小説
- ナノ -


11





それから数日後、ずっと黙秘していた男が口を開いたと報告書を手にした我愛羅が説明を始めた。

男は初め、大名崩れの男の下で違法薬物を作っては売り捌いていたらしい。
だがその男が木の葉の忍の罠に嵌り捕まったせいで、有能な薬師を仲間にすることが出来ず計画がダメになったということで一度木の葉に潜入したらしい。
そこで当時その任務に就いていた忍が誰かと突き止めた結果、サクラに辿り着いたとのことだった。

そう言えば我愛羅が激怒した色の任務の最中に、ターゲットの男が砂隠の男がどうのとか言っていたかと思い出していれば、その男と言うのが研究チームにいる一人だと分かった。

木の葉で潜入し情報を集めた結果、サクラの医忍としての数々の功績に興味を示し、その腕が本物かどうかを探るためにわざと己の体に毒を打ち一般人と偽り診察を受けたのだと言う。
そして一瞬の躊躇もなく正確な解毒薬を弾きだしたサクラの腕を認め計画を変えた。

サクラを仲間にし、より強い毒薬を作り砂隠を潰そうとしたらしい。
だが近付こうにもサクラの周りにはいつも誰かがおり、疑われることなく近づくにはどうすればいいかと悩んだ末、身分を詐称し見合いの話をサクラの両親に持ちかけたのだ。
そこでああ!とサクラは手を打つ。

だからあの男があれほどまでに女慣れしてない態度だったのかと。

考えてみれば復讐に生きる十八の男が女に現を抜かす暇などあるわけがない。
通りで三十だと言っていたが若く、女の対応に慣れていなかったわけだと頷けば、報告書を眺めていた我愛羅の目が細くなる。
何かと思えば、見合いとは初耳だな、と呟かれ背が凍る。

そう言えばずっと言えず仕舞いのままだった。
青くなるサクラの前で徐々に空気が冷たくなり、翡翠の瞳が昏く染まる。

その話は後でゆっくりと聞こう。
怒れる獅子の如く剣呑な眼差しに射抜かれ、音速で首を縦に振る。
そんなサクラに我愛羅は一度ふうと吐息を零し、冷静になるとすぐさま話を続けた。

見合いは蹴られたが、一度顔を合わせれば近づいても不振には思われない。
男はそう考え度々サクラに声をかけ、映画やら遊びやらに誘い、時には文を出した。
友人に会わせたいと言うのは口実で、強硬手段で一緒に捕まったもう一人の仲間と共にサクラを拉致しようとしたらしい。
だが結局誘いはすべて断られた挙句、手紙も断りの文しかこなかったので無駄に終わったと零した。

それはそうだ。
あんな強引な手口に着いて行くほど己は愚かではない。
それにその時は既に我愛羅に想いを寄せていたのだ。
他の男に現など抜かすものかと言えば、誤魔化されんぞとぴしゃりと跳ね除けられ心の底で舌を出す。

ダメだったかと。
出来れば少しでもこの後の仕置きが軽くなればいいのだがと思ったが、その作戦は見抜かれていた。
伊達に何年も付き合っていないだけはある。
結局男はサクラを諦め砂隠を目指したらしい。

そう言えばぱったり姿が見えなくなっていたなと思い出し、すぐさまあ。と声を上げる。
だから捕まった時“相変わらず生意気な顔だ”と零したのかと。
合点がいき晴れやかな顔をしたサクラだったが、目の前の男の表情は常より三割増しで仏頂面になっており、最高潮に機嫌が悪いことが分かる。

これも後で問いただされるな。
時折心が狭くなる男に両手を上げれば、覚悟しておけよと一言告げられかくりと首が落ちる。

これは泣かされる。確実に泣かされる。
というか既に泣きそうだと思う中、我愛羅は報告書に目を落とす。

今回サクラが単身赴任することになったあの毒草たちは、元々男にとっては昔から見慣れた物であり生態研究もある程度進んでいた。
そもそも男の親があの毒草を使い麻薬を作っていたのだから、効能はほぼ知っていたと言っても過言ではない。
だからこそ通常よりも強い毒や麻薬ができ、高く売れるのだ。

