長編U
- ナノ -

再会 -03-



 終戦し穏やかな日常を取り戻したとはいえ、戦の爪痕は深く根強い。結局木の葉と砂隠が戦後初の共同任務にこぎつけたのは更に三月が経った秋の終わり頃だった。
 もうすぐ冬が来るであろうその日は随分と肌寒く、ようやく落ち着いた時間を有することが出来るようになったサクラは一人里の外を歩いていた。

(分かっていたことだけど、やっぱり皆の視線が痛いのよねぇ……。ま、しょうがないか。一時とは砂忍として働いていたんだから。忍である皆が知らないはずないわ)

 トボトボと赤く色づいた木々の下を歩きながら溜息を零す。実のところサクラに向けられる視線は本人が感じるほど酷いものではない。というより、サクラの話を聞きたくてしょうがないだけなのだ。
 サクラが一体どのような意図で砂隠に連れ去られ、また帰ってきたのか。憶測が憶測を呼び、出鱈目な噂が尾ひれを引いて拡がっていく。しかし真実はサクラの中にしかない。
 だが件の本人は今里にいるのだ。コレを聞こうと皆機会を窺っているのだが、実のところ彼女の師である綱手と姉弟子であるシズネが「サクラに余計なことを思い出させるような発言は許さん」と睨みを利かせているため誰も出来なかった。
 しかし当の本人はそんな師たちの思いに気付かず、ヒシヒシと感じる居辛さに耐えかね、こうして一人の時間を増やしていた。

(まあそれでも砂隠にいた頃に比べればなんてことないんだけどさ。でもやっぱり生まれ故郷で感じる居心地の悪さと、他里で感じる居心地の悪さとじゃ種類が違うわね。何だか無意味に疲れちゃう)

 以前のようにメソメソ泣くことはないが、疲れはする。幾ら鍛えられた忍とはいえ人間であることに変わりはない。積もる疲れは休まなければとれない。しかし家でじっとしていれば誰が突撃してくるかも分からない。(実際ナルトに始まりいのやリーと言った面子がアポなし訪問してきたことがある)それの対応をするのも正直疲れるのだ。
 何せサクラは砂隠であった出来事を何一つ彼らに話す気などないのだから。

(別に話して皆が白い目で見て来たとしても構わない。でもあの日々は――辛かったけど、私にとっては大切な時間だった)

 辛く、悲しい日々だった。木の葉の忍だからと陰でコソコソ言われたことも知っている。実際に暴言を吐かれたことだって一度や二度じゃ済まない。だがチヨに諭された言葉も、サソリの指導も、今になって思えば大切なことばかりだった。憎らしく思っていた人たちにも良い所があり、また守るべきものがあった。勿論合わない人には最後まで嫌な思いをさせられたものだが、サクラの中で一番価値観が変わったのは我愛羅についてだ。あれから二度ほど送られてきた姉弟からの手紙を読む度、今頃どうしているだろうか。と青い空を仰いでは思いを馳せる。

 そうしてぐるりと里の回りを歩いて戻ってきた時、サクラは待ち構えていたかのように大門に寄りかかっていたシカマルに「よぉ」と声を掛けられた。

「シカマル。どうしたの? こんなところで」
「お前を待ってたんだよ。綱手様に聞いたら“散歩に行っている頃だろう”って言われてよ。火影様が呼んでるみてぇだから、すぐ行くぞ」
「あ、うん。分かった」

 シカマルはサクラたちが作った毒で命を落としかけた。後遺症もなかなか癒えず――厳密にいえば今でも長期戦に突入すると腕が震えたり、目が霞んだりと神経症の名残が出る。それでもシカマルは一度としてサクラを詰ったことがない。弱音を吐くことも、糾弾することもなかった。ただいつもと変わらないやる気のない顔で、今日と同じように「よぉ」と声を掛けただけだった。
 正直なところ、サクラはシカマルに怨まれてもしょうがないと思っている。だがシカマルのことだ。長々と誰かを怨むなど「面倒くせぇ」とぼやく気もする。
 考えが読めない男の背を見つめながら火影邸へと進むと、中で待っていたのはミナトとカカシだった。

「遅くなりました」
「遅くなってすみません」
「こちらこそ突然呼び出してすまないね、サクラ」

 シカマルと共に頭を下げてから入室すれば、相変わらず柔和な笑みを浮かべたミナトが労りの言葉を投げてくる。その顔はどこか疲れているようにも見えたが、指摘するのは失礼な気がして当たり障りない言葉を返す。

