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水野本丸に顕現したばかりの頃の和泉守と水野のお話です。×ではなく+って感じ。
それでもよろしければお付き合いくださいませ。m(_ _)m



 ◇ ◇ ◇


 初めて主を見た時、女が刀を扱えんのかよ。とその丸っこい体と綺麗な手を見て思ったことを、時折思い出す。

「兼さん、いる?」
「おう。どうした、国広」

 自室で己自身である刀身を眺めていると、ヒョイと顔を出した国広から声をかけられる。だからそれに応えれば、国広は両手に洗濯籠を持ったまま「主さんが探しているよ」と告げてくる。

「今さっき広間を覗いてたから、近くにいるんじゃないかな」
「おう。すぐ行く」

 引き抜いた刀身を鞘へと戻し、立ち上がる。部屋を出てすぐに網膜を焼くような日差しが目に入り、あまりの眩しさに一瞬目を細めた。
 そういえば、オレが顕現した日もよく晴れていた。



 ◇ ◇ ◇



 オレがこの本丸で顕現した場所は、鍛刀場の一画だった。
 舞い上がる花弁と、そこから見える御簾をした一人の女。その奥に立っていたのはどこか田舎臭い男で、こちらを見ると一瞬「おや」とでも言わんばかりの表情を見せた。

「オレは和泉守兼定。かっこ良くて強い! 最近流行りの刀だぜ」

 まるで決められていた文句を自動的に再生するかのように唇が勝手に動き、声を出していた。刀が肉声を得て喋るってどういうことだよ。そう思わなくもなかったが、政府からの説明は予め受けている身だ。疑問はあったが違和感はなかった。
 だから機械的に動いた唇に合わせて目の前に立つ、小柄で丸っこい雛鳥のような“主”を見下ろせば、その人間はこちらを見上げた後力強く声を発した。

「縦に短く横にデカい。器の大きさはお猪口級、腹周りの太さは横綱級。態度のデカさは富士山以上。どうも、審神者の水野です」

 いや。何だその名乗り。
 思わず突っ込みそうになったが、後ろの刀が途端にゲラゲラと笑いだしたことで喉の奥に引っ込んでしまった。

「相変わらずおんしはそれ言いゆうがか」
「いやー、これが一番分かりやすいかな、と思って」
「けんど、おまさんは言うほど横綱じゃないぜよ。本物はもっと太いきに」
「うん、まあ、実際そこまでいったら本気でやばいかな。とは思ってる」

 目の前でポンポンと交わされる気心の知れた応酬を聞いていると、改めて『審神者の水野』と名乗った今世での主がこちらを見上げてきた。

「初めまして。和泉守兼定さん。この度は我が本丸に顕現してくださり、ありがとうございます」

 ふざけた名乗りではあったものの、こちらを敬う気持ちはあるらしい。丁寧にあいさつを始めたので頷けば、後ろに立っていた刀にスッと視線を移した。

「こちらが我が本丸の初期刀、陸奥守吉行です」
「陸奥守……? テメエ、維新の?」

 一瞬元の主のことで気が立ちそうになったが、すぐに田舎侍から「今はこいとの刀じゃ」と返され「それもそうか」と柄に伸びそうになった手を袖の下に隠す。
 審神者はそれに気付かなかったのだろう。それでもひりついた空気が和らいだことは察せたらしい。ホッと息を吐き出すとこの本丸について説明を始めた。

「まだこの本丸は駆け出しです。他所の本丸に比べて刀も少ないですし、戦績もよくありません」

 いい所ではなく悪い所から説明するところに潔さを感じはしたが、商談などには向かねえ正直すぎる人だな。と思った。同時に、下手すりゃ変なツボとか絵とか買わされそうだな。とも。

「本丸での生活に困ったことがあれば何でも聞いてください。勿論、私に聞き辛ければ初期刀である陸奥守や、今日は出陣していますけど、あなたと縁の深い『堀川国広』もいますから」
「おっ。国広がいるのか?」