準備が整い我愛羅に復讐しようと、まず手始めに暗部の忍を殺害し成り代わり、スリーマンセルを組んでいた一人に毒薬を試した。
だがちょうど単身赴任していたサクラに解毒薬を作られた挙句、自分の体に対抗薬を打たれプライドが傷つけられたらしい。

苦労して作った毒ガスをいともたやすく解毒してくれやがって。
男の言葉は捕まった際に聞いた。
相当悔しかったのだと思うが、サクラにも医忍としてのプライドがある。
こんなところで負けてなどいられないのだ。

そこでサクラが改良した麻酔薬をくすね、更に改良したものを帰宅したサクラの元に投げ入れ拉致することに成功した。
だがここでサクラを担ぐ男にキーコが飛びかかり、小さな爪に残った血液が元で素性がバレたのだから人生経験の浅さが目に付く。

その後はサクラをアジトに連れ帰り、毒薬を改良し仲間と共に砂嵐の風を利用し毒をばらまこうとしたが、回復したサクラにより伸され叶わぬ計画になったということだ。

成程ねぇ、と呟くサクラにお前には聞きたいことが山ほどあるな、と言って目を細めた我愛羅の背に見えた般若の姿を一生忘れはしない。
事実その夜がっつりとお叱りを受けたサクラは、反省会と言う名のお仕置きにあい死ぬほど泣かされた。

もう二度と怒らせないと硬く誓ったはずであったが、反論しようにも怒りに荒れ狂う波に逆らえる人間などいない。
結局その荒れ狂う波に嬲られ身を揉まれ、翌日まともに動けず仕事に遅刻した。
その上一晩中泣かされ続けたのだからまともに頭が働くはずもなく、結果研究員たちから心配だから帰れと暗に足手纏い扱いされ、渋々帰宅した。

それ以来大きな事件もなく、我愛羅の女とバレたことで陰口を囁かれることはあったが些細なことだ。
心身ともに自信がついたサクラにとっては取るに足らない。
目立った嫌がらせも受けることも無いので特に気には留めず研究に勤しむ日々であった。


我愛羅との関係も良好そのもので、時に文化の違いで喧嘩をすることはあったが、解決すれば互いに頭を下げれる仲なので喧嘩が長続きすることもない。
ただ問題が一つあったとすれば、綱手に送る定期報告とは別に我愛羅が文を出しており、誘拐された件について相当なお叱りを受けたことぐらいだろうか。
おかげでこの話は取りやめにして帰ってこいとまで言われ、説得するのに苦労した。
最終的には我愛羅が単身で木の葉に赴き、綱手にこっぴどく叱られ戻ってきた。

だが長いこと風影を勤めているせいか口だけは達者な我愛羅に綱手も丸め込まれ、単身赴任はそのままだということだった。
因みに自分たちの仲は公言したのかと聞けば、話していれば今頃お前は木の葉だと返されそれもそうかと頷いた。
まだ暫くは内密な関係を続けなければいけない。
だがそれは木の葉にいる時だけの話で、砂隠にいる時は隣に並んでいても穏やかな眼差しで受け入れてもらえる。

それが酷く嬉しく誇らしい。

そんな忙しくも穏やかな日々を過ごし、単身赴任が始まってから三か月。
夏も終わり秋も半ばに差しかかった休日に、宿屋の先代がひょっこりと何の前触れもなく訪ねてきた。

「今年は夏に来なかったからね。どうしたのかと文を送ればサクラが砂隠にいるって言うじゃないか」

だから顔を見に来たのさ、と笑う先代にそうでしたかと頷き返し、知らぬところで文のやり取りをしていたであろう我愛羅を見ればソファーの上で昼寝に勤しんでいる。
そして怪我が完治したキーコも、飼い主の腹に乗り四肢を投げ出し寝こけている。
まったく似た者同士だわ。
先代と二人して忍び笑いを零し、寝こける一人と一匹を尻目に話し出す。

「それにしてもサクラ、お前顔つきが変わったね」
「え?そう、ですか?」

のんびりと茶を啜りつつ紡がれた言葉に目を開けば、いい顔になったと笑顔を向けられ頬を緩める。

「色々ありましたから」

ここ最近砂隠であった事を素直に話せば、先代はそうかそうかと頷く。
大変だったねぇ、と零された言葉に、確かに大変ではあったがそれ以上に受け取った報酬が多かったと笑えば、そいつはよかったと返される。

