小説2
- ナノ -





63072000秒。あるいは1022000分。時間にして576時間。年数にして二年。我愛羅くんが失った記憶の時間。
長いなぁ、とも思うし、短いなぁ、とも思う。何せ二年間だ。ナルトが修行に出て、ちょうどその位。
木の葉崩しが明らかになって、彼らと戦って、和解して、綱手様が火影になって、私が修行をつけてもらって…思い出したらきりがない位、沢山の時間が流れている。
彼にとってもめまぐるしい毎日だったに違いない。何せたった二年の間で風影に就任したのだ。実力と、冷静さと。長としては幼すぎる年齢を補うほどの才覚を持った人。
けれど彼にだって築いてきたものがあるから立っていられるのだ。ぐらついた足場に確固たる状態で立てる人間などいない。
不安だろうな、と思う。目覚めたばかりの彼はとても恐れていた。人に、自分に、力に。だから、彼を助けたいと思った。
でも本当はそんな純粋な想いだけじゃない。人には言えない秘密を、私“たち”は抱えている。

「…二年、か…」

過ぎた二年の間、短いようで長かったその月日の間に、私は彼と関係を持った。
肉体的な意味でも、精神的な意味でも。別にサスケくんが嫌いになったわけじゃない。諦めたわけでもない。
彼を里に連れ戻したいという気持ちに変わりはないし、きっと姿を見れば切なく胸が疼くことも止められないと思う。
でも、そんな私を丸ごと受け入れてくれたのが我愛羅くんだった。彼は私を降り注ぐ雨から守ってくれる傘のような人だった。

初めて彼と意図して接触したのは、綱手様が火影に就任なさってすぐのことだった。
その時彼は正規軍に属している頃でまだ影にはなっていなかったけれど、彼の肉親に聞けばその頃には既に次代の影は我愛羅で決まりだな、という話が上層部の間で出ていたらしい。
その理由が彼の体に抑え込められた尾獣のせいだとは知らなかったけれど、それでも彼は実際とても優秀な忍だった。
冷静で、状況判断も的確で、見た目と態度からは分からないけど柔軟な考えも持っていて、臨機応変に攻め手を変える。共に戦えばどれだけ頼もしいか、私は知っている。
私だけじゃない。彼と接したことのある誰もがそう思っているはずだ。ナルトとはまた違った輝きを持つ人。
ナルトが太陽なら、彼は何だろう。月、かな。昔はそう思っていた。でも、今の私は違う。彼は海だ。私を包み込んでくれる広い海。砂漠のように広いけど、彼の心はもう渇いていない。
時に優しく、時に厳しく。泣いていても、笑っていても、彼はそんな私をまるごと受け入れ、抱きとめてくれる。あの腕の中がどれだけ安心できるか、どれほど心地好いか、きっと私以外誰も知らない。

私の彼に対する印象は少しばかり歪曲している。
本当に最初の頃、中忍試験で見た時は相当ヤバい奴!と思った。そりゃあまぁしょうがない。だって木の葉の里を潰しに来ていたのだ。向こうもそれなりの覚悟があっただろう。
加えて尾獣の力もちゃんと操れていなかったのだから当然怖かった。ナルトだってサスケくんだって、アイツに負けるかも、なんて不安に思ったりもした。
だけどそんなヤバい奴!も正規軍に属してから顔を合わせてみれば肩透かしを食らうほどに静かだった。
水のように、周囲を漂い消えて行く煙のように、掴み処がなくて何を考えているか分からなかった。でも、怖い人だとはもう思わなかった。
逆に目が合えばリン、と涼しい鈴の音が聞こえてくるような綺麗な瞳をしていると思った。纏う空気もそれに見合って凛としていて、周囲にいる忍とは何かが違うと思った。
覇気とも違う。王気と呼ぶには仰々しい。けれど確かに上に立つ者ならば身に纏っているであろう有無を言わせぬ何かがあった。
それをカリスマ性と呼ぶのか色気と呼ぶのか、はたまた高貴な気配と呼ぶのかは人それぞれだと思う。

