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 ゲートを操作し、件の女性審神者の本丸へと足を踏み入れる。だがそこには思いがけない状態の――全体的に斜めに傾き、今にも崩れそうな本丸が鎮座しており、驚愕のあまり固まってしまった。

「どうして、こんな……」
「ふっ、すごいでしょう? あるじさまがいたときは、こんなじょうたいではなかったのですよ」
「ああ。本丸は審神者の霊力で持ってるところがあるからな。けど、今の主さんは昏睡状態だから……」
「いつの頃からか本丸が傾きだして、今はこんな状態なんだ。動ける刀も、短刀しかいない」
「そんな……」

 事情を知らなければ「騙したのか?!」となるかもしれない。短刀しか顕現出来ていないのなら誰に『柳瀬』という男について聞けばいいのか、という話になるからだ。
 だけどそんなこと言える気分じゃなかった。だって目の前に立つ本丸は殆ど”崩れかけている”からだ。

「なるほど……。霊力が尽きようとしているのですね……」
「消滅、とまではいかないが、それでも多くの刀剣を所持し、また顕現を維持するのは無理だろう」

 冷静に分析する膝丸だが、私が気になるのは『顕現していた刀剣男士』のことだった。

「皆は……あなた方の仲間は、一体どこに……?」
「ほんまるのなかにいます。ですが、もうこのひとのすがたをたもつことはできていません」
「オレら本来の姿に戻った、って感じかな。ま、そのうちの何人かは完全に消滅してるんだけどな。……きっと、主さんの霊力が足りないんだろう」

 ジャリジャリと、砂利道の上を歩きながらボロボロになった本丸へと近づいて行く。そうして身軽な今剣が本丸の中へと入っていくと、奥から数名の短刀が出てきた。

「はじめまして。審神者様。僕は秋田藤四郎です」
「後藤藤四郎だ」
「信濃藤四郎だよ」
「博多藤四郎たい」
「……不動行光……ヒック」
「そして、これがあるじさまがしようしていた”たぶれっと”です」

 藤四郎数名と、不動行光。そして遊郭で捕らえた三振り。合計八振りの刀しか、この本丸には現在顕現していなかった。

「ここに、柳瀬さんという男性の連絡先が載っているんですか?」
「おそらくは。ですが、ぼくたちはそのいたのつかいかたがよくわかっていないので……」

 情報が詰まったタブレットを貸してくれたのはありがたいが、結局パスワードがなければアクセスできない。こうなったら武田さんに頼むしかないか。と持ってきた鞄に仕舞った時だった。
 誰も動かしていないはずのゲートが作動したのは。

「水野さん! 隠れて!」
「え?!」

 愛染に背中を押され、うちの刀と太郎太刀、膝丸と一緒に本丸の中へと押し込まれる。と言っても傾いているから非常に危ういというか、ある意味では別の危機感を覚えるのだが。それでも『隠れろ』というのであれば何かあるはずだと、互いに頷き合って身を隠しやすい場所に移動した。

「やあ、突然お邪魔してすまないね」
「これはこれは。やなせさんではないですか。おひさしぶりです。わがほんまるになにかごようですか?」

 柳瀬?!
 アポなしで訪れた客人の相手をする今剣からもたらされた名前に息を飲む。それはうちの刀たちも同じなのか、互いに目を丸くした後、改めて彼らの会話に集中することにした。

「一体何の用だよ。ここには主さんいないぜ? 知ってるだろ?」
「分かってる。ただ君たちのことが心配だっただけだよ。ほら、俺も審神者だからさ。本丸もこんな状態だし……。まともに食べていないんじゃないかと思ってね」
「お気遣いありがとうございます。ですが大丈夫です。畑から作物は取れますから」

 やんわりと秋田は拒否するが、柳瀬という男は「遠慮しないでよ」と言いながら何かを地面に置いた。

「俺と君たちの仲じゃないか。それに、あいつと出会う切っ掛けを作った責任もある。彼女がああなったのは事故のせいだけど、傷つく要因を作ったのは俺とも言えるから。せめてもの償いとして受け取って欲しいんだ」
「はあ……。だからそれがめいわくだといっているんです」

