小説2
- ナノ -





我愛羅くんの記憶を戻す治療を始めてから三日が立った。
けれど彼が記憶を失ってから既に二週間近く立っている。仕事にも支障が出ているだろうし、のんびりはしていられない。
彼には黙っているようだったが、実際テマリさんもカンクロウさんも上と衝突しているようだった。
敵に敗れ拉致され、挙句の果てには記憶まで失った彼を失脚させようという声が上がっているようなのだ。
もし彼に記憶があれば問題なく影の席に落ち着いただろうに、あんな理不尽な事件に巻き込まれたうえに失脚させられるなんてあんまりだ。
世の中そう甘くないと言われればそれでお終いかもしれないが、足掻く猶予は与えて欲しかった。

だが世の中そう甘くはないのだ。本当に。だって彼の記憶は未だに戻ってくる気配がないのだから。

「…あの時受けた傷はどれも完治してるし、言語障害や失われた二年間以外での記憶の齟齬や意識の混濁もない…手の打ちようがないわね」

思わず手にした書類を投げ出したくなる結果ではあるが、諦めるわけにはいかない。
外傷的要因での記憶喪失、という可能性が低くなった分精神的なもの、あるいはストレスからによるものだと考えるのが妥当だ。
けれど彼はカウンセリングも嫌がるし、尾獣のこともあってだろう。催眠療法など簡単に受け付けてはくれない。
一体何が原因で彼が記憶喪失になったのか分からない以上こちらから出来ることなどもう殆どないに等しかった。

(でも諦めるわけにはいかないのよ…私はもうこれ以上、何も諦めたくはない…)

サスケくんに置いて行かれた時、私は諦めた。ついて行くことを、追いかけることを諦めた。
でもナルトは諦めなかった。だから今もナルトは走り続けている。アイツはサスケくんを諦めていない。だから走り続けていられた。
あの時サスケくんを諦めた私は心も体も弱かった。二人に守られてばかりなのを悔しいと思いつつも、本当はどこかでそれに甘えていた。
“二人が私を守ってくれている”
それがほんの少しだけ嬉しくて、無自覚にお姫様気分を味わっていたのかもしれない。現実はそんなに都合よく、甘くなんて出来ていないのに。
でも私はもう諦めないと決めたのだ。サスケくんも、二人に追いつくことも、今度は私があなたたちを守るとそう決意したから。だから私は走ることが出来た。

(でもそれは我愛羅くんがいたから…あの時我愛羅くんに会っていなかったら、きっと私は立ち止まったままだったわ)

カカシ先生が見守ってくれていても、綱手様が修行に付き合い知恵を与えてくれても、シズネさんに励まされても、きっとここまで走り続けることは出来なかった。
我愛羅くんがいたから、土俵は違うけれど同じように頑張っている彼がいたから、私は頑張ることが出来た。背伸びかもしれない。空元気かもしれない。けれど確かにここまでこれたのだ。
サスケくんを連れ戻すにはまだまだ遠いかもしれないけれど、あの置いて行かれた日に比べれば遥かに前に進んでいるはずだ。
だからもうサスケくんを諦めた時のように我愛羅くんのことを諦めたくはなかった。何もできない少女のままでいることなんて、もう出来なかった。

「そう言えば…手紙、読んだのかな…」

治療初日、彼は私に向かって自分たちの関係は何だと問うてきた。思わず何かしらの記憶が蘇ったのかと僅かに期待したが、それは呆気なく砕け散った。
考えてみれば分かることだ。彼が燃やすなり捨てるなりしていなければ私からの手紙が残っているはずだ。
しかもそれは他里の、異性から。不思議に思わないはずがない。彼が私以外の誰と文通をしているかは知らないが、普通なら異性からの手紙が出てくれば疑うに決まっている。
私だって自分の記憶が無くなった時に手紙が出てくれば確認するに違いない。見つけた異性の手紙にどういう関係なのだろう?と疑問を抱くのはむしろ当然の反応と言える。

でも本当に全部彼に伝えていいのか分からなかった。
手紙の中ではそれなりに元気にやっています。と書いていても、あなたと過ごした夜は素敵だったわ。なんて書けるわけがない。
酔ったふりをしてしなだれかかる。なんて未成年の私には出来なくて、それでも彼に抱かれたかった私は姑息なやり方で彼を誘った。