「さて。サクラを呼んだのはちょっとした任務……と呼ぶにはアレかな。まあ、そこにいるシカマルと一緒に里の案内役を務めて欲しいんだよ」
「案内役、ですか?」

 国の重鎮が視察に来るのであればシカマルよりはシカク、サクラよりも紅の方が向いている。だがミナトは「二人に頼みたいんだ」と告げて一枚の書類を渡してきた。
 それを先に受け取ったのはシカマルだ。常ならばやる気がない上に「面倒くせぇ」という感情を隠しもせずだるそうに視線を走らせるシカマルだが、今回ばかりはピクリ、と眉根を動かした。

「……ん」
「え? あ、ああ、うん」

 ぺいっ、と嫌そうに寄越された書類を受け取り目を走らせれば、何と砂隠の忍との交流会を開こうというのだ。これには流石のサクラも目を見開く。

「交流会と言ってもね、砂忍が大勢来ればうちだって警戒してしまう。だから今回は戦争終結に尽力してくれたメンバーを集める予定だよ」
「と、言いますと?」
「ん! 多分サクラが思い描いている人たちで合ってるよ」

 ということは、だ。今回の戦争終結に尽力したのは我愛羅を始めとする砂の三姉弟と、赤砂のサソリだ。薬師カブトや大蛇丸については砂忍と呼んでいいのかは分からないので、サクラとしては嬉しいような、不安なような、なんとも言えない気持ちが胸に渦巻く。

「あの……それはいいんですけど、本当に大丈夫でしょうか?」

 幾ら我愛羅が殺戮兵器から一人の忍へと意識を改めたとしても、それを知るのは一部の人間だけだ。加えて彼に殺された親族が木の葉には大勢いる。もし一目でも彼を見たら衝動的に、それこそサクラが見殺しにしてしまった少女の兄のように彼に斬りかかる人が出てくるかもしれない。まあ万全な状態の我愛羅であれば刺されるなどありえないだろうが。
 それでも我愛羅が傷つくのは本意ではない。不安げな顔を見せるサクラに、ミナトは「大丈夫」と柔らかな笑みを向ける。

「交流会と言っても事実上木の葉の“お客様”だ。シカマルやサクラだけでなく、カカシやシカクもその日は立ち会うから危ないことは起きないはずだよ」
「というより、起こさせないよ。こっちだって何の対策もなしに木の葉に呼ぶわけじゃない。周囲の警戒はするし、彼らに恨みを持っていそうな者達には予め別の任務を与えて不在にさせるつもりだ」

 カカシからのフォローを受け、サクラは「そういうことなら」と頷く。とはいえ実際の所木の葉を奇襲したテマリとカンクロウについても対処を考えなければいけないのだが、腐っても忍だ。“任務”と称されればそれに従わないわけにはいかない。幾ら憎い思いを抱こうとも火影の前で客人にクナイを向けることは出来ない。忍とはそういうものだ。
 対する砂隠もそうだろう。我愛羅はともかく、サソリはアレでも実力者だ。サクラは知らないが二度もミナトを退けた曲者でもある。そんな男が“子供のお守り”を任され好き放題するとは思えない。(全くしないと言い切れないのが何とも言えない所ではあるが)
 改めて書類を読み込むサクラの横顔を、シカマルは何とも言えない顔で流し見た後、苦虫を千匹程噛み殺したような顔でミナトを見つめる。
 途端にミナトは誤魔化すように笑ったが、シカマルは余計にムスッと顔を顰めるだけだった。

「では私たちは彼らの到着を待ち、里を案内しつつここへ連れてくればいいんですね?」
「ん! そういうこと! 頼んだよ」
「分かりました」
「了解です」

 しっかりと頷くサクラとは対照的に、シカマルは「嫌だなぁ」という思いが滲んだ返答であった。しかし一度受けた仕事は最後までキッチリこなすのがシカマルだ。ミナトはダメ押しとばかりに「頼んだよ」と告げ、二人の背を見送った。

 そうして改めて二人きりになったサクラは、先程よりも不機嫌そうに歩くシカマルの背中をそろそろと見つめる。
 あんな痛手を喰らわされた忍との交流会なんて、シカマルは嫌なのだろう。だが“命令”と言われれば逆らうことは出来ない。それが分かるからこそ何と声を掛けていいか分からないサクラに、火影邸を出てからようやくシカマルは声を掛けた。

