小説
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「というわけで、暫くの間遊郭で“女中”として働きに行きます!」
「何が『というわけで』ですか! あなたって人は本当に……!」

 宗三から食いつかれるが、既に決定したことだ。だから行く。と、夕餉の後に皆の前で説明していた。

「はあ〜……。おまさんを一人にするがはほんにいかんぜよ」
「そうですね……。まさか僕たちがいない間に話を進めているとは……」

 過保護筆頭である我が夫――初期刀でもある陸奥守と、懐刀である小夜は揃って顔を顰めている。だけど私の意思が変わらないこともまたよく理解しているため、強くは否定してこない。ただ他の過保護刀たちは「何をやろうとしているんだ」と一様に苦情を呈した。

「あんたなあ! 何で狙われてるのを分かってて丸腰で向かおうとするんだよ!」
「主さん、幾ら何でも危ないよ。主さんは僕たちと違って戦う術がないんだから」
「そうだよ! それに女中として潜入するなら護衛としてついていけないじゃん!」
「一番の問題はそこだよなぁ。護衛として誰かがついて行けないとなると、危険度は大幅に上がるぞ」
「そうですよ、主。御身が一番大事なのですから、本丸にいてください。調査は政府に任せればいいのです。そもそも、政府の怠慢が原因で起きた事件でしょう? 自分の尻は自分で拭わせるべきです」
「長谷部の言う通りです。どうしていつもあなたが出て行くんです? おかしいでしょう」
「ここまでくると単なる『便利屋』扱いされてもおかしくないぜ? もうちっと自分のこと大事にしろよな」

 次々と飛んでくる非難と苦情に耳を抑えたくなるけど、誰も「護衛をつけない」とは言ってないんだよなぁ。
 というわけで、ビシッと挙手をして一旦話を遮る。

「はい! 皆落ち着いて! 確かに女中として潜入するとは言ったけど、『護衛をつけない』とは言ってないよ」
「え? ってことは……」
「流石に全員を連れて行くのは無理だけど、何人かは護衛兼捜査係として連れて行きます。当然でしょ? 自分が何の戦力にもならないことは、私自身が誰よりもよく知ってる。流石に丸腰で敵の懐には突っ込んで行かないって」

 それに遊郭の責任者にも『潜入捜査を行う』ことは既に伝えてある。だから何の問題もない。

「そもそも、その遊郭でも『度々ケガ人が出る』ってことで迷惑してるんだって。他にも『妙な声が聞こえる』っていう話もあるみたいだし。営業妨害になってるから何とか出来るならしてくれ、って言われたんだよ」

 これは『潜入捜査』に対する許可が下りた後、直接武田さんたちと一緒に件の遊郭へ赴いた時に聞いた話だ。
 何でも数ヶ月前から客がケガをしたり、遊女が『聞き覚えのない声』を耳にすることが増えたんだとか。女将さん的な人が教えてくれた。

「お客さんの怪我はどれも大したものじゃないみたいだけど、やっぱり店の評判に関わるからね。『あそこの店は止めた方がいいぞ』なんて言われたら困るでしょ?」
「それはそうだが……。それより、その『謎の声』はなんて言っているんだ?」

 鶴丸同様、私もそこが気になって聞いてみた。だけど殆どの人は『何を言っているのか聞き取れない』らしく、微かに聞こえた人も『許さない』とか『よくも』ぐらいしか聞き取れなかったそうだ。

「ってことは、やっぱり店に何か憑いている、ってことか」
「それが例の加害者に憑いていた生霊かは分かりませんが、調査はすべきかと」
「そうだね。もしも本当に僕とは異なる『小夜左文字』が関わっているのであれば、復讐を遂げない限りこの事件は終わらないだろうし」

 やはり同じ『小夜左文字』が関わっているせいか、小夜の表情は暗い。だけど調査自体には前向きなようで、顔を上げるとまっすぐに私を見つめた。

「主。護衛には妖切りの刀と、室内戦向きの脇差、短刀を連れて行くべきだと思う」
「ほうやのぉ。わしら『打刀』も室内戦が苦手、っちゅーわけやないけんど、脇差と短刀に比べたら小回りはきかんきの」
「はいはーい! だったら僕たちが行きますよ!」
「はい! 室内戦ならお任せください! 闇討ち、暗殺、お手のもの、です!」

