小説
- ナノ -






サクラを寝かせた後、我愛羅は暫くその柔らかな身体を抱いていたが熱が収まるとゆっくりと身体を離し、サクラの体に浴衣を着せてやる。

「さて、と…」

自らも浴衣を手に取り風呂で軽く体を流すと、髪も乾かさぬままに廊下に出る。
仕事だと言っていたが先代はこの宿にいる。
付き合いの長い我愛羅は直感で分かっていた。

少し肌寒い廊下、人気の感じられない廊下を淡々と進みロビーへ出ると仲居に声をかける。

「女将を呼んでくれ」
「は、はい…」

我愛羅の濡れた髪が気になったのだろう。
小柄な仲居の視線が真っ先に髪へと向き、すぐさま顔へ移ると頷き奥へと消えていく。
暫くすると女将があら、と声を上げながら顔を出してくる。

「我愛羅様御髪が…」
「悪いが先代はどこだ」

どこにも出てないだろう。
女将の言葉に構わず続ければ、やはり分かりますか。と苦笑いされ当然だと頷く。
女将もそうだが先代との付き合いも長い。あの婆さんの考えそうなことは大体検討付く。
我愛羅の言葉に女将はそうですね、と笑うと少しお待ちくださいな。と続けて再び奥へと消える。

まったくとんだお節介を焼いてくれたものだと思ったが、抱き合う中サクラが漏らした言葉を思い返せば胸がきつく締め付けられる。

(…泣かせたのは俺か…)

いつまでもハッキリとした想いを告げてこなかったが、サクラが問い詰めてくることがなかったのでそれに甘えていた。
けれどああして人知れず涙を零し、寂しいと思っていたのならば、それを怠った自分は随分と愚か者だと反省する。


だがどうしても言えなかった。
どれほど愛していても、どれだけ求めていても、約束できない未来を口にできるほど我愛羅は柔軟ではなかった。
本当はいつだって言ってやりたかった。
触り心地のいい髪を梳きながら、甘えるようにすり寄ってくる体を抱きながら、目を閉じ口付に応える最中にだって、いつだって、お前を愛していると。伝えてやりたかった。

けれどそれはできない。
木の葉との間にある確執が思っていた以上に大きかったのだ。

若い衆は同盟を結んでからの記憶の方が強いので風当たりは強くはないが、上役や同盟前の時代に生きていた忍たちはそうではない。
表向きは歓迎していても、腹の底ではいつだって家族を殺された恨みを、子供を奪われた辛みを抱えながら木の葉の忍と対峙している。
勿論それは木の葉の忍も同じであろうが、実質肌で感じるその恨み辛みは想像以上に危うい。

そんなところに幾ら愛しているからと言って木の葉の娘を連れて来てみろ。
諸手を挙げて歓迎してくれる人間など数がしれている。
それに恨みを抱えた人間が陰で傭兵や抜け忍を雇いサクラを手に掛けないとは言い切れない。

人は愚かだ。
自分の人生全てを棒に振ってでも、損をすると分かっていても、それでも尚愚かな道に走ることがある。罪に走る。
そしてもしその矛先がサクラに向いたとしたならば、これ以上に恐ろしいことはない。

里は守る。
里にいる人間も、腹立たしいが口うるさい頑固な上役も、里に咲く花々一つだって、守ると決めた。
けれどサクラは他里の人間だ。
いつだって傍にいてやることはできない。
寂しくとも慰めてやれない。
泣いていることだって気づけやしない。
どんなに近くにいても心が見えないのに、離れているなら尚更だ。
それなのに無責任にお前が欲しいなどと、口が裂けても言えなかった。

(すまないサクラ…)

