小説
- ナノ -



その日サクラは午後から非番で、日頃疎かになっている掃除や買い出しを済ませ心行くまで書籍を読み漁っていた。
折角の休みなのだから遊びに行けばいいのに。とシズネやいのから呆れられたこともあるが、サクラからしてみれば読書も同じぐらい楽しいものなのだ。

そんなこんなで時間を潰し夜になり、さぁいよいよ寝ようとしたところでコンコンと窓が叩かれる。
こんな時間に誰かしら。と護身用にクナイを忍ばせつつカーテンを開ければ、そこにはサスケが立っており面食らう。

「どうしたのサスケくん、こんな時間に」
「悪いがサクラ、今日泊めてくれないか?」

戦争後、サスケは木の葉には戻らず鷹の仲間を引き連れ各地を転々と旅している。
時折木の葉にも顔を出すが、こうしてサクラ一人に会いに来ることは珍しい。
なのに何故サクラのいるアパートの場所を知っているかというと、以前里に戻ってきた時にサクラがぽろりと漏らしていたことを覚えていたからだった。
存外侮れない男である。

しかし泊めてくれとは如何なものか。
思いはしたが春といえど外は寒い。
理由は後で聞くとしてとにかく今は入れてやるかと、窓を開け促せば、悪いな。と一言告げてサスケが上り込む。

「サスケくん一人ってことは、別に宿を取り忘れたってわけじゃないんでしょ?」
「ああ。ただ香燐が酔っぱらって鬱陶しくなってな。水月に後を任せて逃げてきた」

酔っ払いの相手なんぞごめんだからな。
と説明され、相変わらずだなぁと苦笑いしつつじゃあ寝るだけね。と言えば、サスケは頷く。

「あんまり広い部屋じゃないから、布団敷いちゃうと歩きづらくなっちゃうけど勘弁してね」
「ああ」

サスケに茶を一杯淹れてやると、客用布団を取り出し敷いていく。
サクラ自身は備え付けのベッドで寝るが、1Kの小さな部屋だと図らずもほぼ間隣で寝ることになる。
昔のサクラなら喜びにはしゃぎ、緊張と喜びで頭の中が花畑になったであろうが、今は淡々と布団を敷き、はいどうぞ。とサスケを促す。

「悪いな」
「ううん。あ、私もう寝るから電気消しちゃうけど、いいわよね?」
「ああ」

こうしてサスケ相手に胸を高鳴らせることなく、普通に会話ができる日が来るとはなぁ。
と感慨深い気持ちに浸りつつ空になった湯呑を洗い、ベッドに乗り上げる。

「おやすみ、サスケくん」
「ああ」

ぱちん、と電気を落とせば辺りは暗闇に包まれ、互いの身動きする音だけが部屋に響く。
これが十代の頃、もしくは二十の初めであったなら緊張で寝れなかっただろうが、今ではすっかり気兼ねなく目を閉じる事が出来る。
歳を食った分だけ落ち着いたのか、それとも今は他の男に気があるからか。
とにかく女とは逞しいものだ、とどうでもいいことを考えていれば、サスケに名を呼ばれ一瞬反応が遅れる。

「え?私?呼んだ?」
「お前以外にこの部屋に誰がいるっていうんだ」

至極当然な反応にまぁそうよね。と頷き、なあに?と返す。
けれど返ってきたのは沈黙で、まさか寝たわけではないだろうと思い口下手な彼の言葉をのんびりと待つ。

「…お前」
「うん」
「男でもできたか」

もしここで茶なり酒なりを飲んでいたら確実に吹き出していただろう。
まるで頭をがん、と殴られたような衝撃を受けながらなななな何で、と問いかければ、サスケはいや…と言葉を濁した後、勘。と答えてくる。

