小説
- ナノ -






三年前の冬の宴会の日。
ナルトの両隣に二人は座っていた。
綱手に促され我愛羅の隣に座ったのは別に嫌ではなかった。

上座に座ることに対する遠慮は流石に覚える歳ではあったが、それでも我愛羅に対し畏まるのは自分らしくない。
だからこそ敢えてどっかりとその横に腰を据え、開いていく我愛羅との差に歯噛みしながらも顔には出さないでいた。
そんな自分を落ち着けるためにもサクラには隣にいてほしかった。
どんな時だって自分の生きる力になってくれる。
サクラがいればどんなことだって耐え、頑張れた。

なのにあの日のサクラは、まるで突いたら脆く崩れ去って行きそうなほどに儚げで、危うかった。
俯く視線は悲しく揺れ、いつもより潤んだ瞳は今にも泣きそうだと思った。
どうしていいか分からずとにかく話しかけ、顔色を窺い笑いかけた。
少しでも笑ってくれればいいと、少々ふざけたりもした。

だがもしあの時からサクラが我愛羅を想っていたとするならば、自分はとんだ道化だ。
幾ら人がいいとはいえ、ナルトも男だ。
愛する女を横から奪われ笑顔でいられるほど、腰抜けでも腑抜けでもない。

だからこそ知っておきたかった。
我愛羅がどれほどサクラのことを想っているのかを。
もしそれが生半可なものであるならばナルトはどんな手を使ってでも我愛羅の手からサクラを奪い返すと決めた。
ナルトにとってサクラとは、それだけ重きを置く女であった。


あれは魔性の女だな。
二年前。とある任務の時に護衛相手の女がサクラを見て呟いた言葉が脳裏を掠める。
その時は真の意味が分からず己の目を奪うからかと照れ笑いしたものだが、違った。
あの言葉はこういうことだったのだ。
女の勘とは鋭く恐ろしいものである。

サクラはあの時から既に我愛羅の手の中にいたのだ。
己だけでなく、二人を知る者全員の目を掻い潜り、人知れず何処かもわからぬ場所で逢瀬を繰り返していたのだ。
そう思うと益々腹の奥底、昔九喇嘛が封印されていたよりも遥か奥底から暗い何かが湧き上がってくるようだった。

「な、んで…何で、サクラちゃんなんだよ…お前にならもっといっぱい、他にいっぱい、言い寄ってくる奴らはいるだろ…」

浅くなる呼吸を整えようと、無意識に口元に手を当てる。
赤く染まる視界を閉ざした瞼の裏、浮かぶサクラの笑顔が口を開く。
ナルト。
柔らかな、時に厳かな、時に母のような声を思い出す。
自分が一生をかけて、愛する女の姿と声を、思い出す。

「…明確な理由がなければいけないのか」

そんな中聞こえてきた我愛羅の声に、ナルトは目を開く。
この男は一体何を言っているのかと。
そんなナルトをまっすぐ見据えながら、もう一度我愛羅は問う。

明確な理由がなければサクラを好いてはいけないのかと。

「…そう…じゃ、ねえ…けど…」

問われて思い返すが、己も同じであった。
理屈なんか関係ない。理屈抜きで、ただただサクラが好きだった。
笑った顔は勿論、怒っていても、泣いていても、拗ねていても、そっけなくても、泥だらけになっても、ただただ好きだった。
そうして今でも、その姿を探し見つけたら追い、湧き上がる衝動と言う名の喜びを感じることが出来る。

いつだって、ナルトはサクラを見ていた。

そこに明確な理由などない。
ただサクラがそこにいるだけでナルトが思いを寄せるのに十分だったのだ。

「…俺はサクラが欲しい。理屈抜きで俺の心がそう叫ぶ」

まるでナルトの心をそのままなぞるように我愛羅の声が言葉を紡ぐ。
痛いほどに、秘め続けてきた想いを。


「誰かを愛することがこんなにも苦しいことだと、俺はサクラを愛するまで知らなかった」

こんなにも苦しく、こんなにも辛い。
なのに欲して仕方がない。
どれだけ金をつまれても、どれだけ器量のいい女を並べられても、自分の心はサクラでなければ揺さぶられない。
嬉しいも、悲しいも、辛いも、苦しいも、愛しいも、感じられない。

