそうだな。まずは戦地から戻って来た者の中に怪しい奴がいないかを探すか」
「ああ。俺は抜け忍の方を洗う。未だに入院している奴らは直接関係してはいねえだろうが、親族の類が噛んでいる可能性もある。慎重にやれよ」
「分かっている」

 大人たちがそれぞれ話し合う中、我愛羅を含めた子供たちはと言うと――。

「ったく、散々な視察になっちまったね」
「全くじゃん。幾ら何でも堪え性がないっつーか、性急すぎっつーか。そんなに同盟を反対する必要あるか? って感じじゃん」
「そりゃあお互い殺し合った仲だけど、命令だったんだ。大人なら割り切って考えろっつーんだよ。なあ、我愛羅」
「ん? ああ……」

 旅館で出された夕食を愚痴交じりに平らげている最中であった。本来ならばこの時間、砂隠に戻る道中であったはずだ。明日になれば解消されるかどうかも定かでない中、我愛羅はぼんやりと開け放った窓から外を見つめる。

「つか、我愛羅本当に食わねえのか? 毒なんて入ってないじゃん?」

 ようやく家族が作った食事を食べられるようになった我愛羅である。勿論昨日の昼食会でも箸をつけはしたが、未だに積極的に他人が作ったものを口にしようとはしない。旅館であってもそれは変わらない――というわけではなく、単に昼間の出来事で頭がいっぱいで食欲がなかっただけだった。

「必要ない。お前たちが食え」
「ふぅーん? まあ木の葉の飯は美味いから代わりに食うのはいいんだけどよ……」
「あとでお腹空いても知らないよ? 夜食を作ってあげられないからね?」
「構わん。腹は減っていない。そもそも、例え腹が減っていたとしても空腹に耐えられない忍がいてどうする」

 あらゆる訓練を受けているのが忍という生き物だ。どこか呆れた顔にも見える我愛羅からの苦言に対し、二人も「それもそうか」と頷き箸を進めた。

「ん〜! これ美味いな! カンクロウ、食ってみろ!」
「おおっ、ってほうれん草じゃねえか!」
「あはははっ!」

 ワーワーと騒ぐ二人は血の海に沈んだ死体を見ていない。そしてサソリが回収した焼死体も、直接目にはしていなくとも砂から伝わる感触である程度分かるものがある。
 瞼を閉じれば蘇る、戦地での記憶。あまりにも生々しく、あまりにも悲惨だった子供たちの末路。
 それらに溜息を零したところで、我愛羅は久しぶりに深層世界に引きずりこまれていた。

「おい我愛羅ァ。お前何をグダグダと悩んでんだ?」
「守鶴か……」

 いつものように長い尾の先を地面に数度叩きつけながら、守鶴は己を見上げて来る小さな友人に首を傾ける。
 守鶴は尾獣だ。尾獣に人の心は分からない。勿論ある程度の『感情』は理解するが、我愛羅が苦悩する気持ちはあまり理解出来ていなかった。

「お前は、俺の中から見ていただろうか。かつて、戦場で子供たちが望まぬ“特攻”をさせられたことを」
「あ? あ〜……。そういやお前が珍しく自分からブチ切れて単独行動に出たことがちょっと前にあったな。アレか?」
「ああ。それだ」

 今から遡ると五、六年ほど前だろうか。国も里も少しずつ、あらゆるものが右肩下がりになり始めた頃だ。そして我愛羅の『もう誰も殺したくない』と気持ちが決定的になった出来事でもある。

「当時、俺はお前が“尾獣”と呼ばれる存在だと知り、自我が一度崩壊した後だった」

 精神的に崩れても我愛羅は“兵器”として戦場に立たねばならない。当時は剣呑な雰囲気ではなく、まるで死人のような空気を纏う我愛羅にテマリもカンクロウも別の意味で恐れを抱いていた。
 今でこそ『無理もない話だ』と思うが、当時はただただ、我愛羅の心は死んでいた。