 オレにとって国広は相棒だ。あいつがいるならわざわざこの『初期刀』とやらに頼らなくてもいい。幾ら今世では主が同じとは言え、元の主を忘れたわけじゃねえ。むしろオレにとってあの人は忘れられない、忘れちゃいけない人だ。
 確かに『歴史修正主義者』って野郎共のやることは気に食わねえが、維新の刀とおてて繋いで仲良しこよし、なんざやる必要もねえと思っていた。だけどいざ国広が出陣から戻ってくると、意外なほどに国広はここでうまく暮らしているようだった。

「陸奥守さん、手入れ部屋空きました」
「おお、ほうか。ほいたら五虎退呼んでくるぜよ」

 出陣から帰還した国広は中傷を負っていた。こちらを見た途端「兼さん」と笑いかけてきたが、その体には沢山の切り傷がつき、血が流れていた。
 そうして肩を貸し合いながら帰還して来た刀たちに息を飲んだオレの横を、ちっこくて丸い主が勢いよく駆け抜けた。

「重傷者から手入れ部屋へ! むっちゃん! ヘルプ!」
「任せちょけ!」
「堀川、歩ける?」
「はい。それよりも、鳴狐さんを先に」
「ほいたらわしが運ぶぜよ」
「分かった。よろしくね。薬研さん! 応急手当をお願いします!」
「もう準備は出来てるぜ!」

 広間に灯された灯りとは別に、薬研藤四郎が居座る『医務室』に短刀たちが運ばれる。その日の重傷者は鳴狐と平野藤四郎だった。国広は重傷一歩手前の中傷で、隊長を務めていた小夜左文字と、もう一振りの短刀、五虎退は軽傷だった。

「小夜くん! 悪いけど応急手当終わったら報告書作っててくれる?!」
「はい。分かりました」
「五虎退も、痛いと思うけど少しの間待っててね」
「は、はいっ! 僕は大丈夫です」
「主君! 資材の準備整いました!」
「ありがとう、秋田! 助かる!」

 まだ三振りしか手入れ部屋に入ることが出来なかったため、重傷者と中傷者である鳴狐、平野、国広が先に手入れ部屋へと運ばれる。慌ただしくざわつく本丸で、顕現したばかりのオレは何も出来ず突っ立っていることしか出来なかった。
 それから数時間後。無事手入れが終わった国広がじっと縁側に座って待っていたオレの元にやってきた。

「兼さん」
「おう。もう大丈夫なのかよ」
「うん。この通り。全部元通りだよ」

 安心させるような柔らかい笑みを浮かべた国広に「そうか」と返してから静まり返った本丸の中で欠けた月を見上げる。

「……なぁ、国広」
「何? 兼さん」
「ここの主ってのは、どんな人間なんだ?」

 本丸やら出陣や内番とやらについて話す時は、こちらに敬意を払っていることが肌で分かるほど物腰の低い女だと思った。いや、ある意味そこが『女らしい』とでも言うのだろうか。戦に関わらない女が出来る、数少ない仕事の一つだと考えていたのだ。
 だが出陣部隊が戻って来た時、あの丸っこい主は悲鳴を上げるどころか率先して走り出し、鳴狐と平野の安否を確認するかのように血塗れになった頬に手を伸ばしていた。
 女は、血に強い生き物だ。だが同時に、傷には弱い。あの手の傷を見れば大概は悲鳴を上げて逃げ出すか、腰を抜かして泣き出す。刀傷なんて見るものじゃない。そう、考えていた。
 だが国広は「強い人だよ」と柔らかい声と口調のまま今世の“主”について語りだした。

「確かに主さんは女性だし、武術の心得はないよ。でも、心が強い」
「心が……?」
「うん。兼さんは今日顕現したばかりだからまだ分からないと思うけど、主さんは、強くて優しい、格好いい主さんなんだよ」

 強くて優しい? どこかオレの名乗りに似た紹介に眉を顰めるが、国広に撤回する気はないらしい。ただ笑顔を返される。だから、よく見てみようと思った。今世の主のことを。そして『自分はこの人のものだ』と言い切った『初期刀』のことも。