「ところでね、そろそろお前に話しておきたいことがあってね」
「私に、ですか?」

何でしょう。
問えば、先代に神社に参拝したことを覚えているかと問われ勿論だと頷く。
あの日から自分は生まれ変わったのだから、忘れるはずがない。
そう言えば先代はそうかと頷き、ではと話し始める。

「あそこに祀られている、神様になった人の話をしよう」

あの神社が縁結びの神社だと言うことは知っているね?と問われ頷く。
茶屋の女将さんに聞きましたと言えば、そうかと頷き続きを話し出す。

「あそこはね、人神様が祀られてるんだ」
「ひと…神様?」

人神信仰。
元来の神族ではなく、功績や怒りを鎮めるために祀られ神様になった人のことだ。
説明され以前文献で読んだことを思い出す。
あまり忍の世界に関係のないことだから流し読みしかしなかったが、まさかあの神社がそうであったとは思いもよらなかった。

「あそこに祀られているのはね、通称縁結姫と呼ばれる神様だ」
「くくりひめ?」
「そう。縁を結ぶ姫と書いて縁結姫と言う。生前は静御前と呼ばれた文武に長けた才女であり、優れた女傑であった」

その昔、忍の隠れ里が各国に出来る前の戦乱の世、静御前はあの土地に住まい、そこを守る有能な城主であった。

「文武に優れ、尚且つ器量良しで民に慕われた城主であったと記されておる」

その時代には珍しく、側室を設けなかった主の子供が静御前だけであり、戦国には珍しい女領主であった。

「だが薙刀だけでなく、弓や槍の才にも長けており、戦場では負け知らずの女傑でもあった」

愛馬の手綱を巧みに操り刀を振い、幾多の敵からあの地を守り続けた立派な領主だ。
だがそんな御前にも、愛する男がいた。

「男の名は朝霧。二人は主従という身分違いの恋をしておった」

幼い頃から己の傍にいた最も信頼できる男を、静御前は愛した。
だが身分の差と言うものは認められない。
しかし他の男を受け付けることもできない。
御前は一生独り身でいることを決意し、土地を守ることに専念したと言う。

「しかし戦国と言うのは無慈悲なもの。朝霧様はとある戦で静御前様を庇い命を落としてしまってな」

愛する男の死に苦しみ、しかし領主として泣き寝入ることも出来ない御前は人知れず山の奥地にその亡骸を埋め、被せた土の上に木を植えた。

「それがあの神社の御神木となっておる、ヤマザクラの木じゃ。朝霧様の名からとり、朝霧桜とも呼ばれておる」

サクラが参拝した時にそんな木があっただろうかと思い返していれば、御神木は拝殿の裏手に立っておると言われ納得する。
流石に拝殿の裏まで回っていなかったのだから知らないのも無理はない。
頷くサクラに、今度見てみるといいよと先代は告げ話を続けていく。

「長く生きた御前様であったが、ついに同盟を組んだ各国の軍勢に命を落とすことになる。それでも己の首が刎ねられるまで、民を守った立派なお人だ」

そんな静御前に感謝し、そしてその誇り高い魂を祀ろうと、偶然にも朝霧の亡骸が埋められている場所に祠を立てたという。

「偶然というよりも二人が互いを引き寄せたに違いないさね。二人の絆は相当強かったと残されている文献にも綴られているからね」

穏やかに目を細める先代に、私もそう思いますと頷く。
己がきっと御前であったならば、やはり愛する男の傍にいたいと思う。
死が二人を別ったのならば、死後は共に在りたい。
折角世のしがらみから解き放たれたのだから、それぐらい望んでも罰は当たらないだろう。

「静御前様を祀り、朝霧様の弟が神主を務めた。だがある日拝殿を建てている時に背を伸ばすヤマザクラに気付いた」

若い木にしては伸びが早く、その癖立派な花を咲かせる。
不思議と己の兄を連想させる木に弟である神主が、拝殿を建てる際に倒されぬよう場所を移そうと根を掘った時、その下に眠る兄の亡骸に気づいた。
二人が互いを想いあっていたことを知っていた弟はその亡骸を密かに供養し、誰にもばれぬよう御前の墓の傍に埋めなおしてやった。

