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拍手お礼文


 水野の隠れた特技が発揮されるお話。(水野本丸でallキャラ。いつものドタバタ日常系)





 昼食後のささやかな休憩時間。いつもなら誰かしらが部屋にいたり庭を駆け回っているのだが、今日は珍しく不在だった。だからボリュームは抑えて、それでも気分が乗るままに小声で歌を歌っていた。
 一つ言っておくと、普段はこんなことしない。だって上手くないから。
 こう、「頭が割れる!」「鼓膜が破れる!」っていうレベルの酷い音痴では流石にないんだけど、人様に聞かせるレベルではないのだ。あくまでも「普通」。カラオケでも平均点よりちょっとだけ上、ぐらいの点数しか取れない普通オブ普通の歌唱力しか持っていない。
 だから普段は鼻歌程度で、こうしてハッキリと歌詞を声に出して歌うことはなかった。

 なのに何故今はこうも機嫌よく口ずさんでいるのか。

 実は昨日、久々に現世で友達と会ってきたのだ。その彼女とは学生時代から一緒に映画を観に行っていた映画仲間で、今回も気になっていた最新映画を一緒に見てきた。それが思った以上に面白かったのだ。

 久方ぶりの当たり映画……。当然ながら『語る』よね。

 映画館を出た足で二人仲良く肩を組み(※言葉の綾)よく行く喫茶店へと直行。そこで飽きることなく語り倒した。それでも勢いは収まらず、学生時代に戻ったかのようにテンションが振り切っていた私たちはカラオケに行って歌いまくって来たのだ。おかげで朝方は若干喉が痛かったのだが、のど飴とあたたかいお茶のおかげで調子は戻っている。
 だから何となく、昨日の余韻を引きずっているというか、幸せを噛みしめていたというか。そういうあれそれでついつい歌ってしまったのだ。

 が、凡庸な私に普段戦場に身を置いている刀剣男士の気配など察知できるはずがない。
 私に用があったらしい。廊下に立っていた山姥切にガッツリ聞かれているとは思わず、最後まで歌いきってしまった。

 数秒前の『いやー、歌い切ったわ〜』みたいなホクホク顔で振り向いた自分と(※御簾越し)鳩が豆鉄砲を食ったような顔でポカンとこちらを見下ろしていた山姥切と目が合った時は『死』を覚悟したよね。

「や、山姥切……?」
「す、すまない……声を掛けようとは思ったのだが……」

 ぬあああああ!! と羞恥のあまり胸中で盛大に叫んでいると、山姥切は珍しく白い頬をうっすらと染めながら口元に手を当てた。

「その……主の歌声を聞いたのは初めてだったから……つい、聞き入ってしまった」
「ぎょあああああ!!!!!」

 今度こそ本当に絶叫が声に出てしまう。
 だって本当に誰かに聞かれているとは思っていなかったのだ。それに、これでも一応気を付けてはいた。大きな声で歌うと誰かが聞き咎めてくると思って。だから小声でボソボソと歌ってたのに、こんな部屋の前で、というか廊下に気配を消して立たれていたら分かるわけないっちゅーねん!!!
 ああああああ……! どうしよう……!
 幾ら刀の付喪神とはいえ、歌に縁のない刃生ではなかったはずだ。今までの持ち主本人だけでなく、その周囲で歌が上手い人は絶対にいたはず。そんな人たちと比べられたらマジで死ぬしかない。

 っていうか神様にこんな下手くそな歌声聞かせたくなかったんだが?!?!

 内心だけでなく実際に冷や汗をダラダラと掻いていたが、山姥切は純粋に驚いているだけらしい。青空をそのまま写し取ったような瞳を見開いたまま、私の顔を御簾越しにじっと見つめていた。

「わ、忘れてください……」

 よく晴れているせいだろう。いつも以上にキラキラと輝いて見える金髪碧眼に向かい、泣きそうな声で懇願する。
 だってこんなひっでー歌声聞かせてしまって申し訳ないというか、恥ずかしいというか何というか。自尊心も何もかもあったもんじゃねえ。というレベルのガチへこみ寸前までメンタルが落ちかけていたが、山姥切は私の言葉に弾かれたように首を横に振った。

「断る!」
「なんで?!」
「わ、忘れるなど、勿体ないだろう」

 勿体ないってなに?! 賞味期限か何かかよ!!
 愕然とするが、山姥切は「絶対に忘れてやらないからな」と捨て台詞のような言葉を残して去って行った。

 ……うそん……。きみワシに用があったんじゃないのん……?