「そんな時、年端もいかないやせ細った子供たちが戦場に放り込まれた。体の中に重すぎる爆弾を抱え込んで、な」

 出自も年齢も性別も関係ない。戦争孤児となった子供たちを甘い言葉で集め、その腹を捌き、大人たちは爆弾を埋め込んだ。そうして戦地に連行し、泣きじゃくる子供達の背中を蹴り飛ばして敵陣に放り込んだのだ。
 ……その後のことは、あまり思い出したくない記憶となっている。

「…………俺ァこの目で見たわけじゃねえけどよ。ガキ共の叫び声とお前の声が似てんな。とは思ったな」

 守鶴にとって子供の悲鳴とは、我愛羅の心が砕けた時の声とよく似ていた。だからこそ覚えていたのかもしれない。守鶴にとって出られない外の話など覚えていても意味のないことだからだ。だから大半の出来事は忘れているのだが、この出来事だけは記憶の片隅に引っかかっていた。
 それほどまでに自我が崩壊し、前後不覚になるほど狂った我愛羅の叫び声と、死地にやられた子供たちの悲鳴はよく似ていた。

「そうか……。だが、そうなのだろうな。俺も、あの死んだ子供達も、何も変わらない」

 母を喪い、愛を得られぬまま死地に追いやられ、この身一つで戦い抜いてきた。我愛羅が今でも生きていられるのはひとえに母の愛があったからこそだが、彼らにそれはなかった。忍ではない、普通の、何も知らない、力のない子供たちだったのだから無理もない。

「当時の俺の目には、あの子供たちが昔の自分に見えた。だから、余計に堪えたのだろう」

 右も左も分からぬ子供時代。何も分からぬまま他人に疎まれ、家族にさえ突き放された。愛されたかった子供は誰にも愛されぬまま、己だけを愛して生きて来た。それでも――本当は、いつだって、誰かに愛されたくてしょうがなかった。
 人形を抱きしめ泣きじゃくる自分と、泣きながら戦場を走らされた子供たちの姿が苦しい程に重なって見えた。

「もし今回の件に当時の関係者が一枚噛んでいるのだとしたら、俺は、見過ごす事が出来ない」

 元よりあの非道な行いを課した議員を脅し、止めさせたのは我愛羅だ。国の上層部に位置するポストにいたため命までは奪わなかったが、かなりギリギリなやり方だったことは覚えている。それこそ今では牢獄の中にいるが、もしあの議員と知り合い――ないし顔見知りが今尚どこかにいるのだとしたら――もし、親族が残っていたのならば。我愛羅はこの手で事態を収束させなければいけないと考えていた。

「ああ? 何でお前が出なきゃいけねえんだよ」

 だが守鶴には何故我愛羅が動かねばならないのか理解出来ないらしい。首を傾ける大きな友人に、我愛羅は苦々しく口元を歪める。

「俺が撒いた種だ。あの時、惜しむことなく徹底的に排除していればよかったんだ。一族郎党――それこそ子供や親族の類まで。徹底的に調べ上げ、あのふざけた“特攻”内容について書き記された書類も何もかも、消し去らなければならなかった」

 そうすれば今回の件に繋がらなかったかもしれない。あの時殺すことを惜しんでさえいなければ、書類を複製含めて全て持ち帰り、焼き払ってさえいれば。今日の事件に繋がらなかったのかもしれない。
 そう告げる我愛羅に、守鶴は「はあ?」と素っ頓狂な声を上げる。

「何でお前がそこまで面倒見なきゃならねぇんだよ。こういうのは“風影”を含めた上の仕事だろうが」
「だが――」
「だがじゃねえ。いいか、我愛羅。お前は確かに手ぬるい方法でその“特攻”をやめさせたかもしれねえ。俺様なら全部壊して終いだったが、お前はそうしなかった。それが巡り巡って自分に帰ってきたとでも思ってんだろ」
「あ、ああ。その通りだ」

