小説2
- ナノ -





我愛羅は帰国してから何度目かの憤慨を感じていた。だがそれは今日に至るまで最上のものであった。

「叔母様方はいるか?!」

馬車を降り、駆け寄ってきた使用人たちを押し退けるようにして扉を左右に開ける。
そうしてずかずかと他人の屋敷に入り込むや否や、駆けつけた執事に向かって声を荒げた。

「お、奥様方は只今二階のバルコニーにてお茶を…」
「分かった、下がれ」

狼狽える執事を脇に退け、我愛羅は足音を消さぬままに階段を駆け上がり廊下を進む。
今までに見たことのないほどの気迫を携えた我愛羅に、女中や下男たちは驚きや恐れる声を上げ壁に張り付き道を開けていく。
そうして辿り着いたバルコニーへの道を進んでいくと、気づいた叔母二人が顔を上げた。

「叔母様!」
「あら侯爵様、御機嫌よう」
「御機嫌よう」

我愛羅が何故こうも憤慨しているか理解しているだろうに、格好を崩さぬ二人に我愛羅は益々眉間の皺を深くする。

「お二人にお話があります。お時間はよろしいですね?」
「あらあら侯爵様。今はこの世で一番大切なティータイムの時間ですわよ?お話なら後に…」

優雅に紅茶を啜ろうとした叔母の前に、我愛羅は力強く掌を叩きつけた。

「あなた方の時間に構っている暇はない。選択肢が残されていると思うなよ」
「…そう。では続けて」

我愛羅の気迫に押されたのか、先を促す叔母に我愛羅は逸る心を一度深呼吸で落ち着けてから口を開いた。

「あなた方がどんな手を使ったのか容易に想像はつきますが、俺の知らない所で勝手に“彼女”と接触したでしょう」
「あら、何の事かしら。要領を得ませんわ、侯爵様」
「ええ、その通りよ侯爵様」

まるでオウムのような貴婦人二人に舌打ちしそうになりつつも、我愛羅は今朝方会いに行ったサクラの家での出来事を思い出していた。

「あなた方は知っているはずだ!俺がこの世で誰を一番に愛しているか!その“彼女”の元に行った!そこで何をしたのか、それを聞いているんだ!」

いつもならサクラの両親は喜んで侯爵である我愛羅を迎え入れた。しかし今日は顔を曇らせ、出来るなら引き取ってくれないかと青い顔で告げてきたのだ。
こんなこと今まで一度として起こり得なかった。少年の頃から我愛羅はあの家で受け入れられ、娘と同じように愛情を注いでもらった。
なのに今日は引き取ってくれと言う。笑顔の絶えない奥方も、朗らかでお気楽な御主人も、我愛羅の目を見返すことなく頭を下げた。

ショックだった。
二人にこんな顔をさせたことも、サクラが自室で寝込んでいると聞いた時も。
全て自分の求婚のせいだと思うと落ち込んだが、粘り強く両親に何故そうなったのかを尋ね続けた。
幼い頃から見続けていた娘の友人だ。二人は必死な形相の我愛羅に隠し通せなかったのか、遂に昨夜訪れた二人の“望まぬ訪問者”について口を割った。

「何故あんなことをした?!あのようなことをせずとも彼女は俺に“NO”と言ったはずだ!」

我愛羅自身気付いていた。サクラはきっと“NO”しか言わないと。
彼女はまだ死んだ友人を愛しているのだ。我愛羅が真実の愛を彼女に捧げたように、彼女の真実の愛は死した友人の傍にある。
己が偽りの愛に身を染めることを渋ったように、彼女もまた偽りの愛を囁くことに苦痛を感じていたのだ。
だからこそ我愛羅はサクラから渡された短剣で心臓を突き刺し、彼女への愛で磔にされても文句は言わないつもりでいた。
しかしそこに他人の力が介入すれば別だ。その瞬間二人の友情は汚され、崇高なものではなくなる。
彼女の下した決断も、己の覚悟も、全てが水の泡になるのだ。

何て事をしてくれたんだ。

そう激昂する我愛羅に対し、叔母二人は視線を合わせてからカップを置いた。

「いけませんわ侯爵様、そのように声を荒げては」
「そうよ侯爵様。あの小娘はあなたに見合うような人ではなかった。私たちは侯爵様のことを思って…」

声を重ねる叔母二人を我愛羅は鼻で笑う。

「俺のことを思って金勘定していたのか?あの小鹿と結婚すればどれほど俺の懐が豊かになるのかを?ふざけるな。豊かになりたいのはおこぼれをもらいたい貴女方だろう。その道具に俺を使うな」