 もう呼び止める気力すらないまま机に突っ伏し、その日は精神的にヨボヨボになりながら仕事を片付けた。

 が、本当の事件はその夜に起きた。

「はー……。いいお湯だった」

 今日は夕飯の支度に時間が掛かっているから。という理由で先にお風呂を勧められたので、一足先に湯浴みを済ませた。

 それにしても、普通に事務員として働いていた頃に比べたら美容院に行く回数がめっきり減ったせいで髪が伸びた。一応髪の手入れは(オイルをつける程度だが)しているので不潔感はないと思っている。でもいい加減切りに行った方がいいかなぁ。皆みたいに綺麗に見えるわけでもないし。この際肩の上までバッサリ切ってしまってもいいかもしれない。
 そんなことを考えつつ指先で毛先を軽く摘まんでみる。家も学校も職場も厳しかったから、一度も染めたことのない髪に枝毛は少ない。それでも皆無というわけでもないのでハサミで切り落としていると、乱と秋田が「あるじさーん!」「しゅくーん!」と可愛らしい声をあげながら笑顔で呼びに来る。

「あるじさん! お待たせ! ごはんできたよ!」
「主君! 今日のお夕飯は僕たちが収穫したお野菜を使っているんですよ!」
「そっか〜。それは楽しみだなぁ〜」

 上機嫌に色んなことを話してくれる二人に手を引かれながら広間まで歩く。そこには既に皆揃っており、配膳も済んでいた。

「それじゃあ主も来たことだし、食べよっか」

 本日の厨当番である光忠が声をかければ、皆お腹が空いていたのだろう。元気よく「おう!」と声が上がる。だから私もいつも通り、最初は「胃が痛くなるわこんな席」と思っていた上座に腰を落ち着ける。いやー。慣れって怖いわぁ。

 ワイワイガヤガヤと、華やかな見目をした男士たちの楽しそうな話し声が宵闇を明るく彩る。今日は出陣組も重傷者は出なかったし、検非違使とも遭遇しなかった。遠征組も無事資材を獲得してくれたし、平和な一日だったと言えるだろう。
 御簾の奥で今日の出来事を振り返りながらもお吸い物に口を付けていると、打刀の席からチラチラと視線が飛んでくる。

 ……………………うん。イヤな予感しかしねえ。

「兄弟、どうかした?」
「え? あ、ああ。いや、なんでもない」

 流石本丸内をよく見ている堀川だ。身内の挙動にいち早く気付いたらしい。対する山姥切は一度は頷いたものの、すぐに首を横に振って否定した。ふっ。甘いな。そんなことで堀川が引き下がると思うなよ?

「なんでもない、って顔じゃないよね? というか、今日一日ずっとソワソワしてたよね」
「あ、やっぱり? 俺も気になってたんだよねぇ〜」
「確かに。午前中は特に変わりがないように思えたが、午後は山姥切らしくない挙動が目立っていたな」

 ほーら見ろほーら見ろ。続々と寄せられる目撃(?)情報に、山姥切も「うっ」と詰まっている。
 はっはっはっ。普段「鈍い」だの何だのと言われている私ですら気付くんだぞ? うちの刀たちが気付かねえわけねえだろ!(自分で言ってて悲しくならないのか。とは聞かないで欲しい)

 でもここで呑気に見守っている場合ではなかった。山姥切の調子が狂った原因がここにいるというのに、私は美味しいお吸い物と魚の煮つけにホクホクし過ぎてうっかり忘れていた。

「ほらほら〜、白状しちゃいなって!」
「あんだよ、オレらの仲だろ? 隠し事とかなしだぜ!」
「よ、よせ! 肩を組むな、和泉守!」

 加州と和泉守に挟まれて若干可哀想なことになっているが、それでも山姥切は屈しない。だがここで斜め向かいに座っていた長谷部から「主にも言えないことなのか?」と尋ねられた途端、山姥切は体を強張らせた。

「い、言えない、というか……」
「というか、なんだ」
「勿体ぶりますねぇ。早く仰ってはどうです?」

 長谷部の隣に座っていた宗三が呆れたように先を促せば、山姥切はチラリと布の隙間からこちらを伺った後、いつもより少しだけ落とした声量でボソリとそれを口にした。

「主の……歌声を、思い出していた」
「おぶっふっ!!!」
「主?! 大丈夫か?!」

 お茶を飲もうとしていた矢先の爆弾発言である。思わず被弾しちゃったよ!!!!
 ゲッホゲッホと咳込んでいると、お茶を淹れに来てくれていた鶯丸が背中を擦って来る。それになんとか頷きながらも「だいじょうぶ……」と返していると、他にも被弾者がいたらしい。打刀席以外もしんと静まり返っている。

「主の……」
「歌声……?」

 ざわり、ざわり、とさざ波のように広間に動揺が広がっていく。
 やめろぉ!!! 公開処刑は悪質な文化だと思いますぅ!!!

