小説2
- ナノ -


あなただけを見つめてる




大切な人を思う時間というのは、どういうものだろうか。
見上げた夜空には幾万の星が存在する。だが輝く月は一つしかない。
夜空にとっての月のように、彼女はこの世に一人しかいない。失えばきっと目の前が暗くなる。それほどまでに惹かれている。
我愛羅は一人、慣れない気持ちを持て余していた。

「我愛羅、そろそろ交代の時間だよ」
「分かった」

暗闇の中、聞こえてきた声に顔を上げる。隣に並んだテマリも我愛羅同様空を見上げ、今日は月が明るいな、と呟いた。

我愛羅は久方ぶりに前線に出ていた。普段なら忍として優秀な姉兄に事態の収拾を任せることが多いが、今回ばかりは国からの命令が来ていた。
敵の目的は大名の暗殺。それを阻止すべく我愛羅も久しく踏んでいなかった前線へと足を運び、夜の匂いに交じる緊張を肌で感じ取っていた。

「陽が落ちてから随分立つが…相手方が動く気配はなさそうだね」
「ああ…油断するなよ」
「分かってるよ」

不敵に笑うテマリと二、三言交わし、我愛羅は身を休めるため岩陰へと腰を下ろす。
木々とは違い、視界を覆うものがないそこからは夜空がよく見える。我愛羅の中に既に守鶴はいない。
おかげで今更不眠症に悩まされることもないが、我愛羅は眠らずにただ夜空を見上げ、それからゆっくりと己の掌へと視線を落とした。
少しばかり砂で汚れて見づらいが、そこは真新しい皮膚で覆われていた。つまりは怪我をしたという証である。我愛羅はその手を一度握りしめ、記憶を辿った。


事の詳細は数日前へと遡る。
その日我愛羅は砂隠へと尋ねてきていた七代目火影ことナルトと共にアカデミーの見学へと赴いていた。
勿論アカデミー内は風影と火影、両名の存在感のせいで異常な緊張感に溢れていたのだが、当の本人たちはどこ吹く風。見慣れぬ学校の様子にナルトはうきうきしていた。

『なぁ我愛羅、この間シカマルと話してた授業の話?あれどうするんだってばよ』
『何だ。お前にも話が通っていたのか』

木の葉と砂隠は今でも強い結びつきがある。アカデミー生同士、あるいは教師同士の繋がりも以前に増して強くなり、今ではカリキュラムを共有している部分もある。
しかし環境が違うのだ。合う合わないがある。そのため毎年授業編成の件で会議が行われていた。今回も勿論その件での視察であった。
ナルトは火影になって日が浅い。ようやく職務に慣れてきたところでシカマルが、息抜き兼影として先輩である我愛羅に手ほどきを受けてこいとその背を押していた。

『その件は今会議にかけている途中だ。しかし俺は教師ではないのでな、普段子供たちがどのように過ごしているか全ては把握できていない。無責任かもしれんが、上がってきた報告書を見てから検討する』
『あー…やっぱそうなるよなぁ。俺も学校のことなんか分からねえし、そもそも覚えてもねえし。そりゃあイルカ先生の授業とか、怒られたこととかは覚えってけど、真面目な授業とかは…』

想像に容易いナルトの発言に我愛羅は溜息を禁じ得なかったが、それでも今は別だ。ナルトとて里を背負う長となった。今はもう無責任なままの子供ではいられない。

『だからこうして視察に来ているんだろう。少しは学べ』
『…お前…歳食って辛辣になったな…』

ナルトの口から“辛辣”という言葉が出るとは思わなかったが、流石に口にするのは憚られたので黙っていた。
暫くは何の問題もなく見学が出来ていたが、不埒な輩と言うのはいつの世にも蔓延っているもので。演習場で行われていた授業を視察する二人に突如奇襲が仕掛けられた。

