小説
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「それにしても、本当にすごい数の鳥居…」

大きな神社なのね。
続く鳥居の傍には鬱蒼と覆い茂る緑が枝を伸ばし、石畳の溝を雨水が川のように流れていく。

傘を片手に一つ一つ鳥居を観察していれば、その色は様々で一重に朱色と言っても朱、橙、紅、と様々で意外にも趣深い。
立ち止まって見上げれば、幾重にも続く鳥居は神やら仏やら、はたまた極楽浄土にまで続いていきそうで少々威圧される。

(平日だし雨の日だからしょうがないにしても、これは流石にちょっと、不気味かも…)

サクラ以外の人間がいない中、ぱしゃん、と靴が水たまりを踏む音と雨が番傘を叩いていく音しか聞こえない。
鳥の声も、虫の声もない。
しんとした中、朱色の鳥居だけがサクラを包んでいる。

不安になり再び足を止め、ぐるりと首を巡らせれば後にも先にも、右にも左にも朱色のみ。
同じ形の鳥居が延々と等間隔で続いていく様は先が見えない。

まるでお伽噺の世界のように此処には生き物の気配がない。

ぶるり。
寒さとは違う肌寒さを感じ背を震わせるが、頭を振って再び歩き出す。
けれど歩けど歩けど先は見えず、徐々にサクラは怖くなりねえ、と声を出す。

「誰か…いない、よね…?」

心細い声に返ってくる声はない。
唯一風だけが葉を揺らし、カサカサとした音を立てる。だがそれだけだ。

怖い。
反射的に思うがすぐさま駆けるように鳥居の中を進みだす。

「本当に、ねえ…これ…どこまで続いてるのよ…!」

いい加減境内に出てもよさそうなのに、と思うが先は一向に見えてこない。
早く早くと気持ちだけが逸る中、突如轟と鳴り響くような風が吹いた時に足が止まる。

「…怖い…なんで誰もいないのよぉ…」

元来サクラは怖がりだ。
特に幽霊やお化けなどの話は苦手で、皆の前では平然とした態度で聞いてはいるがその手の類は大の苦手であった。
しかもここの鳥居は昔聞いたことのある、迷い人をだまくらかし妖の世界に導き人を食う噺に出てくる世界のようで、それが益々恐怖に拍車をかける。
思わず蹲りぎゅっと目を瞑っていると、目の前からカラコロとした下駄の音が聞こえ顔を上げる。

「あれ?お姉さん大丈夫?」

見上げた先には坊主頭の少年が立っており、ついに妖が化けて出たのかと思ったが、肩に触れた手は子供らしくあたたかく小さい。
半信半疑にその存在を見上げていると、今日は寒いから体が冷えちゃったんだね。と少年は呟きサクラの手を取る。

「お姉さん頑張って。あとちょっとしたら境内に出るから、はずれにある茶屋に連れて行ってあげる。そこで休むといいよ」
「あ、あの…」
「大丈夫。僕はこの神社の神主の息子だから。別に取って食ったりしないよ」

不安そうなサクラが何を思っているのか分かったのだろう。
少年は小さくあたたかな手でサクラの手を取ると、さあ行こう。と頼もしく歩き出す。

「ご、ごめんね…私…」
「いいよ。気にしないで。ここの鳥居はすごーく長いから、時々こうして不安になって立ち止まる人多いんだ。だからお姉さんだけじゃないよ」

笑顔で振り返る少年にそう、と呟けば、うん。と笑顔で返され少し安心する。
そうして二人で鳥居の中を歩き続ければ、思ったより早く境内へと出る。

「ほら、お姉さんこっち」

連れられるまま辿り着いた先は小さな茶屋で、少年は手を離すと扉を開け声をかける。

「おばちゃーん!お客さーん!」

はいはい、と返事をしながら出てきたのはメブキとそう変わらぬ歳の頃であろう女性で、サクラを見るといらっしゃい。と微笑む。
ふくふくとしたその笑顔に不思議と安堵し、張っていた肩の緊張がようやく解ける。

「おばちゃん、お姉さん体冷えてるんだ」
「あら、それは大変。お嬢ちゃん、寒いからこっちにいらっしゃいな」

すぐにお湯を用意してあげるからね、足を浸けるといいよ。
そう言って再び女将は店の奥へ消え、それをぼんやりと見送っていると少年がこっち。と再びサクラの手を取り座敷に座らせる。

