小説2
- ナノ -


あなたのことを知らないわたし



私にとって傀儡とは戦うための武器であり盾である。という認識である。
そこにそれ以上の意義も意味も見出したことはなく、だからこそそれにこだわる彼の気持ちも全て汲み取れないでいた。
もし私が彼のことを本当に理解できていたならこんなことにはならなかったかもしれない。
でも私には未来を見通せる眼も力もなく、ただ自分が選んだ行動と、選んだ言葉によって訪れた結末に唯々呆然とするだけだった。



ガヤガヤと人のざわめく声が聞こえる中、私は商店街を出てひっそりとした裏路地へと足を延ばす。
空にはどんよりとした重たい雲が蔓延り、もうそろそろ雨が降ってくるだろう。けれどそれとは別の理由で足早に路地を抜け、一つの長屋に足を踏み入れた。

「サソリ、いる?」

年季の入った戸を引き、声を掛ければ中にいた人物が振り返る。

「おう。つか返事する前に開けるんじゃねえよ、小娘」
「ごめんごめん」

苦笑いする私にサソリはふんと顔を背けると、手元の傀儡へと視線を落とした。

「もうすぐで完成だからな。慎重にやってんだ」
「ふーん。そうなの」

見た目だけではどんな仕掛けがあるか分からない、精密で精巧な人形を作るこの人は赤砂のサソリ。世界でも有名な傀儡師だ。
傀儡師ということだけあって彼は作る事だけでなく操ることにも長けており、言ってしまえば今の傀儡界にとってなくてはならない人物だった。
そんな彼が作っているものに対し私は正直そんなに興味がない。
傀儡なんて忍になるまで知らなかったし、知っていたとしてもそんなに魅力を感じなかったと思う。
だって正直ちょっとキモい。顔とか、目とか。人形だから当然なんだけど、あの生気の感じられない顔にぎょろりとした目玉がついているだけでも不気味でしょうがない。

(でも彼の傀儡はかなり評価が高いのよね…私あんまり分かんないけどさ)

傀儡師の中で最も高い評価を受け、且演者としての実力も兼ね揃えているのは今の所サソリだけだ。
大概は作り手か演者かのどちらかに分かれ、例えサソリのように両方の技術を持っていたとしても結局は片手間になるのだという。
それを聞くと今目の前にいる人物がどれほど凄いかが分かるのに、私の中での彼は基本的に評価が低い人だった。

「ま、いいけど。終わったら言ってよね。部屋片づけたいし」
「ああ」

私は現在この傀儡師と“お付き合い”というものをしている。
元々は別の人が好きだったけど、振られちゃったし。そんな私にアタックをかけてきた彼に私はつい靡いてしまった。
こんな言い方をすると彼は不機嫌になるだろうが、結局今も続いているんだから可愛い憎まれ口だと思って流してもらいたい。
別に面と向かって好きだとか愛してるとか言いあう甘い関係でもないんだから、この位許してほしい。

そしてお付き合いしている。と先に述べたけど、私たちは基本的に一緒にこの長屋に住んでいる。
同棲と言っていいだろう。けど結婚は考えてないし、まだ互いに自由でいたい身だ。では何故一緒に住んでいるかと聞かれれば、彼は仕事に籠ると生活力が著しく低下するのだ。
住居兼仕事場でもあるこの一室に籠ると料理もしないし掃除もしない。溜まるばかりの洗濯物と埃を目の当たりにすれば放ってはおけなかった。元々長屋自体古くて不衛生なのだ。一応医者も兼任している身なのでやはり見てみぬふりは出来なかった。
けどまぁ、そんな自分をまるで通い妻のようだと思う。
でも放っておくと汚くなるだけだし、鼠とか害虫とか出たら普通に困る。だから私がやるしかないのだ。彼の為にも、自分の為にも。
そんなわけで私は黙って彼の作業を見ていたが、すぐに飽きて欠伸を零した。

(しっかし何度来ても不気味よね〜、この部屋)

