長編U
- ナノ -

事件 -03-




 我愛羅が一人眠れぬ夜を過ごす中、サクラも無事辿り着いた自室にて貰った外套と襟巻をじっと眺めていた。

(嬉しいけど、お母さんに見つかったら不味いわよね。何言われるか分かんないし、もし捨てられでもしたら……)

 外套はともかくとして、襟巻は木の葉では見られない素材で織られている。決して派手ではないが、一目で他国のものだと分かる代物だ。砂隠ならば目立ちはしないだろうが、木の葉では目を惹くに違いない。未だ同盟に反対する人がいる中、外国産の衣服を纏うのはリスクが高かった。
 別にサクラだけが非難されるのであれば問題ない。これでも砂隠では中々にハードな環境に置かれていた身だ。多少の陰口ならばスルー出来るようになっている。
 だがもし同盟反対派の母親がこれを見つけたとしたら。捨てられる可能性は十分にある。

「はあ……。折角貰ったのになぁ」

 外套の襟と裾に刺された見目鮮やかな刺繍を見ながらため息を一つ零す。そしてこれを羽織った時に言われた一言を思い出し、思わず赤面した。

「いやいや、アレは小説の中でそういうキャラが出てきただけだって言ってたし。別に私がそうと言われたわけじゃないし」

 滑らかな翡翠色の瞳は穏やかにサクラを見つめていた。その唇から零れる言葉の数々は思いやりに溢れており、かつての残酷さも冷酷さも感じられない。きっと今の我愛羅であれば受け入れてくれる人は多いはずだ。
 だが――。

(あまりにも、あまりにも長かったわ。彼が戦争に身を置いた時間は。あの戦争さえなければ、戦地で名を馳せさえしなければ、彼はもっと“普通の子供”でいられたかもしれないのに――)

 砂隠でさえ我愛羅の周りに人はいなかった。今でこそ姉兄に加えサソリやバキもいるが、幼い頃からずっと一人で生きて来た男の居場所は戦場にしかなかった。
 戦場で育まれる思いなど『憎しみ』以外にない。怨み、辛み。そんなものが積み重なればどうなるか。今日は過激な反対派の人物は皆出払っているから何事もなく視察は終わるだろう。
 だが今後も同じ手は使えない。いや。使い続けてはいけないのだ。それでは真の意味での『同盟』にはならないのだから。
 これについて考えなければいけないのは主にミナトと羅砂の長たちだが、サクラとて何もしないわけにはいかない。まずは己の母親から――。でなければ、サクラは堂々と胸を張って砂隠に訪れることは出来そうになかった。

「……負けないんだから」

 ギュッと、我愛羅から貰った、女医の妹の持ち物であったラピスラズリの宝石を握り締める。
 ラピスラズリは“幸運”と共に試練を運んでくる石であり、持ち主と共に育つ石である。
 サクラは祈るように組んだ手の中に宝石を収め、それから我愛羅に貰った外套と襟巻をクローゼットの中に隠したのだった。


 ◇ ◇ ◇


 そして迎えた翌日。本日はアカデミーの見学ということで、シカマルの代わりに奈良シカクと火影のミナトが同伴することになっていた。
 とはいえ二人共日頃アカデミーに在籍している教師ではない。そのため学校内を案内するのはナルトの恩師でもある『うみのイルカ』であった。

「はじめまして。この度は遠路はるばるお越し頂きありがとうございます」
「こちらこそ。貴重なお時間を頂き申し訳ない」

 頭を下げるイルカに対し、バキが友好的に挨拶を返す。対するサソリはしっかりと休息を取ったからだろう。昨日よりはマシな顔色で――態度は相変わらずではあるが、「よろしくぅ」と片手を上げた。

「火影様たちも、本日はよろしくお願いします」
「こちらこそ。よろしく頼むよ」
「おう。俺もアカデミーの見学なんて滅多にしねえからな。いっちょ頼むぜ、先生」
「はい!」

 ナルトもシカマルもかつての教え子とはいえ、彼らの父親は互いに有名人だ。方や火影、方や木の葉のブレイン。公務でなければ存外気さくな二人も今日は砂隠からの客人を連れている。普段と同じ態度で接することは出来ない。
 それが分かっているからこそ背を正すイルカに、同席していたサクラは敢えて明るい声で質問をした。

「先生ー! 今日はどこを案内してくれるんですか?」
「あ、ああ。まずは普段どういった授業をしているかお見せいたします。その後校庭で行われている演習も見学していただけたらと考えております」
「ん! ではそうしよう」
「アカデミーの授業かぁ。そういやうちのボンクラからその手の話はあまり聞かなかったな。たまには本腰入れて視察してみるか」