 改めて情報を噛み砕き、自分にも言い聞かせるようにして言葉にしていく守鶴に頷き返せば、途端に守鶴は呆れたように大きなため息を零す。

「おっまえなー、事あるごとにそう言って毎回毎回全部の責任を一人で背負うつもりか?」
「だが、お前の言う通り俺があの時しっかりしていれば――」
「終わったことをグダグダ言うんじゃねえよ、この甘ちゃんめ。つーか悪いのはお前じゃなくて爆弾仕込んだ奴だろうが。何でお前が『悪いことしたな』って反省してんだよ。バカか?」

 守鶴の言葉に我愛羅は驚いたように目を丸くし――守鶴は再び溜息を零す。

「お前さァ、本ッッッ当どうしようもねえ奴だから人生の先輩として助言してやるけどよォ。その“特攻”もお前が発案したわけじゃねえんだろ? お前は潰した側だろ?」
「あ、ああ」
「じゃあテメエが負う責任は“当時取りこぼしたこと”に関してだけだ。今回の件は同一人物が噛んでねえ限りお前に責任はねえ」

 守鶴はバシバシと不機嫌そうに尾で地面を数度叩くと、足元に溜まっていた砂を動かし、我愛羅の足元を掬う。

「うわっ」
「なぁ、我愛羅。お前ェはアホみてえに責任を感じてるみてえだが、お前が直接反乱を起こしたわけじゃねえ。命令したわけでも、当事者の腹に爆弾仕込んだわけでもねえ。なら『責任を取る』のはお門違いってもんだ」

 守鶴は尻餅をついた我愛羅を砂に乗せ、改めて自分と視界が合うように浮き上がらせる。対する我愛羅も、人とは異なる十字紋が入った黄色い瞳を呆然と見返した。

「だが、それでも、だ。お前がどうしても『自分がやらなきゃ後味が悪い』ってんなら、親父に言って自分の手で当事者ぶっ殺してこい」
「む、流石に殺したいわけでは……」
「あーあーあー、うるせえうるせえ! 気分の問題だ気分の! グダグダ言ってねえで動け、って言ってんだよ。俺様はよ」

 そこまで言うと守鶴はポイッ。と砂で持ち上げたばかりの我愛羅を地面へと落とす。当然無様に転がる我愛羅ではないので綺麗に着地をしたが、困惑する気持ちは隠せなかった。

「つまり、何が言いたいんだ、お前は」
「カーッ! 相変わらず察しの悪ぃガキだなお前は!! 先が思いやられるぜ!!」

 バシバシと今度は強めに尾が地面を叩き、砂埃が濛々と立ち昇る。だが我愛羅の目は背けられることなく守鶴へと向いていた。

「しょうがねえから分かりやすく言ってやるか。“気に入らねえならその手でぶっ潰してこい”ってことだよ」
「ああ……。まったく、お前は存外回りくどい奴だよな」
「うるせえ。スッキリしたならさっさと帰りやがれ」
「自分から呼んだくせに勝手なやつだ」

 結局のところ守鶴は『我愛羅のせいではないから責任を負う必要はない』『それでも気に入らないならその手で蹴りをつけろ』と、ただそれだけを言いたかったらしい。
 回りくどい友人の発言に今度こそ我愛羅が苦笑いすれば、守鶴は「フン」と再度尾を地面に叩きつける。

「――ありがとう。守鶴。少し、気が楽になった」
「ケッ、そーかよ。じゃあさっさとクソして寝な」
「ああ。またな」

 確かに我愛羅があの時、全ての書類を燃やしていればこうはならなかったのかもしれない。だが過ぎ去った過去は戻ることはなく、また我愛羅自身過去に戻ってやり直すことも出来ない。
 出来ることはただ一つ。今尚ふざけた方法で命を弄ぶ輩を『ぶん殴る』だけだ。それが、政治について知らない我愛羅が出来る唯一の『尻拭い』の方法なのだから。