「光忠、私部屋でご飯食べるね」
「このタイミングでそれが通用するわけないでしょ」
「あうんっ」

 こうなればさっさと退散だ。と即決して膳を運ぼうとしたのだが、あっさり光忠に見つかって阻止される。うえーん! ご無体なー!!

「ていうか、え? 主の歌声? 僕聞いたことないんだけど」
「声がガチやん! 顔は笑ってるのに声はガチやん!!」
「いやー、驚いたなぁ。我々も随分ときみのことを知ったつもりでいたが、歌声は確かに聞いたことがない」
「そう言えばそうだなぁ。主よ、何故山姥切にだけ聞かせたのだ?」

 うおおおおお!! 誤解! 誤解です三日月さん!!! だからそんな、笑顔で圧を放たないで!! 怖い!!
 なんて内心で叫んでいた時だった。我が本丸で最古参であり、私というダメ審神者を支えてくれる刀である初期刀、陸奥守がケロリとした顔で首を傾ける。

「なんじゃあ? おまさんらは聞いたことがなかったが?」

 パーーーーーーーーッ!!!!! そういやむっちゃんは私の歌声聞いたことがあるんだった!! っていうか、最初の何振りかは聞いたことあるんだよ! 私の歌声!! しょうがなくだったけどさ!!

「なッ……! 陸奥守、貴様一体いつ聞いたんだ!」
「いつって……顕現した日やったけんど」
「初日から?! な、なんと羨ましい……!」

 なんか妙にショックを受けている長谷部だが、ちゃうねん。初めての畑作業にちょっとテンション上がってうっかり口ずさんだら、傍で聞いていた陸奥守が「うまいもんじゃにゃあ」と褒めてくれただけなのだ。だから本格的に歌ったわけでもなんでもないからカウントしないで欲しい。
 だがここで粟田口の席からも何名かが「はーい!」と手を上げてくる。

「僕たちも主君の歌声、聞いたことがあります!」
「そうですね。僕と秋田と五虎退は、主さまの歌声を耳にしたことがあります」
「は、はいっ! とっても優しくて、あったかくて、すてきでした……!」

 笑顔でそう言ってくれる五虎退だけど、正直言って「ありがとう」という気持ちと「タイミングー!」と叫びたい気持ちとで半々だ。しかも修行に行ってから小さかった子虎たちはデッカクなった。おかげで「グルルン」と言う低い唸り声がどこか誇らしげにも聞こえて増々居たたまれない。
 しかもこの場では火に油なんだよなぁ。なんて内心泣きそうだったが、最大の『火に油』発言は例の如く堀川が決めてくれた。

「そういえば、床の間を分けるようになってからは一度も聞いていませんね」
「言われてみればその通りです! ねえ、鳴狐!」
「うん」
「つまりはまた俺のせいということか……!」

 ガンッ! と血涙しそうなほどに悔しがりながら机に拳を叩きつけた長谷部に「違うからぁ!!」と咄嗟に叫ぶ。
 でも、まあ、確かに。長谷部で「やらかした」と思ってからみんなと距離を置くように気を付け始めたから、全く関係がないわけではない。
 実際、長谷部が来る日まではこの広間に布団並べて寝てたわけだしな。それまではちょっとした時間にペロッと歌ったことが数回あるぐらいだ。でも今はもうやっていない。だから殆どの刀は私の歌声とは無縁の生活を送って来たわけだが……。

「そもそも頻繁に歌ってたわけじゃないからね?!」

 ちょっとぬるくなった湯呑を持ちつつ叫べば、陸奥守の次に付き合いの長い小夜が小さく頷く。

「そうだね。主は毎日歌ってたわけじゃないから……」
「ほにほに。けんど、わしと小夜しかおらざった時は毎日歌っちょったがよ」
「あ……。それは、そうでしたね」

 どわーーーーーっ!!! むっちゃんのドアホーーーーーーッ!!!! 頷いただけの小夜はともかくとして、陸奥守は絶対に確信犯だろ!!
 思わず陸奥守の方へと顔を向ければ、憎らしいほどの清々しい笑みを返された。お前やっぱり確信犯だろ!!!!

「ず……ずるーーーいッ!! ぼくもあるじさんの歌声、ききたーーーいッ!!」
「そうだそうだー! きみたちばっかりいい思いして、たまにはじじいも甘やかされたいぞ!」
「鶴さん。本音がポロリしてるよ」
「おっと。うっかりだ。忘れてくれ」
「しっかし大将が鼻歌以外を奏でるとはねぇ……」
「俺は鼻歌すら聞いたことがないぞ?!」
「僕もありませんよ。何なんです? 短刀たちの前でだけ披露していたわけじゃないですよね?」
「落ち着きなさい、宗三。陸奥守は聞いたことがあると言っていたでしょう」

 一気に騒がしくなった大広間に頭が痛くなる。でも逃げるタイミングがあるとすれば今しかないのでは? 例え明日捕まろうとも今この瞬間、心の平穏を保つためにも逃げるが勝ちだ。
 だからこそこそっと、そーっと席を立とうとしたのに、やはり常日頃から索敵をしているせいだろうか。あっさり見つけられてしまった。

「おっと、大将。どこに行こうってんだ?」
「や、薬研……!」
「そうだよ、あるじさん! 絶対逃がさないからねッ!」
「み、乱くん……!」

 ガシッ! と両腕をそれぞれに掴まれ、浮かせたばかりの腰が座布団へとカムバックしてしまう。
 いやだーッ! 離してくれーッ!