紡ぐ言葉に、ナルトはただ耳を傾ける。

「サクラを通して初めて知った。世界にあふれるものがこんなにも美しいのだと、笑う彼女に教えられた」

思い返せばこの数年間。
巡る季節にこれほど感銘を受けたことはないと我愛羅は思う。

春になれば桜が咲き、咲き誇るそれらが美しいと彼女が目を細める。
風に揺られ舞う花弁に手を掲げ、張り付いた薄紅をふわりと空にかえす指が美しいと思った。

梅雨になれば咲き誇る紫陽花に目を細め、綺麗だね。と優しく微笑む横顔にただ見惚れた。
雨の中傘を差し、誰にも見られぬようそれを傾け口付た。照れたように表情を歪める顔が可愛くて、ただただ愛しかった。

夏になれば海へ行き、輝く潮と戯れた。
波打つ砂場に腰をかがめ、小さな貝を手に取ると可愛いねと目を細め、色の綺麗な石を見つけては近くの子供に見せ共に笑っていた。

秋になれば紅葉を眺め、それを拾っては眠る俺の体にふりかけ一人楽しげに笑っていた。
愛しさに駆られつつも少々腹が立ったので睨んでやると、穴の開いた紅葉を手に取りそこから俺を覗いてきたので瞬時に馬鹿らしくなって許してしまった。

冬になれば雪の冷たさに震え、寒い寒いと騒ぎつつ飛び込んでくる体を幾度となく抱きしめた。
暖まればそれだけで喜ぶ彼女の熟れた頬が、子供のようで愛らしいと思った。

「…三年間、お前に黙って彼女と逢っていたことに心苦しくなることはあった。だが、それでも尚…俺は彼女が欲しい」

サクラがいい。
彼女が欲しい。

紡がれる想いにナルトはただ口を閉ざし、視線を落とす。
視界に入る料理は艶やかな皿に盛られ、早く食せと食欲に訴えかけてくる。
だが今のナルトには色彩豊かなそれらも、店先に飾られているサンプルにしか見えない。

腹の底で唸るこの激情を、抑える方法が分からなかった。

「…人を愛することは時に苦しい。だが俺はサクラとなら、その痛みを共有できる」

その言葉を最後に、互いに暫し口を噤む。
部屋の外から聞こえる他人の声がただ無意味に流れるラジオのようで、けれど五月蠅いからとボリュームを下げることはできはしない。

「ナルト」
「…おう」

呼びかけられれば反応はできる。
声を荒げず、頷くことはできる。

だがそれだけは流石にできなければいけないと理解はしていた。
だからこそ至って冷静に、平坦な声を返したつもりではいた。
実際にはいつもより低い、獣のような声ではあったが。
それでも拳を握り耐えた。

「俺にとってお前は大切な友だ」
「…それは、俺も同じだってばよ」

我愛羅の言葉に異論はない。
自分にとっても我愛羅は大切な友人で、そして時にはライバルだった。
だが今ではその言葉の意味も変わり始めてきている。

「だがな、そうと分かっていても俺は彼女が好きで仕方がないんだ。どれほどお前を傷つけようとも、どれほど彼女の友人たちを傷つけようとも、俺は彼女の手を離すことが出来ない」

ナルト同様、視線を伏せる我愛羅は続ける。
自分はこれから一年間、お前からサクラを引き離す。と。

「…どういう意味だよ」

思わず開いた眼の先、我愛羅は数度瞬いてから彼女を砂隠に単身赴任させる。と答えた。

「なっ…!!」

再び驚くナルトに、我愛羅は火影には了承を取った。と続ける。

「砂隠の外れにある高山で採れた草花の研究開発に彼女の力が必要なんだ。だが一ヶ月や半年そこらでどうにかなるものではない。本音を言えばもう少しいてもらいたいところだが、一年で手を打ってもらった」

これは俺のエゴではなく、里の長である風影としての要請だ。
射抜く視線は先程動揺熱かったが、それでも男の本音ではないことは分かる。
それにもし己が影の立場であったなら、我愛羅と同じことをするだろう。
だからこそ、余計に腹の底で大きく唸る激情のやり場に困るのだ。

