小説
- ナノ -




 遊郭での潜入捜査を開始してから早二週間が経った。その間に事件は起こっておらず、めぼしい痕跡も見つかっていない。普通に忙しい日々を過ごしている。
 ただおかしなことに『配膳役のバイト』であるはずの私は、度々客、あるいは護衛として来ていた刀剣男士と言葉を交わすようになっていた。

「よっ、みたらし。数日振りだな」
「あ。和泉守兼定様。いらっしゃいませ」

 配膳を終え、次の追加注文を受け取った後。厨房に戻る道すがら一振りの刀に声をかけられる。それはどこかの審神者の護衛としてついてきていた『和泉守兼定』だった。

「どうだ。少しは仕事に慣れたのか?」
「はい。おかげさまで何とかやっています。その節は和泉守兼定様にはご迷惑をおかけしました」

 そう。この『和泉守』と出会ったのは潜入捜査を開始した二日後のことだった。
 幾ら通信役からの補佐があるとはいえ、お膳を運びながらの移動は苦労する。それに機械のようにただ体を動かせばいいわけでもない。初めての接客業に加え、捜査に対する懸念や疑問などが積み重なり視野が狭くなっていた。そんな時に追加注文で受けた酒の配膳先を間違え、内心で「しまったー!」と叫んでいた時に助けてくれたのがこの『和泉守兼定』だった。

『まぁいいじゃねえか。日頃飲まねえ酒も飲んでみるのもありだろう?』
『そうは言うけどなぁ、和泉守。酒だってタダじゃないんだぞ?』
『酒代如きで細けぇこと言うなよ。ま、主がそんなに言うならこの酒代ぐらい俺が出してやらぁ』

 こうして配膳をミスしたにも関わらず、和泉守は注文していた酒よりも少し高い酒を買ってくれた。それに何度も感謝の意を示して頭を下げたのが出会いのきっかけだ。
 彼はあくまでも『護衛』としてついて来ているから酒も遊びもしないのかと思っていたけど、意外と飲む時は飲むらしかった。

「ははっ。気にすんな。俺も不味い酒よりうまい酒が飲みたかったんだ」
「そう言ってもらえると助かります」
「おうよ。んじゃま、無理のない範囲で頑張りな」
「はいっ」

 ポンポンと軽くこちらの肩を叩き、和泉守は去って行く。それにほっとしたのも束の間、すぐに数歩先で他の刀から声をかけられる。

「やあ、みたらしさん。こんばんは」
「あ。こんばんは。いらっしゃいませ、にっかり青江様。本日も審神者様の護衛ですか?」
「まあね。遊ぶ場所で遊べないのは辛いけど……ま、仕事だからしょうがないよねぇ」

 今度会ったのは『にっかり青江』だ。彼はうちにいない刀だが、先程会った和泉守の主同様、よくこの遊郭に遊びに来る審神者の護衛としてやってきている。最初に言葉を交わしたのは彼が「厠の電気が切れかかっているよ」と教えてくれたのが切っ掛けだが、何故それ以降も声をかけられているのかは正直謎だ。
 それでも折角を声をかけてくれたのだからと頭を下げれば、彼は『にっかり』と笑みを浮かべてから耳元に唇を寄せてきた。

「今日はどこか空気がざわついている。君も気をつけた方がいい」
「ッ!?」
「まあ、不思議と君は大丈夫そうな気もするけどね。それじゃあ、僕は部屋に戻るよ。またね」

 いきなり耳元で囁かれたからびっくりしたが、それ以上に内容が気にかかった。あとインカムをつけていない方の耳でよかったな、とほっと息を吐き出していると、本日の通信組――加州が『うちの主に何してくれてんだあの青江』と呟いた。

「ま、まあまあ。にっかり青江が妙な気配を感じたなら、今日こそ何か収穫がある、ってことじゃない?」
『それはそうかもしれないけどさー。……てか、主本当に大丈夫? 何か妙に俺らに声かけられてない?』
「う、うーん……。それは……」

 加州が気にする通り、何故かやたらと刀たちに話しかけられている。他の従業員もこんな感じであれば特に気にも留めなかっただろうけど、他の人たちは「そうでもない」というから、やっぱり自分が審神者であることが原因なのかもしれない。
 まあ、鳳凰様がくれたアクセサリーを服の下に隠し持っているから、竜神様の気配がバレているわけではないと思うけど。

「それより、今の言葉はやっぱり気にかかる。皆にも伝えておこう」
『了解。それじゃあ俺から伝えておくから、主はお膳を下げて来なよ』
「うん。ごめんね。助かるよ」

 加州の言う通り、これから一足先に帰宅した客のお膳を下げに行かなければならない。動くならそれからかなぁ。と思いながら廊下を進んでいると、不意に人の声が聞こえた気がした。