「そ、そうは言ってもさぁ、ほら。聞きたくない人とかいるかもじゃん? ねえ、たぬさん!」

 同田貫あたりなら興味ないだろうと思って声をかけるも、意外なことに「いや?」と否定されこっちが硬直する。

「あんたの歌なら俺も聞いたことがある。別に音痴でもなかっただろ。何をそんなに嫌がるんだ?」
「聞いたことあんのかよッ!」

 まさかすぎる事実に驚けば、同田貫は沢庵を食みながら簡潔に説明する。

「厠に行こうと歩いてたらあんたが厨で機嫌よさそうに歌いながら茶淹れてたんだよ。だから黙って聞いてた」
「なんでよーー!! 声かけてよーーー!!」

 しかもその後普通に厠に行ったって言うのだから完全に聞かれ損である。クソーッ! 誰もいないと思って油断していた。
 一人でグヌヌヌと唸っていると、ガッシリとこちらの腕を掴んでいた乱が「あるじさん!」と元気よく声をかけて来る。

「ボク、あるじさんの歌声聞きたいな!」
「え゛」
「そうだぜ、大将。普段宴会に参加しねえんだ。歌の一曲ぐらい披露してくれても罰は当たらんだろう」
「薬研まで何言ってんの?!」

 だって私は乱みたいに歌って踊れるタイプではない。いや、軽い振りつけ程度なら出来るけど、あんなアイドルみたいな動きはまず無理だ。恥ずかしすぎて死ぬ。
 それに歌だって、聞くのは好きだが明るいポップ調な曲は苦手だ。だからスローテンポな曲やバラードが中心で、華やかな席には向かない。だから必死に首を横に振るが、ここで鯰尾と鶴丸が動き出した。

「主さん! カラオケのセッティングなら任せてください!」
「ああ! マイクもここにあるぞ!」
「何でだよ! 歌うなら皆だけでやればいいじゃん!」
「ヤダー! あるじさんが歌ってくれるまで離れないんだからーっ!」
「その執念はどこから来るの?!」

 ギュウギュウとしがみついてくる乱に必死に「諦めて欲しい」と説得するが、乱は「イヤだ」の一点張りで動かない。
 ぐぅ……! どうしたというのだ、皆! 普段はそんな我儘言わないじゃん!
 内心血涙していると、最初期から私を支えてくれている陸奥守と小夜から「主」と呼ばれる。

「何がそんなにイヤなんじゃ? 歌うことが嫌いなわけやないろう?」
「うん。少なくとも僕は、主の歌声、嫌いじゃなかったよ」
「うぐっ、むっちゃん……小夜くん……」

 真っすぐとこちらを見つめて来る二人の瞳に揶揄う色はない。囃し立てるつもりも、無理に暴こうと思っているわけでもなさそうだった。だけど純粋に疑問なのだろう。好んで披露していたわけではないとはいえ、歌わなくなった理由をちゃんと言わないとチクチクとした視線が周囲から飛んできそうだった。だから諦めて、恥ずかしいけど正直に話すことにする。

「……下手だから」
「は?」
「え?」

 絶対聞こえているはずなのに、皆キョトンとした目を向けてくるから堪らない。だけど一度口にしてしまえばもはややけくその領域に入り、今度は大きめの声で「下手くそだから! 歌いたくないの!」とハッキリと告げる。

「は? 下手くそ? 誰がじゃ」
「だから私が、」
「主は下手じゃないよ。誰かにそんなこと言われたの?」
「え゛」

 心底訝るような顔で見て来る陸奥守と、どこかムスッとした様子で問いかけて来る小夜に慌てて首を横に振る。

「べ、別に誰かに言われたわけじゃないけど、ただ……自分では下手だな、って思うだけで……」
「なんじゃあ。ほいたらおまさんは下手くそじゃないき、安心せえ」
「そうだよ。もしそんなことを言う人がいたら僕に言って。復讐するから」
「いや! 流石にそこまでは!」

