長編U
- ナノ -

事件 -01-



今回少し胸糞表現が出てきます。苦手な方はご注意を。







 一楽で夕飯を済ませた後、一行は木の葉で最もポピュラーな娯楽施設――温泉へと足を運んでいた。

「温泉」
「そうよ。勿論宿にも各家庭にもお風呂はあるけど、大衆浴場としても人気なの」
「へえ〜。うちみたいに水が貴重な環境からしてみれば羨ましいじゃん」

 温泉など滅多に入る機会がないのだろう。十年も戦争をしていれば無理もない。
 砂隠の一行は珍しそうに建物を見上げている。
 そんな中サクラが手短に説明をすれば、心底羨ましそうにカンクロウがぼやいた。サクラ自身砂隠にいたため、その発言については深く頷ける。限られた資源の中で生活するのは想像以上に大変なのだ。身を以って体験したサクラと、長い間旅をしているからだろう。そういった事情に詳しいことは勿論、実際に経験を積んだことのある自来也も頷いている。
 だが一人だけ、木の葉から出たことのないシカマルだけは一瞬顔を強張らせた後頭を掻いた。

「ま。何にせよデカイ風呂に入れる機会なんて滅多にないんだ。この際楽しもうじゃないか」
「そうですね。それじゃああっちが男湯だから、シカマル。みんなの事頼んだわよ?」
「へいへい。任されましたよ、っと」

 この場には自来也も残ってはいるが、立場が違ううえ案内役を任されているのはサクラとシカマルだ。よってシカマルに話題を振れば、気怠そうな男は「わーってるよ」と言わんばかりに肩を竦めた。

「そんじゃまぁ、行きますか」
「たまにはワシも入るかのぉ〜。おお、そうだ。我愛羅、あとで“温泉の流儀”について教えてやろう」
「温泉の流儀、ですか」

 先頭を歩くシカマルに続き、男性陣がゾロゾロと暖簾を潜っていく。それを横目で確認しながら、サクラもテマリと共に女湯の暖簾を潜った。


 ◇ ◇ ◇


 そうして暖簾を潜った一行ではあるが、浴室に向かう前には必ず服を脱がなければならない。分かってはいても『大衆浴場』は初体験の我愛羅だ。暖簾を潜った先にある『男の世界』に一瞬肩を跳ね上げ、そろりと視線を外す。
 それに気付いたのは案内役のシカマルではなく、隣に立つカンクロウであった。

「どうした? 我愛羅」
「いや……。その……何というか……」

 言葉は悪いが、“むさくるしい”。この一言に尽きる。

 本人は然程気にしてはいないが、我愛羅は小柄で肉付きも悪い。物流が乏しいのだから仕方ないが、ここには大なり小なり食が豊かな木の葉で育った男たちが揃っている。筋骨隆々――とまではいかないが、皆それなりにガタイもよければ肉付きもいい。むしろ脱衣所の時点でお互いの筋肉を自慢し合う男達もいるぐらいだ。それを見て人と接したことが少ない我愛羅が委縮するのも無理はない。
 そんな弟の姿にカンクロウは微苦笑を浮かべると、最近よく触れるようになった弟の頭を軽く撫でる。以前ならこんなことをしようものなら睨まれたが(そもそも出来なかっただろうが)今ではすっかり撫でられることに慣れたのだろう。キョトリとした丸い瞳がカンクロウを見上げる。

「気にしなくてもいいじゃん。サソリだって年齢の割に小柄だけど気にしてねえだろ?」
「まあ、そうだな」

 シカマルの説明を受けるバキの横で、脱衣所でのルールを自来也から聞くサソリは確かにここで見れば一層小柄に見える。それでも堂々と振舞っているのは経験の差だろう。あるいは単に気にしていないだけなのか。それとも単なる性格の問題か。
 どちらにせよ我愛羅は数度瞬くとカンクロウに続き、いそいそと服を脱ぎだした。

 そうして浴室に出た男性陣一行はと言うと、早速木の葉名物の大浴場に感嘆の声を上げて目を輝かせる。

「すげえ! 一面お湯じゃん!」
「正直これほどまでとは思っていなかったな」
「はー、羨ましいこった」

 次々と零される感想にシカマルは苦笑いで流そうとするが、すぐさま『観光案内』を任されていたことを思い出し、温泉には様々な効能があることを語り始める。

「ここにある湯はそこまで色々効能があるわけじゃないですけど、火の国に行けば色んな湯がありますよ」
「そうだのぉ。湯の色も質感もそれぞれ違っての、なかなか面白いものだ」
「そうなんですか」