「だから、お前にだけは言っておきたかった」

他の誰にも告げたことのない、自分たちの秘密を。

紡がれた言葉は静かだが熱く、だからこそ嫌と言うほどに胸に響く。
静かな慟哭が耳に痛く、沈黙が針となりナルトの心を突いていく。

「…本当に、サクラちゃんが好きなんだよな」

確かめるように、自分にも言い聞かせるかのように零れた問いに、我愛羅はああ。と頷く。

「そうかよ…じゃあ…一発殴らせろ!!」

がっ、と音を立てて席を立ち、対面に座る我愛羅に向かって拳を繰り出す。
しかしそれは我愛羅の片手で受け止められ届きはしない。
だがそんなことは想定の範囲内なので気にはしない。

「落ち着け!誰の目に着くかもわからんところで暴れるな!」

ナルトの突然の暴挙に僅かに目を見張った我愛羅だが、すぐに剣呑な目つきで見返しナルトを諌める。
しかしその声に素直に頷けるほど、今のナルトは冷静ではいられなかった。

案の定ナルトの口からはうるせえ、いいから一発殴らせろ!と先程叫んだ言葉を復唱する。
我愛羅は舌打ちすると、受け止めた拳を振り払い転がるようにして部屋を飛び出す。
突然目の前に人が転がり込んできて驚く店員に数枚の札を押し付けると、後は頼む!と叫び店から飛び出る。

「待て我愛羅!!」

対するナルトもすぐさま部屋から飛び出し、驚いたままの店員の横をすり抜け、壊さんばかりの勢いで店の引き戸を開け外に出る。

「おいコラァ!待てつってんだろ!!」
「ふん、貴様の足でついてこれるかナルト!!」

すっかり頭に血が上ったナルトを挑発しながら、我愛羅は暴れても問題なさそうな場所、火影の顔岩の頂上を目指し木の葉の町を駆け抜ける。

「逃げんなコラァア!!」

それを追うナルトは完全に頭に血が上っており、我愛羅はまるで尾獣化だな。と嘆息する。

(少しは落ち着いたかと思ったが…やはりサクラのこととなると冷静ではいられんか。こうなるとサスケの時も同じようになるかもしれんな…)

困ったな。
叫ぶナルトの声を聞き流しつつ逃げ惑う我愛羅は存外余裕で、あっという間に岩壁を上りきり、ナルトが辿りつくのを待つ。
そしてすぐさま岩壁から顔を出したナルトは、勢いのまま我愛羅に向かって再び拳を振りかざす。

「待てっつてんだろ!」
「だから待っていただろうが」

パン、と繰り出された拳を再び受け止め、互いに睨み合う。

「俺ってばよ、ちょっとは大人になったな、ってみんなに言われっけど、やっぱどーしてもこうなっちまったら止められねぇんだよ」

我愛羅を睨むように射抜く瞳は爛々と輝き、蒼天の如く碧い瞳は今は憤怒の色に燃えている。
まるでぐつぐつと煮立つマグマのようなその瞳に、知らず我愛羅の腹の底で眠る獣が唸り声を上げ始める。

「ふん。そのようだな。いい加減大人になったかと思ったが、俺の思い違いらしい」

同時に拳を払いのけ、体を離し、まるで九尾と一尾が睨み合うかのような剣呑な目つきで互いを見つめ合う。

「別によ、お前がサクラちゃんのこと好きでも構わねえよ」
「ほう」

睨み合いながらも零された言葉に感嘆するが、すぐさまけどなぁ…と再びナルトが地を蹴り殴り掛かってくる。
だが決してチャクラを使うことはない。

ナルトは忍としてではなく、一人の男として我愛羅に一発入れておきたかったのだ。

「お前知ってんのかよ!サクラちゃんがどんだけ辛そうな顔してたか!」

体重が乗った拳は重く、受け止める我愛羅の掌にじんとした痺れが走る。

「どんだけいろんな男にいっぱいいっぱい声かけられて、どんだけ苦しそうに、悲しそうに笑ってたか知ってんのかよ?!」

ナルトの記憶にいるサクラは、いつだって笑っていた。
時々自分に対し酷く怒ったり、サスケに対して頬を染めたりもしていたが、それでも楽しげに破顔し頬を華々しく染めていた。
くるくると変わる表情は万華鏡のようで、きらきらと輝き飽きさせないところが彼女にぴったりだと思った。

