小説2
- ナノ -




彼と時間を合わせるのはそう難しいことではなかった。
どちらかと言えば看護科である私の方が日々の勉学に忙しく、彼は研究室に籠る時間を抜けば割と悠々自適なキャンパスライフのようだった。

「別に無理しなくてもいいんだぞ」
「えへへ。でも今日は外で食べたい気分だったから」

それなりに賑わう店内。訪れたのは最近友人と足を運んだばかりの洋食屋さんで、友人が食べたチーズハンバーグも私が頼んだドリアも美味しいお店だった。
彼はパッと見食が細いように見えるけど、結構ガッツリしたものを好んで食べる。ジャンクフードはあまり好きじゃないらしいけど。

そんなわけで私はようやく書き終えたレポートを提出してから彼とここに来た。彼との食事はいつしか私の楽しみになっていた。
だって彼は聞き上手だったし、博識だし、例え医療の知識が私の半分以下であったとしても、元々頭がいいからかすぐに理解をしてくれる。
加えて最近では研究の合間に医療関係の本を読んでくれているらしく、私がふと一般の人が聞き慣れないであろう言葉を使っても問われるようなことが減ってきた。
律儀な人なのだ、彼は。

「サクラがいいなら俺は気にしないが…酒は控えるんだな。顔色がよくない。悪酔いするぞ」
「えー…うーん…でも我愛羅くんが言うなら我慢しようかなぁ…」

あと彼は優しい。優しいと言っても誰に対しても甘いという優しさではなく、相手をキチンと諌めることのできる強さをもった優しさだ。
悪いことは悪いと叱るお母さんのようだと思う時もあるけれど、その優しさは異性から貰うとちょっぴりくすぐったい。
初対面の時もそうだったけれど、彼は私がお酒を飲んでも飲まなくても夜遅くなれば送ってくれるし、歩道も車道側をさりげなく歩いてくれる。
私が思わず店先に飾られている品物に目を奪われていると、他人にぶつからないよう肩や手を引いてくれる。
もしよろけてしまっても全身で支えてくれるし、時間に余裕がある時は少しだけ寄り道しても許してくれる。
それに、何というか、初めは彼の口数の少なさに緊張したものだが、今ではすっかりそれが居心地良く感じてしまう。
彼自身植物と毎日顔を合わせているからだろうか。何となく彼と会った後は気持ちがスッキリしているのだ。植物みたいな人なのかもしれない。身長も高いし、すくすく育ったのだろう。

「…おい、何を考えてる」
「へ?」
「ニヤニヤして…厭らしいな」
「ど、どういう意味よ!私いやらしくなんてないわよ!」

軽く引いたような態度を見せる彼に食いつけば、途端に冗談だと引いた身を戻す。
ぐぬぬぬ…!冗談ならもっと冗談っぽい顔してよね!分かり辛いんだから!と思ってもしょうがない。彼はこういう人なのだ。

「最近思ったんだけど、我愛羅くんって律儀でしっかりしてるけど時々意地悪よね」
「俺も男だからな。可愛い女の子には意地悪したくなるんだ」

ふっ、と口の端を上げてグラスを口に運ぶ姿が憎らしい。
こういうさりげない所が格好良くて嫌なのだ。無駄にときめいてしまう。
彼は時々、こういう言葉をサラッと嫌味なく口にする。周りにいる男性たちとは違うその姿が格好よくて、でも少しばかり悔しくて、でもドキドキするから心臓に悪い。
だって私は、本人にはまだ告げてはいないけれど、彼を好きになっていた。

「…我愛羅くんのスケコマシ…」
「褒め言葉として受け取っておこう」

私の悪口も軽くいなされ、タイミング良く運ばれてきた料理に思わずお腹がぐうと鳴る。
店内の喧騒のおかげで彼には聞こえなかったようで、彼が運ばれたお皿の位置を整えてから一緒にいただきます、と手を合わせた。


「あ。もしかして降ってきた?」

食事も残り僅かとなり、会話も一区切りついたところで突如窓にポツポツと水滴が落ちてくる。
今朝の天気予報では夜から雨だと言っていた。折り畳み傘を持ってきてはいるので特に問題はないが、目の前の彼はどうやら違うようだ。

「弱ったな…傘など持ってきてない」

顔を顰める彼に私が折り畳みあるよ!と返せばよかったなと言われた。いや、そうじゃなくて。

「一緒に入って帰ろうよ」
「…断る」

何故断るのか!
このお店の近くには残念ながらコンビニがないので小さくとも折り畳み傘を使って歩くしかない。
相合傘でからかわれる歳でもないだろうにどうして嫌がるのかと唇を尖らせれば、彼はあのなぁ、と呆れた顔で呟いた。