我愛羅にとって金などどうでもいい。確かにあれば苦労はしないだろう。だが金に生きるのは別だ。
他の貴族たちのように金と宝石を勘定し、土地の利権で争うような馬鹿な真似はしたくない。
我愛羅は叔母二人に向かって絶対零度の厳しい瞳を向けた。

「例えあの世間知らずの小鹿と結婚しても、俺は一切家庭には関与しない。貴女方に少しでもおこぼれが行くと思うなよ」

他にもまだ言いたいことは山ほどあったが、我愛羅は視線を合わせる叔母二人のうち一人のネックレスを無理やり引きちぎると、宝石が輝くそれを地面に叩きつけた。

「これ以上俺と彼女に関わってみろ。今度は貴女方をこのネックレスように地面に叩きつけてやる」

我愛羅はそこまで言うと叔母たちの恐怖と非難が入り混じった声や視線を受け止めることもなく踵を返し、盛大な音を立てバルコニーの扉を閉めて部屋を去った。
扉を閉めた途端どこかの窓ガラスが割れるような音がしたが、いい気味だとしか思わなかった。



サクラは遠ざかる馬車の音を聞かぬよう毛布に包まりながら、ただひたすらに懺悔していた。
自分が不埒な想いを抱いたからアノ人は死に、自分と出逢ったから彼は望まぬ結婚に踏み出さなければならなかった。
そんな運命の皮肉をサクラは全て自分のせいだと思い込み、朝からずっと懺悔し続けていた。

「…サクラ、我愛羅様はもうお帰りになったわよ」

軽いノックの後、母の控えられた声にそう、と返す。
瞼は泣きすぎて赤く腫れ、喉を通らぬ食事は朝から一つも口にしていなかった。
我愛羅はきっと望まぬが幸せな結婚をするだろう。豊かな財産に恵まれ、子供を授かって、軍人として名誉ある道を進みながら貴族としても成功を収める。
例えそこに偽りの愛が混ざっていたとしても、そのうち真実の愛に変わるだろう。
そう自身に言い聞かせるサクラに、両親はそっと声をかけた。

「サクラ?本当にこれでよかったの?」

母に尋ねられたが、正直サクラは答えを持っていない。
断るつもりでいた。初めから。だが頭では断ろうと思っていても、我愛羅が別の女性に愛を囁く姿を想像するだけで胸が苦しくなった。
本当はそこら辺の女よりずっと自分の方が彼を愛していると叫びたかった。オレンジの木の下で彼がどんな顔でダンスを踊るか、どんな顔で冒険譚を話すか、誰も知らないくせに。
そう思っているにも関わらず、あと一歩の勇気が湧いてこない。
我愛羅の懐に飛び込むのとは違う、先が見えない沼地の中に飛び込む勇気が、サクラにはもてなかった。

「…とにかく、私たちは下にいるから。何かあったら降りてきなさい」

母の優しい声にうん。と返し、時計の音だけが響く部屋で目を閉じる。
きっと我愛羅は追い返されてとても傷ついただろう。あるいは憤慨したか。だが我愛羅は理由があれば理不尽に怒ったりはしない。
基本的に理知的で理性的な男なのだ。けれどその中に、時折燃え盛る業火のような情熱を見せる時がある。
サクラに愛を囁いた時も、共にワルツを踊った時も、彼の瞳はキラキラと輝き、けれどその奥底では熱い何かが揺らめいていた。

あの輝きが愛おしい。あのぬくもりが、情熱が、眩くて魅力的で堪らない。

けれどもう手放さなくてはならないのだ。いつまでも“白馬の王子様”に甘え、手を重ねていてはいけない。
もう離れなくては。そして、サクラも新しく婿を探さなければ。

そう決意を新たに立ち上がったが、サクラはすぐさま嘆息しベッドに潜り込んだ。

「…もう本当に最悪だわ…彼に合わせる顔がないじゃない…」

サクラが立ち上がった先、丁度目の前には三面鏡がついた鏡台があった。そこには淀んだ顔の、まるで亡霊化してしまったような自分がいて益々落ち込んだ。
こんな顔で彼に会えるわけがない。
約束の期日は今日までだったが、きっと彼はサクラが“NO”と言うことに気付いているだろう。
ならばわざわざ行かずともいいか、と我愛羅の幸せを願い、束の間の眠りにつこうと瞼を閉じる。
遠ざかる馬車の音に交じり、彼の愛馬の蹄の音がしないのが少しばかり寂しかった。




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