小説2
- ナノ -


裏腹な恋心



私の担任は意地悪だ。
教師という職業に就いているにも関わらず口は悪いし行儀も悪いし、朝会や終会も面倒くさそうな顔で行ったりする。
なのにムカつくことに顔はいいのだ。顔は。目なんて正直眠そうな半開き状態の時もあるけれど、それでもパーツの配置がいいせいで色っぽく見える。
卑怯だ。本当に卑怯だ。
けれどもっと卑怯なのは、やる気のない普段の態度と違い授業だけは真面目なのだ。口は悪いけど、要点を分かりやすく纏め、しっかり教えてくれる辺りが正直憎い。
そのおかげかうちのクラスの数学は赤点保持者が少なく、補習組も他クラスに比べ多くない。
それもこれもあの担任のせいかと思うと腹立たしいような誇らしいような、不思議な気持ちになるのだ。



【裏腹な恋心】



「おーし、そんじゃあ今日も始めるぞー。教科書開けー」

今日も今日とて始まった数学の授業。
今年受験を控えている私たちは皆それぞれ追い込みに入っているのだけれど、そんな緊張感を無視するかのような声が教室に響く。
サソリ先生の声は基本的に気だるげだ。やる気がないように聞こえるともいう。
でも実際は結構真面目で、そりゃあ時に雑談もするけれど、大概はためになるような話をする。

例えば大学での過ごし方とか、効率のいい勉強の仕方とか、ああ見えて結構いい所の大学に進んでいた先生の話を皆よく聞いている。
かくいう私も未知なる世界の話には興味をくすぐられるもので、先生の雑談は結構好きだったりする。
まぁ雑談自体はチャイムが鳴る前の余った時間でする位なんだけど。
そんなわけで今日も今日とて黒板上で展開されていく数式を解きつつ、先生の解釈や補足をノートや教科書に書きこんでいく。
元々勉強は得意な方だったけど、先生が担当になってから数学の成績が随分と伸びた。最近ではテストで八十点以下を取った記憶がない。
全国模試でも結構上位の成績を取れるようになってきたし、度重なる二者面談の時でも注意されるようなことはなかった。

とはいえ気が抜けないのが受験生というものである。
この先明るい未来を進むため、私は人一倍勉学に勤しまなくてはならなかった…んだけど…

「そういや今日二者面談ある奴は放課後ちゃんと残っとけよー。忘れて部活に顔出したら一週間トイレ掃除させるからな」
「え〜!」

三年になってから増えてきた二者面談。
テストや模試が終わると定期的にそれは開かれ、前回の点数や成績と比較し、志望大学に行けるかどうかを検討する。
勿論親を交えての三者面談も行われるけれど、先生は年頃の皆のことを考えてあまり三者面談は設けずにいた。

親や友人に言えないことを聞くためらしい。
例えば志望大学への本当の志望動機や、授業や勉強に対する不安や解決策、または親子関係の相談まで意外と手広く請け負っているのだ。
最初は皆やる気のない感じの先生にアレコレ胸の内を話すのを渋っていたが、意外と真面目な面を知ってからというもの二者面談を嫌がる人はいなくなっていた。

そして私は今日、その二者面談を受けることになっていた。

「……だからこの問Aの答えはコレになるわけだ」

カツカツと響くチョークの音。そして皆の手元から聞こえてくるペンの音。
外では体育の授業中なのか、ボールの跳ねる音や男女の騒がしい声が聞こえてくる。
それでもやけに先生の声が耳に残るのは、私と先生が単なる一生徒、一教師だからではないからだろう。

「さて、と。少し時間が余ったな。五分ぐらいか…」

教壇に片手を乗せ、時計を煽ぐ先生の横顔を見つめる女子の多いこと。
無駄に顔が整っているせいでそういう視線を多く受けるのだが、先生は特に気にした様子もなく顔を戻すと椅子に腰かけた。

「五分じゃ大した話も出来ねえしな。六限のために少し寝とけ」
「やったー!先生大好きー!」
「愛してるー!」
「男に言われても嬉しくねえ!」

正直既に睡魔に絆されている人もいたけれど、多くの人は頑張っていた。
五分と言えど気を抜けるのは有難い。
特に部活引退間近の生徒たちは部活に勉強にと忙しいので、早速机に伏せている。
正直私も特にやることがなかったので机に上体を預けてみたけど、すぐに瞼を押し上げ先生を見つめた。

(…相変わらず足長いなチクショー…)

スラックスに包まれた細長い足から見える靴下に胸をくすぐられつつ、組んだ足先でスリッパを遊ばせている姿にだらしなさを感じる。
けれど正された姿勢と教科書を眺める真剣な眼差しは格好良く、大人の“色気”に当てられそうになった私は慌てて俯いた。

(…別に、見惚れてないし)

自分で自分に言い訳しつつ、けれど五分間じっと先生を観察していた私はどうしようもできない熱を感じていた。
体の奥底、深い所。グラマラスとは言えない私の体の奥底で燻る熱はぐずぐずと、私の中のナニかを溶かしてしまいそうだった。




「失礼します」

放課後、自分の番になった二者面談を行うため資料室へと向かう。
そこには大量の受験対策の資料や各校の過去問題や模試の事例、赤本や参考書が仕舞われている。
その資料室の奥の方に簡易的な机と椅子が用意されており、いつもここで二者面談が行われていた。
因みにその際は他の生徒が入って来られないよう看板が掲げられ、更に鍵がかけられる。プライバシーの保護らしい。
やはり他人に聞かれたくない悩みも聞くからだろう。
それに放課後、一番最後の面談時間は随分と遅い。殆どの生徒は帰るか部活に行っている。
だからこの資料室に訪れる人物はいないというわけだ。