 うちの2トップの言葉に反応したのは脇差の鯰尾と堀川だ。物吉も慌てて「僕も行けます!」と手を上げたけど、先の二人がキャラ濃すぎて存在感が薄くなっている。いや、本当にこの二人の存在感強いなぁ。

「ありがとう。でも一日でカタがつくとは思えないからさ。ローテーションで行くから、暫くの間よろしくね」
「はい! まっかせて下さい!」
「主さんには指一本触れさせないよ!」
「僕も、頑張ります!」

 意気込む脇差たちに改めて感謝しつつ、妖切りに関しては『髭切・鬼丸・大典太』の三振り、そして大倶利伽羅にもお願いすることにした。

「他の刀は本丸で待機して欲しいんだけど、同時にやって欲しいことがあるんだ」

 うちの刀は過保護でもあるけど、とても優秀だから。色々なことに鈍かったり、他のことで手一杯だったら気付かないこともあるであろう私の代わりに『目』となり『耳』となり、そして『知識』として一緒に戦って欲しかった。

「お店側にはこの『インカム』の使用許可を貰ったから、このマイクを使って本丸に映像や音声を繋ぎます。だからここから何か見つけたり感じたら教えて欲しいんだ」

 インカムは政府から借りたものだ。使用頻度が高くないのに購入してもあれだし、そもそも今回の事件は政府の落ち度でもある。だから要請したら快く貸してくれた。
 因みにこのインカムは既に政府の石切丸がお祓いをし、清めてくれているので何の問題もないと断言できる。

「分かった。つまりは“通信役”がいるってことだな?」
「そういうこと」

 理解の早い薬研に頷き、早速執務室から持って来ていたタブレットとインカムを繋げる。

「このインカムは小型のマイクもついてるからさ。この服の襟のところとかにマイクをつけて、インカムを耳につけたら……」
「お。画面に映像が表示されたぞ」
「じゃあ音声に問題ないか確認したいから、ちょっとここから離れるね」

 夕餉の後ということもあり、本丸は暗闇に包まれている。だからスマホのライト機能を使って暗い道を進みながら「声届いてる?」と話しかけてみる。

『ああ。大丈夫だ。聞こえてるぞ、大将』
「じゃあこの声は?」

 今度は小声で話しかければ、薬研も同じように小声で『問題ない』と答えてくる。
 うん。双方が小声で話してもしっかり拾ってくれるのであれば安心だ。

「映像はどう? ちゃんと見えてる?」
『ああ。問題ないぜ。暗い所も、俺っちたちの目なら問題なく見えるさ』
『薙刀である俺には何も見えないが……。流石藤四郎だな』
『ははっ。刀種によるところが大きいんだ。巴の旦那は気にすんな』

 短刀の薬研はともかく、夜戦や室内戦に向かない薙刀はやはり暗いところは苦手らしい。だから通信役は短刀、脇差、打刀が担うことになった。

「皆も疲れてるだろうに、変な事件のせいで業務増やしちゃってごめんね」
「何言ってるんだ。一番大変なのは大将だろ?」
「そうだよ。夜に働きに出るんだから、昼間は出来る限り僕たちに頼ること。それから仕事に行く前には必ず仮眠を取ってから行くんだよ?」
「分かってます」

 歌仙からの心配を含んだ注意を受けながら頷き、この日はお開きとなった。
 そしてその三日後、女中としての服も届いたため、本格的に潜入捜査が開始した。

「本日からお世話になります! みず、じゃなかった。“みたらし”と呼んでください!」

 夕方。仮眠を取り、ちょっとした軽食を取った後件の遊郭へと足を運んだ。ただ馬鹿正直に「潜入捜査に来ました!」と宣言するわけにはいかないので、『女将さんの知人がバイトとしてやってきた』という体で潜入することになった。
 そもそもここでは審神者や付喪神相手に商売をするため、誰もが“偽名”を使って働いている。だから自分も『誰でも覚えやすい』であろう名前を名乗ることにした。

