小説2
- ナノ -


気になるあの娘




刺激的な恋とはいつも女を美しくさせる。
お金をかけた化粧品でも、材質のいい洋服でもなく、素敵な出会いと燃えるような恋愛。
愛に全身全霊をかけて生きる女にとって、燃え上がるような恋はそれこそ理想のものであった。


サクラにとってサスケとはまさに初恋の相手であり、燃え上がる恋愛の対象であった。
しかしそれは双方の想いが通じ合ってこそ初めて意味を成す思想であり、一方通行な想いは単なる辛い片思いでしかなかった。
現にサスケは現在旅の真っ最中であり、そのメンバーにサクラは含まれていない。
いつ帰るかもわからない、そもそも恋人と呼べる位置にすらいない。いつまでたっても“友人”の位置にいる自分に落胆する日々は昔と変わらなかった。

「はあ…」

一人でつく溜息に慣れるというのはあまりいいことではないのだが、それでも出てくるものは仕方ない。
例えこの時飲み込んだとしても、どうせ気づいた時には再度口から零れているのだ。隠す必要もない。
サクラは病院の勤めから帰る最中、ぼんやりと立ち寄った公園のブランコに腰かけていた。

「あーあ…世界は平和になって、里も元通りになって、七代目火影がナルトに決まりそうだっていう話も出てるのに、私にはイイコト何にもないなぁ〜…」

確かにサスケを闇の中から取り戻すことは出来た。しかしそれはサクラだけの力ではない。誰よりもサスケを取り戻そうとがむしゃらになっていたのはナルトだからだ。
自分が出来たことは多くない。
サクラは今日何度目かの溜息を零してからゆらゆらとブランコに揺られていると、公園の入り口で誰かが立ち止まる気配を感じた。

「…春野サクラか?」
「…その声は…」

聞こえてきた穏やかな声。
顔を上げたサクラの視界に入ったのは、丸い月をバックに立ち止まる風影、我愛羅であった。

「こんなところで何をしているんだ?家出か?」
「まさか。今一人暮らししてるから家出じゃないわ。単なる寄り道よ」

昔から気真面目で冗談なんて欠片も口にしなさそうな我愛羅ではあるが、意外にも砕けた所がある。
当然真面目な席では見せないが、プライベートな時間では話が別だ。それを知ったのは随分と最近の事ではあるが、その姿は決して嫌なものではなかった。

実際家出かと聞かれた時思わず笑いそうになってしまった。昔なら子供扱いしないでよ!と怒ったかもしれないが、今はそれを笑えるほど歳を喰っている。
サクラは抱えていた陰鬱な空気が少しだけ和らぐのを感じながら返事をした。

「そうか。それはすまなかったな」

我愛羅も本気ではなかったのだろう。
サクラの返答に少しばかり口の端を上げると入り口を通り、隣のブランコに手をかけた。

「夜の公園と言うのは不思議なものだな。昼間とは全く違う顔を見せる」
「ええ、本当にね」

夜の帳が降りた世界はとても静かだ。そもそも忍は闇と仲良く生きているものだが、それでも幼い子供はまだ陽の光に包まれ生きている。
そんな子供たちが大いに遊び倒した後をそこかしこに残しながら、それでいて夜になれば生き物の気配を消してしまう。
とかく夜の力とは不思議なものだと思いつつ、サクラは未だ突っ立ったままの我愛羅に視線を向けた。

「よかったらどう?あまり座り心地がいいソファーではないけれど」
「ああ、ご一緒しよう」

サクラの冗談に軽く乗っかり、我愛羅はサクラ同様小さなブランコに腰かける。途端に両端の鎖が軋み声を上げたが、それはどこか懐かしさを感じさせた。

「所で我愛羅くんは何をしていたの?散歩?」
「いや、温泉に足を運んでいたんだ。砂隠にはないからな」

我愛羅の言う通り、月明かりを反射する髪がどことなく湿っている感じがする。
そして風に乗ってサクラの鼻腔に届いたのは石鹸の香り。しかしその中に嗅ぎ慣れぬ匂いを感じ、少しだけ逡巡した。

(ああ…我愛羅くんの匂いか)

普段こうして我愛羅の傍に立つことは少ないが、決して近くに立ったことがないわけではない。
共に任務を遂行した時もあるし、ナルト達と共に食事会に参加したことだってある。けれどこうして匂いを傍で感じる程意識したことはなかったので、何だか新鮮だった。

