小説2
- ナノ -




太陽が昇り、サクラと最後の別れを終えた後我愛羅は屋敷に戻ってきた。
愛馬は我愛羅の変化を感じ取っていたのだろう。いつもは走り足りないと駄々を捏ねるが、今日は大人しく厩に入った。

そして我愛羅も自身の部屋に戻ると、糸が切れた人形のようにベッドに横になり、オレンジの匂いを思い出していた。

「…終わった…」

自分の人生は、太陽が昇ると同時に潰えてしまった。
これからはただの侯爵として、金を溜めるだけの入れ物として生きねばならない。
愛も慈悲も何もかも置いてきた。彼女の元に。そうしてその棺は彼女と共に夜明けを迎えた、あのオレンジの木の下に埋めてきた。
自分にとっても思い入れのあるあのオレンジの木は、自身の墓場として相応しい、最高の場所であった。

時間だけが無為に過ぎる中、ついに時計が鳴り響き一日が動き出す。
もう皆揃っているであろう、朝食の席につくため我愛羅ものろのろと廊下を歩んでいれば、突然机を叩く大きな音がした。

「まったく何て奴だ!この私を裏切ろうとは!!」
「…父様?」

聞こえてきた怒声に慌てて食堂へと続く扉を開ければ、久方ぶりに都から帰ってきた父親が怒り心頭で歩き回っていた。

「あの能無しのぼんくらめ!こちらが目をかけていただけだというのに付け上がりおって!!」
「…どうしたんだ?」

我愛羅の父親は冷酷無慈悲で有名だ。しかし実際の所は単なる堅実家で、実直なだけであった。
そんな父親がこうも激昂しているのは珍しい。恐る恐る我愛羅は青い顔をしているカンクロウへと近づき、事の詳細を尋ねる。
すると元軍人であった父親は我愛羅の声に気付き、これを見てみろ!と新聞を胸に押し付けた。

「…これは…!」

新聞の一面に載っていたのは、例のバンビの父親が逮捕されたという記事であった。
しかも読み進めていくうちにバンビ自身のスキャンダルも幾つか載っており、我愛羅は思わず笑った。

「俺にあのバンビを勧めてきた叔母様方の顔が見てみたいな」
「今頃泡でも吹いて倒れてるだろうよ」

新聞に載っていたバンビのスキャンダルは非常に凄まじいものであった。
今年社交界にデビューしたばかりの雛鳥かと思っていたバンビは、実は裏で随分と遊びまわっていたらしく、酒に麻薬に煙草に入れ墨とやりたい放題であった。
それ以外にも不埒な男女のパーティーに参加した記録や、ベッドを共にした男性の証言、遊び仲間との奔放な会話内容が掲載されており、我愛羅は今度こそ声を上げて笑った。

「最高だな!今年一番のビックニュースだ!」
「全くだ!こんな男に家の事業を噛ませていたのかと思うと腹立たしくてならん!」

新聞をテーブルに放り投げ、笑う我愛羅にカンクロウは片手を上げる。

「最高の気分だな、我愛羅」
「全くだ!」

広げられた手に音を立ててタッチをし、自身の喜びを兄に伝える。
流石にカンクロウも我愛羅の苦悩を知っていたのだろう。喜びに震える弟に頬を緩めた。

「これで棺桶を用意しなくて済むな」
「手はずをしていたのか?」
「この後するつもりだった」

兄の皮肉を笑い飛ばし、憤慨する父親に自分がその男の娘と結婚させられそうになっていた話を振る。
すると当然のことながら父親は更に憤慨し、そんなもの破棄するに決まっているだろう!と遂に新聞を破り捨てた。

「すぐに叔母共を連れてこい!あんな頭の緩い婆共に任せるな!俺がいない間のことをキッチリ全て話をさせる!」
「おーおー、鬼の大将が首獲りを始めるぞ。我愛羅、お前ついて行くのか?」
「当然だ。俺は父上の息子だぞ?蛙の子は蛙、鬼の子は鬼の子だ」

