小説
- ナノ -






絢爛豪華な街並みに、豪奢な鈴が街全体に鳴り響く。
奏でる音に交ざって聞こえる声は華やかで、夜の街を彩る提灯は色彩豊かに辺りを照らす。
格子から伸びる女の手は白く、早く早くと嘯き男を誘う。
二階の部屋からは歌が聞こえ太鼓が鳴り、中には既に秘め事を始める音もする。
ここは色街、花の遊郭。
街のすべてが金で買える、現にあるのに夢を魅せる場所。



「菖蒲、お客さんきはったよ。相手しい」
「はい」

菖蒲と名を呼ばれた黒髪の美しい女が腰を上げれば、飾った頭の簪がしゃらりと軽やかな音を立て揺れる。
うっすらと化粧を施した頬はまろやかな曲線を描き、たおやかで大人しげな印象を与えるのに香を焚きしめた着物は朱く華々しい。
そしてその隣に座す金糸の髪を飾り立てた女と視線を交わせば、揚羽。と女将の声が耳に届く。

「お前さんも一緒にお行き」
「はい」

揚羽と呼ばれ腰をあげたのは菖蒲の隣に座していた女で、涼しげな顔は格好を崩せば愛らしく、そのくせ開いた襟元から覗く鎖骨がすっと目を引くほど色っぽかった。

「お座敷は桔梗だよ。早くしな」
「はい」

二人の女は並んで部屋を出ると、付き人の禿(かむろ)を後ろに従わせしずしずと廊下を進みだす。

「来た?」
「みたいね」
「思ったより早くひっかかってくれて助かったわ」
「薬を使ったとはいえ、やっぱり男って単純よね」

小声でやり取りをしながら、女二人は桔梗の間へ辿り着くと一声かけて襖を開く。

「おお!来たか来たか。早う入ってこい」

ニタニタと脂ぎった顔に厭らしい笑みを浮かべる男に女は笑むと、先生ぇ遅いわぁ。と猫なで声で甘えて見せる。
そうしてひたりと男にしなだれかかる黒髪の女を、一体誰が木の葉隠のくノ一、春野サクラだと分かるだろう。
そしてその反対に座し先生うちも会いたかったわぁ。と男の手を握った女が同じく木の葉の山中いのだと気付く者はいない。
二人はこの遊郭で、色の任務についていた。




「今度の任務は私とサクラ、それからサイくんのスリーマンセルよ」

サクラがあの逢瀬を終えた数か月後、木枯らしが吹きすさぶ中いのは二人の前に書類を広げた。

「任務内容は岩隠の里と砂隠の里の間にある遊郭で遊女としてターゲットに近づき、抜け忍についての情報を得ること」
「また随分と遠いところね。で?ターゲットはどんな男で抜け忍は?」
「抜け忍はうちの里の出よ。しかも複数名雇っていて中忍から上忍の手練ればかりね。中には戦死したと報告されてる人もいるらしいわ」
「ふぅーん…なるほど。そうして里の情報を仕入れては多額で売りつけてるってわけね」
「困ったおっさんだね」

そんな困ったおっさんから情報を得るために、いのとサクラは遊女として廓に身を置き、唯一の男人員であるサイは監視とサポートを兼ね掛廻(かけまわり)として廓に忍び込むことになった。

「相手の好みは黒髪か金髪、幼い感じの子が好みらしいんだけど、新米には少し荷が重いだろうっていうことで私とサクラに回ってきたのよ」
「なるほどね。確かになんかヤバそうだし」
「でもロリコン相手だと難しくないかな。二人とも二十過ぎなんだし…」
「サイ。ちょっと歯ぁくいしばりなさい」

そんな掛け合いをしながらも三人は着々と任務の段取りを決めていく。

「まずは私とサクラが遊女として廓に潜入。後にサイくんが掛廻として廓に入り、私たちを護衛兼監視する」
「その後ターゲットと接触した後、一度目は顔合わせ、二度目に宴会、三度目で閨に入り情報を聞き出す、ね」

基本的に廓で初めから閨に入ることはない。
勿論そういう見世もあるが、そういうところは大体格安の見世なので、今回サクラたちが潜入する見世ではありえないことだった。

「で、僕が膳を受け取った時に自白剤を酒に混入させておけばいいんだね」
「言っておくけどあまり強力なものだと意識が混濁する可能性があるから、即効性のものは入れられないわよ」
「分かってる。酒を飲ませつつ徐々に引きだせればいいわ。私とサクラにかかればなんてことのない任務よ。あ、もちろんサイくんもね!」

にっこりとサイに向かって笑みを向けるいのに、サクラははいはい。と流して顎に手を当てる。

「できれば声も変えたいわね。喉に少し負担がかかるけど少し声音を変えることのできる薬があるから、それも使いましょう」
「それもそうね。出来るだけ幼い感じの方がこのターゲットも好きみたいだし。化粧もさっと乗せるだけの方がよさそうね」
「もしダメだったとしてもまた作戦を練り直せばいいしね」
「サイ、喧嘩売ってる?」