「その時は頼んだぞ、守鶴」
「はあ? テメエ一人でやれや」
「つれないことを言うな。友達だろう」
「うーるせえ。このクソ鈍感お坊ちゃまくんが。そんなんじゃ雌の一匹も捕まらねえぞ」
「今それ関係あるか?」

 軽口を叩く二人ではあるが、すぐさま我愛羅の意識が守鶴の元から強制的に戻される。どうやら守鶴から『面会強制終了』されたらしい。苦笑いする我愛羅に、守鶴は不機嫌そうに再度尾を振るだけだった。

「我愛羅。おい、我愛羅? 大丈夫か?」
「寝るなら布団敷くからそっちで寝て欲しいじゃん」

 ゆさゆさと肩を揺さぶられる感覚に閉じていた瞼を開ければ、食事の途中なのだろう。箸を置いた二人が揃って我愛羅の顔を覗き込んでいる。その、以前にはない心配の色を見つけ、我愛羅はふと微笑んだ。

「……いや。やっぱり腹が減った。俺も食う」
「げえ! 俺お前の分まで食っちまったじゃん!」
「少しは残ってるけど……大して腹に溜まる量じゃないよ?」
「構わん。箸を寄こせ」

 守鶴と話したおかげだろう。先程よりも随分と落ち着いた気持ちで箸を受け取った我愛羅は、早速カンクロウが残していたほうれん草のおひたしに手を伸ばすのだった。


 ◇ ◇ ◇


 そして父親を通して知り合った知人を襲撃犯の中に見たサクラはというと――。

「……お母さん、どうして……」

 任務から戻って来たと思っていた母の背後に立っていたのは、本日アカデミーを強襲してきたうちの一人だった。その顔には襲撃時とは異なったお面がつけられてはいるが、背格好は騙せるものではない。
 知らず首を振るサクラに対し、母メブキは昏い瞳をサクラへと向ける。

「仕方ないのよ。火影様が今更『同盟を結ぶ』なんて言い出したんだから……」
「お母さん! 私が戻ってこられたのはその『同盟』のおかげなのよ?!」

 サクラを木の葉に帰すため、戦争終結のために我愛羅は里を裏切り、大蛇丸率いるクーデター軍に属した。そのうえ風影には嘆願書まで提出し、ミナトにも自来也にも「サクラと木の葉丸たちを頼みます」と頭を下げていたのだ。
 だからこそ里に、家に、母の元に帰ってこられたのだと主張するが、メブキは首を振ってそれをはねのける。

「そもそもアンタを攫ったのはその『砂隠』でしょ? 自作自演もいいところじゃない」
「どうしてそんなこと言うのよ! お母さんも忍なんだから分かるでしょ? 上からの命令には逆らえないって!」

 それさえなければ我愛羅は数多の人間を殺さずに済んだ。サクラも、目の前で年端もいかない少女を喪わずに済んだかもしれない。そもそもの発端は戦争であり、我愛羅ではない。
 そう主張するが、メブキはやはり聞き入れることはなかった。

「一緒に来なさい。サクラ。私たちの十年を水の泡にするわけにはいかないわ」
「ええ。そうね。ようやく掴み取った平和を、また乱すわけにはいかないわ」

 とはいえ実の母親相手に拳を握れるほどサクラは経験豊富ではない。
 ――そう考えているのだろう。だからこそ母親の背後に立つ男は身動きせず、サクラ達のやり取りをじっと見つめている。

 だがサクラは母親を糾弾しているように見せて、その実背後に立つ男を観察し続けていた。

(瞳孔の具合から見てお母さんは正気じゃない。薬か幻術かで意識を乗っ取られているか操られているんだわ。話し方もいつもと違う。声の張り方が違うことぐらい娘なんだから分かるに決まってるでしょ。あんまり“春野サクラ”を舐めないで欲しいわね)