 一瞬で殺意を漲らせる小夜をどうにか留めると、黙って聞いていた初期メンバーたちが「そうですよ」と声を上げてくる。

「主さんの歌声、僕は好きですよ」
「そうですとも! 最近ではお聞きすることが出来ず、残念だと思っていたのです! ねえ、鳴狐」
「うん」
「鳴狐殿の言う通りですよ、主さま。主さまの歌声は素晴らしいものでした」
「はい! 僕もまた聞きたいです!」
「ぼ、僕もですっ」

 うえええええっ。皆ちょっと待って。流石にこれは褒め殺しが過ぎる。
 だって本当に上手い方ではないのだ。それこそ映画仲間の友人は元合唱部で、本当に伸びやかな綺麗な歌声をしている。歌詞に込められたメッセージがこう、ダイレクトに伝わってくるような、聞いている側を自然と世界に引き込むような、そんな魅力ある歌声の持ち主なのだ。
 そんな彼女に時折、カラオケに行った時に指導してもらうことはあるけど、その程度だ。特別にボイストレーニングをしているわけでもないし、発声練習をしているわけでもない。だから褒められるほどの出来ではないのだと首を横に振れば、三日月から「主」と呼ばれる。

「そなたが言うのだ。その友人はさぞ歌が上手いのであろう」
「そりゃあもう! 横で聞いてるだけで涙出ちゃうぐらいすごいよ!」
「うむ。だがその者は訓練をしたからそのように上手になったのではないのか?」
「へ?」

 微笑を浮かべたまま、ゆっくりと問いかけられて一瞬思考が止まる。……うん。そりゃあ、ね。

「元、とはいえ合唱部だったからなぁ……。毎日走り込みしたり、柔軟体操したり、腹筋したり、色々してたよ」

 それこそ専門的な指導も、ちゃんと顧問の先生から受けていた。コンクールにだって出場したし、入賞も果たしている。勿論彼女一人だけの功績ではないが、彼女の努力は本物だ。学生時代一緒にいたからよく知っている。
 だからこそ頷けば、三日月は「では、主はどうだ」と問いかけてくる。

「私?」
「主は、その者のように毎日走り、体を鍛え、音楽を学んだのか?」
「え。い、いや……そこまではしてないよ。普通に趣味、というか……」

 学生時代、学年対抗の合唱コンクールがある時は全員で練習したけど、それ以外では個人的に歌い方を学んだぐらいだ。だから専門的ではないし、彼女も「こうした方が音取りやすいよ」とか「このラインの音程が苦手っぽいから、こういった曲の方が合ってるよ」とか、そういうのを教えてくれたぐらいだ。だから彼女に会った時は色々と教授してもらってはいるが、専門的に学んでいるわけではなかった。
 思い出しつつも答える私に、三日月は「ならば十分だろう」と微笑む。

「今の話だけでも主が“趣味”で語るにしては聊か勤勉なほどにきちんと学んでいることが分かる。専門的に鍛錬を重ねた者と、あくまでも“趣味”で歌う者であれば差が出て当然のこと。だが主。そなたは『何もしていない』者に比べ、遥かに基礎を積んでおる。それにその友人からも『下手だ』と言われたことはないのだろう?」
「そ、れは……」

 確かに会う度に「音程の取りが甘い」とか「声は出てるけど肺活量が足りない」だとか「喉を使うんじゃなくて腹筋を使って歌え」とかは言われるけど「下手」と言われたことはない。

「ならば主の歌声は決して“下手”ではない。むしろ伸びしろがあるから友人も助言をするのだろう。でなければ、たかが“趣味”と語る者にそのような指導はせぬはずだ」
「あ」

 言われてみればそうだ。元合唱部の彼女は歌に対して並々ならぬ思い入れがある。職業として合唱団に入っているわけではないが、趣味として社会人合唱団に入り、歌を続けている。勿論合唱と普通のポップスでは畑違いにはなるが、それでも『歌を歌う』という行為そのものを彼女は愛している。
 そんな彼女が何年経っても変わらずに指導をしてくれるということは、少なくとも私の歌を『悪くない』『もっと出来る』と信じてくれている証拠なのではないだろうか。
 三日月に言われて初めて気が付いた。ハッとした私に三日月は微笑みかけると、改めて「主」と形のいい唇を開く。

「我らにも聞かせてはもらえぬだろうか。なに、どのようなものでも構わん。我々はそなたの“歌声”が聞きたいのであって、良し悪しを評価したいわけではないのだから」

 う、うぅん……。そこまで言われたら断りづらい……。サッと他の刀を見回しても皆聞く気みたいだし……。

「……分かった。でも、明るい歌じゃないよ。それに……歌詞の内容的にも前の主を思い出すかもしれない。それでもいい?」

 バラード調の曲というのは、どうしても物悲しい歌詞が多い。失恋、死別、恋しさや寂しさ、そういったものを詠うからだ。だから一応確認を取れば、皆「構わない」と言ってくれた。