 おそらく、このやり取りは今回が初めてではないのだろう。今剣は鬱陶しそうな声で対応している。だがここでずっと黙っていた小夜左文字が声を上げた。

「ねえ、僕たちの主は、いつ目を覚ますの?」
「小夜……」

 信濃だろうか。労わるような声を上げる。だけど今度は不動が「そうだよ!」と泣きそうな声で叫んだ。

「俺たちの主は?! いつ戻ってくるんだ?! 一体いつになったら目を覚ますんだよ!」
「不動さん、落ち着いてください……」
「うるさい! これが落ち着いていられるかよ! 主は、主は……! なんであの浮気野郎は気楽に生きてんのに、主はあんな目にあわなきゃいけないんだよ! 主が何したって言うんだよ!」

 不動行光の慟哭は、何も知らないはずの自分にも痛いぐらい突き刺さる。彼女の刀なら尚更だろう。残り七振りの刀は、もう彼の言葉を止めようともしない。

「あんたが言う通り、他の浮気男共をぶっ飛ばしてみたけど、全然スッキリしないし、ましてや主が目を覚ますこともない! だけどあのクソ野郎を直接殴りに行きたくても、あんたや政府のやつらが止めるせいで本丸に乗り込むこともできやしない。あいつの行きつけの店の場所すら情報を消されて、俺たちはどうやって主に報いればいいんだよ!」

 錯乱する不動には悪いけど、一つ、確定した。それは遊郭で事件を起こすよう誑かしたのはこの『柳瀬』という男だということだ。
 私の情報を持っていただけでなく、自分の手を汚すことなく他の審神者に怪我を負わせている。彼の目的は一体何なのか。ただの愉快犯なのか、それとも他に何かあるのか。
 息を潜めて事の展開を聴覚だけで探っていると、柳瀬という男が酷く申し訳なさそうな声で「すまない」と謝罪した。

「彼女を目覚めさせるには、彼女自身の『生きる力』が必要なんだ。そのためには彼女を不幸にした諸悪の根源――橘がこの世から消える必要がある。だけどアイツはずる賢く、しぶといやつだった……。でも安心してくれ。君たちのおかげでアイツはもう殆ど霊力が残っていない。それに、奴は決して『手を出してはいけない相手』に手を出したんだ。きっと今頃牢屋にでもぶち込まれている頃だろう」
「………………」

 その『手を出してはいけない相手』っていうのは間違いなく私のことだろう。うちの刀も太郎太刀、膝丸も同じ考えなのか、表情が一段と険しくなっている。勿論自分もだ。
 だけど怒りメーターがグングン上がっているこちらとは違い、今剣は訝しむような声で「ですが」と柳瀬に質問をする。

「どうにもふにおちません。その『てをだしてはいけないあいて』とはだれなんです? ぼくたちにきれないあいてがいるとでも?」
「まさか。でも確かな情報なんだ。俺も初めて聞いた時は疑ったし、嘘やでたらめだと思っていた。でも実際に接触してみたら、この水晶が反応したんだ!」
「それは?」
「君たちの主を幸せにするための道具だよ! 彼女の失われた霊力を、その人の力を使うことで戻すことが出来るんだ!」

 …………そうきたかぁ。
 思わず無言で手を目元に置き、天を仰いでしまう。現状まだ詳しいことは分からないけど、この『柳瀬』という男は責任感からか、それとも違う感情からかは分からないが、ここの女性審神者のために『私の霊力』を奪おうとしている。
 同時に彼女の元配偶者――私の髪を切った男審神者に対しては怨みを持っている。

 結局『美味しいとこ取り』がしたいだけじゃねえか!!!

 咄嗟に拳を握りしめれば、隣に佇んでいた小夜が蚊の鳴くような声で「復讐しよう……」と呟いた。うん。今回ばかりは死なない程度にお願いしようかな。

「この水晶が何だって言うんだよ! 意味わかんねえよ!」
「落ち着いてくれ、不動。これは『霊力の量』を測れる水晶なんだ。霊力を多く持っている人ほどこの水晶は反応するよう、特別な細工を仕掛けてある。だから俺は毎日演練会場に足を運んで、適合者がいないか探していたんだよ」

 ってことは、だ。私がどこかで出会い、話した審神者の中にこの『柳瀬』って人がいたのか。でも話した相手の顔とか名前とか声とかいちいち覚えてないからなー。それに近日中の出来事とかじゃなかったら確実に思い出すのは無理だ。
 だってさあ、例えば半年前に一度だけ話した相手の顔とか声とか覚えてる? 思い出すこと出来る? 私には無理だ。それに相手が審神者なら面布をしていた可能性がある。だとしたら顔が見えないのだから余計に分かるはずがない。