「その反応だと図星か?」
「い、いや、そういうわけじゃ…」

というより、付き合っているのかどうかもよく分からない。

本当なら年明け前、あの食事会があった日に聞く気ではいたのだ。
だが結局それどころではなくなり聞きそびれてしまっていた。
この中途半端で妙な関係を早々にはっきりさせた方がいいのだろうが、もし我愛羅に体だけの関係だと言われた時のことを考えるとどうも言葉が詰まり、聞けず仕舞いであった。
なので現状我愛羅との関係は友達以上恋人未満というやつだと認識している。

「違うのか?」

サスケに問われ、ううん、と唸れば、まさか体だけの関係じゃないだろうな。と咎めるような声音が飛んでくる。
まるで父親のようだと思いながら違うわよ。と否定したが内心だけで多分。と続ける。

はっきりしない関係はこういう時になんと言っていいか困るものなのだな。
と他人事のように思っていると、相手は誰だと問われ思わず固まる。

「…どうしてそんなこと聞くのよ」
「お前は人を信じやすいからな。騙されてるんじゃないか確認してやる」

アンタは私の父親か。
本気で零しそうになる言葉をぐっと飲み込み、不器用なサスケの遠回しな気遣いに苦笑いする。

「大丈夫よ。悪い人じゃないわ」
「騙されてるやつは大体そう言うんだよ」
「あら、サスケくん騙されたことあるの?」
「バカ。あるわけないだろ」

否定する声音から顔を顰めている様子が安易に想像でき、思わず笑ってしまう。
すると案の定何を笑ってるんだ。と少々機嫌の悪い声が返ってきて、何でもないわよ。と枕に顔を押し付け笑いを堪えれば、おい。と咎める声と共に床を軽く叩かれる。

「だって、サスケくんの声がすごく嫌そうだったからちょっとおかしくて」
「はあ…バカかお前」

呆れるサスケに軽く謝罪し、でも本当に大丈夫よ。と見えてはいないだろうが微笑みかける。

「私をよく知ってる人だから」
「…ナルトか?」

まさかのチョイスにサクラは違うわよ。と再び笑うが、じゃあサイとかいう奴か。と言われ彼も違うわ。と答える。

「ナルトもサイも私の大切な仲間よ。もちろんサスケくんも」

昔はそこに好きな人、という言葉も付け足したであろうが、今ではナルトやサイと同じく愛すべき仲間の一人だ。
長く抱いた恋心は愛へと昇華し、信愛という形に変わった。

信じて愛すること。
それが今のサスケに対するサクラの思いだ。
それが変わることはこの先ないだろうと考えていると、ぎしりとベッドが軋み、はて。と閉じていた目を開ける。

「サスケくん?」

カーテンの隙間から僅かに漏れる外の光を頼りに、床に敷いた布団を見ればそこには誰もいない。
え。と思ったのも束の間、すぐさま顔の横に手が置かれ慌てて首を巡らせる。

「な、に…どうしたの?」

まるで押し倒すかのような体制に内心動揺しつつも、平常心を忘れぬよう努めて冷静に声をかけてみる。
が、返事はない。

あれ、これヤバくない?
と頭のどこかで緊急警報が鳴り響くが、期待しているのか何なのか。体はぴくりとも動かない。
恋心は愛に変わったというのに、まだ彼を求める心があるのだろうか。
逸る鼓動を抑えるようにぎゅっとシーツを掴めば、ようやくサスケはなぁ、と口を開く。

「お前変わったな」
「え?そ、そう?」

ようやく返された言葉は問いに対する答えではなかったが、妙なことをする気配もないのでどうにか体の緊張を解く。
もしやからかったのが悪かったのだろうか。とサスケを見上げたところで、その顔が異常に近い位置にあり思わずぎゃあと叫ぶ。

「うるせえよ」
「いやだって近い!近い近い!」

これじゃあマジでキスする5秒前だ!
とガイやカカシあたりが反応しそうなフレーズを思い出していれば、サスケの手が頬を滑り首筋まで落ちていく。
思わずこくりと喉を鳴らし動向を伺っていれば、サスケは頬から指を離すと抱き着くように圧し掛かってくる。
内心でひい!と叫びつつもどうしたのかと問うが返事はない。