「じゃあ、アカペラでいいなら歌う。カラオケは……流石にちょっと恥ずかしいから」

 カラオケだと伴奏が入って歌いやすいかもしれないけど、伴奏が入るということは間奏もあるということだ。その間皆の視線に耐えられる気がしない。だからアカペラでさっさと歌ってしまおう。そう考えてスッと立ち上がった。

「言っとくけど! 期待すんなよ!」
「はっはっはっ。大丈夫だ。さ、主。歌っておくれ」
「ぐぬぬ……」

 正直かなり恥ずかしい。恥ずかしいけれど、長い学生生活で人前で歌う経験は積んでいる。……まあ、ソロじゃなくてクラスの皆で歌ったから全く同じというわけじゃないんだけどさ。
 それでもゆっくりと深呼吸をして緊張感と心音を落ち着かせると――不意に学生時代にした友人とのやり取りを思い出した。

『そういえばさ、歌う時って何か考えてたりするの?』

 何の気なしに尋ねた素朴な疑問。曲によってはこちら側の心を激しく揺さぶって来るほどに歌が上手い友人に尋ねれば、彼女は「あるよ」とすぐさま頷いた。だから好奇心に駆られて「何を考えているのか」と重ねて問いかければ、彼女は照れくさそうに笑いながら――

「青空に線を引く ひこうき雲の白さは……」

 初めてこの曲を聞いた時、幼いながらにとても感動した。だからどうしても彼女のように歌いたくて『歌を教えて欲しい』と願い出たのだ。あれから何度この曲を口ずさみ練習したのか。もう数えきれない。
 だからだろうか。あれだけ緊張していたのが嘘のように自然と伴奏が脳裏に流れ始め、スッと音が、声が、唇から零れ落ちた。

 歌は、感情を込めすぎると逆に悪目立ちしてよくないのだと彼女は教えてくれた。だけど何も考えず、ただ文字だけを忠実に追って歌うのでは味がない。アレンジとは違う、けれど感情を込めて歌っているかのように聞かせるには相当の技術が必要なのだということも、彼女は丁寧に教えてくれた。

『だから私は、いつも「神様に問いかける」ような気持で歌ってる。これでいいのか、私の歌は、この歌に合っているのか。不安を習った技術で隠しながら、他の誰でもない。「作曲者」っていう神様に、いつも問いかけ続けてる』と。

 だけど私にはそこまでしなくていい。と言ってくれた。だけどどうしても気になるならこうしてみろ。と教えられたのが――

「わたしの指に 消えない夏の日……」

 ――祈るように歌え。
 誰かの幸せとか、応援するとか、とにかくそういう気持ちで歌えば自然と声が出る。と言われた。だから、作曲者でも各種関係者でもなく、今この場にいる、私の目の前にいる、大切な刀たち――私の「神様たち」の毎日が良きものであるよう祈りながら歌った。
 その頃にはもう技術がどうのとか感情がどうのとか、そんなことは頭からすっぽ抜けていて、ただ思うがまま言葉を、歌詞を紡いでいた。

 遠く、遠く。過去から現在、そして未来へと続く不安や希望。眩い夏の日差しに、周囲に響き渡る蝉時雨。青々と茂った緑の葉の隙間から漏れる、キラキラとした太陽の光。熱された風が肌を撫で、アスファルトの上を駆けていく。友人と二人、セーラー服のスカートを膨らませながら走った帰り道。日に焼けた肌と、浮かんだ汗。それらを拭いながら自販機で買ったジュースや、コンビニで買ったアイス。木陰で休みながら時には半分こして思い出を分け合った、あの夏の日。
 そんな『もう還ることのない夏の日』を真っ白なキャンバスに描くように、かつての風景を思い浮かべながら歌いきる。

「…………なんか言ってよ」

 何の準備もなく歌ったせいか、どこか息が弾んでいる気がする。というか、今更ながらに緊張がぶり返してきた。
 しかも皆「聞きたい」って言った割に何のリアクションもしてくれないし!!! 何なんだよッ! やっぱ下手だったってか?!?! 悪かったな! リアクションに困るぐらい下手くそで!!
 あまりにも無言が続くから内心いじけていたら、何故か長谷部が「グスッ」と鼻を鳴らした。

「主……素晴らしい、本当に素晴らしい歌声でした……!」
「え?」
「いやぁ……何度も「下手だ」と主張するからどんなものかと思っていたら……いや、驚いたな。うまいじゃないか」
「うむ。すっかり聞き入ってしまったな。主、まことに素晴らしかったぞ」
「う、うぅ……」