そんな彼と一般的な忍代表と呼んでも支障のない私がどうやって接点を持ったのかと言われれば、それは私が師匠と修行を終えたある日に遡る。

私はその日、自分でもなぜそこまで落ち込んでいたのか分からないほどに落ち込んでいた。でも理由は多々あった。
修行が上手くいかないこと、綱手様の期待に添えないこと、任務で足を引っ張ってしまったこと、知識が追いつかないこと。
両手の指じゃあ足りない位当時は悩みが尽きなくて、私の小さな脳みそはパンク寸前だった。
俯いて歩く視界の何て暗いこと。
物理的に日が沈んでいたというのも勿論あるが、照らしてくれる月明かりや星の輝きすら私の心には届かないほどに私の目の前は真っ暗だった。
そんな中偶々出逢ったのが彼だった。木の葉での任務を終え、食事会の帰りがてら木の葉を練り歩いていた彼と私は出逢った。

『…こんな時間に何をしている』
『え…あ…き、帰宅中です…』

泣いてはいなかった。けれど疲れた顔をしていたのだろう。何とか振り絞って出した声はどこか掠れ気味で、小さくて、彼は少しだけ目を開いて数度瞬いた。
何だか猫みたいだなー。なんて、そんな現実逃避のようなことを考えていれば彼に何かが足りないことに気付いた。
うーん。何だろう。
思いつつ彼を眺めていれば、その時ようやく普段背負っている瓢箪がないことに気付いた。アレには砂が入っていたはずだ。彼の武器であり、身を守る絶対の盾が。
なのにそれがない。まさか盗難にでもあったのかと咄嗟に尋ねた私に、彼はすぐさま首を振った。
彼は意図的に瓢箪を置いてきたのだ。未だ彼に対する確執が多いこの里で、わざわざ。

『俺が瓢箪を背負っていれば“何かしてくるんじゃないだろうか”と思うだろう。俺にその気がなくとも相手は分からない。だが初めからこちらが丸腰になっていれば警戒は僅かだが薄れる』

僅かでもいい。自分に対して少しでもいいから、誤解を解きたい。
彼はまずそこから始めなければならなかった。

当時木の葉には未だ彼とナルトが争った跡が色濃く残っている場所が多く、亡くした友や家族、恋人の痛みに嘆く人も少なからずいた。
夜襲にあってもおかしくはない。彼にだけ刃が向けられても何故、と問うような人間は残念ながらいなかった。
それだけ彼らが仕出かしたことは大きかった。だからこそ彼は誰よりも木の葉に対し無力でいなければならなかった。
自分に争う気がないということを伝えなければ誰も自分を信じてはくれない。いや、信じる所か逆にまた襲いに来たのではないかと疑われる可能性の方が強い。
ナルトがいない当時の里で彼に敵うチャクラを持つ忍はいない。だからこそ彼は牙を抜かれた獣のように、大人しく振る舞わねばならなかった。

『別に不便はない。疑われて当然のことをした。償っても償いきれぬ罪だ。どんな言葉でも態度でも、甘んじて受け入れよう』

彼と並んで歩く間、私たちはとつとつと言葉を交わした。あれだけヤバい奴!と思っていた彼は、私が思っていたよりもずっと大人で、冷静だった。

『でも…悲しくないの?辛いとか、苦しいとか、そんなに疑わないで欲しいとか…思わないの?』

人ならば当然“受け入れて欲しい”と思うはずだ。私がサスケくんにそう思ったように、彼もそうじゃないかと思った。
けれど彼は違った。受け入れる入れないは相手の自由だと、そう私に言い聞かせた。

『人を信じるのも、受け入れるのも、こちらが強要し、決めることではない。全ては相手が考え、決めることだ。
俺が相手を信じ信用することと、相手が俺を信じ、信用することは同じようだが実際は違う。俺が信じても相手が裏切ることはあるし、逆もまた然りだ』

その言葉は当時の私に痛いほど刺さった。
私はサスケくんに信じてもらいたかった。一緒に連れて行って欲しかった。でも、彼は一人で行ってしまった。
サスケくんに恋して、愛した私を、サスケくんは愛してはくれなかった。いや、多少なりとも何らかの情は抱いてくれていたように思う。
けど、それは私の欲しているものではなかった。

『…悲しい、って…思わない…?』

私は悲しかった。サスケくんに置いて行かれた時、悲しくて、寂しくて、苦しくて、何処に行ったのかも分からない彼を追い掛けたくて仕方なかった。
けど私は置いて行かれたのだ。連れて行ってと懇願したにも関わらず、彼は私を連れて行ってはくれなかった。それが何よりも明確な答えだった。
分かっていて、追いかけられるほど私はバカな女になれなかった。
それでも心は苦しいと叫ぶし、痛いと泣く。雨が降るように涙が溢れるし、声を殺しても漏れる嗚咽は夜ごと増していく。
何もかもが上手くいかない、けれど中途半端にもがく私は今にも溺れて死んでしまいそうだった。