実際我愛羅は父親に憧れて軍に入ったという所もある。
軍人として最高階級につき、今では国会議員となった父親は当時『鬼の大将』と呼ばれる程のスパルタ軍人であった。
しかし鬼と呼ばれるだけあって体はタフで、いかなる状況であろうと生き抜いてきた。
軍を退役する際も多くの部下が彼の教えを師事し、今の軍の基礎を築いた人物として崇められている。

そんな父親は現在国会議員として『鬼』の名を轟かせつつある。

この親にしてこの子あり、だ。
顔は似ずとも性格はそっくりに育った父と弟を眺め、カンクロウは苦笑いにも似た笑みを零した。
そうして二人の声が響く中、顔を出した母と姉は親子の姿を見て肩を竦めた。

「我愛羅があんなに喜んでいる姿を見たのは初めてハンバーグを食べさせた時以来だわ」
「私は初めて馬に乗って走り出し、数秒でこけた時かな」

朗らかに笑う母と呆れた表情を見せる姉にカンクロウは笑いつつ、けれど自身も同感だと頷く。

「けど俺的には泳げなかった我愛羅が二十五メートル泳げた時以来かな」
「それは同感だ!」

カンクロウの言葉にテマリが盛大に笑い、母親も楽しげに笑って我愛羅の肩に手を当てる。

「よかったわね我愛羅。これで心置きなく“オレンジの姫君”にプロポーズできるわよ」
「ああ、本当に………って、え?」

先程までの喜びはどこに行ったのか。
微笑む母親を振り返る我愛羅の顔はまさしくポカン、という文字がぴったりであった。

「え…は?オレンジの…君?」

狼狽える我愛羅に母はくすくすと笑うと、ええそうよ。と頷きながら夫の背後へと回り、肩に手を置く。

「知らないと思っていたの?ねぇ、あなた」
「ああ…お前の初恋の女性だろう?昔から言ってたじゃないか。“僕はあの子と結婚する!”って」

覚えてないのか?
そう言って首を傾けた父親に我愛羅は崩れ落ち、テマリとカンクロウは手を叩いて大笑いする。

「それにほら!昔夜叉丸と一緒につけてた日記には一日おきに彼女のことが書いてあったじゃない!今日はかくれんぼをしたとか、一緒にクッキーを焼いたとか…」
「ああああ!止めてくれ!何でそんなことを逐一覚えてるんだあなたたちは!!」

普段は毅然とした態度を崩さず、誰の前でも顔色を変えることのない我愛羅の肌が真っ赤に染まっている。
久方ぶりに見た狼狽える弟の姿に姉兄は視線を合わせて笑いあい、死角から射撃していく。

「そりゃ覚えてるよな。殆ど毎日彼女の家に向かって馬を走らせてたじゃないか」
「おかげで彼女の家まで行ける一本道が家に出来たじゃないか」
「あああ!やめろ!お前らまで!」
「うふふ。それに彼女のおかげで今まであんまり食べなかったオレンジも食べるようになったし…」
「礼儀作法も進んで覚えるようになったな。彼女を嫁にした時に恥ずかしくないようにと…」

家族全員から落とされる爆弾発言に我愛羅は普段の冷静さを取り戻せぬまま「煩い」だの「もうやめてくれ!」という声を連発する。
けれど可愛い弟が戻ってきた家族からしてみれば今の我愛羅は格好の的であり、ここぞとばかりに昔の話を蒸し返し我愛羅の体温を上げていった。

「まぁそういうわけだから、後のことは私に任せてお前は好きなようにしなさい」
「そうそう。叔母様たちのことは気にしなくていいわ。だってこっちには心強い“鬼”がいるんだもの」

両腕を組み、確固とした態度で我愛羅の背を押す父と、悪戯っ子のような笑みを浮かべつつもあたたかな眼差しを向けてくる母に口籠る。
そうして今まで八つ当たりのように接してきた姉兄へと視線を向ければ、二人は同時に口の端を上げ、指を立ててきた。