 まあ、私が恨まれているわけでも、政府に打撃を与えようとしているわけではないと分かっただけマシなのかもしれない。いや、本当はよくないけどさ。

「ひとまずは『れいりょくがつよいにんげん』がいること。そしてそのひとから『れいりょくをうばえばあるじさまがすくわれる』ことはわかりました。ですが、そんなじょうほういったいどこからしいれてきたんです? ぼくたちとうけんだんしをだますようなら、ゆるすことはできませんが」
「疑いたくなる気持ちも分かる。でもこれは政府の役所で耳にした話なんだ。だから絶対に嘘じゃない」

 政府の役所。その単語が出た瞬間太郎太刀と膝丸が同時に目元を覆ったり項垂れる。うん。気持ちは分かるよ。結局政府の不手際、ってことになっちゃうもんね。頭も痛くなるってもんよ。

「政府の役所? 知り合いでもいるのかよ」
「いや、会議の帰りに書類の申請をしようと並んでいたんだ。その時に忙しそうにしている役人たちがいてね。彼らが小声で話しているから、興味を引かれてちょっと聞き耳を立ててみたんだ。そうしたら『土地神が降臨した』とか『水神が』だとか聞こえてきてさ。気になって調べてみたら、新人審神者の中で『竜の神様と縁のある審神者がいるらしい』という話がまことしやかに囁かれているらしかったんだ。それで色んなところに探りを入れたら、色んな本丸と関りを持っていることが分かった。そしてその審神者と接したことがある人は『彼女の本丸はどこか空気が違った』と教えてくれた。だからこの水晶を使って調べてみたんだ。本当に『優れた力』を持っているのかをね」

 行動力の化身かよ……。もう怒りを通り越して呆れの境地に入ってきたが、それは私だけのようでうちの刀たちはいつでも抜刀出来るよう柄に手をかけている。殺気を出さない辺り流石というべきか。
 それにしても、昔の人はよく言ったものだ。壁に耳あり障子に目あり。まさかうちで更生した刀を斡旋した先でそんな噂が出回っていたとは。
 いや、彼ら、彼女からしてみれば誉め言葉だったんだろうな。でもそれが今回は悪い方向に転じてしまった。本来なら嬉しい言葉なはずなんだけどね。

「竜の力は絶大だ。その力を使えばきっと彼女は戻って来る。いや、絶対に戻って来ることが出来る」

 そりゃあ竜神様の力があればその程度のこと、軽く解決出来るだろう。だけど竜神様の持つ力は厳密に言えば『霊力』ではない。『神気』、そして『神力』だ。
 鳳凰様からも教えてもらったけど、普通の人では『神気』に耐えられない。力の質が違い過ぎるからだ。
 私の場合は血筋と、幼い頃から竜神様が傍にいてくれたから適合した、ってだけで、そうでなければどう足掻いても無理なのだ。神の力を受け入れるのは。
 だけどそれを知らなければ藁にも縋る、って感じで手を伸ばすのも無理はないよなー。と思ってしまう。だって自分も、大切な人が生死の境をさまよっていたら『出来ることは何でもしてやりたい』って思うだろうし。

 だからと言って無差別に誰かを傷つけることも、霊力を奪うことも許されることではない。そして彼らを誑かしたあの『柳瀬』という男は絶対に許しておけない。

 聞きたいことはまだあるが、一先ずジェスチャーで刀たちに『そろそろ捕獲の準備を』と伝える。皆も黙って頷き、姿勢を変えた。

「どうかこれからも俺のことを信じて欲しい。必ず彼女を連れ戻して見せるから」
「…………そうですか」

 今剣はどこか消沈したような声で受け入れた――ように思えたが、実際は違った。

「ですが、ぼくはそれを”きょぜつ”します」
「――へ?」
「みずのさん! いまです!」
「薬研、長谷部、小夜! 突撃!」
「了解!」
「主命とあらば!」
「行きます!」

 今剣の号令を合図にこちらも指示を出せば、準備を整えていた薬研、長谷部、小夜が飛び出していく。そして捕縛部隊として堀川と陸奥守を行かせると、どうやら相手は護衛をつけていなかったらしい。すぐさまうちの刀たちに捕獲された。

「な、なんだお前は! 横暴だ! 暴力だ! 訴えてやるからな!」
「はーん? だぁれがだーれを訴えるってえ……?」

 こっちも面布をしているから相手も『私』だと分からないのだろう。だがこちらとしては迷惑を被ったのだ。許すわけにはいかない。

「太郎太刀さん、膝丸さん。武田さんに連絡をお願いできますか?」
「はい。すぐに繋ぎますね」
「それから、先程の会話。全てこのレコーダーに録音させてもらった。逃げられると思うなよ」