『…何故悲しいと思う?』
『え?』

問いに問いを返されるとは思っていなかった。当時の私は本当に間抜けた顔をしていたのだろう。
彼はちらりと私を横目で見た後、少しだけ口の端を上げた。ように見えた。

『言葉は悪いがな、悲しいと思うのはそれは“自分が可哀想”に見えるから悲しいんだと俺は思う』
『…どういう、こと?』
『他人から見た時に“アイツは普通じゃないんだ”“アイツはいらない存在なんだ”そう言われてる自分が惨めで、情けなくて、可哀想だと思う。だから、助けてほしいと思う。
そして誰か心優しい人…自分を助けてくれるであろう相手。憧れでも、恋慕でもいい。そんな相手に縋って、助けられると自分は“認められている”“必要とされている”と喜ぶ。
だが逆に突き放されると益々自分が惨めになり、誰にも必要とされていないのではないかと不安になる。だから、悲しいし、辛い。他人に期待し、他人の力を望んでいるからこそ、
それが叶えられない時に絶望する。俺は、そうだった』

だから自分を“可哀想”だとか“惨め”だとか“必要とされていない”だとか、そう言う風に思うのはやめた。
そう続けた彼は歩んでいた足を止め、私を真正面から見つめてきた。中忍試験でヤバい奴!と思った男と同じとは思えないほど、澄んだ綺麗な瞳だった。

『自分を卑下しても何もならない。例えどんなに惨めでも、報われない境遇にいても、それを嘆いた所で何も変わらない。だから、嘘でもいいから自分を信じろ』
『信じる?相手じゃなくて、自分を?』
『ああ。まずは自分を信じることが大事なんだ。自分の力を、決意を。自分ではダメなんだと思わず、自分なら出来ると思って進むんだ。そうすれば、自ずと見えてくる』
『…何が?』

道が。
自分の進むべき、進みたいと思える道が、見えてくる。

彼はそう言って私を家まで送り届けてくれた。彼には見えていたんだと思う。自分が進みたい道。なりたい自分という像が、きっともう見えていたんだと思う。
あるいは見えていなくても、もうすぐそこまで来ていたのかもしれない。でなければあれだけ綺麗な瞳を持つことなんて出来なかっただろう。
過信でもない。自尊心でもない。彼はありのままの自分を受け入れ、歩んでいただけなのだ。だからひたむきで、それが、輝いて見えたのだろう。

その夜から私は泣く日が少なくなった。
修行が上手くいかなくても、医療技術がちゃんと頭に入って来なくても、任務で足を引っ張っても、反省はしても泣き言を言って自分自身を傷つけたりはしなくなった。
失敗は成功の元。
それを体現するかのごとく私は失敗する度、躓き、倒れる度に歯を食いしばった。倒れて泥だらけになっても、そんな自分を愛そうと思った。傷だらけの手でも立ち上がった。

私は負けたくなかった。
他人にじゃなく、自分に。もう、あの頃みたいに弱気で後ろ暗い自分には戻りたくなかった。
だから私は進んだ。ナルトやサスケくんに近づきたくて。今度は、あの二人を守ってあげたくて。そして、いつか、彼に、あの時言えなかったお礼を言えるように。
走り出したら時間はあっという間だった。

その間に彼は無事風影に就任し、木の葉では綱手様も火影としての勤めに慣れてきたところだった。
彼の風影就任祝いをシズネさんと共に選び、送る際には私も一筆書いた。あの日言えなかったお礼と、祝福する気持ちを込めて。

少し話が反れるが、私の部屋には手紙を収納するボックスがある。
誕生日祝いや中忍試験で合格した際に貰った祝辞、任務先でお世話になった人たちや、護衛した人たち。そんな人たちから送られてきた大切な手紙だ。
でもそれとは別に、特別に鍵を掛けたボックスがある。小さい頃は私の宝物を隠していたその箱の中に、今は私と彼の秘密が眠っている。

そこに収めているのは、彼とひっそりと交わしていた沢山の手紙だった。

彼が風影に就任した際、一筆書いた私の元に後日返信が来た。
あんなものにわざわざ返事をくれるなんて律儀な人だなぁ、なんて思いながらも私は嬉しかった。
だって、他里の人で文を交わすなんて滅多にないことだから。それに相手は風影。ちょっとばかし優越感も抱いていた。