ぐしゃりと、濡れた髪を掻き乱しロビーのソファーで項垂れる。
二十五を過ぎても未だに若いと言われる己がこの時ばかりは憎かった。

「まぁまぁ…烏の行水じゃないんだからあんた、髪ぐらい乾かしてきなさいな」

ぱさりと頭に被せられたタオルが視界を白く染める。
顔をあげれば呆れた顔をした先代が立っており、ようやく来たかと思えばタオルが首元に落ちる。

「心遣いはありがたいがもう渇く」
「バカたれ。風邪でも引いたらどうする。子供じゃないとはいえお前は人間なんだから、風邪ぐらいひくだろうよ」

もうちょっと気をつけな。
先代の諫言に思わず口を噤むが、ここは素直に従い髪を拭く。
実質殆ど渇いていたが好意を無碍にするわけにはいかない。

「で?話があるんだろう?」

ここじゃアレだから奥に来な。
促されるままにソファーを立ち、通された部屋の縁側に腰掛ける。

雨は既に止み、濡れた緑がしとやかに風に揺れる。
ひやりとした空気は肌寒く、上に一枚羽織ってくればよかったと、風呂上りで気にしていなかったことを思っていれば、肩に羽織をかけられ首を巡らせる。

「あんたって子は昔から自分のことに関しちゃずぼらだねぇ」
「急いでいたからな」
「そこまで急がんでもあたしゃどこにも行かないよ」

よいせ、と零しながら隣に腰かけてきた先代を横目で見やり、すぐさま前に視線を向ける。

厚い雲に覆われ月は見えず、星の明かりも届きはしない。
真っ暗な闇だけが目の前に広がり、後ろにつけた照明がなければここがどこだかも分からなくなるだろう。
何から話せばいいのかと、黙っていると先代からサクラはどうしたのさ。と問われ今は寝てる。と答える。

「…泣かせたらしい」
「バカだねぇ」
「まったくだ。返す言葉もない」

虫の鳴き声さえしない中、ふうと一つ吐息を零し話し出す。

「どうすればいいか分からない」
「何がだい」

愛しているのに、どうすればいいのか分からない。

「あいつを…サクラを、誰よりも愛してる。だが、上手くいかない」
「喧嘩でもしたんかね」
「違う」

喧嘩はしていない。
だが一方的に自分が彼女を振り回していることは理解していた。

「去年の秋だ。俺が仕事の接待で訪れていた遊郭にサクラがいた」
「色の任務かい」
「そうだ」

菖蒲と名乗った黒髪の女で、翡翠の瞳と顔立ちはそっくりなのに声と髪色が違うから違和感を持っても気づけなかった。

いや、サクラだと思いたくなかったのだ。

色の任務かもしれないと考えはしたのだが、それでも遊郭と言う場所に、遊女として潜り込んでいると考えたくはなかった。
自分以外の男にその身を抱かれるかもしれない。そう考えただけでも暴れてしまいそうだった。

だが願いは虚しく外れ、サクラは誰とも知らない男に足を開き、傷を負い、血を流した。
己は隣の座敷にいたのに、気づいてやれなかった。

「男ってのはね、女の変装にはそうそう気づかないもんなんだよ」
「それでも、気づいてやりたかった。そうすればサクラは怪我をすることもなかっただろうに」

項垂れれば、背をぱんと叩かれバカだねぇ、と零される。
横目で伺えば、あんた一体何を勘違いしてるんだい。と諭される。

「あの子は忍だよ。任務をしてりゃあ怪我もするし傷だって負う。毒に苦しむこともあれば敵に捕まり拷問されることもある」
「だが、」
「心を殺す。それが忍だろう」

先代の至極真っ当な反論に、言い返せずに口を噤む。
分かってはいる。分かってはいるが、心が拒否する。

信じてやりたい。アイツは大丈夫だと、信じて見守っていてやりたい。
けれど、傍にいないから余計に不安で、恐ろしい。
何をしているのか、どんなことで悩んでいるのか、どんなふうに過ごしているのかが分からない。
怪我をしても、病気に侵されても、自分は知ることができないのだ。

「…それでも…俺は…」

愛する心は時につらい。
相手が見えないから余計に怖い。
未来を約束できない無力さが憎い。
けれどそれをサクラに押し付ける気は無い。
できることならどっしりと構え、どんなことでも受け入れてやりたかった。

「俺は、できなかった。任務だと分かっていても、腹の底で暴れる暗い感情を抑えることが…出来なかった」

冬場訪れた木の葉での宴会の帰り、ナルトに耳打ちされた言葉に視界が暗く染まった。
もしやと思っていたことが事実かもしれないことに、背筋が震えた。
嘘か真か分からず見やれば、言い辛そうに視線を逸らすその仕草ですべてわかった。

