小説
- ナノ -





翌朝我愛羅は里へと戻って行った。
もうすぐ中忍試験が始まるからその準備があるらしい。
本当なら抜け出すことも厳しかったらしいが、それでも先代に呼ばれ駆けつけたのだと思うと、どれ程我愛羅がこの場所を大切にしているのかがよく分かる。

結局起きてから別れるまで、サクラは自分に見合いの話が来ていることも、我愛羅が自分のことをどう思っているかも聞けなかった。
ダメだなぁ。と何度決心しても喉に言葉が詰まって問えない自分の弱さにほとほと呆れる。
けれど初めて一つだけ自分の想いを告げることができただけでも今回はマシだったか。と前向きに考えることにした。

「サクラは明日帰るんだったね」
「はい。今回は二泊なので、明日には戻って仕事の準備しないといけませんから」

昨日の雨が嘘のように、梅雨の晴れ間の下先代と共に裏庭に咲き誇る紫陽花の中を練り歩く。
白に赤に青にと、咲き誇る花弁は目に鮮やかで、けれど不思議と心を穏やかにしてくれる。

本当に綺麗。
思わずしなやかな花弁に指先を乗せれば、ふっくらとした花弁が優しく指先を押し返す。
小さな羽虫が近くの紫陽花に止まると、ふわりと優しく花弁が揺れる。

素敵な場所。
思わず頬を緩めていれば、先代から名前を呼ばれる。

「ちょっとこっちに来てごらん」

呼ばれるまま足を進めれば、そこには少し古びた小さな祠がありこれは?と問う。

「あたしと死んだ亭主の神様さ。昨日神社へと参拝したろう?そこの神様の眷属神でね。毎日ここにお参りするのさ」
「毎日…すごいですね」

見た目にそぐわずしっかりとした、そして綺麗に整備された祠に向かって先代は頭を下げる。
涼しい裏庭の庭園の中、祠の周りだけが特別凛とした空気を纏っている気がして自ずとサクラの頭も下がる。

「毎日ここでね、昨日すこやかに生きてこれたお礼と、今日も一日穏やかに暮らせるようお願いするのさ」
「成程」

頷くサクラに、先代が何かお願いしてごらん。と背を押す。
でも、と呟けば、大丈夫だよ。と笑われ祠の前に立つ。

「え、っと…」

昨日一日すこやかに生きてこれたお礼と、今日一日を穏やかに過ごせるように。
それと、想い人をつれてきてくれたお礼も。
気付けば長い間目を閉じていたようで、顔を上げると先代がにこにこと笑っている。
女将とそっくりな穏やかな笑顔に、自然サクラの頬もつられて微笑む。

「ありがとうございます。連れて来てもらって」
「気にしなさんな。さて、今日はどうせ暇だ。婆の話し相手になっておくれ」

先代の皺がよった手に引かれ歩き出す。

風に揺れる紫陽花はまるで歌うように体を揺らし、ふわりと優しいたおやかな香りを醸し出す。
生きる喜びを体現するかのようなその空間に、サクラは自然と微笑みありがとう、と囁く。
それに応えるかのようにふわりと、揺れる花弁がそっとサクラの腕を撫でた。


「そういえばこの部屋に通した理由を話していなかったねぇ」

部屋に着き、茶を飲みつつ昨日聞けなかったことを問えば、先代はそうかそうかと頷き湯呑を置く。

「ここはねぇ、逢引部屋なのさ」
「逢引部屋?」
「そうさね」

頷く先代によると、この部屋は他の部屋から離れており、表の庭園からは死角になっているらしい。
それに格子窓が裏庭に面しているのも、表からどうどうと来れない人のために裏庭側に設置されているという。
そして実は裏庭はこの部屋からしか見えないのだと言う。

「それ以外だと一度外に出て回りこまなきゃいけないんだよ」
「そうなんですか…」

だから片方がこの部屋に泊まり片方が外から逢いに来る。
そうして使われ続けたのがこの部屋なのだと言う。
成程、だからサクラをこの部屋に通したのかと納得する。

「他の部屋から見てもこの部屋は見えない。だから誰が来ても分からないし、誰が泊まっているかも分からない。そんな逢引部屋なのさ」
「凄い作りなんですね、このお宿って…」

