小説2
- ナノ -


“I love you”をキミに


これを好機と呼ぶか否か−。
我愛羅は思い悩んでいた。目の前にはずっと恋焦がれていた女性が泣いている。
それはそうだ。何せ今彼らが立っているのはとある人物の墓の前だ。そこに刻まれた名前を、我愛羅はよく知っている。

「…彼の最期を看取ってくれてありがとう…あなたがいてくれて、きっと彼は心強かったと思うわ」

泣き崩れる彼女の首には銀色に輝く指輪がある。それは目の前の墓に眠る、我愛羅の友人でもあり片腕でもあった、彼女の婚約相手から贈られたものだった。

「彼は名誉の死を遂げた。君は彼を誇るべきだ」
「ええ…そうね…」

彼女のことはよく知っている。出会ったのは彼女が婚約相手と出会うずっと前、互いに子供だった時からの付き合いだ。

「それに、あなたが無事でよかった。もしあなたまで失っていたら…私はきっと枕を濡らすだけじゃ済まなくなるわ」

彼女は、名前をサクラと言った。
東国の生まれで、わざわざ海を越えてこの地にやってきた。けれどそれは彼女が生まれてからすぐの話で、彼女自身は生まれ故郷のことを殆ど知らないという。
実際彼女自身あまり故郷に興味はないようで、生まれ落ちた場所より育った地の方が大切だと口にしている。
それに彼女は何よりも庭に咲くオレンジの木を大切にしているし、我愛羅も彼女の庭からだけでなく、彼女自身から香ってくるオレンジの爽やかな匂いが好きだった。

「でも、その腕じゃ生活しづらいでしょ?」

泣き腫らした赤い目のまま、彼女の手がそっと自身の腕にはめられたギプスの表面を撫でる。

「多少の痛みなら何てことはない。飛び出した内臓を自分で押さえつけていた時に比べれば遥かにな」

我愛羅は軍人だ。戦争が起こればそこに行く。陛下に命令され、女王に命令され、彼は死地へと飛び込んでいく。そのため死にかけたことなど一度や二度ではない。
けれど今でもしぶとく生きている。友人や上官、部下たちが命を落とした戦場であっても、我愛羅だけは命を繋ぎ止めていた。
それは彼女の婚約相手も一緒であった。共に死地を駆け抜けた信頼できる仲間であった。例え自身の恋敵であったとしても、余りあるほどに彼に友情を感じていた。

「…私に何かできることが言って。力になるわ」

本当ならその台詞を口にするのは我愛羅のはずだった。しかしサクラの性格と気持ちを考えれば難しくないことだ。彼女は一人になると塞ぎ込む傾向がある。
今はそれでも構わないが、そのうちダメになっていく。それが自分で分かっているのだろう。
瞳は悲しみに濡れ、血の気の失せた唇は紫色に変色してはいるが、彼女の両足はしかと地面を踏みしめていた。
我愛羅は今にも死にそうなサクラにやんわりと笑むと、心遣いありがとう。と返した。それ以外、かける言葉を持っていなかった。



そもそも我愛羅は成人してからというもの、いや、正確には軍に属してからというもの殆どの時間を戦場で過ごしている。
時には故郷の基地にて内勤に勤しむこともあるが、殆どは他国を侵攻するため故郷を出ている。
今回も友人や部下たちの弔いをするために戻ってきた。戦争自体は一月程前に終戦していたが、多くの軍人が負傷していたため戻ってくるのに時間がかかってしまった。
加えて我愛羅自身も負傷している。怪我をした当時は腕を切り落とす覚悟ではいたが、結果的に五体満足で戻ることが出来た。それを喜ぶべきだと理解ってはいたが、沈み込む彼女の前では口に出来なかった。

「何だか久しぶりね…あなたとこうして暖炉の前で紅茶を飲むのは」
「ああ…そうだな。最後はこの戦争に出る前だったか?」
「ええ。戦地に行く前、彼と…あなたと私との三人で、紅茶を飲んだわ」

白いティーカップを持つサクラの白い指を見つめながら、我愛羅はそうだったなと頷く。
あの時のことは何よりも鮮明に覚えていた。何せその時初めて自分の友人と想い人が結婚するという話を聞いたのだから。

「帰ってきたら式を挙げる予定だったの。でもよかったわ。ドレスはまだ用意してなかったの。おかげで悲劇のヒロインに抜擢されずに済んだわ」

自身を皮肉る彼女ではあるが、本心では真逆のことを思っているに違いない。
女性は誰だってウェディングを望むものだ。未婚のレディなら誰だって、好ましい紳士の隣に並ぶことを夢見ている。特に、貴族階級の中では。
我愛羅の家は侯爵の称号を与えられているので貴族扱いだが、サクラの家は至って普通の、オレンジ畑を営む果物農家だ。
亡くなった友人は子爵扱いではあったが、それでも平民からしてみれば立派な貴族である。子爵夫人になるのが夢みたいだと微笑んでいた少女の顔は、今や死人一歩手前であった。