だがここ数年のサクラは、まるでガラスケースに閉じ込められた人形のようだった。

生きているのに死んでいるみたいで、笑っているのに悲しくて、寂しくて。
抱きしめたくても彼女の前に分厚いガラスケースが一枚挟まっていて、何度呼びかけても、何度そのガラスケースを叩いても、彼女の瞳はナルトを映さない。
見果てぬ虚空をただ見つめ、一人音もなく涙を流し、ひたすら誰かを待ち続けている。
そんな彼女の寂しい瞳を、ナルトはずっと傍で見ていた。

「サクラちゃんが、サクラちゃんが…どんだけ、独りぼっちで…」

悲しくて、寂しくて、誰にも頼れずに一人でいたのかと思うと、喉の奥で言葉が詰まり上手く呼吸が出来ない。
最後に受け止められた拳は赤く染まり、対する我愛羅の掌も同様に色づき熱い。

零れる吐息は互いに荒く、獣の雄同士が争う様にそっくりだと冷静になりつつある頭で揶揄してみる。

「…見てきたんだよ。俺は、そんなサクラちゃんを、ずっと、ずっと…見てきたんだよ」

生徒を持ったことで一緒に任務に出ることは少なくなってしまったが、それでも時間を作っては会いに行った。
皆の前では凛としていても、時折ふと寂しく笑う彼女に本当の意味で笑ってほしくて、何度も何度も、足を運んだ。
誰よりもサクラが好きだから、大事だから、愛しているから、会いに行った。

「…そうか…だが、俺はお前と違い常に彼女の傍にいてやれない。だから、正直初耳だ」

我愛羅の前では見せぬ顔を、ナルトの前で見せているのか。
それとも人知れず寂しさに顔を俯かせる彼女を、ナルトがずっと見てきたのか。

きっとそれは両方なのだろうと、我愛羅は受け止めたナルトの拳を見つめ、思う。
自分とサクラの間にはない絆がサクラとナルトの間にはある。
知ってはいても、やはり辛い。

「…我愛羅のアホ。バカ、おたんこなす、ウスラトンカチ、すけこまし、助平、変態」

先程までの激情に身を任せつつ拳を繰り出すのとは違う、紡がれる悪態に我愛羅はむっと顔を顰める。

「失礼な。誰が変態だ」
「反応すんのそこだけかよ!」

思わず顔を上げ突っ込むナルトに、後ウスラトンカチはお前の代名詞だろう。と返せばうるせえ!と叫ばれる。
だがその瞳は先程とは違い、既に落ち着きを取り戻している。

「…こんなことしておいてあれだけどさ、別に認めねえとは言わねえよ」

ようやく拳を離し、落ち着いた声音で続けるナルトの言葉に我愛羅は黙って耳を傾ける。

「でもよ、サクラちゃん泣かすのだけはぜってえに許さねえ。他の誰でも一緒だ。サスケでも、俺自身でも、やっぱりそれだけは許せねえ」

正直ナルトも、彼女を泣かせたことは一度ぐらいはあるだろうとは思う。

だが彼女はそんなことを言わない。おくびにも出さない。
傷ついても、苦しくても、いつだって気丈に立ち上がり笑ってみせるのだ。
例えそれがどんなに悲しく寂しいものだったとしても、誰かのために笑顔でいようとする彼女がやはり好きだった。

「俺ってば、サクラちゃんのことずっと見てきたからさ…最近のサクラちゃんがどんどん綺麗になってくのもわかってたんだよ。それが何でかってのも、本当はちょっとだけ分かってた」

先程の我愛羅同様、紡がれる言葉はサクラに対する一途な想い。
それは長い間その身に宿し続けた、秘められた恋心の切れ端だった。

「最初はさ、やっぱりサスケかなって思ったんだよ」

幼い頃からずっと、サクラがサスケを恋うていたのをナルトは知っている。
ナルトがサクラを好きだったように、サクラも一途にサスケを想っていた。
そう思うと俺とサクラちゃん似た者同士だなぁ、と少しばかりおかしくなるが、すぐに自嘲し頭を振る。

「でもサクラちゃんは違うって否定してさ。じゃあ誰だ、って聞いても答えてくんねえし…」

いつだって問い質す度にさあね。と言ってはぐらかす彼女にもやもやしてきた。
言えない相手なのかと思い、知っている人物を片っ端から思い浮かべてみても誰も彼女と結びつかなくて結局分からず仕舞いであった。
だがその相手が今、目の前にいる。

