小説2
- ナノ -





陽が昇っている間、星や月は何処に行っているのだろう?
幼い頃は疑問に思ったものだ。当時は陽と入れ替わりに月が沈み、また昇ってくるのだと思っていた。だが実際は昼間にも月や星はある。
それに気づいたのはいつだったか。我愛羅は一人懇々と酒を嗜みながら、周囲の酔いしれた喧騒から意識を反らしていた。

「我愛羅ー!のんでるかーっ?!」

叫びつつ後ろから抱き着いてきたのは今回の結婚式の主役であるナルトであった。我愛羅は友人の酔っぱらった姿に頭を抱えつつ、持っていたグラスを傾けた。

「ああ、ちゃんと飲んでるぞ」
「そっかーそっかー!木の葉の酒はうめーよなぁ〜」

さっきからべろべろに酔っぱらってるくせに何を言っているのか。どうせ酒の味もまともに分からんだろう。
そう悪態をつきたくもなったが堪える。我愛羅とて伊達に酒の席に足を運んでいない。これ以上に酷い酔っぱらい方をする輩など大勢いるのだ。
我愛羅は適当にナルトの言葉を受け流しながら再び酒を煽ぐ。

(それにしても…先程は危なかったな…)

今は日が暮れたとはいえ、まだ陽が高いうちにサクラと触れ合った時間は尊かった。
自分が咄嗟に会話の糸口を見つけようと口にしたでまかせであったにしろ、真に受けたサクラがあんなにも大胆な行動をしてくるとは思いもよらなかった。
何せ怪我や診察とは別に彼女の肌に触れたのだ。肌と言うより手ではあったが、それでも我愛羅にとっては十分だった。

(そう…十分なはず…だったんだがなぁ…)

日が暮れ出してからは式場から二次開場へと移り、それから暫くして三次会場へと移った。
陽が高いうちから酒を口にしている面々は既に出来上がっており、ナルトに至っては茹蛸状態だ。足元もふらついているし、呂律もあまり回っていない。
明日は二日酔いに悩むだろうな、と吐息を吐きだしたところで、その視線は先程から一ミリたりとも動いていなかった。

「だからさ、僕的にはそういうつもりで言ったわけじゃないんだけどさ…」
「バッカねー!そんなこと言われたら誰だって怒るわよ。本当女心が分かってないんだから」
「女心…それって本とかある?」

我愛羅の視線の先、そこには何事かを話すサイとサクラの姿があった。
サイの恋人であるいのは現在席を外しており姿が見えない。その隙を狙ってサイはサクラにあれこれと相談をしているようであったが、生憎我愛羅にその会話内容までは聞こえてこなかった。
近付いても不審に思われるだろうし、かと言ってこのまま無視することも出来ない。
どうしたものかと思っていると我愛羅の元を離れ、カカシやイルカの元に足を運んでいたナルトがサクラの方へと突撃した。

「サークッラちゃん!!うへへ〜!きょーのかっこうもちょーかわいいってばよ!!」
「はいはい、ありがと。ってあんたちょっと飲みすぎじゃない?!しっかりしてよねー、ヒナタに迷惑かけるんじゃないわよ?」
「典型的な酔っぱらい方だね、ナルト」

三人の話し声は相変わらず我愛羅の元には届いてこない。それでも顰め面をするサクラと笑みを絶やさないサイ、上機嫌なナルトの図は見て取れる。
自分とは違い何のためらいもなく彼女に近づくことが出来る存在。他里の忍というハンデだけでなく自分は風影と言う身分も背負っている。
ともすれば大した理由もなくサクラに会いに行くことも、話しに行くことも出来ない。ああいった身軽さや気軽さを持たない我愛羅からしてみれば、二人は羨ましい存在だった。

「おう我愛羅!辛気臭い顔をしてるんじゃあないぞ!」
「…綱手殿か…」

周囲に人を侍らせつつ、それでも実質一人で酒を嗜んでいた我愛羅の目の前に大きな一升瓶と胸部が現れる。
それは着飾っていながらも酒の匂いをさせた元火影こと綱手であり、我愛羅は面倒な相手に捕まったなぁと思いつつも席を促した。