 温泉の成分・効能は各地で違ううえ、多種多様で上げだしたらキリがない。それでも木の葉の湯は一般的な『血行促進・美肌効果』などがあげられる。
 そんなことを聞きながら浸かり始めて数分。ある程度温泉の説明が終わったところで早速自来也が動き出した。

「ところでのぉ、我愛羅。ここは男湯と女湯に分かれておるだろう?」
「は? はい。そうですね」
「うむ。だが中には“混浴”という文化もある」
「コン、ヨク?」
「そうだ。男女が共に一つの湯に入ることだの」

 湯に浸かり始めてから僅か数分でコレだ。早速ブッ込んできた自来也にシカマルは「ちょっと! 自来也様?!」と声を上げ、バキはサソリに目配せする。当然サソリも「何言ってんだこのエロ爺」と言わんばかりの呆れた目を向けていたが、抗議する声はあげなかった。
 そんな中自来也に余計な知識を与えられた我愛羅はカンクロウと共にポカンと口を開け、目の前にいる偉大な(?)人物を呆然と見上げていた。

「……何故、そのような文化が?」
「我愛羅。ちょっと待つじゃん。これ聞いたらまずいやつじゃん」

 首を傾げる我愛羅よりも早く回復したカンクロウが待ったをかける。我愛羅は昔から戦場と任務にばかり身を費やしてきたせいか、情緒を育むという行為が疎かになっている。最近では家族の助力もあり少しずつ『人の心や考え』というものも学んではいるが、察しの悪いところがあった。
 特に自来也が最も得意とする『男と女の関係』については顕著だ。つまるところ周囲の人間が最も我愛羅に教えることを苦戦している部分でもある。

 しかしこのエロ仙人もとい自来也に任せていいものなのか。判断に困るバキと、一人オロオロとするカンクロウ。そんな二人から同時に視線を投げられたサソリは溜息を一つ零すと立ち上がる。

「すまねえが、うちの大事な坊ちゃんに変なこと吹き込まねえでくれねえか?」
「む?」

 ぴしゃり。と我愛羅の両耳を背後から塞ぎ、自来也に「めんどくせえ」という気持ちを隠すことなく視線で訴えるサソリに自来也は笑う。

「何を言っておる。我愛羅も年頃だろうに、いつまで『箱入り息子』をさせる気だ?」
「しょうがねえだろ。こっちだってこいつの情操教育任されてるわけじゃねえが、風影の命でもねえのに余計なこと教えられっか」
「余計なこと〜? 男女の関係を余計なこととは無粋なことを言うのぉ。男と女がおるからこそ子は出来るのだ。それを幾つになっても教えんなど……。我愛羅も可哀想ではないか」

 例え耳を塞がれていても聞こえてくる声はある。我愛羅はキョトンとした丸い瞳を数度瞬かせた後、繰り返すように「可哀想?」と呟く。

「うむ。我愛羅とて今は女を知らぬ身であろうとも、既に精通は済ませておるはず。女の体について知らぬ存ぜぬではこの先不便になろう」
「自来也様! 何てこと言うんすか!」

 面倒くさい事態になったうえ、身分が上である自来也をどう止めればいいのか分からずシカマルは泣きそうな声で叫ぶ。実際この場にいないミナトと父親を心底恨んでいたが、流石に傍観するわけにはいかない。
 どうにか止めようと自来也の腕に縋りつくが、自来也は「まぁ聞け」とシカマルの頭に大きな手の平を置き、改めて我愛羅へと向き直る。

「よいか、我愛羅。男と女はそりゃあもう、単純明快なようでいて実に複雑な関係である」
「はあ……?」
「これでお前が十八を超えていればワシの本を勧めたが、生憎とまだだからのぉ。それは出来ん。ならば言葉で教えるしかなかろう」
「なる、ほど?」

 分かっているのかいないのか。いや、理解はしようとしているのだ。我愛羅なりに。
 首を傾けたいのか頷いているのか分からない我愛羅とは違い、サソリは「はー……」と長く重い溜息を零しながら我愛羅の耳から手を離し――バキに「諦めろ」とジェスチャーで伝えた。当然「諦めるな!」とバキとカンクロウからすかさず突っ込まれたが。
 その間にも自来也の話は続く。

「だが言葉で教えるにも限界がある。だからこそワシは提示したい」
「何を、でしょうか」

 バキとサソリが小声で言い合う仲、カンクロウはいつでも我愛羅の耳を塞げるように両手を構えていた。カンクロウはカンクロウなりに必死なのだ。場合によってはテマリに怒られ絞められるのは自分なのだから当然ともいえる。
 そしてもう一人、あまりの事態に顔を真っ青にし、胃を痛めているのがシカマルだ。妻に連れて行かれたミナトは百歩譲っていいとして、己の父親であるシカクはどこへ行ったのか。いっそ「呪われてんのか」と呟きたくなるほど酷い話題にシカマルは目の前が真っ暗になった気分だった。
 そんな周囲など気にもしていない我愛羅と、視界に入ってもいるし理解もしているが敢えて無視する自来也はこの場において最も、それこそ『最悪』と称して言いほど酷い組み合わせであった。