「振られたら一緒に泣いてやるよ」
「女としての礼儀作法なら私に任せな。いい教師になってやるよ」

侯爵の家系であるにも関わらず、この家はナルトの家と大差ないほど奔放だ。
我愛羅は呆れたように笑みを崩し、けれどすぐに背を正すと家族全員に向き直る。

「では、行ってくる」

いつものように軍人らしく、背を正し前を見据える我愛羅に父親が力強く頷く。

「ああ、行って来い」
「行ってらっしゃい」
「頑張れよ」
「待ってるからな」

父と母、兄と姉に背を押され、我愛羅は大きく一歩を踏み出し、歩き出す。
そうして今朝方戻ってきたばかりの厩に直行すると、愛馬の長い鼻づらを撫で、話しかけた。

「もう一度俺と駆け抜けてくれるか?相棒」

我愛羅のその言葉を待っていたかのように愛馬は嘶き、前足を高く上げる。
その高ぶる様子に我愛羅は声を上げて笑うと、準備を整え愛馬に跨る。
途端に駆けだした愛馬の足取りは軽く、どこまでも力強い。
全身に伝わる躍動を心地よく感じながら、我愛羅は昔から駆け続けたせいで出来上がった一本の道を走り出した。



サクラは両親と共に清々しい朝を迎えながら朝食を共にし、今は洗濯物を干していた。

我愛羅との人生最後の逢引は最も良い思い出となった。
これからはあの輝きを糧に生きて行こう。
そう内心で呟きつつも母親と共に白いシーツを干していると、どこからか威勢のいい蹄の音が響いてくる。

「随分と立派な馬のようね」
「ええ…本当にね」

まるで競走馬のようだ。
そう思わずにはいられないほどに勢いのあるその足音は、しかし徐々にオレンジ畑に向かって近づいてくる。
一体どういうことだろう。
母と目線を合わせていたサクラの元に、作業服姿の父親が声を張り上げながら斜面を下りてきた。

「サクラー!早く!早くこっちに来なさい!」
「えぇ?一体何なのよ…」

首を傾けつつも母親と一緒に斜面を駆け上がり、早く早く!と叫ぶ父と並んで一番高い木の下から周囲を見渡す。

「ほら、あそこだよ!」

父親が指をさすよりも早く、サクラはその姿を見つけていた。

「まあ!あれは我愛羅様だわ!でもどうして…?」

昨日の今日だ。曇った表情を見せる母に父はさあ?と首を傾けるが、サクラだけは気づいていた。

我愛羅の様子が昨日までとは全然違う。

あの暴れん坊の愛馬でさえ我愛羅の喜びに呼応するように大地を駆けている。
気付けばサクラは両親の声も聞こえていないかのように飛び出し、我愛羅に向かって駆けて行く。

「我愛羅くん!」
「サクラ!」

オレンジ畑の斜面を滑り下り、草木が茂る大地をサクラはそのまま駆け抜ける。
対する我愛羅は驚いたことに滑り落ちるようにして馬から飛び降りると、勢いを殺さぬまま駆けつけサクラを抱き上げた。
そうして二人はその場でくるくると回り、サクラは大声を上げて我愛羅にしがみついた。

「やった!やったぞサクラ!」

我愛羅の愛馬はある程度走ったところで足を緩め、散歩をするかのように周囲を歩いている。
そうして高い位置から見下ろす両親は呆気にとられた顔で二人を見つめており、サクラはようやく回るのを止めた我愛羅の顔を見下ろした。

「もう、何がどうしたっていうのよ?ちゃんと説明して!」

我愛羅の逞しい腕に抱えられたまま、困惑を露わにするサクラに対し我愛羅は顔を綻ばせる。

「婚約が破棄になったんだ!向こうの家がとんでもないスキャンダルを起こして…だから俺は政略結婚をせずに済んだんだ!」
「えぇ?!本当に?!」

驚きの声を上げるサクラにああ、と頷き、我愛羅は抱き上げていたサクラをそっと地面に下す。
その瞳は昨夜とは違い生き生きと輝き、全身から喜びを伝えてきていた。

「ようやく解放されたんだ…俺はもう、自由だ」
「ああ…!なんてこと…!今日は最高に素晴らしい日だわ!」

我愛羅の悲しみを誰よりも理解していたサクラは、再びその両目に涙をいっぱいに溢れさせ、我愛羅に抱き着き喜びの声を上げる。
その熱い抱擁を我愛羅も喜んで受け入れ、そして同時に返しながらゆっくりと体を離し、地面に片足をついた。

