小説
- ナノ -





それから目が覚めたのは肌寒さを覚えてからだった。
ぼんやりと霞む目を開け瞬きを繰り返せば、照明の付けられていない資料室は暗く周囲のものがよく見えない。

やばい。寝すぎた。
慌てて立ち上がればテーブルの足に膝を打ち付け、角で腰を打ち痛みに悶える。
何やってんだか。と照明をつけ掛け時計を見上げれば、資料室にきてから二時間ほどたっていた。
先に仕事上がっててよかったわ。と心底安堵しつつ手鏡で顔を確認すれば、少しだけ顔色がよくなりどんよりとした顔もすっきりして見える。
睡眠って本当大事よねぇ。などと思いながら手櫛で髪を整え、もう一度資料の返し忘れがないか確認してから資料室を出れば、サクラ。と呼ばれ振り返る。

「師匠」
「何だ、調べものか?」
「あ、いえ。返却に…」

来ただけですから。
と続けようとした言葉は喉の奥で詰まって出てこない。
どうした?と首を傾ける綱手の後ろには、見慣れた仏頂面が立っていた。

「おっ。サクラじゃねえか。久しぶりだな」
「お、お久しぶりです」

見慣れた仏頂面こと我愛羅の後ろにいたカンクロウに声を掛けられ、引きつる喉から何とか声を絞り出し頭を下げる。
そんな少々ぎこちないサクラに綱手は片眉を上げたが、すぐにそうだ。と呟きサクラの肩に手を置く。

「これからナルトが二人を案内するんだが、仕事が一段落したらお前も手伝ってやってくれないか」
「え…えぇ?!私がですか?!」

盛大に驚くサクラに何だ不満か?と綱手は首を傾ける。
いえ、そういうわけでは…と僅かに視線を落とせば、綱手はならいいだろう。と笑う。

「流石にナルトだけだと不安でな。だがお前がいれば安心だ」
「で、でも!私が入ると話し辛いじゃないですか。男の子同士積もる話もあるでしょうし、ナルトと我愛羅くんは友達ですし」

動揺する心を押し隠し綱手に力説すれば、それもそうだが…と綱手は渋い顔をする。
相当ナルトに対する不安が強いらしい。
綱手の気持ちも分からないではなかったが、ここはもうひと押しだと勢いのまま言葉を続ける。

「私を含めての案内ならまた明日にでも出来ますが、お二人は来たばかりですし…気兼ねなく話せる相手の方がいいでしょう」
「ふむ。まぁそれも一理あるな。多少の不安は拭えんがナルトもいい歳だ。そうバカもせんか」

うんうん。と腕を組み頷く綱手に、何とか我愛羅との行動を免れたサクラは内心でほっと息をつく。
別に我愛羅達を案内するのに不満はない。ただ、仕事上がりの野暮ったい姿で我愛羅と歩くのに気が引けたのだ。

(別に意地はってるわけじゃないけど…やっぱり会うならそれ相応の格好してたいし…)

思案する綱手の奥、何を考えているのか分からない仏頂面をちらりと見上げれば、かちりと視線が合い鼓動が跳ねる。

「よし。では今日はお前の言う通りナルトに任せるか。ああ、夜の食事会には来るんだぞ」
「はい。必ず」

にこりと綱手に笑みを返し頷けば、綱手は満足げに頷き後ろの二人を振り返る。

「お前たちのことは再びナルトに任せる…と言いたいところだが、どちらかというとお前たちにナルトの世話を頼むような気分だな」

綱手の言葉にカンクロウが苦笑いし、我愛羅は別に構わん。と返答する。
いつまでたっても変わらぬその物言いの懐かしさに胸がちくりと痛み、僅かに視線を下げる。
そして綱手はではまた夜にな。と二人に告げると、サクラの肩を軽く叩き横を通り抜ける。

「よし。じゃあ俺はナルトでも呼んでくるか。サクラ、また後でな」

ぽん、とカンクロウに綱手同様肩を叩かれ、はいと頷きその背を見送る。
だがそこで気づく。

もしかして今、二人きり?と。

認識した途端、サクラの鼓動が暴れ馬の如く脈打ち全身に熱が帯びてくる。
どうしようどうしよう。と寝ぼけた頭を必死に巡らせていると、案の定後ろからサクラ、と名を呼ばれはい!と背を正す。

「…威勢がいいな」
「いや、その、何かごめん…」
「何故謝る」

後ろから近付く気配はするのだが、足に根が張ったかのように動けずただ俯く。
近づく足音に緊張が膨らみ、心臓のけたたましい音が全身を支配する。
ぴたりと、サクラの真後ろで立ち止まった我愛羅の指がすっとサクラの髪を掬い、撫でる。

思わぬ接触に肩を跳ねさせれば、髪を弄る感覚がダイレクトに伝わり胸の前で握りしめた掌に汗が滲む。
逸る鼓動と浅くなる呼吸に気づかれぬよう息を顰めていれば、少し伸びたな。と我愛羅は呟き髪から手を離す。