「あくまでもこの子は臨時バイトだからね。皆もその辺よろしく頼むよ」
「はい」
「分かりました」
「了解です」

 集められた従業員の殆どは落ち着きのある男女で、夢前さんや日向陽さんのようなタイプはいない。そして直接客と接することがない厨房係の人たちは面布をしないけど、接客を担当する人たちは面布やマスクなどをして顔を隠すのがルールのようだった。

「みたらしの主な業務は配膳だ。みたらし、料理については調理係に聞きな」
「はい!」
「部屋の位置と名前についてはアタシが教えてやるけど、分からなくなったらすぐ先輩たちに聞くように。自力で探そうとするんじゃないよ? ウロウロすればお客様の邪魔になるし、何より料理が冷めちまうからね」
「分かりました! 皆さんも、ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いします!」
「ああ。よろしく」
「よろしくお願いしまーす」
「よろしくねー」

 快く受け入れてくれた従業員の方々には私が『審神者』であることを隠している。知っているのは女将さんだけだ。何故なら私が『封印指定』を食らっているからね。安易に教えることが出来ないのだ。だから”あくまでも臨時バイトで来た新人”として動かなくてはならなかった。

「今から開店準備に入るから、皆はいつも通り準備を始めておくれ。アタシはみたらしに部屋を案内してくるよ」
「はーい」
「了解です」

 それぞれが各業務へと向かう中、私は事情を知る女将さんと一緒に店の中を回っていく。

「この度は審神者様のお手を煩わせてしまい、申し訳ございません」
「そんな。気にしないでください」

 周囲に従業員がいないからか、女将さんは先ほどとは打って変わって丁寧な口調で話しかけてくる。
 だってこの店では彼女だけが私が審神者であることを知っているからね。勿論、潜入捜査を行っていることも。だから「気にしないでくれ」と伝えてから「部屋について教えて欲しい」と続ける。

「それでは、各部屋についてお話致しますね。まず部屋の名前ですが、襖の柄に合わせて名付けております」
「襖の柄……。ということは、ここは『扇の間』ってことになるんですか?」

 玄関から最も近い部屋には色鮮やかな扇が幾つも描かれている。だから「ここは『扇』と呼ばれているのか」と確認すれば、女将さんは頷いた。

「はい。ここが『扇』。隣が枯山水だから『山水』。上座や下座に関しては、玄関に近い部屋ほど下座扱いになります。太客用の部屋は奥ですね。ですから間違っても太客を手前の部屋にお通ししないよう、注意してください。まぁ、ご案内は他の人に任せるので問題はないかと思いますが」
「でも頭に入れておきます」

 とはいえ太客が誰なのか分からないため、そこはやっぱり難しいところではありそうだが。でも番頭は別にいるし、客を案内するのは他の従業員だ。自分はあくまでも『配膳役』であるため、言葉遣いに気をつければそこまで問題にはならないだろう。

「ところで、お客さんがケガを負うのはどの部屋が一番多いんですか?」
「それが特に決まりや法則がないんですよ。毎日ってわけでもないですから、余計に迷惑で……」
「なるほど……」

 お客さんがケガを負うのは毎度のことではなく、遊女が声を聞く時間帯も場所もまた不規則なのだという。つまり部屋も時間も関係していないということになる。
 となると、やはり『人』そのものに憑いている可能性が高い。

「お客さんによっては通される部屋が決まっているんですか?」
「太客が相手ならそうですね。たまに遊びに来る程度のお客様でしたら、都度空いている部屋にお通しします。その時の混雑状況によってお通しする部屋は変わりますので、特に大きな決まりはございません。蓮っ葉な言い方をすると、お金を持っているならそれなりに。なさそうなら手前側、という感じですね」

 相手が誰であれ、特に遊郭は『そういう商売』である以上『金』が物を言う。だからこそ一見さんや、数ヶ月に一度しか来ない客は手前側の部屋を宛がうことになっているそうだ。
 ただ一見さんでもその時に金をしっかり使えば次回からはそこそこの部屋に通すらしいので、部屋が固定されている客はあまりいないようだ。