「全く、お前ときたらナルトのめでたい席だというのに…もう少し愛想よく笑ったり出来んのか」
「それが出来れば苦労しない」

互いの猪口に酒を注ぎつつ、綱手の苦言をさらりと流す。綱手のこの手の会話にはもう慣れっこだった。

「第一こんなにも美女が揃っているんだ。たまにはナンパでもしたらどうだ」
「お前は一体どういう目で俺を見ているんだ。俺はそんな節操のない男ではない」

聞き流すにしてはあまりにも酷い。ここは一つ反論しておくかとため息交じりに諌めるが、綱手はそれを分かっていたかのようにだからだ、と返した。

「ここ数年、お前のことも見てきたが全然いい話を聞かないじゃないか。年頃の男だというのに女遊びもしない。かと言って男を連れ込むわけでもない。勤務態度は勿論生活態度も真面目そのものだ」
「それの何が悪い」

酒は嗜むが悪酔いするほどは飲まない。賭け事も付き合いでするが欲がないからか勝っても負けてもどこ吹く風、だ。
時折職務の合間に息抜きとして散歩に出たり買い食いに出たりはするが、それでも一時間足らずで戻ってくる。書類も溜めないし会議も真面目に出る。
そんな真面目一辺倒な男を綱手は綱手なりに気にしていた。

「そう噛みつくな。別に悪くはない。悪くはないさ、お前の生き方はな」
「……何が言いたい」

注いだ猪口の酒をぐっと煽る綱手は酔っぱらっているように見えるが、その実あまり酔っていないのかもしれない。
我愛羅は舐める酒の味を苦く感じつつも問いかければ、綱手はふうと吐息を零してから我愛羅をまっすぐ見据えてきた。

「だがつまらない。お前の生き方はまるで面白味のない、色のないキャンバスのようだ」
「…ふん、言ってくれる」

真っ白とはまた違う。何かを描いていても心惹かれるものが何もない。ただそこにあるだけの、空虚な空間にも似た世界。
綱手の言いたいことは我愛羅にもよく分かっていた。自分のことなど自分が一番よく分かっている。中身がない人間なのだと、誰よりも深く、知っている。

「…人を愛するのに躊躇しているのか」
「さぁな」

問いかけてくる綱手の目を我愛羅は見返すことが出来なかった。
しかし猪口を覗いていても無機質な己の顔が写るばかりでそれこそ酒が不味くなる。顔を上げれば綱手の肩越しに笑う彼女が見える。
自分がそこに辿り着くにはあまりにも遠い距離だった。

「…彼女は遠い。俺からは最も…地上から月に向かって手を伸ばす様に、彼女は一人しかいなくて、遠い」

砂隠と木の葉を結ぶ距離よりも、守鶴と我愛羅の心の距離よりも、もっとずっと、サクラとの距離は遠いように思えた。
思わずじんと痺れる目を休ませるように瞼を閉じ、目頭を押さえれば鼻の奥が熱くなる。
自分も相当酔っている。
たったこれだけの会話だというのに核心を突かれ、また自ら己の心を暴いたことで心が悲鳴を上げている。
何と脆い男かと長い吐息を吐きだしていると、綱手は空になった己の猪口に酒を注ぎ、残り僅かとなった酒を我愛羅の猪口に注いだ。

「あの子が好きなのかい?」
「………」
「そうかい」

沈黙は肯定。大事な弟子に不埒な思いを抱くなと怒られるかと思っていたが、綱手は何も言わなかった。
周囲の人間は現風影と六代目火影の会話を邪魔しないよう席を外している。煩いと言えば煩かったが、それでも二人の間には沈黙しかなかった。

「あの子は、お前にとって何だ」

綱手の問いかけに我愛羅は顔を上げる。
だがその顔は先程のように我愛羅を見てはおらず、代わりにチョウジとカルイ、それからダルイたちと楽しげに話すサクラへと向けられている。
その姿は母のようであり師のようであり、また一人の女性のようでもあった。