『風影様!』
『ナルト!!』

木の葉からはナルトの他にサイとサクラ、他護衛の忍が数名いた。
二人に向かって放たれた武器は全て我愛羅の砂が弾き返したが、敵の刃はアカデミー生にまで向けられていた。
とはいえ我愛羅の砂は防御範囲が広い。子供たちが己でクナイを構えるより早く砂で壁を作り、駆けだしたナルトがすぐさま叩きのめした。
だが相手も一人で挑んでくるほど素人ではない。他方からの武器責め、加えて起爆札に爆薬にと派手に暴れてくれる侵入者たちに流石の我愛羅も舌打ちをする。
自分のことよりもまずは生徒だ。
中忍試験すら受けたことがない生徒たちは突然の攻撃に泣きだしそうになっており、中には勇敢に戦う姿勢を見せる子供もいたが、あまりにも危険すぎた。
我愛羅はナルトに目配せし、自身は生徒たちを避難させることに専念した。一方ナルトは自里の忍に命令し敵の殲滅に走る。
だがその際ナルトは負傷者が出た時のことを考慮しサクラに我愛羅の援助に向かうよう告げた。

生徒の避難はスムーズに行われた。それは勿論ナルト達の協力があったからなのだが、だが避難は出来ても子供たちの神経は高ぶっていた。
血の気が多い生徒などは自分も戦うと暴れるし、気の弱い生徒は泣き出すしでてんてこ舞いだ。特に子供に慣れていない我愛羅からしてみれば阿鼻叫喚の地獄絵図だった。
教師たちも普段は聞き分けのいい生徒が錯乱していることと、我愛羅の目の前で情けない姿は見せられないというプレッシャーから慌てており、もう何が何だかという状態であった。
そんな中生徒たちを沈めたのは他の誰でもない、サクラであった。
サクラは生徒たちを避難させた演習場の管理室の壁に拳一つ叩き込むことで黙らせた。

『…あら、一回で静かになったわね。皆いい子ね〜』

サクラに殴られた壁は流石に穴は開かなかったが表面は割れた。サクラが手加減したとはいえ、基本的に女の拳一つでひび割れる程弱い建物ではない。
それが分かるからこそ生徒たちはサクラの異常な力に驚き、閉口した。

『いい?あなたたちが実践に出るにはまだ早すぎるの。経験は勿論、体躯も知識も足りてないの。私みたいなくノ一ですらこんなこと出来るのよ?そんな相手がいっぱいいるのにクナイ一本で飛び出していくつもり?』

首を傾けたサクラは終始笑顔ではあったが、纏う空気は冷たく鋭利であった。いっそ血塗られた戦場を闊歩する騎士のような気迫ですらあった。
流石にその空気は読めたのか、暴れていた生徒も、泣いていた生徒も皆顔を青くして口を閉ざした。
泣く子も黙るとはこのことか。
我愛羅も軽く身震いしたところで丁度ナルトの螺旋丸!と叫ぶ声が聞こえた。
ああ、あれが出たならもう終わるな。と我愛羅はどこか呑気に考えていた。自身に加えナルトがいる。その安心感とも慢心ともつかない油断が、我愛羅に傷を負わせた。

『風影様!』

教師の声に咄嗟に反応した我愛羅ではあるが、敵が投げつけてきた起爆札つきのクナイに一瞬対応が遅れた。
建物はともかく、サクラや生徒、教師たちには壁を作り怪我を負わせることはなかったが、自身は崩れてきた建物の下敷きになってしまった。
しかし我愛羅の砂は敵との相性さえ悪くなければ万能である。子供たちが我愛羅の心配をするよりも早く、我愛羅は砂でその瓦礫を噛み砕いた。

『まったく…酷い目にあったな』

パンパンと元は瓦礫だった砂を払う我愛羅にも目立った外傷は見られず、あの攻撃に反応した挙句、瓦礫の下敷きになるという危機的状況もあっさりと打破した長の姿に子供たちは益々尊敬の眼差しを向けた。
だがサクラだけは目敏く我愛羅の怪我を見つけていた。子供たちからは見えないよう、隠した掌は擦り剥け血が滲んでいた。
瓦礫で擦ったのだろう。だが子供たちの前で指摘するのも憚られ、サクラは教師が生徒たちを改めて安全な場所に移動させてから我愛羅の手を取った。

