小説2
- ナノ -





正直初めはちょっとばかし苛ついていた。何でたかが傀儡如きでこれほどまでに怒られなければいけないのかと。
確かに言い過ぎたな、という気持ちはあった。けどやっぱり理解できないものは理解できないし、いつも私ばかり言われ放題なのもムカついていた。だからちょっとした意趣返しのつもりだったのだ。

だって本当に、ずっと長いこと一緒にいた。私が別の人を好きだった頃から、サソリが流れ者として道端で傀儡のお芝居をしている時から、彼のことを知っていた。
思えばこの数年間。彼と顔を合わさない日などなかった。それくらいサソリと一緒にいることは当たり前だった。
喧嘩なんかしょっちゅうで、下らない言い争いも毎日のようにしてた。時にはあんたなんか大っ嫌い!って叫ぶ時だってあったし、バーカバーカって罵り合う日もあった。
けど彼と会わなくなって、声も姿も見なくなって、清々するかと思ったら全然違った。考えることは彼のことばかりだった。
そんなある日気づいたのだ。私は彼のことを何も知らないんだ、って。

だって彼が好きな食べ物や嫌いな食べ物は知っていても、傀儡を作ること以外で何が得意なのだとか、どんな所に行くのが好きなのだとか、どういったことで心が躍るのかとか、そんなことも知らなかった。
意外にも読書家な彼が好きな作家だって、好きな本の傾向だってよくは知らない。どこの本屋さんによく行くのか、たまに出かける場所は何処なのか。それすらも知らない。
それに気付いた時私はどれだけ彼に甘えていたかを知った。彼が私のことが好きだからと言って、その想いに胡坐をかいていた。
それがどれだけおこがましいか、どれだけ彼に負担をかけていたか。今更理解したって遅いのに、私は今更になって彼の優しさや、気持ちを踏みにじっていたのかを理解した。
本当に、遅すぎる話だ。

本当ならこの長屋からも出て行かなければいけないのかもしれない。
けどどうしたって私はこの部屋から出ることは出来ず、もう既に一週間以上もたっている。隣から傀儡を作る音は聞こえてくるけれど出かける音なんて聞こえては来ない。
私が仕事に行っている間に出かけているのだろう。実際貴重品や私の私物も全てこの部屋に戻されていたぐらいだ。本当に、振られたんだ。

「…何よ…サソリのバカ…」

振るならハッキリ振って欲しかった。
他に好きな女が出来たとか言って、嘘でもいいから、諦めがつくような嘘を言って振って欲しかった。
もうお前なんか必要ないと言わんばかりに、もう明日からは他人だとでも言うように突き放すような別れは、私にとって何よりも辛く、寂しい気持ちにさせた。


帰ってきて。
なんて、そんな女々しいこと言いたくない。でも、私はまだサソリと一緒にいたいと思ってる。
人のことをバカだのなんだの言って不遜気に笑う顔、よく腹が立つと言って顔を背けていたけど本当は好きだった。
熱いものが苦手なくせして息を吹きかけるのを嫌がって、我慢しては口に含んで必要以上に顔を顰める姿を見るのが好きだった。
私に初めてキスした時、顔だけは格好つけてるのに指が震えてたのがちょっとだけ愛しかった。格好つけちゃって。なんて思ったけど、私もつられてドキドキしたんだよ。


それに、サソリと話すのが好きだった。
どんなくだらないことだって、真面目なことだって。意外とおしゃべりな彼との話題は尽きなくて、肝心なことが言えない日だってあったけど、本当にどんな話をしていても楽しかった。
くだらないことで大笑いした。雨の日だって、傀儡があああ!って叫びながら飛び起きて、新聞紙をかき集めて湿気対策!と騒ぐ彼を横目に眺めてぼんやりするのも好きだった。
そんな彼のためにてるてる坊主を作って軒下に吊るしていれば、殺人予告?とふざけられ思わず飛び蹴りしたのも懐かしい。
夏の暑い日にはお客さんから貰ったと言って小さな風鈴を持って帰ってきて、軒下に下げて一緒に耳を傾けた。月明かりだけが頼りの中、暑いけど、身を寄せ合って夜空を眺めてた。