「…サクラは…あいつは…俺にとって、不思議な存在だ」
「と言うと?」

我愛羅がサクラに惹かれたのは、というより思いを自覚したのは割と最近の事だった。
最近と言っても二三年前か、もう少し前か、大体その位だった。

「木の葉に足を運んだ時、俺は一人宿から出てぶらついていた。疲れてはいたが、どうにも眠れなかった」

満月と呼ぶには少しばかり欠けた、それでも月明かりが眩しい夜だった。
瞬く星を押しのけるように輝く月夜に導かれるように、ふらふらと夜道を歩く我愛羅はふと見知らぬ公園に足を踏み入れていた。
しまった。迷ったか。
そう思い来た道を戻ろうと視線を巡らせたところでサクラを見つけたのだ。

木の葉には珍しい、枝垂桜の前にサクラは立っていた。
もしサクラの髪が黒ければ幽霊か何かかと見間違えたかもしれないが、薄紅の髪を持つ女性などそう多くない。
珍しい髪色にすぐさま我愛羅は女がサクラだと気づき、声を掛けようと一歩踏み出したところで気が付いた。

「俺はその日初めて彼女の涙を見た。いつだって気丈に笑う彼女しか見ていなかった…だから、驚いて…何も、言えなかったんだ」

サクラは泣いていた。声も出さず、肩も震わさず。
ただ枝垂桜が垂らす花弁のようにハラハラと、その白い頬に雫を走らせていた。

何も言えなかった。喉の奥に言葉が突っかかったように、誰かに首を絞められているかのように、吐息ひとつすら、出てこなかった。

「今思うとうちはサスケのことでも思い出していたんだろう。だが当時はまったく頭が働かなくて、俺は逃げるようにしてその場を去っていた」

どうすればいいか分からなかった。女性の相手などしたことがない、というわけでもないが、それでも我愛羅にとってそれは職務であり単なる処理でしかなかった。
相手の女は大概用意された女だった。酒の席で、色の仕事で。勧められるまま、誘われるまま、据え膳喰わぬは男の恥だと背を叩かれ、我愛羅は女の相手をした。
その程度でしかなかった。我愛羅は心から誰かに惹かれたことが無かった。友や仲間、守るべき里の皆とは違う。
心どころか体の芯から自身の何もかもを揺さぶるような存在が、そんな女性が現れるなんて思ってもみなかったのだ。

「彼女はナルトとは違う。ナルトは俺にとって光であり、目標であり、肩を並べる友であり、ライバルだ」
「そうだな」
「だが彼女は…俺の知らない世界にいる。彼女の笑顔と泣き顔が結びつかないんだ。同じであるはずなのに別人のようで…彼女は強い人間なのだと知っている。なのに、守りたいと…そう思う」

サクラはいつも笑っていた。ニコニコと、時には腹を抱え、目尻に涙を溜め、時には母のように穏やかに、笑っていた。
だが泣いている姿など見たことが無かった。子供のように声を上げて泣いていたわけではない。ただそこに佇むようにして泣いていた。
いつもは明るいサクラの泣き顔は、普段の姿とは結びつかないほどに儚く、切ないものだった。

「守りたい、か…」
「…出来るなら、な…」

その時だろう。ふらつく足で宿に戻った後、我に返ってから後悔した。
どうして彼女を放っておいたのだと、ただひたすらに後悔し、自分を責めた。

「彼女を想い始めてから俺は自分の知らない自分を見るようになった。心の制御が利かないんだ。思い出さないようにしても思い出してしまう。真珠のような涙を拭ってやりたいと、そう思う」

いつしかそれは夢にまで出てきて、目覚めた時我愛羅の手は天上へと伸びていた。
拭いも出来ないその涙を、既に過去の産物となってしまった輝く真珠を、我愛羅は取り除きたくて仕方なかった。

「お前にとってサクラは“女”か?」
「…は?」

綱手の意図の読めない問いかけに我愛羅は思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。が、綱手は決して茶化したわけではなく、至って真面目な顔で我愛羅を見ていた。