「サクラ…ずっとキミに言いたかった。あんな短い言葉じゃ足りない。あんな短期間じゃ伝えきれない。全身全霊でキミを愛してる。キミがいれば毎日が素晴らしいものに見える。キミがいれば毎日が価値あるものになる。キミがいれば、俺はもう一人に怯えることはない」

我愛羅を見下げるサクラの瞳には無数の星が瞬いている。
その一つ一つの輝きを胸に刻みながら、我愛羅は万感の思いを込めて口にした。

「結婚しよう、サクラ。二人で手を取りあい、明るい場所でダンスを踊り、愛を交わして毎日を楽しもう。そうして歳を取って死が二人を別つまで、共に生きよう。約束する。俺の愛は尽きたりしない。例えキミの手が今よりずっとヨボヨボになって、俺が馬に乗れなくなった時が来たとしても、毎日キミに愛を囁きキスをするよ」

だから、そう続けようとした我愛羅の頬をサクラは掴むと、ありったけの想いを込めてキスをした。

「ええ…!結婚する、結婚するわ!あなたと…!どんな苦難にも立ち向かいます。どんな中傷にも耐えて見せます。私を女にして。あなたの妻にして。私を…いつまでも愛して、離さないで」
「約束する、約束するよ…!ああ、愛してる!愛してる、サクラ…!」

立ち上がった我愛羅は再びサクラを強く抱きしめ、喜びの声を上げるサクラの唇に貪るような熱いキスを贈る。
そうしてサクラもそれに応えるように腕を肩に回し、強く引き寄せ微笑んだ。

「…ずっと言えなくてごめんなさい。私も…あなたのことを愛しているわ。出逢った時から、ずっと…あなたにだけ恋をしていたの」

愛してる、愛してる、愛してる。
何度も繰り返すサクラの柔らかな声に全身を浸しながら、我愛羅は熱い吐息を零して懇願する。

「そのまま言い続けてくれ。俺を満たしてくれ。だから、俺も何度だって言うよ。愛してる、サクラ」
「ええ、私もよ。愛してるわ、我愛羅くん」

朗らかに笑いあう二人にサクラの両親も微笑みあい、我愛羅の愛馬はやれやれと言わんばかりに首を振る。

そうして無事結婚した二人は国中に驚きの声を上げさせ、一世を風靡する夫婦となった。

侯爵と農民との身分差婚−
前代未聞のこの事例に多くの貴族は仰天し、多くの農民は歓声を上げた。
そうして二人は貴族と農民を繋ぐ架け橋となり、我愛羅は軍人としてもまた、更なる飛躍を遂げて行った。




「…こうしてお父さんとお母さんは結ばれて、幸せに幸せに暮らしているのよ」

暖炉の前で編み物をしながら、サクラは自身の膝の上に頭を乗せている小さな我が子に向かって微笑む。

「でもパパ帰ってこなーい」
「ウフフ。大丈夫。そのうち帰ってくるわよ」

何て言ったって今日はクリスマスなんだから。
そうサクラが呟いた数秒後、我愛羅は肩に雪を降り積もらせながら勢いよく玄関の扉を開け、声をかける。
途端に部屋を飛び出して行った我が子に笑いつつ、サクラも編み物をそっとテーブルに置き歩き出した。

「おかえりなさい、あなた」
「ただいま、サクラ」

「愛してるよ」

我愛羅の冷たい掌に自身の手を重ね、子供の目を塞いでから口付けあう。
二人の愛情は今でも決して衰えることはなく、足元の子供は仲間外れにされないよう二人の足にぎゅっとしがみついた。


end




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