小説
- ナノ -




 演練会場で髪を切られてから早数日。私は現在激務の中にいた。

「みたらし! これ“椿の間”に運んでくれ!」
「はーい! 了解でーす!」

 そう。審神者の『水野』としてではなく、『臨時バイトの“女中みたらし”』としてな!




『因果応報』




 事の発端は演練会場で髪を切られてから数日経ったある日のことだった。
 件の男性審神者から聞き取りを行った武田さんが報告をするために我が本丸に顔を出していたんだけど、そこで妙な話が出たんだと。

「飲み屋で私のことを話している人がいた?」
「ああ。何でも飲んでいる最中に意気投合したらしくてな。その時に水野さんの話を持ち出した奴がいるらしい」

 本丸が男所帯ということもあり、万事屋とは別区画に“夜の店”を集めた場所がある。
 それこそ刀剣男士たちをメインターゲットにした『女性の付喪神』を集めた遊郭から、男性審神者向けの『キャバクラ』や『バー』『スナック』なんかもある。
 因みに女性審神者向けの『ホスト』もあるから遊び好きな人には堪らない配慮だろう。
 私? 行ったことないに決まってるだろ! そんな暇も度胸もなかったわ!

「えっと、その人は政府の人なんですか?」
「それが分からねえんだ」
「分からない?」

 どういうことかと首を傾ければ、どうやら例の男性審神者は誰から情報を聞いたのか覚えていないらしい。

「男だったのは確かだと言うんだが、名前や顔、体格すらまともに思い出せないらしい」
「ということは……」
「ああ。酔いすぎていたか、意識を阻害させる術か何かを掛けられたか。どちらかだろうな」

 うーん。これは思ったより厄介なことになったぞ。
 確かにこういう案件をよく取り扱うというか、巻き込まれるようにはなったけど、だからと言って専門の知識があるわけじゃない。むしろ「認識阻害ってどうやるねん」という、初めの一歩で既に躓いているタイプだ。だからこういう時どうすればいいのか分からず悩む。
 とはいえうちには過保護でありながらこの手の話に詳しい刀が沢山いるので、彼らに助力を扇げばいいだけの話なんだけどね。

 現に同席していた刀たちは口々に「厄介な」とか「面倒だな」と声を上げている。まあ中には「またか」と呟く声も聞こえたけどな。私も同じこと思ってるよ! ごめんね!

「今のところ分かっていることはそれぐらいだ。ただ厳密に言えば、容疑者は水野さんの名前を知らなかったんだよ」
「え? じゃあどうやって私のこと突き止めたんです?」
「コイツを使って、だ」

 こちらの名前も人相も知らなければ奇襲のかけようもない。それなのにどうしてあの捕まった男性審神者は私に『竜神様の力が流れている』と思ったのか。
 疑問を口にすれば、武田さんはスーツの内ポケットからハンカチに包んだ何かを取り出した。

「ブレスレット?」
「ああ。ここに、欠けているが水晶みたいなのがついてるだろ? これが反応して水野さんが竜神の力を持っていると判断したそうだ」

 そういえば前に霊力測定をするために似たようなものを手首に巻いたことがある。ようはあんな感じで水晶が反応したから私の髪を切ろうとしたんだなぁ。
 ……いや、何でこんなのが出回ってんの?!

「一応聞きますけど、政府が作って配布している代物とかではないですよね?」
「当たり前ェだ。むしろこういう特殊な技術が必要な物は全部厳重に保管されている。持ち出しの際には書類が必要なだけでなく、専門部署の人間からもチェックが入る。当然セキュリティもしっかりしてるからな。盗むなんて以ての外だ」
「ということは、自作した可能性がありますね」

 こんな職業だからか、時折すごい能力を持った人が審神者やら政府に勤めていたりする。
 最初に私の担当をしていた鬼崎も、百花さんたちを担当していた水無さんも、この場にはいないがお師匠様である榊さんも、皆何かしらの能力を持っている人たちだ。
 そう考えると自分でこういったものを作れる人がいてもおかしくはない。
 武田さんも同じ考えなのだろう。苦々しい顔で頷いている。

「恐らくそうだろう。ガラスやプラスチックで作られた安物ならともかく、実際の鉱石には何らかの力を宿している物は多い。それに術式を付与すれば出来なくはないだろう」
「ですよねぇ」