彼は手紙の中では饒舌だった。
いやまぁ、手紙なのだから当たり前といえば当たり前なのだが、普段口数の少ない彼を思えば新鮮で、以外にもユーモアのある文章に笑ったりもした。
あと彼は致命的に絵が下手だった。
忍と言えど何も文字や手話だけが暗号に使われるわけではない。サイのように特殊な技を用いて戦うことはなくても、絵や図を起こして相手に情報を知らせることは以外にも多い。
なのに彼ときたら、一体何を描いているか分からないものを描くのだ。そりゃあもう笑った。久しぶりに笑った。腹を抱えて、声を出して、子供みたいに笑ったものだ。
笑ってから、私は泣いた。こんなに笑える日が来るとは思わなかった。サスケくんが戻ったわけじゃないのに何でこんなに笑ってるんだろうと、訳が分からなくなって泣いた。
でもすぐに涙は引っ込んだ。何となく、彼の絵を見つめていると泣いてる自分がバカらしく思えたのだ。
だから彼の絵には情報を伝えるというセンスはなくても、相手を励ますという特殊なセンスはあると思う。勿論いい意味で、だ。

そんな彼との手紙のやり取りは基本的に一月に一通の割合で行われた。そもそも手紙を運ぶのに時間がかかるのだ。
砂隠と木の葉を行き来できる伝書鳩は多くないし、私用でそう何度も使えるものではない。
自分で飼ってもいいが、もし長期任務に勤めれば世話を誰かに見て貰わなくてはいけなくなるし、最悪自分が死んだ場合世話を頼んだ相手にも鳥にも迷惑がかかる。
だから基本的に月に一通。多くても二通が限界だった。実際彼も忙しい身だ。
会議やら接待やら治水やら工事やら修繕やらと思ってもいなかった仕事にまで首を突っ込まなければいけない。
そんなの聞いてないぞ!と嘆く綱手様の声を聞いたことがあるので、まぁ彼も似たようなものだろうと思う。
けれど彼はそんな忙しさも辛さも、口にはしなかった。いつだって彼は見知らぬ世界に足を踏み入れる楽しさを私に伝えてきた。
本当はもっとずっと、沢山苦しいことや悩み事とかあったと思う。今でもきっとそう。でも彼は言わなかった。いつだって前を見据えてた。
言葉にして聞いたことはなかったけど、彼なら身に受ける辛さも、苦しさも、悩みも、いつかきっと自分の力になる。
そう考えてるんじゃないかなと私は確信にも近い気持ちを抱いていた。だから私も苦しいとか辛いとか言わなかった。別に見栄を張っているわけではない。
ただ彼の頑張っている姿を聞いていると、自分も前を向いて頑張ろうと思えたのだ。私が辛いと思っていることなんて端から彼にはバレている。
取り繕う必要なんて本当はないのかもしれないけれどそれはお互い様だ。傍から見ればお互い見栄っ張りの空元気に見えるかもしれない。
でも私たちはお互いの頑張ってる姿で自分を励まし合ってきた。手紙の奥に見え隠れする本音に気付きながらも、気付かないふりをして。お互いを高め合うように。
だから彼が時間の隙間を縫って私に書いてくれたであろう手紙は、こうして大切に仕舞って、でもしょっちゅう読み返していた。
気付けば私は彼に対し特別な想いを覚えていて、彼もまた、少なからず私に対し情を抱いてくれているようだった。

そうして手紙のやりとりを初めて半年ほどたった頃、彼は木の葉にやってきた。
就任祝いや祝辞会などに綱手様は当然参加したが、私は流石に出席していない。そこまで地位も高くないし、ついて行けるほど名の通った血筋でもない。
だから本当に久しぶりに出会った彼は手紙でも述べていたように少し背丈が伸びていた。本人曰く目の隈も濃くなったらしいが、生憎元より濃かったので違いが分からなかった。

『久しぶりだな』
『うん。久しぶり』

木の葉には夏に執り行われる中忍試験の話し合いをするために来ていた。冬が過ぎ去り春の息吹が感じられる頃、彼は終始落ち着いた様子で綱手様と言葉を交わしていた。
その頃には私も綱手様から『まぁまぁだな』と言われる程度には知識も技術もついて来ていた。

私の仕事と、彼の話し合いが終わったのは丁度夕方から夜の間。夕日が沈みかけ、夜の闇色の大気が茜の空に交じる頃だった。
複雑な色を描く空にどこからか星の光が瞬きだす。そんな中、私は彼と一緒にいた。