「そして拝殿が完成した際、神主は己の持っていた鈴を取り出しそれをつけた。それは朝霧様の形見であり、御前様の持つ鈴の片割れであった」
「どういう意味です?」
「静御前様にはね、一匹の愛猫がいた。新緑の目を持ったキビと言う名の黒猫でな。首輪の代わりに二つの鈴に紐を通し、それをかけておった」

キビは聡明な猫であった。
主である御前が朝霧を想っていることを知っており、朝霧が来ればわざとその鈴を派手に鳴らし御前に場所を知らせた。
その鈴の音が聞こえれば御前が窓を開け、見つけた朝霧に笑みを向けたという。

「朝霧様が亡くなった時、御前様は二つの鈴のうち一つを朝霧様の弟君に彼の形見だと言って渡し、一つは己のためにとキビの首から取り去った」

御前の鈴は部屋の引き出しから見つかり、遺骨と共に供養された。
そして朝霧の鈴は弟が持ち、それを鈴緒に取り付けた。

「今は大きな鈴に取り換えられちゃいるがね」

先代は軽く笑った後、けれど朝霧の鈴は生きていると言う。

「どういう意味です?生きてる、って…」

鈴に生きるも何もないだろうと思っていると、万物には魂が宿ると先代が口を開く。

「長いこと生きた物にはね、魂が宿る。特に深い想いを抱いた二人を知る鈴だ。そりゃあ強い想いに比例した生き物になる」

だからこそ力があるんだ。
先代の言葉に数度瞬き、寝こける我愛羅に視線を移す。
ソファーの肘おきに頭を乗せ、読みかけの本を胸の上に置き、伸ばした足は片方が落ち非常にだらしない格好である。
その上腹の上には同じように身を投げ出した愛猫が乗っており、時折狩りをする夢でも見ているのか手足を走らせている。

鈴の音。
そこでそういえば、と口を開く。

「私、鈴の音が聞こえたんです」
「へえ、どこでだい?」
「敵に捕まった時、耳の奥から風鈴みたいな凛とした澄んだ音でした」

チリン、と奏でる音は高く、風鈴のようではあったが鈴の音にも聞こえた。
そうしてすぐさま誰かの声がし、己は目が覚めたのだ。

それを説明すれば、先代はにんまりと目を細めそうかそうかと嬉しそうに頷く。

「よかったね、サクラ。あんたのところにも御前様がおこしになったんだよ」
「え?」

瞬きを繰り返すサクラに、先代は笑う。

「言っただろう?拝殿の鈴は朝霧様の鈴だって」
「え、ええ…」
「あの鈴はね、一度鳴らせば鈴の魂を分かち、参拝した者につく」
「鈴が?」

あまりピンとこない。
首を傾けるサクラに先代は続ける。

「女が参拝した時には朝霧様が、男が参拝した時には御前様の鈴がそれぞれつく」
「じゃあ私は女だから朝霧様の鈴がついたということですか?」

そうだね。
頷く先代はゆっくりと茶を飲み下し、我愛羅へと視線を向ける。

「あの子もね、一度あの神社に参拝してるんだ」
「え?我愛羅くんが?」

初めて聞く話しに我愛羅へと視線を向ければ、キーコがわたわたと足を走らせる。
だが慣れているのか我愛羅が起きる気配はなく、穏やかに腹が上下している。

「あれは何年前だったかね…十年とまではいかないが、まぁそのぐらいか」

あの子が二十歳になったか、その位だったかな、と言われふと八年前のことが思い出される。
あの年は確か我愛羅もサクラも二十を超えたばかりであった。
その年に我愛羅が参拝をしていたのだとすると、我愛羅には既に御前様の鈴の音がついていたということになる。

「鈴の音はね、参拝した者に見合った相手を呼び寄せると言われてる」
「呼び寄せる…鈴の音が?」
「そう。古来より鈴は厄除けとしても、福を呼び込む神聖なお守りとしても重宝されてきた」