「あの子を“女”として見ているかどうかを聞いているんだ」
「…意味が通じるように話してくれないか…」

自分の話も大概であっただろうが、綱手も酷い。ここまで相手の意図が読めない発言は初めてだと眉間に皺を寄せれば、綱手は簡単なことさとテーブルに肘をつく。

「あいつを好きになる男ってのはな、大概があの子に“母”を見るか“お姫様”を見てるかのどちらかなんだよ」
「…と、言うと?」

母親とお姫様なんて殆ど対極的な例えだ。共通しているところなど性別しかない。
相変わらず意味が分からない話に首を傾ければ、綱手は例えばの話だが、と説明を始める。

「お前にとって“母”とはどんな存在だ」
「俺にその質問を投げるとはいい度胸だな…と言いたいところだが、そうだな…俺にとって“母”とは優しく、あたたかく、強い存在だと思う」

己の母は命を犠牲にしてまで自分をこの世に産み落としてくれた。そうして死後も自身の盾となり、今でもずっと見守ってくれている。
例え声が聞けずとも、声を掛け合うことが出来ずとも、母は己を信じ、守り抜いてきてくれた。そうして今でも、ずっと。
その心の強さと懐の深さ。自分には到底持つことのできない大きな愛情はやはり己が子であり、母が母である所以だからだろう。

綱手はその答えにふむ、と頷くと、では“お姫様”とは何だ。と問うてくる。

「“姫”とはそれこそ鳥籠の中の少女だろう。民を知らず、政治を知らず、父母や臣下に守られ小鳥のように愛でられ生きている。動く着せ替え人形のような物だ」
「ははは!中々辛辣な答えだな」

豪快に笑う綱手にどこか間違っているか、と視線を投げれば、まぁ間違いではないがな。と綱手は目尻を拭う。

「お前の回答は歪曲しているが…まぁ普通男から見て“お姫様”っていうのは自分が“守ってやりたくなる存在”という奴だな」
「…?」

いまいちピンとこずに綱手を見つめれば、綱手は考えてみろ、と指を立てる。

「男が女に惚れる理由など二つしかない。“抱きたい”か“守りたいか”の二択だ」
「…露骨すぎないか…?」

だが正直的を得ているとも思う。と我愛羅は流石に口に出来なかった。
何せ出来ることなら自分だってサクラを抱いてみたいと思っているからだ。

「だがな、“抱きたい”と思うことは相手を“女”としてちゃんと意識しているということだ。だが“守りたい”は“自分の矜持を守るために自分より弱い立場の人間を傍に置く”という心理が根本にあるんだ」
「ほう…で、俺はつまりどの立場にいるか、ということか?」

確かに、男と言う生き物は己より優れている女性に惹かれることは少ない。
例え惹かれたとしても一生を共にするにはどうしても己の矜持が負けてしまう。優位に立ちたいというよりも、最悪対等でいたいのだ。稼ぎも、立場も。
だからこそ己より稼ぎ、立場も上の女性を相手にする男は少ないのだ。

「…俺はサクラを“姫”だと思ったことは一度もない。“母”のように懐が深い女性だと思ったことは正直一度や二度あるにはあるが…それでも彼女は彼女だ。俺の母親でも何でもない」

つまり、自分にとって彼女は紛うことなき“女”なのだ。
守ってやりたいと思いつつ、母のような懐の深さを感じつつ、それでも尚、彼女を抱きたいと、そう思っている。

「…己の汚い部分を曝け出したような気分だ…最悪だ…」
「ははは!そう落ち込むな。お前が男としてしっかり機能していると分かって私は嬉しいぞ」

思わずどういう意味かと突っ込みたくはなったが、それでも我愛羅は何も言わず綱手の笑い声を聞いていた。
やり方は大胆で包み隠すことない露骨な方法ではあったが、それでも綱手は綱手なりに我愛羅を心配していたのだろう。
それが分かるからこそ我愛羅は綱手を責めることなく吐息ひとつ零してから顔を上げた。

「今日は俺の負けだな」
「ふん、お前如き若造に負ける程私は落ちちゃいないよ」

さ、飲みなおすぞ。
そう言って差し出されたのは徳利だ。どうやら我愛羅が項垂れていた最中に頼んでいたらしい。
抜け目ない女だと思いつつ、我愛羅は有難く猪口を差し出した。




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