私たちは一緒に住んでいると言ったが長屋は二部屋借りている。
彼が仕事場にしているこの部屋と、隣の部屋。基本的に生活は隣の部屋だが、金品や大事なものは彼の部屋に置いている。
泥棒に入られてもいいようにだ。
理由とすれば普段彼はこちらにいるし、傀儡が眠る部屋に堂々と入って来る泥棒もいないだろうと思ったからだ。例え入ってきたとしても何も知らないで入るとここは化物の巣窟だ。
まだ作りかけの傀儡の部品、特に腕や脚、胴体や頭なんかが戸棚に並べられたり天井から吊るされたりしているのなんて最高に不気味だ。これを見て倒れない人間ならば強盗も容易いだろうが、果たしてそんな人物がどれほどいるのか。
実際私だって傀儡には慣れたけど、それでもやっぱり夜遅くにこの部屋に来るのは抵抗がある。チャクラを使わなければ動かないと分かってはいるが、それども夜中に独りで動きそうで怖いのだ。
カタカタと傀儡特有の動く音がすればきっとそれだけで気を失う自信がある。

そんなわけで彼とはお付き合いをしていても傀儡のことが苦手であり、尚且つ理解も出来ていない私は意図せず彼の仕事を軽んじている部分があった。

だって私からしてみれば傀儡なんてただの人形にしか過ぎないのだ。舞台用の傀儡にしても戦闘用の傀儡にしても、そこに意思も命もない。
精密につくられた部品の一つでも欠ければ途端にギシギシと可笑しな動きを始め、終いには壊れてしまうコレを“人形”と称する以外に言葉が見当たらなかった。
だから私は彼が一つ一つ心を込めて、それこそ汗と涙と努力の結晶と言わんばかりのそれらを彼のように大事に扱うことはなかった。

「あ、ちょっとサソリ!忍具はちゃんと保管してって言ったじゃない!」
「んあ?工具箱にちゃんと仕舞ってんだろ?何が悪いんだよ」

彼の工具箱はかなり種類がある。傀儡の関節部を作るために必要な細かなものを収納する物、大部分を作る際に必要な大きな工具を収納する物など様々だ。
そして彼が時折傀儡の仕込み以外で持ち歩いているクナイや手裏剣といったものも何故か工具箱に仕舞われている。果たしてそれでいいのかどうかは疑問ではあるが、本人は一切気にしていないのでいいのだろう。
だが傀儡を使わない私からしてみれば忍具と言うのは大事な道具で、命を守るものだ。それを工具箱に仕舞うなんてその神経が信じられなかった。

「ったく…お人形遊びもいいけど、忍は忍らしくちゃんと忍具の管理ぐらいしなさいよねぇ〜」

子供じゃあるまいし。
ぼそっと、特に悪気はなくほんの軽口のつもりで口にしたのだけれど、意外にも彼は癪に触ったらしい。

「…おい小娘、あんま舐めた口利いてっと俺だって怒るぞ」
「はあ?何がよ。私何か間違ったこと言った?」

工具箱を開けてみれば案の定、重ならないように収納されてはいるがクナイや手裏剣がざっくばらんに保管されており呆れる。
もっと大事に扱わないと忍具も意外と高いのだ。いらない出費を抑えるためにこの格安の長屋に住んでいるというのに、これでは意味がない。
忍具を買うためにお金を出すぐらいならたまにはプレゼントでも買って欲しいものだ。

「そりゃあ傀儡が大事だってことぐらい私だって百も承知よ?舞台があるから、っていう理由でデート出来ないことなんてしょっちゅうだし、別に今更そんなことで怒ったりしないわよ」
「百も承知、ねぇ…俺にはそう見えねえけどな」
「何よ。言いたいことがあるなら言いなさいよね」

忍具の一つ一つの状態を確かめながら、時折布で拭いたりして床に並べていく。その後ろではサソリが一体の傀儡を組み立て、それを眺めていた。

「お前、俺のことを分かったつもりでいるみてぇだが…そりゃ勘違いだぜ」
「むっ。何よそれ。どういう意味?」

これでも彼との付き合いは長い方だ。彼がこの地に辿り着き、余所者と皆に冷たい目線を投げられていた頃から知っている。
この地に傀儡を広めたのは彼だけど、結局彼の出身地であろう本場に比べこの地は傀儡に対して理解がない。そんな皆に比べれば私は遥かにマシだろうと言えば、彼はそりゃあなと頷いた。