「なぁ」
「え? あ、何?」

 ガリガリと面倒くさそうに後ろ頭を掻きながら、シカマルはようやくサクラへと向き直る。その何時にない真剣な表情にサクラが無意識に拳を握る手に力を込めれば、シカマルは思いもよらない一言を口にした。

「あちらさんって、こっちの料理口に合うんかね?」
「――へ?」

 りょ、料理?
 キョトン、というより完全に目を点にしたサクラに対し、シカマルは「おう」と頷く。

「ほらよ、国が違えば味付けって違うだろ? あっちからこっちに来るのに最低は三日かかる。火影邸に連れて行くにしても着いた時間によっちゃあどっかで飯食わせてからの方がいいかもしれねえ。それを抜きにしても里の案内なんてクソ面倒くせえ、じゃなかった。任務があるわけだし。しかも女がいるなら美味い店の一つでも紹介してやらなきゃいけねえだろ? だけどあっちでの文化なんて知らねえしな。その辺お前なら分かるだろ」

 シカマルの言葉にサクラは一瞬何か胸が詰まるものを感じたが、すぐに頭を切り替えて「そうねぇ」と視線を彷徨わせる。
 確かに砂隠ではあまり“食”というものに対し鮮やかなイメージはない。物資の問題もあって最低限の味付けである――それでも砂漠では貴重な塩胡椒がメインで、木の葉のように様々な調味料が流通していたわけではない。加えてあちらは熱帯だ。生魚といった傷みやすい食材が出ることは殆どなく、鶏卵も貴重だった。それを鑑みるに、秋の味覚ともいえるものはあまり口にしていないのではないかと思う。

「そうねぇ……甘い物なら、今ならほら。ちょうど栗とか芋とかあるじゃない? あれ系のスイーツであればテマリさんあたりなら喜んでくれると思うわ」
「テマリ? あー、あのデカい扇背負った姉ちゃんか」
「うん。テマリさん結構甘い物好きみたいだから」

 これはテマリから実際聞いた話である。小さい頃はまだ物資がそこまで枯渇していなかったため、よく甘いものを買って来てもらっていたのだと懐かしそうに話していた。
 対するカンクロウはハンバーグが好きで、ほうれん草が苦手。甘いものは多分普通に食べるだろうが、我愛羅はどうだろうか。あまり好ましいという話は聞かなかった。どちらかといえばたまに使う肉を好んで食べていた気がする。その点で言えば木の葉は肉も魚もそこそこ出回っている。彼が食べられない料理ばかり並ぶことはないだろう。

「カンクロウさんも我愛羅くんも大体のものは食べられるはずよ。流石に生魚は文化的に馴染みがないから忌避するかもしれないけど」

 サソリについては正直よく分からない。一週間ほど世話になったことはあるが、その時も大体なんでも口にしていたから好き嫌いは大してないのだろう。
 それらの話を考慮し、とりあえず今回は「生ものは避ける」ということで落ち着いた。

「で? 因みに甘いものはどの店がいいんだ?」
「そうねぇ……大通りにあるお店ならあそこかな〜」

 大門から火影邸へと続く道は幾つかある。そのためどのルートを案内するか、どこを紹介するか話し合いながら店を決めていく。何だかんだと言ってシカマルも任務を適当に行う男ではない。その日の天候のことも考えて三つほど道順と店を決めた頃には日も暮れ始めていた。