あそこにある鈴は後者だね、と続け、だからサクラを引き寄せたんだよと笑う。

「あの子にとってあんたが相応しいと、鈴があんたに呼びかけたのさ」

早くあの子に気づいてごらん、ってね。

からかわれるような声音ではあったが、確かにサクラはあの夜、たまたま見つけた我愛羅を何故か呼び止めていた。
普段なら気にも留めなかったであろう、散歩と形容した里内をパトロールする彼を黙って見過ごしていたはずだ。
なのにあの夜だけは、何故か妙に気になって彼の名を呼んでいた。
それがもし鈴の音のせいだとするならば、とんでもない力を持った鈴である。

心当たりがあるサクラに気づいたのか、先代は緩めた頬をそのままに続きを紡いでいく。

「けどあの子は奥手だったから、折角鈴が呼び寄せてくれたあんたを上手くものにできないでいた。だから御前様が引き寄せたのさ。私らの宿で、あんたたちを」

三年前の夏の終わり、偶然出会った我愛羅と共に過ごした数日間。
そして深く互いを知り、恋に落ちたあの日は決して偶然ではなかった。

天啓。

我愛羅の言っていた言葉が蘇り、目を開く。
あの時は何を意味しているのかと分からず悩んだものだが、今こうして見ると成程と言わずにはいられない。

あの逢瀬は決して偶然ではない。
我愛羅が言っていた通り、まさに天啓であったのだ。

不思議な巡り合わせだと思う。
昔から知っていたはずなのに、鈴に引き寄せられなければ意識することも無かったかもしれないのだ。
別に神様とやらを全面的に信じているわけでもないが、あの神社に祀られている神様は信じたいと思う。
例え自分に都合がいいと言われようとも、参拝した日に願い通り我愛羅を連れてきてくれたのだから信じる価値はある。

「だから今度はあんたをあの神社に参拝させた。朝霧様の鈴をつけるためにね」
「成程…」
「朝霧様の鈴の音を頼りに御前様は来る。鈴の音が導いた女が本当に己が見守る男に相応しいか、じっくり見極めるためにね」

だからすぐには結ばれない。
現に鈴の音が聞こえるまでに三年の月日がかかっただろう?と問われ頷く。

砂隠と木の葉のためにと尽力した三年間は、こんなところでも無駄ではなかったのかと思えば不思議な気持ちになる。

「私らん時もそうさ。主人と結ばれるのにそれぐらいかかったから、あんたたちもそろそろかと思ってね」

先代の言葉にその話も聞きたくなったが、また今度ねと言われ口を噤む。

「あんたの中で聞こえたのは朝霧様の鈴じゃなく、あんたを認めた御前様の鈴の音だ。御前様が愛馬に乗りあんたに近づき、声をおかけになったのさ」

起きて起きてと揺さぶられ、早くしないとと急かされた。
あの優しい声音は御前様だったのかと、不思議な声音を思い出しながら頷く。

「だからだろうね」

呟く先代に視線をやれば、穏やかな瞳が我愛羅を見つめている。
それにならいサクラも視線を移せば、あの砂漠猫があの子に懐いたのは、と零す。

「あの子はキビの意志を継いでいるのかもしれないねぇ」

人に懐かないはずの砂漠猫が、我愛羅にだけ懐いたのは御前様の鈴の音を聞き取ったからじゃないかと先代は言う。

「キビは御前様が亡くなる前に老衰で亡くなった。裏庭の祠はね、そのキビの末裔の魂が眠っているんだよ」
「そうだったんですか…」

雌猫であったキビは仔を生し、立派に育て上げ命を繋げた。
己の主人が出来なかったことを、代わりに成し遂げたのだ。

「サクラに懐いたのは朝霧様の鈴がついていたからさ。二つの鈴はキビの首に掛けられていたものだからね。元々は御前様の物であるし、二人を結ぶ物でもあった」

鈴の音だけが二人の頼りだった。
キビの鳴らす鈴の音が互いの場所を教え、僅かな時間視線を交わすことが出来たのだと思うと、御前様とキビは本当に良い関係だったのだと思う。