「しかし温泉とはいいものだな。砂隠にもあればいいんだがなぁ…」
「ふふ、温泉は木の葉の売りだからね」

本当に心からそう思っているのだろう。どこかうっとりと目を閉じて呟く我愛羅にサクラが笑えば、我愛羅もどこか楽しそうに唇を緩めた。

「そういえば食事はしたのか?」
「え?いや、まだよ。帰って摂ろうと思って」
「外食は?」
「あまり好きではないわね。一人の時は、だけど」

実際一人暮らしで外食するのは高くつく。友人との食事は別だが、普段は家に帰って料理をする方が一ヶ月の出費を抑えられるのだ。
とは言ったもののサクラはそこまで料理が得意なわけではない。特別不味いものを作るというわけでもなかったが、特別美味いものを作るわけでもない。
結果的に出来合いのものに頼る日は多かった。
そんなサクラに我愛羅はそうかと頷くと、小さなソファーから立ち上がり掌を差し出した。

「では共に食事はどうだ?それなら外食でも問題ないのだろう?」

我愛羅と共に出かけたことなどただの一度もない。サクラはこの誘いを断るべきかどうか悩んだが、結局のところを受け入れることにした。
何せ明日は休みであったし、そもそも家に帰るのも何となく気が重かった。それに我愛羅となら大した問題なく飲めるだろうと安易に考えていたのだ。
サクラは差し出された掌に己のを乗せると、自身を見つめる我愛羅に向かって微笑んだ。

「お酒が美味しいお店を知ってるの。よかったらご案内するわ」
「そうか。それは楽しみだ」

夜のデートとしては満足のいくものになるだろう。
月明かりも美しいし、瞬く星も数多く、雲に遮られることはない。
サクラは我愛羅と共に公園を後にすると、最近顔を出したばかりの小ぢんまりとした酒屋の暖簾をくぐった。

「いらっしゃい」
「こんばんは」

店の主人は五十を過ぎたくらいか。半分以上白く染め上った髪を後ろに撫でつけた店主が、サクラの後ろから入ってきた人物に目を開いた。

「おや、驚いたな。随分と立派なお相手じゃあないか」
「やめてよおじさん。私と彼はそんな関係じゃないわ」

からかう店主に苦笑いを返し、慌てて飛んできた店員に席を案内される。
小さな店ではあるが、ボックス席が三つある。例え狭くても、二人で飲むには十分な広さだった。

「このお店が一番多くお酒を置いてるの。でも知らな人は多いのよ」
「ほう。では何故お前は知ってるんだ?」

運ばれた来たおしぼりで両手を清めながら、サクラは少しばかり苦笑いした。

「綱手様の付き合いで、ね?」

そこまで言えば我愛羅とて分かる。
綱手の酒好きは有名だ。酒癖が悪いことも。
なので我愛羅が理解した、と返せば、サクラもそれ以上は言わなかった。
そうして各々食べたいものと酒を注文し、グラスを奏であわせてから会話に戻る。

「それにしても…何だか変な感じ。あなたとこうして食事をする日が来るなんて思いもしなかったわ」

店主自慢の焼き鳥を口にしながらからかい交じりに軽口を零す。
頼んだ酒は少し辛口で、サクラの喉を熱く焼いた。
対する我愛羅も同じように鳥の肉を食みながら、サクラよりも少し度数の高い酒を口に含み、嚥下する。

「まぁ…俺はそこらの男と違って華やかな店に行くのは苦手でな。見知らぬ女性と飲むよりか、友人と飲む方が好きなんだ」
「ふふ、そうなの?てっきり男の人は皆ああいうお店が好きなんだと思っていたわ。同性愛者じゃない限りね」

からかうサクラに我愛羅は肩を竦め、まさか疑われていたとはな。と軽口を零す。
しかしそこに嫌悪の色は滲んでおらず、サクラはほんのりと頬を緩めた。

「だってナルトも綱手様も言ってたわ。我愛羅くんからそう言う話を一切聞かない、って」
「相手がいないだけだ。興味がないわけじゃない」

思ったより素直な返答だった。しかし相手がいないというのは意外であった。役職から見てもその端正な見た目から考えてみても、相手を探すのに苦労しなさそうなのに。
ついまじまじと我愛羅の顔を眺めてしまったサクラは、我愛羅の挑発的な瞳にしかと映ってしまった。

「興味があるのか?」
「え?い、いや、そういうわけじゃ…ないんだけど…」

実際の所は興味津々だ。しかしここでうんと頷いても上手くはぐらかされてしまう気がする。
ナルトも綱手も、実の姉であるテマリからも我愛羅からその手の話は聞いたことないと言っていた。触れられたくない事情があるのかもしれない。
しかし目の前にいる我愛羅は本当に彼らをのらりくらりと躱してきたとは思えないほど好奇心旺盛にサクラを見つめ、グラスの縁を撫でていた。

「今日の俺はお喋りかもしれないぞ?酒の回りがいつもより早そうだからな」
「それはいいことを聞いたわね。あなたの隠された秘密を暴くいい日になりそう」

実の所サクラもそれなりに酔っていた。
普段は翌日の仕事のことを考え、あまり高い度数の酒は口にしない。しかし今日は別だ。
我愛羅の驕りと言うこともあり、つい高めの酒に手を出していた。互いに酒が回るのが早いのかもしれない。どちらが先か、というのは流石に分からなかったが。