 顎を撫で擦るシカクの台詞を皮切りに、イルカは苦笑いしながら教室へと案内する。
 当然だが学年ごとによって学ぶ内容は違う。幼少期には忍としてではなく、人として覚えるべき最低限の知識を。それから学年が上がるごとに忍としての基礎知識、忍具の種類やチャクラについてなどを学び、更に学年が上がって実演習が入る。
 とはいえ一日じっくりと時間をかけて授業を視察するわけではない。各学年の授業を十分から二十分程度視察する予定だ。

 これには時間日程の問題についてだけではなく、木の葉の授業内容を砂隠に全て見せないよう配慮されてのことだ。幾ら同盟を組んだとはいえ、十年もの間争っていた関係だ。突然良好になるわけではない。
 例え里のトップが硬い握手を交わしたとしても、巨大な組織である以上必ずしも一枚岩とは言えないのだ。そのため『どのような体制で授業をしているか』だけでも開示し、少しでも好印象を与える必要があった。
 だからこそ案内役にイルカが選ばれたともいえる。
 彼はアカデミーに在籍する教師の中でもとりわけ柔軟性に富み、おおらかだ。そのうえ礼節も弁えており、私怨を交えることがない。ミナトとシカクと顔見知りで互いの手の内を知っていることも大きい。いざという時に連携がとりやすいこともあり、イルカ以上の適任はいなかった。

 そんな様々な理由で抜擢されたイルカではあるが、内心では胃が痛い思いをしていた。
 何せサクラがいるとはいえ、十年もの間争ってきた相手――しかも大人であれば名前を知らぬ者はいない程の有名人ばかりここに集っているのだ。流石にサソリやカンクロウといった傀儡部隊の顔は戦場に立つ人間にしか顔写真は知れ渡っていないが、我愛羅はアカデミー教師の間でも有名な“殺戮者”である。
 子供たちに何もなければいいが……。と不安視しつつ一つずつ教室を回り、ついに校庭兼演習場に来た時だった。既にチャクラを練る練習をしていた生徒の一人がイルカたちを見つけて「あー!」と声を上げる。

「我愛羅兄ちゃんだー! 久しぶりだぞ、コレ!」
「猿飛木の葉丸か。久しいな。元気だったか?」

 授業を請け負っていた教師の止める声も聞かず、木の葉丸は一直線に我愛羅へ向かって駆け寄ってくる。だがそれに驚いたのは二人の関係について知らない大人数名のみで、我愛羅は木の葉丸と視線を合わせるようにして片膝を地面につくと笑みを浮かべた。

「我愛羅さーん!」
「お久しぶりでーす!」

 そして木の葉丸の後ろからはモエギとウドンも続き、二人にも我愛羅は穏やかな笑みを向ける。

「久しぶりだな。皆元気にしていたか?」
「おう! めちゃめちゃ元気だぞ、コレ!」
「はい! 我愛羅さんもお元気でしたか?」
「僕も元気だったよ」
「そうか。それはよかった。俺も元気にやっている」

 普段自分がされているからだろう。木の葉丸たちにためらうことなく伸ばされた手は、追いかけて来た教師が息を呑む間もなく子供たちの頭に置かれ、そのままクシャクシャと髪を乱すように軽く撫でた後離される。
 自分たちが知る“殺戮兵器”からはおおよそイメージのつかない行動に教師陣は目を丸くし、ミナトとサクラは我愛羅の対応に自然と笑みを浮かべる。特にミナトは周囲に花でも咲かせそうなほど嬉しそうな笑みを浮かべており、シカクから「だらしねえ顔すんな」と小突かれていた。
 そんな大人たちなど目もくれず、というより視界に入っていないのだろう。木の葉丸は元気に我愛羅に話しかける。

「そういや我愛羅兄ちゃんたちは何でアカデミーにいるんだぞ、コレ」
「テマリお姉さんとカンクロウお兄さんも一緒だから、お仕事ですか?」

 木の葉丸に続いて首を傾けるモエギに、我愛羅の傍にいたサクラが代わりに答えてやる。

「今日は砂隠の人たちに、木の葉丸たちがどんな授業を受けているか説明しに来たのよ」
「え! じゃあやっと俺たちの活躍を我愛羅兄ちゃんたちに見せられるんだな、コレ!」
「私たち、あの時よりずっとチャクラの扱いが上手くなったんですよ!」
「僕も、まだ木の葉丸くんみたいにはできないけど……。でも、我愛羅さんに教えてもらったから、少しはうまくなれたよ」

 ぽかんと、状況についていけず口を開けたままになっているのは実演習を請け負っていた教師だけでなく、イルカもだった。シカクとバキも内心では大なり小なり驚いているのだが、流石は上忍というところか。一切顔には出していない。
 ミナトは木の葉丸から直接我愛羅との関係を聞いていたため、あからさまに驚くことはなかった。だが公務でなければ纏めて子供たちを抱きしめていただろう。それほどまでに空気が緩んでいる。
 しかし一つ気になる発言があり、ミナトは我愛羅同様膝を折って子供たちに視線を合わせてから質問をした。

