小説2
- ナノ -


返り咲き




ドン、と突如里内で大きな爆発音と共に煙が上がる。
濛々と辺りに充満していく煙の中からは何事かと騒ぐ声や、誰かを呼び止める声、怪我人の有無を確認する声が上がる。
しかしその中を颯爽と駆け抜ける幾つかの影があり、その内の一人は薄紅の髪を持つ女性を抱え走っていた。

「おいコラてめーっ!!サクラちゃんを離しやがれ!!」
「あーあ…何でこういうことになっちまうかなぁ…」
「もーっ!折角内緒にしてたのにーっ!!」

赤髪の中に僅かに黒が混じった頭髪を揺らしながら、薄紅の髪をした女を抱える男はひらりと屋根に上りそのままそこを駆け抜ける。
一体全体どうしたものか。そう考える男の目はぼんやりと、けれどしかと脱出経路を探していた。



【返り咲き】



事の始まりは半年前、サクラがナルト達と任務に出ていた時へと遡る。
その日サクラはナルト、サイのスリーマンセルで役人の護衛の任務に出ていた。Sランク、というほどの任務ではなかったが、役人が持ち運ぶ情報は国に関わるもので、悪用されては各国、各里に影響が出る品物ではあった。
だからこそドタバタとは言え、里の英雄であり任務遂行率の高いナルト達を抜擢したにも関わらず役人は命を狙われた。
襲ってきたのは抜け忍と思わしき忍が数名。奇襲をかけてきただけありチームワークは抜群なようで、サクラたちはあっという間に散り散りにさせられた。
その上敵と応対する中、サクラは通信機を破壊され単独で森の中を駆け抜けていたのだった。

(ああもう最悪!通信機壊されるなんて、連絡取れないじゃない!)

ナルトの声と煙が至る所で上がっているのは確認できるため無事なのは分かるが、正確な位置までは掴めない。
これでは連携も取れないとサクラが大木の根元で一旦息を顰めていると、どこからか忍具が放たれ慌てて上体を伏せる。

「チッ、しつこい!」

サクラは単独で移動したが、役人はナルトかサイのどちらかと共に行動しているはずだ。安否は分からないが、きっと無事だろう。
しかし楽観視することはできない。二人を疑うわけではないが、怪我などされては木の葉の名誉にかかわる。サクラは一刻でも早く皆と連絡を取らなくてはならなかった。
だが敵は容赦なく、かつしつこくサクラをつけ回す。姿が見えれば一発で決めてやるのに、と歯噛みしたところで頬を掠めるかのように煌めく刃が何処かへと飛んで行く。

それはサクラが手にしていたクナイでも、またホルダーに収納していた予備の忍具でもない。己の後方から飛んできたそれを目で追うよりも早く、どこからか男の低く呻く声がする。
どうやらサクラをつけ回していた忍に向かって放たれたらしい。的確に命中させたことも驚きだが、この状況でサクラに味方してくれる人物がいたことの方が驚きだった。
ナルトは別方向にいるはずだ。ならばサイが助けてくれたのだろうか。思いつつほっと息をついたサクラではあったが、すぐさま目を見張った。

(く、傀儡…?!)

サクラの前に姿を現したのは、生身の人間ではなくここ数年で見慣れた人形であった。砂隠を悪くいう訳ではないが、正直傀儡にはあまりいい思い出がない。
勿論演者であるカンクロウとは友好関係を結んではいるが、その傀儡はカンクロウが操っている物とは全く違う。
敵か味方か判断しかね、再度クナイを構えるサクラの耳に突如聞き覚えのある声が届いた。

「よぉ小娘。元気そうじゃねえか」
「…その声は…サソリ?!」

どこかねちっこい、厭味ったらしい話し方にサクラの目が極限まで見開かれる。
その脳裏には数年前己が苦戦した男の顔が浮かんでおり、サクラはまさかと唇を噛みしめる。だが男はくつくつと笑ったかと思うと、ご名答と答えながら傀儡の後ろから姿を現した。

「んな身構えんじゃねえよ。別に殺しに来たわけじゃあねえ」
「だ、だったら一体…」

現れたサソリは記憶の頃と寸分違わぬ姿をしており、サクラは思わず幻術かと目を細める。
しかしどれだけ体内のチャクラの量を調整しても目の前の男が消える気配はない。どういうことかと内心で狼狽えていると、間近に迫った男の指がサクラの額を軽く弾いた。