表からだと分からない、よく考えられた宿の構造に感嘆していれば先代はまぁね、と言ってひひひと笑う。

「まぁあんた達は色々と難儀だからね。誰かが手助けしてやんないと疲れて壊れちまうだろう」
「…はい」

自里の誰にも言えない。
どれだけ仲が良くとも友人にも、尊敬する師匠にも、仲良くさせてもらっている他里の忍にも、勿論親にだって、言えない恋だ。

だがここは関係ない。
隠れ里から離れたこの場所は一般人だけで構成されている。
誰も二人のことを知らない、気づかない、疑わない。
それがただ、ありがたかった。

「大丈夫だよサクラ」
「え?」

俯くサクラの手をぎゅっと握られ、顔をあげれば穏やかだけれど真剣な目をした先代が口を開く。

「あんたはただ自分の気持ちを信じて、あの子のことを信じて待っておやりなさい」
「…はい」

我愛羅の気持ちは分からない。
けれど、先代の言葉には不思議と信じられる何かがあった。
不安な心がなくなったとはいえない。けれど信じる心は持てるはずだと言い聞かせ頷き返す。

信じて愛する。
サスケに思うことが出来たのだから、我愛羅にだって思うことが出来るはずだ。

強く頷き返すサクラに満足したのか、先代はにっこりと格好を崩し微笑む。
この地に住まう人たちの笑顔は不思議だ。
いつもつられて笑ってしまう。

心穏やかなサクラの頬を優しく撫でると、先代はそうそう。と手を離し言葉を紡ぐ。

「あんたね、もしかして今男に言い寄られてないかい?」
「ええ?!な、何で分かるんですか?!」

本当にこの人何者なのか。
口をあんぐりと開けて食えぬ表情を伺えば、先代はひひひと笑いわかるさ。と続ける。

「そいつは碌な男じゃないね。自分の話ばっかりでお前さんの気持ちなんて考えてないだろう」
「そ…そうなんです!もう本当全然…!!」

鬱陶しいし、付き纏ってくるし!
我愛羅とのことだけでなく、見合いをしたことも誰にも言っていなかったサクラはここぞとばかりに先代に愚痴を零す。
花を贈られてきても困るが花に罪はないから飾るしかないし、映画に誘われても興味ないものばかりだし、自分の話ばかりの男とデートだなんてまっぴらごめんだと怒涛の勢いで話せば、先代はおやおや。と苦笑いする。

「そりゃ難儀だね」
「まったくですよ!こっちの話も聞かないであれだこれだと渡されても全然嬉しくないんです!」

我愛羅に対する思いは口を出ないのに、別の男に対する愚痴はこれほどまでに出てくる。
その後もきゃんきゃんと吠えんばかりに愚痴を零し鬱憤を発散し、ようやく落ち着いた頃には喉がからからになっていた。

「あっはっはっは!モテる女も大変だねえ!」
「笑わないでくださいよぅ…これでも悩んでるんですから…」

目尻に涙を溜めて笑う先代に唇を尖らせるが、先代はごめんよ、と笑いあまり反省した様子はない。
まったく。と頬を膨らませるがすぐにつられて笑う。

「あの子が聞いたら怒り狂うだろうね」
「ええ?そうですかね…あんまりそんな気も…」

しない。と言いそうになったが、冬の暴挙を思いだし口を閉ざす。

「…やっぱりするかも…です」

相手の男の前に立ち、仁王立ちした我愛羅の周辺にざわざわと砂が騒ぐ様を容易く想像できて顔が青くなる。
やりそうだ。彼なら絶対、やりそうだ。
思わず黙れば先代はからからと笑う。

「不安かもしれないけどね、あの子は誠実な子だよ。あたしからは信じて待っておやりとしか言えないね」
「…信じていて、いいんですかね…」

優しい口付と、穏やかな眼差しと、求めるように伸ばされる腕を思えばそうかもしれない。
けれどいつだって明確な言葉は貰えないうえ、彼は自分のことを話さない。
不安で心が揺れて仕方ないけれど、それを問いただせるほどの勇気もない。