サイの言葉に思わずサクラが拳を握るが、サイは何のことだか分からない。というように首を傾ける。

「それじゃあまるであたしといのじゃターゲットを釣れないみたいじゃない!」
「ああ。大丈夫だよ。どんなに頭が良くても酒が入れば誰だってサクラに興奮するよ」
「サイ…歯ぁくいしばれ!!」

ついにサクラに一発いれられたサイであったが、その後無事に里を出ることができた。
そしてサクラといのも潜入先である遊郭に無事新米の遊女として紛れ込むことに成功し、事情を知っている女将から与えられた名前が菖蒲と揚羽であった。

「先生ぇ、今日は朝までおってくれる?」
「先生ぇ、今日はうちと一緒にいようよぉ」

サクラといのを両端に座らせ、自白剤入りの酒を仰ぐ男は上機嫌にどうしようかのう。などとだらしない顔を二人に晒す。

「菖蒲も揚羽もワシの好みドストライクだから迷うのぉ」
「あぁん、先生意地悪ぅ」

いのがひたりと男の腹に手を回し抱きつけば、男はげはげはと品のない笑いを零す。
大名崩れとは言えここまで品がないとは、と二人が内心で呆れていると、再び襖が開き新たに数名の遊女が入ってくる。

「先生、わっちらとも遊んでおくんなし」
「女はぎょうさんおったほうが楽しいでしょぉ先生」

サクラといのの周りに数名の遊女が侍り、男は益々機嫌よさげにおうおう、皆来い!と声を立てて笑い、再び酒を煽ぐ。
品がないうえに節操もないときた。本当にしょうのない。と呆れていると、禿がサクラを手招きする。

「菖蒲姐さん、お隣の藤の間にてお客様がお待ちです」
「え…でも…」

サクラといのが任務でこの廓にいること、そしてターゲットの男がこの座敷にいる男であることは女将に伝えてある。
少し狼狽えたが、禿に上客様ですので…と言われればさすがに頷かないわけにはいかない。
いのに目配せすれば、気付いたいのが一つ頷き再び男に話しかける。

「このお座敷の隣に行けばいいのね?」
「はい。お膳はもう運んでおります」
「分かったわ」

着崩れた着物を正し、少し歩いた先にある座敷の前に立つ。
中では芸も終わっているらしく、幾人かの男の声と遊女の鈴を転がしたような声が襖越しに聞こえる。
ならば宴会は始まっているかと判断し、失礼します。と挨拶をし頭を垂れる。
視線を上げさっと中を見渡せば身なりのいい男が数名既に出来上がっており、茹蛸のように顔を赤くしながら遊女に酒を注がれている。
特に問題なさそうだと視線を戻す最中、目を引く茜色にハッと目を開く。

「ほら菖蒲。あんたはあちらの先生にお酒ついで」
「あ、はいっ」

思わず立ち尽くすサクラに、他の遊女がこそりと耳元で囁きその背を押す。
その力に促されるまま指された男の方へと歩み寄り、長く垂れる裾を気にしながら男の斜め前に座すとサクラは頭を垂れた。

「…菖蒲と、申します」
「ああ」

三つ指を突き礼をするサクラの前で無表情に酒を煽いでいたのは、風影である我愛羅であった。
どうして彼がこんな所に、と僅かに動揺したがボロが出れば任務に支障が出る。
サクラは自身の動揺を抑え、徳利を手に持つと傾けられた我愛羅の猪口に酒を注いでいく。

「先生はよくこの店に来るんでありんす?」
「いや。俺は初めてだ」

廓言葉を使うのは得意ではなかったが、仕事は仕事だ。それに我愛羅に己だとバレても困る。
決して売られてきたわけではないとはいえ、遊郭で男の相手をしている姿など見られたくはなかった。

そんなサクラの心情など知る由もない我愛羅は、注がれた酒を舐めるように嗜んでから、傍で機嫌よく笑う男に視線を投げ仕事だからな。とサクラの問いに間接的に答える。
なるほど、そういうことか。と妙に力の入っていた肩がすとんと落ちたところで、我愛羅に向かって相槌を打ちやんわりと微笑む。
それはどちらかと言えば安堵からきた笑みではあったが、我愛羅はその顔をまじまじと見つめた後、何かに気づいたように慌てて目を反らす。

「すまん。不躾だったな」
「うふふ、そねえなことはありんせんよ。初心なんでありんすねぇ、先生は」

遊郭には色のいろはを学びに行くことが多かった我愛羅は遊びや宴会には不慣れなようで、サクラが少し笑えば居心地悪そうに身じろぎする。
滅多に見ることのない我愛羅の仕草に微笑ましさを覚えつつ、促されるままに猪口に酒を注ぎ静かに上下する喉仏を眺める。
気付けば徳利の中の酒は半分ほどに減っていたが、我愛羅は水を飲むかのように杯を傾け続ける。
なのに表情はいつもと変わらず涼しげで、彼だけ別の飲み物を口にしているかのようだった。