 ◇ ◇ ◇


 顕現してから数日はこの体と意識を慣らすために内番を宛がわれた。おかげで審神者の姿を見ることは叶わなかったが、初期刀の働きは合間に観察することが出来た。

「陸奥守さん」
「おう。どういた」

 呼ばれたらすぐに振り返る。呼ばれなくても誰かが困っていたらすぐに歩み寄る。短刀たちと話す時は袴が汚れることも気にせず地面に片膝をつき、視線を合わせて話をする。
 うんざりするような馬小屋の掃除や手入れも笑いながらこなし、畑に出れば鼻歌交じりに鍬を振る。照り付ける太陽に流れる汗がうざったくて文句を零せば、すかさず「ほれ。帽子じゃ」と言って麦わら帽子を被せてきやがった。だから即座に「うぜえ!」と脱いだのだが、あいつは怒るどころか「いらちやのう」と軽く受け流すだけだった。

 ――気に食わねえ。
 そう思わなかったわけではない。それでも顕現したばかりのオレでは喧嘩にすらならない。それは、アイツと対面した時にすぐに気付いた。

 オレは弱い。
 柔らかい人の身を得たからではなく、またこの体の動かし方に慣れていないからでもない。もっと別の部分で弱いのだと、漠然とした焦りのようなものを感じながら日々を過ごしていた。

 そんな時ようやく演練に行くことになった。
 まだ顕現したばかりで日が浅い奴らを連れて会場に来た主は、オレたちに少し待つよう告げてから『受付センター』とやらに歩いて行った。

「一回説明されたけどよ。マジでこの施設の仕組み訳分かんねえよな」
「そうだね。でも、おかげで自分の振るい方がよく分かるよ。勉強にもなるから僕としては楽しいかな」

 まだ負けることの方が多いけどね。と付け足す国広は、それでも言葉通り楽しみなのだろう。どこかワクワクとしていた。そんな国広から視線を外し、審神者と共に受付センターへと向かった初期刀の背中をじっと見つめる。

「気になるんでしょ。アイツのこと」
「加州……」

 オレが来る少し前に顕現したという加州清光も今回の演練に参加していた。どうやら主は『新選組』に縁のある刀で編成を組んだように思える。だが何故そこに対立していた刀を入れ込んだのか。正直『バカなのか?』と首を傾けそうになった。

「ま、確かに維新の刀だし、最初は『何でコイツが初期刀なんだよ』って思ったよ。初期刀なら俺も選べたのにさ。けど、主はアイツのことを信じてる。それにアイツも、言うほどイヤな刀じゃないよ」
「……そうかよ」

 加州にここまで言わせる何かがあの二人にあるのだろう。いや、でもコイツは元から“主”という存在に弱い。だからその言葉を深く受け取らなかった。

「お待たせしました。私たちの試合は二十分後、第二会場で行われます。まずは移動しましょう」

 第二会場。と呼ばれる演習場は受付センターから少し歩いたところにあるらしく、天井にぶら下がる標識からもそれが見て取れた。

「いや〜、しかし今日も多いな。初めて来た時も驚いたものだが、こんなにも人と刀がひしめき合っていると迷いそうだ」

 どこか弾んだような声で話しかけながら辺りを見回していたのは、唯一の太刀である鶴丸国永、という爺さんだった。この『驚き』とやらにやたらと執着している真っ白な刀に、先頭を歩いていた審神者が朗らかな声で返事をする。

「迷子にならないでくださいよ? そういう『驚き』は困るので」
「おっと。先手を打たれてしまった」
「当然です。さ、つきました。和泉守さんは初めてですから、まずはどのように試合が行われるかよくご覧になってください」

 審神者に話しかけられ、素直に頷き返す。
 すぐさま始まった試合はオレの知らない刀たちで編成されており、その中には槍や薙刀、大太刀といった長物もいた。

「やっぱり大太刀は打撃力半端ないなぁ〜」
「ほにほに。狙われたら終いぜよ」
「特にうちはまだ駆け出しだからね。その分勉強させてもらわないと」
「おん。まっことその通りちゃ」

 他にも試合を見ていた刀や審神者はいたが、この二人ほど真剣な眼差しで見ている奴はいなかった。おそらく慣れているからだろう。あるいは、興味がないか。そんな中この二人は――身長も性別も何もかもが違う二人の目は、例え御簾で見えていなくとも、どこか似ている気がした。