「んじゃま、あとは当日を待つのみか」
「そうね。それまでにまた変更点や追加点が出た際にはその時考えましょう」

 互いに要点をまとめた会話を終え、いざ帰路につこうと方向転換をしたところで、シカマルから「サクラ」と名を呼ばれる。

「なに?」

 振り返った先、シカマルは今日何度も見せていた「面倒くせぇ」とデカデカと書いてある表情ではなく、本心が読めない表情を浮かべてサクラを見ていた。

「お前、実際のところどう思ってんだ?」
「……何を?」

 砂隠の忍が木の葉に来ることに対して、だろうか。それとも木の葉に戻ってきた自分について、だろうか。返答に困るサクラに向かい、シカマルは一歩ずつ近付いていく。

「正直なところ、俺はまだお前たちに向かってどんな顔すりゃいいのか分からねえ」
「……それは、そうよね。当然のことだと思うわ」

 一度里を裏切ったのだ。本来であれば重罪人、何かしらの刑罰が与えられても可笑しくない。実際サクラが作った毒で何名かは命を落としている。それを思えばこうして再び木の葉の地に無傷で、何の罰則もなく立っていることは信じられないことだ。
 それでもサクラを『不問』と認めたのは里のトップであるミナトだ。本来であれば軽くとも何かしらの罰を与えられてしかるべきなのだが、ミナトはそれを跳ね除けた。ようは『お咎めなし』ということだ。それはあまりにも、シビアな忍の世界では甘い判断であった。
 実際サクラはミナトに対し一度ならず何度も抗議している。

 自分は里を裏切った。何か罰を受けるべきだ、と。そうしないと周りに顔向けできない、とも。

 しかしミナトは戦争を止めるために動いた我愛羅の心を変えたのはサクラだ。という理由だけで、それだけで『罰を与えることは出来ない』と首を横に振ったのだ。
 ミナト曰く『砂隠の“兵器”であった我愛羅の手綱を握り、これを制御した』という事実――という名のでっちあげが大事なのだという。それがあるからこそ火の国は風の国と大きな戦争を起こすことなく、僅かな犠牲で終戦へと持ち込むことが出来た。
 一から十まで事実ではないが、まったくの出鱈目でもないところが憎いところだ。それが余計にサクラを苦しめていると分かりながらも、ミナトはサクラを物理的に罰することはなかった。
 だからサクラはせめてもの償いとして、帰ってきてから一日たりとも休むことなく働き続けた。雑用でも何でも、自分に出来ることならどんな小さなことでも行った。それこそ苦手な掃除洗濯、料理でも、だ。
 そんなサクラを曲がりなりにも見ていたシカマルは再度頭を掻く。

「俺はよ、別にお前のことを怨んでるわけじゃねえ。確かにあの毒は利いた。流れ込んできた瞬間全身の血が一気に冷えるぐらい、な。正直周りの奴らを助けるので精一杯だった。咄嗟に起爆札を付けたクナイを一本投げるのが精々でよ。それでもいのやチョウジも含め、俺も生還出来るとは思っていなかった」

 シカマルの言うことは最もだ。あの毒は即死性はなくとも危険な毒だった。それを吸って生きていられたのは、偏にシカマルの生命力の高さだろう。何も言えないサクラは、しかし今までとは違う。昔のサクラであれば俯いたに違いない。だが今のサクラは、毅然と顔を上げてシカマルの言葉を、向けられる視線を、想いを、しっかりと受け止めていた。

「そんなお前がナルトたちに背を向けて……砂隠に行ったって話を聞いた時は半分冗談だろ。と思った。だが実際お前は砂隠で砂忍として半年以上働いた。言葉は悪いが裏切り者だ。だが木の葉と十年も戦争していた里で、木の葉の忍であるお前がすんなりと受け入れられたとも思えねえ。だから、お前が帰ってきた時――まぁ、なんつーかさ。……“よかったな”とは思ったんだよ」

 照れ臭そうに視線を下げるシカマルの言葉に嘘はないのだろう。シカマルは何かと物臭な男ではあるが、決して仲間に対し嘘を吐くような男ではない。それが分かるからこそ、サクラは黙って頷いた。

「ありがとう。シカマル。そうね……。正直言うと、砂隠での生活は褒められたものじゃなかったわ。皆冷たくて、無関心で……まるで虫けらにでもなったような気分だった」

 向けられる瞳は冷たく、言葉は鋭い刃となってサクラを傷つけた。だがあの過酷な環境で生まれ育ち、尚且つ“忍”という業を背負った者がよそ者に対して素直に、快く、且つ寛大な心で慣れ合うかと聞かれたらそれこそ“否”だ。そんな薄気味悪い場所ならサクラはもっと精神的に病んでいただろう。

「でもね、シカマル。あそこは木の葉とは違う。砂隠は周囲を砂漠に囲まれた過酷な土地なの。生きることで精いっぱいなの。砂嵐が里を襲うなんてしょっちゅうだし、雨量が少ないから植物を育てるのにも苦労する。野菜を手に入れることは勿論、薬草を採取することすら難しい。そのうえ軍事国家である風の国からの支援がなければ里は潰れてしまう。生き残るだけでも大変な土地なの」