「ところで、今ウドンは『我愛羅くんに教えて貰った』と言っていたけど、何を教えて貰ったんだい?」
「あ、はい。えっと、僕たちが風の国の病院にいた時、うまくチャクラが練れない僕に、我愛羅さんがコツを教えてくれたんです」

 我愛羅も初めは砂を扱うのに苦労した身だ。何せチャクラ量が常人とは逸している。自身がもつチャクラに加え守鶴のチャクラがあり、更には自動で動く砂まであったのだ。これらを思い通りに動かすにはどれほどの練習が必要であったか。
 幼い頃の苦労がこんなところで役に立つとはな。としみじみと感じながらも三人にあれこれ教えていた我愛羅である。つまり三人にとって我愛羅は『敵里の“殺戮兵器”』ではなく『頼れるお兄ちゃん』という位置づけなのだ。
 だがサソリに関しては別らしく、木の葉丸はバキの背に隠れるようにして立っていたサソリを見つけると一気に眉尻を吊り上げた。

「あー!! お前はあの時の嫌な奴!」
「む! 木の葉丸くんを傷つけたお兄さん!」
「あわわわ……」

 ビシッ! と恐れずに指を指す木の葉丸に顔を歪めたのはサソリだけで、サクラはクスクスと笑い、我愛羅もしがみついてきたウドンの背を柔らかく叩いて安心させてやる。

「皆大丈夫よ。あのおじさん、もう敵じゃないから」
「おい。だぁーれーが、おじさんだ! お兄さんって言え、お兄さんって」

 渋面を作る元上司を一応フォローしてやったサクラではあるが、子供たちにとっては関係のない話である。すぐに木の葉丸が唇を尖らせながらプイっと顔を背ける。

「我愛羅兄ちゃんより年上なんだから、おじさんに決まってるんだぞ、コレ」
「そうだそうだー!」
「暴力反対ー」
「おい火影ェ! てめえんとこのガキ共は失礼の権化か!!」
「あははは!」
「笑ってんじゃねえ!」

 各々からの反撃を受けたサソリではあるが、流石に年端も行かない子供に大人げなく言い返すことは出来ない。代わりにミナトへと苦情を入れるが、そんなサソリにミナトは声を上げて笑うだけだ。更にはバキやテマリ、カンクロウまでつられるようにして笑い出す。
 そんな『敵対者』であった面々の気さくな姿を見せられたイルカたちは未だに唖然としていたが、すぐに木の葉丸が上げた声で我に返った。

「なあなあ、我愛羅兄ちゃん! また教えて欲しいんだぞ、コレ!」
「はい! はい! 私も! 前よりは上手になったんですけど、まだチャクラを一ヶ所にまとめたり、体中にまわすのがうまくできなくて……」
「僕も、木登りと水の上を歩けるようにはなったんだけど、他はうまくいかなくて……」
「そうか。ならば一度見てみよう」

 クーデター後、しばらくの間病院で昏々と眠り続けた我愛羅ではあるが、全く起きなかったわけではない。歩くことは出来ずとも口は動かせるし、上体をベッドに起き上がらせていたこともある。
 その時に砂を使ってチャクラの流れや体の一ヶ所に留める方法を分かりやすく教えていたため、子供達とは随分と打ち解けていたのだ。
 それを知っていたのは共に病院内で過ごしていたサクラとテマリ、カンクロウだけである。バキは諸々の処理が落ち着くとすぐさま風影に報告するため里に戻り、サソリも我愛羅が目覚め、容体が落ち着いたのを確認すると大蛇丸たちの元へと向かった。そのため病院内にいた時間は存外少ない。
 とはいえサソリは我愛羅を監視していた時期がある。そのため子供たちと打ち解けていたのは知っていた。だからこそ周囲の大人たちほど驚いてはいなかったし、むしろ『ガキはガキ同士仲良くしてろ』という気持ちが強い。

 だが我愛羅と木の葉丸たちとの関係を知らなかったバキとシカクは内心で非常に驚いており、我愛羅の手を引きながらあれこれと相談を投げかける子供たちの姿をどこか呆気にとられた様子で見送っていた。
 そしてサクラも、モエギに手を引かれ我愛羅たちと一緒に演習場の一画へと歩を進めている。その後ろ姿は年の離れた姉妹のようでもあり、ミナトは「可愛いなぁ」と益々格好を崩してはイルカに苦笑いされる。