「そ、うね。切りに行く暇がなくて…あんまり、綺麗に揃ってないけど」

途切れ途切れに言葉を紡ぎ、振り向かぬまま髪を押さえれば、そうか。と我愛羅の低い声が耳の後ろを掠める。


熱い。


そう思った時には我愛羅の手がサクラの手を取っており、先程出てきたばかりの資料室の中へと押し込まれ、驚く暇もなく壁に縫い付けられ深く口付られる。
突然の行動について行けず目を見開くが、すぐさま潜り込んできた肉厚の舌が唇の内側をなぞり背が震える。
そしてそのまま舌先で歯列をなぞられ、歯茎をくすぐられ、口を開けば舌を絡め取られ強く吸われる。
いつになく貪るような口付と頭の中で響く水音に、頭の中どころか全身を巡る血液まで沸騰しそうになり、思わず目の前の男の服を強く掴む。

「ん、んんっ…が、らくっ…ふっ、ん」

雨の中、境内の下で求めあった時よりも更に激しく力強く、我愛羅はサクラを掻き抱き深く口付る。
本当に食べられているのではないかと錯覚しそうになるほどの荒々しい口付に、自然とサクラの体も熱を帯び視界が潤む。

こんな所で。
止めなければ。
そう思う気持ちはあっても、欲していた男に求められれば心の底から抗うことができない。
気付けば我愛羅の体に肢体を押し付け、甘えるように手を回し、もっともっとと強請るように茜色の髪を掌で掻き乱す。

「ぁ、んっ…ふぁっ、んくっ」

呼吸する暇もないというより、呼吸をすることすら惜しいと思うほどの口付に、ついに腰が砕け崩れ落ちそうになる。
それに気づいた我愛羅の膝が足の間に入り込むと、片腕で腰を支えるように強く抱き上げられ口付が続けられる。

飲み込みきれない唾液が口の端から零れていくが、気にしてなんかいられない。
獣のような呼気を繰り返しながら求めあい、熱を交わし、苦しくなったところでようやく唇を離す。

「はぁ…は、あっ、あっ…」

酸素が足りずぼうっとする頭と、必死に呼吸を繰り返す肺。
全身を流れる血液はぐつぐつと煮立つように沸き上がり、まともに頭が働かない。
くたりと喉を晒す様に頭を横に流せば、獲物に噛みつく獣のように我愛羅の歯が露わになった首筋に立てられ、吸われる。
抱きしめられた体はぐずぐずと溶け、縋りつくように抱き着けば痛いほどに力を込めて抱き返される。

思えば半年までとは行かずとも長い間触れ合っていなかった。
ならば互いに求めあうのは必然だとも思ったが、それでもこれ以上はダメだと必死に暴れ狂う熱を抑えこむ。

これ以上求められればその先を望んでしまう。
力強い腕に抱かれ、愛し愛されたくなってしまう。
ともすれば崩れ落ちそうになる体を必死に奮い立たせ、力の入らぬ指で何とか我愛羅の背を叩き体を離す。

「サクラ…」

見つめてくる瞳は暗闇の中でも爛々と輝いているのが分かる。
暖房もない、しんと静まり返った寒々しい部屋の中で、互いの熱だけが異常な程に燃えている。

ダメだよ、と言いたくても一切喉が動かない。
代わりに動いた腕は先程離したばかりの体を引き寄せ肩口に額を押し付け、懐かしい匂いを胸いっぱいに嗅ぐ。
途端に瞳がじわりと潤み、いかに自分が彼を欲していたかが分かる。
強く抱き返される中、この時間が永遠に続けばいいのにとさえ思う。
だが、廊下から聞こえてきた足音と話し声に、今度は我愛羅から体を離していく。

「ぁ…」

いかないで、
喉から出かかった言葉を何とか飲み込み見上げれば、少し身を屈めた我愛羅がそっと触れるだけの口付を贈ってくる。
すぐに離れたそれについほろりと雫が零れるが、我愛羅はそれを指先だけで払うとまた後で。と耳元で囁き資料室からするりと出て行ってしまった。

「…我愛羅くん…」

嵐のような口付に、力強い抱擁。
懐かしい匂いに、燃える翡翠の瞳。
ずっとずっと、欲していたもの。

「うっ…うぅ…」

気付けばサクラは床に突っ伏し、喉の奥から噛み殺した声の残骸を零しながら震える体を抱きしめる。
中途半端に熱を灯された躰が熱く、彼が欲しいと心が叫ぶ。

「ばか…我愛羅くんのバカぁ…」

欲しくて欲しくてたまらない。
自分の躰にすべてを教え込んだくせに、絶対に手に入れることができないのがいっそ憎い。

はらはらと溢れる雫が真白い頬に幾重もの軌跡を描き、静かに落ちていく。
傍から見ればそれは夜空に走る流れ星のように美しい情景ではあったが、翡翠の瞳は虚ろで何も写してはいない。

(どうしてかな…)

溢れる絶望と、身を焦がす熱情。
欲する心に、戀しという心。

加速するばかりの想いはただ苦しい。
なのに彼を求めてやまないのは何故なのか、それが自分でも分からない。

(どうして、私は…)

止まらぬ雫が泉を作る。
薄暗い室内に光はなく、夜空に瞬く星の光は届かない。

(いっそ心なんてなければ楽だったのに)

自由にならない想いに下らぬことを考えたが、すぐに自嘲し頬を歪める。
流れる雫は未だにやまず、はらはらと溢れては拭われることなく滑り落ちていく。

過ぎる時間だけがサクラの傍に立ち、暗闇だけがその身を抱いていた。




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