 サクラは実際にこの体で、瞳で、目の当たりにした。傷つき、やせ衰えた国の一端を、あのクーデターの最中に見た。骨と皮だけになって誰にも弔われることなく道端で亡くなっている子供たち。片手や片足を失くし、生気すら失せた顔で道端に座り込む大人たち。潰えた町もあると聞く。
 何もかもが疲弊し、誰も彼もが傷ついていた。あの過酷な土地を、サクラは糾弾する気にはなれない。

「誰もが生きることだけで精一杯だった。周りを思いやるという行為は、正直心に余裕がないと出来ないことなの。それを、私は嫌と言うほどに学んだわ」

 戦争で蝕まれた心は強い疑心暗鬼となって脳を支配する。裏切りも抜け駆けも許さない。地獄の亡者のように互いの足を引っ張り合い、牽制し合う世界はある種の地獄絵図であった。
 それでも確かに生きていた。あの地に住まう人たちは、曲がりなりにも生きていたのだ。必死に、自分や生き残った家族を守るために。

「だから、どんなに辛くても、悲しくても……胸が、痛くなることがあっても。私は忘れない。あの日々を、あそこで学んだことを、決して忘れちゃいけないのよ」

 目の前で殺された命も、助けられなかった命も。傷つき、流れた血の分だけ。サクラは懸命に生きねばならない。償わなければならない。
 自分のことだけしか考えられなかった幼い自分とはもう決別したのだ。チヨに『可哀想な自分に酔っている』ともう二度と言わせないために、俯くことは許されない。

 あの過酷な地での生活は決して無駄にはならない。してはいけない。
 辛い時ほど毅然と頭を上げ、前を見据えなければならない。その精神的な強さを、サクラはあの過酷な地で学んだ。学ぶことが出来た。それはきっと、木の葉にいては一年で習得出来ないものだった。

「シカマル。私はね、木の葉の人たちに怨まれてもいい。罵詈雑言を浴びせかけられても、後ろ指を指されても、陰口を囁かれようとも構わない。だって、私はちゃんと“生きる”って決めたから」

 死にたい。殺して欲しい。そんなことばかり願っていた少女はもういない。
 今ここに立っているのは、我愛羅の隣に立つと、ずっと傍にいると約束した一人の人間だ。男も女も関係ない。ただ我愛羅の隣に立つだけの力が欲しかった。あの手を取り、二度と傷つかせないためだけの実力をつけなければならなかった。だからこそ、こんなところで立ち止まってなどいられないのだ。

「償いはこれからも続けるわ。奪った命を忘れることなく、多くの人を助けるために尽力する。一人でも多くの命を繋ぎとめてみせる。それが私の――“今の私”の生き方よ」

 ハッキリと、力強く言い切ったサクラにシカマルは口をへの字に曲げたかと思うと、困ったように視線を彷徨わせ「あー……」と呻く。

「いや……そんな……決意表明して欲しかったわけじゃなくてよ……」
「あら。じゃあ何よ」

 てっきりサクラの気持ちを聞きたいのかと思っていたのだが、シカマルはまさかこんな大事になるとは思っていなかったらしい。しどろもどろに「もっとこう……ふわっとした回答でもよかったんだよ」と肩を竦める。

「そりゃお前は一度里を裏切った。それは事実だ。変わらねえ。それを嫌な意味で捉えている奴も、まあ少なからずいる。だがな、大体の奴はお前の性格を知っている。綱手様も『サクラを責めるなら師である自分に文句を言え!』って啖呵切ったぐらいだしな。お前が信用に値する人物だってことは多くの人間が知ってるし、分かってんだ。けどよ、お前……その、アレだろ? あっちの忍とも仲いいんだろ?」

 どこか歯切れの悪いシカマルに「そうね」と頷けば、シカマルは「あー、面倒くせぇ〜」と両手で頭を掻きむしりながら「だからよぉ」と弱々しく告げる。

「その……アレだ。あいつらが……ようはナルトとかいのとかがよ、気にしてんだよ。お前がまた砂隠に行っちまうんじゃねえか、ってな」
「はあ? なにソレ?」

 思わず目を丸くするサクラに、シカマルは疲れたように両肩を落とす。

「俺はよ、お前を許すとか許さねえとか、そういう気持ちははなからねえんだ。ただ砂隠との連中とはもう十年もの間――それこそアカデミー生の頃からどこと争ってるか授業に出てたぐらいだ。いきなり“仲良しこよし”なんか出来るわけねえ。実際親や兄弟を殺されたやつだっている。それが砂忍のせいか軍人のせいかなんて関係ねえ。戦争が悪いってのは分かってる。だが直接的な恨みが行くのは相手方に、だ。そうなったらお前、どうするんだって話だよ」