「兼さん。行こう」
「ああ」

 そうして回って来たオレたちの試合。歩き出そうとしたオレに、審神者が声をかけてきた。

「和泉守さん」
「あ? なんだ?」
「あなたの生き抜いた時間を、私に見せてください」
「――生き抜いた、時間?」

 意味が分からなかった。それでも時間が迫っていたため一先ず頷き返し、仮想世界と呼ばれる試合会場の大地に立つ。仮想と呼ぶ割に足の裏で感じる土の感触も、巻き上がる砂塵の鬱陶しさも、まるで本物の戦場に立っているようだった。

「行くぜよ」

 初期刀の声が鼓膜を揺らす。恐れることなく前を見つめるその瞳には、相手の顔が映っていた。
 対戦相手はこちらより遥かに練度が高い相手で、試合と呼ぶのも烏滸がましいほどの惨敗を期した。特にオレなんか一発で刀装が剥がされた。演練での初陣は、それはもう酷いものだった。

「おかえり」
「いんやー、負けた負けた。強かったがよ」
「でも格好よかったよ」
「おお、ほうか。ありがとう」

 負けたのに審神者は何も言わなかった。だからこの女は戦に負けても何とも思わねえ、そういう闘志のない女なんだと思った。だが――

「新選組の刀の中に『陸奥守吉行』を組み込むとか、刀の事何も知らないんですか?」

 突然対戦相手の審神者が声をかけて来たのだ。相手は主より年若い女で、御簾はつけていなかった。勝気な瞳が印象的な、どこか高飛車な女だった。

「それに、練度も低いじゃないですか。幾ら演練だからってもう少しレベル上げしてから来て貰わないと。こっちが一方的にボコったみたいで気分が悪いです」
「あ?」

 なんだコイツ。知り合い、もしくは好敵手ならいざ知らず、どう見ても初対面だ。しかもこっちの審神者の方が年上――つまり目上だ。それなのに何て口を利くのかと一歩前に踏み出しかけたが、即座に国広に止められた。

「おい、国ひ」
「大丈夫だよ、兼さん。主さんを信じて」

 そう口にした国広は、オレではなく審神者の背中を見ていた。小さくて丸っこい、生まれて間もない雛鳥のような背中を。

「――お話は、以上ですか?」
「は?」

 審神者の声は、落ち着いていた。凪いだ湖面のようなその声は、相手の女の神経を刺激したらしい。好戦的な視線が飛んでくる。

「アタシの話聞いてた? レベル上げてから来い、って言ったの。それに、維新の刀と新選組を一緒にするとか信じられない。刀のこと考えてないでしょ」

 クルクルと長い髪の毛を指に絡めながら、苛立ったような口調で詰め寄って来る。だがこちらの審神者は「それで?」と静かに返す。

「維新だから。新選組だから。それを気にして編成しなければ戦えないような鈍らを、私は連れて来た覚えはありません」

 ――ガツン、と後頭部を殴られた気がした。
 それは相手も同じなのだろう。白い頬を赤く染めると、勢いよく主に掴みかかる。

「せっかくアドバイスしてあげたのに! なによその言い方!」
「そうですか。ですが、私はあなたのアドバイスを必要としていません。“私の刀”のことは、私が決めます。あなたのところの幕末刀がどんな関係であろうと、うちには関係のないことです。お引き取りを」
「――ッ! 失礼な奴! あんたの刀も折れちゃえばいいのよ!!」

 その一言で『ああ、単なる八つ当たりか』と悟った。一体誰が折れたのかは知らないが、とんでもなく幼稚な女だということだけは分かった。
 ズカズカと品のない足取りで去って行く女の後を、あちらの刀たちが付いて歩く。その背を暫く見送った後、主は「はあー」とため息を零した。

「むっちゃん、アレ聞いてどう思った?」
「ん? 若い子やったき、我慢出来ざったんやろうにゃあ」
「だよねー。気持ちはわかるけどさ、もっと信じればいいのに」
「信じるって、何をだ?」