「何つー顔してんだよ。幽霊でも見たみたような面しやがって」
「だ、だって…」

数年前、死闘を繰り広げたとは思えぬほどサソリはフランクに接してくる。それが更なる困惑に拍車をかけるが、サソリは気にせず歩を進めた。

「コイツ抜け忍だな。額当てがねえ」

サソリが拾い上げたのは、サソリが放ったのであろうクナイが心臓を貫いた男だった。
見たことのない顔だ。恐らくビンゴブックにもまだ乗っていないだろう。サクラが思案するのを横に、サソリは男を観察した後メモを取り、再度捨て置く。

「ていうか、何であんたが生きてんのよ」

襲ってきた男のことは勿論だが、ナルトやサイのことも気になる。だが何よりもまず目の前にいる、倒したはずの男へと意識を向ける。
サクラの警戒心が潜む瞳に射抜かれながらも、サソリは飄々とした態度で口を開いた。

「まぁ落ち着けよ。確かに俺はあの時てめーとチヨバアに倒されたのは事実だ」
「じゃあ何で…」

倒したサソリの元に傀儡を回収しに行ったのはサクラとカンクロウだ。その時確かにサソリの核は破壊されていた。
それが何故こうして生きているのかと問いかければ、サソリは先程使用したばかりの傀儡を手元に戻した。

「とある傀儡師の一団がな、優秀な傀儡師を養育するために俺を蘇生させたんだよ」
「蘇生って…」

蘇生と簡単にサソリは言ったが、その代償は大きいはずだ。何せチヨの禁術も命と引き換えのものだった。そう簡単な術ではないはずだと問えば、サソリはまぁなと頷く。

「勿論代償はタダじゃ済まなかったさ。年老いた傀儡師が自分の命と引き換えに俺を蘇生させたんだ」
「そんな…そこまでしてその人たちはあんたを…?」

チヨのように血の繋がりがあったわけではないだろう。それでも後世に傀儡を継がせるためにそこまでするのか。傀儡師たちの執念とも呼べる思いの強さに愕然とする。
だがサソリはその傀儡師たちの気持ちが分かるのか、気の毒そうな表情をするサクラに向かって釘を刺してきた。

「言っておくがな小娘。あいつらの覚悟は生半可じゃねぇ。傀儡師ってのは皆それ相応の覚悟を持って傀儡を操ってる。てめーの命を握ってるもんだ。それに対し適当な物なんか選べるわけねえだろ」
「そ、それは…そうだけど…」

サソリの言い分はもっともだ。傀儡師は傀儡がなければ主戦力に欠ける。
元来傀儡師とは常に死と背中合わせである。傀儡を操っている間は両手が塞がり無防備になり、狙われればひとたまりもない。だからこそ傀儡の仕掛けも出来も、妥協することは許されないのだ。

「それに俺はもう人傀儡を作る気はねえよ。暁みたいな集団に入る気もねえし、後世の傀儡師のためにひっそりと傀儡作るだけだ」
「…本当に?」

かつては敵であった、けれど散り際には潔い姿を見せた男。だがそう易々と信じるにはあまりにも軽率すぎる。
拭い去れない疑念の眼差しをそのままに問いかければ、サソリは突如片腕を掲げた。

「蘇った俺の左腕は殆ど動かない。蘇生の術が不完全だったせいで、左腕自体に神経とチャクラがまともに通ってねえんだ」
「嘘?!」

掲げられた左腕は傀儡の時とは違い、血が通った柔らかそうな腕をしている。しかしその手は驚くほど細く、爪も青白い。決して健康的といえる腕ではなかった。

「傀儡作る分にはギリで動くが…動きはのろいし感覚なんてちょっとしかねえ。それにチャクラが通ってねえ分右腕でしか傀儡を操れねえ。戦闘に出るなんざ向いてねえんだ。だから余計なことはしねえよ」

そう言って腕を下したサソリだが、その腕は終始動くことなくただぶらりと垂れ下がっている。
神経が通り、チャクラが通っていれば何かしらの反応が起きるはずだが、それもない。サソリの言っていることを信じてもいいかもしれない。サクラはようやく握っていたクナイを下した。