手に触れ、肩に触れ、肌を密着させ、甘えた声で名を呼んでみせた。

男なんて上半身と下半身が別に生きてるようなもんなのよ。
そう言って聞かせてくれた先輩は男を嵌めるのが上手かった。色の仕事も多くこなしていたし、好きな男性もそれで落としたと酒の席で自慢していた。
そんな彼女のやり方をそっくりそのまま真似るのは嫌だったから、私なりにアレンジして無自覚を装って彼を煽った。
初めての夜は、割と簡単に訪れた。


あの日は、そう、確か中忍試験も無事終えて、別の案件で話し合いが行われた日だった。
秋も過ぎ去り冬が本格的にやってきた頃合いで、雪も夕方から降り始め、道の端では既に積もり始めていた夜だった。
その時も彼は同期のメンバーと綱手様と(勿論私も含めて)食事会をしていた。お酒を飲んでいたのは綱手様だけだったけれど、彼も初めの一杯だけは付き合っていた。
猪口に唇をつけ、軽く舐めた後煽った時の仰け反った首筋を、上下した喉仏を今でも鮮明に覚えている。正直言ってあれに欲情したのだ。
男らしい、と、そんなバカみたいに単純な感想しか抱けないほどに私は彼にドキドキしていた。

食事会は長く続いた。道端に降り積もった雪の嵩が高くなっているのにも気付かないほどに話が盛り上がり、綱手様もよく飲んだ。
そうして完全に酔っぱらって上機嫌になった綱手様にシズネさんが手を焼き始めたあたりでお開きになった。
これ以上火影の見苦しい姿は見せられない。そう言ってシズネさんやカカシ先生、ガイ先生などで取り決めた閉会に誰も口を挟むことはしなかった。

『うわっ?!すげえ雪!!』

食事会場だった料理屋の扉を開け、外に出た瞬間キバが叫んだ。
皆も次々にうわーとか、本当だー、とか、これは積もるね、とか呟くのを聞きながら私は外套を羽織った彼の袖を指先で少し引いた。

『どうした?』
『うん…ちょっと…』

話したいことがあるの。
そう言って彼との時間を確保した私は彼の目にどう映っていたのだろう。実際は大して話すようなこともなかったのだけれど、私はあの日ふいに口付てしまった日のことを話題に出した。
一応謝ったもののうやむやになっていたからだ。彼は最初そういえばそんなこともあったな、なんてさも気に留めてませんでした。という顔をしていたが、一瞬目が彷徨ったのを私は見逃さなかった。
初めはあの時はごめんね、という低い姿勢から入り、けれど徐々に徐々に彼との距離を詰めて行き、最終的には彼の宿泊する宿までついて行った。

『じゃあえっと…私、帰るね。おやすみなさい』

そう言って頭を下げた私の頭上では結構な量の雪が降っていて、彼はそんな中私を帰すわけにはいかないと手を引いた。
私は確信犯だった。優しい彼が私を放っておかないだろうことを分かっていて、私は送ろうとする彼を“客人だから”という理由で逆に送ったのだ。

初めはテマリさんの部屋で休ませてもらえと言われたけれど、彼の部屋に着いた途端私が抱き着けば彼は私を引きはがしたりはしなかった。
本当は彼に見抜かれていたのかもしれない。でも、彼は優しい人だから、私を拒否したりしなかった。

『…誤解されるぞ』
『いいよ…我愛羅くんが、迷惑じゃなければ…だけど…』

抱き着いた体は雪に濡れて冷たかったけれど、抱き返され密着すればすぐに互いの体が熱くなった。
それからはもう、なし崩しと言ってもいいほどに手順も何もあったもんじゃなかった。
でも私は幸せだった。彼に抱かれたいと思っていたのは事実だったから。
でも流石に処女だったから途中、やっぱり捨ててくればよかったかな。と思ったりはしたけれど、彼は面倒くさがらず私を抱いてくれた。
声を殺して、隣室で眠る彼の姉兄にばれないように私たちは重なり合った。閨の中でさえ、彼の腕は優しかった。


だが今の彼にそんな生々しい話をしたくはない。いや、別に打ち明けてもいいのだが“風影”として正しく勤めようとしている彼にこんなことを伝える気にはなれなかった。
だって聞いていて気持ちのいい話ではないだろう。残る記憶の中では大して仲もよくなかった女から“私とあなたは体の関係があるのよ”と言われてはいそうですか。と信じられる気質ではないはずだ。
元来生真面目なうえ、今の彼は胸の内に沢山の不安を抱えている。
本当に自分は“我愛羅”なのか。そして“風影”なのか。周囲にいる人間を本当に信用してもいいのだろうか。傍にいる姉兄は本当に自分の肉親なのか。
きっと彼は常日頃からその思いに頭を抱えている。加えて影としての仕事に記憶を取り戻すための治療だ。幻術や瞳術の類も疑っているだろうし、そう考えてみれば記憶を失った要因は私にあるような気がしてきた。

