小説
- ナノ -






それから二日後、サクラたちは店の後処理を終えると遊郭を発った。
聞き出した情報もすべて暗部に伝え、簡潔に纏めた報告書を伝書鳩に持たせ綱手の元へと飛ばしている。
だから少々のんびり帰ってもよかったのだが、今回一番の労働者であるサクラが早く里に戻りたい、と言うので三人は必要最低限の休憩しか挟まず里への帰路を辿っていた。

「ところでサクラ、アンタ本当にその傷治療しなくていいの?」
「大丈夫。掌はともかく肩は痛みもないし、どうせかさぶたができて終わりよ」

心配するいのに軽く笑い、たん、と軽やかに枝を蹴り風を切る。

「そういえばあの遊郭に風影がいたよね。二人は知ってた?」

まるで世間話をするかのようなサイの発言に、内心ドキリと心臓が跳ねるが何食わぬ顔で知ってたわよ。と返す。

サクラは誰にも我愛羅との関係を明かしていない。勿論いのにも黙っていた。

だからいのとサイの驚いたわよねー、なんて呑気に交わされる会話には首を突っ込まない。
ただでさえ我愛羅との関係は複雑なのに、今回の任務で遊女として働き、隣の座敷で別の男に足を広げていただなんて知られたくはない。
益々秘密が増えた身からしてみれば極力我愛羅の話題は避けたいところであった。

それに遊郭で別れた翌日、我愛羅は再び店に顔をだし様子見という名の見舞いに来た。
相手がサクラだと気付いていないとはいえ、我愛羅のその女を落としにかかっているかのような行動は、喜べばいいのか嫉妬すればいいのか少々悩む。
悩んだところで答えなど出はしないのだが。



サクラと我愛羅の関係は中途半端だ。
体の関係はあるが、明確な好意を伝えあっていない。
好きか嫌いかと聞かれれば当然好きなのだが、我愛羅にとってこの関係は単なる仲間の延長線なのか、一介の男女としての関係なのか、曖昧で判断しかねる。

好意は持たれているだろうが、それがどういうものなのかが分からないから不安になるのだ。
サクラからしてみれば視線が合えば求めたくなるし、触れ合えば満たされた気持ちになる。
抱きしめられれば落ち着くし、口付ればもっと欲しいと思ってしまう。

(変な話、我愛羅くんの腕に抱きしめられると凄く安心するのよね)

だがそれが怖い。
二人の間に横たわる溝は深く大きい。例え心と体の関係が近くなっても、里、国、そして身分の違いが二人の間に大きな溝を作っている。
例え同盟国だからと言ってそう易々と公に付き合える間柄ではない。

何せ我愛羅は風影で、対するサクラは名家の息女でもないただのくノ一だ。
例え現火影の愛弟子で医療忍者として名を馳せても、それでもお家柄は至って普通の特徴のない家系だ。
そんなサクラと我愛羅が釣り合うなどと里の上役は思わないだろうし、我愛羅もそのうちいい縁談が来て名家の娘と結婚するに違いない。
自分とは違う、細くしとやかで品のある女と。

「サクラ?」

いのに呼ばれる声でハッと我に返る。
いつの間にか足は止まっており、いのとサイが随分遠くで怪訝な顔をしてサクラを見ている。

「どうしたのサクラ、気分悪いの?」
「少し休もうか?まだ里まで距離はあるし」

サクラに近づき気遣う二人に、大丈夫。と笑いかけ休憩は後でいいわ。と両手で顔を叩く。

「さ、行きましょ!」
「無理してんじゃないでしょうね?」
「急いで帰る理由でもあるの?」

二人は気遣いながらも少し様子の可笑しいサクラに探りを入れてみるが、サクラは何でもないわよ!と明るく返し再び地を蹴り枝を蹴る。

考えても仕方のないことだ。我愛羅の気持ちは我愛羅にしか分からないし、この先どうなるかなんて誰にも分からない。
例え我愛羅がサクラとの関係は体だけのものだと思っていたとしても、我愛羅に対し抱いている感情が変わるものでもない。
辛くとも苦しくとも、それが恋だとサクラは知っている。