「あいつも楽しみにしていた。本当に」

侯爵と子爵とでは階級に随分な差があるが、同じ軍の宿舎で育ち、剣を交えた二人の間に身分の差はなかった。
だからこそ自分たちもサクラに身分を感じさせなかったし、本当にただの友人同士として語り合い、生きてきた。
我愛羅の淡い想いを打ち砕かれたのは確かに友人たちの手ではあったが、サクラの幸せを引き裂いたのは皮肉な運命と、友人自身だった。

「戦場でくだらない話をすることもあったが…キミとの結婚の話や出会い話、デートの話をしている時は本当に幸せそうだった」

その話の数々は確かに我愛羅の恋心を傷つけた。長年思い続けてきた女性が他人の、友人の腕の中で笑い、愛を語り合う姿など想像して誰が喜ぶものか。
けれど我愛羅はその嫉妬にも似た灼熱の気持ちをどうにか押さえつけ、祝福し、背を押した。
自分の中にこんなにも強い忍耐力と、燃え盛る嫉妬の気持ちがあるとは知らなかった。そう皮肉ってしまう位に身の内で様々な感情が入り乱れたが、我愛羅は恋よりも友情を取った。
だからこそ微笑んで彼らを祝福したというのに、神は彼らに微笑んではいなかった。

「そのくだらない話の中に私の話があったの?」
「いや。くだらない話とキミの話は別だ。くだらない話は本当にくだらなかったさ」
「そう。例えばどんなの?」

友人のことを思い出したくないのか、思い出したいのか。思い出すというよりは彼が戦場でどんなことを話し、どんな気持ちを我愛羅に話していたのか知りたいのかもしれない。
僅かに揺れる嫉妬の炎に見て見ぬふりをしながら、我愛羅は軽く口の端を上げた。

「なんてことないさ。ただ敵地にいる、非常食として飼われてた豚に名前をつけるなら何にするかとか、そういう話だ」
「何にしたの?」

時折敵軍に非常食として豚や鶏を飼っている所も少なくない。実際冬前にはそれらを締め上げ、血を抜けば冬の間肉に困らずに済む。
我愛羅だってしたことがないわけではない。

「俺はハムとベーコンがいいって言ったんだ」

瞬間サクラは呆れたように口元を緩めたが、すぐに彼は?と問いかけてきた。

「素晴らしいことに敵軍の参謀長官の名前と総指揮官の名前をつけた。快く命名権を譲ったよ」
「何それ。本当にくだらないわ」

けれど笑いあう二人の姿が想像できたのだろう。サクラは先程よりもずっと穏やかな顔で口元を緩め、ティーカップへと視線を落とした。

「私は軍人じゃないから戦場がどんなところか想像しかできないけど…四六時中気を張ってるわけじゃないって分かってほっとしたわ」
「四六時中気を張ってる奴もいるが、そういう奴は大抵すぐに死ぬ。大事な所で注意不足になってるからな。ある程度気を抜いていた方がいい」
「オンとオフ、ね」

実際そういう輩は多くいる。だが大概は新兵で、経験が少ないからこそ緊張や不安を感じ、余計に気を張ってしまうのだ。
我愛羅はそういった、いらぬ精神疲労のせいで倒れて行った仲間たちも多く見てきた。

「思いつめたって何も変わらない。むしろリラックスしている時の方が案外いい案が浮かんだりするものだ」
「そうね」

この話は彼女の慰めにはならないだろう。しかし彼女が少しでも笑ってくれたことが嬉しかった。
皮肉なことに、それはもっぱら友人の話ではあったけれど。

「そろそろお暇するとしよう。籍を入れていなかったとしても心はそうじゃないだろう。しっかり養生してくれ」
「“養生”という言葉は今のあなたにあるためだと思っていたわ。それに“安静”という言葉もね」
「…帰ったら辞書でも引くよ」

観念したように軽く首を振る我愛羅にサクラは微笑むと、気を付けてね。と続け、玄関先のハンガーにかけていたコートを手渡した。
サクラの白い手からコートを受け取り、小脇に抱えてからドアを開ける。

「ではな」
「ええ、また」

彼女の悲しみに濡れたエメラルドグリーンの瞳に心を締め付けられながら、それでも背を向け、扉を閉めた。
サクラの家の前では予め手配していた馬車が既に待っている。御者は近付いてくる我愛羅に気付くと馬車を降り、慣れた動作で扉を開けた。それに対し「ご苦労」と声をかけ、そのままステップを踏み、柔らかな椅子に腰を沈めた。

「……はぁ…」

友人と想い人の幸せな結婚が、悲劇の結末を迎えた。
自分は第三者のはずだ。けれど何故だか、我愛羅は自分が二人の間に割って入っているような気がした。それがただの思い過ごしであればいいのだが。
そんな陰鬱な気持ちを持ったまま走り出した馬車に揺られ、我愛羅はこつりと頭を窓に押し付けた。



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