「でもさ、誰かってのは教えてくんなかったけど、すげー大切な人だから。って…笑ってた」

鬱陶しいほどにサクラに纏いつき、誰だ誰だと問うナルトに一度拳を喰らわせた後、サクラは呆れたように腰に手を当て言ったのだ。
自分にとってもとても大切な人なのだと。
やはり誰とは言わなかったけれど、それでもいつもより優しい顔で笑っていた。

「けどさ、俺…何となくお前かなって気もしてたんだ」

三年前の冬の宴会の日。
ナルトの両隣に二人は座っていた。
疲れたような顔をしているサクラはどこかぼんやりとして儚げで、ちょっとつつけば崩れていきそうなほどに危なげだった。
食事も殆ど手を付けていなくて、最終的には酒も飲んでいなかった。
皆の会話に相槌を返し笑ってはいたけれど、自分から話を振ることはせずただそこに座っていた。

それからもサクラに対しアプローチを繰り返す男は後を絶たず、内心ヒヤヒヤしたがサクラは気にも留めていなかった。
というよりも気づいていなかったのだと、後にいのから教えられた時はリーと共に安堵した。

本人はニコニコしていたつもりなのだろう。
だが悲しみに塗り固められた偽りの笑顔は見ていて痛々しく、見ている方が泣きたくなるほどに切ないものであった。

そんな悲しい顔をしないでほしい。
何度もそう思い、その白い頬に手を伸ばし撫でたくなった。
偽りなどではない、昔のような心からの笑顔でいてほしかった。

けれどその後もしばらくそんな表情ばかりが続いて、いつか本気で死んでしまうのではないかと恐ろしくなった。
唯でさえ色白の顔が蒼白と呼べるほどまでに顔色が悪くなり、自分の知らぬ間に倒れるのではないかと思うと唯々恐ろしかった。

だがそれらはある時から境に見られなくなり、以前のように、むしろ以前にもまして美しく生まれ変わったサクラに皆目を奪われた。
悲しく微笑んでいた顔は姿を消し、慈愛に満ちた穏やかな顔で笑うようになった。
まるで冬の間地面の中で寒さに耐えていた花の芽が、春の日差しを受けて一気に芽吹いたようだった。

光を受けて笑う姿が、ただただ綺麗だと思った。
優しくて、あたたかくて、思わず泣きそうになってしまうぐらいに、綺麗だった。

けれどそれもこれも全て我愛羅に繋がっていたのだと思うと、正直悔しくて、少しだけ憎らしかった。

「…俺はお前が大事だよ。でもサクラちゃんも大事だ。だから幸せになってほしい。できれば…俺が幸せにしてやりたかったけど…」

何度アタックしても振られ続け、その度に立ち上がっては再びサクラに向かって駆け出しその背を追った。
笑ってほしくて、自分を見てほしくて、何度も何度も彼女の元へと走った。
けれどそれも、もう終わるのだ。

ナルトは一度瞼を閉じ、顔を伏せる。
先程のように視界は染まっておらず、今は穏やかな夜空のような暗闇が瞼の裏に広がっている。

どうやら落ち着いたらしい自分の心によしと顔を上げると、ナルトは我愛羅に向かって一歩踏み出す。

「我愛羅。俺はもうサクラちゃんのあんな顔見たくねえ。あんな悲しそうな、今にも死んじまいそうな顔、二度と見たくねえ」

できるならずっと、昔のように笑っていてほしかった。
自分の隣で、自分と一緒に。ずっと、これから先死ぬまで。
けれどそれは自分の役目ではないのだと、少し悔しいけれど分かってしまったから。

(サスケに対してもこんな風に思えなかったのになぁ…ちっくしょー。腹立つなぁ…)

ナルトの言葉にすまん、と呟き謝罪する我愛羅に、さっきは謝んなかったくせに。と軽く笑うとその頭をゴチンと殴る。
軽く乱れた茜の髪を見下ろしつつ、顔を上げた我愛羅に向かって、ん。と拳を突きだす。