『――……から…………こそ……』
「ん? 今、なんか……」
『主? どうしたの?』

 インカム越しに加州の声が聞こえてくる。だけどそれには返事をせず、じっと声がした方向――今日は誰も入っていない太客用の部屋がある場所を見つめていると、背後からポン。と肩を叩かれた。

「ヒギャアアア!」
「おっと、すまない。驚かせるつもりはなかったんだ」
「さ、山鳥毛様……」

 振り返れば、そこには気まずそうに頬を掻く美丈夫――山鳥毛が立っていた。

「す、すみません。何かご用命でしょうか」
「ああ、いや。君があらぬ方向を見ていたから、どうかしたのかと思ってな。気になって声をかけただけなんだ」
「あ……。そうなんですね。ご心配おかけしてすみません」

 山鳥毛は見た目こそ自由業の方のように見えるが、実際はとても礼儀正しく思いやりのある、情の厚い刀だ。勿論うちにはいない刀なので、あくまでも他所の本丸で接した時に感じた感想ではあるが。あとは何度かうちで保護したこともあるけど、どの『山鳥毛』も回復が早く、比較的早い段階で回復して他の本丸へと飛び立っていった。
 だから特別驚くことはなく、いつも通り『優しい刀だなぁ』と思いながら頭を下げたのだが。山鳥毛も何か感じたのだろう。私が見ていた廊下の先へと視線を向ける。

「……不快、というほどでもないが、今日はあちらに近付かない方がいいかもしれないな」
「さ、さようですか……」
「ああ。私は部屋に戻るが、他の従業員にも『用がなければあまり近づかない方がいい』と伝えた方がいいだろう」
「分かりました。上の者に伝えておきます」

 山鳥毛に怪しまれないよう、すぐに頭を下げてから「お部屋にご案内いたしましょうか?」と続ければ「結構だ」と軽く手を振られる。彼とはそこで別れたが、やっぱり今日何かが起きそうだ。
 というわけで、すぐさまインカムに手を伸ばし他の刀に連絡を取る。

『髭切さん。鬼丸さん。外はどんな様子ですか?』
『うーん。どうにも風向きが怪しいなぁ。って感じかな』
『裏庭にはまだ気配はない。だが用心しておく必要はありそうだ』
「あまり無理はしないでくださいね」
『わかっている』

 今日は髭切と鬼丸の他に、短刀の前田と平野が彼らの補佐としてついている。そして控室には『小夜左文字』がいた。

「小夜くん」
「主。どうかした?」
「多分だけど、今夜動きがあるかもしれない」
「分かりました。準備します」

 どの刀が来るのかは分からない。それでも裏庭の監視を鬼丸と平野が、遊郭の周囲を巡回するのは髭切と前田が行ってくれている。もし彼らの目を掻い潜り、この店に潜り込んできたとしても小夜がいる。だから大丈夫なはずだ。そう自分に言い聞かせ、厨房と部屋を行ったり来たりしている時だった。
 ――男女の悲鳴が聞こえたのは。

「小夜くん!」
「はいっ!」

 反射的に懐に入れていた小夜を取り出し、すかさず神卸をする。ただの刀に戻っていた小夜もすぐさま人の形を取り、弾かれたように廊下を駆ける。そして廊下を曲がった先で硬いもの同士がぶつかり合う音が聞こえた。

「誰か! 誰か来てーっ!」
「大丈夫ですか?!」

 小夜より少し遅く辿り着けば、そこには腕を抑える男性と、髪と衣服を乱した遊女が畳の上で蹲っていた。
 そして彼らの前には、うちの小夜と対峙する一振りの『刀剣男士』がいた。

「僕の邪魔をするな……!」
「そういうわけにはいかない」
「小夜、左文字……」

 ――嫌な予感は的中してしまった。
 どこの本丸の刀かは分からない。それでも私の小夜左文字の前に立ちはだかる『小夜左文字』は、同じ個体とは思えない程に恐ろしい形相をしていた。

「主君!」
「主さま!」
「前田、平野!」
「すまん! 一人取り逃がした!」
「やっぱり短刀の機動力って侮れないよね。お待たせ、主。僕と綱太郎がそれぞれ一振り捕まえてきたよ」
「うぐっ」
「この、離せよ! 離せってば!」

 インカム越しに声が届いていたのだろう。すぐさま前田と平野が駆けつけ、続いて鬼丸が現れる。そうして最後に現れた髭切は、のほほんとした様子で担いでいた短刀――両手足を縛った『今剣』と『愛染国俊』を地面に下ろした。

「小夜! 逃げろ!」
「ぼくたちのことはおいて、はやくにげてください!」
「そうはいきません」
「はい。主君のためにも、逃がすわけにはいきません」
「大人しくお縄についてください」
「くっ……!」