「…ねぇいの」
「何?」
「報告が終わったら甘栗甘行かない?」
「あ、いいわねー。久々に行こうかしら。サイくんはどう?」
「んー、僕は遠慮しておくよ。あまり甘いもの得意じゃないし」

三人で適度に会話を挟みつつ夜営を繰り返し、特に問題なく里に戻ってきたのは遊郭を発って四日目の夕方であった。

「んー!やっと着いたぁ」
「この大門を見ると帰ってきた気になるわね」
「とりあえず先に報告に行こうか」

顔見知りの門番に挨拶をし、数日ぶりに里内を歩いていると前方から大きく手を振りながら誰かが駆け寄ってくる。

「サクラちゃーん!!おっかえりー!」
「ナルト!」

元気よく手を振っていたのはナルトで、その後ろからはやわらかく笑んだカカシがのんびりと歩いてきている。
ああ、帰ってきたんだなぁ。と頬を緩め手を振り返せば、満面の笑みを浮かべたナルトがサクラの前に立つ。

「おかえりサクラちゃん」
「うん。ただいま」

今回別々の任務についていたナルトの笑みを見上げれば、不思議と心にあたたかなものが込み上げてくる。
本当、なんなのかしらねぇ。とサクラが呆れたように笑えばナルトは更に嬉しそうに笑みを深めニヒヒと笑う。

「やーやー。三人ともお疲れさん」
「カカシ先生もお疲れ様です」
「ほーんとナルトってばサクラしか目に入らないんだから。ていうかアンタも任務帰り?」
「お前らのこともちゃんと見えてるっての。んで、任務からは今戻ってきたばっか。これからカカシ先生と報告に行こうとしてたんだよ」
「じゃあついでだから一緒に行こうよ。僕たちも今戻ってきたばかりだし」

カカシとナルトを加え、五人で火影邸へ向かいながら愚痴を零しあう。
主にそれはカカシからナルトの忍らしからぬ行動についての諫言であったが。

「全く、こいつのドタバタはいつになったら落ち着くのかねぇ」
「アンタももうちょっと考えなさいよ。子供じゃないんだから」
「ぐっ、だ、だってさあ、体が勝手に動いちまうんだよ!」
「はいはい。言い訳しないのナルト」

十代の頃と変わらぬ軽口を叩きあいながらも、辿り着いた火影邸ではそれぞれきっちりと任務報告を始める。

「…という状況ですね。まぁ奴らの動向は今のところ落ち着いてます」
「私たちも先に報告した通りです」
「そうか、分かった。サクラたちの方は先に報告書が届いていたからな。大方のことは理解している。後は暗部に任せよう」

ご苦労だったな。とねぎらう綱手の視線がサクラに移り、ケガはもういいのか。と聞かれはい。と頷く。

「傷も塞ぎましたし、毒物の反応もありませんでした」
「そうか。今回の件についてはこちらの調査不足だった。すまなかったな」

謝罪する綱手に首を振り、一つ勉強になったと笑えば綱手はそうかと笑む。
そして皆ご苦労だったな。と解散を告げる綱手の言葉に従い火影邸を後にする。

帰ってきたのが夕方であったせいか、報告を終えるとすっかり辺りは暗くなり星が瞬いている。
今日はもう甘味屋に行くより食事をしようといのに提案され頷けば、だったら俺も!と挙手するナルトにじゃあみんなで飯行くかぁ。というカカシの提案により揃って定食屋に入る。
料理が運ばれる間適当に話をしていれば、そのうち徐々に昔の話になりあの時はああだった、この時はどうだったと昔話に花が咲く。
そんな中、ふといのがそういえば、とナルトへと視線を向ける。

「私たち任務で我愛羅くんと会ったわよ」
「マジ?!え、どこで?」

案の定食いついたナルトに、いのは潜入先の遊郭でね。と答える。
遊郭?!とナルトが驚く隣で、カカシはへぇ、我愛羅くんが…などと目を細めている。
何やらしいこと考えているのかしら。とサクラがジト目でカカシを睨めば、その視線に気づいたカカシはいやいや、と首を横に降り誤魔化す。