「だがそれはお前が俺と付き合うようになってからの話であって、根本的な意見の改善にはなってない。現に今俺の傀儡のことを“お人形”呼ばわりしてくれたわけだしな」
「何よ。傀儡なんて単なる人形じゃない。人間と違って自由に意思を持って動くわけじゃないし、部品が欠けたら壊れるし、仕込が無かったら戦闘でも役に立たない。これを“お人形”と言わずしてなんて言うのよ」

別に傷つけるつもりはなかった。彼が日々傀儡に対して芸術だ何だと言っているのを聞き流す位には彼の傀儡に対する思いを知っているつもりだったけど、本当は何も理解なんて出来ていなかった。

「おい小娘…今のは流石にカチンと来たぜ」
「何が」

ゆらりと立ち上がったサソリの隣には出来上がったばかりの傀儡が立っている。それはやはり不気味に、グロテスクに、虚ろな瞳をこちらに向けて首を傾けた。

「傀儡は俺にとって最高の美だ。永遠にこの世で最も美しく、老いや死から最も遠い存在…究極の美の在り方だ」
「はあ?それが?」

私にとっての“美”は美しい肌であったり整った顔立ちであったり、物であれば色彩豊かなものであったり鮮麗されたものや可愛らしいもののことであった。
確かに彼の傀儡も細部まで設計され、私には理解できないこだわりが随所に散りばめられた代物だ。繊細と言えば繊細な物なのかもしれない。けど私からしてみればそうは見えなかった。

「傀儡は見た目以上に繊細だ。人の心の機微のように面倒臭くはないが、それでも関節の動きやチャクラ糸を繋いだ時実際にどう動くのか。耐久性は勿論、雨季での保管方法や湿気のことなんかも念頭に入れなきゃなんねえ」
「単に保管が面倒なだけじゃない」

実際雨季や冬期になれば彼は傀儡のためにそこかしこからいろんなものを集めてくる。新聞紙であったり特殊な塗装材であったりと、これまた費用がバカにならないものばかりだ。
けれど彼は私の抗議を鼻で笑い飛ばす。

「じゃあてめえが言う“美”とは何だ?女だって自分を飾り立てるために化粧をするじゃねえか。自分の肌や体の手入れを疎かにする人間を“美しい”とは誰も言わねえだろ?」
「まぁ…それはそうだけど」

彼は私を尻目にうっとりと目を細め、出来上がったばかりの傀儡に指を這わせる。まるで今にも壊れそうなか細いガラス細工を触るような手つきだった。

「確かに俺の傀儡は耐久性が高い。そんじょそこらの戦闘じゃあ壊れることも不具合を起こすこともねえ」
「自信満々ね」
「だがそれは偏に俺がこいつらの事を理解しているからだ。この地に見合った性質にするため材料も何もかも全て計算してる。どんなものぐさな野郎が使っても何年だって使えるように、いざという時に壊れねえように繊細だが、頑丈な武器として設計してる」
「まぁ…そうね」

彼の傀儡はその精密性だけでなく、耐久面や持ちのよさからでも評価が高いのだ。その分値段は幾分か跳ね上がるが、それに見合ったものを彼は作り上げている。

「こいつらの体に無駄な所なんて一つもねえ。人間の贅肉や肥えた欲望なんか持ちあわせねえ、純真無垢なまま少女のようにこいつらは美しく、従順だ」
「うげぇ…悪趣味…」

顔を顰める私だけれど、彼は気にせず傀儡の顔に指を這わせ、しきりにその頭や体を撫でている。正直気持ち悪い。

「傀儡は美しい。俺たち人間とは違い無駄なもんも、面倒なもんも何一つ持ちあわせねえ。永久に続く、永遠の美だ」
「ふーん…」

正直熱弁する彼には悪いが、私はこの話を何度も聞いているせいで若干飽きつつあった。だって私にはこいつらがどうあがいたって“美しい”物には見えない。
精々が精巧に出来た武器保管庫といった感じだ。実際傀儡の中には結構な量の仕込が入っているわけだし、敵にすると厄介だからだ。
けれど彼は私のそのおざなりな態度が癪に触ったのか、傀儡を撫でていた指を止め睨むような視線を向けてきた。