 思わず口を挟んだ俺に、審神者は振り返ってこう言った。

「あなたたちのことです。今を生きる私たちより長く人の生を見て来たあなたたちが、子供のように駄々をこねるとは思っていません。勿論、元の主の遺恨はあるでしょう。ですがそれを大義名分だと勘違いして力を振るうほど、あなたたちは愚かじゃない」

 御簾でその顔は見えないはずなのに、まっすぐと向けられていることが分かる瞳から、目を逸らすことが出来なかった。

「あなたたちは誇り高い刀です。己の品格を落とすような発言や行動をするとは思えません。だから、もっと信じてあげればいいのになぁ、って思いました」

 ――強くて優しい。
 今更ながらに思い出された国広の言葉に、思わず斜め後ろにいた仲間――国広と加州を振り返れば、二人は同時に笑みを浮かべて頷いた。

「そうそう! 俺だってさー、元の主のことは大好きだけど、今の主も大好きだし! 今の主を困らせるようなこと、するわけないよね」
「はい。今みたいに相手から喧嘩を売られるならまだしも、陸奥守さんはそんなことしませんから」
「しょー怖いちゃあ〜。本丸では私闘禁止でよかったがよ」
「あははは! 私闘なんかしたら私がゲンコツ食らわすからね」
「こりゃめった! 主が一番怖かったぜよ」
「はははっ! 全くだな!」

 あっという間に輪の中心になり、刀たちに笑みを運んでくる――。さっきの審神者の八つ当たりもサラリと受け流し、そのうえでオレたちに敬意を払い、信を置いていることを示してくる。
 オレたちの過去を知りながらも、今のオレたちを信じてくれている。それは無防備な背中に相応しい甘ったるい信頼で――けれど不思議なことに、イヤではなかった。

「……なあ。あんたら」
「ん?」

 そんな時だった。オレたちの後ろから声をかけてきたのは、つい先程喧嘩を売って来た演練相手の一振り――あちらの『和泉守兼定』だった。

「さっきは……悪かったな」
「え?」

 何であっちのオレが代わりに謝りに来たのか。分からず困惑するオレの横を、再び審神者が通り過ぎていく。

「大丈夫ですよ。気にしていませんから」

 耳朶を打つ甘い声は、どこまでも優しい響きで囁かれた。それがどこか面白くなくてムッとすれば、あちらのオレは情けないことにその一言に顔を歪めて俯いた。

 一発殴ってやろうか。
 情けない自分の顔など見たくなくて拳を握るが、それよりも前に審神者の手が動き――その白く、柔らかそうな手があちらのオレの頬に触れた。

「大丈夫ですよ。だから、俯かないで」

 自分に言われたわけじゃない。分かっている。それなのにどこか甘く、閉ざした心の扉にそっと触れてくるような優しい声は、じん、と慣れない指先を震わせた。

「あんたは、イヤな気持ちにならなかったのか? あんなこと言われて」
「全く、と言ったら嘘になりますけど。でも、理由があったんでしょう? あなたが――『和泉守兼定』が俯いてしまうほどの理由が」

 その一言にハッとすれば、あちらのオレも驚いたのだろう。青い瞳を丸く見開いたかと思うと、悔やむように眉間に皺を寄せた。そして絞り出すような声で後悔と懺悔を紡ぎ始める。

「――オレのせいで折れたんだ。陸奥守と、国広が」

 今日の面子にも入っている二人の名前。チラリと目を向ければ、陸奥守も国広も、黙ってもう一人のオレを見つめていた。

「主は、陸奥守を信用していた。だからあいつを隊長に任命して、オレたちを桶狭間へと出陣させたんだ」

 だがお守りを持たせることを忘れていた審神者がそれに気付かぬまま進軍させ、既に刀装が剥がれていた国広があちらのオレを庇い、折れた。

「ここで帰還命令を出してくれたらよかったんだけどよ。主は……もう少し資材が欲しい、って欲出してよ。進軍させた先で今度は陸奥守が集中砲火喰らってな。結局、オレしか残らなかった」