「木の葉丸から直接話を聞いていたけど、本当に我愛羅くんと仲がいいんだねぇ」
「ミナト。お前知ってたのかよ」

 終始嬉しそうに笑って子供たちの後ろ姿を見つめるミナトにシカクが苦虫を噛み潰したような顔を向ければ、全く悪びれた様子もなく「勿論」と肯定する。それに呆れた顔をするのはシカクだけで、イルカは『あの木の葉丸が……』と驚いていた。
 そんな大人たちを他所に、テマリとカンクロウも我愛羅たちに続いて的を貼りつけた木偶人形の前に立っていた。

「おい、木の葉丸! あんた手裏剣ちゃんと的に当たるようになったんだろうね!」
「げ! テマリ姉ちゃん!」
「モエギとウドンも、前よりチャクラ練るのうまくなったじゃん」
「本当ですか?!」
「えへへ。ありがとうございます」

 サクラの指示に従い患者たちの面倒を見る一方、テマリとカンクロウも三人に色々と指導していた身である。特に手裏剣やクナイの扱いが滅法苦手だった木の葉丸をみっちりと扱いてやったテマリには苦手意識があるのだろう。木の葉丸は顔を青くし、すかさず我愛羅の背に隠れる。

「お、俺だってちゃんと出来るようになったんだぞ、コレ!」
「何だい。自信があるならもっと堂々と胸張って言いな。我愛羅の背に隠れるんじゃないよ」
「まあテマリは迫力あるから、仕方ないじゃん」
「何だとカンクロウ。今日はお前を的にしてやろうか」
「ホラ! そういうとこ! そういうとこじゃん!」
「まあまあ。皆さん落ち着いて」
「そうだな。では木の葉丸たちの成長を一つずつ見ていくとしようか」

 テマリとカンクロウを宥める役をサクラに任せ、我愛羅は早速的が貼られた木偶人形の前へと子供達を連れて行く。
 もう完全に授業が崩壊しているのだが、火影が止めない以上教師たちも見守るしかない。他の生徒たちもどうしていいか分からず教師の顔色を伺うが、始まった木の葉丸達への指導も気になるようで、すぐさまそちらに顔を向けていた。

「木偶人形の一部に当ててもカウントしないからね。しっかり、あの貼られた的に当てるんだよ」
「分かってるぞ、コレ!」
「よぉーし、いっくぞー!」
「てやー!」

 子供たちがそれぞれ手にした忍具――クナイや手裏剣を的に向かって投げていく。それらは少々可笑しな軌道を描きはしたが、無事木偶人形へと突き刺さった。貼り付けられた的には全く掠りもしていなかったが。

「ほお……?」
「あー!! 今のは、今のは練習だぞ、コレ!」
「あわわわ……」
「おかしいなぁ……」

 背後に炎を背負うテマリに木の葉丸は早速顔を青くさせたが、すぐさま我愛羅が木の葉丸の小さな手を後ろから掴む。

「木の葉丸。以前教えた癖がまだ治っていないな」
「へ? クセ?」
「ああ。以前伝えたと思うが、忍具というものはそれなりに重さがある。だが腕力のみで投げれば当たるというものではない」

 我愛羅はサクラが人形から取り外した忍具を受け取ると、木の葉丸に持たせて自身はその後ろに立つ。そうして視線を合わせるようにしゃがむと、その腕を取り、肩から二の腕、肘から手首にかけて指で指し示しながら動きを説明していく。

「まず制止した状態で的に当てるのに必要なのは、肩の力よりも肘から先、手首にかけての動きだ」
「手首?」
「そうだ。手首が曲がっていれば結局その方向に忍具は飛ぶ。特に意識はしていなくても手首が曲がっていれば検討違いの場所に飛んでしまう」

 我愛羅の指が一度的を指し示し、それからクナイを手にした木の葉丸の手首を掴む。そうして的と手首が一直線になる位置に持ってこさせると、その状態で動きを確認させるかのように数度スイングさせた。

「まずは肩の力を抜き、的と腕が一直線になるよう構える。片目は瞑らず、両目で捉えることが大事だ。それだけで軌道のブレは減る」

 頷く木の葉丸に続き、モエギとウドンも我愛羅の説明に耳を傾け、視線で確認しながら忍具を構える。それをサクラとテマリが後ろから同様にサポートしていく。

「そして肘から手首にかけての動きだが、投げ終わるまで手首は的と同じ方向を向いていなければならない。慣れればある程度無茶な体制でも投げられるようにはなるが、まだ練習不足だ。今は正しい姿勢で投げることを覚えろ。焦る必要はない」
「だから手首が大事なのか? コレ」
「そうだ。他にも指先の動き、特に爪が伸びているかどうかも時として問題にはなるが、軌道を変える一番の原因は手首にある。特にお前たちの体は忍具の重さにまだ慣れていないからな。変な方向に曲がる癖がつきやすい。だが繰り返し練習し、感覚を掴めば自ずと当たるようになる」