 ここにある分は水晶が砕けてしまっているから詳しく調べるのは難しいかもしれない。それでも何らかの形跡がないか見てみようと手を伸ばせば、一体いつ近づいていたのか。
 音もなく傍に来ていた小烏丸が先にそれを掴んだ。

「んえ? 小烏丸さん?」
「これ。不用意に触るものではないぞ。此れはそなたを害そうとした者が身に着けていた物。細心の注意を払えばよいと言うものでもない」

 刀剣の父を名乗るだけあり、やんわりと、けれどしっかりと釘を刺されて「うぐっ」と詰まる。
 確かにそうだよね。幾ら「この目で何か見えたりしないかなぁ〜」と期待していたとしても、不用意に触るものじゃない。
 自分のうっかり具合に情けなさを覚えつつ、素直に「すみませんでした」と頭を下げれば「ほほっ」と朗らかに笑われる。

「なに、分かればよい。子は皆過ちや失敗を繰り返して育つもの。未然に防げるものは父が防げばよいだけだ。そなたも、これを機に学んだのであればそれでよい」
「はい。ありがとうございます」

 三日月とは違った包容力と父性を持つ小烏丸に改めて感謝を告げれば、他の刀たちも近づいてその手元を覗き込んできた。

「うーん……。ボクには何の変哲もないブレスレットに見えるけど……」
「殆ど何も残ってないからそれらしい手がかりとも言えないよね」
「術式が組み込まれていてもここまで砕けてしまえば効力などないからな」

 刀たちが眉根を寄せるように、今のところ何かを感じることはない。それでもじっと見つめていると、小烏丸が見やすいように近付けてくれた。

「どうだ? 何か感じるか?」
「うーん……。特には何も」

 近くで見れば何か分かるかと思ったけど、そういうわけでもないみたいだ。多分害意のある術式とかじゃないからだろうな。
 何となくだけど、私の能力は危険が迫った時に自動的に発動されるっぽいし。逆に言えばコレ自体は『悪い物じゃない』ってことになるんだろう。

「とにかく、コイツの出処を含めて一度その飲み屋、それから容疑者がよく通っていた遊郭にも調査しに行くことになりそうだ」
「武田さんがですか?」
「いや、流石に素人の俺が出しゃばることじゃないからな。警察官と二足の草鞋を履いてる審神者に頼むつもりだ」
「何だか大事になってきましたね……」

 想像を遥かに超える面倒ごとになってきて辟易するが、政府からしてみれば見逃せる出来事でもないのだろう。何だかんだ言ってうちの本丸は私含めて『封印指定』されているわけだし。外部においそれと情報が洩れてはまずい。

 ただこの時はまだ自分が『潜入捜査官』として遊郭に赴くことになるとは思ってもみなかった。
 実際、最初は現役の警察官や専門の部署に勤める政府職員達が頑張ってくれたみたいだし。だけど想像していたよりもずっと相手は手強いらしく、それらしい情報は殆ど出てこなかった。

「所謂“手詰まり”と言う奴ですか」
「そうなるな……」

 定期報告に来てくれた武田さんは疲れたように息を吐き出す。元々の業務に加えて今回の事件だ。『情報漏洩』や『責任問題』という文字がちらつくせいか、気が抜けないらしい。
 だからというわけではないけど、自分にも何か出来ないだろうか。と考えた。

「もういっそのこと私が遊郭に行った方がいいですかね?」
「は?!」
「水野さん、何を言っているのですか?」

 武田さんと共に来ていた太郎太刀からも怪訝な顔を向けられるが、ぶっちゃけその方が早い気がした。

「アレ以来私に何の被害もないのは、結局のところ私がこの本丸を出ていないからです。ここには百花さんがくれたお札も至る所に貼っていますし、竜神様の宝玉もありますから。悪しきものは入ることが出来ません。だけど初めから私を狙っていたなら、いっそのこと相手の懐に飛び込む、というのも一つの手だと思うんです」

 君子危うきに近寄らず。とは言うけど、何も進展がないうちに手がかりが消えてしまえば永遠に謎のままだ。そのせいで「また何かされるんじゃないか」とビクビクして暮らすなんてまっぴらごめんだし、性に合わない。だったら自分からぶつかりに行った方がマシだと思ったのだが。

「いいわけねえだろ」
「いけません。絶対にダメです」

 めっちゃ拒否られたわ。まぁ前科が幾つもあるからな。毎度後処理に走らされる二人からしてみれば「これ以上余計な手間をかけるな」ということだろう。
 だけど短くとも濃い付き合いをしているせいか、二人は眉間に深い皺を寄せたまま溜息にも似た吐息を零した。