「…原因は私、か…はは、まさか。自惚れが過ぎるわよねぇ〜流石に」

我愛羅くんも本当は私のこと疑っていたと思う。
本当に自分のことが好きなのか。単にサスケくんの代わりにしているだけじゃないのか。あるいはただ寂しいから、人恋しいから親しくなった自分を選んだのではないか。
そういうことをアレコレ考えていたんじゃないかな、と思う。でも彼は言わない人だから、そういうこと。私は想像することしかできない。
でも私は本当に我愛羅くんのことが好きなのだ。サスケくんに抱いていた少女のような気持じゃない。恋に恋する乙女のような、そんな淡いキラキラした思いじゃないのだ。

私の思いは“女”としての、生々しいほどに現実的な思いだった。

でも逆にそれが彼にとっては鬱陶しかったのかもしれない。重かったのかもしれない。彼だってまだ十代だ。
責任のある職務についているとはいえ、女の重たい愛情まで背負いたいとは思わないだろう。影としての職務を全うしたとしても、私の思いは忘れたかったに違いない。
だとすれば記憶を失った原因が私にあると言える。違うか正しいかは現状まだ判断しかねるが、全く可能性がないとは言えないだろう。
だって私は、彼に“好きです”なんて一言も伝えていないのだから。

「罰が当たったのかなー…二兎追うものは一兎も得ず、か。先人は本当いいこと言うわぁ〜」

我愛羅くんを求めていながらサスケくんも追いかける。
そんな私に神様が罰を与えたのかもしれない。神様なんているかどうか分からないけれど、私にとってこれは“いい薬”になると考えたのかもしれない。
けどそんなの冗談じゃない。私が我愛羅くんに抱く想いと、サスケくんに抱く想いは違うのだ。人の心が分からない神様に負けるわけにはいかない。
そして彼を苦しめたであろう私自身がきちんと決着をつけなくてはならない。
だって私は、彼を愛しているのだから。

「負けてらんないのよ、運命なんかに」

呟く私の手の中には、これといって進展のない彼の検査報告書が握られていた。


負けられないと決意したものの、記憶喪失の患者に対しこれといった対処法はない。
カウンセリングや催眠療法で心因性的な記憶喪失か、はたまた怪我による外傷的なものか検査したところで明確な治療薬があるわけでもない。
徐々に記憶が蘇ってくるか、あるいは何かが原因で再び記憶が舞い戻ってくるか、最悪記憶を失ったままか、この三択になる。
出来ることなら彼の記憶を戻してやりたいとは思う。けれど現状出来ることはもうやりつくした。
打つ手がないとはこのことか、と与えられた宿で頭を抱えていた私は一旦外の空気でも吸おうと部屋を出た。

砂隠に来るのは多くはないが少なくもない。任務で足を運ぶこともあったし、最近では互いの医療技術を共有し合う仲になりつつある。
そのため近年物珍しく思うこともなくなった砂漠特有の渇いた土を踏みしめながら、私はぼんやりと街中を歩いていた。
だが大して時間も置くことなく、見張り番であろう忍達が何処かへと向かって駆けて行く。どうかしたのかと疑問を抱いた瞬間、私は咄嗟にその場を飛び退いた。

「へぇ〜、ぼーっとしてる割には勘がいいじゃん、お姉さん」
「…あんた、砂隠の忍じゃなさそうね…」

先程まで私が立っていた場所にはクナイが刺さっており、受け身を取って転がった地面から立ち上がれば近くの建物の屋上に面をつけた男が立っていた。
背丈は自分とそう変わらない。体つきもまだ幼く、声の高さからしてみて少年であろうことが読み取れる。多分、木の葉丸たちの一つか二つ上ぐらいだろう。

「観光するなら時間を考えた方がいいわよ。もし砂隠の人に用があるっていうなら、私が伝えてあげるわ」

少年を見上げ、衣服についた砂を払い落としつつ挑発する。
面をつけた少年は私の言葉に軽く肩を竦めた後、ホルダーの中からもう一本クナイを取り出した。

「気持ちだけ受け取っておくよ、親切なおねーさん。でも、俺も仕事だからさ、見逃してあげられないんだよねッ!!」
「っ!」

そう言って飛ばされたのはクナイではなく手裏剣。どうやらクナイとは逆の手に隠し持っていたらしい。
私は再度それを避けつつ太ももに取り付けていたホルダーからクナイを取り出し、間合いを詰めてきた少年のクナイを受け止めた。