 どうやら膝丸は先ほどの会話を全て小型のICレコーダーに録音していたらしい。素晴らしく仕事の出来る男ぶりに「すげえ! かっけえ!」と手を叩けば、彼は「常識だ」とどこか自慢げに胸を張った。

 こうして私を害そうとした男は捕まり、現役警察官である田辺さんへと身柄が引き渡された。
 つまり表向きではこの事件は幕を閉じたということだ。

 ――だけどもう一つ、確認しなければならないことが残っている。

「ここが例の女性審神者……真希乃(まきの)さんがいる病院ですか」
「ああ。らしいぜ」

 私の髪を切った男性審神者である『橘』の元妻であり、遊郭で男達を襲撃していた刀剣男士の主である女性審神者、『真希乃』さん。彼女はまだ二十代前半の、審神者を初めて一年ほどしか経っていない新人審神者だった。
 そんな彼女が入院している病院に武田さんと共に訪れている。そして病室に向かうすがら、分かった情報を教えてもらっていた。

「真希乃さんと橘の年齢差は七歳。審神者同士のお見合い会場で知り合い、結婚したそうだ。だが橘は当時年齢詐称をしていてな。更には結婚前から二人の女性と交際、というか浮気をしていたらしい」
「は?! つまりは三股?!」
「ああ。しかも真希乃さんには隠していたが、離婚歴もある。正真正銘の『女好き』ってやつだな」
「ぐわあ……。最悪じゃねえか……」

 とんでもねえクズ男を選んでしまった真希乃さんが気の毒だ。そしてそんな彼女を例の『柳瀬』は愛していたという。

「だが柳瀬は告白する勇気が出ず、そのままうじうじしている間に橘に彼女を獲られたらしい。バカだよなぁ」
「バカな癖に一丁前に嫉妬だけはするクソ野郎ですよ。しかも色んな人を巻き込むし。いい迷惑ですよ」
「そうだな。だがまぁ、奴さんの行動力には驚かされるものもある。人間、愛するもののためにはどんな物でも作っちまうんだな」

 武田さんの言う通り、あの『柳瀬』という男は周囲の人間を使ってばかりで自分の手は一切汚そうとしない、橘とは別の意味でクソ野郎だった。だけど人の霊力の量を調べる道具を自作した、という点は素直に賞賛出来る。ま、それを『正しい使い道』として利用してくれなかったから言葉にはしないが。

「彼女は今も昏睡状態なんですか?」
「みたいだぜ。ただ自発呼吸は出来ているから、そのうち目覚めるんじゃないか、ってのが医者の見解だそうだ」
「そうですか……」

 話しているうちに辿り着いた病室は個室だった。ノックをしたが返事はなく、試しに声をかけて開けてみても親族や友人らしき人物はいない。それでも花が活けられているからお見舞いに来る人はいるのだろう。
 ……あの柳瀬、って男かもしれないが。

「どうだ。何か分かるか」
「そうですね……。これといって何か見えるわけでも、聞こえるわけでもないです」

 二人の男が捕まり、あの遊郭も改めてお札を貼り替え、お祓いを受けたことで彼女の生霊の気配はなくなったという。だから肉体に離れていた魂が戻ってもおかしくはないのだが、彼女は未だに目を覚ます気配がない。
 そしてあれから一度も以前聞こえたような恨み辛みが籠った声が聞こえることもない。それが何故なのか。分からないわけじゃない。

「真希乃さん。ずっとこのままなんて勿体ないですよ。起きて、過去と決別して、前に進みましょう」

 彼女のやせ細った手にそっと手を重ねながら話しかける。ぷくぷくした自分とは違う、骨にかろうじて肉がついているような細い手だ。それでもまだ血は通っている。生きているのだ。
 だから『生きて欲しい』と思う。例え審神者を辞めることになったとしても、彼女には幸せになって欲しい。そう、彼女の刀たちが願っていることを伝えたかった。