「俺だって男だぞ」
「私は女だもん」
「そういうことを言ってるんじゃない」

彼は分かっていないのだ。私が、彼になら別に“そういうこと”に持って行かれたとしてもいいと思っていることに。でも確かに言わなきゃ伝わらないとは思う。現状私と彼は“お友達”というやつだ。そこから脱却するにはまず告白からなのだけど、私はまだ少しばかりその勇気を持てずにいた。

「このぐらいなら多少濡れても構わん。酷くならないうちに帰ろう」

立ち上がった彼は伝票を持ち歩き出してしまう。慌てて追いかければ空いていたレジで既にお会計を始めていた。
割り勘してください。そう言おうとした私に彼が驕る。と言った。

「えぇ…でもいいよう…私貧乏学生じゃないよ?」
「誰もそんなこと言ってないだろう…」

呆れる彼は早々と会計を済ませると扉を開けた。私はあんまり腑に落ちなかったけど、彼は結構頑固だ。
すると言ったらするし、しないと言ったらしない。梃子でも動かないその姿は近所で見かけるボス猫のようだった。
どっしりとした体を構え、近寄っても何だお前。という目で見られる。威風堂々と呼ぶには些かふてぶてしいその様子に不思議と彼を思い出してしまうのだ。

「…やっぱり一緒に入ろうよ」
「別に平気だ」

パタパタと広げた傘に水滴が落ちる。彼の体にも当然のことながらそれは降り注ぎ、髪も服も濡れ始めている。
ここから駅まであと十分はかかる。その間に彼がどれだけ濡れるかを想像すれば、やはり私は強硬手段に出るべきだと腹をくくった。

「我愛羅くんが平気でも私が平気じゃないの!」
「っ、おい、サクラっ」

ほぼ体当たりのように彼との距離を詰め、傘を傾ける。小さな折り畳みだから当然お互いの肩がそれぞれはみ出してしまうのだけど、私は気にしなかった。

「我愛羅くんが私との相合傘がイヤでも、私はびしょ濡れになる人と一緒に歩いてる方がイヤだもんねーっ」
「…別に同伴するのがイヤだと言ったわけじゃない…」

僅かに顔を背ける彼に首を傾けつつ、彼の頭が窮屈にならないよう持ち手を上げれば彼に取られた。

「…俺が持つ」
「いいの?」
「ああ。入れてもらってるんだ。それぐらいはするさ」

結局彼は諦めたらしい。肩を竦め私から傘の柄を受け取った彼はまっすぐ前を向いた。
その横顔が男らしくて格好いいなぁと思っていると、視線に気づいた彼がすいと視線を流してくる。
瞬く瞼が本当に猫みたいだと思った。

「何だ?」
「え?!あ、ううん、何でもないっ」

我愛羅くんの横顔に見惚れてました!なんて素直に言えるほど私だって天然じゃない。そりゃあ勿論言いたいけれど、ただの“お友達”が言うにしてはちょっと重たい気もしたのだ。
これが幼馴染のサスケくんだったら気兼ねなく言えたのになぁ〜。と私が幼少の頃から付き合いの男の子を思い出していると駅の灯が見えてきた。
そういえば駅に傘って売ってたっけ…そう思う私の肩を彼が突然抱いた。

「ひぇ?!」

驚いた私の傍をすごい勢いで何かが通り過ぎていく。無灯火の自転車らしい。
雨具もライトもつけずに走っているらしい。危ない奴だと自転車の後姿を確認する私に彼がおい、と声をかけた。

「もう少し危機感を持てと言ったはずだが?」
「え?あ、ご、ごめんなさいっ、ぼーっとしてて…」

苦笑いして謝罪する私に、彼は怒るどころか心配そうに目を見てきた。うわぁ、間近で見ると更にイケメン…

「気分でも悪いのか?」
「え、いや、そんなことないよ?平気だよ?」

首を振る私に彼はそうか?と首を傾ける。でも再度私が大丈夫と言えばそれ以上は言ってこなかった。
それが何だか寂しいような、そうでもないような。
そんなことを思っている間に駅に辿り着き、彼は構内で傘を買った。相合傘はこれでお終いである。それが少しばかり残念な気もするけど、しょうがないか。
いい思い出になったと前向きに考え傘の雫を払っていると、突然サクラ!と名を呼ばれ振り返る。

「サスケくん!」
「…誰だ?」

買ったばかりの傘の値札を取っていた彼に問いかけられ、幼馴染の男の子と返せばふーんと珍しくぞんざいな返事が返ってくる。
サスケくんもサスケくんで我愛羅くんの存在に気付いたらしい。いつもの三割増し位不機嫌そうな顔で近づいてきた。

「おいサクラ。こんな時間まで何してるんだ」
「何って…彼とご飯に行ってただけよ。友達なの」

サスケくんはちょっとばかし心配性で過保護な所があるから、何だか実家にいるお母さんみたいなのだ。
でも別にこれはバカにしてるわけじゃなくて、面倒見がいいと言っているのである。そんな面倒見のいい過保護な彼は我愛羅くんをじっと見つめるとどうも、と呟いた。