「おばちゃんが来るまで僕ここにいてあげるからね」
「あ、ありがとう…」

何だかこの少年が酷く頼もしく思え、けれどそれが年上としては情けない。
少年はサクラの冷えた手を握りしめ、熱を分け与えるかのように何度もぎゅぎゅと力を込める。
その手慣れた動作に本当に慣れているんだなぁ、なんて思っていれば、奥から大きな桶を持った女将が出てくる。

「はい。靴脱いで」
「あ、はい…」

言われた通り靴を脱ぎ、桶に足を入れるとゆっくりと湯を注がれていく。
あたたかい。
ほう、と自然と口から吐息が零れ目を閉じれば、今日は寒いからねぇ、と穏やかな声が聞こえる。

「よし。じゃあ僕行くね。おばちゃん、あとはよろしく」

立ち上がる少年を見上げ礼を言えば、少年はまたね。と笑って手を振る。
あれは将来いい男になるだろう、と小さな背を見送っていれば、肩にふわりと羽織をかけられ意識を戻す。

「あ…すみません…ご迷惑おかけして」
「気にすることはないよ。どうせ雨で客もいなかったんだ。おばさんの話し相手になっておくれ」

からからと笑う様は先代のようで、無意識に頬が緩む。
そうしてお食べ、と言って出された団子をありがたく口に含み、しょうがを溶かした飴湯を口に含めば体の奥からじんわりとした暖かさが広がり、ほっと吐息を零す。

「それにしても珍しいね。この時期に参拝かい?」
「ええ。宿屋の女将さんから一度は行ってごらんなさい、って進められて…」

説明するサクラにそう、と頷くと、ここは何を祀ってるか知ってるかい?と問われ首を振る。

「ここはね、学問の神様が祀られてるっていう話だけどね、本当は縁結びの神様なのよ」
「え…そうなんですか?」
「まぁ学問も縁結びも、ご縁を結ぶって意味じゃあ同じなんだけどね。今じゃ学問が有名だけど、古くから知ってる人間からしてみりゃここは縁結びの場所さ」

説明する女将の声に頷きながら団子を咀嚼し、飴湯を飲みつつ先を促す。

「各言う私もね、旦那と知り合ったのは此処なんだよ」
「あ、そうなんですか?」

店の主人である旦那さんは今はもう亡くなってしまったそうだが、話によると二人はたまたま旅行で来ていたこの土地で出会い、結婚したという。
ロマンチックな話ですね、と微笑めば、そうかい?と女将は嬉しそうに笑う。

「縁結びとしては此処が一番だろうよ。皆言わないけどね、此処で参拝して恋が叶ったカップルは多いのよ」
「へぇ…」

いいなぁ。
思わず口にしそうになるが、飴湯を含み腹の中へと押し込める。
だが女将はけろりとした口調であんたもだろう。と話しかけてきて思わず詰まる。

「…な、んで、」
「あんたの顔見てたら分かるさ。苦しい恋に悩んでる顔だ。だから女将が此処を進めてきたんだろう」

どうしてこの土地に住まう人たちはこうも鋭いのか。年の功とは恐ろしい。
口を噤んでいれば、ぽんぽんと背を優しく叩かれ肩を抱かれる。

「辛いかい?」
「…少し」
「そお」

肩に回される手は皺だらけで、長い間しっかりと働いてきた者の手をしている。
その背に擦られあやされているうちに、ほろほろとサクラの頬に雫が伝い出し、慌てて顔を覆い隠す。

「隠さなくてもいいよ。ココには私とあんたしかいないんだから、全部我慢してたこと言っちゃいなさい」
「でも…」

唇を噛みしめ、必死に涙を抑え込もうとするサクラの手をゆっくりと外させると、女将はいいんだよ。と言ってふっくらとした頬を広げて笑う。
あたたかいその笑顔に、耐え切れずサクラは両の目から涙を溢れさせ、わあああと声を上げて泣きだす。

「わ、わたしっ…!あの人に、あいたくても、あえなくて…」
「うん」
「みぶんも、ちがくて…とおくって、」
「そお…つらいねぇ」

涙だけでなく、嗚咽まで漏れてきて上手く言葉が紡げない。
それでも喉の奥で殺してきた言葉が、抑えきれないとばかりに次から次へと震える唇から零れ落ちていく。

「すきっていえなくて、いってもらえなくて、でもだいすきで、」
「うん、うん」
「あいたくて…ずっと、くるしくて、だれにも…いえなくて…さびしくて…!」
「そおねぇ」
「こころなんて、なければよかったのに、って」
「思ったんだ?」

