小説
- ナノ -






一方サクラはそんな話がされているとは露知らず、黙々と院内で勤務をこなしていると、任務を終えたナルトがひょっこりと顔を出す。

「サックラちゃーん!仕事終わったらさー、一楽行かねえ?」
「お誘いどうも。でも結構よ」

取りつく島もなく断るサクラに、ナルトはがーん、と項垂れつつつれねえってばよ…と零す。
だがそんなナルトを一瞥することなくサクラはカルテを纏め上げると、よし。と呟き立ち上がる。
今日の勤務はこれで終わりだ。就業時間はとうに過ぎてはいたが、少々の残業など毎日の事なので気にはしない。

未だぶちぶちと呟くナルトを尻目にデスクの上を片づけ、邪魔になるから外に出てなさい。と背を押し自分は更衣室へと足を向ける。
そうして着替えて出てきた矢先、笑顔で待ち構えていたナルトに肩を竦め、しょうがないわねと共に帰路を辿る。
初めは去年から生徒を受け持つことになったナルトの苦労話や、相談に乗っていたサクラだったがそういえば、と呟くナルトに視線を向ける。

「俺もさっき会うまで知らなかったんだけどさ、今日我愛羅が来てんだよ」
「え?我愛羅くんが?」

思わず足を止めたサクラにナルトが頷く。
任務帰り、生徒と共に火影邸へ報告に行けばちょうど会議室から出てくる綱手と我愛羅に出会ったらしい。
いつもならばナルトに知らされるはずなのだが、今回は急なことだったので連絡が行かなかったらしい。
本当びっくりしたってばよ。と呟くナルトにそう。と相槌を打つ。

この数年、宿屋の先代に言われた通りサクラは我愛羅を信じた。
時に明確な言葉や約束が欲しくなる時もあったが、我愛羅がサクラのために色々と走り回ってくれていることも知っていた。
だからこそサクラは、二人のことなのだから二人でどうにかしよう。
そう話を持ちかけ砂隠の医忍を育てる木の葉との協定をもう一度考え直し、頻度を上げるよう提案した。
初めはサクラに無理をさせるわけにはいかないと渋った我愛羅であったが、互いに納得するまで根気強く話し合い、意見し合った。
そうして現在、サクラは半年に一回砂隠に短期で赴き授業や実演をし、また砂隠の医忍や生徒が木の葉に授業を受けに来ていた。

三十路までもうすぐではあったが、それでもサクラはやはり我愛羅以外の男を選ぶ気にはなれず、度々来る見合いの話も、交際の申し込みも全て断ってきた。
どんなに遠回りでも、時間がかかっても、自分は我愛羅を愛し、いつかはその隣に立つのだと決めたのだ。
だからこそサクラは凛とした姿で強く立っていられる。
例えこの先どんなことがあったとしても、我愛羅とならば乗り越えていけると思ったからだ。

サクラは今一度よし、と気合を入れるように深く深呼吸すると、きりりと顔を引き締め歩き出す。

「あ、ちょっとサクラちゃん!」

颯爽と歩きだしたサクラの隣に慌てて並び、その横顔を見つめるナルトは幾度か瞬き、夜空へと視線を投げる。

「…何かさ、今日のサクラちゃんは一段とつれないってばよ」

呟くように零した途端、きゅう、とナルトの胸が切なく締め付けられる。
ここ数年、サクラの表情はナルトの知らないものばかりが増えてきた。
しかしそれは決して自分に関することではない。
自分でないのならサスケの事かと思いそれとなく尋ねてきたが、サクラには何バカ言ってんの。と呆れ笑われるだけでいつもうやむやにされてきた。

はぐらかされている。
流石のナルトも二十五を過ぎれば分かる。
誰かを庇うような、その背に匿うような態度がもどかしい。
けれど心当たりがないわけでもなかった。
それが今だ。

サクラは我愛羅の名前が出た時だけ、妙に視線を遠くへと投げる。

(…何で俺のこと見てくんねえかなぁ…)