いっぱいいっぱい、この部屋には思い出が詰まってる。
喧嘩した時に出来た箪笥の傷だって、畳のささくれだって、ちょっと曲がってしまった傘の柄にだって、思い出がある。
なのに、サソリだけがいない。
死んだわけじゃないのに、もうサソリは私を愛してはくれない。

今更になって言いたくてしょうがない。
あなたが好きだって。
本当は、もうあの人より好きなんだって。好きになってたんだよって、言いたい。
でももう彼は聞いてくれない。会ってもくれない。本当の本当に愛想を尽かされてしまった私は、もう二度と彼に会うことは出来ないのだ。
こんなの、死んでいるのと何も変わらない。

「サソリ…逢いたいよ…逢いに来てよぉ…」

私からは行けない。
だって彼はきっとまだ怒ってるから。
でも謝りたいの。
ここ最近ずっとサソリの傀儡を買ったお客さんたちの所に足を運んでいた。
彼の作品がどれだけ愛されているか。どれだけ凄いか。傀儡師の人たちがどんな思いで傀儡と共にいるか。
聞いてみて初めて分かったのだ。彼がどれだけ凄い人か。どれだけ尊敬されているか。そして、どれだけ暗い過去を背負っているか。

幼い頃両親を亡くした彼にとって傀儡だけが全てだった。唯一の肉親であった祖母との繋がりも傀儡しかなかった。
私には教えてくれなかったこと。けどそれは、彼が私に甘えられなかったからだ。私が彼に甘えて頼り切っていたから、自分の気持ちを押し殺して私を受け入れてくれていたからだ。
何も知らない。知ろうとしなかった私をずっと支えてくれていたのは彼だったのに、私はなんて愚かなんだろう。

「サソリ…サソリ……」

真っ暗な部屋。
開けた窓から漏れる光は栄える町の光だけ。月さえ厚い雲に覆われて見えない夜、私はうじうじと涙を流しながら畳の上で横になっていた。
布団を敷くことすら億劫で、まだ肌寒い季節であるにも関わらず何もかけずに目を閉じた。
もしこのまま凍死でもすれば、幾ら怒っているサソリでも少しは悲しんでくれるかもしれない。
そんなバカみたいなことを思いながら目を閉じて、私は徐々に冷えていく体から力を抜いた。


それから目を覚ましたのは随分立ってからだった。
厚い雲に覆われていた月明かりが部屋に戻ってくる中、定位置に置いていた時計の針が時が進んでいることを示している。
けど私の視界に入ったのは時計の針なんかじゃなくて、少し前までは一緒に寝るのが当たり前だった彼の穏やかな寝顔だった。

「…ゆめ…?」

実際外はまだ暗かった。月の位置が変わっているのは入ってくる光から気づいてはいたが、いつの間にか敷かれた布団と抱きしめるように回された腕には気づけなかった。
だから夢だと思った。
喧嘩別れしてから大して変わっていない彼の寝顔。髪も髭もそんなに伸びていない。まるで作り物のような綺麗な顔。
私にとっては傀儡より綺麗なのに、素直に褒めてあげられなかった好きな人の無防備な寝顔。

(ふっ…バカね。会いたい気持ちが過ぎて夢にまで見るようになるなんて…)

でも夢じゃダメなのだ。本物がいい。
いつもみたいに不遜に笑って、私のことを小娘、って呼んで、でもキスをして体を重ねている時だけはサクラ、って耳元で呼んでくれる、そんな彼に逢いたいのに。

「…サソリ…」

思い出すだけでまた涙が出てくる。
私の涙腺は彼の名前を呼ぶだけで緩んでしまう。情けないほどにボロボロと涙が溢れて夢の中の彼の頬を濡らしてしまう。

「逢いたい…逢いたいよぉ…」

謝りたい。許してほしい。
それから出来るなら、また抱きしめて欲しい。バカにしながらでもいい。キスをしてほしい。小娘が、って悪態をつかれながらでもいい。傍にいて欲しい。