「ただなぁ。俺らが黙っているせいでまーた水野さんが巻き込まれて、後処理が困る変なデカイ事件に発展しても困るんだよなぁ」
「そうですね。でしたら、ある程度は情報を開示すべきでしょう。水野さん。一応私どもも手掛かり――と呼べるかは微妙なところですが、その手のものは掴んでいるんですよ」
「え。そうなんですか?」
「ええ。我々は付喪神ですから。人には感じられないもの、見ることができないものも分かります。ですが確証とまでは至っていないのです。あくまでも痕跡を感じただけですので。ですから、非常に弱い情報なのです。『おそらく』あるいは『限りなくそうであろう』と思ってはいるのですが、実際に目の当たりにしたわけではありませんから」

 太郎太刀の言い分に「それでも何か掴んでいるなら教えて欲しい」と告げれば、太郎太刀と武田さんは目配せし合った後、頷いた。

「……分かった。こいつは出来る限り、水野さんの耳には入れたくなかったんだけどな」
「大丈夫です。どんな情報であれ、聞く覚悟は出来ています」
「そうですか……。では……」

 太郎太刀が遊郭に赴き、調査した結果感じた“気配”があるという。微かではあるけれど、知っている気配。それは――

「おそらくこの事件には、どこかの本丸の“小夜左文字”が関わっているかと」
「小夜左文字が……?」

 我が本丸での『小夜左文字』と言えば私の懐刀であり、優秀な近侍だ。でも普通は『復讐の刀』として名を馳せている。
 そんな『小夜左文字』が関わっているとすれば、それは即ち――

「“誰かへの復讐”を意味する、ということでしょうか」
「可能性は限りなく高いな」
「ええ。そしてその“誰か”は、恐らく自身の審神者を害した者。場所が遊郭であることを思うに、客として通っている男性か、あるいは遊女か……。まだハッキリとはしていませんが、どちらにせよ何者かに対する制裁が目的なのではないか、と我々は踏んでいます」
「なるほど……」

 ただ自らの審神者が関わっているのであれば、関与している刀は『小夜左文字』だけではないはずだ。幾ら彼が『復讐』を逸話に持っていようと単独で騒ぎを起こすようには思えない。実際、太郎太刀は「日によって異なる刀の気配を感じる」と口にする。

「基本的に短刀のものばかりですがね。室内戦に不向きな我々大太刀や、槍、薙刀などの気配は感じません」
「となると、やっぱり彼らの主である審神者に関係があるんでしょうね。短刀は『守り刀』として存在している物が殆どですから」
「だな。特に藤四郎たちは最たる存在だとも言える。恐らく『小夜左文字』以外にも多くの刀が関わっているだろう」
「ふぅむ……。となると、ますます私を狙う理由が分かりませんね……」

 他人を使って私と竜神様を害そうとした男。実際に私の髪を切りに来た霊力を失いつつある男性審神者。そしてその男性審神者と離婚し、現在意識不明である女性審神者。

 単純に考えれば『事故で意識不明の重体となった女性審神者』のために“復讐”しようと動いているのだろう。原因は何であれ、恐らく生霊となってまで男性審神者に“憑いていた”なら円満な離婚ではなかったはずだから。
 ただことを単純にしてくれないのは『私と竜神様』について知っていた者だ。こいつが変に関わってきたせいで妙に話がこじれているというか、難しくなっている。一応男性ではあるらしいけど、認識阻害の術が使えるならその情報も当てにはならない。

「情報を整理すると、私の髪を切った男性審神者は『審神者業』を続けたいからこそ私に近付いたんですよね?」
「そうだな」
「ええ。ですがもう殆ど霊力は残っていません。審神者を続けるのは実質不可能です」
「うーん……。あの、そもそもの疑問なんですけど、霊力ってそんな簡単に尽きるものなんですか?」

 以前にも『霊力を失う審神者がいる』という話は聞いたことがあるけど、その時柊さんから『寿命を霊力に変換すれば審神者業は続けられる』と聞いた。だけどまず『どうすれば霊力が尽きるのか』が分からないため、そこから知る必要がある。
 だけど武田さんは後ろ頭を掻きながら「それがよく分からねえんだ」とばつが悪そうに答えた。