「あの子も可愛がってあげな。あんたたちを繋いだ子だ」
「はい…あの子には、もう助けられていますから」

拉致される時、キーコが飛びかからなければ手がかりが何もないままに捜索しなければならなかったと、小さな体を労わりながら撫でる彼から説明された。
小さな手足に薄い腹。そこに巻かれた包帯が痛々しく、けれど果敢にも自分を助けようとしてくれた小さな命が心底愛おしく、頼もしかった。
ありがとう、キーコ。
穏やかに上下する体を撫でながら呟けば、ぴくりと耳が動き尻尾がぱたりとサクラの手を叩いた。
答えてくれたキーコにただ感謝した。

「あの子とも一緒に生きたいと思います。私の命の恩人だから」
「そう。しかしあんたたちを見てると、まるで御前様の物語を読んでいる気になるよ」

本当にそっくりなんだからと笑う先代にサクラも笑い返す。
身分違いの恋に二人を繋ぐ猫、違うとすればその結末だろうと先代は続ける。

「結末も何も、私たちはまだ途中ですし…」

砂隠の人たちには認められたが、まだ砂隠の上役や木の葉の皆には黙っている。
先はまだ遠いと思っていると、大丈夫さと背を叩かれる。

「言っただろう?神様がついてるって。神様に勝てる人間なんていやしない」

どっかり構えてりゃいいのさと満面の笑みを向けられ苦笑いする。
けれど不思議と、不安はなかった。

「そうですね。彼とならどんなことでも乗り越えていけるって、そう思えるんです」

この先何があっても、二人で乗り越えよう。
互いに取り合ったあの掌を、一生忘れることはないだろう。

穏やかな表情のサクラを横目に見やり、先代はうっすらと頬を緩めるとそれじゃあそろそろ行くかね、と立ち上がる。

「え?もう行くんですか?今来たばかりなのに…」

引き止めるサクラに、顔を出さなきゃいけないところがまだいっぱいあってね、と返され口を噤む。
ならば我愛羅を起こそうかと手を伸ばせば、先代に取られ叶わない。

「サクラ、よくあの子を信じ、自分を信じたね。これからも慢心せずに頑張りなさい」
「はい」

強く握りしめられた掌を握り返し、強く頷き返せばにっこりと微笑まれる。
その優しい笑みの奥に見える強い心に、サクラは何度も助けられてきた。
気付けばサクラは先代の背に手を回し、ぎゅうと抱き着いていた。

「私、先代にお会いできて本当によかった…」

いつだって迷える自分の背を叩き、奮い立たせてくれた体を抱きしめれば、ぽんぽんと背を叩かれ体を離す。

「バカだねぇ、前に言ったでしょうが。私はあんたの味方だよ、って」

これからも私がついてるからね、と言われ、その心強さに安心して頷く。
そしてお元気で、と別れを告げ、その背を見送り部屋へと戻れば、一足遅かった我愛羅がむくりと起き上がりぼんやりと目を瞬かせる。

「もう、お寝坊さん。先代帰っちゃったわよ?」
「…そうか…」

腹の上で寝ていたキーコも欠伸を零した後顔を洗い始め、我愛羅は未だぼんやりと目を開けたり閉じたりを繰り返す。
相変わらずエンジンのかかりが遅い男である。
しょうがなしに眺めていると、顔を洗い終わったキーコが我愛羅の足の間に座り主の顔を見上げる。
それに気づいた我愛羅もキーコを見下ろし、じっと見つめ合いながら緩く瞬きを繰り返す。

そう言えば猫と信頼関係を気づくには瞬きが大事だったか、と思い出していれば、無意識にそれを実行する我愛羅に苦笑いしてしまう。
そしてようやくエンジンがかかったらしい我愛羅は、ううん、と唸りながら伸びをし、バキバキと体を慣らしながら立ち上がる。

「よく寝た」
「まったくよ。何時間寝てたと思ってるの?」

とにかく顔洗ってきなさい、と背を叩けば、我愛羅はタオルを手に取り洗面所へと消える。
ソファーから降りたキーコもその後に続くが、水の音が聞こえるとすぐさま逃げてくる。
キィ、と泣くように叫びながらサクラの膝の上に乗り上げた小さな体を撫でてやれば、ぷるぷると首を振る。