「サソリ…サソリ…」

ぽたぽたと落ちる涙がまるで豪雨のように頬から滑り落ちていく。そうして夢の中の彼はうぅんと唸りつつ目を開けたかと思うと、涙を流す私を視界に写し顔を歪めた。

「なにないてんだアホがぁ…」
「ふっ…うぇ…だって…だってぇ…」

サソリに逢いたいのに逢えない。それが寂しくて辛い。
大好きなのに嫌われた。本当は優しい人なのに、不器用で素直じゃないだけなのに、気持ちを分かってあげられなかったのが悔しい。
そんなことを嗚咽交じりに伝えれば、彼はやれやれと吐息を零しつつ上体を起こして私のことを乱暴に抱きしめた。

「…反省したかよ、あほんだら」
「うん…した、したよぉ…だから帰ってきて、サソリィ…」

夢の中の彼の背中に指を馳せ、衣服に皺が残る勢いで強くしがみ付いた。そうして溢れる涙を肩口に押し付けつつ泣く私に、夢の中の彼は不器用な手つきで頭を撫でてくれた。

「あんまりよ、泣くんじゃねえよ。目ん玉溶けるぞ」
「とけてもいいもん…サソリが帰ってくるなら、溶けたっていいもん…」
「バカやろう。お前の目ん玉溶けたらどうやって俺のこと見るってんだ。バカ言ってんじゃねえぜ」

夢の中なのに優しくない。悪態ばかりの彼に思わず笑って、それもそうね。と返す。

「私の瞳、あんまり綺麗じゃないから好きじゃないの。でも、サソリのこと見れないの、イヤだわ」
「…それこそバカ言ってんじゃねえよ。お前の瞳は……ちゃんと綺麗だよ」

珍しく優しい。思いつつちょっとだけ笑って、夢の中なら何をしてもいいかなと開き直って肩口から顔を起こした。

「ねえ、サソリ」
「あ?」

月明かりが頼りの暗い部屋。だからサソリの顔はよく分からなかったけど、それでも眠たそうな瞳が光っていることだけは見て取れる。
私はその飴玉みたいな瞳を見つめながら、あのね、と口を開いた。

「私、サソリにずっと謝りたかったの。あなたの気持ち、何もわかってなかったから、沢山沢山酷いこといって…本当にごめんなさいって。謝りたかったの」

毎日会っているから気付かなかった。私がどれだけサソリに甘えていたか。どれだけサソリが大人だったか。子供だった私には、分からなかった。

「甘えてばかりでごめんなさい。あなたのこと、何も知らないくせに知ったようなこと言って、ごめんなさい」

傀儡のことだって、何も理解してなかったのに。

「生意気ばかりで…困らせて…本当に、ごめんなさい」

見つめる彼の顔を見ていられなくて、俯く私の額に当たったのは生暖かく柔らかい感触。
キスされたのだと気づいて顔を上げれば、存外近くにいた彼の唇が鼻先にあたり、そのまま唇を重ねられた。

「…わーったよ。反省したならそれでいい。だからもう…泣くんじゃねえよ」

調子狂うわバーカ。
零された子供のような悪態にちょっとだけ笑って、本物のサソリもこんな風に許してくれたらいいのに。
そんなことを思いつつ私は夢の中の彼の首に手を回し、自ら体を密着させ唇を重ねた。
私が泣いていたからかもしれないけど、夢の中の彼の唇は涙の味がして、ちょっとしょっぱかった。


次に目が覚めたのは朝日の中だった。
開けていたはずの窓は閉められていて、薄い硝子の向こうから鳥の囀る声が聞こえてくる。
あー…朝かー…
何て、一人ぼっちの朝を迎えるのは今日で何日目だろうかと思ったところで、胸のあたりでわさわさとした感触が動いたことに気付いて固まる。