しかしその秘密を暴くにしては少々周りが煩すぎた。
サクラたちが入って暫くして、店の常連らしき中年男性たちが一気に押し寄せてきたのだ。
安い居酒屋と違い飲んで食って騒ぐ、というものではなかったが、それでも時折あがる笑い声に我愛羅の声はかき消されてしまいそうだった。
だが煩いと感じたのはサクラだけではなかったようで、我愛羅は最後の一杯を胃に納めると身なりを整えた。

「そろそろ出るか。人も多くなってきたようだしな」
「ええ、そうね」

壁にかけられた時計を見れば、店に入ってから既に一時間近く立っている。
思ったより長居してしまったかしら。とサクラは我愛羅が会計を済ます間に手櫛で髪を整え、頬の火照りを掌で感じた。
不思議なことだった。サクラはそこまで酒に弱くない。むしろ強いと言ってもいいほどだ。なのにその頬は今までにないほど熱く燃えており、燻る身の内を焦がしていくようだった。

変なの。
思いつつ瞼を閉じ、夜風を感じているとガラリと戸が開く。

「待たせたな」
「いいえ。驕ってくれてありがとう。美味しかったわ」
「こちらこそ。良い店を紹介してくれて礼を言う」

川沿いの道を二人並んでぶらぶらと歩く。普段はテキパキと歩く二人が、こんなにも遅い足取りで歩く姿など誰も見たことが無かった。
そしてサクラからしても、我愛羅からしても、互いの姿はいつもと違って見えた。

「夜風が気持ちいいな」
「そうね」

全身を撫でる風がサクラの髪をくすぐっていく。それを片手で抑えつつ我愛羅の横顔を盗み見れば、我愛羅はほうと熱い吐息を零した。

「何だか今日はいつもより酔ってる気がする」
「そう?あまり顔色は変わってないみたいだけど」
「そうか。それはよかった」

けれど酔っているのはサクラも同じだった。まっすぐ歩いているつもりだが、あまり自信はない。
いつもより地面がぐらつき、体もフラフラしている気がする。実際ふとした瞬間に大きめの石を踏んづけてしまい、サクラはそのまま我愛羅の体にぶつかってしまった。

「ご、ごめんっ!」

慌てて身を起こそうとしたサクラではあったが、咄嗟に抱きとめられた我愛羅の腕が解かれないことに気付き顔を上げた。
そこには相変わらず月を背景に立つ、どこか熱っぽい眼差しを向ける男がいた。

「…サクラ」
「…何?」

我愛羅は普段、サクラのことを親しげには呼ばない。いつも事務的なフルネームでサクラを呼んだ。
しかし今は、まるでずっとそう呼んでいたかのように当たり前にサクラの名を呼んだ。フルネームではない、サクラの名前を。

「送っていく。今日はもう遅い」

一瞬身構えたサクラではあったが、考えてみれば我愛羅はそんなことをするような男ではない。
自分は何を考えていたのかと軽く頭を振って邪念を吹き飛ばし、サクラは曖昧に笑った。

「平気よ。今のはちょっと石に躓いただけだから。それにここからだと我愛羅くんが泊まってる宿の方が近いんだし、二度手間になっちゃうわ」

サクラからしてみれば闇を恐れることなど何もなかった。ここは木の葉の里であり、独り暮らしの部屋も大通りに面している。
いざとなれば周りの人が助けてくれるだろうし、そもそも無粋な輩はこの里に少ない。
何の問題もないと笑い飛ばすサクラに、我愛羅はでは、と続けた。

「部屋で飲み直さないか?あの宿にもいい酒は置いてあるんだ」
「えぇ?まだ飲むの?」

サクラは別に構わなかったが、我愛羅はそうではないはずだ。
明日は普通に公務があったはずだし、そもそも付き人だって宿泊しているはずだ。
あまり里長を惑わすようなことをしてはいけないと良心が咎める一方で、我愛羅は悪戯にサクラの腕を引き寄せた。

「サクラに慈悲の心があるなら、もう一杯だけ付き合ってもらいたいんだがな」
「…まったく、しょうがないわね」

そんなこと言われたら断れないじゃない。
苦く笑うサクラに対し、我愛羅も軽く微笑むと歩き出す。けれど取られた腕はそのままで、我愛羅の熱い掌を直に感じた。
もうふらつかないんだけどな。
思いはしたが、何となく口にしないでいた。我愛羅の体温が不思議な程心地よく感じたからかもしれない。
サクラは自身の体に満ちる不思議な感覚に戸惑いながらも、我愛羅が宿泊する宿に向かって足を進めていた。




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