「……やっぱり、見ず知らずの私が声をかけても反応があるわけないですよね」
「水野さん……」
「大丈夫です。今回は百花さんに手伝ってもらいましたから」

 今回は、っていうか、今回も、って感じだけどね。
 苦笑いしつつ、鞄の中から一枚のお札を取り出す。それは百花さん特製『浄化用式紙』だった。

「えーっと、まずはこの儀式用の用紙を置いて、その上に式紙を置いて……」

 今回用意したのは鳳凰様から教えてもらった『人間の手で行える、火神式低燃費浄化』儀式だ。
 いつものように竜神様の宝玉に事の顛末を報告したら、陸奥守が鳳凰様から『後顧の憂いを断ってこい』とこの儀式を教えてもらったらしい。
 ただ人間界に伝わっている儀式とは色々と違うみたいだから、以前鳳凰様が加護を与えた百花さんにその準備を手伝ってもらったのだ。

「けど、陸奥守を呼ばなくてよかったのか? 火神の眷属なのはアイツだろ?」
「はい。ですがこの儀式は『燃やす』のではなく『祈る』力の方が大事らしいので。だったらそっちは私の方が得意かな、と思ったんです」

 実際陸奥守からも『おまさんに迷惑かけたおなごに祈ることはできん』と渋い顔で断られている。それでも私が行くことを止めなかったあたり優しい旦那様だ。

「それじゃあ始めますね」

 鳳凰様は火神であり、命を司る軍神でもある。そして退魔の力を持っているため、彼女の中にある『悪縁を燃やして断ち切る』ということも出来るらしかった。ただ陸奥守を始めとした眷属では『燃やす力』が強すぎるため、生命力自体が弱まっている彼女を却って苦しめてしまう。だから今回は『祈り』の力で行える儀式を執り行うことにした。

「――どうか、この人が新たな道へと進めますように」

 そっと手を合わせ、瞼を閉じて意識を集中させる。そうすると自然と百花さんに与えられた『灯の加護』の力――暗闇の中にいる誰かの“道しるべ”となってくれる優しくもあたたかい力を感じとることが出来る。
 その力に後押しされるように習った手順で儀式を進めていくと、真希乃さんの閉じられた瞼の隙間から一筋の光が落ちて行った。

「……これで救われるといいんだがな」
「そうですね」

 彼女の目尻に残る雫をそっとハンカチを押し当てて拭い取り、病室を後にする。

 この後のことは武田さんに任せることにした。
 だって元はと言えば政府の下っ端役員がうっかりポロっと情報漏洩と言う名のコソコソ話をしていたのが原因だし。犯人確保までしたんだからそこから先は警察と連携して上手く解決してくれ、って話だよ。
 それでも一応情報が入るよう、常に報連相は取っていたのだが。ある時遂に真希乃さんが目を覚ましたという朗報が入った。

「よう、水野さん。例の件についての報告しに来た。が、その前に。朗報だ。遂に彼女が意識を取り戻したぜ」
「え。そうですか。彼女、目が覚めたんですね」
「はい。ですが審神者は辞めるそうです」
「ま、そうでしょうねぇ……」

 彼女が霊力を失った理由。それは自暴自棄から来る自罰的な現象――ではなく。元から少なかった霊力を騙し取っていたクソ男――橘のせいだった。

「あいつの本丸と家宅捜査、それから前任の役員からの事情聴取等を並行して行って分かったことだが、元々あのクソ男はそんなに霊力がある方じゃなかったんだ。だが偶然とはいえ、レアと呼ばれる刀を顕現させることに成功してな。それ以来『強い刀剣男士を顕現させるためには霊力が必要なんだ』と考えるようになったらしい。それで色んな女をとっかえひっかえして霊力を奪っていたんだと」
「んぐぅ〜……絵に描いたようなクズぅ……。でも、どうやって霊力を奪っていたんですか?」
「コレを使ったようです」

 定期報告に来てくれた武田さんの隣に座していた太郎太刀が、懐から一通の封筒を取り出す。その中には一枚の『契約書』が入っていた。

「これは?」
「所謂“契約書”です。ですが、普通の契約書ではありません。これは水野さんの“言葉”の力と同じく、“言霊”の力と審神者の能力を利用した悪質な“搾取契約書”です」
「搾取契約書……」

 怒り心頭と言わんばかりの険しい表情を浮かべる太郎太刀に驚きながらも書面に印字された文字を追う。
 ……なるほど。確かに”搾取契約書”と言われるだけある。

「これ、とことん書かせた側に有利な条件しか載っていませんね」
「ああ。しかも『甲』と『乙』では内容が若干違っているんだ」
「甲乙の意味ぃ!!」
「まったくだぜ。しかも困ったことにな、この手の依頼は『金さえ出せばやってくれる』奴らが一定数いることだ」