「我愛羅。これはS級の任務だ」
「は?」
「共に女湯を覗きに行くぞ!」

 ガッ! と自来也が力強く我愛羅の両肩に手を置きながら宣言するのと、カンクロウが我愛羅の耳を塞いだのはほぼ同時であった。しかし残念ながら忍という生き物は聴覚が鋭い。むしろそう訓練してきたのだから仕方ない。
 耳を塞がれた手の平越しに聞こえてきた自来也の『任務内容』に呆然と目も口も開いた我愛羅は、すぐさま背後にいる青い顔をしたカンクロウと、そのすぐ近くで頭を抱えて項垂れるバキとサソリを見遣った。

「ちょっ……と待てや、このエロ爺! さっき言っただろうが! うちの坊ちゃんに何やらせようとしてんだ!」
「お主こそ何を言うておる。男に生まれた以上、一度は経験すべきことであろうが!」
「せんでいい! つーか俺だってしたことねえわ!!」
「なぁ〜んじゃ。自分が出来んからと言って我愛羅に出来んと言いたいのか?」
「ちっげえわ!! こいつにロクなこと吹き込むんじゃねえ、って言ってんだよ!」

 自来也を止められないバキとシカマルの代わりに暴走を諫めようとするサソリではあるが、我愛羅はそれどころではない。自来也が口にした『女湯を覗く』という言葉に天地がひっくり返る程の衝撃を受けていた。

「カンクロウ……」
「何だ?」
「お前も、女湯を覗いたことがあるのか……?」
「ねーし!!! あるわけねえじゃん?!」

 こちらもこちらで必死に突っ込むカンクロウに、我愛羅はどこかほっとした姿を見せる。それに一瞬虚を突かれたものの、カンクロウは改めて我愛羅の肩を叩いた。

「まぁ、自来也様の言いたいことは分かるじゃん。俺もお前もまだ子供だから『色んな経験を積め』ってことじゃん?」
「ああ。そういうことか。本気で『女湯を覗きに行け』と言われているのかと思った」

 どこかほっとした様子で口元を和らげる我愛羅はカンクロウの言葉を信じたみたいだが、カンクロウは「絶対にテマリには言えねえ……」と温泉に浸かっているにも関わらず、全身から冷や汗を流していた。
 確かに自分達姉兄は弟の恋路を応援してはいるが、まだ『男女の仲』になるにはあまりにも早い。早すぎる。だからこそ止めねばならなかった。

(我愛羅に“性”についての講義が終わるまでは、絶ッ対に! 何があっても! 聞かせたら不味いやつじゃん、これ……!!)

 少しずつ『人』について学んでいる最中なのだ。だが教える側にとってもっとも負担の大きい『性交』については未だ誰も手をつけていない。カンクロウ自身知識はあれど経験はないのだ。それなのに突然『女湯を覗きに行け』などハードにもほどがある。S級どころかSSS級だ。しかも女湯には本日己の姉までいるのだから、気持ち的には『死地に赴く』と同義である。いっそ戦場に行けと命令される方がマシだ。
 どうにか回避したいカンクロウはとりあえず我愛羅を丸め込むことに成功し、ほっと息を吐きだしたのだった。


 一方女湯ではというと――。

「本当に人気なんだな」

 視界が白く煙るほど濛々と湯気が立つ温泉は本日も盛況だ。砂隠にいる間はサクラと一緒に湯浴みをしていたテマリも、流石にここまでの大人数は経験がないのだろう。浴場に集う人の多さに一瞬目を丸くした後、くるりと周囲を見渡して呟く。
 それに対し答えるサクラも、髪を縛った後テマリに桶を手渡した。

「そうですね。やっぱり専用の施設だから大きいですし、家庭にはないサウナもありますから。週の半分はここに来る人もいるぐらい、多くの人が利用しているんですよ」
「成程なぁ。まぁ、これだけの施設があれば来たくもなるか」

 風呂に入る作法は木の葉も砂隠も変わらない。まずはかけ湯をし、それから少し熱いぐらいの湯に浸かる。髪は当然浸からぬようタオルで巻くか括っておくかのどちらかだ。
 テマリもサクラ同様髪を縛り、肩まで浸かっては目を閉じる。