 もしサクラが砂隠の忍たちと楽しそうに会話をすれば、再び疑心暗鬼な視線を向けられるだろう。今でさえ『全てが丸く収まった』と呼ぶには歪すぎる状態なのだ。特にサクラに対する視線はどことなく腫れ物に触れるようなものに近い。サクラと近しい者やよく知っている人たちはそうでもないが、あまり関りのなかった上級生や下級生たちからは微妙な位置から見られている。
 今でこそ砂隠は同盟国となったが、戦争の傷跡は深い。それこそ、心についたものほど明確に。

「――大丈夫よ」

 だがサクラは微笑んでそれに答える。今度こそシカマルが驚いた顔を見せるが、サクラの答えは何一つとして変わらなかった。

「例え周りから何を言われても、私は木の葉の人間で、それでいて砂隠の――我愛羅くんやテマリさん、カンクロウさんたちを大切に想っている、砂隠の忍でもあるの」

 一年間、共に過ごした。初めは地下牢から初まった砂隠での生活も、途中からは一室を与えられ、共に料理を作り、食すようになった。我愛羅とも同じベッドで寝そべって一夜を過ごしたことだってある。そこにやましい気持ちは一切なく、ただただ、穏やかな時間だけが過ぎた。
 あの一時は、サクラにとって忘れられない、壊れ物のような大切な、宝物のような時間だった。そして今も尚、あの時身に着けていた砂隠の額宛をサクラは大事に取っている。
 そしてひっそりと首元に下げている『お守り石』も、サクラに勇気を与えてくれている。

「だから、シカマルも逃げずに、斜に構えずに、あの人たちを見て欲しい。確かに木の葉の忍を、火の国の軍人を沢山殺めた人たちでもあるけれど、あの人たちも私たちと同じ“人間”なのよ。顔も知らない誰かを、如何に他人であっても、傷つけることに心を痛めるような人がいるの。守りたい誰かのために力を奮うことしか出来なかった――そんな、そんな不器用な人がいるの」

 怪我を負えば血を流し、病に罹れば同じように苦しむ。熱が出て、吐き気を催して。涙も流すし痛む心も持っている。例え死んだように見えても、その心は表立って見えないだけで人としてのぬくもりをキチンと持ち合わせているのだ。あの不器用な一家のように。

「大丈夫よ。シカマル。私、信じて貰えるまで何度だって言うわ。あの人たちは決して根っからの悪人なんかじゃない。ただ他の人より“強すぎた”だけ。心も、体も」

 だから弱音を吐けなかった。だから傷ついている心に気付いて貰えなかった。そんな人たちでも、互いを気遣うあまりに傷つけあっていた。そんな不器用さを持つ、同じ“人間”なのだ。

「例え私が信じられなくても、火影であるミナトさんは信じて。あの人は我愛羅くんと直接話をしたうえで彼を信じてくれたのよ。裏切り者の私じゃ届かなくても、ミナトさんの言葉なら信じてくれるでしょ?」

 そう言って笑うサクラに、シカマルは再び苦い顔をする。シカマルとしては決してサクラを信じていないわけでもないし、傷つけようと思ったわけでもない。だがサクラの笑みに強がっている要素はなく、本当にサクラの心根が強くなった事だけが読み取れた。それが妙に不思議で――だがそれ以上に可笑しなほどストン、と、納得してしまった。

「はー……。わぁーったよ。お前がそこまで言うなら信じても大丈夫な奴らなんだろう。……正直不安だったんだよ。あんな戦の後でよ。直接顔を合わせたことは勿論、話したことだってねえ。そんな奴らの案内を突然任されてよ、俺一人じゃ抱えきれねえと思った。だからお前に聞いてみたかったんだよ。お前があいつらをどう見て、お前がこれからどう進んでいくのかをよ」