「遅ェーぞ、春野。待ちくたびれた」
「…どーもすいませんでした」

向けられた視線は相変わらず気だるげだし、態度も声もやる気なさ百点満点だ。
けれど机上に並べられた資料や、私の模試の結果用紙のコピーや志望校を書いた書類などを用意しているあたり仕事はちゃんとする気らしい。
私は失礼します。と一声かけてから先生の対面に座り、鞄を足元に置いた。

「んじゃまあとりあえず、世間話からするか?」
「先生、面倒くさがらずちゃんと仕事してください」

ピシャリと突っ込めば先生はおもしろくねえ。と呟きつつも資料をぺらぺらと捲る。
そうして私に現状の志望校への変更がないか、成績は問題ないかを話しだし、私は素直に頷きながら聞き入った。

だって実際先生の声は中々にイイ。イイっていうか、色っぽいっていうかセクシーっていうか、何かこう、耳元で囁かれたら絶対赤面するような声をしている。
半開きの死んだ魚のような目をしているくせに、欠点よりも魅力的な面の方が多いとか卑怯だと思う。うん。本当に。
そんな卑怯な先生に自身のやましい気持ちを悟られないよう気をつけながら話を進め、最近の勉強に対する不安とか友人関係の拗れを少しばかり口にし、時間を共にした。

「…成程な。まぁそれは俺から言ってもしょうがねえことだし、そういうことに俺が首突っ込めば余計ややこしくなるだろ?話してスッキリしたなら後は謝るだけだ。勇気出せよ」
「まぁ…分かってるんですけどなかなかタイミングが掴めなくて…」

傾きだした太陽の色が徐々に赤みを増して資料室に差し込んでくる。
私は西日の眩しさに目を焼きながらも先生へと視線を送り、それから俯いた。

「…先生なら、こういう時どうしますか?友達の恋人と自分がデキてるんじゃないか、って噂されたら…やっぱり怒りますよね?」

そう。私は今友達から盛大に疑われていた。
彼氏を横取りしたんじゃないかと、そう言われたのだ。
実際の所、友人の彼氏と私はそんな関係じゃない。ただ単にお喋り仲間なだけだ。好きな作家が一緒だから作品について話しているだけなのに、そこを疑われたのだ。
それに私は誰にも言っていないけれどもう既にお付き合いしている人がいる。
だから他の誰かに現を抜かすなんてこと、ありえないのだ。

「…それはよ、教師としての俺じゃなくて“彼氏”としての俺に聞けよ、アホ」
「アホってなによ、バーカ」
「生意気な小娘め」

対面に座る先生の顔は、教師からただの男…私の恋人としての顔になっていた。
皆には秘密だけど、私はずっと前から先生と“お付き合い”をしている。告白をしたのは私からだったけど、彼も結構私のことを好いてくれているようだった。

「普通に言ってやればいいだろ。おめーのブサ彼氏より自分の彼氏の方が格好いい、ってな」
「わーすごいナルシスト」
「いいじゃねえか。相手に顔バレてねぇんだから。そういうことは誇張しておいた方が楽なんだよ」

この人は若干ナルシズムが入ってはいるが、それに見合った容姿をしているのであまり文句は言えない。
それでも素直に認めたくない反抗心と言うか、羞恥心と言うか、そういうのが綯交ぜになって唇を尖らせれば、彼は少しばかり意地悪そうに唇の端を上げた。

「それともアレか?俺のもんだって証、つけてやろうか?」

そう言って寄せられた顔は卑しく歪められ、瞳の奥には薄暗い炎が見て取れる。
普段ならフザケタこと言ってんじゃないわよ!って一喝するけれど、午後からずっと燻っていた体は思わず反応してしまった。

「ば、バッカじゃないの?!」

でも何とか顔を逸らしてみるけれど、やっぱり見抜かれていたらしく、彼は私の制服の襟首を大きく開くと突然噛みついてきた。

「あ、ちょっと!やだっ…」

キツく吸い付かれたのは首の付け根付近だ。
頑張れば隠せるかもしれないけれど、これじゃあシャツの第一ボタンを開けたままにすることは出来ない。
何てことをするのだと睨めば、彼は楽しげに唇を歪めて更に顔を近づけてきた。

「んな顔してこっち見んなよ…そそるだろ?」

口元に掛かる吐息と、囁かれる甘い声が全身をくすぐる。
思わず肩を震わせ目を閉じれば、少し笑われ、口付けられた。

「…ほら、もっと顔あげろ…」
「んっ…」

襟首を掴んでいた手が、言動とは裏腹に優しく後頭部に当てられ上を向かされる。
その力に従いつつ顔を上げれば、先程より深く唇が重ねられ、優しく吸い上げられた。

「ん…ふっ…ぅ、ん…」

舌は入れないけれど、何度も何度も啄まれ、優しく吸い上げられ、途中後頭部に回された手で髪や頭を撫でられれば徐々に力が抜けていく。
というか、ゾクゾクとした震えが尾てい骨辺りから這い上がってきて、全身が刺激的な熱に侵されていく。

気持ちいい。

そう思った時には私の口は自然と開いていて、その隙間から舌を覗かせ彼の唇を舐めていた。

「フッ、随分やらしーじゃねえか。学級委員長?」

意地悪な声に思わず睨みそうになったけど、伸ばした舌を強めに吸われて腰が砕けそうになった。
互いの舌を絡めるのがこんなに気持ちいいなんて、教えられるまで知らなかった。
ドラマだって漫画だって、いつもキスシーンは唇を重ねるだけ。だけどそんな無知な私に“厭らしいキス”を教えたのは彼だ。
こんなにも体が震えて、どうにもならない熱を感じるのも彼のせいだ。彼が私に教え込み、私の体を作り変えてしまったんだ。だからこんなに、ドキドキするんだ。




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