 この二つの事件が同一犯によるものなのかは分からないけど、何にせよ調査対象ではある。気を引き締めていかないと。
 改めて気持ちを引き締めながらおおよその間取りを把握し、部屋の名前を教えてもらったところで細々として作法やルールについて教わる。そうしているうちに営業時間を迎えることになった。

「みたらしさん! これ『蝶』に持って行ってくれ!」
「みらたしさん! ついでにコレ『毬』によろしく!」
「はーい! 持って行きまーす!」

 何気に人生初バイトである。うちは昔から「学生は学業に集中しろ」って言う理由でバイト禁止されてたんだよね。だから社会人として経験した『事務職』以外での接客はマジで初めてで、こうした配膳なんかも上手く出来ている気がしない。
 だけど私には『カンニング』的な役割を担ってくれている刀たちがいるので、インカムから「そこを右に曲がってすぐの部屋が『毬』だ」とか「襖を開ける時は必ず両膝をつくんだよ」とアドバイスが飛んでくる。おかげで一発アウトなやばいことはせずに済みそうだ。

「失礼します。日本酒の追加をお持ちしました」
「ああ、こっちに寄こしとくれ」
「はい」

 中にいたのは遊女が一人と、三味線を持った禿的な人が二人。そして客の男と付き添いなのか、刀剣男士が二人いた。だけどマジマジと観察するわけにはいかないので、サッと酒を渡してすぐに引っ込む。そして次の『蝶の間』へと料理を運び、再び厨房へと戻る。
 そうしてあちこちから入る注文を捌いたら調査の開始である。

「髭切さん、鬼丸さん、堀川と乱も、お待たせしました」
「お? ようやく出番かい?」
「勝手に動くな、という命令はとけたということだな。好きに動くぞ?」
「鬼丸さん、あるじさんに迷惑かけちゃダメだからね?」
「はい。気になることがあっても一人で動かず、我々に報告・連絡・相談してくださいね?」
「……善処はする」
「あはは……」

 初日ということもあり、調査役には『断髪事件』時にもいた髭切と鬼丸を呼び、護衛として乱と堀川を連れてきた。後者二人はよく夜戦部隊で共に出陣しているから連携も出来るだろうし、あまり心配はしていない。
 だけど前者二人は自由人だからなぁ。ちょっと心配だ。

「それじゃあちょっと見て回ろうか」
「おれは向こう側から見てくる。お前たちは好きにしろ」
「もーっ。すぐ単独行動しようとするんだから〜」

 むくれる乱だが、止めようとする気配はない。それもそのはず。何せインカムは一つではないのだから。

「それじゃあ手筈通り、乱と堀川はインカムつけて動いてね」
「うん! 準備出来てるよ!」
「はい。こちらも、通信感度良好です」
「それはよかった」

 最初インカムをつけるのは私だけにしようかと思ったんだけど、武田さんから「四人分借りてきたから護衛にもつけさせておけ」と言われた。特に調査役はばらける予定だから必要か。と私自身思ったので、今回は堀川と乱に渡し、残りは本丸に残る通信役に渡した。

「準備が出来たなら行こうか。あ、そうだ。丸助、僕は主と一緒にいるよ。なんだかそっちの方がおもしろそうだ」
「好きにしろ。おれも好きにする。それと、何度も言っているがおれは丸助ではなく鬼丸だ」
「あはは。そうだっけ? まあ名前ぐらいなんでもいいじゃないか」
「はいはい。二人ともそこまで。それじゃあ主さん、僕は鬼丸さんについていきます。僕ならフォローも出来ますし。乱は主さんをよろしくね」
「了解! 堀川さんも鬼丸さんをよろしくね」

 髭切はこちらと行動を共にするということなので、鬼丸のフォロー兼通信役を堀川に任せ、手分けして遊郭内を調査することにした。

「控室にいる時は特に何も感じなかったけど……。部屋を出た途端違和感があったのはコレが理由かな」
「あ。やっぱりお札って貼られているものなんですね」

 部屋を出て歩き出して僅か数秒。早速髭切が足を止めた。その理由はインテリアとして飾られていた花瓶の底――に貼られていた小さなお札を確認するためだった。

「あ。花瓶を置いてるこの棚の裏にも貼られてるよ」
「内容からしてみれば普通のお札だね。特に強い力は感じない」
「でもこのお札が効いてないから事件が起きてるんですよね?」
「そうだね。だってこのお札、もう効力ないもん」
「え」