『でもいいの?これから宴会でしょ?』
『別に構わん。もう少し時間はある。少しぐらいゆっくりする時間をくれるだろう、あの火影なら』

綱手様の気質を少なからず理解しているのだろう。サボり癖、とまではいかないがそれなりに脱走癖のある綱手様だ。
ある程度急ぎの書類を片づけたら『ちょっとそこまで』と言って賭博場に出かけたりするのが常なのだから、多少の融通は利くだろうと言っているのだ。
もしこれが綱手様を揶揄してのことであれば私はそれとなく咎める必要があったが、彼の横顔や言葉の柔らかさからして親しみが感じられたので聞き流した。
きっと綱手様は綱手様で彼といい関係を結んでいるのだろう。

『我愛羅くん、ちょっと背が高くなったね』
『ああ…だがカンクロウのようにはいかないな。やはり睡眠が大切というのは本当だな。眠れない俺と違い、徹夜する俺の視界の端で爆睡したアイツを見つけた時には埋めようかと思ったほどだ』

苦々しげに話す彼に思わず吹き出し、大変そうだねと言えば彼はまぁなと肩を竦めた。けど、その顔はどこか楽しげでもあった。

『お前も随分と変わったな』
『え?そう?』
『ああ。変わった』

彼は多くを語らなかった。けれど、彼の瞳に映る私は確かにあの日とは違うように思えた。
だから私も深く聞かず、ただありがとう、と言った。あの時言えなかった分も含めて、心から気持ちを込めて。

彼が成長したのは背丈だけではなかった。
春とはいえ夜になれば当然冷える。身を震わせる私に伸ばしてきた手は大きくて、思わず男の子だなぁ、なんて当たり前のことを改めて思うほどだった。
そんな何の躊躇いもなく繋がれた手はあたたかくて、大きくて、思わずいいなぁ、と呟きながら両手で彼の手を握りしめれば彼は首を傾けた。その仕草が子供っぽくて、ちょっとだけ可愛かった。

『男の子ってさ、すぐ大きくなるよね。背も、足も、手も、指だって、私に比べたらずっと太くて長くなるもの』
『まぁ…それはそうだろうな』

握った手を離し、広げたそこに自分の手を重ねれば見慣れた手が随分小さく見えた。まるで赤ちゃんみたいだ。
でも傷やタコのできた指はお世辞にも綺麗とは言えなくて、ちょっとばかし恥ずかしかったけど、以前手紙で彼にそういう手の方が人間らしくていいと言われたから引っ込めないでいた。

彼の手は掌も、指も長くて、大きかった。背は確かに草木のように著しく伸びることはなかったけれど、それでも他の場所。
手とか、腕や背中についた筋肉とか、それを支える下半身だとか足だとかは、昔に比べ男らしく、逞しくなったと思う。
私の事なんかすっぽりと包んでしまえるんじゃないだろうか。そう思った時には彼の外套が私を包んでいた。
その時まで私は彼の匂いを知らなかった。けれど外套には彼の匂いがすっかりと染み込んでいて、初めて意識して間近に感じた匂いに恥ずかしながらドキドキした。何でドキドキしたのか分からなかったけれど、私は多分赤くなっていたと思う。

『木の葉でも夜は冷えるんだな。砂漠と違ってもう少し暖かいかと思っていた』
『そ、そっか…砂漠って確か夜冷えたもんね。でも木の葉は昼間だけだよ、あったかいの』

怪しまれないように必死に言葉を続けて会話を繋げてみたけど、私のドキドキは収まらなかったし彼の匂いも当然ながら消えなかった。
代わりに外套を脱いだから見えた彼の筋肉の動きだとか、空を仰いだときに見えた首筋だとかに堪らない色気を感じて、余計にくらくらした。
同じ同年代の男たちとは比べ物にならないほど、私の目に彼は“男の人”として映った。

でもそう意識した途端、私はダメだった。
ダメと言うかもう、ダメになった。なってしまった。
サスケくんに感じていたメルヘンゲットなドキドキとは訳が違う、男の色気に当てられたドキドキだった。
キャーッ!サスケくん格好いいー!とか叫んでいた乙女な自分はそこにはいなくて、ああ、この人に抱かれてみたいなぁ。なんて、そんな卑しくて生々しい思いを抱いてしまった。

『そろそろ時間か。サクラは来るのか?宴会』

建物に取り付けられた時計を見上げ、呟く彼の言葉を私は半分近く理解していなかった。
ただぼんやりと彼を見つめていた。当然彼はそんな私に疑問を抱く。窺うように私に顔を近づけてきた彼に、私は思わず背を伸ばし口付ていた。