 たった三振りで進軍させたうえ、お守りまで渡し忘れるとかバカかよ。心底間抜けな相手審神者に呆れたが、過去は変えられない。オレたちが戦場として赴く何百年も前のことだけでなく、たった一秒前のことさえも、変えられない。それが当たり前のことだ。

「テメエが欲出したくせによ、オレのせいで二人は折れたんだ、ってキレられちまってさ。理不尽だろ? けど、あんなのでもオレたちの主だ。それに、国広が折れたのはオレのせいでもある。だから甘んじて叱責を受け入れたさ」

 だが問題は折れた陸奥守があちらの『初期刀』だったことだと言う。己のミスで右腕を失ったというのに、審神者はその責任をすべてあちらのオレに押し付けた。そのうえで情緒不安定になり、次第に八つ当たりするようになったそうだ。

「くだらねえだろ。自分から用がある時以外無視するのは当たり前。手入れだって、重傷にならなきゃ基本的に疲労も全部無視して放置か進軍だ。命令に逆らえねえのをいいことに、時には手も上げてきやがる。この『お綺麗な顔がムカつく』って言ってな」

 美に敏感なのは男よりも女だろう。うちの主はちょっとその辺どうかと思わなくもないが、オレと自分の差にキレられても困るってものだ。相手を踏み台にするより自分を磨けばいいのに、あの女審神者はオレの顔に傷をつけることでしか安堵出来ないらしい。

「だからよ、あんたの言葉が余計に胸に響いてな。せめてオレだけでも謝罪しねえと、オレのせいで折れちまったあいつらに顔向けできねえな。と思ったんだ」

 疲れちまったんだろうなぁ。見た目は綺麗に見えても心が濁った色をしていやがる。
 審神者も審神者だがオレもオレだ。元の主の名前に恥じぬよう生きりゃあいいのに、すっかり萎えちまって。呆れると同時に怒りも湧いてくるが、オレが口を出すよりも早くアイツは身を引くように主から視線を逸らした。

「悪かったな、こんな話しちまって。それじゃあ――」

 言うだけ言って帰ろうとしたのだろう。顔を上げたもう一人のオレの頬を、あろうことかオレの主はそっと撫でた。

「――あなたは、強くて格好いい、素敵な刀ですよ」

 主の一言に、オレたちの目が同時に丸くなる。

「だから、俯かないで」

 そして『もう何も聞かなくていい』とでも言うように、主の手があちらのオレの耳を塞ぐように、国広と同じ耳飾りを嵌めていた耳に触れた。

「ねえ、和泉守さん」
「……なんだ?」
「私は、あなたという刀を初めて見た時、すぐに『新選組の刀だ』と思ったんです」

 それはこの背を彩る『誠』の羽織のおかげだろう。そう思った。だが主は全く違うところでそれを感じていた。

「綺麗な目だなぁ、って思ったんです。堀川と同じ、誇り高い空の色」
「え?」

 ここでうちの国広も小さく声を上げる。オレも一瞬声が出そうになったが、寸でのところで我慢した。だがうちの主には聞こえなかったらしい。そのままあちらの『和泉守兼定』を見つめたまま話を続ける。

「あなたの背負う『誠』の羽織の色と似ているけれど、少し違う……。だけど、あなたの目を見た時こう思ったんです。『ああ、この刀は誇り高い刀だ』って。『上を向いて歩ける刀だ』って、そう思ったんです」

 何も言えなかった。言葉が出なかった。自信満々で己という刀を自慢したというのに、この人はこの肉の器を通し、オレの『生き様』を見ていたのだ。

「あなたの瞳は、空の色。誰の手も届かない、高い場所にある美しい色です。そして、あなたが尊敬してやまない、前の主が背負った色です。だから、上を向いてください。俯かないで、前を向いて。胸を張って。その背中の文字に込められた意味を、その意思を背負える力が、あなたにはあるのだから」

 主はそう言うとそっとあちらのオレの頬に触れていた手を離し、いつの間にか背伸びをしていたらしい。その足も下ろした。

「耳障りな言葉は、もう聞かなくていいです。例え今の主が何を言おうとも、あなたは己の『誠』を成し遂げてください。――だから、大丈夫。堀川も陸奥守も、あなたの背中を押してくれるはずだから」