 髭切の衝撃発言に固まっていると、花瓶から水が零れないよう高く掲げてから底を指さす。

「ほら。ここ、切られてるだろ?」
「あ。本当だ」
「こっちのお札もそうだよ。ぱっと見じゃ分からないよう、切れ目みたいなのが入ってる」

 札が剥がれて新しいものに変えられないようにするためだろう。真っ二つにするのではなく、文字を切り離すかのように斜めに切り込みが入っている。それこそカッターで切ったかのような細く、短い切れ込みだからよく見ないと気づきそうになかった。

「多分他のお札も似たような状態になっているんじゃないかな」
「道理で生霊が出入りできるわけだ」
「うん。でも生霊ならその人の生命力を削ることになっちゃう。だから事故にあった女性審神者さんの刀たちがここに来ているんじゃないかな?」

 まだそうだと確定したわけじゃないけど、情報は皆に共有している。そのため『その線が一番濃厚だ』ということで、事件には『どこかの本丸の刀剣男士が関与しているのではないか』という体で話を進めていた。

「刀剣男士と審神者のために作られた施設だからね。僕たちを弾くことはないだろう」
「だけど念には念を、って感じでお札をダメにしたんだろうね。榊さんや百花ちゃんのお札ほどじゃないけど、これにもそれなりに効力があったみたいだから」

 お師匠様である榊さんと、姉妹弟子であり審神者仲間の百花さんは『浄化能力』を持っているためお札の質が高いんだとか。私自身はそこまで違いとかは分からないんだけど、刀たち曰く『トップクラス』らしい。でもこのお札はそこまでではないようだ。それでも理にかなった場所にちゃんと貼っているから、それなりに効果はあったんだと予想される。

「でも切られてるならダメだよね。女将さんに教えてあげなきゃ」
「うーん……。それは止めた方がいいんじゃないかな」
「うん。というか、証拠がつかめるまではこのままの方がいいと思う」
「あ、そうか。いきなり全部のお札が変わるとおかしい、って相手に思われるから?」
「うん。それに、もしお札が効力を発揮して相手が入ってこれないと調査が行き詰まるからね。暫くは黙っておこう」
「それもそうか……」

 二人の言うことも頷けるし、何より一斉にお札が変わったら「どうして今頃?」と思われるかもしれない。そりゃあ「掃除していたら偶然見つけたので、他のところも確認したら皆ダメになっていた。だから取り替えた」という理由でも通じるとは思う。だけどいつからこの状態だったのか分からない以上、迂闊に手を出すべきではない。
 自分たちが調査に乗り込んだことを悟らせないためにも、敢えて『見なかった振り』『知らなった振り』をする必要があった。

「他に何か、痕跡的なものは感じない?」
「これと言っためぼしいものはないね」
「うん。ていうか、それならぼくたちよりも先にお客さんとして来ている他の刀たちが気づくと思う」
「だよねぇ……」

 ここには既に武田さんや太郎太刀も足を運んでいる。それに客として来ている刀が異変に気付かないとも思えない。
 そもそも最初に調査しに来た警察が切られたお札に気付かない、ってことはないだろう。となると、その時点ではまだお札は切られていなかった可能性が高い。つまり調査後にこうなったわけだ。

 ある意味では手が込んでるなぁ。と思わなくはないけど、復讐のためなら労を惜しまないのは普通か。むしろしっかり下準備をしておかないとボロが出るからね。
 元より最初から収穫があるとは思っていないし。というかそれなら誰も苦労していない。意識を切り替えるためにも頬を軽く叩くと、インカムから堀川の声がした。

『主さん。こちら堀川です。聞こえますか?』
「うん。聞こえてるよ。どうしたの?」
『それが、今鬼丸さんと一緒に裏庭にいるんですけど、どうにもおかしいんです』
「おかしい?」