「お姉さんもさ、こんな時間に出歩いちゃダメだよッ!こわーい狼さんが、おねーさんのこと狙ってるかもしんないじゃん!」
「お生憎様!お姉さんこれでも腕に自信があるの。だからそんじょそこらの狼さんなら、ワンパンチで皆どっか飛んで行くのよッ!!」
「いッ?!」

クナイでの鍔迫り合いなど長くするものではない。互いに互いのクナイを弾きつつ、再度間合いを詰めてきた少年に向かって私は容赦なく拳を握りしめ、振り抜いた。
けれど勘がいいのは少年も同じなのか、踏み込んだ一歩で急停止すると、そのまま重心を移動し後ろに飛んで私の拳を避けた。
当然私の拳は空振りするわけだが、私は端から当てるつもりはなかった。私のチャクラは拳にではなく、端から後ろに飛ぶであろう少年を狙った足に込められていた。

「しゃーんなろーっ!!!」
「ぐっ!」

咄嗟に腕でガードした少年だけど、私の力に敵う訳がない。小さな体は宙に浮き、そのまま勢いよく後方へと飛んで建物の壁をぶち抜いた。

「だから言ったでしょ?お姉さんのワンパンチで皆飛んでいくって」
「…今の、パンチ、じゃ…ないじゃん…」

ガラガラと建物の壁が倒壊する中、弱々しく聞こえてきた声に近づけば少年は気絶していた。
どうやらさっきのツッコミで力を使い果たしたらしい。面を取ればやはりその顔は幼く、もうちょっとだけ手加減してあげてもよかったかな、とちょっとばかし同情してしまった。
けれどここは砂隠だ。私が手加減してこの里に迷惑をかけるわけにはいかない。勿論木の葉でも同じことは言えるのだけど、そこは深く考えず少年を建物の中から引きずり出した。

「あちゃ〜…でも派手にやっちゃったなぁ〜…どーしよっかなぁ、コレ…」

少年が吹っ飛んで建物に開けた穴は大きい。元はと言えばこの少年が仕掛けてきたのが悪いんだけど、手加減しなかった私もちょびっとばかし悪いかもしれない。
これ弁償しなきゃだよねぇ〜、と中を覗けばどうやら空き家だったらしい。運がいいのか悪いのか。とにかく少年を誰かに引き渡そうと辺りを見回していると、何やら随分と周りが騒がしくなっていた。

「あ、サクラさん!!」
「マツリちゃん!」

私を見つけ駆けつけてくれたのは砂隠で時折私たちを案内してくれるマツリちゃんだった。
その顔は私の後ろにある穴の開いた建物と、のびた少年に向けられ、僅かに目を見張ったがすぐさま事態を理解したらしい。
ご迷惑をおかけしてすみません、と謝る彼女に私は別にいいのだけれど…と今何が起こっているのか説明を求める。

「はい。その…情けない話なんですが、どうやら侵入者が里を襲ってきたんです」
「ふぅん…じゃあこの子もその一人ってことね」

お仕事、と言っていたのだからそうなのだろう。
のびきった少年はあどけない顔をしているが忍として教育を受けているようだった。どこかの里に所属しているようには見えない。抜け忍がどこからか子供を連れ去り育てたのかもしれない。

「他の侵入者は?どうなっているの?」

マツリちゃんが持ってきたのであろう縄で少年を縛っている間に問いかければ、建物の隙間から方々に駆けて行く忍数人の姿が目に入る。
どうやら自体はまだ収まっていないらしい。

「ま、まだ、全員捕えていませんけど、大丈夫です!今から私たちが捕まえますから…ってあれ?!サクラさん?!」

私は悪いな、とは思いつつ少年の後始末をマツリちゃんに任せ駆けだした。
嫌な予感がするのだ。こんな時間に、しかも我愛羅くんが記憶を失っているこの時期に、こんなにも都合よく夜襲が起きるだろうか?

「狙いが我愛羅くんじゃなかったらいいんだけど…可能性は薄そうね…」

慣れない土地を走る中、見えてきた争う姿に聞こえるクナイ同士がぶつかる音。
そうして一人は雷遁の使い手らしい。走る稲妻に砂隠の人とは相性が悪いな、と知らず舌打ちをした。




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