 力は歳を重ねる毎に自ずとついてくる。だが幼い頃についた癖というものは治そうと思ってもすぐにどうにかなるものではない。だから練習を重ね始めた今時期から正す必要があった。
 それを噛み砕いて教える我愛羅に、木の葉丸は数度頷いてから「じゃあさ」と質問を投げつける。

「爪が伸びてたら悪いのは何でなんだ? コレ」
「お前たちはまだ実感が湧かないとは思うが、実のところ爪が一ミリ伸びていただけでも戦闘に支障をきたすことがある」
「え?! たった一ミリなのにか?! コレ!」

 木の葉丸が驚くのは当然の話だ。何せ爪など放っておいたらすぐに伸びるもので、常に気に掛けるものではない。だが長年戦場に立ち、幾多の刃を絶えず全方向から向けられてきた我愛羅だからこそ分かるものがあった。

「戦場を長く生き残る猛者というものは、必ず武器の手入れを怠らないものだ。真新しい忍具では感覚がつかめないかもしれないが、長く自身が扱う武器――刀や薙刀などの長物、短刀や大剣など、その他の特殊形状の武器は持ち手が通常の武器とは異なる。各個人の手に合わせた作りになっていることが殆どだ」

 もしくはその柄に合わせて自身の手が変わる場合もある。皮膚の厚みが所によって違ったり、肉の盛り上がりが著しい箇所と凹んだ箇所が出来ることもある。そして自身の命を握っていると言っても過言ではない武器を扱う時に、爪は重要な要素となる。

「爪が伸びていれば自然と握りが変わってくるものだ。獲物を抜く時に爪が当たることは勿論、手の平に食い込んだ感触によっても人によっては気が取られ、匙加減が狂う。一流の戦士であればあるほど一瞬の隙は許されないものだ」

 木刀で手合わせするだけならまだしも、戦場に立てば命のやり取りだ。普段と握りが違う獲物に意識を取られるなど愚の骨頂。だから特殊な獲物を使う者ほど爪の手入れは欠かせないのだ。

「じゃあ逆に気にしてない奴は一流じゃないのか? コレ」
「一概には言えんが、気にしない奴はその程度か、常軌を逸しているかのどちらかだな。後者は特に厄介だから、遭遇した時は難戦になる」

 我愛羅自身特殊な獲物を使う方ではあるが、それは砂であって刃物ではない。時には手裏剣やクナイも使うが、やはり爪の手入れを欠かしたことはなかった。それは医療忍者であるサクラも、鉄扇を扱うテマリも、傀儡を扱うカンクロウも同じである。彼らは皆爪先まで『己の武器』だと認識しているからこそ、我愛羅の話に頷くだけであった。

「ふぅーん。授業じゃ聞いたことなかったぞ、コレ」
「勉強になりました」
「僕、今度から気を付けます……」

 自分たちの手をマジマジと見つめる三人と同じように、我愛羅の話をこっそりと聞いていた他の子供達も自分たちの爪先を見つめる。中には伸びていた子もいたのだろう。隣の子に突かれて恥ずかしそうに手を後ろに回していた。

「それでは改めて実践するとしよう。まず両足の間隔を拳一つ分ほど開け、利き足を一歩前に出す」
「えっと、利き足ってどっちだ? コレ」
「利き腕と同じ足だ。箸や筆を持つ方の手――お前たちは右足だな。そうすると自然と体は斜め四十五度の体制になる」
「右足を前に出して……」
「斜め四十五度……」

 頷く木の葉丸たちはすぐさま我愛羅の言葉に続いて体を動かしていく。その際モエギとウドンの姿勢が悪いことに気付いたのだろう。我愛羅は移動すると二人の背に人差し指を当て、トントンと軽く突く。

「ウドン。猫背が酷い。胸をはれ」
「え。えっと」
「モエギも肩が前に出過ぎている。もっと肩の力を抜いていい」
「え? え?」

 だがいざ投げる前に姿勢の指導が入り、二人は慌ててそれを正そうとする。だが無自覚なせいだろう。まごつく二人に、我愛羅は怒ることなく一つずつ丁寧に教えていく。

「そう焦らなくていい。まずはウドン。丹田に力を入れてみろ」
「たんでん?」
「へその少し下、下腹をへこませた時に一番力が入る場所だ。分かるか?」
「は、はいっ」
「そこに力を入れて見ろ。そうすると背が自ずとまっすぐ伸びる」
「あ! 本当だ!」
「おお! すごいぞ、コレ!」

 モエギと木の葉丸が感動の声を上げるように、猫背気味だったウドンの背が一瞬で矯正される。そのことに自分も気付いたのだろう。ウドンはキラキラとした瞳を我愛羅へと向けた。

