小説
- ナノ -







「ねぇ我愛羅くん」

チヨバア様の術で生き返った彼の手は、あの頃と変わらず私のものより大きく厚い。
きゅっ、と握ればその手はあたたかく、皮膚はかたい。
そんな彼の指が、冬になれば冷たくなることを私は知っている。
握りしめればちょっと驚く顔をすることも、私の体温がうつってあたたかくなれば嬉しそうに目を細めることも、私は知っている。
きっと今では、彼を初めて理解してあげることができたナルトよりも、私の方がずっとずっと、彼のことを知っている。

「なんだ」

こちらが投げかけた言葉に返ってくる彼の言葉はとても短い。
それでもないがしろにされていると思わないのは、彼の言葉の一言一句には彼の気持ちがちゃんと乗っているからだろう。
彼の声は無機質なようでいて不思議とあたたかく、時には重い。
それがひどく、心地よかった。

「今日は、月が綺麗ね」

彼のために用意された部屋から彼の頭を抱きしめたまま言葉を落とす。
そうすると彼はもぞもぞと身じろぎした後視線を窓へとうつし、そうだな。と頷いた。

律儀に振り返る彼の、ささいな優しさが愛おしかった。



この子を産もう。
そう決意した。

例え誰に何と言われようとも、一生独身になっても構わない。
周りに失望されても、非難されても。
例え里を追われる身になったとしても、死んでもこの子を守ろうと心に決めた。
けれどこの人だけには知られてはいけない。どんなにささいな情報も彼の耳には入らぬよう気を付けなければならない。
だって彼はきっと責任をとると言うだろう。真面目な人だから。
そう考えたところで彼は私の考えを知ってか知らずか、口を開く。
とてもゆっくりとした、けれどとてもしっかりとした口調で

ここに、俺の子がいるのかと。

そう呟いた。
思わず我が耳を疑う私に気づいたのか、知らないとでも思ったのか?と寄越してくる彼の眼差しは呆れた色。
完全に動きを止めた私に彼は何を思ったか、突然私の足を払うと乱暴に、けれど私より大きな掌で背を支えながらベッドに押し倒す。

「馬鹿か」
「な、何でよっ」

じぃと真上から見下ろされる瞳はどこか冷たい。
それは私が身篭っていることを彼に黙っていたことに対して怒っているからであろう。
彼は優しいだけでなく、とても勤勉で生真面目なのだ。

「お前が今朝方こそりと診察を受けていたと火影から聞いてな」
「師匠から?!」

何で、と呟く私に彼はとある看護婦が私が妊娠検査をしていることに気づき、それを綱手様に報告していたらしい。
忍にあるまじき失態だ。例え自分で検査していたとはいえ他人の気配に気づかないなんて。
それとも意外と動揺していたのだろうか。自分が妊娠したのかもしれないから、と。

「…産むのか?」

問いかけられた言葉は真摯で重い。
まるでこの腹に宿った命の重さのようだと思う。
それでも私は彼の、自分と同じ色を持つ瞳を見返し強く頷いた。当然よ、と。

「そうか…」

そうか、と何度も確かめるように頷いた彼はまるで羽のようにぽすりと私の上にやわく落下し、肩口に顔を埋め抱きしめてくる。
まるで大きな獣に懐かれたようだと目線を少しずらしたが、すぐさま耳元で聞こえた言葉に目を見開く。

「まさか求婚が後になるとは思わなかったな…」
「きゅ、求婚?!」

我愛羅くん私のこと好きだったの?!
と視線を彼にうつして問えば、彼ははあ?と呆れた声を上げた後再び私を見下ろす。

「お前は俺が女であれば誰彼構わず抱く節操なしの男だとでも思っていたのか?」
「誰もそんな悪意に満ちたいい方してないでしょ?!っていうかそうじゃなくて、」

言葉をきった私に我愛羅くんは視線だけで続きを促してくる。
なんだか、妙に気恥ずかしくなってきた。彼の無言の空間も、視線にも慣れたと思っていたのに。

「だ、だって…私我愛羅くんから一度も“好き”って言われたことないし…そ、それに!き、キスだって…されたことないし…」

それで求婚だなんて言われても信じられないわよ。
と半ばやけくそのように呟けば、彼は暫し逡巡するように視線を彷徨わせた後ああ、そういえば。と手を打った。

ちょっと、そういえばって何よ。
と問おうと口を開こうとすれば、彼は私の手を引き、もう片方の手で私の背を支え抱き起す。

「不安にさせたか?」
「い、いや…別に不安とかは…」

なかったけど…
とボソボソと呟くようになってしまったのは許してほしい。
だって思ってもみなかった展開にちょっとついて行けていないのだから。

「そうか…それでも言葉にしないのはよくないと教わっていたのだが…すっかり失念していた。すまない」
「いや別に…」

こちらを見つめる瞳を真正面から見返せないことが果たして今までに一度でもあっただろうか。
きっと初めて彼と繋がった日でさえそんな反応を返した記憶がない。
あれ?私も彼と違わず順序がおかしい。
何故求婚されてからの方が気恥ずかしいのか。こんな貧相な身体を見られても何も思わなかったのに。