 裏庭は女将さんにチラッと説明されたけど、大したところじゃなかった。何て言うか、洗濯物干すだけの場所、みたいな。だから客室からも裏庭が見えないよう、そちら側には窓は取りつけていない。と聞いている。
 面積的にもそう広いわけじゃないから従業員しか行かない場所だ。だけど堀川はその裏庭から『刀剣男士の気配がする』という。

「刀剣男士の気配が?」
『はい。微かですけど、確かに感じます』
「ということは、例の『小夜左文字』は裏庭から来てる、ってことなのかな?」
「あるじさん、とにかく行ってみよう」
「うん」

 乱に促され、早速裏庭に行こうとしたその瞬間――近くの部屋の襖が開き、禿が顔を出した。

「あ、すみません。追加の注文をお願いします」
「はい! かしこまりました!」

 咄嗟に受けてしまったのは元事務員の癖である。内心泣きながらも禿から追加注文を受け、それを手に厨房に向かって足早に歩く。

「ごめん堀川! 追加注文が来ちゃった!」
『分かりました。急ぎではないので、こちらで調査を進めてみますね』
「それじゃあ僕はこの辺りの調査を続けるよ。裏庭に行く時は声をかけてくれたらいいから」
「ぼくはあるじさんのフォローに回るね!」
「ありがとう、二人とも」

 タイミングが悪いが、こればかりはしょうがない。他の従業員には『バイトとしてやってきた』と紹介しているのだから働かないと怪しまれる。
 結局この後も追加注文と配膳を繰り返すことになり、裏庭に行けたのは報告を受けてから一時間も経ってからだった。

「ごめん、堀川! お待たせ!」
「お疲れ様です、主さん。鬼丸さん、主さん来ましたよ」
「ああ。わかっている」

 足を運んだ裏庭は灯りがないためものすごく暗い。部屋にも裏庭側の窓が取り付けられていないため、そこから漏れてくる光もないから一層不気味だ。だけど今日は月が出ているため全くの暗闇と言うわけでもない。念のため懐中電灯も持って来ているし、スマホのライトもある。一先ず懐中電灯のスイッチを入れれば、砂利が敷かれた地面がよく見えた。

「どの辺りから気配を感じたの?」
「この塀のところからです」
「穴が開いてるわけでもないから、きっとこの塀を昇って侵入してきたんだろうね」
「短刀なら身軽だからな。それにこの塀自体には何の術式も掛っていない。ただの壁だと思えば乗り越えるのも難しくないだろう」

 昔ながらのブロック塀だから頑張れば足を引っかけることも出来る。ツルツルじゃないからね。それに高さもめちゃくちゃ高い、というわけでもない。確か現世では塀の高さは二メートルぐらいまで、と決まっていたはずだから、それに合わせて作っているのだろう。鬼丸ぐらい身長があれば腕の力だけでも登れそうだしね。

「侵入経路がここからだとしても、一体いつ、誰を狙っているのか分からない以上、常に見張っておくのは難しいよね」
「それもありますけど、一番気にしないといけないのは『誰が主さんの情報を他人に漏洩しているか』だと思いますよ。正直に言うと、僕は主さんの髪を切った男より、その男に情報を渡した相手の方を警戒しないといけないと思います」
「ぼくも堀川さんと同じ意見だよ。だってその人を捕まえない限り、同じように他の人を唆して事件を起こしそうだから。あるじさんを守るためにも、竜神様の権威を失墜させないためにも、捕まえるべきは事件を起こした刀剣男士じゃなくて真犯人だよ」

 堀川と乱の意見は最もだ。だけど私は事件を起こした可能性のある『小夜左文字』も放っておけなかった。

「何にせよ、ここは要注意しておくべき場所だと覚えておけばいい。今日は来ないかもしれないしね」
「ああ。最悪、見張りならおれがやってもいい。その代わり、おまえたちが言う『真犯人』はそちらで調べてくれ」
「それじゃあ今日はこのまま二手に分かれようか。堀川、悪いけど鬼丸さんのサポートお願い出来るかな」
「はい。任せてください」

 結局この後もそれらしい人物が現れることはなく、ただただ忙しい時間を過ごすだけだった。




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