『………』
『………』

時間にすれば数秒。彼の失った記憶を思えば本当に僅かな時間だ。
けれど確かに触れ合った唇はあたたかくて、柔らかくて、前からも後ろからも感じる彼の熱と匂いにドキドキした。
けど、すぐに私は我に返った。

『っ!』

バッと音が鳴るぐらいの勢いで体を離し、ごめん!と叫ぶようにして駆け出そうとした私を彼は驚く速さで抱きとめた。
もう本当に早かった。獲物の狩り時を見誤らなかった肉食獣のような速さだった。私はいとも簡単に彼に捕獲され、後ろから抱きしめられた。

『あ、ああああああのっ』

自分から仕掛けておきながら私の頭はパニックだった。どうしようどうしようと永遠にその言葉ばかりが浮かんでいて、彼の腕に込められた力の強さに気付けずにいた。

『…サクラ』
『は、はいっ!』

彼の声をあんなに間近で聞いたのは初めてだった。自分の耳元で囁くように聞こえる声は少しだけ掠れていて、普段聞いてる声なんかよりもずっと色っぽくて、艶やかだった。
呼吸も、腕の力も、背中から伝わる熱いほどの体温も、全身を包み込む匂いも、全部全部、彼の物だった。そこに他の誰の匂いも気配もなかった。
私の体を包んでいるのは、ナルトでもサスケくんでもなくて、彼だった。

『……すまない』

数分にも満たない、これもほんの数秒のことだった。けれど彼は一つ謝罪を零したかと思うと体を離した。
思わずえ、と思った私が振り返ろうとしたら、少し汗ばんだ彼の掌に視界を覆われた。私の肌に触れた指先は少しばかり震えていた。

『その、今は…見ないでくれ……な、情けない顔をしているだろうから…』

覆われた視界の向こう、聞こえてきた声は狼狽えているようだった。
一方が狼狽えれば一方が冷静になるよう。彼の戸惑いが伝わってきた途端何故か私は冷静になった。つもりだった。実際はまだドキドキしていたのだけれども。
気付けば私は彼の手首を掴んで見るなと言われた彼の顔をしっかりと見ていた。

『っ、さ、サクラッ!』

狼狽えたような、焦ったような、そんな僅かに感情の乗った声を発した彼の顔は暗闇でも分かるぐらいに赤かった。
砂漠の民にしては珍しくあまり日に焼けていない肌が血色良く色づいて、何だか頬紅を塗ってるみたいで不思議と可愛くて仕方なかった。

『…我愛羅くん、可愛いね』
『ッ!』

思わず出てきた本音は彼にとっては非常に恥ずかしいものだったのだろう。益々彼は顔を赤くして、あの大きな掌で顔を覆って私に背を向けた。
けれど私の手が彼の片手を掴んだままだったので中途半端な姿になってしまう。それが妙に可愛くて、愛しくて。私は思わず笑ってしまった。

『ふふ、我愛羅くん可愛いッ』
『う、うるさい、見るな、来るな、近寄るなッ』
『えー?冷たーい。もっと優しくしてよ、ね?』
『あーっあーっあーっ、聞こえない聞こえない、何も聞こえないっ』

照れる彼は益々私から遠ざかろうとするし、でもそれを見つめるのが楽しくて詰め寄れば大げさな態度で彼は逃げていく。でも私が掴んだ手はそのままだったから、結局ずっと中途半端な逃避だった。
最終的に彼は私の手から無理やり自分の手を奪い返す、という強行に出ることはなく、ケラケラ笑う私を仕方なく引きずって宴会会場まで足を運んだ。
到着しても彼の顔はまだ少しばかり赤くって、それを見たテマリさんとカンクロウさんが口を揃えて熱か?!と心配していたのが益々可笑しかった。

そんな甘酸っぱく、けれどキラキラと輝く思い出を噛みしめながら私は彼の失われた時間を取り戻す為木の葉の門前に立っていた。

「それでは行ってきます、綱手様」
「ああ、気を付けてな」

今回の任務は風影の失われた記憶を取り戻す、というものだ。
本当なら私以外の医療忍者にこの任務を頼むつもりだったらしい。けれど事の詳細を知っているのは私たち七班だけだったし、口で伝えるより私自身が足を運んだ方が色々と都合がいい。
そう説得して無理やり班に入れ込んでもらった。なんてったってこれは私の戦いでもあるのだ。

私が彼を本当に愛していると、本当は心のどこかで疑っていたのであろう彼に伝えるための、私の戦いなのだから。




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