「でも、じゃあ何でこんな所に?それにどうして私を助けてくれたの?」
「ったく、質問の多い小娘だなぁ」

顔を顰めるサソリではあったが、いいから答えてよと促されれば諦めたように口を開く。

「丁度近くで作ったばかりの傀儡で演習してたんだ。そしたらあっちこっちでバカみてえにはしゃいでる奴等がいたもんでな。うるせえから黙らせただけだ。てめぇを助けようと思ったわけじゃねえよ」

言いつつ巻物をホルダーに収納する。本当に戦う気がないらしい。そんなサソリに毒気を抜かれながらもサクラもクナイを仕舞うと、じゃあなと踵を返したサソリに慌てて待って!と叫ぶ。
疑う気持ちも警戒心も解いたわけではないが、それでも今回ばかりは命の恩人だ。振り返ったサソリにサクラは頭を下げた。

「その…ありがとう。あんたに助けるつもりが無くても私は助かったわ。…言っておかないと気が済まないの」
「…そうかよ」

頭を上げたサクラの、まっすぐとした眼差しを見つめ返しながらサソリは頷く。
その表情には昔ほど尖ったものや歪んだものは感じられず、サクラは無意識に頬を緩めた。

「お礼に今度木の葉に来たら美味しいお店紹介するわ」
「そうかい。それじゃあ楽しみにしとくぜ」

そうして続けざまにじゃあなと零すと、サソリは再度踵を返しサクラが抜けてきたばかりの道を戻っていく。
片腕は動かないようだが足はちゃんと動くらしい。颯爽と歩んでいく男の背にサクラはじゃあねと声をかけ、己も男に背を向け仲間がいるはずであろう方向に向かって駆けだした。


その後任務は無事完了した。後に露わになったが、襲ってきた抜け忍たちは依頼人の命を狙って仕向けられた刺客だった。
ナルトは勿論、サイや依頼人にも怪我はなく、木の葉の名を汚すようなことにはならなかった。
初めサクラはサソリのことを報告するかどうか迷ったが、今回は命の恩人だ。大目に見てやろうとサソリのことは伏せて報告書を提出した。

そうして暫く平穏な日々を過ごしていたサクラではあったが、薬草を採りに裏山へ行ったある日のことだった。
己の頭上をハタハタと飛ぶ何かに気付き、顔を上げればぜんまい仕掛けの鳥が広げた掌の上へと落ちてくる。

(何かしら…コレ…)

昔チヨが砂隠に文を飛ばす際に使った鳥によく似ている。誰が飛ばしたのかと辺りを見回していれば、近くの茂みから黒髪の男がひょいと頭を出してきた。

「ああ、小娘じゃねえか。久しぶりだな」
「え…え?!サソリ?!」
「おう」

近付いてきたサソリは赤い髪ではなく、黒髪になっている。それに顔つきも変わっておりもはや別人のようだ。
一体どうしたのかと瞠目していれば、気づいたサソリがああ、と感嘆とも取れる声を零しながら前髪を一房掴む。

「変装してんだよ。元の顔だと何かとヤバいだろ」
「ああ…そういうこと…」

幾ら死んだ人間とはいえ、ビンゴブックに載っていたことは多くの忍が知っている。記憶力のいい人間ならもしやと疑う可能性は低くない。
それを考慮してのことだと言われればサクラは頷くしかなかった。

「つかそれ、お前の所に飛んで行ったんだな」
「あ、これアンタのだったのね」

サクラの掌に収まっていたぜんまい仕掛けの鳥をサソリに返せば、サソリは目立った外傷がないか見た後懐に仕舞った。

「文通用のを試しに作ってみたんだよ。暇だったんでな」
「へー。よく出来てるじゃない」
「まだ試作段階だけどな」

元敵とはいえ一度助けられた身である。当初は身構えていたサクラではあったが、悪事に手を染める気のないサソリは飄々としており悪意は感じない。
やはりこの男は変わったのかとその顔をまじまじと見つめた。

「つーか小娘。お前こんな所で何してんだ?散歩にしちゃ遠出だな」
「散歩じゃないわよ。薬草を採りに来たの」
「へぇ。そういや医療忍者だったか」

先の戦いを思い出したのだろう。己の毒を解毒したことを思い出したかのように続けるサソリにサクラはそうよと頷く。
その腰には摘んだ薬草を入れておく籠がぶら下がっており、サソリは成程なと小さく零した後口の端を上げた。