『見ーつけた』
『…バレたか』

笑うサクラに指摘され、バツが悪く視線を逸らす。
そんな我愛羅を尻目にサクラは手を伸ばし、我愛羅に有無を言わせぬままその手を治療した。
女性らしい白い手から淡い光が放たれる。その手慣れた動作はナルトだけでなく我愛羅も幾度か世話になってはいるが、今回ばかりは聊か情けないというか、油断したが故の傷だったため流石に恥ずかしいなぁ、と思った。
だがサクラは特に揶揄することも詰ることもなく傷を癒すと、はいお終い。と告げ手を離した。

『…すまん』
『あら、こういう時は“ありがとう”って言ってくれた方が嬉しいわね。謝られるのは好きじゃないわ。悪いことをした後じゃない限りはね』

そう言って軽く片目を瞑るサクラに数度瞬き、我愛羅は謝罪ではなく礼を述べる。その心中は思ったより緊張していたが、サクラは知る由もないだろう。

『もう敵も掴まってると思うわ。ナルト、瞬身の術をようやくまともに使えるようになったみたいだから』
『そうか。それは益々心強いな』
『そうね。昔みたいに覗きで使うようなこともないだろうし、安心よ』

覗き?と流石に友の失態に固まる我愛羅にサクラは昔の話だけどね、と苦笑いする。
曰くまだ下忍時代、と言ってもナルトは修行に出ていたせいで大戦が終わるまで下忍ではあったが、宿屋の温泉で体を清めていたサクラを覗こうとしたらしかった。
勿論それはサクラに見抜かれ返り討ちにあったらしいが、昔のナルトらしい本能に忠実な行動に我愛羅は頭を抱えた。

『ま、あいつもそろそろヒナタと結婚するみたいだし。大丈夫でしょ』
『そう言う問題なのか…いや…深く突っ込むのはやめておこう…』

サクラと共に皆が待つであろう場所へと向かう最中、我愛羅は治療された掌を見つめた。
そこからは先程までの痛みも、血の跡もない。しかし新しく構築された皮膚は艶やかで瑞々しい。違和感を失くすよう何度も開閉していると、気づいたサクラが覗きに来る。

『他に痛い所でもあるの?』
『え、あ、いや…何でもない…』

大した問題ではないと我愛羅が掌を降ろせば、サクラはきっと眉を吊り上げダメよ!と指を突きつけた。

『医者に隠し事はいけません!ちょっとでも違和感やおかしな所があったら迷わず相談してください』
『いや…本当に、なんでもないんだ…』

サクラの言い分は最もだ。サクラは医療忍者として勤めを全うしようとしているのだ。その姿勢は嫌いではない。
だが我愛羅はそう?と首を傾けるサクラを直視できないでいた。何せサクラは我愛羅にとって心密かに思う相手だったからだ。

情けない姿を見せてしまった、と思う。ナルトに敵を任せたとはいえ慢心するべきではなかった。
ナルトの力を信用することと己の力を過信することとは話が別だ。これはしかと反省しなければ、と我愛羅が猛省していると先を歩いていたサクラがそうだと呟き振り返った。

『さっきは助けてくれてありがとう』

そう言ってほほ笑むサクラの顔は朗らかで美しく、我愛羅は思わず胸が締め付けられ言葉が出なかった。
情けない話、心構えをしていないとまともに会話が出来ないほどに惚れていた。どうしてかは分からない。いつから惹かれたのかも思い出せない。
けれどこの小さな胸を苦しいほどに締め付ける感情が恋だと、我愛羅は既に知っていた。

「…はあ…恋煩いなど…似合いもしないのにな…」

見上げる夜空は相も変わらず美しい。けれど敵が動く気配のない夜は退屈だ。
皆が気を張っているにも関わらず、一人ぼんやりと空を見上げる長に周りは何を思うのだろうか。先の件で油断大敵だとあれほど学んだはずなのに、我愛羅の心は既に木の葉へと飛んでいた。

恋は盲目。
先人は実に的を得た言葉を残すものだと、テマリは弟の心ここに非ずな横顔を横目にしながら溜息を零した。




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