菖蒲は、サクラだったのだと。

分かった途端、すぐさま問い詰めたい気持ちに駆られた。
だが任務だと答えられることも分かっていた。
暴れる感情を抑えようとしてみたが、俯くサクラを見ているとダメだった。

気付けば帰ろうとするサクラの手を取り迎えに行くと告げ、公園で待つと言われたからカンクロウと別れた後すぐさま宿を出た。
肌を指す風の冷たさすらも感じぬほどに腹の底でぐつぐつと何かが煮え返り、現れたサクラの手を取ると振り返ることもせずに宿へと戻った。
サクラの不安げな空気は伝わってはいたが、それを案じてやれるほど冷静でいられなかった。

着いた宿で問いただし、煮え切らぬサクラを無理やり布団に転がし服を剥いだ。
見覚えのある場所に見覚えのある傷。
獣のような唸り声でお前だったのかと零せば、目を閉じたサクラが静かに頷く。

堪らなかった。
他の男に体を抱かれた。
自分以外の男の手が肌を這い、唇を寄せ、色づく花弁に欲望を押し付けたのだと思うと、顔も知らない男を殺したくなった。

首を絞めて、地に叩きつけて、嬲って、怖がらせ、死んだ方が楽だと思えるほどの仕打ちを男にしてやりたくなった。
けれどそれはできない。
任務は既に終わっている。
きっと男の処罰は火影が既に下しているだろう。
他里の自分が口出しできることではない。

けれど自分以外の男が淡雪のような肌に触れたのだと思うといてもたってもいられなくなり、サクラを強引に風呂へと押し込み体を洗い流した。
それでどうにかなるとは思ってはいないが、それでも出来る限り自分の手で洗い流したかった。
サクラの体に自分以外の男の感触など残しておきたくなかった。

自分の中にこれほどまでに大きな独占欲と、暴れ狂いたくなるほどの嫉妬心があるとは思いもしなかった。
きっとサクラのことを愛さなければこの先知ることはなかったかもしれない感情だった。

知れば苦しい。けれど知らぬのも苦しい。
どっちにしたって生きていく上では苦しく、難儀なものだ。
けれどサクラに触れ、サクラが与えてくれたものだとしたならば、自分は受け入れ生きていたかった。

「あんたは昔から気狂いなところがあるからねぇ」
「ふっ…酷い言い様だな」

あながち間違ってはいないが。
幼い自分も、今の自分も。
根本では変わっていないのかもしれない。

「だけどね、人を恋うってのはそんなもんさね。愛しい愛しいと心がいうから戀なんだ。その心を受け入れ受け止めるのが愛なんだ」
「…そうか」

ならば自分は恋をしているのだろう。
ともすればきっとこれは初恋だ。二十五すぎてようやく初恋かと自嘲すれば、遅いも早いも関係ないさ。と肩を叩かれる。

「心はね、自由なように見えて実は一番不自由だ。頭で理解してても心が拒否すれば全部拒否しちまう」
「まったくだ。自制が利かずにいつも持て余す」
「だろうね。あの子が関われば目の色が変わる。見慣れた者からしてみりゃ一目瞭然さね。目は口ほどに物を言うよ。よーく覚えておきな」

特にお前はね。
笑い交じりの言葉ではあったが、その言葉は存外重い。
肝に銘じておく。と頷けば、いい子だね。と笑われる。

「…なぁ」
「ん?」
「アンタも…こんな気持ちだったのか?」

先代は、元は岩隠のくノ一だった。
今は亡き夫は霧隠の忍で、二人は共に抜け忍となり駆け落ちし、素性を隠し二里から離れたこの土地に身を潜めた。
それを聞いた時は風影になったばかりの頃で、サクラとの関係を結ぶ前だったからたいして気にはしていなかったが、今なら里を抜けてでも共にいたいと願う気持ちがよく分かる。
だから問うてみれば、女将はからからと笑いそうさねぇ、と続ける。

「あたしらん時は今より時勢が悪かったから、そっちの方に気を取られてたから覚えちゃいないよ」
「嘘つけ。あんたとの付き合いも長いんだ。それが分からんほど鈍くはないぞ」