「俺ァお前が常々傀儡を軽んじていることを黙って見過ごしてきたがな、流石に“人形”扱いは許せねえ」
「何よ。自分で動かないなら人形と何も変わらないじゃない。ただ大きいだけで、精密に作られてて?それが何だっていうのよ。私からしてみればお雛様の方が遥かに美しいわ」

そんな不気味なものよりずっとね。
言ってから私は後悔した。確かに傀儡のことは不気味だと思ってはいたけれど、それでも彼が愛しているものだ。
傀儡のために寝る間も惜しんで材料探しに走ることだってしょっちゅうだし、購入したお客さんのアフターケアに出かける姿もよく見ている。彼の作品はその道の人から本当に愛されているのだ。武器としても舞台用の道具としても。
けれど確かに使用者たちは傀儡のことを一度も“人形”とは呼ばない。彼らにとって傀儡は命を預けるパートナーであり、一生を共にする伴侶のようなものなのだ。
それなのに私はそれを軽んじた。彼からしてみれば傀儡は永久の美の象徴であると同時に可愛い子供同然なのだと知らなかったからだ。
彼が胸に抱えている薄暗い過去を知らなかったとはいえ、私は彼の傀儡をどこまでも軽んじて見ていた。

「傀儡なんて可愛くもないし綺麗でもなんでもないわ。壊れなきゃずっと綺麗なままでいるなんて、そんなのただの人形と何も変わらないじゃない」

後悔したけど普段から素直な物言いを拒む口は言いたくもない言葉を紡いでいく。それがどれだけ彼を傷つけるか分かっていたはずなのに。
いや、本当に理解していたなら本能的に言うのを止めただろう。けれど私は止めなかった。だから結局、私は彼のことを理解なんてしていなかったのだ。何一つとして。

「…そうかよ。てめえの言い分はよーく分かったぜ…」

サソリの声はどこまでも静かだった。波紋一つ見えない澄んだ水面のように、それは冷たく無慈悲に部屋に響いた。

「所詮てめえはその程度だった、ってことだな…期待した俺がバカだったぜ」

そう言うやいなや、サソリは戸を開け私の背中を押した。

「もう来んな。今までありがとな。じゃ」

ピシャン、と音を立てて閉められた戸。私は暫し呆然としてから、はあ?!と叫んだ。思わずこの扉ぶち破ってやろうかしらとも思ったが、それはすぐに止めた。
何故なら彼は今まで怒ったとしても私を部屋から閉め出すことなんてしなかった。皮肉と言うよりも嫌味と呼べる、ていうかむしろ罵詈雑言のような悪態を述べつつもそれでも私を部屋から追い出したことなんて一度としてなかったのに…。
それにさっき“もう来るな”と言った。仕事場に入るなということも今まで一度も言われたことはない。つまりは何?もしかして私、今…

(…振られた?)

あるいは滅茶苦茶怒らせたか。
どちらにせよ由々しき事態だ。いや、そこまで大げさに考える必要はないかもしれない。何せ彼は結構気まぐれだ。
昨日言ってたことが今日突然変わる、なんてことも結構ある。だからまぁ、そこまで深く考える必要もないかなと私はこのことを割と軽視していた。
彼の事だからそのうちケロッとした態度で戻ってくるだろうと思っていたのだ。実際生活力もないし、お金はあっても傀儡以外には大して使わない男だ。
何だかんだ言って私に惚れている節があるんだし、浮気もしないと胡坐をかいていた。

けれど彼はその後一度として私の前に姿を現すことはなく、また私も彼の仕事部屋に入ることは出来なかった。
別に長屋に鍵などかかっていない。けれど内側からつっかえ棒でも立てているのか、戸が動かないのだ。確かに力任せに突破することは出来たがもし彼の傀儡に傷がついたら大事だ。
商売道具でもあり売り物でもある。私は傀儡のことを理解していなくても壊す気なんてないのだ。
けれど彼はあの日からずっと私の前に顔を出さず、一緒に住んでいるはずなのに朝も昼も夜も、戻ってくることはなかった。まるで本当に赤の他人になったかのように、私は彼と顔を合わせることが無くなっていた。





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