「俺も手伝ってやろうか?」
「はあ?」

サソリの突飛な提案にサクラは目を見開くが、当の本人は気にせず言葉を続ける。

「暇なんだよ。あと美味い店紹介してくれんだろ?」
「まぁ…約束したけどさ…」

その言葉からサソリが木の葉に行くつもりであったことが分かり、サクラはしょうがないかと肩を竦める。
敵意がないのなら一緒にいても特に問題はないだろう。何かあれば自分でどうにかすればいいし、もし最悪の事態が起きても里は近い。ある程度の解毒薬は常備しているし、毒を受けても里に戻るまではもつだろう。
戦闘に持ち込まれれば不利になる可能性はあるが、サクラとて何の装備もなしに外出することはない。いざとなれば一戦交える覚悟は出来ている。
判断の結果、サクラはサソリの不敵な笑みを見返し、いいわよと頷いた。

だがサクラの心配は余所に、サソリは存外真面目に薬草摘みを手伝った。むしろサクラの知らない薬草まで摘んできては知識を分け与えてくれる。
何故この男がここまでしてくれるのだろう。そんな当然と言えば当然の疑問が頭をよぎるが、サソリに尋ねたところでどうせ“暇だから”としか返って来ないだろう。
黙々と薬草を摘み、籠がいっぱいになる頃にはある程度打ち解け、二人は並びあって帰路を辿っていた。

「ふーん…じゃあ今はその一団と離れて行動してるんだ」
「ああ。材質探しもあるし、死んでた間のことも知りてえしな。何も知らねえまま国や里を渡り歩くにはリスクが多すぎる。ある程度の知識がねえと不審者扱いされちまうからな」
「成程ねぇ。案外真面目なのね」
「どういう意味だぁ、そりゃ」

身構えていたのが嘘のようだった。まるで付き合いの長い友人のように気負いなく話すことが出来る。
不思議な感覚を覚えつつもサクラは里に戻る手前、よく足を運ぶ団子屋にサソリを誘う。

「ちょっと休憩しましょうよ。手伝ってくれたお礼に驕るわ」
「安い驕りだな」
「文句言わないの」

言いつつも椅子に腰かけ、サクラに気付いた顔馴染みの店員が声をかけてくる。

「あらサクラさん、デート?」
「まさか!お手伝いさんよ、お手伝いさん」
「…お前な…」

カラカラと笑うサクラにサソリは渋面を作るが、店員は朗らかに笑ってから注文を受け取り奥へと消える。
二人の間に置かれた茶をそれぞれで啜りつつ、サクラはそう言えばと横目でサソリを窺う。

「あんた今傀儡じゃないのよね?」
「今更だな」
「しょうがないじゃない。いいから答えてよ」

揚げ足を取るサソリに唇を尖らせつつ横腹を突く。それに対しサソリは顔を顰めるが払い除けることはせず、ただそうだよと肯定する。

「左腕が使い物にならねぇ生身の人間だ。歳も食うし怪我すりゃ替えは利かねえ。傀儡の時に比べりゃ不便極まりねえ体だよ」
「何言ってんの、それが普通でしょ。贅沢言わないの」

サソリの皮肉とも文句とも取れる言葉を軽くいなせば、丁度団子が運ばれ二人は同時に手を伸ばす。
外では穏やかに晴れ渡った空が広がり、茂った緑が風に吹かれるまま身を揺らす。流れる雲はのびやかに、囀る鳥の声は歌声のように辺りを包む。
サクラはこの男とこんな穏やかな時間を過ごす時が来るとは思っていなかった。口に含んだ団子を咀嚼すれば、サソリも同様に外に視線を投げながら長閑だな、と呟く。

「昔は…暁にいた頃には団子なんて食ったこともねえし、こうしてのんびり景色を眺めることもしなかった」
「そうなの?」

少し前屈みになりながら、己の膝に腕を乗せつつ二番目の団子に噛みつくサソリが頷く。
その横顔は以前より穏やかで、サソリの落ち着いた風情を如実に表していた。サクラの記憶にいるサソリはこんな表情はしなかった。己が有利であることを疑わず、また窮地に陥っても次の手があると不敵に笑っていた。
そんな男が今ではこうして隣に座り、共に団子を食している。それが何だかとても不思議だった。

「こうして食ってみりゃあ、昔一緒に行動してたやつがしょっちゅう団子を食いたがってた気持ちも分かるってもんだぜ」
「ふふ、ここの団子は特に美味しいからね」
「そうかよ」