「す、すごい……」
「ああ。今後も丹田を意識していれば姿勢も矯正されるし、チャクラの扱いも楽になる」
「チャクラも、ですか?」
「そうだよ。チャクラってのは人間のツボ、体中にある気功を通ってより強力に、より豊かになるんだ」

 我愛羅の言葉を補足するようにテマリが続け、更にサクラが細かな事情を教えていく。

「チャクラを一番溜めやすいのは、今我愛羅くんが教えてくれたように丹田にあるの。ここが一番大事な“気”が集まるところなのよ」
「前よりうまくなったとはいえ、お前たちはまだまだ練習しなきゃいけない身じゃん。姿勢を正すっていうのは見た目の問題だけじゃなく、チャクラの巡りにも関係するからちゃんと覚えて正しておくじゃん」
「は、はい!」

 大きく頷くウドンにサクラたちは笑みを浮かべ、次いでモエギへの指導へと移る。

「モエギは肩が前に出過ぎだな。力む気持ちも分かるが、今は積み重ねの時期だ。無理をすれば体を壊す。そうなると障害が残る可能性も出てくるから、まずは無駄な力を抜くところから始めるぞ」
「はい! よろしくお願いしますっ!」
「うん。ではまず深呼吸から始めよう。モエギはチャクラの巡りが前より分かるようになっていると言ったな。ではまず自身の体、頭のてっぺんから足先まで、チャクラの流れを感じながらゆっくりと息を吸い込み――吐く」
「すぅー……ふー……」

 目を閉じた方が分かりやすいのだろう。先程習ったばかりの丹田に手の平を当て、チャクラの巡りを感じようと体の内側を意識しながら呼吸を繰り返す。周囲や我愛羅が急かさないことも功を奏したのだろう。無意識に張っていた肩の力が次第に抜けていく。また木の葉丸達も同様に我愛羅の声に合わせて深呼吸を繰り返していた。

「よし。では次に一度肩甲骨――肩と肩を背中側で合わせるように、両肘を限界まで後ろに引いてみろ」
「肘を、ですか?」
「そうだ。勿論体を傷めない範囲に、息を止めず、少し痛いと思うところで止めていい」
「うぅ〜」
「んー!」

 三人が揃って肘を引けば、すぐさま両腕がプルプルと震えだす。だが『呼吸は止めないように』と言われていたため、息を詰めることはなかった。

「では脱力し、両肩の力を抜く」
「ぷはー」

 ダラン。と三人そろって一度脱力すれば、我愛羅が「これで肩の力は抜けたな」と笑みを浮かべた。

「え? あれ! 本当だ!」
「肩というのは無意識に力が溜まりやすい。そういう時は一度別の場所に集中させてから逃がしてやればいい」
「なるほど〜」
「勉強になりましたっ」

 子供たちが実践する遥か後方で大人たちも実践していたなど露知らず、我愛羅は改めてモエギの両肩に手を向き、的に向かって反転させる。

「では始めるぞ。両足を拳一つ分開き、利き足を一歩前に出して斜め四十五度の体制をとる」
「はい!」
「投げる獲物と視線、それから的が一直線になるよう、両目でしっかりと捉える。モエギ、ウドン。肩から肘にかけて無駄な力が入っている。そういう時は焦らず一度深呼吸をしろ」
「はいっ」

 再度指導が入ったものの、ウドンはしっかりと丹田に力を入れ、猫背を矯正している。モエギも肩が前に出過ぎないよう我愛羅が押さえているため、綺麗な姿勢を保っていた。木の葉丸も手首の癖さえなければ三人の中で最も型が出来上がっている。そのため我愛羅から指導が入ることはなかった。
 そんな三人の姿をしっかりと眺めながら、我愛羅は的に向かって人差し指を向ける。

「意識するのは肘から手首にかけての力の向きと、角度だ。的から手首まで一直線にし――投げる!」
「えいっ!」
「てやーっ!」

 子供達が威勢よく放った忍具は多少中心地からは外れたが、今度はしっかりと的に突き刺さっている。それに対しサクラたちが拍手を送れば、三人は目を丸くし、キラキラと瞳を輝かせながら我愛羅を見上げた。

「当たった! 当たったぞ、コレ!」
「当たりました〜! やったー!」
「や、やった! あたった……!」

 キャアキャアとはしゃいでハイタッチをする三人に、サクラたちだけでなくミナトとシカクも頬を緩める。そして大人たちが見ている先で、木の葉丸は我愛羅にも手の平を向けた。

「我愛羅兄ちゃんはやっぱりすごいんだぞ、コレ!」
「ありがとうございます、我愛羅さん!」
「僕、もっと練習します!」
「お前たちは飲み込みが早いからな。俺も楽しみだ」