再び俯いていれば、先代が大丈夫さ。と言う。

「やる時はやる子だからね。ただ言葉と行動が不器用なのはしょうがない。だから代わりに目を見てごらん」
「目、ですか…」

宝石のような、まろみを帯びた二つの目。
色濃い隈に縁取られた凪いだ水面を映す不思議な瞳。

「あの子はね、顔が動かない分目で語るんだ。嬉しいも悲しいも、怒りも苦しみも慈しみも、全部目で話しかけてくる」
「…目で…」

言われて思い返してみれば、いつだってそうだった。
子供たちと交ざり輪投げをする時も、かき氷を食べながら美味いと呟いた時も、照れて視線を逸らす時も、ナルトと話している時も、遊郭の件で怒った時も、いつだってその瞳は色を変え光の加減を変え、自分の思いを訴えていた。

「気持ちが穏やかだと優しい目をする。誰かを慈しむと尚優しく美しい。お前なら見たことがあるだろう?」

ナルトたちに向ける目と、自分に向ける目の色を思い出す。
ナルトやリー、カンクロウやテマリの前で見る翡翠は穏やかで、けれど物静かで涼しげだ。
では自分の前では?
思い出し考える。

名を呼ばれ見つめられ、体を抱かれ頬を撫でられ髪を梳かれ、体を寄せてぎゅうと抱き着いた時。
見上げるまなざしはいつも優しくまろやかで、春の日差しの如く穏やかにサクラを包んでいてくれた。

愛おしいと、瞳が告げていた。

「っ…!」

途端、体の奥から言い様のない恥ずかしさと喜びが体中を駆け巡り、指先まで一気に熱くなる。
どうしよう。と顔を覆えば、先代はわかったかい?と優しい声音で確認してくる。
もうどうしていいかわからず、声が出ぬまま頷けばそれはよかった。と俯くサクラの頭を撫でてくる。

聞けなかった。
言えなかった。

けれど、我愛羅はいつだって示してくれていたのだ。
溢れる想いを翡翠に乗せて、サクラを見つめながらいつだって、愛しいと。囁いていてくれたのだ。


ああ、どうしよう。
彼は帰ったばかりなのに、追いかけてその背に抱き着きたくてしょうがない。
言葉にできない代わりにぎゅうぎゅうと、広い背に手を回し抱きついて、ありったけの思いを込めて口付てやりたい。

ずっと蓋をしていた想いが報われたと思うと、途端に想いが弾けて世界が光り輝いていく。

嬉しくて、愛しくて、ただただ愛したくて。
あの腕の中で愛されたいと願っていたから見えなかった。
いつも見つめていたのに自分の気持ちしか見えていなくて気づけなかった。

我愛羅の思いを乗せたあの瞳を、もっと見ていればよかったのだ。

「私…待ちます。彼のこと」

信じて待つ。
信じて愛する。

今の自分にできることはこれだけなのだ。
けれど、これが彼の気持ちに応えることなのだ。

先代は満足そうに笑うと、よしよしとサクラの体を抱きしめる。

「後はあの子に任せてあんたは自分の手で、自分の足で、できることをやって自分の道を進めばいい」
「はいっ」
「何かあったらいつでもおいで。この部屋とあの部屋はあんた達のためにいつだって空けておくからね」
「はいっ…!」

覚えておきなさい。あたしらはあんた達の味方だよ。

先代の言葉の強さにただただ頭が下がった。
何度も礼を言い、何度も頭を下げた。

気にするなと笑う声が耳に優しく、それが嬉しくて涙が零れた。
けれどその涙は、昨日までとは違う悲しみにくれた涙ではなかった。
ただただ嬉しくて涙が溢れた。

裏庭からは風に流された紫陽花の花が優しい芳香を漂わせてくる。
雨の上がった空は青く輝き、流れる雲はどこまでも悠々とたなびき手を広げていく。

ああ、世界はこんなにも美しい。

凍えて縮こまっていた想いが嘘のように、今は光り輝き色づいていた。



第五部【紫陽花】了


prev / next


[ back to top ]