ザルというよりかは蟒蛇(うわばみ)か。
冷静に分析しつつも適当に交わされる会話に乗じて笑ったり、相槌を返し会話を繋げていけば徳利の中身は減り、ついには空になってしまった。

「あら。もうお酒がきれてしまいんしたね。先生はお強いんでありんすねぇ」

感嘆交じりの吐息を零しつつ徳利を軽く左右に振れば、我愛羅はそうでもない。と首を横に振り周りを顎でしゃくる。

「単にあそこまで弱くないだけだ」

ケロリと言ってのけるが、明らかに我愛羅は酒豪だ。そこまで度数が高くないとはいえ顔色一つ変えていない。
その上本人はいたって正常に会話を続けるのだから、その変わらぬマイペースぶりが何だか懐かしい。

「先生はおもしろいお方でありんすねぇ」
「…遊郭ではよく言われる」

思わず笑いながらからかえば、我愛羅は腑に落ちぬと顔を顰める。だが再び酒を注いでやれば、特に気にした様子もなくそれを煽ぐ。
交わされる言葉は多くはなかったが、それでもどこか心持穏やかに会話を楽しんでいればふと我愛羅の視線が泳ぐ回数が多くなってきた事に気づく。
おや、と僅かに逸らされた顔を覗き込むようにして前のめりになれば、我愛羅は困ったように視線を動かし体を反らした。

「先生、もしかして酔いんした?」
「いや、違う」

酒豪と言えど酒がまわれば血色はよくなる。
いつもより染まった目尻に思わず手を伸ばしかけるが、徳利を握りこむことで気持ちを抑える。
心配する様子が伝わったのか、我愛羅は暫く視線を所在なさげに蠢かせた後、蚊の鳴くような声で何事か呟くが周りの音が大きすぎて聞こえない。
なあに?と首を傾け聞き返せば、腹を括ったのか我愛羅は反らしていた体を元の位置に戻すと先程より大きな声で告げる。

「お前が…アイツに似ているから困る」

そう言ったきり我愛羅は黙ってしまい、サクラは我愛羅の顔をここぞとばかりにまじまじと見つめ、もしかして。と首を傾ける。

「アイツって…先生のいい人?」

問えば我愛羅の肩に僅かに力が入るが、ああ。という返事と共に張った肩が下ろされる。
もしそれが自分であったならどれだけ幸せだろうか。
そう思いつつ近づけていた体を離し微笑めば、我愛羅の口から安堵のような吐息が漏らされる。
顔に似合わず緊張していたのか、それとも目の前の遊女に自身の記憶の中にいる誰かを重ねてやましい気持ちになったのか。
一端の遊女を演じなければいけないサクラは笑むことしかできない。

「そう言われると嬉しいわ。にしても先生のいい人とうち、どの辺が似ているんでありんす?」

少し意地悪であろうか。と思わないではなかったが、腹の底からむくむくと湧き上がる好奇心に勝てずにサクラは問う。
こんな機会はそうないのだから、巡った好機は大事にするべきだ。
だが我愛羅は問いに対しすぐ口を開くことはなく、視線を彷徨わせては口元に手をやり考える素振りをする。
照れているのか言いたくないのかは分からない。それでも根気強く待っていると、再び菖蒲。とどこからか名前を呼ばれる。
それに無意識に返事をすれば、一人の遊女が襖に向かってすいと視線を流した。

「呼んでるわよ」
「あ…」

遊女の目の動きを辿った先には禿が一人頭を下げており、この座敷から引き上げなければならないことを悟る。
まったくこんな時に。と思わないではなかったが、仕事は仕事だ。
サクラは黙りこくっている我愛羅へと視線を戻し、先生、と呼びかけ我愛羅の意識をこちらに戻す。

「あの…」
「次の座敷か?」
「はい」

遊女が座敷を行き来するのは普通で、当然そのことを知っている我愛羅は特に気にした様子もなくそうかと頷くと、行ってやれ。という。

「それでは、失礼しんす」
「ああ」

入ってきた時同様深く一礼し、禿と共に座敷を出てから着物を正す。

「先程のお客様が桔梗でお待ちです。姐さんを気に入られたそうで…」
「そう。揚羽たちは?」
「他の姐さん達は別のお座敷に。お客様は奥の閨で姐さんをお待ちです」
「…わかったわ」

どちらかが閨に入ることは任務なので当然だが、それでも我愛羅がいる時に、しかも隣の座敷で、欲しい男とは別の男に足を開かねばならない。
つくづく運のない話だと深く嘆息した。



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