 喜ぶ三人は我愛羅だけでなく、サクラやテマリ、カンクロウともハイタッチを交わす。当然のように行われる触れ合いに教師陣は「もうどうすればいいのか分からない」と言わんばかりにミナトへと顔を向けたが、当の本人は楽しそうに笑みを浮かべているだけだった。

「ん! 流石我愛羅くん。将来は教師もいいかもしれないね」
「ケッ、ガキがガキに物を教える日が来るとはなぁ」
「ではサソリさんも教壇に立ってみては?」
「断固拒否する」

 顰め面を作るサソリに笑うミナトの隣で、シカクは目の前で繰り広げられる長閑な光景に後ろ頭を掻く。
 シカクは昨夜、温泉から戻って来た自来也と酒を飲み交わしていた。

『で? お主から見てどうだったんだ? 我愛羅は』
『あー……まあ……ミナトや自来也様のおっしゃる通り、うちの怠け者と変わらない、普通のガキでしたね』

 食事会の時に見た姿は戦場で目にした時とは全く異なっていた。
 大人しいのは勿論だが、交わす言葉にも険はなく、歳の割に利口で理性的だった。サクラや姉兄と言葉を交わしている時ほど素が出るのか、元よりそういう気質なのか。時折斜め上の発言をしては苦笑いをされ、補足を受けては逐一頷く素直さも見せていた。
 だがもしあれが演技なのだとしたら――。そういう一面がないとはいえない。何せ自分たちは“忍”だ。相手を騙すなど基礎中の基礎。アカデミーでも必ず習うことだ。情報操作に必要なその一面を我愛羅が持っていないはずがない。そう警戒していたシカクではあったのだが――。

(ありゃ完全に“素”だな)

 視線の先には二回目の投擲に入っている子供達がいる。今度も無事的に当たり、木の葉丸はテマリに「どうだ!」と胸を張っては「威張るんじゃないよ」と額を小突かれていた。
 そんな我愛羅たちのやり取りに興味を持ったのか、それとも我愛羅の指導に早く自分達も参加したかったのか。教師の傍にいた子供達も次第に的の前に立ち、忍具を投げ始める。

「それじゃあ俺も参加して来ようかな」
「おい待て、ミナト。客人を置いて行くんじゃねえ」
「あ。そっか」
「火影、お前な……」

 子供が好きなのだろう。すぐさま自分も、と動き出したミナトを慌ててシカクが捕獲すれば、サソリは非常に呆れた目を向ける。対するバキも何だかんだ言って子供の面倒を見る側である。口は出さずとも子供達から視線を外すことはなかった。

「いや〜、ははっ。サソリさんならいいかなぁ、って」
「おっまえなぁ。マジで俺のことどういう目で見てんだ?」
「ん〜、油断ならない隣人、かな?」
「その割には自由過ぎんだろ……。おい。お前んとこのトップ頭大丈夫か」
「こっちも苦労してんだわ……」

 能天気に見えるほどお気楽に笑うミナトに、サソリは「マジで信じらんねえコイツ」という目をシカクにも向ける。当然シカクも青い顔で頭を抱えるが、ミナトは笑うばかりだ。
 だがそんな穏やかな時間も、突然聞こえてきた「うわーっ!!」という悲鳴で一変した。

「何だ?!」
「どうした! 何があった!」

 すかさず反応したミナトとシカクの視線の先で突如として大きな爆発が起こる。

「何?!」
「きゃーっ!」
「わーっ! せんせーっ!!」

 子供たちの悲鳴が続く中、イルカたち教師陣は慌てて生徒たちを避難誘導させる。教室で授業を行っていた子供達もそうだ。途端に周囲に響き渡った避難勧告のサイレンに里中は一気に動き出す。

「火事だー!」「火薬倉庫は無事なのか?!」「どこが火の手だ?!」「子供たちを避難させろ! 煙を吸わせるな!」「皆! 走らないで! 落ち着いて行動して!」

 わーわーと騒ぐ声に交じり、教師陣が慌ただしく駆け回る音もする。かつてアカデミーに在籍していたサクラは、今の爆発がどこから起きたものなのか即座に脳内の地図と照らし合わせていた。

「サクラ、今のは?」
「多分、忍具以外の備品が置いていた倉庫があったあたりだと思うわ。火薬が置かれている倉庫とは離れているから二次被害は抑えられるとは思うけど――」

 だがサクラが言い終わる前にまた別の個所で爆発が起きる。

「ミナト!」
「了解! サクラ、悪いけど砂隠の人たちを頼むよ!」
「はい!」

 駆けだすミナトたちに一行を任された身ではあるが、砂隠の者たちも今では同盟者だ。ぼうっと構えるほど愚鈍ではない。既にバキはイルカたちに混ざり子供達を避難誘導させており、サソリも事態収拾――というよりも風影に報告するためだろう。風のように去って行ったミナトに続いて現場に向かって走っていた。
 残っていたのは我愛羅たちだけだが、偶然起きたにしてはあまりにも不可解な事件だ。互いに顔を見合わせ、頷き合う。