 ――維新だとか新選組だとか、そんなことを気にするような鈍らじゃない。
 主が口にした言葉が脳裏を過る。無意識に振り返った先にいた我が本丸の『初期刀』は、そんなオレの視線に気付いて白い歯を見せて笑った。それは「元の主の遺恨」を微塵も感じさせない、顕現した日に見上げた空の色を思い出させる晴れやかな笑みだった。

「……ああ……。そうだ……。そうだな。あんたの言う通りだ」

 身も心も削られ憔悴しきっていたはずの『和泉守兼定』は、うちの主の言葉を噛み締めるようにギュッと唇を噛むと、どこか泣きそうな――それでいてどこか吹っ切れたような笑みをその顔いっぱいに浮かべた。

「あんた、いい女だな」
「ははっ! こりゃめった! 和泉守さんに褒められちゃった」

 オレたちの元主は相当なモテ男だった。そんな男の刀が褒めたことを茶化すように朗らかな声で笑った主に、あちらのオレも屈託のない笑みを返す。

「ありがとよ。謝罪に来たのに、慰められちまったな」
「いいんですよ。だって、あなたたちは私たちを守るために力を貸してくださっているんですから。嬉しいことは二倍に、悲しみは半分こに。そういう風に一緒に生きられたらいいな、って、思うんです」

 ――ああ、本当にいい女だ。うちの主は。そして、強くて優しい。国広が言った通りの、格好いい主だ。

 日差しが差し込んでいるわけでもないのにどこか眩しい。相変わらずその背は小さくて丸っこいままなのに、もう生まれたばかりの雛鳥のようには見えなかった。

「――生きてください。それから、負けないでください。くじけそうになっても上を向いて。あなたの大切な相棒と同じ瞳の色が、そこにはあるから」

 演練会場に広がる仮想の空ではなく。本丸で見たあの青空でもなく。オレの目には、かつての主と共に歩み、見上げた空の色が、確かに映っていた。

「あ。でも次は負けませんからね!」
「ああ。またあんたと会える日を楽しみにしてる」

 来た時は死にそうな顔色だったくせに、今は童のように笑っている。そんなもう一人のオレが片手を上げて去って行くのを、オレたちは黙って見送った。

「いんやー、わしの主はまっことえい女じゃ」
「うえーい! どうしたむっちゃん! 流石に照れるぞ!」
「いやいや、本当にそう思う。やっぱ俺たちの主って最高だよね」
「え。何々? 加州さんまでどうしたの?」
「きみはすごいなぁ。いやはや、男なら稀代のモテ男だぞ」
「何なの鶴丸さん! 私これでも女なのですが! 性別否定されて審神者ビックリですよ?!」

 わちゃわちゃと刀に揉まれる姿を見ていると、とても頼り甲斐のある姿には見えない。だけど、さっきので分かった。分かっちまった。この人は、今世の“主”は、心の底から『和泉守兼定』という刀を信じているのだと。

「……国広ぉ」
「なぁに? 兼さん」
「負けたわ」
「ははっ」

 朗らかに笑う国広に、オレも釣られたように笑いだす。
 ――負けだ負けだ。今世の主は女かよ、と侮っていた数日前の自分を殴りに行きたい。

 ホンット、いい女で、最高の“主”だ。

「言ったでしょ? 主さんは強くて優しい、格好いい主だって」
「全くだ。勝てる気がしねえ」
「ふふふ。本当、惚れ惚れしちゃいますよ」

 元の主よりもずっと素直で、まっすぐで……。どうしようもなく目が離せない。『誠』の言葉で刀を口説き落としてしまう。そんな主に勝てる方法があるなら誰か教えてくれ、ってんだ。

「主!」
「ふぁい!!」
「オレは、あっちのオレと違って俯いたりしねえからな!」

 開いていた僅かな距離を、たったの数歩しか開いていなかったその距離を、埋めるように一歩前に踏み出す。途端に背中の羽織がふわりと風を食んで膨らんだ。そうしてそのまま真っすぐと、御簾の向こうにある主の見えないはずなのに何故か透けて見える瞳を見つめれば、素顔を知らないはずの女が嬉しそうに笑みを浮かべた。