 長谷部からの賞賛を皮切りに、鶴丸と三日月が続けて感想を述べてくる。しかも三日月に至っては拍手まで送ってくるから正直居たたまれない。だから今すぐにでも逃げ出したくなったのだが、次々に皆からも同じような感想が飛んできて逃げようにも逃げられなくなってしまった。

「いんやー、久しぶりに聞いたけんど、やっぱりおまさんの歌声は綺麗じゃ! すっかり聞き惚れたがよ!」
「はい。なんというか……指先が痺れるほど、揺さぶられるというか……」
「それ音痴だからとかではなく?!」

 友達からも『声量だけなら合格ライン超えてる』と言われてはいるけど、音程とかその他諸々に関しては正直謎なのだ。だけど皆は「想像していたよりもずっとよかった」と手放しで褒めてくれる。
 いやでもさ、この神様たち私に甘いからさ。総合的に評価が甘くなってる感があるんだよなぁ。なんて考えていると、黙って聞いていた宗三から「他にはないんですか?」と声をかけられ硬直する。

「ほ、他?」
「一曲だけだと判断しづらいじゃないですか。ですからもう一曲歌ってみてください」
「まだ歌えと?!」
「それはいいな。うん。主、もう一曲歌ってくれ」
「鶯丸さんまで何を?!」

 この公開処刑をまだ続けろと言うのか?! というか、本当に私バラードとかそういう曲しか歌えないんだって! 明るい曲調は本当、これよりも下手なんだから!
 必死に身振り手振りを加えて主張したものの、結局長生きした彼らに口八丁で丸め込まれ、その後続けて二曲も歌わされる羽目になってしまった。

「はー……疲れた……」

 何でこんな辱めを受けなければならないんだ。と思いつつ鶯丸が煎れてくれたお茶を口にしていると、どこかご満悦な様子で光忠がデザートを運んで来てくれた。

「さっきはありがとう、主。すごく素敵だったよ」
「あ〜……。こちらこそお耳汚しでしたわ。でも聞いてくれてありがとう」
「またそんなこと言って。主はもう少し自信持った方がいいよ。本当に上手だったんだから」

 どこか不服そうな光忠に苦笑いを返していると、近くにいた鶴丸から「そう言えば」と話しかけられる。

「きみ、現世ではカラオケに行ったりするのか?」
「ん? まあ、行きますね」
「そうかそうか! いやー、俺たちもたまに宴会で歌うんだが、なかなかあの採点機能という奴は手厳しいな! 誰も百点を取ったことがないんだ」

 私はお酒が飲めないから基本的に宴会には参加しないんだけど、時折私室まで彼らの歌声が聞こえてくる時がある。その時は「楽しそうにしてんなー」と笑っていたのだが、何気に採点機能まで入れて楽しんでいたらしい。密かに驚いていると光忠が「そうだ」と声を上げる。

「因みにだけど、主はいつも何点ぐらいなの?」
「えー? 私? 別にそんなに高くないよ。大体九十点ぐらいで――」

 一番よくても九十六点だったかなー。と続けようとしたら、皆の目がガッツリとこっちを向いていてビックリしてしまった。

「……え? な、なに?」
「きゅ、九十……?」
「あなや……。主、それでも自分が「下手くそ」だと思っていたのか?」
「え? う、うん。だってよく一緒に行く子はいつも九十八〜百点出すからさ」
「その人以外も、同じぐらいなのか?」
「んー……。いや、その人が一番うまいかなぁ。他の子はねー、採点機能嫌がる人が多いから、一緒に行っても点数分かんないなぁ」

 まあ、私も「カラオケなんて楽しんでなんぼ」だと思っているタイプなので、元合唱部の友達以外と行った時は採点云々や技術云々は気にせず楽しく歌うよう心掛けている。だから言い方は悪いが、真面目に歌っている時はその友人と一緒に行った時だけだ。
 それがどうかしたのかと問いかければ、皆から溜息を零された。

「そりゃあそんな人と比較したら「自分なんか」と言いたくもなりますよ」
「あれで下手くそならオレ達はどうなるんだ、って話だろ」
「過ぎたる謙遜は、という言葉があるが、まさしくソレだね」
「ていうか、主は自分に厳しすぎ。もっと甘くなってもいいっての」
「勿体ない、ですね……」
「ああ。勿体ない、な」

 宗三や和泉守、歌仙や加州だけでなく江雪や大典太にまで言われて驚いてしまう。……これは、もしかしてなんだけど……。

「お世辞では、ない?」
「はあ?! あなた、僕たちが世辞を言っていたと思っていたんですか?!」
「心外だな! 心からの賛辞だったと言うのに!」
「そうですよ、主君! 主君の歌声は本当に素晴らしかったです!」
「そうだよ、あるじさん! ボクまた聞きたい、って思ったもん!」
「う、うえぇ。マジか。ごめん……」