気付けば女将の腕の中、まろやかな胸に顔を押し付けながら必死に言葉を紡ぐ。
溢れる想いは止められず、絶えず心が苦しいと叫ぶ。

「あのひとのそばにいたいの、ずっと、いっしょに、」

愛したい。愛されたい。
あの人の腕のなかで、あの翡翠の瞳の中で。
見つめ合って抱き合って、時には背中を合わせながら、二人で、一緒に。


震える体を労わるように撫でられ抱きしめられ、柔らかな腕の中に溢れる涙が消えていく。
初めて吐露した思いは、重ねてきた分だけ重く辛い。
受け止める店の女将は辛かったねぇ、と優しく背を叩くと、あんたはいい子だね。と子供のように縮こまる体を抱きしめる。

「その人のことを思ってあんた、ずーっと自分の気持ち黙ってたんだ」
「うん…」
「偉いねぇ、いい子だねぇ。よく頑張ったね」

いい子いい子と、何度も幼子のように頭を撫でられ髪を梳かれ、甘えるように女将の体に手を回す。

「大丈夫。これだけ頑張ったんだ。神様は見てくれてる」
「うん…」

あたたかな腕の中、ほろりほろりと零れる涙は後を絶たず白い頬を走っていく。
溢れる叫びは血潮を噴き、傷つく心が血の涙を流す。
それでも尚求めて止まない男のことを思い泣き続ければ、いつしかすっかり雨は止んでいた。


「すみません…こんなに泣いちゃって…」
「謝ることはないよ」

その後サクラは暫く泣き続け、涙が引いた頃には目が真っ赤に染まり、瞼も腫れていた。
これでは外を歩けんだろう。と女将に心配され、瞼に氷嚢を乗せ少し休んでいた。

そうしてすっかり腫れも収まり、いつになく自制の利かなかった自分の行動に顔を伏せれば女将は気にすることはないと笑う。

「大丈夫だよお嬢ちゃん。此処まで辿りついたならあんたには神様がついてくれる。自身持ちな」
「はい…本当に、いろいろありがとうございました。お団子美味しかったです。お茶も、もちろん」

笑う女将につられるように頬を緩め、勘定を払うと貸してもらった番傘を手に取り茶屋を出る。
少年の姿は見えなかったが、とにかく礼を込めて参拝はしておこうと手水舎(てみずや)で手を洗い口をゆすぎ、拝殿へと足を進める。

「あ。さっきので小銭使っちゃったな…どうしよう」

鈴を鳴らし賽銭を入れようと財布を開けば、そこにはお札が数枚と銀貨が一枚転がっている。
どうしたものか。と思ったが、少年と茶屋の女将、それから宿屋の女将にも礼を込めてお札を手に取り賽銭箱に入れる。
そうして二礼二拍手し目を閉じる。

縁結びなのだから己と想い人との未来を約束してほしいと願うものだが、どうにもそれを願うのが憚られた。
身分違い、国違いというのが思った以上に心の中で深い溝になっている。
代わりにこの地でまた逢えたら、いや、逢えずともせめて夢の中だけでもいいから姿をみたい。そう願ってから目を開ける。

最後に深く一礼し、拝殿に背を向ける。
雨が止んでも薄暗い中、境内から見下ろす鳥居は想像以上に圧巻で、やはり恐ろしくなってしまう。
けれどサクラはよし。と気合を入れると足を踏み出す。
茶屋の女将が言っていた。参拝客には神様がつくと。ならば大丈夫だと腹を括り朱色の世界を潜り抜ける。

行きはよいよい帰りは怖い。
そんな歌を思い出しながらも番傘を強く握りしめ、振り返ることなく歩んでいれば無事鳥居を抜けることができた。
当たり前のことなのに不思議と安堵し吐息を漏らす。
振り返った先に神社の境内はもう見えず、世界を彩るのは鳥居だけ。

サクラは再び礼を込めて深く一礼し、背を向け宿に向かって歩き出す。
再び轟、と横なぎの風が吹いてはきたが、不思議と寒さは感じなかった。


「おかえりサクラ。参拝はできたかい?」

宿に戻ればタイミングよく先代が迎え入れてくれ、サクラははい。と頷く。

「あんなにすごい鳥居は初めて見ました」
「そうだろうそうだろう。さ、冷えただろう。風呂に入っておいで」

今なら貸切だよ。
そう言われサクラはやった、と笑いながら用意をし風呂への道を辿る。
流石に露店にはいけなかったが、広い浴場に人はおらずゆっくりと湯に浸かる。

「…夢でなら、逢えるよね…」

我愛羅くん。
声にならない声で呟いて、膝を抱えて額をつける。
背中で揺れる湯の優しさが、まるで茶屋の女将の手のようで少しだけ涙がこぼれた。




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