そしてすぐさま洗面所から出てきた我愛羅を軽く見やると、キーコは膝の上から飛び降り窓の外へと出ていく。

「散歩かな」
「かもな」

半分野良で半分飼い猫のキーコを縛り付けることのない我愛羅は、特に気にせずサクラの隣に腰かける。

「話はできたのか?」
「勿論よ。誰かさんと違って起きてたんだから」

からかうサクラに我愛羅はバツが悪そうに首の裏を掻く。

「仕方ないだろう。先代がお前に話があると言っていたんだから」
「え?そうなの?」

その言葉に目を開けば、我愛羅は頷く。

「俺はいない方がいいのかと思ったが、居ても居なくても変わらんと言われてな。だったら寝ておこうと思った」
「…どうしてそんな結論になったのかは分からないけど、まぁ…とてもためになるお話を聞けたわ」

我愛羅はそうかと頷くと、手を伸ばしサクラの頬を撫でる。

「んふふ、なあに?」

くすぐったさに笑えば、少し表情が違ったからなと答えられ数度瞬く。
どういう意味かと視線で問えば、言葉にするのは難しいと言われ首を捻る。

「だがいい意味で変わったと思った。お前は心に思っていることがすぐ顔に出るからな」
「そういうあなたは目で表れるけどね。目は口ほどに物を言うのよ?気をつけなさい」

むに、と頬を突けば、面白くなさそうな顔で見返される。
何かと思えば、昔同じことを言われたと返され思わず笑う。
この顔をしている時は先代のことを思い出している時だ。

くすくすと笑っていると、まぁ話が出来て納得できたならそれでいいと返される。
あの話を我愛羅にするべきかどうか迷ったが、何となく秘密にしておこうと思った。
この話をするのはまだ先でいい。
思いながらぽすりと我愛羅の肩に頭を乗せ、うりうりとすり寄ればお前な、と呟かれる。

「人のことを猫だのなんだの言うが、俺からしてみればお前の方が猫だぞ」

気まぐれにすり寄ってきては存分に甘え、満足したら離れていく。
猫と言わずに何と言うのかと言われサクラは目を瞬かせる。

サクラからしてみれば全くの逆意見であった。
好き放題する愛猫がようやく己に目を向け近づいてきたのだから、構ってやろうと思うのが主人の心だ。
まさか互いが互いを猫と称するとは、と笑っていれば、俺は飼い猫じゃないと不満げな言葉が返ってくる。

「そうね。でもあなたって本当に猫そっくりなんだもの」

甘やかしたくなるわ、と茜の髪ごと頭を撫でてやれば、シャーっと威嚇され手を離す。
こうして妙にノリがいいのも、隠された我愛羅の愛らしいところであった。

「ご機嫌斜め?」
「うん」

言いつつもサクラをじっと見つめてくるので、両手を広げおいで我愛羅!と叫べばむっと唇を尖らせる。

「だから俺は猫じゃない」

反論しつつも結局抱き着いてきた我愛羅に喉の奥で笑う。
いいこいいこと頭を撫でてやれば、ぐりぐりと顔を摺り寄せられくすぐったさに笑みが漏れる。
これで猫と言わずに何と言おう。
柔らかな髪を撫でながら、抱きしめあっていると頭を起こした我愛羅に口付られる。

軽く触れ合わせた後に距離を置き見つめ合い、首の裏に手を回し引き寄せ再び重ねる。
幸せだ。
閉じた瞼の裏にあたたかな光を感じつつ、聴こえる潮風の音に乗り、チリン、と揺れる鈴の音がする。

抱き合う体の奥から聞こえてくる血潮の音に乗ったそれは心地好く、ただ穏やかな気持ちになる。

自分たちなら大丈夫。
これから先何があっても。

腕の中、穏やかに目を閉じてそう思う。
不安もなく、恐ろしさもない。
あるのは幸福と確固たる思いだけ。

何があってもこの人の隣に立つ。
決めたサクラの心は凛と立ち、芯の通った想いは大木の如くサクラの心に深く根を張る。

二人の神様が結んでくれた縁を大切にしよう。
支え合い、取り合った掌を強く握り、同じ方向を見つめ、共に生きれるように。

揺れる鈴の音は軽やかに、聞こえる波の音は穏やかに。
自分を包む世界を大事にしようと心に決め、広い背に腕を回し抱きしめた。

零れる光があたたかく、二人を包み照らし続けていた。




第七部【縁】了


prev / next


[ back to top ]