(ええええ…何この状況…訳わかんないわよ…)

徐々に早くなっていく鼓動にじわりと熱を帯びてくる体。
頬に触れる髪からは嗅ぎ慣れないシャンプーの香りと、彼自身の香りが漂ってくる。

本当に何なのだろうかこの状況。
サスケを抱き返すでもなく押し返すでもなく、じっと布団の中で固まるサクラに何を思ったのか、サスケは布団の上からするりと腕を回してくる。
まるで蛇のようなその動きに肌がぞわりと逆立ち、逃げようと腰を捻るが抱き込まれ叶わない。

「ちょっ…!」

何、と問おうとした唇は何かに塞がれ音にはならず。
掌ではない少しかさついた、けれど熱く柔かい感触にサクラの体が固まる。

キス、されてる。

先程のフレーズが再び思い出されるが、いやいやちょっと違うから。と混乱する頭の中でも突っ込める冷静な部分も残っている。
しかしどうにかしてこの体を引き離さないと、と考えてはみるが、仮にもかつて惚れていた相手。
いくら恋心が昇華されたとはいえ、迫られればどうしても心の底から拒否できず、どうしていいか分からず狼狽える。

(どうしよう…)

一瞬悩むが、我愛羅のことを考えれば拒否しなければと、ちりりと痛む肩に眉根を寄せる。
任務で遊郭にいた時でさえあれほど怒っていたのだ。もしサスケと関係を結んだらどうなるのだろうと思う。
怒るならまだいい。
だが愛想を尽かされたら。考えるだけで、ぞっとする。

もうあの腕に抱かれなくなるのかと思えば怖い。
あの翡翠の瞳からあたたかさが消え、絶対零度の瞳で見下ろされるのが怖い。
むしろ視界にすら入れてもらえなくなるかもしれない。

けれど、もし我愛羅がサクラとの関係を遊びだと思っていて、自分の玩具が他人に奪われたことで怒るだけなのだとしたら、それはそれで辛い。
そうなると自分はもはやどうしていいか分からない。
例えどんな結末が待っていようとも、やはりこの関係はうやむやにしておくんじゃなかった。
後悔しても、もう遅いが。

サスケは一度唇を離すと、べろりと熱く濡れた舌で唇を舐めてくる。
ぎゃあと内心で再び叫び、混乱と焦りで硬直するサクラの唇は真一文字に固く閉ざされる。
だがサスケは舌先を尖らせると無理やり押し入り、唇の内側を舐め歯列をなぞる。
思わずふるりと体を震わせ反射的に唇を開けば、我愛羅とは違う猫のように薄い舌がサクラの口内を繊細に動き回る。

ん、と喉の奥からくぐもった声が漏れれば、サスケの指が髪を梳き、耳の後ろを髪を流しながらくすぐってくる。
ぞくり、と肌が粟立ったところでサクラはぐっ、とサスケの胸板を押し返す。

「…だ、だめっ」
「何故」

粟立った肌の下、ドクドクと心臓は強く脈打つのに流れる血液は冷たく指先が震える。
酸欠とは違う、まるで殴られた後のように頭の中はぐらぐらと揺れ呼吸がままならない。

ただ嫌だと思った。
我愛羅以外の男の舌が、指が、髪を梳き肌を撫でることが、嫌だった。
粟立った肌は心地よさからではなく脳から送られた拒否のサインだった。
色の任務をしている時ならば堪えられたであろうその信号も、完全にプライベートで気を抜いた今の状態では受け入れがたかった。