こんなに好きなのに。
思えば思うほど苦しくて、見下ろすサクラの視線が遠くへ飛べば飛ぶほど怖くなる。遠くへ行ってしまいそうで恐ろしくなる。
何処にも行かないよな、此処に、木の葉にずっといるよな。そう問いかけて手を引きたくなる。

けれどサクラはいつだって答えてはくれない。
ただ曖昧に笑って何バカ言ってんの。としか言わないのだ。
だからそれが妙に怖かった。

気付けば互いに無言で歩く中、見慣れた姿が二人の前に立ち塞がり足を止める。

「サクラ、仕事終わりで悪いんだけど火影邸に来てくれないかしら」
「シズネさん。師匠のところにですか?いいですけど…」

二人の前に立ち塞がったのはいつもの如くトントンを抱えたシズネで、その姿を確認するとこんな時間に何の用だろう。と思いつつも呼ばれたのなら行かぬわけにはいかない。
了承の意を唱え歩き出すサクラにナルトも着いて行こうとするが、すぐさまシズネにナルトはこっち。と首根っこを掴まれる。

「悪いけど今日は我愛羅の食事に付き合ってあげて」
「あ?ああ。分かった。んで?どこに行けばいいんだ?」

首を傾けるナルトにシズネは居酒屋の場所を告げると、それじゃあ頼んだわよ。と念押ししてからサクラの後を追う。
そんなシズネの背を見送りつつ分かったー、と答え、告げられた場所に向かって駆ける。
駆ける度に夏の夜風が頬を滑り、その涼しさと軽やかさに少しばかり気が安らぐ。

だがざわざわとした妙な胸騒ぎだけは取り去ることが出来ず、ナルトは無意識に眉間に皺を寄せた。


辿り着いた店先には既に我愛羅が立っており、よう。と片手を上げればああ。と口の端を上げて我愛羅が答える。
そうして揃って店の暖簾を潜れば、そこは各部屋が個室に分かれている上品な店で、ナルトだけだと格式が高すぎて気が引ける店であった。

「つか、今日はカンクロウもテマリもいねーんだな」
「ああ。今回は急ぎの用だったからな。砂に乗って来た」

案内された個室に入り、あらかじめ予約を入れていたというコース料理がすぐさま運ばれてくる。
それらを突きつつ和やかに会話を交わしていれば、ナルトはふと我愛羅と二人きりで食事をするのは初めてだな、と気付く。
我愛羅との付き合いも長いが、なんだかんだ言って周囲に同期がいたり彼の姉兄がいたりと、こうして二人きりで食事をしたことがなかった。

そんなこともあるもんなんだなぁ、とどこか他人事のように思いつつ料理を飲み込んだところで、我愛羅に名を呼ばれ顔を上げる。

「お前に話しておきたいことがある」
「んあ?何だよ改まって」

汚れた手をおしぼりで拭きながら聞き返せば、我愛羅は涼しげな翡翠の瞳を数度瞬かせると、どうしても言っておかねばならんことがあるのだ。と答える。
我愛羅の格式ばった話し方は今に始まったことではないので、特に気にせず何だよ。と笑いかければ、我愛羅は少々言い辛そうに視線を落とし、一度深く深呼吸した後顔を上げる。
そのまっすぐとした瞳は、今までに見たことがないほどの熱を持ちナルトを射抜いた。

「俺は…サクラが欲しい」

だが射抜かれたまま告げられた言葉を、ナルトは理解できなかった。
というよりもしたくなかったのだ。
胸の内でくすぶっていたざわざわとした胸騒ぎが途端に唸り声をあげ、全身を巡る血潮に乗り濁流のように神経を叩き始める。