「はい! 頼りにしています!」

 ――あなたは誇り高い刀だから。
 オレ自身に向かって言われた言葉ではないが、いつかオレ自身にも言ってもらえるような――いや。それ以上の言葉を言わせる刀になってやる。そのためならば今は敗北だろが何だろうが受け入れてやる。馬小屋の掃除でも畑仕事でも、何でもやってやるよ。

 いつか、この人が迷わずオレを頼れるように。

「よろしく頼むぜ。“主”」

 グシャリ。と初めて主に向かって伸ばした手で小さな頭を撫でれば、柔らかい黒髪がするりと指の間を通り抜けていった。



 ◇ ◇ ◇



 懐かしい日のことを思い出しながら歩いていると、広間の先にちんまりとした主の姿を見つける。

「主!」
「あ。和泉守! よかった〜。探してたんだ」

 本人は隠しているつもりなのだろう。だがどこまでもまっすぐで、常にド直球で勝負してくるこの主は顔を隠したところでその表情が手に取るように分かってしまう。今もオレを見つけて嬉しそうな顔をしたことが声だけで分かり、自然と頬が緩んだ。

「おう。何の用だ?」
「うん。あのね、一つ聞きたいことがあるんだけど――」

 臆することなく真向かいに立ち、逸らされることのない瞳と言葉にいつしか刀身だけでなく心まで奪われてしまった。それなのにこのちっこい主は自分の仕出かした事のデカさを理解せず、無邪気に笑ってこちらの心を引っかき回す。
 その度に刀共は頭を抱えたり溜息を吐き出しているのだが、オレからしてみればそれさえどこか面白く、おかしい日常だった。

「ああ、それならオレの部屋にあるから取りに来いよ」
「マジで? 行く行くー」

 男所帯にいるという自覚がないのか、こうしてあっさりと男の誘いについてくる。別にその気はねえが、心配になる無防備さだ。とはいえ、それを楽しんでいる時点でオレも酷い男なのかもしれないがな。

「おい、和泉守! 貴様主に足を運ばせるとはどういう了見だ!」
「ゲッ。長谷部」
「長谷部くん大きな声出してどうしたの、って主。こんなところで何してるの?」

 ちょっと歩いただけですぐコレだ。
 我が本丸の主はいつも「自分なんか」と卑屈な発言をするが、数歩歩いただけで誰かしらがその姿を見つけて駆け寄ってくる。声をかけて来る。やたらと変なものにも好かれる困った主に、今日もわらわらとあちこちから刀が集ってくる。

「あーもう、散れ散れ! 主はオレに用があるんだよ!」
「貴様、主をあの汚い部屋に入れるつもりか」
「汚くねえよ! ちゃんと片付けてるだろうが!」
「どこがだ! 塵一つ、埃一つない状態にしてから言え!」
「出来るかあ!!」

 クソうるせえ長谷部と言い合っている後ろで、主がケラケラと声を上げて笑いだす。ちっこくて丸くて警戒心がない、無防備でどこまでも素直で無邪気な子供のような主。だけどその心根は女にしておくには勿体ないほど頑固で強い。だが女だからこそ甘く、時に切なく。こちらの情緒を乱すのだ。

「はいはい。それじゃあここで待ってるから。和泉守、よろしくね」
「うーい」
「返事ぐらいしっかりしろ」

 結局長谷部に連行され一人で戻ることになったが、ま……いいか。

「いつか主もオレたちのこと『男だ』って意識する日が来るのかねえ〜」
「……いっそ来ない方が平和な気もするが」
「ははっ。違いねえ」

 もしも意識されちまったらきっと、今の居心地のいい距離感が失せてしまうだろうから――。
 今はまだ、このどうしようもなく鈍いままの主でいて欲しいものだと、あの日と同じ青空に――主が誇ってくれたこの瞳と同じ色をした青空を見上げたのだった。



終わり



 別に×ではないけど+と呼ぶには想いが強い。だけど→をつけるには曖昧すぎる、水野と和泉守の話を書いてみました。思ったより楽しかったです。

 最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。m(_ _)m

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