 まあ、あんなにハッキリとしたビジョンがあるとは思わなかったけどな。と言葉を濁すシカマルに、サクラはただ笑う。
 もうこの地に感情の赴くまま怒って笑う“春野サクラ”はいない。恋に溺れ、二人の男の背を追いかけ続けた少女はどこにもいない。
 今ここに立つのは、誰でもない、自分だけの道を進むと決めた一人の人間だけだ。

 だからこそサクラは笑う。力強く、けれど華々しく。決して枯れることのない想いを芯として、咲き誇る姿は不思議と大人びて見えた。

「それじゃあ理解してもらったことで、改めて案内役よろしくね。シカマル」
「おう。よろしく頼むぜ、相棒さんよ」

 シカマルらしくない、差し出された手に一瞬目を剥いてから不敵に笑って握り返す。そんなサクラに向かい、シカマルは(女ってのは変わるもんだなぁ)とぼんやりと考えていた。


 ◇ ◇ ◇


 ――当然そんな話が木の葉で出ていれば砂隠で知らされないはずはない。
 ようやく我愛羅が木の葉に行けるチャンスを掴んだと知った姉兄は、げんなりとする弟に向かって鼻息荒く「よかったね! 我愛羅!」「しっかり体調整えて向かうじゃん!」と声を上げていた。

「もう放っておいてくれ……」
「そうはいくかよ! 俺らだってサクラにはちゃんと恩返ししたいじゃん」
「そうそう。木の葉には美味いもんがいっぱいあるって言うしな。この際勉強も観光も、目一杯楽しんで行こうじゃないか」

 項垂れる我愛羅を両サイドから挟み、肩を組む二人に我愛羅は再び長く重たい溜息を零す。今までの関係からは考えられない態度と姿勢だ。それを真正面から見ていたサソリは、我愛羅とは違う意味で、しかし我愛羅同様非常に重たい溜息を零していた。

「ぬぁ〜んで俺様がまたガキ共の子守しなきゃなんねぇ〜んだよぉ〜……」
「仕方なかろう。火影からの名指しでの招待だ。無視するわけにはいくまい」

 ダラリ、と机に頬をくっつけ、心底嫌そうな声と態度を露わにするサソリに対し、その隣に座していたバキが風影から渡された書類を手に取る。
 そこには『木の葉との交流』をメインにした互いの里を行き来する予定が記されており、まずは復興がある程度落ち着いた木の葉に砂隠の忍を数名招待することが決まっていた。砂隠に彼らを呼ぶのはもう少しここが落ち着いてからだ。
 そしてその書類には火影であるミナトから直筆で『是非とも傀儡使いのサソリ殿も遊びに来てください』と書かれていたのだ。サソリ的には憎たらしい程に清々しい笑みを浮かべるミナトの顔が思い浮かぶようで、思わず苦虫を一万匹噛み殺したような表情になる。
 しかしバキの言う通りこれを無視するわけにはいかない。実際バキは風影からも「絶対にサソリを向かわせるように」と仰せつかっているのだ。例え引きずってでもサソリを木の葉へと連れて行くだろう。

「いい加減シャキッとしろサソリ。俺も一緒に行くんだ。お前一人に三人を任せるわけなかろう」
「あーそーかよ。だがテメエはガキ共に甘ェじゃねえか。キチンと躾出来んだろうな?」

 胡乱気な視線を向けてくるサソリに、バキは勿論だ。と頷くことでそれに答える。しかしサソリの疑いは依然として晴れない。事実バキは任務となれば三人にキチンとした指示を飛ばせるが、そうでない時は割合無自覚に甘いのだ。子供たちに対しては特に。それを本人が自覚していないからこそサソリは疑いの目を晴らすことが出来ず、再び溜息を零した。

「あーもー……行きゃあいいんだろ、行きゃあよ。だが俺はガキ共が粗相をしても謝らねえし、他人のフリするからな」
「フン。そう心配せずとも大丈夫だ。あの子たちはお前が思っている程子供ではない。しっかりしているさ」

 もう既に甘さを発露させているバキではあるが、その視線の先に居る子供たちはどう見ても“はしゃいでいる”。浮かれていると言ってもいい。まるで酔っ払いの如く我愛羅に構い倒す姿は木の葉の忍たちを恐怖に陥れ、時には翻弄した三忍だとは思えない。それこそ猫かわいがりするかのように弟を構うテマリとカンクロウの姿に、サソリはもう何度目になるか分からない溜息を、我愛羅と同時に零すのであった。