「うちのサクラがお世話になりました。こいつは俺が連れて帰るんでご心配なく」
「そうですか。夜道は暗いのでお気をつけて」

何と言う事務的な会話だろうか。
サスケくんにしても我愛羅くんにしてもあまりにも珍しすぎるその態度に密かに狼狽えていると、その空気が伝わったのかサスケくんに頭を撫でられた。

「ほら、帰るぞサクラ」
「あ…う、うん…」

さっきまでの態度は何だったのか。私にはいつもと同じような態度で接してくるサスケくんに頷けば、我愛羅くんが視線を寄越してきた。
何だか申し訳ないなぁと思いつつ、あの、と口を開けば、彼は気にした様子もなく私の背を軽く押した。

「よかったな。気を付けて帰れよ」
「ぁ…きょ、今日はありがとう!また連絡するね!」

いつもなら我愛羅くんと一緒に電車に乗って、公園の入り口まで話しながら帰るのがお決まりのコースだった。
出逢ってから今までそれが覆されたことはなく、駅でバイバイなんて初めてだ。だからすごく残念と言うか、寂しかったけど、私が手を振れば彼も片手をあげてくれた。
ほんの少しだけ口の端を上げて、私を見送ってくれる彼に胸が切なく締め付けられる。
でもサスケくんに名前を呼ばれたら追いかけるしかなくて、私は後ろ髪を引かれつつも彼から目を離した。
私はこれから一月近く実習に出なければならない。暫く彼と会えないから今日がチャンスだったのだけど、結局彼に実習に行くから暫く会えないことも、サスケくんがどういう人なのかも説明できないまま別れることになった。



「で?アイツは一体誰なんだ?」
「アイツ?我愛羅くんのこと?」

乗り込んだ電車で隣に立ったサスケくんが問いかけてくる。そういえばサスケくん我愛羅くんに名前を聞くこともなく踵を返してしまった。
そんな失礼な態度滅多にする人じゃないのに、虫の居所でも悪かったのかな。でもそれにしたって私に対する態度はいつもと同じ…いや、やっぱりちょっと不機嫌かも。

「えーと、我愛羅くんはS大に通ってる学生さんで、友達の伝手で知り合ったの。博識で優しい人よ」

別に嘘は言っていない。事実私は何も聞かされてないとはいえ友達に誘われ合コンに行ったのだ。
まぁ初めから合コンするから来て!なんて言われて参加したかどうかと聞かれれば微妙な所だけど、彼に会えたのだから良しとする。

「ふぅん…愛想のねえ野郎だったな」
「は、はは…人見知りなんだよ、きっと」


愛想の無さで言うとサスケくんも大概だが、本人は自覚がないらしい。けどそれを言うと今以上に機嫌が悪くなるかもしれないので黙っていた。
でも確かに我愛羅くんは合コンの時でもあんな態度だった。マイペースと言うか何と言うか。とにかく彼は親しくなっても基本的にあのスタンスを崩さないのだ。だからきっとマイペースなのだろう。
それでも彼は優しいのは本当だ。何があっても私のことを第一に考えてくれている。初対面の時からそうだ。叱る時はきちんと叱ってくれる。
嬉しいことがあればよかったなと微笑んでくれるし、疲れていたら大丈夫か?と気遣ってくれる。
時折何の前触れもなく手や肩に触れられる時はあるけれど、大体そう言う時は私が前から来る人とか、後ろから走ってくる自転車とかに気付かずぼーっとしてる時だ。
そういうのから私を守るために彼は私に触れる。それがなければ彼は一定の距離を保って私と接する。節度のある人なのだ。きっと。
だから私たちはまだ“お友達”でしかないけれど、いつかは彼に“特別な女性”として意識してもらえたらいいなぁ〜と思っている。
でも今のところは“危なっかしくて見てられない奴”程度だろう。それが何だか寂しいような、でもそれのおかげで続いているような…微妙な感じだ。

「…サクラ」
「ん?なあに?」

サスケくんの声に思考の海から現実に引き戻され、首を傾ければ渋い顔をしたサスケくんが私を見ていた。

「男はな、狼なんだぞ」
「…うん?」

それで言うとサスケくんも狼だよね?とは思ったが言わないでいた。多分、心配してくれているのだと思う。彼は心配性だから。

「だからあんまり気を許すなよ。何考えてるかわかんねえ目ぇしてたからな、あの野郎」
「…うん…気をつけとくよ…」

我愛羅くんのこと何も知らないのにどうしてそんなこと言うんだろう。
そう思ったけど男の子には男の子にしか分からない世界があるのかもしれない。たった数秒しか顔を合わせてないけどサスケくんと我愛羅くんの中では何か思うところがあったのだろう。
私が口を挟んだところでしょうがないかとサスケくんには頷き返す。でもきっと、私はそれでも彼に惹かれる。私にないものをたくさん持った、あの人に。




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