「約束」

突きだした拳はまっすぐと、我愛羅の心にちゃんと届くようにまっすぐと向ける。

「もし次サクラちゃん泣かせて傷つけたら、今の百倍の力でお前のこと殴るからな」

本当なら先程までの本気の拳を一発その身に叩き込んでやりたかったが、まぁそれは彼女を泣かせた時のためにとっておこうと心にとめる。

「…分かった。肝に銘じておこう」

顔を上げた我愛羅の、穏やかに凪ぐ翡翠の瞳を見返しながら付き合わせた拳は熱く、どれ程互いが熱くなっていたかが分かる。
元一尾の人柱力であり、現風影である我愛羅と、元九尾の人柱力であり将来火影になるであろうナルトの男二人が本気で一人の女のために拳を交わす。
まったく、本当にサクラは魔性の女だと苦笑いする。

「あーあ!サスケかと思ったら我愛羅かよー…マジで伏兵もいいとこだぜお前」

頭の後ろで腕を組み、どさりと地に腰をおろし寝転がる。
見上げる夜空は美しく、瞬く星は無数に広がり世界を見下ろす。

先程とは打って変わって、ナルトの心境は不思議なほどに穏やかであった。

「ふっ…どこに潜んでいるから分からんから伏兵なんだろう」

嘆くナルトの隣に我愛羅も腰を降ろし、同じように夜空を見上げる。
互いの間をすり抜ける夜風が優しく頬を撫で髪を揺らし、荒れ狂っていた心を宥めるように体を撫でていく。

最終的にナルトに殴られた我愛羅ではあったが、互いの心はすっきりと晴れやかであった。
言葉が無理なら拳で語る。
男とは常にそう言うものなのかもしれないとナルトは思う。

「…つかさ、三年も付き合ってんだろ?てーことは…その、最後まで…したの?」

冷静になった頭で居酒屋での会話を思い出し、もしやと思いナルトの胸がドキリと跳ねる。
どれだけサクラを大切にしていてもナルトも所詮男だ。
やはり気になるものはなるのだ。
例えそれが無粋な問いかけだと分かっていても。

対する我愛羅は少し目を見張り数度瞬いた後、ゆっくりとナルトから視線を外し、そのまま顔を背け、僅かに体を離す。

「………まぁ」

蚊の鳴くような声で返された相槌に、ナルトはおい。と突っ込む。
今の間は何だ。と。そして何故体を離したのかと。

だが我愛羅は流石に言えなかった。
むしろ関係の初めがその最後からでした、とは。

考えてみれば我愛羅とサクラは通常行われる工程が全て逆なのだ。
体から始まり気持ちがついてくる。
そして我愛羅はサクラに対する想いを告げるのは、彼女を砂隠に迎えることが出来てからだと決めていた。

つくづく順序がおかしい。
ナルトに尋ねられ初めてそれに気づいた我愛羅は存外間抜けであった。

「なぁ、おい。何無視してんだコラ。我愛羅、おい我愛羅!お前してんだよな?してんだろ?!はっきりしろコラアアア!!」

体を起こし上体を揺さぶってくるナルトに我愛羅はただ口を閉ざし黙秘権を使う。
ハッキリしろ、と叫ぶナルトにもう殴られるのはごめんだと思いつつも視線を目下へと落とせば、木の葉の町に沢山の明かりが灯っており目に鮮やかだ。

砂隠もいつかこんな穏やかな町になればいい。
広がる景色にそう思う。

そして砂隠の里にサクラやナルトのように心豊かな者や、サスケのように不器用ながらも一途な者。
綱手のように凛とし強くある者。シカマルのように冷静でいながらも、心の奥底で熱い思いを秘めている者。
そんな忍が一人でも多く増えればいいと思う。
そしてできれば己の隣で、笑う彼女がいてくれたならば。
それだけできっと自分は生まれてきた意味がある。
そう思えるほどに今の我愛羅にとってサクラの存在は大きかった。

だからどれだけナルトに吠えられ揺さぶられようが、唯ひたすらに口を閉ざし黙秘し続けた。
サクラとの秘め事は誰にも言うつもりなどない。
己の手の中で花開き、乱れ咲く彼女のその美しい痴態を、他の誰にも知られたくはなかった。

だからこそ我愛羅の意識は自里へと飛び、これから始まる一年のことを考えていた。

「だからお前人の話聞けって!!」

まるで泣くようなナルトの声に三年前の宴会の場で言われた言葉を思い出し、少しだけ頬を緩めた。
ナルトの変わらぬその態度が、有難かった。




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