食べ終えた櫛を軽く振り、サクラの自里を自慢するかのような口振りにサソリも軽く笑う。伏せられた目元の穏やかな陰影に、いつしかサクラは見入っていた。

「何か…あんた変わったね」
「そうか?」
「うん。丸くなったっていうか…穏やかになったっていうか…」
「はっ、そうかよ」

軽く失礼かなとは思いはしたが、素直に気持ちを口にすればサソリは軽快にそれを笑い飛ばした。
そして空を仰ぐように背を逸らし、首元を露わにする。浮かぶ喉仏と、その横を流れる筋が男らしいと瞬間的に思った。

「まぁそうだな…なんつーか、昔に比べて物を見る目が随分変わったなとは自分でも思うぜ」
「ふぅん。例えば?」

サクラとサソリ以外客のいない茶屋に、鳥の囀る声が響き渡る。風が木の葉を揺らす音をBGMに、サソリは軽く頬を緩めた。

「なんつーか…おかしな話だがよ、傀儡の時の方が生き急いでた気がする」
「生き急ぐ?」
「ああ。食うのも寝るのも必要ねえ。時間なんて自分にとっちゃ半永久的な物であったはずなのに、何かしら時間に追われていたような気がする」
「…そう」

サクラからしてみれば当時のサソリは不敵に微笑み、サクラとチヨの心を折ろうとするような言葉ばかり口にしていた。
手数もそうだが、確かに斜に構えている部分もあった。年齢とは一致しないような子供っぽい口ぶりや悪態の数々からもそう思えたが、今は年相応に落ち着いた態度で世界を見ている。
文通用の鳥を作ったと聞いた時もそうだったが、サソリは人を殺す道具とは違うものを作ろうとしている。それが何よりサソリの変化を強く伝えてきた。

「それに比べて今は怪我すりゃ痛ぇし、病にかかれば苦しいし、飯が食えなきゃ苛立つし、雨が降るとめんどくせえと思う。日差しが強けりゃ暑いし、気付いたら汗は出てるし、喉が渇けば水が欲しいし、睡眠が取れないと倒れそうになる。全くもって不便なもんだぜ」

サソリの言葉はサクラからしてみれば至極当然のことだった。生きている限り必ず不便は付き纏うし、衣食住の問題も出てくる。
だが昔のサソリにそれらは一切必要なく、また困るものでもなかった。数十年傀儡として過ごしてきた男からしてみれば、生身の体というのはとことん不便が付き纏うものだと忘れていたらしい。
しかしそれが却って新鮮で、生命を感じるのだとサソリは笑う。

「昔は気にすることもなかった鳥の囀りも、小川のせせらぎも、雨や雪といった天候の変化も、気温や季節の移ろいも、こうして肌で感じることが出来る。そんでそういう時に限ってぼーっとして、時間を無駄に食ってる」
「でも嫌じゃないんでしょ?そういう時間」

サクラも普段は勤勉に働き、医学書を読み漁り努力を怠らないが、時には野に出て山に出て、草花を愛でたり空を眺めてぼんやりする時もある。
しかしそういう時間があるからこそ気持ちをリセットし、また歩き出せる。季節の移ろいを楽しむことも、雨の日にのんびりすることも、サクラにとっては楽しむべき時間の一つだ。
だからサソリもそんな時間は嫌いではないだろうと問えば、男はまぁなと頷いた。

「本当に今更だけどよ、生きるっつーのはこういうことなんだろうなって改めて思ったもんだぜ」
「そう」

自嘲というにはあまりにも穏やかな、どちらかというと照れ隠しにも似た体で笑うサソリにサクラも頬を緩める。
あの時戦った、己の敵であった男はもうどこにもいない。ここにいるのは再び生命を与えられた一人の人間だった。それがサクラには尊いことのように思え、二本目の団子に手を伸ばすサソリに向かって心からの笑みを浮かべた。

「私、今のあんたなら好きになれそう」
「そうかよ。そりゃどーも」

サソリの返事は気のないものではあったが、それでも悪いように捕えている感じはしない。
サクラはサソリにうんと頷きながら、己も食べかけの団子を口に含む。二人の間に流れる時間は終始穏やかに続き、他愛ない会話が尽きることはなかった。




prev / next


[ back to top ]