「え?遊郭って…え?!アイツそんなとこ行くの?!」
「仕事よ、このバカナルト!我愛羅くんがそんなとこ遊びで行くわけないじゃない」

ナルトの好奇心半分、興奮半分で鼻息荒く身を乗り出すのをバッサリと切り捨てれば、おや、とカカシが目を見張り、サイがあれ、と首を傾け、何そんなにムキになってんのよ。といのが瞬く。
唯一ナルトだけがそうだよなぁ、我愛羅はそんなとこ行くような奴じゃねえよなぁ、などと呟きながら頷く。
内心強く否定しすぎたかと焦るが、ここで誤魔化しても余計怪しいだけだ。
サクラはうっすらとかさぶたが覆う、刺された方の己の手の甲を皆に見せるようにぷらぷらと振り誤解しないでよ。と顔を顰める。

「一応私のこと助けて心配してくれた人だから、悪く言われるのは嫌なのよ」
「ああ、そうよね。あの時ちょっと格好よかったわよね我愛羅くん」

サクラのこと横抱きにしてさ、女を運ぶから道を開けろ!って!
と声を高くし興奮するいのに、道を開けろとは彼言ってないんだけどね。と内心で突っ込んでいれば、ナルトがえ?!と再び声を荒げる。

「サクラちゃんのこと抱きしめたのアイツ?!」
「バカ、違うわよ。横抱きよ横抱き。お姫様だっこ!」

お姫様抱っこ。
いのの言葉に思わずサクラの顔が赤くなるが、酒を煽ることでそれを誤魔化す。
ナルトは羨ましいだの俺もそこにいればどうだのと文句を垂れているが、それに対して突っ込む気力はない。
何せあの後我愛羅の手を思い出して自慰をしてしまったのだから、サクラからしてみれば何とも恥ずかしい記憶なのだ。

こういう日は飲むに限る。
酒を追加しようとメニューを開けば、サイにまだ飲むの?と止められる。

「流石に今日はそれくらいにしたら?帰ってきたばかりだしお酒まわりやすいと思うよ」
「大丈夫よ。このくらいで酔うほどやわな鍛え方してないわ」
「そう…まぁ我愛羅くんもよく飲んでたしね」

サイの口から出た名前に思わず体が硬直し横目でその表情を伺う。
が、サイはいつもと変わらぬ表情でメニュー表を眺めている。

「…なんでそこで我愛羅くんの名前が出るのよ」
「え?だって僕人手が足りなくて座敷によくお膳を運んだから覚えてるんだよ。彼すごい酒豪だよ。日本酒を水みたいに飲んでたからね」

我愛羅の飲みっぷりを思い出し、確かにあれは酒の飲み方じゃないとは思う。
それにしても我愛羅は膳を運ぶ男がサイだとは気付かなかったのだろうか。と首を傾けるが、そういえばサイも変装していたか。と思い出し納得する。

「そんなに飲んでたの?」
「うん。彼一人で一升瓶二本は開けたんじゃないかな」
「…とんだハイペースね」

呆れるサクラにサイもすごかったよ。と笑っている。
どうやらサクラと我愛羅の間柄を疑ったわけではないようだと判断し、僅かに張っていた背の緊張を解く。

「つかさー、我愛羅って、そーいうことに興味あんのかなぁ」

途端に聞こえてきたナルトの発言に、思わず飲んでいた水を吹き出しそうになり慌てて口を離す。
何バカ言ってんの、と椅子の影で拳を握れば、いのがアンタ何言ってんの。と呆れた声をだす。
そうだいの、たまには私の代わりに突っ込んでくれ。と思ったのも虚しく、いのは大真面目にあるにきまってるじゃない。などとのたまいサクラの肩がずるりと下がる。

「性欲は誰にもあるんだから彼にもあるわよ。澄ました顔してるけど、風影なんだから相手には困らないんじゃない?」
「いやー、でも我愛羅くん一途そうだし。心に決めた人以外に手を出すような子には見えないけどなぁ」
「でもいないですよね?だったらそれこそ仕事の付き合いで遊郭に行った時に発散するんじゃないかな。彼結構モテてたし」
「えー。でも俺ってば女の子といちゃついてる我愛羅とか想像できねえってばよ」