「え…何…?」

まさかゴキブ…
そこまで考えて全身に冷や汗をかきつつ、それでも恐る恐る視線を下げた先には、目にも眩しい赤い髪が私の僅かな谷間の間で静止していた。

「…え?」

しかもちょっと待て。何故、全裸なのか。

「………え?」

背中に当たるシーツの感触は確かに我が家のものだ。いつも使っているものに相違ない。
そして見渡した周囲、足元らへんの向こう側に私の着ていたはずの衣服があり、ショーツが別の方向に飛んで行っている。
因みに私に脱ぎ癖はない。
そして反対に彼がよく着ていた甚兵衛とよく似た衣服がある。目線だけで探して見つけた屑籠には自分では使った記憶のない大量のちり紙と、皺の寄ったタオル。

「…まさか…」

別に私だってもう処女じゃない。彼と体を重ねたことだってそりゃあある。
いや、だけど、え?もしかして私、彼とよく似た人と寝てしまったのか?サソリに会いたかったからってそれはないだろう!

絶望する私の谷間の間で、男はうーんと唸ると目を擦りつつ起き上がった。

「ふぁー…あ…あー…ねむてー…」

開けられた大きな口。ぼりぼりとオッサン臭い動作で首元を掻きながら起き上がった男の顔を見上げ、私は絶句した。

「…おう。起きたかよ、小娘」

やる気のなさそうな瞳に寝癖のついた赤い髪。パンツ一枚だけの見慣れただらしない格好。
私は混乱する気持ちをそのまま乗せたようにサソリ…?と呟けば、男はおう。と頷き私を見下ろした。

「つかお前よぉ、俺がいないからって上下別の下着つけてんじゃねえよ」

まぁ見るのは俺しかいねえけどな。
と続けられた言葉に思わず足を振り上げ、不遜な男の腰を蹴りあげた。

「何よ!ずっと帰ってこなかったのはそっちじゃない!」

久々の行為で体の節々が痛い。けどそんなことも気にならないほどに私は腹筋を使って起き上がり、蹲る彼の背中を枕で叩いた。

「バカ!サソリのバカバカバカバカバカバカ!」

逢いたかったんだから、心配したんだから!
ずっとずっと、寂しかったんだから、本当はもっと早く、逢いたくて、謝りたかったんだから!

色んな気持ちを叫びながら彼の背中をぼすぼすと枕で叩いて、でもそのうち彼の手がそれを弾き飛ばして、気づけば私は裸のまま、彼の背中を力なく叩いていた。

「…あいたかったんだからぁ…」

そうして終いにはまたぐずぐずと、夢の中で彼に目玉が溶けちまうぞとからかわれたばかりだというのに泣いてしまって、彼はまたやれやれと後頭部を掻いて私のパンチを受け入れた。

「…さそりぃ…」
「あんだよ」

いつの間にか叩くのを辞めた腕はサソリのだらしない格好の、けれど締ったお腹に回る。
頬を当てた背中はいつも抱き合っていたサソリ本人のものだ。夢じゃない。私が抱きしめているのは、本物のサソリだった。

「だいすき…」

本当は、もっと先に言わなきゃいけないことがあったのに。傀儡のこと、バカにしてごめんなさい。って、素直にそう言えたらよかったのに。
でも結局私はこの言葉以外に言わなきゃいけないことなんて見つけられなくて、彼はそんな私にバカやろう。と続けてから、無理やり私の手を引きはがして腕の中に閉じ込めた。

「そんなことなぁ、ずっと前から知ってんだよ」

ちょっとだけむすったれたような、不機嫌な声。
でも本当は知ってる。抱きしめながらそんな声を出すときは照れてる証拠だって。
私はそんな彼に頬を緩めながら、もう一度耳元で大好き。と呟いた。

眩しい朝日の中、口付た唇はあたたかく、だけどやっぱり涙の味がして、ちょっとだけしょっぱかった。




end




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