着物姿だとしゃんと立つ背中も、仕事終わりの浴衣姿だと少々曲がる。
その背を軽く押す様に叩けば、老体に何をする。と頬をつねられる。

「恋すりゃ皆気狂いさ。目が覚めるまではずーっとね」
「覚めたのか?」
「ひひひ、どうかねぇ」

食えない婆だと呟けば、お前も爺になりゃそうなるよ。と笑われる。
爺になるまで生きていられればいいんだがな。
そう思うが、すぐさま長生きするのも悪くないかと背を正す。

「難しそうかい?」
「少しな」
「でも諦めるつもりはないんだろう?」
「当前だ。死んでも手離してなどやるものか」

逢いたいと思っていてくれた。
俺がいなくて寂しいと言ってくれた。

そんな愛しい女を、みすみす手離してやる気などない。

「それでもまぁ…暫く待たせることにはなるだろうがな…」
「そりゃああんたの腕の見せ所だよ。逃げられないようちゃーんと心を掴んでおきな」

心を掴む、か。

(いつも掴まれてばかりいるからな…どうすればいいか分からん。女心など皆目見当つかんし)

前途多難だ。
だがサクラのためならば、多少の苦労も被ろう。

「少しすっきりした。ありがとう」
「構わんよ。久々にお前さんと長話ができて楽しかったしね」
「だがな、呼ぶ時はもっとマシな理由を書け。無駄に心配かけおって」

何が賊が泊りに来ただ。
泊りに来たのは賊とは程遠い、自分の孫のように思っている娘ではないかと言えば、呼ばれただけでもありがたいと思え。と小突かれ肩を竦める。

「…まぁ、感謝はしているがな」
「初めからそう言え。この天邪鬼め」

バシバシと背を叩かれるが痛くはない。
酔った火影の手に比べれば遥かにマシだ。

そろそろ戻らねば。
縁側から立ち上がればそうだ。と声を掛けられる。

「一ついいこと教えておいてあげるよ」
「何だ」
「サクラにはね、神様がついてるよ」

神様?
意味が分からず首を傾げるが、先代はひひひと笑うだけ。

「だからあの子は大丈夫だよ。あんたはあんたで、自分のやるべきことをしっかりおやり」
「…意味がわからんのだが」

神様とは何だ。
どういう意味なんだ。
視線で問うがそれは秘密だと笑われ取りつく島がない。

こうなれば意地でも口を開かないのは知っているので、ただそうか。と頷く。
どうせこの先わかることなのだ。先代はいつもそういうものの言い方をする。
ならば今は言われた通り、己のやるべきことを全うしていればいい。

「神様がついてるんだから心強いよ。なにせあたしと主人の神様なんだからね」
「ますます意味が分からんな。信仰の話か?宗教ならお断りだぞ」

何を言っとるんだね。と笑う先代に背を押され、冷えた廊下を二人で歩く。

「頑張んなさいよ。いざとなったら此処をお使い。あたし達はあんたらの味方だからね」
「ああ。恩に着る」

何だかんだ言って心強い先代の言葉に口の端をあげれば、それじゃあお休み。と軽く笑って先代は部屋へと消える。
それを見送り己も部屋へと急げば、サクラは未だぐっすりと寝入っていた。

「…サクラ」

白いシーツの海の中、広がる薄紅の髪を軽く梳き、真白い頬に指先を走らせる。
やわらかな感触と共にあたたかな血が巡っていることが分かり、不思議と安堵する。

「…サクラ、愛してる…愛してる」

だから、もう少し待っていてほしい。
必ず迎えに行く。

抱き寄せた体はあたたかく、冷えた体に心地いい。
少し眉根を寄せつつも、寄せてきた体を抱きしめれば幸せそうに喉を鳴らす。
まるで甘える子猫のような仕草に、愛しさが溢れて来てしょうがない。

気付けばいつだって俺の心を掴んでいく。視線を攫って行く。

お前はすごい女だな。
額に口付け目を閉じれば、サクラが小さくごはん〜、と呟き吹き出した。

夢の中でも美味い飯を食っているらしい。
そんなところも愛らしいと、ただただ愛しさだけが湧いてくる。

愛するものが傍にいることがこんなにも心を安らかにする。
いつかこの手を取って想いを告げれるように、明日から出来ることを始めよう。
迫る暗闇は心地よく、サクラの香りに満たされながらゆっくりと意識を手放した。

今夜はきっと、幸福な夢が見れるだろう。




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