各自言いたい放題言っている中、サクラだけが内心でむしろ彼はめっちゃ獣です。と叫ぶ。
一途かどうかはともかく、確かに我愛羅は優しいし、浴衣も贈ってくれたし、買い物にもつきあってくれたし、部屋もいい部屋でくつろげたし、お金ももっている。
それに我愛羅の激しい求め方も、口付が上手いことも、愛撫の心地よさも、はだけた浴衣から漂う色気も、しなやかな筋肉も、獣のような熱く濡れた瞳も、よく知っている。
公にいちゃつくことはしなかったが、彼と布団に入る時は互いに体を抱き合い眠ったし、気付けば腕枕もされていた。
朝夕と一緒に風呂に入り、濡れた肌にぺたりと落ちた髪、浴槽で眠って汗だくになって寝ぼける姿も見ている。

加えて我愛羅の掌の大きさや熱さだけじゃなく、その肌の硬さや心地よさ、滅多にかかない汗が頬を滑り首筋を辿り落ちていく様を、浮いた腹筋の溝を辿ればくすぐったさに体を震わせることを知っている。
他にも下腹の男の欲望にだって触ったし、口に含んで舐めたし口付けたから味も知っているし、終いには飲んだりもしてるのは自分だけだろう。

そんな卑しいことを思い出していればサクラの顔は徐々に熟れたリンゴのように赤くなっていき、思わず冷たい水の入ったグラスを頬に押し当てほうと息をつく。

「今度我愛羅に会ったら聞いてみっか、ってサクラちゃん?!顔真っ赤だってばよ?!」
「え?」

ナルトの声に記憶の波から現実に意識を戻せば、七つの瞳がじっとサクラを見つめている。
しまった。と固まれば、サイがだから言ったのに。と苦笑いする。

「飲みすぎたんじゃないサクラ。本当すごい赤いわよ。茹蛸みたい。これじゃデコリーンじゃなくて茹蛸ちゃんね」
「う、ううううるさいわねイノブタ!たまたまよ」

でも確かにこれ以上飲むのは危ないだろう。とは思う。
もし酔っぱらって我愛羅とのことを口にするのは流石に憚られた。
尚も心配するナルトに大丈夫だと言い張り、それじゃあ今日はもうお開きにしよう。というカカシの言葉で全員席を立つ。

「サクラちゃん、本当に送って行かなくても大丈夫なんだよな?」
「もぉー、しつこい!大丈夫だって言ってんでしょ!」

何度も何度も確認するナルトに呆れつつ言葉を返せば、カカシはまぁサクラなら大丈夫でしょ。と言ってナルトの首根っこを掴む。

「じゃあ今日はもうお開きってことで。みんなまっすぐ寄り道せずに帰るんだぞー」
「もうカカシ先生ったら。私たちもう子供じゃないのよ」

相変わらずのカカシにサクラは呆れたように腰に手を当てるが、すぐに皆に手を振り各々帰路を辿る。
サクラは二十を過ぎてから親元を離れ、小さなアパートで一人暮らしをしていた。
親元にいれば楽なのは分かっていたが、心身ともに自立するために一人で暮らすことを選んだのだ。
そうして久方ぶりに戻ったアパートの床には薄く埃が積もっており、まずは掃除ね。と溜息を零しながら窓を開け換気をする。

「…皆本当に何にも知らないのよね」

はためくカーテンを開き、夜風に髪を遊ばせながらモップを手に取り床の上を掃除する。

カカシやいの、サイはともかくナルトでさえ知らなかったことをサクラは知っている。
普段は涼しげな仏頂面をした我愛羅がどんな風に笑うのかも、もしかしたら知らないのだろう。

翡翠の奥に潜む本能の色も、浴衣から覗く首筋から鎖骨にかけてのスマートなラインも、獣のように舌なめずりする様も、きっと誰も知らない。

「…バカ。何思い出してんのよ」

冷たい夜風が火照った頬を撫でていく。
くすぶる熱は未だ胸の内に残りサクラの体を刺激する。

ああ、いけない。
そう思いつつも窓を閉じ部屋を暗くすると、再び己の体に手を這わす。
逸る鼓動に汗ばむ躰。いけないと思いつつも止まらぬ指にただ喘ぐ。

自身を慰める愛撫は、すっかり上手くなっていた。



第三部【菖蒲】了

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