「あー……広い風呂ってのはいいもんだねぇ」
「そうですねぇ」

 人の話し声は随所で聞こえてはくるが、それでも気持ちが緩んだせいだろう。どこか遠くの世界にいるような気持になる。女湯には男湯と違い泳ぐような子供もいなければ、謎の我慢大会をする者もいない。
 終始穏やかに湯に浸かる気心知れた二人は男湯でどのような会話が繰り広げられているか知る由もなく、心和やかに過ごしたのであった。


 ◇ ◇ ◇


 そんな平和な時間を過ごした女性陣に対し、男性陣は我愛羅と自来也以外全員疲れ果てた顔をして暖簾を潜って出てきた。

「何だあれ。何があったんだ?」
「さあ……? 我愛羅くん、大丈夫? 何かあったの?」
「ん? ああ。まあ……色々、な」

 歩み寄って来た我愛羅に二人が尋ねれば、珍しく歯切れの悪い答えが返ってくる。言いにくいというよりも言いたくないのだろう。サッと逸らされた視線にテマリとサクラは目を合わせ、すかさずテマリはカンクロウの首根っこを捕まえて引き寄せた。

「ぐえっ!」
「カンクロウ。何があったんだい」
「な、何でもねえじゃん?! 木の葉には迷惑かけてねえじゃん!」

 むしろ木の葉に“迷惑をかけられた側”である。だが折角同盟を組んだばかりなのだ。友好関係に傷を入れることは得策ではない。だからこそ必死に首を横に振るが、それが余計にテマリに不信感を与えたのだろう。眉間に深い皺が刻まれる。
 それでも我愛羅が再度首を横に振れば諦めたのか、一つ息を吐きだすとカンクロウを離した。

「まあいい。怪我はなかったんだね?」
「ああ。問題ない」

 精神的ダメージは各々負ったものの、外傷はない。嘘は言っていないのだからいいだろう。内心でそう判断しながらも我愛羅が頷けば、テマリはそれを信じた。
 その背後では我愛羅に『男女の仲』について教えられなかったことに自来也は残念そうな顔をし、必死に食い止めたバキとサソリは体力・気力共に使い果たしたのだろう。虚ろな目で夜空を見上げていた。

「それでは夜も遅くなりましたし、宿へとご案内いたしますね」
「うむ。ではワシも行くとするかの。ではの、我愛羅。今日の続きはまた今度――」
「聞かせるかあ!!」

 バシッ! とバキとカンクロウの三人がかりで我愛羅の耳を塞ぐ中サソリが吠えるが、自来也はカラカラと笑いながら片手を上げて去って行った。
 一体何があったんだ。
 改めてサクラとテマリは思うが、砂隠一行の隣で項垂れるシカマルを見て「今日聞くのはやめておこう」と思わずにはいられなかった。

「えっと、それじゃあシカマル。私が皆さんを宿に案内してくるから、今日はもう帰っていいわよ」
「おお……。悪ぃ……。頼むわ……」

 どこかやつれたようにも見える顔で去って行くシカマルに「本当に何があったのかしら……」と首を傾けながらも、ようやく肩の力が抜けた男性陣へと向き直る。

「それじゃあ宿に案内しますね」
「おお……。頼むわ、小娘」
「うむ……。今日は早めに就寝するか」
「そうするじゃん……」
「本当にどうしたんだ? お前たち」

 首を傾けるテマリと共に宿に向かって歩く。その際疲れ果てた男性陣の中でもとりわけ元気の残っていた我愛羅がサクラの隣に並び、ちらりと視線を投げてくる。

「お前たちには俺たちの声は聞こえなかったんだな?」
「ええ。騒がしいなぁ、とは思ったけど。ハッキリとは聞こえなかったわね。聞かれたら不味い話でもしてたの?」

 小声で尋ねるサクラに、我愛羅は一瞬気まずそうな顔をしたがすぐに「聞こえなかったらそれでいい」と返す。これ以上問い詰めたら余計に口を堅くするだろうか? 思案しながらも、サクラは湯屋から然程離れていなかった宿屋まで一行を連れて行く。

「手続きは既に済んでいますから。あとは宿の女将さんや仲居さんたちに聞いてください」
「ああ。分かったよ。色々とありがとう、サクラ」
「いえ。それではまた明日」

 労わるように肩を叩いてくれたテマリに頭を下げ、それぞれと挨拶を交わしてからサクラは宿から離れる。だが道中で一度だけ、サクラは立ち止まって宿を振り返った。

「……流石に無理よね」

 サクラは誰に聞かせることもなく一人呟いたかと思うと、「まぁ仕方ないか」と肩を落として歩き出す。その頭には一つの“約束”が思い浮かんでいた。