 どうやら私の歌声は『合格ライン』に到達していたらしい。それに、今までの言葉がお世辞でも嘘でもないと分かるとなんか……じわじわとだけど嬉しさが湧いて来る。

「……そっか。下手じゃないんだ。私」

 確かに面と向かって「下手くそ」「音痴」と言われたことはないけれど、日本人の気質的にそう言うのって言わないじゃん。だからどう思われているのか、実際のところどうなのか謎だったんだけど、皆がそう言うならもう少し自信を持ってもいいのかもしれない。

「へへっ。なんか、そう言われると嬉しいね。皆ありがと」

 さっきまで緊張と褒め殺しが過ぎて不貞腐れているような部分もあったけど、今は素直に嬉しい。だから改めてお礼を口にすれば、傍にいた鶴丸が「そうだ!」と言って手を叩いた。

「主! 今度“カラオケ大会”を開こうじゃないか!」
「は?」
「夢前嬢や百花嬢、日向陽嬢を呼べばきみも気兼ねなく歌えるだろう?」
「ええ?!」

 あまりにも突飛な内容に驚くが、賑やかな遊びを好む刀たちからは「いいねいいねえ!」と声が上がる。……はあ。まあ、戦の息抜きとして考えれば悪くもない、か?

「はいはい。分かったよ。とりあえず声は掛けてみるけど、断られたら諦めてね」
「よしきた! 楽しみにしているぞ、主」

 この時は「どうせ断られるでしょ」なんて高を括っていたのだが――。

「イエーーイ! 夢前ののか、歌いまーーーすッ!!!」
「ののかちゃんガンバって〜」
「ののかおねえさーん!」

 ……普通に集まっちゃったよ。しかも彼女たちだけではなく、

「水野さん、私たちまで参加してよかったのでしょうか……?」
「確かに、俺も主も非番ではあったのだが……」
「うちの主に限っては職務で訪れたのですがね」
「武田さん、思いっきり楽しんでますねー」

 休日だったけど個人的に遊びに来てくれた柊さんと、仕事の話があって来た武田さん、またその刀たちも我が本丸で開かれた“カラオケ大会”に飛び入り参加となった。
 というか、武田さんに至ってはうちの厨番達が作った串焼きを上手そうに齧っている。……お腹減ってたのかな……。

「ま、たまにはこういう日もあっていいか」

 青々とした空が広がる本丸の中庭で、うちの刀たちが喜んで作った特別ステージ。その壇上で乱と一緒になって歌って踊る夢前さんを眺めていると、笑顔で「センパーイ!」と呼ばれたので手を振り返す。
 何はともあれ皆が楽しんでくれたのなら何よりだ。
 そんなことを考えつつ皆の様子を眺めていたのだが、油断しすぎていたらしい。無事歌い終えた夢前さんから手首を掴まれ、そのままステージへと引っ張り上げられる。

「はい! じゃあ次はセンパイの番ってことで!」
「は?! 私?!」
「というわけで、鶴丸さん! お願いしまーーす!」
「よくやった! 夢前嬢!」
「お前か鶴丸ーーーーーーッ!!!!」

 どうせ自分が近付けば警戒されると踏んだのだろう。私の大事な後輩を使ってまでマイクを握らせてくるあたり本当に質が悪い。だけど知り合いばかりのこの場で「イヤです!」と言って勝手に下がるわけにも行かず、仕方なくマイクを握って正面を向く。
 フッ。ならばとことんやってやろうじゃないか。これが本当の『YAKEKUSO』だぜ!!

「あーもー……私の歌を聞けーーーッ!!」
「イエーーーイ!!」

 もうこうなったらどこまでも吹っ切ってやる。苛立ち半分で鶴丸がチョイスした、私があの日聞かせたバラード曲を歌い始める。
 だけど今日だけは、誰かや神様の幸せを願うのではなく、ただこの場所、この時間を楽しむことだけに集中して――。

「うッ……センパイ、しゅき……マジ天使……」
「わかります……まさに天上の歌声……」
「夢前さんも長谷部も何言ってんの」

 その後歌い終わってステージに降りれば、何故か夢前さんとうちの長谷部が泣きながら蹲っていた。もう意味が分からん。
 とにもかくにも、こうして急遽開かれた『本丸カラオケ大会』は無事終了し――その後も不定期に開催されることになるのだった。



終わり



 何気に歌が上手い水野さんと、そんな彼女の歌声に度肝を抜かれた刀たちの話でした。因みに水野さんは合唱曲もそれなりのレベルで歌えるし、明るい曲調も本人が思う以上にはうまく歌えます。ただ本人が無自覚に自分に厳しすぎるため、勝手に下手だと思い込んでる感じ。
 最後までお付き合いくださりありがとうございました!m(_ _)m

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