ああ、眩暈がする。
我愛羅の言っている言葉の意味がよく理解できなかった。

「は…何、言ってんだよ…よくわかんねえつーか、わかんねえよ、それ…」

どういう意味だよ。
問いかける言葉が意に反し僅かに震え、瞬間情けないと思う。
だがそれでも聞かずにはいられなかった。

知りたくない心と、知らなければと騒ぐ心がどくどくと音を立てて走りだす。

そんなナルトの葛藤を知る由もない我愛羅は、では言葉を変える。と再び口を開く。

「俺はサクラを、一人の女として愛している」

なっ…!
思わず音を立てて席を立つナルトを見上げる翡翠は一見穏やかだが、その奥に見える雄の本能の色に背が凍る。
我愛羅は本気なのだ。
本気でサクラに惚れ、愛し、そして、自分から奪おうとしているのだ。

「な、何でだよっ?!だって、お前とサクラちゃん全然接点ないつーか、いや、確かに仕事とかで話すのは知ってたけど、え?仲良かったっけ?」

必死に混乱する頭で記憶を辿る。
初めて会ったのは十代の頃の中忍試験の時だ。だがその時からではないのは流石に分かる。
暁に連れ去られた時も、サクラとの間に親密な関係は感じられなかった。むしろその頃のサクラは自分と一緒にサスケを追っていたのだからありえない。
戦争が起こった時、二人がどうしていたのか自分はよく知らない。
だが恋愛に現を抜かす暇はなかったし、そんなことができる二人ではない。
ではどこで。
考えるナルトに我愛羅がお前が知らんだけで付き合いは長い。と答える。

「…いつからだよ」

未だ震える声で呟けば、昔からの付き合いを除いても三年になる。と返される。
三年。三年もの間、自分はサクラが我愛羅と共に居たことを知らなかった。

愕然とした。
いつも一緒にいたはずのサクラのことを、ナルトは全く知らなかったのだ。
確かに何かを隠しているのは分かっていた。
妙に元気がないことも、遠い記憶を引っ張り出すかのように視線を遠くに投げることがあることも知っていた。
だがその先に我愛羅がいるとは夢にも思っていなかったのだ。

何故。
呟く声に帰ってくる声はない。

何故、サクラだったのか。
何故、我愛羅だったのか。

ぐらぐらと揺れる頭ではまともに考えられず、まるで糸が切れた人形のようにナルトは席に腰を落とす。

「…三年間…お前、三年間もの間、俺らに黙ってサクラちゃんと会ってたのかよ…」
「…ああ」

三年もの間、自分や周囲の目を掻い潜り二人で会っていたのかと思うと、途端に目の前が真っ赤に染まりだん!と強く机を叩く。

「じゃあお前、俺がサクラちゃんのことずっと好きだって分かってて会ってたのかよ?!」

叫ぶように零れ出た己の声は怒りに戦慄き、握りしめた掌に爪が刺さる。
けれど痛みを感じる余裕すらなかった。
周囲にだいぶ落ち着いたとは言われるようにはなったが、それでも未だに激情が走ると自分を上手くコントロールできないところがあった。

だがナルトもようやく生徒を持つようになった。
これでは今までと何も変わらないと必死に呼吸を繰り返し、真っ赤に染まる視界を一度閉じる。
これ以上我愛羅を見ていると、手が出ない自信がなかった。

それほどまでにナルトの胸中に、言い表せない激情が荒れ狂っていた。

ナルトはサクラが好きだ。
この世界で一番、誰よりも愛していると誓える。
けれど我愛羅も大切な、大事な友人だった。
共に人柱力と呼ばれる兵器として育ち、苦しみ、傷つき、人知れず涙を零しては必死に生きていた。
初めて拳を交わし、意思を交わし、互いに認め合った時の喜びを今でもよく覚えている。
だからこそ、なのに、我愛羅の言葉が胸に苦しい。

噛みしめた奥歯がぎりりと鳴る。
それでもナルトは、我慢した。
もしこれが我愛羅の独り善がりであるならばナルトもこれほどまでに荒れ狂いはしなかっただろう。
だがサクラの態度を思い返してみれば、独り善がりだなんて口が裂けても言えなかった。

サクラの秘めやかな想いを一番肌で感じていたのは自分だったからだ。



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