「サクラ」

彼の口から紡がれる私の名前が、こんなに甘く響いたことが果たしてあっただろうか。
頬に添えられる彼の指先がこんなに熱を持っていたことがあっただろうか。
そして私を見つめる彼の瞳が、こんなに強く輝いていたことがあっただろうか。
私は、彼を知っていたつもりになっていただけでその実何も知らなかったのかもしれない。
それとも、知ろうとしなかったのかは、今ではもう分からない。
けれど、彼の子を産もうと決心出来たあたりきっと私は彼にもう惹かれていたのだと思う。


「好きだ。お前を一人の女として、愛している」

だから、俺と共に生きてほしい。
告げられた言葉は暫く頭の中を反響し、そしてそれを理解するまでとても時間がかかった。
常になく固まる私に、それでも彼は視線を逸らすことも、返事を急かすことも無く根気強く待っていてくれた。

そう、彼はとても優しくて、そのうえ勤勉で、生真面目なのだ。
きっと、私が知る誰よりも。


「こ…こちらこそ、よろしくお願いします…」

自分でも何故彼に惹かれたのか分からない。
それでも、目の前で彼の瞳が柔らかく細められ、こそりと視線を上げた先に穏やかな表情をした彼がいたことが
私にとってまぎれもない現実で、そしてとても幸せなことだと実感したのだった。

私はその時初めて、醜い感情も、持て余す劣等感も感じぬまま彼の体を抱き寄せた。
耳元で紡がれる私の名前が、初めて意味のあるものに感じられた。彼と出逢えてよかったと、心からそう思えた。
与えているつもりだった愛情は、いつしか何倍にもなって私に返ってきた。
そうしてお腹の中の子供に姿を変えて、私の元へとかえってきたのだ。


私は泣いた。
今までのことを思い出して、どうしようもないくらい涙が溢れてきて止められなかった。
抱きしめ返してくれる彼の腕の中はとてもあたたかくて優しくて、私はずっとこの腕に助けられてきたのだと思うと愛しくて愛しくて仕方なかった。

嬉しくて泣いた。
悲しくて泣いた。

二人が私の前からいなくなって、何度も何度も苦しいと、寂しいと泣いた。
迷子になった時みたいに心細くて、怖くて泣いた。
いつまでも少女のようでいたかったと泣いた。
いつまでも誰かに愛され庇護され、三人で笑いながら、時に喧嘩をしながら、それでも笑っていたかった。
ぼろぼろで傷だらけの指先は、昔と違って整えられることはなく、髪も肌も女らしさも、気づけば自ら切り捨ててきた。
それでも心の中ではいつまでも女の子でいたかったと泣いていた。
くノ一として、綱手様の弟子として、医療忍者として、弱い心に蓋をしていつも気丈に振舞った。
日に日に心が廃れて死に逝く様を、私はじっと傍で眺めていた。
いつしか涙は枯れ果てて、私の心には無しかなかった。

それなのに、今ではこんなに涙が溢れてくる。
悲しみでも苦しみでもなく、心の奥底から湧き出くるあたたかくて優しい何かに、ただ涙が溢れて止まらなかった。

もしそれがおなかの中の子供が私にくれたものだとしたら、私は彼と分かち合いたいと思った。


彼は無言で私の体を抱きすくめ、何度も頭を撫で髪を梳いてくれた。
その指先から、伝わるぬくもりから、私に向かって泣いてもいいと、大丈夫だからと言ってくれているようで嬉しくて仕方なかった。


我愛羅くん

私の声が音になったのかはわからない。
それでも彼が私の名前を呼び返してくれたことが、とても嬉しくて、とても幸せだと思った。

これから先、私たちに待ち構えている問題は想像以上に多いだろう。
それでも彼と一緒ならば乗り越えていけると確信できるのだ。

何故なら彼はいつだって、どんな時だって、私の傍にい続けてくれたのだから。





マリーゴールドは回帰する。愛と祝福を胸に抱き、また新しく生まれかわるために。



end

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