 普通はこんな『一方に有利な契約書』を作成することは出来ない。当然ながら『違法』だからだ。だけどその『法を犯してまで己の利を追求する』人たちは必ずいる。そしてその手助けをする人間も同時に存在するのだ。

「あのクズ男共はコイツの作成方法は知らないそうだ。ま、実際橘って野郎は学がなさそうだったしな。柳瀬に関してもそうだ。あいつはこんな契約書があることすら知らなかった」
「つまり、この『名前』と『血』を使った契約書を通して人から霊力を奪っていたんですね?」
「はい。この契約書は審神者名と実印ではなく、本名と血判により成り立っています。この二つは神職にとってかなり重要なものです。その二つを使い”契約”させたのであれば、どんな内容であれ、効力は確実なものとなります」

 私たち『審神者』は審神者としての業務を行う際、必ず実名ではなく『審神者名』でサインするよう徹底している。というか審神者を守るために政府が定めた規則だ。だから印鑑も実印ではなく、審神者用の印鑑を使用する。と言っても実印が必要な書類もあるにはある。まあ、大体が確定申告みたいな書類だけど。

 でもこの書類には『実名』に加え、指印と呼ばれる『血判』まで使用している。己の名前と血。その二つは強力な個人情報であり、自身を証明する証拠ともなる。
 その特性を利用し、相手から『生命力』の一つでもある『霊力』を奪ったのだろう。

 まったくイヤになる話だ。

「この契約書は政府が保管し、十分な措置を行った後破棄する予定です」
「ああ。だがこの手の契約書を書くバカは捕まっていないからな。暫くは水面下でそっちの調査もする予定だ」
「そうですか……」

 二人はまだまだこの件から手を引くことは出来なさそうだ。ただ私に関しては『一先ず一件落着』と言ってもいいだろう。
 実際、うちの刀たちは「これでようやく落ち着いて生活出来るな」と肩の力を抜いている。
 気持ちは分かるよ。色々面倒だったし大変だったもんね。
 面布の奥で苦笑いしながら武田さん達へと向き直る。

「もし困ったことがあれば言ってください。出来る限り力になりますので」
「ありがとよ。けど気持ちだけ受け取っておくわ。じゃねえと水野さんの場合は本当に厄介なことに巻き込まれそうだからなぁ」
「ええ。言葉には力が宿りますから。くれぐれもお気をつけて」
「はは……。ありがとうございます」

 ――こうして私を狙った一連の事件は幕を閉じた。

 そして真希乃さんの刀たちだが、彼らは暫くの間政府預かりになったあと刀解されることが決まった。
 傷害事件を起こしたからね。流石に他の本丸に譲渡するわけにはいかない。それに真希乃さんはもう霊力がないから本丸に行くことも出来ない。だから『賠償金』を払うことで上手く収まるよう手配する、と武田さんは言っていた。

 問題は彼女自身が立ち直れるかどうかだ。
 一応浄化の儀式はしたけど、彼女自身が離婚相手や刀剣男士のことを引きずってしまえば悪縁が断ち切れたとは言えない。でもこればかりは私じゃどうすることも出来ないからなぁ。彼女の心の強さに賭けるしかない。

 それと、潜入捜査を行った遊郭では傷害事件や謎の声が聞こえてくる、という話はなくなり、無事運営が出来ているようだった。短い間だったけど、忙しいなりに楽しい毎日だったなぁ。なーんてほっこりしていたんだけども。

『最近、色んな刀剣男士様から『みたらしはいないのか?』と聞かれることが増えたんですよ。やっぱり審神者様と刀剣男士様は特別な関係でいらっしゃるんでしょうね』
「は、ははは……はははは……」

 例の女将さんから送られてきた、近況報告じみた手紙に書かれた一文にどっと冷や汗が流れた。

 ……私、審神者ってバレてないよな……???

 ある意味この文章が一番ゾッとしたとは誰にも言えそうにない。
 まるで黒歴史が刻まれたノートを仕舞うように、その手紙をそっと引き出しの奥に入れるのだった。




終わり




 最後までお付き合いくださりありがとうございました!m(_ _)m
 今回は、というか今回も『生きてる人間が一番やべえ』というお話でした。三部作にするかどうか迷ったのですが、クズ男たちの話を掘り下げるのもなんだかなぁ。と思い二部で纏めました。
 楽しんで頂けたら幸いです。



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