「分からない?」
「ああ。一説には筋力と同じで年齢と共に衰えていくんじゃないか、っていうのがあるが……」
「正直関係ありませんね。例え寝たきりになったご老人がいようとも、霊力を失わず維持している方もいらっしゃいます。多くの場合は『体質』によるものかと思いますが、中には別の理由もあるでしょう」
「別の理由?」
「はい。いわば『呪い』ですね」

 ――呪い。
 鬼崎が陰陽師の出だったように、その手の知識を持つ人は数多くいる。

「呪い、ですか」
「はい。一言で『呪い』と言っても内容は様々です。相手を直接苦しめるものもあれば、以前水野さんが被害に遭われたように、その人から『何かを奪う』こともある種の『呪い』です。それこそ霊力は生命が持つ力の一つですから。『奪う』ことはそう難しくありません」
「なるほど……」

 つまり、男性審神者は至る所から恨みを買っていた可能性もある、ということか。
 その結果『霊力を失うことになった』。実際に違う可能性もあるから頭ごなしに信じるわけにはいかないけど、そういう線もあることは頭に入れておくべきだ。

「霊力を失った加害者はそれでいいとして、私と竜神様を害そうとした人は何者なんでしょう?」
「さぁな。それが一番分からねえ」
「水野さん自身についてご存知の方は沢山いるでしょう。政府の代わりに保護した刀を斡旋してくださっていますから。その際に知り合った審神者は少なくありません。ですが水神について知っているとなれば話は別です。一部を除き、このことについて知っている審神者はほとんどいません。政府役員でも一部だけです」
「ってことは、政府役員が一番怪しいってことですよね?」
「残念なことにな」

 ガックリと項垂れる武田さんだが、その気持ちはよく分かる。だって今まで巻き込まれたどの事件にも政府役員が関わっていた。今回も、となれば痛かった頭も更に痛くなることだろう。あるいは胃か。
 例えその人が政府役員でなかったとしても、結果的に関係者が『情報漏洩』したことになる。どちらにせよ政府は『信頼』を損なうことになるのだ。

「ん? もしかして実はそっちが狙いとか?」
「何がだ?」
「いえ、私と竜神様についての情報を誰かに意図的に洩らしたのだと考えると、本当に害したかったのは私ではなく『時の政府』なんじゃないかな、って」
「何だって?」

 訝しむ武田さんだけど、自分の考えを伝えると「確かにその可能性もあるな」と顎に手を当てる。恐らく今までの事件があったせいで『私を害そうとする者がいる』という固定観念に縛られていたのだろう。実際の狙いは『時の政府』であり、私への攻撃がカモフラージュだとしたら、相手を絞ることはかなり難しくなる。

「水野さんに対する重要な情報を漏洩した、ってことになるんだ。どちらにせよ政府は打撃を食らう」
「ええ。特に水野さんは『審神者』の中でも特殊な位置づけにいらっしゃいます。古き神が関わっている以上、水野さんの情報は決して、安易に口にしていいものではありません。それを破ってまで罪を犯したのであれば、政府に対する不信の芽を植え付けようとしている可能性は否めません」

 こうなると事件は振出しに戻るどころの話ではない。別の側面からも見なければいけなくなった、ということだ。
 だけど個人情報が関わっている以上、呑気にはしていられない。やっぱり自分が出た方が早そうだ。

 いや、本当ならイヤだけどね? でもいつまでもこの事件で足を引っ張られるのはイヤだからさぁ。それにもしその人がまた私を害そうと他の人間を宛がって来ないとは言えない。だったら早期解決が一番自分の身を守れると思うのだ。

「攻撃は最大の防御なり、ってね! ってことで武田さん! 私をその遊郭に連れて行ってください!」
「いや、けどなぁ……」
「警察や政府の人間じゃなきゃ調査出来ないのであれば、『潜入捜査』という形で一時働かせてもらうのはどうでしょうか? それも無理ですかね?」
「あー……うーん……。一応掛け合ってはみるが……。あまり期待するなよ?」

 武田さんは非常に微妙な顔をしたけど、私が直接動いた方が早いのは事実だ。というか断られても客としていけばいい。
 おそらく私が『何が何でもその遊郭に行く』という決意したことを察したのだろう。武田さんは「あんたを止められる気がしねえ」とぼやいてから帰って行った。


 そしてその数日後――無事『潜入捜査』として遊郭に潜り込むことが決まった。




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