「こ、ういうことは本当に好きな人としなくちゃ…」
「お前は俺が好きなんだろう?何が悪いんだ?」

意地の悪い質問だ、と唇を噛む。
昔の自分なら肉体に自身がなくても本気で嫌がらなかっただろう。けれど今は違う。受け入れたいと思う男が別にいる。

「だ、だって…友達同士じゃキスしないでしょ?それと同じだよ」
「だが俺とお前は男と女だ。男女の仲に友情は成立しない。昔のお前がそうだっただろう」

確かにそうだけど、と思うが頭が上手く働かず言葉が出てこない。
どうにもできずただ違う、と首を振るが、サスケはまどろっこしいと今度は噛みつくように口付てくる。

どうしてこんなことに、と悲しくなるが、今度は強くサスケの体を引き離し、その隙に抜け出し手近なトイレへと駆け込み鍵を掛ける。

「…サクラ」
「ごめんなさい!でも、ダメ…なの…ごめんなさい…」

ノブを握る手が微かに震える。
ドアの向こうに立っているであろうサスケに何度も謝れば、反対側から小さなため息が聞こえる。

「嫌なら嫌だとちゃんと拒否しろ」
「だ、だって…」
「お前そんなんじゃ他の男にいつ襲われるか分からんぞ」
「そんなこと、」

ない。
と言おうとしたが、いのとテンテンに最近アプローチされまくってるじゃない!と言われた言葉が脳裏を掠める。
意識してみれば確かに言われた通りであった。
言われなければ気づくことがなかっただろうが、思えばいろんなところで声を掛けられることが増えていた。
院内で働く男性だけでなく、患者や、任務で同行した自里の忍だけでなく他里の忍にまで。そして時には潜入先で声を掛けられることもあった。

昔は男が付け入る隙なんてなかったのに。
そう言っていたテンテンの言葉が思い返され、もしや今の自分は男から見たら隙だらけなのだろうかと思う。
だからサスケはそれを知らせるためにこんなことをしたのだろうか、と。

「…ねぇ、サスケくん。もしかして…心配してくれた?」
「…どうでもいい奴相手にこんなことするか」

ぶっきらぼうで遠回しな言い方ではあったが、その言葉で緊張した体がゆっくりと落ち着いていく。
細く長く、安堵の息をつきつつ額をドアに押しあてれば、反対側から悪かったな。と呟く小さな声が聞こえる。

「お前があんまりにも無防備だから、ちゃんと知らせてやろうと思ってな」
「うん…ごめんなさい」
「いい。謝るな」

昔からの変わらない不器用な優しさがただ嬉しい。
謝る代わりにありがとう。と呟けば、ドアの向こうで気配が動く。

「何もしねえから出てこいよ。明日も仕事があるんだろ」
「うん」

本当は、少しだけ怖かったけれど。鍵を外し恐る恐る隙間から顔を出せば、サスケは既に布団に潜り込んでおりほっと息をつく。

「ナルトは知ってんのか」
「ううん。知らないと思うわ」
「そうか…だがアイツもいずれ気付くぞ。ことお前に関しちゃうるせえからな、あのウスラトンカチは」
「そう…かなぁ?」
「また襲われてえのか」
「気を付けます」

ったく、と聞こえる声は呆れているが、心配してくれていることはちゃんと伝わってくる。
それが嬉しくてサスケの名を呼ぶと、何だ。と返事が返ってくる。
十代の頃も里を抜けてからも、そして今も。何だかんだ言って呼べば必ず答えてくれる声に安堵する。

「私、やっぱりサスケくんのことが好きよ。大好き」
「…そうかよ」

恋心ではないけれど。
それでもサスケを心から愛している。

もう寝ろ。と返ってくる声はぶっきらぼうな物言いではあったが、それが彼なりの照れ隠しだということをもう知っている。
それが嬉しくてつい口元に笑みが広がるが、咎められる前におやすみなさい。と呟き目を閉じる。
暫くしておやすみ。と小さく返事が返ってくる。
それが嬉しくて少し頬が緩む。そうしてサクラは穏やかな眠りについたのだった。



第四部【桜】了


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