 確かに戦場に立つことは少なかったサクラではあるが、その分病院で嫌と言うほどに見てきた。野外病院で実際に手当てしてきた。あらゆる術で傷つき、時には操られ錯乱する兵を、忍を、この目で見続けてきたのだ。その経験は決してバカに出来るものではない。
 伊達に十年争っていないのだ。サクラとて年齢にそぐわぬ場数を既に踏んでいる。

「お母さん。今すぐ自首して。そうすれば罪は軽くなるわ」
「いいえ。そんなこと出来ないわ。お父さんと、あんたを奪われた苦しみを、倍にして返すまでは……」

 かさついた唇から経のように感情が籠っていない声が零れ出る。そして男の手が軽く動いたと同時に、メブキはサクラに向かって突撃してきた。

「サクラ。お母さんと一緒にいきましょう」
「絶対に、死んでもイヤ!!」

 戦場に立った回数は少なくとも、サクラの周りにいた者たちは常に『強敵』だった。砂を操る我愛羅も、父親譲りのセンスとド根性で乗り切るナルトも、火遁と写輪眼を操るサスケも。そして――そんな同世代の男たちよりもずっと恐ろしく正確にチャクラを操る、あの男も。

「人のお母さんを勝手に“傀儡”扱いすんじゃないわよ!! しゃーんなろーーー!!!」

 母親の体に纏わりつくチャクラの糸を、サクラは母親の体に手の平を当て、自身のチャクラを流し込み相殺することで断裁する。まさかそんなことをするとは思わなかったのだろう。仮面の男が一歩後退るが、それよりも早くサクラは拳をその仮面に向かって振り抜いていた。

「傀儡部隊隊長、赤砂のサソリの部下を甘く見るんじゃないわよ!!」

 日頃病院に詰めていたサクラではあるが、全ての時間を医療と製薬に費やしていたわけではない。時にはサソリに「ちょっと相手になれ」と言われ、無理やり傀儡戦に持ち込まれたことなどごまんとあるのだ。
 その時サソリから「実は傀儡を操るチャクラ糸は相殺できる」と裏技のような話を聞いており、チャクラコントロールが得意なサクラはそれを習っていた。

『まあこのやり方は裏技っつーよりも外法だがな。傀儡演者にとっては最低っつーか、“この野郎! ぶち殺してやる!”って思われるから、あんまりすんなよ』
『じゃあ何で教えたんですか……』
『お前がやると面白そうだから』

 そんなくだらないやり取りであったとはいえ、サクラは何度もサソリ相手に練習をさせられたのだ。しかも結構な頻度で。あれは単なる遊びだったのか、それとも何らかの意図があっての訓練だったのか。
 サクラには分からないが、あの時の経験がこんなところで生かされるとは思ってもみなかった。

 母を抱きかかえたサクラは外に吹っ飛んだ敵から距離を取るように家を飛び出し、屋根の上へと身を潜める。

(でも周囲が暗くて顔がはっきり見えない……)

 サクラの家の前には男がつけていたお面の欠片が落ちてはいるが、血痕はない。このまま待機するか、直接対峙し、サクラ一人で相手をするか――。
 考えながらも目を凝らすが、倒壊した塀の中から男が出てくることはなかった。

「…………逃げられた?」

 呟くサクラはすかさず周囲を――それこそ空中や地面、あらゆる方向に視線を巡らせるが、男の姿どこか気配すらなかった。
 ――完全に逃げられた。
 そう思いはするが、それ以上に安堵する気持ちの方が強かった。

(はあ……。でもまだ終わったわけじゃないわ。お母さんをどうにかしないと)

 意識はないが呼吸はしている。顔色も、周囲が暗いためハッキリとはしないが、脈拍も正常で熱も高くはない。だが何が起きるか分からない以上呑気に寝かせている場合でもない。
 サクラはすぐさま母親を背負うと、綱手の自宅まで走り出す。だがこの時間綱手が素直に自宅にいるかどうかは賭けでしかない。

(待っててお母さん。絶対に助けるからね……!)

 サクラはたった一人残された肉親を背負いながら、先の見えない人生の如く暗い夜道を駆けるのだった。




続く