「サクラ。狙いは私たちかもしれない。あんたは子供たちと一緒に避難しな」
「出来ません、そんなこと!」
「だけど明らかに可笑しいじゃん。こんな何もない場所で、突然倉庫が爆発するとか偶然にしては出来過ぎじゃん」
「ああ。何者かが俺たちを嵌めようとしているのだろう。謂れのない罪を黙って着せられるほど、俺たちは生易しくない」
「でも――」

 我愛羅たちの傍に残っていた木の葉丸たちと一緒にこの場を離れるよう告げる我愛羅ではあるが、すぐさま我愛羅の砂が反応し、何らかの攻撃を阻む。

「うわっ?! 何か飛んで来たぞ、コレ?!」
「すなの、盾?」
「びっくりした……」
「チッ。せっかちな奴らだな」

 子供達を背に庇いながら我愛羅が険しい瞳を向けた先には、暗部が使用しているものとは違う、一風変わったお面を着けた数名の忍だった。
 しかしお面をつけていたせいか木の葉丸たちが見えていなかったのだろう。我愛羅の背後にいる三人の姿を確認すると僅かに身を引き、何事か言葉を交わす。だが我愛羅たちとは距離がありすぎて何を話しているのかまでは聞き取ることが出来なかった。

「あの感じだと木の葉の忍か?」
「だな。木の葉丸に反応したってことは、木の葉丸が三代目の孫だって知ってるってことじゃん」
「同盟反対派がいるのだろう。しかしこうも早く動いてくるとはな。しかも自里の子供たちを巻き添えにして……。まったく、能のない奴らだ」

 口調は呆れてはいるが、その実目は一切呆れていない。どこか嫌悪すら滲んだ冷たい瞳だ。そんな我愛羅を子供たちは恐れないかと心配したサクラではあったが、木の葉丸はムン! と鼻息荒く襲撃者たちに向かって指を向けていた。

「おい! お前ら! 何してるんだぞ、コレ!」
「犯罪ですよ!」
「そ、そうだそうだー!」

 我愛羅の後ろに隠れつつ声を上げるのはモエギとウドンだ。我愛羅はそんな子供たちを守るように手の平を僅かに動かし『後ろへ』と合図を出す。当然サクラにも目配せをし、サクラも頷くことでそれに応える。

「皆、私の傍を離れないで」
「ったく、同盟反対なのは百歩譲っていいとして、子供たちがいるアカデミーを襲うってのは頂けないねぇ」
「どーせ昨日は自来也様がいたから手出し出来なかったんだろ? 見え透いた手口じゃん」
「一筋縄ではいかないだろうと思ってはいたが、子供達を巻き込むなど愚の骨頂。先の戦争で何も学ばなかったようだな。呆れてものも言えん」

 その割にはズケズケと棘のある言葉を向ける砂の三姉兄に、サクラは内心で苦笑いをする。だがその目はしっかりと襲撃者へと向けられており、体躯や面の隙間から見える髪の色などで顔見知りかどうか探っていた。
 しかし向こうも木の葉丸たちを巻き込むつもりはないのだろう。数度頷き合うと、すぐさま煙幕を爆発させる。

「逃がすか! そぉらあ!」

 すかさずテマリが鉄扇で煙幕を振り払うが、元よりすぐに撤退する手はずだったのだろう。襲撃者の姿はなく、どこか肩透かしを食らった気持ちになる。
 だがそう考えたのはサクラたちだけで、三姉弟は臨戦態勢を解かぬまま我愛羅に目配せする。

「我愛羅。ここは私たちに任せな」
「バキ先生もそのうち戻って来るはずじゃん」
「分かった。サクラ、子供たちを任せる」
「え?」

 キョトンとするサクラたちに向かい、我愛羅は一瞬だけ視線を投げて寄こす。

「妙な胸騒ぎがする。ここを離れるが、何事もなければすぐに戻る」
「でも――」
「木の葉丸」
「え? お、おう!」

 言葉を募ろうとするサクラの声を遮るように、我愛羅が木の葉丸を呼ぶ。その声に慌てて木の葉丸が反応すれば、我愛羅はフッ、と口角を上げた後拳を差し出した。

「――皆を、頼んだぞ」
「! おう! 任せて欲しいんだぞ、コレ!」

 コツン。と小さな手が我愛羅の拳と重なる。そしてすぐさま我愛羅はミナトたちがいるであろう、今尚黒煙を上げる場所に向かって走る。そして残ったテマリとカンクロウは改めて周囲を見渡し、サクラたちを守るように武器を構えるのだった。