 正直『小夜左文字』のことも気になるけど、まずは怪我人の避難が先だ。悲鳴を聞いて他の従業員が「何があった?!」と顔を出してくれたので、それを幸いにと怪我人を任せることにした。

「この方の手当てをお願いします!」
「わ、分かった! お客様、歩けますか?」
「あ、ああ……」
「あたしも行くよ!」

 客人と遊女が慌ただしく部屋を出て行くのをチラリと横目で見送り、それから威嚇するように牙を剥いている『今剣』と『愛染国俊』の前に膝をつく。

「お前! オレたちをどうする気だ!」
「おなごだからといって、ぼくがようしゃするとおもわないでください……!」
「お二方、どうか落ち着いてください。そしてまずは、手荒な真似をしたことを謝罪致します。ですが、こうでもしないとお話が出来ないと思ったからです」
「うぐっ!」
「「小夜!」」

 今剣と愛染の声が重なる。それは自分の仲間が負けたことに驚くと同時に心配していることが滲んでおり、「彼らにはまだ理性が残っているはず」と判断した。

「主。捕らえました」
「ありがとう、小夜くん」
「くっ……! こんなはずじゃ……!」

 奥歯を噛みしめているかのように悔し気な表情をする小夜左文字に、私はそっと近づき、再び膝をついた。

「遅ればせながら、私は審神者の“水野”と申します。どうかあなた方のお話を聞かせてください」
「審神者……?」
「どうして、女の審神者がこんな場所に……」

 普通、審神者はこういう『夜の街』で働くことはない。何らかの事情があれば別だが、殆どの女性審神者は『審神者』が本業だ。夜のバイトをしてはいけない、というわけではないが、敢えてそんな道に進む人は少ない。
 まさか客で来たわけでもないだろうし、と言わんばかりに驚く三振りに、「どこからどこまで説明するべきか……」と悩みながらも一度立ち上がった。

「まずは店側に事情を説明してきます。それまではここで待機してください」
「ふっ、ほりょにきょひけんなどあってないものですからね」
「そのように卑屈にならないでください。私にはあなた方を罰する資格などありません。ただ事情を知りたいのです」

 そして、出来るならこんなことは止めて欲しい。だけど事情が分からないうちに適当なことを言うわけにもいかない。だからその場は一旦刀たちに任せ、先に女将さんたちがいる場所へと向かう。

「みたらし! 無事だったんだね!」
「はい。私は大丈夫です。ところで、この後私は抜けても大丈夫でしょうか」
「ああ。大丈夫だ。そのためにここに来てもらったんだからね」
「ありがとうございます」

 女将さんに許可は貰った。だからすぐさま武田さんに連絡を取り、現役警察官でもある田辺さんにも連絡をしてもらうようお願いする。ほら、現場検証とか色々あるだろうからさ。
 そんなわけで私は一足早く駆け付けてくれた武田さんの膝丸と蜻蛉切に手伝って貰いながら自分の本丸へと戻った。

「と、いうわけで。改めまして。審神者の水野と申します」

 流石に人の本丸に来て暴れたりはしないだろう。そもそも周囲には私の刀と、うちの本丸に直接来てくれた武田さんと太郎太刀もいる。そして引き続き膝丸と蜻蛉切もいるため、戦力は十分だった。三人もそれが分かっているのだろう。あるいは、本丸に流れる清浄な気で昂っていた気持ちも落ち着いたのか。
 渋々と言った様子で抵抗するのを止めたので、こちらも縄を解き、お茶を出した。

「なんか……捕まえられたのに捕まえられた、って感じがしねえ……」
「あなた、たいおうがあますぎるのではないですか?」
「ははっ。そう思われても仕方ありませんね。ですが、私は”審神者”です。あなた方刀剣男士と共に歩む者が、錯乱してもいないあなた方を縛る道理はありません。よっぽどの事情がない限りは、ですが」

 逆に言えば『よっぽどの事情』があったから遊郭であんな傷害事件を起こしたのだろう。暗にそう滲ませてみると、三振りは互いに顔を見合わせた後、頷いた。

「ええ。あなたのおっしゃるとおりです」
「オレたちは、主さんの仇がとりたかったんだ」
「………………」
「……お話を、お聞かせ願えますか」

 硬く口を噤んでいた『小夜左文字』の代わりに二人が話してくれたのは、とある一組の男女のお話だった。そしてそれは、例の加害者とその元妻の話で間違いなかった。

「あるじさまはうらぎられたのです」
「そりゃあ、元々愛し合っての結婚じゃなかった。だけどそういうもんだと割り切っていたとしても、主さんは傷ついたんだ。あいつの浮気癖に」
「だから、復讐したかった」
「やっぱりな……」

 武田さんが小さく呟く通り、彼らの動機は『女性審神者である主の復讐をするため』で間違いなかった。だけど何故例の加害者ではなく無差別に男性審神者を襲ったのか。それを尋ねると、彼らは途端に険しい顔をした。

「それは、あのおとこたちがみんな”おなじ”だからですよ」
「同じ?」
「ああ。全員『妻がいるのに浮気している男』なんだ」
「主が離婚する前に言ったんだ。『浮気する男が許される世界なんておかしい』って。『法で罰することが出来たらいいのに』って。でもそれは難しいから……。だから、僕たちが主の代わりに復讐しようと決めたんだ」

 うおあーん。なるほどなぁ……。内心「そうきたかぁ」と思わなくもないが、ある程度は予想の範囲内ではあった。
 元々刀というのは『主が望まない』ことは積極的に行ったりしない。たまに暴走する刀もいなくはないが、多くの場合他の刀が止めてくれる。だから『誰かが望んで危害を加えるよう命令している』可能性も視野に入れていたのだ。
 実際、彼らは『結婚した相手からの裏切り』に悲しむ主の気持ちに応えようとしただけのようだし。行ったことは犯罪だけど、それだけ彼らは主を大切に思っている、ということだ。

「つまり、お前たちは『妻がいるにも関わらず、遊郭で遊んでいる男』を狙って凶行を繰り返したのか?」
「ありていにいえばそうですね。ですが、ぼくたちも”むさべつ”におこなっていたわけではありません」
「ああ。特に女性に対して暴力的だったり、嘘をつくようなクズ野郎を相手にしてたんだ」
「……調べるのは、そんなに難しいことでもなかったから……」

 極大解釈にはなるが、彼らは『虐げられている女性の味方』をしていたわけだ。
 だけど如何せん方法が悪い。所持している刀剣男士が問題を起こした場合、その責任は審神者へと向かう。だがその審神者が現在入院中のうえ、彼女はまだ昏睡しているという。となれば責任の矛先はどこへと向かうのか。
 元夫だって私の髪を切ったせいでお縄についているから無理だ。彼らの主もいつ目覚めるのか分からない。さてどうしたものか。武田さんと一緒に悩んでいると、あちらの小夜左文字が「主が……」と小声で呟いた。

「あの男がいなくなれば、主も目覚めてくれる……。そう聞いたのに……どうして主は目覚めないんだろう……」
「へ? あの、誰に何を聞いたんですか?」
「主さんに『審神者同士のお見合い』と『離婚』を勧めてきた男だよ。主さんが会議か演練かで出会った男審神者でさ。名前は確か――……」
「やなせ、といっていました」
「やなせ……」

 どんな字を書くのか尋ねると、小夜左文字が『植物の柳に瀬戸際の瀬だ』と教えてくれた。つまりその『柳瀬』が私の情報を件の容疑者に伝えた可能性が高い。

「その柳瀬、って男とは頻繁に連絡を取っていたのか?」
「どうでしょう。そのあたりのことはわれわれはよくしりません。あるじさまのこうりゅうかんけいにくわしかったのは、きんじとしょきとうですから」
「その近侍と初期刀ってのは誰だ?」

 タブレットに情報を打ち込みつつ尋ねる武田さんに、今剣が「しょきとうは加州清光、きんじは長谷部と燭台切がこうたいでおこなっていました」と教えてくれた。

「ってことは、その三人に話を聞けばその柳瀬のことも分かるってことか」
「ええ。ですがあなたはこないほうがいいですよ。いまのわがほんまるはだんせいさにわにたいして殺意をもった刀ばかりですから」
「ああ。来るならアンタ、水野さんだな」
「……分かりました」

 いつか彼らの行いを罪に問わなくてはいけないが、彼らは夜逃げするような性格の持ち主ではない。それに、ちゃんと対応すれば必ず応えてくれる。刀剣男士というのはやはり『神』であるからか、卑怯な性格はしていない。だから頷くことで答えれば、うちの刀たちも「俺達も護衛としてついて行くが、それは構わないだろ」と確認を取ってきた。
 内心では行かせたくないだろうに、私の譲らない性格を知っているからか最後まで補佐しようとしてくれる。そんな彼らが頼もしい。

「それじゃあ武田さん。私は彼らの本丸に行って情報を貰ってきます」
「ああ。けど、気をつけろよ。俺は行かねえが、その代わり太郎と膝丸を連れて行け。念のため蜻蛉切は俺の護衛として残しておくが、それでいいな?」
「はい。ありがとうございます」

 今回は本丸自体に異常もなさそうだけど、念には念を、ということで引き続きうちの懐刀である小夜と、初期刀兼夫の陸奥守。脇差からは堀川、打刀からは長谷部、短刀からは薬研を護衛として選び、武田さんの代わりに太郎太刀と膝丸を連れて彼らの本丸へと向かうことにした。




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